ソシと祖師と世田谷事件

前回の記事「素戔嗚と牛頭天皇」では、唐突に日本神話のヒーロー「素戔嗚」(すさのお)を取り上げ、非常に簡単にですが記紀及び秀真伝の中でどのように描かれているかをまとめてみました。

そして、神仏習合の象徴として素戔嗚が「牛頭天皇」(ごずてんのう)と同一視されたことを、牛頭天皇説話と共にご紹介しました。

なお、奇妙な一致点として、日本書紀の一書に記された「曾尸茂梨」(そしもり)という素戔嗚ゆかりの朝鮮半島の新羅国の地名が、現代韓国語で「牛の頭」という意味であることもお伝えしました。

今回はこの「ソシ」、韓国語で「소씨」(牛氏、牛さん)というキーワードについて別の角度で切り込んでみたいと思います。

■ソシと祖師

「ソシ」に意味のある漢字を当てるとするならば、阻止(制止の動作)、素子(極小物体)、徐氏/蘇氏(人の苗字)など幾つかある中で、おそらく「祖師」が最も解釈しやすいのではないかと思います。

「祖師」とは文字通りに読めば「一番初めの師匠」となり、一般的には

 仏教で、一つの宗派を開いた人。
 禅宗の達磨 (だるま) 、日蓮宗の日蓮、
 浄土真宗の親鸞など。 開祖。

 (参考:goo辞書)

となります。

どうやら仏教にちなんだ言葉のようなのですが、日蓮、親鸞などは鎌倉新仏教時代の日本の僧侶の名前ですが、達磨こと達磨大使(だるまたいし)は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧であると言われています。

時代的にも5世紀後半から6世紀前半の人であるとされており、どうやら、12世紀に誕生した日本禅宗の開祖である栄西(臨済宗)や道元(曹洞宗)ではなく、その大元である大陸における禅宗の開祖を「祖師」と呼んでいるようなのです。

さて、この「祖師」をキーワードに国内の地名表記を調べてみると

 東京都 世田谷区 上祖師谷(カミソシガヤ)
 東京都 世田谷区 祖師谷(ソシガヤ)
 岐阜県 下呂市 金山町祖師野(カナヤマチョウソシノ)

と、地名に使われている場所は極めて限られているのが分ります。

何かお寺と関係が深いのではないかと同地区内の寺を調べたところ、世田谷区にあるお寺は安穏寺(真言宗智山派)の1寺、下呂市については祖師野薬師堂というお堂が一つと、特にお寺が多い場所と言った印象は感じられません。

画像1:東京都世田谷区の該当地域とお寺

しかし、東京都世田谷区の場合、ここが少し特殊な場所であることに気付かされるのです。

■祖師谷と世田谷事件

画像1の地図内で黄色枠で囲んだ公園「祖師谷公園」とは、平成12年(2000年)の12月30日に発生し、夫婦2人と子供2人の計4人が殺害された現在もなお未解決のままである

 世田谷一家殺害事件

が発生した場所なのです。

画像2:祖師谷公園北側入口
画像3:事件現場

数多くの物証を残しながら24年間も犯人が捕まらないこの凶悪事件については、(新)ブログ記事「世田谷一家殺害事件 – 警察には捕まえられない」で取り上げ、どうやらこの事件の背後には宗教的(あるいは呪術的)なバックボーンを有する、私が「国家カルト」と呼ぶ集団が絡んでいるだろうとの推測を述べています。

警察も手を出せない超法規集団の国家カルトが絡んでいるならば、当然、彼らが犯行に及ぶだけの何か思想的理由があるはずで、今回この話題を選んだのも、事件発生のこの土地には上面を追うだけでは捉えられない、重大な歴史的文脈が潜んでいるだろうと踏んでのことなのです。

■武蔵野丘陵と大遺跡地帯の痕跡

京王線の千歳烏山駅と小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅に挟まれた祖師谷公園を中心とした一帯は、幾つか畑は点在するものの、現在ではびっしりと家やマンションが立ち並ぶ大居住地域となっています。

歴史的痕跡を追うにも、ここまで住居ばかりになると、古代期の遺構はもちろん、近現代の様子までもはや分からなくなっています。

しかし、それでも実際にこの周辺を歩いてみると、この辺りが緩やかな起伏のある丘陵地であり、事件現場である祖師谷公園の中央部を南北に流れる仙川に近付くと、そこに向って両岸の丘陵部からせいぜい高さ10~20mくらいの、歩いて上り下りするのに支障のない緩い谷間になっているのが良く分かります。おそらく、祖師谷の「谷」の字は、仙川両岸に形成されたこの緩やかな谷のことを指すのだと思った次第です。

ここから窺えるのが、この土地が

 古代人が住み着く条件が整っている

という点なのです。また、

おそらく、仙川を見下ろす丘陵地にはかつて古墳か、古墳とは言えないまでも古い墳墓の跡がいくつも造営されていたのではないかと思わせるものがあるのです。

画像4:仙川両岸に形成された緩やかな谷

そして、祖師谷公園内を歩いていて目に入ったのが、ごつごつした石を無造作に置いて作られていた築山のようなものだったのです。

画像5:古墳の石棺に使われた石?

これまでに、古墳の石棺や礎石は数多く見てきたので、一抱えするにはやや大きい、このサイズの岩はまさにそれに該当すると思われるのですが、水が溢れる川沿いに古墳が作られることはまずないので、おそらく丘陵地を畑にしたり宅地造成するのに邪魔になった石を、川沿いまで運んできたのではないかと想像されるのです。

以上、この一帯がかつての大遺跡地帯であったことは容易に想像されるものの、残念ながら歩いて感じたもの以上ではなく、より詳しくはもう少し郷土資料を調べるしかないといったところです。

■祖師と名付けた真意

祖師谷周辺が古代期における大居住区だったと仮定した場合、それが世田谷事件とどう関わって来るのか?

事件の起きた日時が12月30日、すなわち「123」という記号を強く意識して決行された犯行ならば、これが

 天皇史に関わる事象

であることがまず最初に思い浮かびます。

そして、国家カルトは言葉の響きと意味建てを非常に重要視するので、当然ながら全国でも珍しい「祖師」(ソシ)という地名もこれに関係すると考えられます。

「天皇」と「ソシ」、その二つを繋ぐ神話的人物となれば、その筆頭に挙げられるのは、やはり

 素戔嗚

なのです。


宮沢にいなさんに捧ぐ
汝去り笑みし面影遠のくも鴫鳴く時に春はまた来ぬ
管理人 日月土


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