近江と美濃の彦坐王

今回の記事は、前回「秀真伝の土地を訪ねる」に引き続き琵琶湖周辺地域の調査報告となります。

前回のテーマは琵琶湖の西岸にある高島市でしたが、今回はその対岸にある東岸の長浜市が主な調査対象となります。

画像1:長浜市の位置(☆印は佐波加刀神社)

とは言え、一口に長浜と言ってもその範囲は広く、帰路も含めた1日足らずの限られた日程でくまなく調査するのはとても無理でした。そこで、ここで調べるテーマについてはピンポイントで次の歴史上の人物に絞りました。それは

 彦坐王(ひこいますのきみ)

です。

画像2:彦坐王の系図(日本書紀と古事記)
秀真伝も異なる部分はあるが大体似たようなもの

上古代の歴史を知る上で天皇系図が大事なのはもちろんですが、近い係累についての血脈についても侮れません。

この彦坐王、日本書紀ではその子についての記述はほとんど見られないのですが、古事記では、上図には書ききれないくらいの子沢山であることが記されています。

そこから続く孫、ひ孫の中には、後の神功皇后(14代仲哀天皇妃)、11代垂仁天皇のお后で12代景行天皇の母となる皇女が誕生しています。また、地方統治を務める各地の国造(くにつくり)の祖となる氏を輩出しており、この後の日本上古代史を考察する上で欠かせない存在となっています。

特に注目するべきは、丹波道主命の孫が後の日本武尊(ヤマトタケ)の妃を輩出し、神大根王の娘が日本武尊の兄の大碓命(おおうすのみこと)の妃に入ったと言う点です。大碓命は妃の里である現在の美濃地方に隠れたと伝えられています。

日本武尊が歴史に現れた時代は、天孫降臨の時以上に時代が大きく動いたと私は見ています。その意味で、彦坐王の足跡を訪ねておくことは、今後の考察のために重要であると捉えました。

■ヒコについて考える

前回の記事で、「旭」という地名が気になるという話題を出しましたが、高島市には日子主王(ひこうしのきみ)の古墳があり、長浜市には彦坐王を祭神とした佐波加刀(さわかと)神社があります(図1を参照)。

そこで気になったのが以下の3市の共通点です。

  高島市 新旭町 日子主王(人名)
  長浜市 新旭町 彦坐王(人名)
  彦根市 旭町  彦根(地名)

「旭」は日本ではポピュラーな地名ですし、「彦」は男性名として普通に用いられる文字です。これだけでは断定的なことは言えませんが、次の様に文字の成り立ちを考察すると何か必然性があるようには見えないでしょうか?

  旭=日(ひ)+九(こ)

そもそも、「ヒコ」の語源は「日の子」であると考えられ、太陽のような全てを照らす輝きを備えた子であると考えられます。つまり、「旭(ヒコ)」は日いづる所の御子と言う意味であり、これは本来、日本の皇統を位を継ぐ者、あるいはその血を受け継ぐ者と言う意味で名前に使われていたはずです。

実際に、日子主王も彦坐王も天皇家と縁が深く、その血縁者が天皇の妃に入ったり、天皇の地位を継いだりしています(26代継体天皇)。

また、第9代開化天皇と第10代崇神天皇の和風諡号は、それぞれ

 わかやまとねこヒコおおひひのすめらみこと
 みまきいりヒコいにえのすめらみこと

と読み、その名前の中に「日子」であることが示されています。

日の御子である「ヒコ」が高貴な血筋の男性名であることはもはや異論はないかと思いますが、そうなると、現在の日本神話にあるような、天照大神が女神であるという概念は極めておかしな話であり、太陽に対する本来の日本的考えでないことがここからも分かります。

天照大神を女神とする現在の神道は、今に生きる我々の目から見れば伝統的な信仰のように見えますが、はるか昔の日本の伝統と比較すれば、実は根本思想が逆転しており、これはすなわち、天照大神に関する記述が後世意図的に書き換えられていることを意味しているのではないでしょうか。

その点からも、女神天照大神を男性王アマテルカミと記述する秀真伝に真実味を私は覚えるのです。

■神社から御陵へ

彦坐王を祭神として祀る神社は全国でもあまり多くないようです。その一つが長浜にあるというのですから、これを機会にその神社を訪れました。

図3:長浜市の佐波加刀神社

町の中心を流れる高時川、川岸から町中を少し山に向かって歩くと、落ち着いた佇まいの佐波加刀神社の鳥居が現れます。

図4:佐波加刀神社の拝殿

そこからまた少し参道を登ると、山の木々に囲まれた拝殿が見えます。派手さはなく農村部の神社ではよく見られるお馴染みの光景です。

この時は特にこれといった発見をすることはできませんでしたが、しばらくここに滞在して、谷の方から聞こえてくる川のせせらぎを聴きながら、遠い日本の古代に思いを寄せてみたのです。

長浜市には他にも見ておきたい歴史ポイントが幾つもあるのですが、前述した通り、今回は彦坐王にフォーカスするということから、このまま長浜を離れ、伊吹山の麓を回り、関ヶ原を経由して岐阜市内へと向かったのです。

実は岐阜市内の長良川沿い、清水山という小山の麓に彦坐王の御陵があるというので、そちらへ行くことにしたのです。

御陵の脇には伊波乃西神社という立派な神社があり、そこでは彦坐王とその子である八瓜入日子命(神大根王)が祀られていました。

画像5:伊波乃西神社

御陵は神社の左手、少し登った山の中にあり、推定とは言え、上古代の比較的古い御陵を観ることができたのは貴重な体験であり、また、今後中京方面における調査を広げる上で非常に重要なポイントを確保できたと考えています。

画像6:彦坐王御陵

■アニメと彦坐王

さて、私は滋賀東部の湖畔沿いから岐阜まで、主に国道21号線を使って移動をしたのですが、読者の皆様はこの国道21号に何か見覚えはないでしょうか?

画像7:あのアニメシーンから

国道21号線は滋賀県の米原から関ヶ原を抜けて岐阜に入り、途中各務原を通って美濃の可児市まで向かうルートです。清水山は各務原に差し掛かったところで北に少し移動したところにあります。

別の言い方をすれば、国道21号線は近江と美濃を繋ぐルートとも言えます。その美濃の国造の祖となった彦坐王の名が共に21号線のほぼ両側、近江と美濃に現れ、しかもあの人気アニメ映画にもそれとなく登場していたというのは、単なる偶然と切り捨てるのは何か違う気がします。あのアニメとはそう、あの古代史てんこ盛り作品

 千と千尋の神隠し

なのです。

実はこの彦坐王御陵のある清水山は、1990年代の別のアニメでも遠回しに表現されており、何としても国民をここに注目させなければいけない大きな意図が感じられるのです。それについては、明日配信のメルマガの方でお知らせしたいと思います。


Blue Water、ただ青い水の色を知る
管理人 日月土


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