※この記事は、前回「時間を結ぶ少女神 - もう一つの『君の名は』」の続編となります。既に「君の名は」を鑑賞されていることを前提にしておりますので、まだの方はネタバレ注意でお願いします。
さて、このアニメ映画もジブリ作品と同様に日本古代史(あるいは日本神話)をそのモチーフに組み込んでいると考えられるのですが、その前提で、次の様な設問を読者の皆様に課題として出していました。
Q:三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?
この設問へのヒントとして、メソポタミア神話の女神ティアマトとの関連から、どうやら映画に登場するティアマト彗星が伊邪那美命(=伊弉冉尊:いざなみのみこと)を象徴しているらしいという解説を掲載しましたが、今回はこの話を更に掘り下げてみます。
■出会いのシーンは神話そのもの
説明を始める前に、まずは日本書紀に記述されている次の文面をご覧ください。
故(かれ)、二(ふたはしら)の神、改めて復柱(またみはしら)を巡りたまふ。陽神は左よりし、陰神は右よりして、既に遇ひたまひぬる時に、陽神、先づ唱へて日(のたま)はく「妍哉、可愛少女(あなにゑや、えをとめ)を」とのたまふ。陰神、後に和(こた)へて日はく、「妍哉、可愛少男(あなにゑや、えをとこ)を」とのたまふ。然(しこう)して後に、宮を同くして共に住ひて児(みこ)を生む。大日本豊秋津洲(おおやまとあきづしま)と号(なづ)く。
岩波文庫「日本書紀 一」神代上 一書から
こちらの現代語訳は次の様になります。
二柱の神は改めてまた柱のまわりを回った。男神は左から、女神は右から回って出会ったときに、男神がまず唱えていわれた。「おや、何とすばらしい少女だろう」と。女神が後から答えて「おや、何とすばらしい男の方ね」と。その後で同居をされて子を生まれた。大日本豊秋津洲と名づけた。
講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳から
伊邪那岐命(=伊弉諾尊:いざなぎのみみこと)と伊邪那美命の男女神の初めの出会いは、それぞれの回る向き、および発声の順序に問題があり、改めて上記引用の様に回り直したところ、正しく国生みが始まったとあります。
ここで、前回も紹介した三葉と瀧がカワタレ時に山上で邂逅したシーンを改めて見てみます。
もうお気付きかと思いますが、このシーンは上述の日本書紀の記述とシチュエーションが酷似しているのです。それを図解したのが下記になります。
御神体を中心に瀧と三葉は初めはそれぞれ右回り・左回りの方向に走り出します。しかし、二人はすれ違ってしまう。ところが、ちょうどその時がカワタレ時だというのもありますが、互いの気配を感じた二人は、引き返すため進行方向をそれぞれ左回り・右回りへと変えた時に出会うことができるのです。
これを整理すると次の様になります。
日本神話:
御柱の周りを回る
伊邪那岐命(右回り)&伊邪那美命(左回り) → 国生み失敗
伊邪那岐命(左回り)&伊邪那美命(右回り) → 国生み成功
君の名は:
御神体の周りを回る
瀧(右回り)&三葉(左回り) → 出会えない
瀧(左回り)&三葉(右回り) → 出会える
このように、私から見れば瀧と三葉のこのシーンは明らかに日本神話のそれをモチーフにしていると読むことができ、よってここから
瀧のモデルは「伊邪那岐命」
三葉のモデルは「伊邪那美命」
と結論付けることができるのですが、実はこの結論ではまだ説明できない設定が残っているのです。それは、三葉の血縁である、一葉、二葉、そして四葉との関係なのです。
■少女神の系譜
このアニメの設定において、三葉の家である宮水家は、代々村の宮水神社を守る神主やの巫女(みこ)を輩出した家とされています。ところが、入婿である三葉の父は、母の二葉の死去後に家を離れ、家に残されたのは、祖母の一葉、三葉、妹の四葉の女性だけの家として描かれています。
この設定だけをみれば、水宮家は明らかに
女系家族である
ことが窺われるのです。
これは一体どういうことでしょうか?ここで、神話ではない人の歴史として古代を綴る、秀真伝(ほつまつたえ)に従って、伊邪那美命からその後に3代続くアマカミ(上代の天皇)の系図を見てみましょう。
日本の史書は基本的に男系継承を軸に記述されているので、どうしても上図で示すようにになってしまうのですが、ここで注目すべきなのは王権の中心であるアマカミではなく、その后(きさき)の方なのです。
既にティアマト彗星は伊邪那美命の象徴であろうとしているので、同じように映画に登場した宮水家の人員をこの図に当てはめると次の様になります。
図の中で、特に三葉と四葉の姉妹関係などを見る限り、登場人物がピタリと上代アマカミの歴代皇后の系譜に当てはまることが分かります。ここから類推する限り、どうやら三葉は木花開耶姫(このはなさくやひめ)に該当し、ここから、前回出した設問の答も
瀧のモデルは「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)
三葉のモデルは「木花開耶姫」
ということになります。
しかしここでまたもや問題になるのは、どうして、伊邪那岐命・伊邪那美命と瓊瓊杵尊・木花開耶姫の関係を重複させているかなのです。
この映画のラストシーンでは、瀧と三葉が相手に対し同時に「君の名は?」と呼び掛けますが、「君」とは抽象的かつ普遍的な意味で王と后の両方を指していると考えられ、特定の世代に限定されないことが分かります。
ここでぜひ、過去記事「少女神の系譜と日本の王」を読み返して頂きたいのですが、同記事の中では、私は一つの仮説を取り上げています。それは
古代日本の王権は母系(女系)継承だったのではないか?
というものです。
すなわち、伊邪那美命と木花開耶姫のイメージをここで重ねてきた一番の理由とは
伊邪那美命と同じ血を継ぐ女性が代々皇后に選ばれてきた
その事実を開示せんがために、あるいは、日本人の潜在意識が既に把握しているこの事実に対して、何か心理的な作用を与えるために、敢えてこのような設定を盛り込んできたのではないかと推測されるのです。
記紀や秀真伝を読む限り、これらの皇后はそれぞれ別の家系を出自に持つ女性ばかりですが(*)、私はこれらも古代史改竄の一つで、実は
同一家系から、一旦他の有力者の養女に迎え入れていた
のが事実ではないかと考えるのです。その母系継承についての考察をみシまる湟耳氏の著書「少女神 ヤタガラスの娘」では述べているのですが、私も同様にそのルーツが海の向こうの古代朝鮮の伽耶、そして更に遡ること西アジアのメソポタミア周辺に及ぶと見ているのです。
*例えば、栲幡千千姫は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の娘、木花開耶姫は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘とされており、これだけ見れば両者は全く別の家系の出自となる。
また、なぜ后に特定の血筋を求めるのかなのですが、これはみシまる氏も指摘しているように、神と通信する女性シャーマンとしての優れた能力が代々彼女たちに受け継がれており、当時の社会においては彼女たちを后にすることが王権を得る上での絶対条件であったと考えられるのです。
これは、三葉が巫女姿で舞を踊ったり、口噛み酒を造ったりするシーンに象徴されていると見ることができます。現代的な解釈では、そんなのは迷信であったり習慣化した作法でしかありませんが、古代社会において、呪術とは実践科学であり、神の声を聞く彼女たちの能力は共同体運営に欠かせないものであった。彼女たちを后に置くことはまさに自国の存亡に関わる重要なことだったのではないでしょうか。
■三葉とサン
このブログの読者様なら既にご存知の通り、ジブリ映画「もののけ姫」に登場したサンの歴史モデルが「木花開耶姫」であり、アシタカのモデルが「瓊瓊杵尊」及び「天若彦」(あめわかひこ)のダブルキャストであることは既に結論が出ています。
つまり、「君の名は」における三葉の役柄は「もののけ姫」のサンの焼き直しということになります。
私がここで問題にしたいのは、なぜ日本のアニメ映画はこの時代の人物を執拗にモデルに取り上げるのか、果たしてその点なのですが、それについてはもう少し分析を進めて行く必要がありそうです。
おそらく、前回とりあげた日本のメディア作品の大テーマ「時間の循環と過去改変」に関係あるのだろうと今は予想しています。
浜辺にてすくう真砂の数よりも幸多くあれ姫宮の君
管理人 日月土