豚と女王と木花開耶姫

昨年、みシまる湟耳(こうみみ)氏の著書「少女神 ヤタガラスの娘」を読んで以来、「少女神」をテーマにそれなりの本数の記事を書いてきました。

この「少女神」を切り口に近年のアニメ作品を分析すると、そこにはまた共通する歴史的プロット、キーワードが見出せるのです。直近の投稿でも「SPY×FAMILY」、「ダーリンインザフランキス」を取り上げましたが、そこにはやはり

 古代天皇の皇后となった女性シャーマン(少女神)

の姿が見出せるのです。

さて、本ブログではアニメ分析の最初の取り掛かりとして、スタジオジブリの大ヒット作「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」を題材に取り上げ、そこに登場する人物の関係性が日本神話に登場する神々(実際は実在した古代天皇とその関係者)のそれに近い、といよりは、おそらくこれらの作品は日本神話を基にストーリーが組まれているのだろうと、結論付けています。

これが単なる神話のパクリだというだけの話ならば、アニメファンに喜んでいただいてこの話題は終了なのですが、これまでの分析の結果、どうも、日本書紀や古事記、秀真伝にも書かれていない要素がアニメには描かれている、要するにアニメ制作サイドは一般に普及している史書以上の情報を持っているらしいことが分かってきました。

そこで、本ブログでは、現代アニメを「もう一つの史書」とみなし、他の史書と比較検討しながら、そこに描き込まれた真の歴史を読み解こうと試みるものです。私自身は間違ってもアニメブログにするつもりはないのですが、何だかアニメばっかり取り上げてふざけた歴史ブログだと思われているのならば、それは私の実力不足なのでどうかご容赦ください。

■紅の豚:他の作品との共通点

今回はスタジオジブリの作品の中でも、少し時間を遡った1992年の劇場映画作品、「紅の豚」について分析を試みます。

画像1:紅の豚

さて、この「紅の豚」ですが、豚がいきなり主人公というのですから、設定としてはかなり突飛であると言えます。宮崎監督としては大人向けのアニメ作品を作ろうとしたとエピソード的には伝えられているようですが、鳥獣戯画のようなハイセンスな婉曲表現を狙った訳でもないことは、その他の登場人物が全て普通の人間として描かれ、特に風刺の要素などが見られないことからも窺い知れます。

それなのに主人公だけが動物に、それも豚などと表現したのか、既にこの辺りから何か別の意図があることを予見させるのです。一応、作中でマルコは「呪いを掛けられて豚にされた」と説明はあるのですが、その経緯や物語終了後にどうなったかなどは一切説明されていません。

同作品を観ていない方のために、ここではまず分析の対象となる登場人物とその関係性を簡単にまとめてみました。細かい設定やストーリーについては本作品をぜひご覧ください。

画像2:主要登場人物
血は繋がっていないが親子の世代関係である

さて、ジブリ作品が大好きな方なら(私は違いますが)、「呪いを掛けられて豚になった」という説明を聞かされて直ぐに次のシーンを思い出すのではないでしょうか?

画像3:「千と千尋の神隠し」から豚になった両親と驚く千尋

そうなのです、「豚」という記号は、「紅の豚」公開から10年後の2002年のジブリ作品「千と千尋の神隠し」で再び登場しているのです。

過去記事「千と千尋の隠された神(2)」では、「紅の豚」のタイトルに使われた「紅」と「豚」のキーワードが、それぞれ「紅花」と「養豚業」のことを指し、それが、かつては紅花の産地であり、現在は養豚業が盛んな、千葉県東総地区、現在の銚子市・旭市周辺の土地を表す記号ではないかとしています。もちろん、この土地は、「千と千尋の神隠し」でも舞台のモデルとなった土地であろうと結論付けています。

ここから、両作品が非常に密接な関係にあることが窺われるのですが、千尋が栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)をモデルにしていることはもう分かっていますから、「紅の豚」もおそらく同時代の古代天皇とその皇后、すなわち少女神をモデルにしているのが予想されるのです。

■どうして豚でなければならないのか?

上述の過去記事では、土地を表す記号としての「豚」を想定しましたが、「紅の豚」における表現からは、特定の土地(千葉県東総地区)を指している感じは伝わって来ません。そもそも作中の舞台が第一世界大戦後のイタリア、そしてアドリア海という設定ですから、日本国内の土地を予見させる要素はゼロと言って良いくらいです。

すると、「豚」が指示す意味は、おそらく土地に拠るものだけではないことが分かってきます。それならば、「豚」の文字にどのような含意があるのか、そこをもう少し詳しく見て行くことにしましょう。

日本語の「豚(ぶた)」は中国語では「猪(zhu)」と書きます。猪はもちろん日本では「いのしし」となります。ここでは

 豚 ≒ 猪

としましょう。さて猪と言えば十二支を表す「亥」と同義であると見なせます。すなわち

 豚 ≒ 猪 ≒ 亥

となります。

さて、亥に関しては「亥の子」というお祝い日があるのをご存知でしょうか?Wikiペディアには次のように書かれています

亥の子(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。
主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A5%E3%81%AE%E5%AD%90

どうやらこのお祝いは、猪が非常に多産であることから、それにあやかり子孫繁栄を願って亥の日に行われるようなのです。ここで、「豚」に生殖・繁殖の意味が加わります。

さて、次に調べるのは、十二支の「亥」の字が持つその真意についてです。私たちは十二支と言えば、直ぐに12種類の動物を思い描きますが、陰陽五行におけるそもそもの十二支の定義とは、

 樹木の成長過程

を表すものであったと言われています。現在使われている動物を対応させる形式は、覚え易さのため後に普及したものだとも言われていますが、真偽の程は私も良く分かりません。

この植物形式による十二支の解釈は、具体的には、

 子(ね) → 種となって次の力を蓄えている状態
 寅(とら)→ 芽が伸び始める
 申(さる)→ 実の形ができる

などの解釈が付けられています。これに従って「亥」の字を解釈すると

 亥(い) → 種に成長力がみなぎった状態

となります。亥と子の違いは、亥(い)は種子として完成したことを表し、世代交代前の一サイクルが完了したこと、そして、子(ね)は次世代のサイクルが新たに始まったことを意味します。ここから、「豚」の字には「完成した種子」の意味が含まれているとも解釈可能なのです。

動物的解釈の「生殖・繁殖」と植物的解釈「種子の完成」、この2つの言葉を聞いて読者の皆様は何を想像するでしょうか?私はここから、次の言葉を連想します。

 生殖・繁殖  → 血の継承
 種子の完成  → 遺伝子

そして、遺伝子による血の継承とは、前回記事「大空のXXと少女神の暗号」で分析した「XX」(ダブルエックス)の解釈と見事に重なってくるのです。

■キャラ名が示すもの

ここで、登場人物名を分析してみます。もう一度画像2を見てください。

まずはジーナですが、イタリア語表記では「gina」となりますが、これはおそらく「女王」を表す「regina」の省略形であると考えられます。

次にフィオですが、イタリア語表記では「fio」となり、これもジーナと場合と同様に「花」を表す「fiora」の省略形なのでしょう。

「女王」は日本の事情を考慮して翻訳すれば「皇后」となるのは説明不要でしょう。そして、「花」の付く古代皇后は誰なのか、それはこのブログ記事のタイトルを再度眺めて頂ければ直ぐにお分かりになると思います。

この歴史上の皇后はジブリ映画「もののけ姫」では「サン」のモデルになりました。詳しくは「もののけ姫」に関する過去記事をご覧になってください。

さて、問題なのは「マルコ・パジェット」で、あだ名の「ポルコ・ロッソ」がイタリア語の「porco rosso(赤い豚)」を表すのは良いとして、本名がいったい誰を表すのかが私もまだ完全には解読し切れていません。

ずばりその名が示す様に、新約聖書の聖マルコを指すのではないかとも考えたのですが、どうもしっくりきません、しばらくしてこれではないかと閃いたのが次のキャラクターです。

画像4:ちびまる子ちゃん
  漫画連載:1986-1996、
TV放映:1990-1992

いくら何でも親父ギャグが過ぎるのではないかと思われるかもしれませんが、このキャラとの関係を疑った理由は名前の響き以外にもあるのです。

それは、「紅の豚」の公開時期とTV放映・漫画掲載の時期が重なっていること、そしてこの時期「ちびまる子ちゃん」は全国的に大ヒットしていたことが挙げられます。

そして何より、このキャラクターが少女時代の作者、「さくらももこ」さんの自伝的肖像であるという点なのです。作者の名前には

 桜と桃

の2つの花の名前が刻まれていること、そして何より「紅の豚」の主題歌が、シャンソンの名曲「Le Temps Des Cerises」、邦題

 さくらんぼの実る頃

である点なのです。

イタリアが舞台なのにどうしてカンツォーネ(Canzone)ではなくフランスのシャンソン(Chanson)なのか、これは、この映画の冒頭から非常に気になった点でもあります。

そして、さくらんぼ(Cerise)とは、桜の木の種子のことであり、「種子」を逆に読めば「子種」となります。マルコ(男性)の「子種」と「皇后」(女性)の組み合わせに次世代の「花」(女性)が加わる、この関係が何を示すのかはこれ以上言葉にしなくても明らかでしょう。

これらの表現の一致を果たして「偶然」で片づけて良いものなのでしょうか?私はこれを、宮崎監督個人の着想を超えた、出版・アニメ制作業界が結託した高度な大衆心理誘導工作の一部だと捉えるのです。


Longtemps, longtemps, longtemps
Après que les poètes ont disparu
Leurs chansons courent encore dans les rues(*)
管理人 日月土

*「L’Âme des poètes」(詩人の魂)より


豚と女王と木花開耶姫” への1件のフィードバック

コメントする