地名が語る古代史

歴史研究の中では、地名による分析も重要な意味をなします。例えば、九州に分布する地名が、近畿地方にも同じように分布しているなどは研究者の間でよく指摘されていることです。

参考:地名も地形も一致している九州・近畿・関東
  「たっちゃんの古代史とか」さんのブログより

古代人の名前に対するこだわりは、現代人のそれ以上だと考えられます。それはあたかも、自分の子供の名前を考えるのに、その子の一生を思い、時間を掛けるのと同じくらいの思い入れがあったのかもしれません。特に古代は「言霊(ことだま)」に対する感性が鋭い時代だったはずなので、機械的に土地の形状や伝承だけを根拠に名前を付けていたとは考えにくいのです(もちろんそういうケースもあるでしょうが)。

おそらくその当時の重要拠点と定めるような場所では、言葉における呪術的な要素をよくよく吟味・考慮した上で、その土地が長く栄えるように、あるいは、その土地の邪気が外界に及ばないように、シャーマンなども交えて、国家統治のための重要案件として決定されてきたのではないかと想像されるのです。

先に紹介したブログでは、九州=近畿=関東で地名と地形の共通性が見られると結論付けていますが、これが正しいとした時、どうしてそのような一致が見られるのかと、もう一段深く考察する必要があります。

例えば、「九州=近畿」の地名一致からは

 →九州で完成した国家統治の型が、近畿に転写された、あるいはその逆

と仮説を立てることができます。九州、近畿には多くの遺跡があることから、そのような仮説にもある種の信憑性が見られます。それが、邪馬台国の九州説だったり、畿内説の根拠になったりします。また、私が今後提示するように、日本の国家の根幹は九州で醸成され、神武天皇よりはるか後に畿内に移されたとする根拠にもなり得るのです。

しかし、ここで「九州=近畿=関東」となると、仮説の立て方はまた一段と複雑となります。最初の二つのエリアだけなら

 ・九州→近畿
 ・近畿→九州

の2パターンだけを考慮するだけなのですが、ここにもう一要素加わると、地名変遷の順列パターンは6パターンに増えることになります。それに加え、ある1箇所から、同時に残りの2箇所に移動したパターンも考えられ、合計9の変遷パターンを考慮する必要が出てきてしまいます。

日本の歴史教育の一般常識では、「九州神武→畿内大和朝廷→全国」で全てを説明しがちなのですが、それだけでは、どうして関東だけに地名の類似性が見られるのかが説明できなのです。そもそも、九州神武のその前が記紀が伝えるような「神代(かみよ)」とぼやかされ、九州神武より前が歴史としてすっかり抜け落ちているのが、日本の歴史観なのです。

私は、「神代→九州神武」という曖昧さそのものが、日本人の歴史認識を混乱させていると考えます。そして、その曖昧さに基く根拠無き権威が、現在まで社会に影響を与えていることを非常に憂慮します。

これは別に現皇室を揶揄しているのではなく、どちらかと言うと、神社や寺、時代時代の政治体制など、皇室権威の衣を借りて、日本社会を動かしてきた勢力に対してより大きな危惧を抱いているからです。

国民が一致して、自国を愛し、誇りに思いたいのなら、まず神武以前の歴史を明らかにすることが、急務であると考えます。宗教団体はもとより、怪しげな秘密結社や古代氏族が天皇家の権威を盾に社会の裏側で暗躍する時代は終わりにしなくてはなりません。

少々話しは逸れてしまいましたが、古代日本の真実を知る手がかりの一つとして、日本語起源の解明と同じく地名分析は有効な手法と考え、今後取り入れていく予定です。

「三輪」を含む地名の所在地
図:「三輪」を含む地名の所在地

上図には 福岡県内の旧町名である「三輪町」(現筑前町)は含まれない。残念ながら、市町村合併で伝統ある地名がこのように失われつつある。

公開マップはこちら
https://drive.google.com/open?id=1eGxpxoQCBN4Du-nmQ7qHwsg1IGQshKif&usp=sharing


誠の神力を現す世と成れる
管理人 日月土



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