モリヤとユダヤ人

日本の古代史に関心を抱き、在野の研究者が記した膨大な書籍を調べていくと、必ず有名な「日猶同祖論(にちゆどうそろん)」に出会うことになります。

同論には色んなバリエーションがあるようですが、概ね次のような主張が骨格をなしているようです。

”紀元前、中東アッシリアに捕囚されたユダヤ北王国10氏族の指導層について、その後の記録がどこにも残されておらず、失われた10氏族と呼ばれている。どうやらその10氏族は東へ向かい日本列島に辿り着き、日本国建国の中心的役割を担ったようだ。”

要するに私たち日本人の血にはかつての古代イスラエル時代のユダヤ人の血が入り込んでいるというものです。同論の研究では宇野正美さん、久保有政さんなどがたいへん有名ですが、多くの研究者が、日本語とヘブライ語の語彙におけるその発音や意味の偶然とは思えない類似点、神道形式と古代ユダヤ神殿との共通点など、古代ユダヤが日本の成立に大きく関わったとする数々の傍証を示されています。

たいへん多くの研究がなされており、それをこのブログで一つ一つ紹介するのも今更なので、そちらについては、書籍なりネットなどで調べて頂きたいと思います。本ブログでは全国の地名に焦点を当てて、ユダヤ・キリストの痕跡を追ってみたいと思います。

■諏訪の守屋山

日猶同祖論の提唱者に多く取り上げられるトピックに、長野県は諏訪湖のほとり、諏訪大社に伝わる御頭祭が挙げられます。これについては久保有政さんの講演動画がYoutubeに公開されていますのでそちらを紹介したいと思います。

動画1:諏訪大社御頭祭とアブラハムの神事(久保有政講演)

この御頭祭の元になったストーリとされているのが聖書の次の一節です。

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」


次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。


三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」


アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。


イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」


アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。


神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。


そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。


そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」


アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。


アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。


主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。


御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。


地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


引用元:新共同訳聖書 創世記 第22章1-18節

後のユダヤ人の祖先となる大父「アブラハム」とその子「イサク」の物語であり、神の言い付けを守り、躊躇せず我が子を捧げようとしたアブラハムの神への畏れ深さを称え、それを祝福したという内容になっています。

そして諏訪大社の御頭祭は、その一節に記された出来事を祭事として今に伝えているとするのが、久保有政さんを初めとする日猶同祖論的な解釈なのです。

この解釈には無理な点は少なく、旧約聖書に描かれたアブラハムとイサク、そしてその子孫たるユダヤ人とこの日本の成立には少なからず関連がある。それは認めざるを得ない事実であろうと、私も思います。

さて、聖書に表れた「モリヤ」が、現代の住所表記にどのように表れているか調べたのが次の結果です。

 福島県須賀川市 守屋 モリヤ
 福島県須賀川市 守谷舘 モリヤタテ
 茨城県常総市 内守谷町 ウチモリヤマチ
 千葉県勝浦市 守谷 モリヤ
 神奈川県横浜市神奈川区 守屋町 モリヤチョウ
 富山県小矢部市 森屋 モリヤ
 大阪府南河内郡千早赤阪村 森屋 モリヤ

これが市町村名で現れているのが次です

 茨城県守谷市 イバラキケンモリヤシ

この中で、「守屋」は、見張り小屋をイメージさせ、まだ漢字の意味が取りやすいのですが、「守谷」「森屋」となると漢字の示す意味が漠然としており、これはおそらく万葉仮名と同じように、既に存在していたヤマト言葉に後から漢字を当てた地名なのではないかと推測されるのです。

実は、「モリヤ」で地名を検索すると、「森山(モリヤマ)」、「守山」と「山」の字を添えて出てくることが圧倒的に多いのです。その一部は例えば次のようになります。

 青森県西津軽郡深浦町 森山
 富山県高岡市 守山
 長野県小諸市 森山
 岐阜県美濃加茂市 森山町
 京都府京都市中京区 守山町
 大分県宇佐市 森山
 長崎県諫早市 森山町

この他

 滋賀県守山市
 愛知県名古屋市守山区 

など、ほぼ全国で「モリヤマ」の地名が見られるのです。聖書においては「わたしが命じる山の一つに登り」とあるように、「モリヤ」と「山」がセットであることは明白ですし、諏訪の御頭祭の場合も、諏訪大社前社の後背にある「守屋山」と聖所と見立てていることから、「守山」、「森山」の両表記の場合は「山」とセットの「モリヤ」と考えて良いかと思います。

また、諏訪の場合は「守屋山(モリヤサン)」と呼んでいるようですが、「モリヤヤマ」だとヤが重なり、発音が「モリヤマ」となまったとも考えられます。

そうなると、ユダヤ人の父たるアブラハムが神に祝福され子孫の繁栄を約束された地である「モリヤ」あるいは「モリヤの山」は全国各地にあるという、何とも凄い話になってくるのです。

■真里谷はマリアなのか

以下の写真はグーグルのストリートビューから切り抜いた写真です。交差点の名前に注目してください

画像1:真里谷交差点

この一見してドキっとする名前の交差点は千葉県木更津市の真里谷(マリヤツ)にあります。地名もそうなのですが、この写真の右側に写っている神社が諏訪大社と縁のある「諏訪神社」であることも注目点の一つです。

そして、この交差点からすぐ近くにある駅名を見るとさらにドキっとしてしまうのです。

画像2:馬来田駅(JR東日本久留里線)

クリスチャンではなくても聖書やキリストの生涯に関心がある方なら、この2つの写真を同時に見たらあの人の名を思い出すに違いありません。

 馬来田の真里谷 → マグダラのマリヤ

もちろん、たまたまこういう名前が重なっただけかもしれませんので、直ちに関連があると断定することはできません。マグダラのマリアとは、磔にされ後に埋葬されたキリストの死を見守った女性とされ、一部伝承にはキリストの妻であったとするものもあります。

さて、この真里谷ですが、諏訪神社に記載された伝承には、甲州から逃げてきた武田家の落ち武者たちがこの地に入って開いた土地である云々と書かれています。そして現地の七曲川沿いの古い集落を調べていた時に見つけたのが次の神社です。

画像3:森山神社

ここで冒頭の御頭祭に絡んで幾つかの事象が繋がることに気付きます。それを整理したのが次の図になります。

画像4:信仰は武田家と共に来たのか?

諏訪大社の起源も、武田家の出自もいったいどれだけ古いのかは分かりませんが、武田家が千葉県の上総の国に移ってきたのは大体1500年代頃と推定することはできます。

そして、その時に諏訪のモリヤ信仰(あるいはアブラハム信仰)を伴って来たことは十分考えられ、キリスト誕生から千年以上経過した時代のことですから、もしかしたら新しい信仰、新約聖書の教え(マリア伝承)を伴って当地に来たかもしれないのです。

もちろん、以上は名前から想像を巡らせただけなのですが、この想像を認めるとけっこうトンデモない話になることが分かります。地方の有力者である武田家にしてこうなのですから、

 日本は古来よりユダヤ国家だったのか?

という、まあ日猶同祖論と同じような結論になってしまうのですが、1500年代後半に日本を訪れた宣教師、ルイス・フロイスが「すでに聖書の教えを知っているようだ」と日本人を評したのは、案外その通りなのかもしれません。


 * * *

ここまで記述だけでは、一般の日猶同祖論とあまり大差なかったかもしれませんが、最後にいつもの指摘を残しておきたいと思います。

「大陸」と「島」から同じ壺が見つかった。この壺を作ったのはどちらなのか?これを「大陸です!」と反射的に答えられる様にしているのが現在の歴史教育なのです。日猶同祖論者においても、相変わらずその考え方の癖が抜けないようですね。

誠の神力を現す世と成れる
管理人 日月土


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