素戔嗚と牛頭天皇

今回からは日本神話における主役級の登場人物(神話的には神)である素戔嗚(すさのお)について取り上げたいと思います。

あまりにもよく知られた名前なので、わざわざ私がここで背景を説明する必要があるのかどうか迷いましたが、これから説明を進めて行く上で必要なことと判断したので、非常に簡単にですが、まずはそこから述べて行きたいと思います。

日本神話は良く知っているという読者様には少々退屈な回になるかもしれませんので、既にご存知だと思われる箇所は読み飛ばしていただいて結構です。

■神話に登場する3貴子

日本神話と言えば、最も有名なのは天照大神(あまてらすおおかみ)なのは言うまでもないでしょう。神話に疎い方でもその名を聞いたことくらいはあるのではないかと思います。加えて、天照大神と言えば女性(女神)であることもご存知ではないかと思います。

そして、天照大神には2人の兄弟が居て、一人は月夜見尊(つくよみのみこと)、もう一人が素戔嗚尊(すさのおのみこと)と呼ばれています。

一般的には月夜見尊は男性であると見なされていますが、正直なところ、神話における記述は極めて少なく、性別ははっきりしていません。ここではとりあえず男性であると見なします。

この

 天照大神(女神)
 月夜見尊(男神)
 素戔嗚尊(男神)

の3名は、この世を治めるとされる重要な3神で、3貴子(きし)などと呼ばれています。

書紀本文における神話では、この3貴子は、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が、国土をこの世に現した後、この国を治める神として生み出したとあります。それぞれ分担するのは

 天照大神 → 天上(あめのうえ)
 月夜見尊 → 日に配(なら)ぶ
 素戔嗚尊 → 根の国

と書紀本文にはありますが、統治分については書紀の一書によっては記述が異なる複数のケースが見られ、さらに言うなら古事記では

 天照大神 → 高天原(たかあまのはら)
 月夜見尊 → 夜の食(おす)国
 素戔嗚尊 → 海原

となるなど、かなりバラつきが見られるのです。

なお、3貴子の誕生譚については、書紀の一書第六では伊弉諾が黄泉の国から戻った後、水の中で禊(みそぎ)をしている時に、伊弉諾の身体の一部から生まれ出たとあります。

 左目 → 天照大神
 右目 → 月夜見尊
 鼻  → 素戔嗚尊

いずれにせよ荒唐無稽な話なのですが、だからと言ってこれらの記述に全く意味がないと言うことでもなく、記紀編纂者はこの記述を通して何を伝えようとしているのか、そこを押さえることに意義が感じられるのです。

■素戔嗚の描写1(日本書紀)

それではこの世に誕生した素戔嗚が、その後どのように書かれているのか、それを簡単に箇条書きにすると次の様になります。

 ・母(イザナミ)が居る黄泉の国へ行きたがった
 ・姉の天照大神と誓約を交わす
 ・神々の不興を買う乱暴狼藉の数々
   高天原の田畑をきちんと手入れしない
   (畑に馬を放す、水路を壊す、間違った種まき)
   新米収穫祭の神聖な場所に大を排泄
   馬を機小屋の天井を破って投げ入れる
 ・天照大神を怒らせて岩戸に隠れさせていまう
 ・罪を咎められ、神々に高天原を追放されてしまう。
 ・地上で八股大蛇を退治して奇稲田姫を娶る

以上、こんな所かという点を書き出しましたが、この中にはご存知のストーリーも多いかと思います。要するに、素戔嗚とは子供の時から手が付けられず、天照大神をはじめ、周囲の神々に迷惑をかける困った存在のように描かれています。

ところが、高天原を追い出され地上に降りると、人の娘を食らう八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して奇稲田姫(くしいなだひめ)を娶り、諸説あるものの、その子孫が大国主(おおくにぬし)に始まる出雲国の祖となるなど、一転、神話のヒーロー的な扱いに描写が変わります。

画像1:素戔嗚と八岐大蛇

ここまでが一般的な素戔嗚のイメージなのですが、この何とも幅の広い性格と活躍の描写から、神話に登場する神々の中でも、天照大神と同等以上に存在感の大きい神であることが分かるのです。

そして、一連のストーリーの中で私が特に注目しているのが、八岐大蛇の身体の中から出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)を天照大神に献上して、それが現在に至る天皇家の三種の神器の一つとなったという下りです。

ここまで大袈裟に脚色された神話と、天皇家に絡む現実性のある記述、これらの基となった歴史的事実とはいったい何であったのか?昔の史書編纂者はこの伝承によって歴史の何を伝えようとしたのでしょうか?

■素戔嗚の描写2(秀真伝)

以上は記紀に描かれた素戔嗚の基本的なイメージですが、これが神話ではなく史実的に描かれた秀真伝(ほつまつたえ)になるといささかそのイメージが変わります。

秀真伝研究家の池田満さんの分析によると、素戔嗚とは次の様な「人物」として描かれていると言います。

 ・ソサノオ(素戔嗚)は4兄妹の三男
 ・甘やかされて我儘に育った(のだろう)
 ・高天原から遠く離れた根の国を治めるよう派遣される
 ・優秀な兄アマテルカミ(天照大神)の日影的なポジション
 ・アマテルカミの妃(モチコ・ハヤコ)にそそのかされ高天原に反乱
 ・死刑は免れたが罰を受け毛と爪を抜かれる
 ・改心し妃を娶ろうとするも候補が次々と殺されてしまう(計8人)
 ・妃候補の暗殺者を排除する
 ・イナダヒメ(奇稲田姫)を娶り根の国の統治者となる

兄のアマテルカミ(天照大神)が女性ではなく男性だという点がそもそも記紀神話と大きく異なるのですが、テーマから外れるのでここではそれについて議論しません。

また、「根の国」というのは現在で言う「出雲」のことで、この点は記紀とも矛盾がないようです。

王位の跡目争いで、長子の母である王妃(複数居る)がソサノオに中央政府(高天原)への反乱をそそのかしたという下りは、何だか安っぽい歴史ドラマを観ているようでもありますが、人間社会とは昔も今もそんなものなのかもしれません。

秀真伝の記述で注目なのは、八岐大蛇の「八」という数字にどのような意味が込められているのか理解できるという点です。確かに、イナダヒメの前の8人の娘は大蛇に食われてしまうのですから、8人の娘(妃候補)の殺害という史実を敢えて婉曲表現したものであるという解釈は意外と的を射ているとも言えるのです。

■天津神と国津神

記紀神話における、天照大神に抗い神々に嫌われ追放される素戔嗚、秀真伝においては中央政府(高天原)に反乱を仕掛ける素戔嗚。当然ここには2局の対立関係が見られるのですが、これを

 天津神(あまつかみ)vs 国津神(くにつかみ)

と見立て、天津神を現天皇家に繋がる大陸からの侵入者民族、そして国津神を日本土着の民族、出雲の一族とし、古代期に入植してきた侵入者民族に徐々に屈服させられた姿なのではないかという見方もあります。

特に、八岐大蛇の身体から出てきた草薙剣を高天原の天照大神に献上したなどという描写は、国の統治権を「侵略者側に手渡した姿」と取れなくもありません。

しかし、高天原が存在していたと比定される地は現在の関東地方にあり、縄文遺跡が東日本に広く分布している現実を見れば、地勢的にはむしろ高天原中央政府の方が、日本土着の一派であったと見なせるのです。

どうやら、単純に「天津神 vs 国津神」と二元対立的な視点で古代史を見ていては、正確な理解を誤ってしまいそうです。

この古代史解釈の混乱に光を当てるのが、素戔嗚神話の正確な解釈ではないかと私は思うのです。

■牛頭天皇とソシモリ

過去行われた日本の神々と仏神のいわゆる神仏習合で、素戔嗚は牛頭天皇と同一視されるようになります。牛頭天皇については、Wikiに次のように書かれています。

 釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。
 蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の
 垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。

 (中略)

 『祇園牛頭天王御縁起』によれば、本地仏は
 東方浄瑠璃世界(東方の浄土)の教主薬師如来で
 あるが、かれは12の大願を発し、須彌山中腹にあ
 る「豊饒国」(日本のことか)の武答天王の一人
 息子として垂迹し、姿をあらわした。

 太子は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛の頭
 をもち、また、3尺の赤い角もあった。太子は王位を
 継承して牛頭天王を名乗るが、后を迎えようとする
 ものの、その姿形の怖ろしさのために近寄ろうとす
 る女人さえいない。牛頭天王は酒びたりの毎日を送
 るようになった。

 3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩
 りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩があらわれた。
 山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む
 沙掲羅龍王(八大龍王)の娘のもとへ案内すると言
 う。牛頭天王は娘を娶りに出かける。

 旅の途次、長者である弟の古單將來に宿所を求めた
 が、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。そ
 れに対し、貧乏な兄の蘇民將來は歓待して宿を貸し、
 粟飯を振舞った。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王
 は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民に授け、の
 ちに蘇民は富貴の人となった。

 龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女の頗梨采女
 を娶り、8年をそこで過ごす間に七男一女の王子
 (八王子)をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王
 は八万四千の眷属を差向け、古単への復讐を図った。
 古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわ
 たって読誦させたが、法師のひとりが居眠りしたた
 めに失敗し、古単の眷属五千余はことごとく蹴り殺
 されたという。

 この殺戮のなかで、牛頭天王は古単の妻だけを蘇民
 将来の娘であるために助命して、「茅の輪をつくっ
 て、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との
 護符を付ければ、末代までも災難を逃れることがで
 きる」と除災の法を教示した。

Wikipedia「牛頭天皇」から

関西地区に行くと、現在でも「蘇民将来」と書かれたの護符を災厄除けのお守りとして大事に扱う家が多いように見られますが、この大陸伝来の話とされる説話が素戔嗚とどのように繋がるのでしょうか?

実は、日本書紀一書第4に次のような下りがあります。

 一書に曰く、素戔鳴尊の所業無状(しわざあづきな)し。
 故、諸(もろもろの)の神(かみたち)、科(おほ)するに
 千座置戸(ちくらおきと)を以てし、遂に逐(やら)ふ。
 是の時にヽ素戔嗚尊ヽ其の子(みこ)五十猛神(いそたけ
 るのかみ)を師ゐて、新羅国(しらきのくに)に降到(あま
 くだ)りまして、曾尸茂梨(そしもり)の処(ところ)に居
 (ま)します。乃ち興言(ことあげ)して日はく、「此の地
 は吾(われ)居(を)らまく欲(ほり)せじ」とのたまひて、
 遂に埴土(はに)を以て舟に作りて、乗りて東(ひむがしの
 かた)に渡りて、出雲国の簸(ひ)の川上に所在(あ)る、
 鳥上(とりかみ)の峯(たけ)に到る。

岩波文庫 日本書紀(一) 第1巻

ここに登場する曾尸茂梨(そしもり)とは、現代韓国語で次のように記述できてしまうのです。

 소씨머리 = 牛の頭

ここに、素戔嗚と牛頭天皇、そして朝鮮半島の古代国家「新羅」との関係性が僅かに認められるのですが、それはどのようなものなのでしょうか?

そもそも「すさのお」という呼び名は「そさのお」が正しいという説もあり、確かに秀真伝では「ソサノオ」と「ソ」の字で呼んでいます。「ソ」とは「소」であり、「소」が意味するのは「牛」のことなのです。

そして、この「牛の頭」というキーワードは、次のシュメール文明の石板とも関連性が見出せるのです。

画像2:シュメールの石板に表現された王(牛頭)と女王(蛇)の象徴

素戔嗚と奇稲田姫が出会うのは、大蛇を介してのことであり、ここにシュメール文明における王の象徴である「牛の頭」と女王の象徴である「蛇」が同じように登場してくるのです。

この2つの古代ストーリーに共通して現れる象徴を、果たしてどのように解釈すればよいのでしょうか?


八雲立つ出雲八重垣妻籠に 八重垣作るその八重垣を
管理人 日月土

令和六年のブログ記事まとめ

2024年もあと1日となりました。昨年に引き続き、今年も本ブログにて掲載した記事のまとめをお届けします。

なお、今回は各記事の概要を箇条書にまとめたPDF文書を作成したので、ご興味のある方はそちらをご覧になってください。

画像1:「(神)ブログ2024年記事まとめ」から
※これ以前のものについては鋭意制作中です

■鹿に始まった令和六年

本年を振り返ると、今年は「鹿」に始まり「鹿」に終ったような気がします。そもそも年初の記事「もののけ姫と馬鹿」では、このアニメ映画の主人公アシタカが乗っていた、馬と鹿が合体したような謎の動物ヤックルについて、そのデザインにどのような歴史的意味が込められているのか、その考察から始まりました。

また、NHKの大河ドラマ「光る君へ」のテーマも、紫式部が主人公とは言え、常に藤原一族との絡みで描かれていましたよね。藤原氏と言えば春日大社であり、春日大社と言えば鹿せんべいに群がる奈良公園の鹿たちのことが直ぐに思い浮かぶはずです。

春日の「春」が出てきたところで、4年前に「クローゼットの中で首を吊る」という自殺としては不審な死を遂げた俳優の三浦春馬さんの件についても、歴史的事象との関係性を「三浦春馬と馬鹿」で考察しました。

また、同年全く同じように「クローゼットの中で首を吊る」という不可解な亡くなられ方をした竹内結子さんについても「竹内結子と鹿の暗号」の中で、古代史的な解釈を用いてその意味を考察しました。

「クローゼットの中での死」の他に、両者に共通するキーワードが「鹿」であり、また「馬」なのです。その一字に込められた意味は奥深く、その深さを私はまだ読み切れてはいませんが、取り敢えず導かれた結論が

 素姓を隠したまま死ね

という、少し恐ろしい結論になったのです。

問題なのはその「素姓」の部分であり、いったい、三浦さんも竹内さんもどのような素姓を隠していたのか、あるいは隠し続けられてきたたどんな秘密を象徴させられていたのか、そこが問題になってきます。

「鹿」には、日本神話に登場するタケミナカタ、タケミカヅチの2柱の神々が関わっており、神話の暗号的解釈から、両神がどうやら同一人物であることが分かってきました。

そして、これを神話ではなく、古代史的な史実として解釈すると上代(神武以前)に存在していたであろう

 タカミムスビ皇統

の存在が浮かび上がってくるのです。

タカミムスビ皇統は秀真伝の中だけで語られている王統であり、基本的に私たちが日ごろ目にする、現皇室とは異なる皇統です。

これは、万世一系を強調する現代の皇室観とは相容れない概念であり、もしかしたら、隠された素姓はこのことではないかとも考えられるのです。

■猿と烏

三浦春馬さんの死の要因を考察する中で得られたのが、「猿」の存在であり、それについての考察は「三浦春馬と猿の暗号」で行いました。

どうやら、「猿」が象徴する日本神話の神「猿田彦」とは、王朝並立時代の初代王ホノアカリを指すことが分かってきましたが、こちらも万世一系の概念とは大きく衝突するものです。

そうなると、現皇室の出自がいったいどのようなものであるのかが気になりますが、それについて強く暗示されていたのが、三浦春馬さんが最後に出演した「カネの切れ目が恋の始まり」の最終話だったのです。

その考察を伊豆半島でのロケシーンから分析したのが「三浦春馬のカネ恋と少女神」であり、どうやら現皇室は三嶋と呼ばれる人物から始まったものであることが見えてきました。それを系図にしたのが以下の図です。

三画像2:嶋神と現皇室の始まり

ただし、これを正しく理解するためには、「少女神」という古代の女系王権についての考察が不可欠です。

女系王権がいつ男系に置き換わったのか?それを暗に示唆していたのがカネ恋最終話だったというのが私の結論なのですが、もちろんこれが事実なら、神の子孫とされる現代の皇室観に大きな疑義を挟むことになるでしょう。

画像2に登場する玉依姫(たまよりひめ)については、上代女系王権から上古代(神武以降)の男系王権へと時代を繋いだ特に重要な少女神として、「サキタマ姫と玉依姫」で考察を加えています。

因みに、三嶋神とは別称「八咫烏」(やたがらす)であり、ここで、鹿・馬・猿に続いて烏(からす)が象徴的動物として登場することになります。

■虎と鹿

さて、今年の後半になってテーマとして取り上げたのが、アニメ「しかのこのこのここしたんたん」であり、子供向けのギャグアニメにしか見えないこの作品には、タイトルが示すように「鹿」が含まれているのです。

なぜ、今年はここまで「鹿」を前面に出して来るのか、そう思いこの鹿の子アニメを分析していったところ、どうやら鹿(しか)には次の意味が含まれていることが分かりました。

 鹿 → しか → 志賀 → 綿津見(わたつみ)の神

そして、綿津見の神とは各々「表・中・底」で象徴される三神であり、これが聖書及び世界の古代神話に登場する方舟(はこぶね)の三層構造を指すことが判明したのです。すなわち

 しか = 方舟

となります。これについては「鹿と方舟信仰」で考察しています。

加えて、鹿の子アニメには虎子という「虎」を象徴するキャラクターが準主役で登場しており、主役の「鹿」と親密な関係を保っています。

こちらの考察はまだ半ばではありますが、虎には「黒と黄」という色の象徴が含まれており、陰陽五行でこの色を解釈すると「水と土」を意味します。

ここで

 鹿 →  方舟
 虎 →  水と土

となりますが、方舟は「大洪水」の発生を同時に意味しており、両者の意味を繋ぎ合わせると必然的に

 大洪水に覆われる大地

という意味が浮かび上がってきます。

こうなれば、この何気ないアニメ番組が人々の意識をどこに誘導しようとしたものか、大体分かりますよね。

また、鹿の子アニメには古代メソポタミアの彫像に頻繁に現れる七枝樹、あるいはメノラーが描かれていたりするのですが、それについては「方舟と獣の数字」で少し触れています。

この七枝樹については、おそらく来年の主要テーマとなるかもしれません。

それにしても、NHK朝ドラの「虎に翼」といい、トランプ大統領の当選といい、今年は鹿だけに限らず「虎」尽くしでしたよね。ちなみに、トランプ政権で政府効率化省のトップに内定している実業家のイーロン・マスク氏ですが、英語のマスク(MUSK)とは

 MUSK DEER (ジャコウ鹿)

を表しているのですよ。

画像3:偶然だとは思いますが
あるいは全てが計画通りなのか?

それでは来年もよろしくお願いします。


管理人 日月土


侵略者と呼ばれた王

本ブログは歴史考察ブログと銘打ってはいますが、有名な史書や歴史文献に限らず、時より、現代アニメ作品の中に婉曲的に書き込まれた歴史的プロットも、非常に特殊な歴史資料として参考にしています。

なぜこんな手法を取るのか? これまでに何度かその理由はお伝えしていますが、改めてそれを説明すると

 日本書紀や古事記などの史書類はどれも改竄されている

という前提があり、改竄されているという事は、逆に言えば正史に近い底本がどこかに存在しており、限られた一部の関係者だけがそれにアクセスできるのだろうと予想するからです。

それだけでは、アニメや映画・ドラマなどに歴史的プロットが使われる理由にはなりませんが、おそらく、その底本に書かれた内容がメディア表現で頻繁に使用される一番の理由とは、

 事実でないものに大衆は強く反応しない

からであろうと私は考えるからです。

それは、心理学的には潜在意識や集合意識の記憶領域と強く連動している、はたまた遺伝子レベルでの記憶保存と何か関係があるからであろうと思われるのですが、この分野は学術的に議論が多い所なので、私も断言するまでには至っておりません。

しかし、本ブログでスタジオジブリさんのアニメ映画「もののけ姫」あるいは「千と千尋の神隠し」を記紀などの史書と照らし合わせながら分析した結果、かなり矛盾なく古代の様子が見えて来たので、今ではメディア作品の分析手法が、歴史考察においてかなり確度の高いものであると確信しています。

問題なのは「大衆が強く反応」することを利用して、作品提供側が何を意図しているのかです。

一つには、作品の大ヒットによる興行収入の増大などが考えられますが、もう一つ考えられる大変重要な要素とは

 大衆を納得させやすい

こと。どういうことかと言えば、顕在意識に昇らない古い記憶に直接訴えることによって、論理的な説明を省きながら話に説得力を持たせることができる。別の表現をすれば

 大衆を誘導し易い

と言い換えることができるかと思います。要するに「洗脳」ということです。

今回は、つい昨日、(真)ブログ記事「デデデデは諦めない」を上梓した経緯から、このアニメ作品「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」(以下「D4」と略す)について、歴史的事象が挿入された具体例を見て行きたいと思います。

■登場人物名に隠された記号

D4がどのようなアニメ作品かについては、公式ページ及びWikipediaなどを参考にしていただくか、現在ネット配信されているアニメシリーズを実際に視聴していただきたいのですが、今後の解説スタンスは基本的に(真)ブログ記事と同じですので、まずはそちらをお読みになっていただきたいと思います。

この作品には様々な切り口があるのですが、古代史的な観点から見るなら、なんと言っても登場キャラのネーミングでしょう。

画像1:D4の主要キャラ
左から 小山門出(こやまかどで)、中川凰蘭(なかがわおうらん)、大場圭太(おおばけいた)

このアニメ、個性的なキャラが大勢登場するのですが、とは言っても、話はこの二人の少女の関係を軸に展開します。

そして、変わり種は元男性アイドルグループのメンバーであった大場君なのですが、彼の中身は「侵略者」と呼ばれる宇宙人に入れ替わっています。

「二人の少女」が主人公と聞いただけで、読者さんも気付いたかもしれませんが、お分かりのように、本ブログでは日本の古代王室は、一人の王と

 二人の皇后

によって構成されていたと仮説を立てています。

そして、二人の皇后の内、呪術や託宣などシャーマン的な役割を受け持つ方を

 少女神

と呼んでいたことを思い出してください。そして、王権の継承権を保持するのは男性王ではなく、皇后となった女性側なのです。

さて、二人の少女キャラの名前についてですが、「門出」、「凰蘭」と王家を思わせるいかにもそれっぽい名前が付けられていますが、それに比して苗字の方は「小山」、「中川」なる普通と言うかよくありがちなものに留まっています。

この簡単な漢字の組み合わせについて分析すると、次の様な結果が導かれます。

画像2:隠された数字「7」

お分かりのように、どちらの苗字も基本的に単純な直線によって構成された漢字が使われており、このような文字は、呪術の世界では数字表現として暗示的に使われることが多いのです。

この場合、線数を数えるのが一般的ですが、漢字の画数も世間では通用している数え方ですので、この二人の場合は任意に適用するとしました。

ここで出てきた数字は「7」であり、これがユダヤの燭台「メノラー」の枝数を表す、あるいは、ユダヤよりもさらに古い古代メソポタミアの「七枝樹」を表すことは、過去記事「方舟と獣の数字」で既に述べています。

画像3:鹿の子アニメにも出てきたメノラー(七枝樹)

この数字の一致から、二人の少女を主役キャラに立てた理由が、どうやら、日本の王朝を越えたはるかに遠い古代王と女王の関係に行き着くことが見て取れるのです。

■女王は二人だった

上記「方舟と獣の数字」では次のような古代シュメールの彫像を掲載しました。

画像4:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹

注目すべきは、左側の女王に向けて七枝樹の枝が4本向けられていることです。

歴史言語学の研究家、川崎真治氏の著書「日本最古の文字と女神画像」によると、シュメール文明における王と女王の象徴は、次の様に書き表されることがあると説明されています。

 王 :星が3つ
 女王:星が2つ(または4)

「星が2つ(または4つ)」これはいったいどういうことなのでしょうか?どちらの数字が正しいのでしょうか?

この問題は、本ブログで主張してきた「二人の皇后(女王)」の概念を適用すればあっさり解決します。なぜならば、

 女王が二人 (星2つが二人=星が4つ)

また、画像4で女王の彫像が一人だけなのは、

 一人は少女神(シャーマン的女王)

であり、表には現れない存在であること、あるいは二人で一人の扱いであると考えれば論理的にも矛盾はないのです。

この関係をD4の二人の少女キャラに当てはめると次の様になります。

画像5:二人の少女キャラと大場君

この画像を見ていただければ、何故「大場」という苗字がキャラ名に採用されたのかも見えてきます。「大」は「おお」または「おう」で「王」に通じ、「大場」という文字を遠目に見れば「太陽」と見えなくもありません。

世界の神話では太陽神とは一般的に男性であり、記紀で女神にされている天照大神も、秀真伝では人間の男性王「アマテルカミ」として記述されているのは、これまで何度もお伝えしてきたことです。

ちなみに、中川さんは物語の中で、侵略者の技術を借りて

 異なる世界線上の過去に移動

という超人的な、それこそシャーマン的なことをやってのけるという設定が与えられています。これはいったい何を象徴しているのでしょうか?

しかし、このキャラ設定の中で一番の問題は

 王が侵略者とはどういうことなのか?

という点なのです。

私は、これこそが、日本皇室の真の出自と大いに関係があるのではないかと睨んでいるのです。


管理人 日月土

古代の土木と呪術

今回も前回の続きで、千葉県房総半島を巡ったその続きとなります。

お伝えする場所は、房総半島の南端の館山から、外房(房総半島の太平洋側沿岸)沿いを100km以上北上したところにある、千葉県いすみ市内となります。

■東叡山飯縄寺

館山から国道128号線を北に向かって走り、太東埼灯台付近で東に折れると、そこにあったのが飯縄寺(いづなてら)です。

元々ここは訪れる予定のなかったところなのですが、江戸時代の有名な彫物師「波の伊八」(なみのいはち)の最高傑作があるというので、同行者の勧めもあって急遽ここに立ち寄ることにしたのです。

実は。「飯縄」という文字を見ただけで、修験の里、長野県の飯縄山を連想させるだけでなく、民間呪術である「飯縄法術」とも何か関係がありそうで、それだけでも興味をそそられてしまったのです。

画像1:飯縄寺本堂

この画像を見て気付かれた方もいらっしゃるかと思いますが、山門から一直線に続く参道は、本堂の前で左に角度を付けて曲がっているのです。

画像2:参道が左に折れている

気学や風水を学ばれた方ならもうお分かりのように、これは気の触りを防ぐ配置で、このお寺がその辺の知識を取り入れて設計されたものであることが一目瞭然なのです。

これは面白くなってきました。同行者がお堂の中の伊八の彫り物を見て感動しているところ、私は呪術的な細工を探すのにもはや心を奪われてしまったのです。

画像3:お堂の周りにお堀?

お堂の周囲をぐるっと取り囲むように彫られた小さなお堀。これは水を利用した典型的な結界術と考えられます。もっとも、この土地は水はけがあまり良くなさそうなので、水抜きの排水路とも考えられますが、結果的に結界を構成していることに変りありません。

あと、古い時代、確実に遺体を埋めていただろうなという場所も見つけましたが、あまりそんな事ばかり書くと歴史解説から逸脱してしまうので止めておきます。

波の伊八の大傑作、「弁慶と牛若丸」は写真撮影禁止と言う事で、ネットにあったものを代わりに掲載しておきましょう。

画像4:波の伊八「弁慶と牛若丸」
千葉県物産協会HPから

このお寺、創建は808年と古く、江戸時代に東叡山(上野寛永寺 – 天台宗)の管轄下に入ったようなのですが、なぜここに呪術の展示場のような寺が築かれたのか、次に興味を引かれたのがその点なのです。

■太東の雀島

いすみ市を訪れた本当の目的の一つが、雀島(すずめじま)なのです。この雀島、実は今年の3月初め頃に話題になったのを覚えておられるでしょうか?

画像5:崩れ落ちた太東の雀島
NHK NEWS WEB (’24-03-05)

NHKさんの報道では、なぜか「雀島」と呼ばず「夫婦岩」の呼称のみを使用しているのですが、どうしてなのでしょうか?地元では明らかに「雀島」で通っているのにも拘わらずなのに。

実は、この雀島と今年の元旦の能登半島地震、千葉県東方沖地震の関係性について、3月10日の(新)ブログ記事「観光スポットにされた理由」で既に取り上げているのです。

現地へは一度視察に行っているのですが、今回改めてこの雀島を見てきました。

画像6:太東の雀島

この写真の右側、黄線の枠で囲った部分にご注目頂きたいのですが、波で削られただろう岩の下に、何やら礎石のような平板な敷岩があるようなのです。

画像7:礎石か?

画像5の写真では見にくいのですが、実は中央および左側の小岩の下部にも継ぎ目のような痕跡が見られるのです。

削られ方が異なるのは、おそらく上下で岩の材質が違うからとだと考えられますし、下側の岩の上面が水平なのも気になる点です。

即ち、この雀島、元々人工物であった可能性もあるのですが、そうだとしたら、何時、誰が、何の目的で、そしてどのように人工島を造営したのか、それを説明しなければなりません。

想像の逞しさのが私の取柄(あるいは悪癖)なのですが、そもそもエジプトのピラミッドですら、その建築方法や目的がよく分っていないのですから、取り敢えず、詳細は不明のまま雀島が人工島であったと仮定しても問題はないかと思うのです。

■物部氏創建の玉﨑神社

いすみ市は、サーフィンで有名な千葉県一宮町(いちのみやまち)の南に位置します。この一宮町は、文字通り上総一ノ宮として知られる玉前神社(たまさき)でも有名です。特に、スピリチュアル系の人々からはパワースポットの一つとして捉えられているようです。

「たまさき」の呼び名で呼ばれる神社は、千葉県内に幾つかあり、いすみ市内にも小社が点在しています。

前節の飯縄寺・雀島からそれほど離れていない所にも玉﨑(たまさき)神社が鎮座しており、今回の現地調査の最後の場所として同神社を訪れました。

画像8:玉﨑神社(中原)

「たまさき」あるいは「さきたま」と名の付く神社は、基本的に玉依姫(たまよりひめ)が主祭神なのですが、由緒書によると、ここではその先代に当たる豊玉姫(とよたまひめ)が祭神の座を占めています。

また、この神社は現在の「椎木」と呼ばれる少し西方の土地から遷移されたものであることも記されています。

しかし、この神社で注目すべきなのは、「物部」(ものべ)系氏族によって創建されたとあることです。

画像9:玉﨑神社(中原)の由緒書

古代朝廷の軍事担当氏族、あるいは国家祭祀氏族とも言われている物部氏の名が何故わざわざここに書き残されているのか、非常に気になるところであります。

それ以外はいたって普通の神社という体なのですが、この神社の存在意義は、古代の地形を読み解くことで少しだけ見えてくるのです。

■外洋に突き出た小半島

まず、今回訪れた場所について地図上で整理してみましょう。まずは現在の地図上にプロットしたものです。

画像10:今回訪ねた場所(現代地図)

この地図を見ても特に特徴は掴めませんが、次に、中世まで続いたとされる海進期の水面(5~7m)で地形を考えます。

画像11:今回訪ねた場所(海進期予想)

半島の形が現れてきましたが、そもそも、この小半島、太平洋の荒波に細く突き出ているのが何か不自然です。もちろん、潮流の激しい太平洋にこんな入り江があったのなら、昔の船で行き来するには大変便利であったに違いありません。

ここで話を整理すると

 ・呪術の要素が漂う史跡
 ・人工物の疑いがある雀島(詳細不明)
 ・小半島周辺に固まっている
 ・太平洋に突き出た不自然だが便利な半島

ちょっと強引かもしれませんが、私はこの古代海進期に存在しただろうこの半島は

 古代土木による人工の半島

と捉えても良いのではないかと思っているのです。もちろん、仮説としてですが。

管理人 日月土

安房の国の忌部

ここ数回はアニメ「しかのこのこのここしたんたん」を元ネタに記事を展開してきましたが、意外にも同作品に組み込まれていた歴史的暗喩の範囲が広く、正直、その全てを解き明かせている訳ではありません。

今回は、そのアニメの構造解析はお休みにして、最近調査に向かった千葉県の館山市、古い地名で「安房」(あわ)と呼ばれた、千葉県房総半島の南端の地についてレポートしたいと思います。

■忌部氏(いんべうじ)と安房の国

11月初旬の朝、薄曇りの天候の中、館山市街を出発して向かったのは、市内南部にある洲宮神社(すのみやじんじゃ)です。

ここは忌部氏ゆかりの古代祭祀が行われた場所と聞いて向かったのですが、現地に着いてみると、外見はいたって普通の趣の神社でした。

画像1:洲宮神社

案内版には丁寧な解説が記述されていたので、その一部をここで書き出してみます。

 洲宮神社は安房開拓神話にまつわる神社で、安房
 神社の祭神である天太玉命(あめのふとだまのみ
 こと)の后神、天比理乃咩命(あめのひりのめの
 みこと)を祀っています。そのためか、神社に伝
 えられる縁起では忌部一族による安房の開拓や、
 安房神社、洲官神社、下立松原神社の創建の由来
 なとか語られています。本文のうち3分の1は、
 失われた『安房古風土記』ではないかと推定され
 ています。

 この縁起の成立年代は不明ですが、「古語拾遺」
(807年成立)からの引用があり、平安時代以降
 と推定されます。別紙となっている奥書に、慶長2
(1597)年に虫食いのため、元の本から写した
 と記してありますが、現代の縁起はそれを更に後
 世写し取ったものと考えられています。

画像2:洲宮神社の案内板

案内文の中に出てくる安房神社(あわじんじゃ)はこの神社の近くにあり、ここを離れた後にそちらへも訪れました。

画像3:安房神社

こちらは安房国一宮とされる古い神社で、一般に阿波国(徳島県)から移り渡ってきた忌部氏によって創建されたと言われています。

安房神社の主祭神は天太玉命で、相殿神として皇后の天比理乃咩命、阿波忌部の祖と言われる天日鷲命(あめのひわしのみこと)など6柱が祀られています。

さて、洲宮神社ですが、拝殿の裏に回ると古びた石柱のようなものが置かれていました。そこに掲げられた案内板を読むと、元のお社は谷を挟んだ向かいの山の中にあったらしく、どうやら私が訪ねたこの場所は、江戸時代の火災の後にここに建て直されたものだと言う事が分りました。

画像4:洲宮神社の拝殿裏の石柱

またこの古びた石柱は元宮の場所にあったものを、土地開発の事情でここに移設したものだということです。

なるほど、ここでは古代の雰囲気があまり感じられないなと思ったのは、そういう事情があったからのようなのです。

画像5:館山の忌部氏ゆかりの神社群

洲宮、安房と2つの神社を回った後に海岸沿いの布良崎神社(めらさきじんじゃ)へ立ち寄りましたが、ここでは忌部の歴史を感じる非常に面白いものを見つけました。

画像6:布良崎神社の大岩

敷地内の大きな岩に、直径10㎝程度、深さ3~4㎝程度の丸い穴が幾つも穿たれているのです。同行者のG氏の話では、どうやら古代祭祀の痕跡だとのことことなのですが、いったいここではどのような祭祀が行われていたのでしょう?呪術的なものに目がない私にとってはたいへん気になる大岩でした。

ちなみに、ここの祭神は天富命(あめのとみのみこと)・須佐之男尊(すさのおのみこと)・金山彦命(かなやまひこのみこと)です。天富命は上述した天太玉命の孫とされ、やはり忌部氏の関係者であることが窺われます。

■天太玉命とは何者か?

安房の土地、そして忌部氏を理解する上で、天太玉命がどのような人物(神)であったかを知らなければなりません。

日本神話の中で、天太玉命は次の様に描かれています。

 このときに天照大神は大変驚いて、機織の梭(ひ)
 で身体をそこなわれた。これによって怒られて、
 天の岩屋に入られて、磐戸を閉じてこもってしま
 われた。それで国中常闇(とこやみ)となって、
 夜昼の区別も分からなくなった。

 その時八十万の神たちは、天の安河のほとりに集
 まって、どんなお祈りをすべきか相談した。思兼
 神(おもいかねのかみ)が深謀遠慮をめぐらして、
 常世の長鳴鳥(ながなきどり=不老不死の国の鶏)
 を集めて、互いに長鳴きをさせた。

 また手力雄神(たちからおのかみ)を岩戸のわき
 に立たせ、中臣連(なかとみのむらじ)の遠い祖
 先の天児屋命(あまのこやねのみこと)、忌部の
 遠い祖先の太玉命は、天香山の沢山の榊(さかき)
 を掘り、上の枝には八坂瓊(やさかに)の五百箇
 (いおつ)の御統(みすまる)をかけ、中の枝に
 は八咫鏡(やたのかがみ=大きな鏡の意)をかけ、
 下の枝には青や白の麻のぬさをかけて、皆でご祈祷
 をした。

講談社学術文庫 日本書紀(上)訳:宇治谷孟

有名な天照大神の岩戸隠れのシーンで、岩戸の中の天照大神を外に出すために知恵を絞ったブレーンの一人(柱)として名前が挙げられています。

当然、何かの歴史的事実の比喩と考えられるのですが、これを人物史と捉えた時、少なくとも天太玉命は、当時の中央政権において、重要なポジションを占めていた重臣であったと考えられるのです。

そうであればこそ、忌部氏がその後の朝廷祭祀族として名を馳せたのにも納得が行くのです。

さて、以上は日本書紀の記述からなのですが、人物史として上代(神武以前)を記述している秀真伝では天太玉命はどのような血縁関係として描かれているでしょうか?

画像7:天太玉命の系図(秀真伝)

この図の緑枠の中には、参考のため、天太玉命に関する他の伝承を基に、天比理乃咩命と天宇受売命(あめのうずめのみこと)を書き加えています。

フトタマは、第7代タカミムスビ王統のタカギの息子として記述されています。ところが、タカミムスビ王統は7代で終ってしまっています。フトタマ、あるいはその他の兄弟は王統を継承できなかったのでしょうか?それはいったいどうしてなのでしょうか?

ここで、これまでこのブログで主張してきた、古代日本の王権継承の仕組み

 女系による王権継承

すなわち、「少女神」と呼ばれる女性の元へ婿入りすることで王権が授けられる、いわゆる少女神仮説でこの系図を組み直してみたいと思います。

少女神仮説で書き換えたこの時代の系図は次の様になると予想されます。

画像8:フトタマの時代、王権継承の一本化が図られたのでは?

アマカミ王統とタカミムスビ王統、双方にそれぞれ女系の王権継承家系があったところを、アマカミ側がその王権の名(男性)を、タカミムスビ側が実質の継承権(女性)を保有するという協定が出来たのではないか?この図はそれを示しています。

これがフトタマの時代を巡る背景だったと私は予想するのですが、お気付きのように、記紀の記述では10代アマカミとはニニキネ、すなわち瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)でないとおかしいのです。

また、この図では素戔嗚(すさのお)、大国主と続く大物主(オオモノヌシ)王統については説明できていません。

それらを含めて、やがて、現在の皇室へと続く統一王朝となるのですが、ここに、秀真伝が伝えきれなかった王権を巡る当時の深刻な対立、あるいは混乱があったと考えられるのです。


南国の花育みし白き風 また吹く時ぞ安房の波間に
管理人 日月土

方舟と獣の数字

今回に限っては、少しだけ触れて終わりにしようと思っていたアニメ分析ですが、この鹿の子アニメ(*)には思いの外多くの歴史的情報が埋め込まれていたので、まだ文字化ができていない点について今回もまた取り上げてみようと思います。

*タイトルは「しかのこのこのここしたんたん」

「いい加減にしろよ」と思われる読者さんも多いかと思いますが、あくまでもこれは「古代史分析」の一環であり、けっして酔狂でアニメについて語っている訳ではないので(本当です)、その点はご理解いただけますようお願いします。

■背振の山から見えたもの

実は1週間程前、現地の福岡県に飛んで、もう一度アニメに関係する土地を見てきました。具体的な行先は次になります。

画像1:脊振山気象レーダー観測所
画像2:気象レーダーの地図上の位置

気象レーダーは福岡県と佐賀県の県境となる背振山の尾根伝いの登山道上にあるのですが、レーダーまでは自動車が入れるように舗装されており(一般車両は不可)、県道から歩いておよそ30分くらいの所にあります。

私も現地に入ってから気付いたのですが、このポイントからは福岡県側に博多湾、そして佐賀県側は有明海はもちろん「鹿島と木嶋と方舟と」で取り上げた杵島までが見渡せるのです。

当日は少し霞んでいて写真では見にくいのですが、以上の重要ポイントをここから写真に収めました。

画像3:気象レーダーから見下ろした志賀島と能古島
画像4:気象レーダーから見下ろした佐賀の平野と杵島

志賀島と能古島は「志賀能古(しかのこ)=鹿の子」であり、志賀の神とはどうやら大船、すなわち「方舟」を指すだろうことは過去記事で述べた通りです。

また「杵島(きしま)」とは、古代シュメール語まで遡ればキッジュ(木)マァ(舟)で木舟であり、どうやらこれが「方舟」を指すことも、過去記事で既に述べています。

つまりこのレーダー観測所の位置は、方舟伝承に関わる2つの土地が同時に見下ろせる絶好のポイントであることが分かるのです。

これは私にとっても大きな発見で、わざわざここまで足を運んで良かったと思うだけでなく、古代史においてこの脊振の山々が、当時の信仰形態がどのようなものであったのか、それを理解する上で極めて重要な場所だという認識に至ったのです。

■虎虎虎

これまで鹿の子アニメの「鹿」について多くを考察してきましたが、このアニメには「虎」の文字を冠するキャラクターが準主役として登場していることを忘れてはなりません。

画像5:虎視姉妹

もうお気付きの様に、この二人合わせたキャラ名の中には「虎」の字が3回現れています。それを抜き出すと「虎虎虎(トラトラトラ)」となりますが、この「トラトラトラ」は第2次世界大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃する際に出された暗号文であることはつとに有名です。そう言えば同名タイトルの映画も作られていますよね。

それではどうして、真珠湾攻撃の暗号文がトラトラトラだったのか?そして、それがまた何でこのようなお気楽ギャグアニメの中に登場したのかが非常に気になります。

以下は私の考察なので合っているかどうかは分かりませんが、偶然と言うには余りにも意味的符牒が整っているので、参考までに紹介しておきましょう。

画像6:「トラ」をヲシテ文字で表記し、文字の構成要素を組み合わせる

以上のように、神代文字とも言われるヲシテ文字で「トラ」を表記し直すと、この音に隠された意味が見えてきます。そして、そこから見えてくるのは

 天地(の理)と六芒星、あるいはダビデの星

なのです。

これを意味的に日本語表現するならば

 天地(あめつち)の秘密(火水)

と読めなくもありません。

また、ここから「トラトラトラ」と「トラ」を3つ重ねた言葉に隠された意味の一つに3つの六芒星、すなわち

 666

があるだろうと考えられるのです。

ご存知の様に、666という数字は「獣の数字」として聖書の「ヨハネの黙示録」にも記述されています。

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

(ヨハネの黙示録 13章18節)

「鹿」からは「ノアの方舟」、そして「虎」からは「獣の数字666」、あくまでも日本古代史を扱っていたはずなのに、どちらも聖書の世界と繋がってしまうのです。一見能天気なお気楽アニメにしか見えないこの鹿の子アニメ、いったい何を企んでいるのでしょうか?

■七枝の線刻石

前回の記事「鹿と大船と祓祝詞」では、この鹿の子アニメの中で七枝のメノラー(古代ユダヤの7支の燭台)が描かれているとの指摘をしました。

画像7:アニメ中に描かれたメノラー

実はこのメノラー、日本国内の各地で見つかった線刻石や弥生式土器にも描かれていると言うのです。

画像8:下関市、彦島の線刻石(川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から)

古代言語の研究家、川崎真治さんによると、七枝の文様のルーツは聖書の時代を通り越してシュメール神話にまで遡ると推定されており、どうやらこれまで見てきた聖書と古代日本の奇妙な接点を理解する共通の鍵は、シュメール文明にあるようなのです。

シュメール神話に関する彫像で七枝樹が描かれる場面は、王「アン」と女王「キ」の間というのが定番のようなのですが、ここでやっと、アニメに登場した少女キャラクター(少女神の象徴)、すなわち皇后(=女王)とメノラーの関係性が見えてくるのです。

画像9:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹
女王の象徴は左端に描かれた蛇、王の象徴は牛角の冠

ここから先は私もまだ不勉強なのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが、このアニメの設定は、想像以上に深い歴史考証によって組み立てられているのが分るのです。


管理人 日月土

鹿と大船と祓祝詞

巷でちょっとだけ話題?にされていた鹿の子アニメ(※)を題材に取り上げて、なぜあれほどまで脈絡なしに「シカ」を強調するのか、その謎というか、原作サイドの隠された意図を、例によって日本古代史の文脈で掘り下げてみたところ、それが、

 方舟(はこぶね)

に辿り着いたことは、前回2回の記事でお伝えした通りです。

 関連記事:
 ・越と鹿乃子 
 ・鹿と方舟信仰 

 ※アニメタイトルは「しかのこのこのここしたんたん」です

残念ながらこのアニメ、先月で最終回を迎えたのですが、とにかく呪文のように怪しげなタイトルと奇妙な鹿の子ダンス、そして意味不明な設定で話を押しまくれるだけ押しまくって消えて行ってしまったようなのです。

ところが、その一見とっちらかって無茶苦茶なアニメも、整理してみると、非常によく計算された構造が見えて来たことは、上記過去記事でも述べています。

■鹿の子アニメの気になるシーン

さて、今回は同作品中の次の二つのカットを紹介しますが、どちらも、これまで本ブログで扱ってきた歴史的記号を象徴するものであると私は考えます。

画像1:鹿の角とバナナ
©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部(画像3も同様)

鹿の子の角の中にバナナが入っている?ギャグアニメだと言われればそれまでなのですが、これに関する解釈については、実は昨年1月の記事で既に取り扱っているのです。

「バナナ」をアラビア数字で音表現すると「877」となりますが、この数字にどんな意味があるかは、以下の説明画像を見ればお分かりになるかと思います

画像2:877の記号
大空のXXと少女神の暗号」から

「877」は古代の皇后、それも特殊な巫女能力と王権継承権を有した「少女神」の象徴と解釈したのですが、この鹿の子アニメは(真)ブログ記事「角娘の降臨」でも書いたように、とにかく「角のある少女」たちが複数登場しており、すなわち「少女神」を表す記号が満載なのです。

ですから、この「鹿の角とバナナ」という珍妙な組み合わせも、これが古代日本の女系王権のことを意図的に示すものだと捉えれば、この画が非常に重要な意味を含むものと捉え直すことができるのです。

画像3:鹿の角とメノラー

「鹿の子の角は頭ごと取り外せる」という、これもまたギャグアニメのなせるナンセンスの一つなのでしょうが、この画もまた歴史的には奇妙に一致するニュアンスを含んでいるのです。それが、頭部を含め七支の突起部を持つ鹿の子の角と、古代ユダヤ教のメノラーの形状が酷似していることなのです。

ここで、「少女神」と「ユダヤ」という奇妙な関連性が導かれるのです。これまで、この2つの事象が直接関連し合うとの考察は特に行ってきませんでしたが、このアニメの構造分析を通していよいよその接点が見えて来たように思えます。

この2つの古代史トピックを繋ぐのが、おそらく「方舟」なのでしょう。聖書によるとユダヤ人十二支族が誕生したのは、ノアの方舟から更に下ってアブラハムが登場して以降のことですから、方舟伝承の方がはるかに旧いと考えられるのです。

そのユダヤより旧い伝承が日本国内に残っている。ここで、「少女神」と「方舟」の間に何か関連性があるのならば、「少女神」は日本における古代ユダヤの登場よりも前から、この国に存在していたとも考えられるのです。

■大船と祓祝詞

聖書によれば、ノアの方舟は3層構造の大きな船であることが記述されています。つまり、「方舟」は「大船」と表現されてもおかしくないのですが、実はこの「大船」は神社の祓祝詞(はらえのりと)の中に出てきます。

祓祝詞は、6月の大祓(おおはらえ)の時に神社で聞くことのある祝詞ですが、その文面は神社によって多少異なるとしても、概ねその骨子は同じように思います。

祓祝詞として有名なのが中臣祓(なかとみのはらえ)で、次にそこから「大船」が出て来る場面を抜き出してみましょう。

 高天原(たかまのはら)に神留坐(かむづまりまし)ます
 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ))神漏美(かむろみ)
 の命(みこと)を以もちて 八百万(やほよろづ)の神等
 (かみたち)を 神集(へに集賜つど)へたまひ 神議
 (かむはかり)に議賜(はかりたまひ)て 我(あが)
 皇孫尊(すめみまのみこと)をば 豊葦原(とよあしはら)
 の水穂(みずほ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平
 (たひら)けく所知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し
 奉まつりき

 ・・・(中略)・・・

 如此(かく)所聞食(きこしめ)しては 罪(つみ)と云(い)
 ふ罪(つみ)は不在(あらじ)と 科戸(しなど)の風(かぜ)
 の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹放(ふきはな)つ事
 (こと)の如(ごと)く 朝(あした)の御霧(みきり)夕(ゆふ)
 べの御霧(みきり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹掃
 (ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)
 に居(を)る大船(おほふね)の舳(へ)解放(ときはな)ち艫
 (とも)解放(ときはな)ちて大海原(おほわだのはら)に
 押放(おしはなつ)事(こと)如ごとく

 ・・・(以下略)・・・

引用元:古今宗教研究所から

この祝詞では、罪や穢れが吹き流され清められる様を、大きな船が風を受けて大海にさっそうと乗り出す情景に例えて比喩的に表現されていると読めます。

私も「何でここで船なんだろうな?」と長らく疑問ではあったものの、祝詞全体の調子によく合っているのか、それ以上は特に疑問を感じることはありませんでした。

しかし、今回「鹿」(シカ)と「方舟」の関連性に気付いてから、この祝詞の捉え方が大きく変わったのです。そして、こう思うようになりました。

 日本は方舟伝承の当時国なのでは?

と。

大祓は元々6月と12月に朝廷で行われていた行事であり、それはすなわち、国家全体の罪や穢れを祓い清める儀式であることを意味している訳で、その国家的行事で奏上される文言の中にしっかりと遠い昔の「方舟」の記憶が盛り込まれているのですから。

繰り返しになりますが、聖書と日本書紀、中臣祓祝詞の方舟に関係するとされる箇所を比較すると

 聖書  : 3層構造の方舟
 日本書紀: 底・中・表の3人の海神(シカの祭神)→ 3層構造
 中臣祓 : 大船

となります。これがどう繋がるかは、前回・前々回の記事を参考にしてください。

■鹿の子アニメの狙いは?

鹿の子アニメを我慢して視聴し、古代史と照らし合わせながらここまで見てきましたが、この作品には思わぬ意図が隠れていることが分かって来ました。

読者の皆さんが関心を抱くのは、これまでの私の分析が仮に正しいとして、どうしてこのアニメを世に出して来たのかという点だと思います。

原案者の真意を正確に把握することは非常に難しいのですが、ある程度推測することは可能です。その真意を測る上で非常に大事なキーワードが実はこの「方舟」なのです。

そもそも方舟は何のために作られたのでしょうか?それを考えた時、このアニメを制作した側の狙いが朧気ながら見えてくるのです。

もう一つのヒントは、シカ(志賀)の神とは別名「穂高見命」(ほだかみのみこと)であることです。すると次のキャラクターが登場したあの有名アニメ映画が思い出されるのですが覚えておられるでしょうか?

画像4:右側の少年キャラは誰?

そして、この映画のラストシーンがどうであったのかをもう一度思い出すと、鹿の子アニメの真の狙いがこの映画のメッセージと同じであることに気が付くのです。


鹿は藤原光る君虎に翼の虎視眈々
管理人 日月土

鹿と方舟信仰

前回のブログ記事「越と鹿乃子」では、この夏放映されたアニメ「しかのこのこのここしたん」を題材に、その中に密かに組み込まれたと考えられる日本古代史に関するメッセージを分析してみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部
 ※このブログはアニメ専門ブログではありません

前回記事掲載後に配信したメルマガでは、更に詳しく「鹿(シカ)」の意味について考察したのですが、思いの外これが重要な内容を含んでいると考えられたので、今回はブログでもその内容に修正を加えてご紹介したいと思います。

■志賀島と安曇族

前回のブログ記事のお伝えしましたが、アニメタイトルの「しかのこのこのこ」が、それぞれ

 しかのこ → 志賀島(しかのしま)
 のこのこ → 能古島(のこのしま)

を指すのではないかという点は予め押さえておいてください。福岡県在住の人なら良くご存知の、博多湾に浮かぶ二つの島のことです。

ここから、アニメの主人公「鹿乃子」が「志賀の娘」を指すだろうという話は、既に前回述べていますが、ここでは、志賀(しか)とは何か?という点について更に深く触れてみたいと思います。

さて、志賀島(しかのしま)には、かつて安曇(阿曇)族と呼ばれる海の民が居住していたという話を現地でもよく耳にたので、まずは阿曇族について調べてみます。

この阿曇族、実は日本書紀の神代の帖の中に登場する一節があるので、まずはその部分を書き出してみます。

 凡(すべ)て九(ここのはしらの)の神有(いま)す。
 其の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、是即ち
 住吉大神(すみのえおおかみ)なり。底津少童命・
 中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等(あづみ
 のむらじら)が所祭(いつきまつ)る神なり。

 然して後に、左の眼を洗ひたまふ。因りて生める
 神を、号(なづ)けて天照大神と日す。復(また)右
 の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて月
 読尊と日す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神
 を、号けて素戔嗚尊と日す。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上 一書6より

また、ここに出て来る阿曇連については、同文庫の補注に次の様に書かれています。

 阿曇連:全国各地の海部を中央で管理する伴造。
 天武十三年に宿禰と賜姓。此の三神を旧事紀、
 神代本紀は「筑紫斯香神」とし、延喜神名式には
 筑前国糟屋郡志加海神社三座とある。

 祖先伝承は記に「綿津見神之子、宇都志日金折命
 之 子孫也」、姓氏録、右京神別に「海神綿積豊
 玉彦神子、穂高見命之後也」とある。

補注の解説に従って読み解くと、阿曇連は

 底津少童命(そこつわたつみのみこと)
 中津少童命(なかつわたつみのみこと)
 表津少童命(うわつわたつみのみこと)

の3神を祀る民であり、この神は

 筑紫斯香神
 (ちくししかのかみ) 

もしくは、

 筑前国糟屋郡志加海神社三座
 (ちくぜんこくかすやぐんしかうみじんじゃさんざ)

と別の名で呼ばれていると記載されています。

どれが正式な名なのかは分かりませんが、おそらくこの3神こそが「志賀(しか)」と呼ばれる神様の正体であり、阿曇連はこの3神を奉る一族であったという記述から、この3神(志賀の神)をルーツとする伴造(とものみやつこ)、すなわち、古代期に公務として海洋管理を担当していた一族であったと理解することが出来ます。

ここで引用した書紀の一節は、黄泉の国から返ってきたイザナギが、その穢れを払うために「立花の小戸のあわぎはら」で禊をしていた時の様子であり、阿曇族の祖先はその時に生まれた神の中の3柱だったということになります。

ここで、私が注目したのは、この志賀神(しかのかみ)3神は、天照・月読・素戔嗚の三貴神よりも前に生まれていた、すなわち

 三貴神よりも古い神

というようにも読み取れます。

当然ながら、この記述はある歴史的事実が神話化されてこのような記述になったと思われるのですが、その史実解読のヒントになるのが、補注の後半に紹介されている、他史書に書かれた次の志賀神の別名であると考えられます。

 古事記:綿津見神之子、宇都志日金折命(うつしひかなさくのみこと)之子孫也
 姓氏録:海神綿積豊玉彦神子、穂高見命(ほだかみのみこと)之後也

宇都志日金折命の別名が穂高見命とも言われ、宇都志日金折命を祀る穂高神社があるのが信州の安曇野(あずみの)というのも、何か不思議な歴史の結びつきを感じます。

この安曇野にある穂高神社の有名なお祭りは

 御船祭(みふねさい)

と呼ばれ、大きな船型の山車が街を練り歩くことで有名です。

画像2:安曇野の街中を曳かれる大船
安曇野市観光協会の動画から

阿曇族は海の民とされていますから、神事に船形が見られるのは特段不思議でもなさそうですが、果たしてそれだけでしょうか?

■シカとカシ

日本の地名には読み順を転置させたのではないかと思われるものがいくつか見られます。私が思い付くのものに、多少強引かもしれませんが、以下の例があります。

 登美(トミ) → 水戸(ミト)
 三尾(ミオ) → 小見(オミ)
 香取(カトリ)→ 取香(トッコウ)※漢字の入れ替え

これは、古い昔に地名を名付ける時に取られた手法なのではないか、あるいは祭事的な意味を持たせてそうしたのかもしれませんが、「シカ」についてそれを適用するとどうなるでしょうか?

 シカ → カシ

となります。

「カシ」なる2文字の地名はなかなか見つかりませんが、この2文字から始まる地名ならかなりの数が見つかります。

「樫山、柏原」など「樫」や「柏」から始まる地名は全国に多く見られるのですが、今回取り上げた「鹿」の意を含むものとなれば、次の地名が最も適切なのではないでしょうか?

 鹿島(カシマ)

また、志賀島のすぐ対岸には香椎宮で有名な「香椎」(カシイ)なる地名があることも、非常に興味深いのですが、ここでは鹿島を志賀の転置語、あるいは志賀を鹿島の転置語から「マ」の字が脱落したものとして扱います。

■方舟で繋がる鹿嶋と志賀

さて、鹿島の地名の由来については、今年7月の記事「鹿島と木嶋と方舟と」で既に触れているのを覚えておられるでしょうか?

そこでは、シュメール語の「ギシュ・マァ・グル・グル」その意味は「漂える(グルグル)木(ギシュ)の舟(マァ)」で、すなわち、

 方舟

を指すと説明しました。

このシュメール語から「グル・グル」が脱落し、音が訛って「キシマ」から更に「カシマ」へと変化したのが「鹿島」という地名の始まりではないかとしたのですが、そうなると、鹿島の「鹿」とは、漢字が成立した後に当てられた文字と言うことになります。

同記事では、これを裏付ける傍証として、京都の貴船(木舟)神社や、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)の例を挙げ、そのルーツが古代方舟信仰であった可能性を示しています。また「アラレフル」という和歌の枕詞がどうやら、方舟が上陸したとされる「アララト山」を指すのではないかとしています。

これらから

 志賀 = 鹿島 (※音の転置と脱落)

という予想が成り立つのですが、その説を補強する上で重要な記述が聖書に記されていることにここで気付きます。

 その造り方は次のとおりである。箱舟の長さは
 三百アンマ、幅は五十アンマ、高さは三十アン
 マ。箱舟には屋根を造り、上から一アンマにし
 て、それを仕上げなさい。箱舟の戸口は横側に
 付けなさい。また、一階と二階と三階を造りな
 さい。

創世記 第6章15,16節

聖書に記されている方舟の構造は非常に具体的で、その船の階層は1,2,3階の階層構造であることもここから窺い知れます。

ここで、前々節で述べた「志賀の神」が底津(そこつ)、中津(なかつ)、表津(うわつ)の綿津見(わたつみ)3神であることを思い出してください。

この3神は、日本神話では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊のために入った水の、表面部分、中程、底の部分それぞれから神が生まれたという話になっているのですが、これを何か具体的な事象の比喩的表現(暗号表現)と解釈すれば、何かの構造を表していると考えられるのです。

もしもこれを、方舟の構造を表す表現と解釈すれば

 鹿島 → 方舟
 志賀 → 方舟の構造

となり、互いに関連し合うことが分かるのです。

すると、安曇野の穂高神社の例祭で練り歩く船形の山車がいったい何を象徴しているのか、その意味も明確になってくるのです。

画像3:方舟が繋ぐ志賀と鹿島の関係性


 * * *

これは驚きました、無意味に「シカ」を連発するだけのお気楽アニメかと思っていたら、ここにはそんな意味が隠れていたのです。

もしも、このアニメが古代方舟信仰について何かのメッセージを含んでいるとするなら、それはいったい何なのか?これまで、つまらない、面白くないとかなり否定的であったこのアニメ作品に対し、俄然強い興味が湧いてきたのです。


管理人 日月土

越と鹿乃子

今月9日、(真)ブログ記事「角娘の降臨」にて、現在放映中の謎アニメ「しかのこのこのここしたんたん」について、そのネーミング及び設定について表面的に分析を掛けてみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部

このアニメ作品、特に意味がないというか、無理矢理組み込んだように見えるテーマがまさに「鹿」であり、また主人公、準主人公の少女たちが角(つの)が生えた、あるいはそのように見えるデザインで統一されており、これらは当ブログで最近取り上げた古代史のテーマ「馬と鹿」、そして「少女神」とも繋がるので、今回は敢えてこの作品を切り口に、アニメ原作者もしくは原案者が作品を通して何を伝えようとしたのか、その深意を分析したいと思います。

その前に、今回のテーマと関連する過去記事へのリンクを整理しておきましょう。以下、本文で参照の際には次の記事番号で記事名の代わりとします。

 (1)アニメタイトルと土地名の関係性 – (真)ブログ:
  →角娘の降臨 

 (2)福岡県糸島の小呂島と神話「オノコロ島」との関係性
  →再び天孫降臨の地へ 

 (3)能登半島近辺に多く見られる春日神社の分布 – (真)ブログ:
  →能登は地震が多いけど 

 (4)鹿と春日大社、中臣氏・藤原氏、武御雷・建御名方
  またタカミムスビ王統との関連性について:
  →鹿の暗号と春日の姫 

 (5)イザナギとイザナミ、2対3の法則について
  →3人の三島とひふみ神示 

■福岡北部の島々と鹿乃子

記事(1)では特に理由を述べませんでしたが、この奇怪なタイトルの前半「しかのこのこのこ」の部分が、どうやら福岡県の博多湾内に位置する志賀島(しかのしま)と能古島(のこのしま)を指すのだろうという着想に至ったのは既にお伝えした通りです。

そう思い付いたのは、メインキャラクター「鹿乃子のこ」のデザインの中に両手の指をそれぞれ2本ずつ立てる4本立てポーズ、また、国宝の弥勒菩薩半跏思惟像のように3本ずつ立てる6本立てポーズの2パターンがあるのを見つけたからです。

これがどういうことかお分かりでしょうか?

私はこれを4対6、もしくは2対3の法則を意味しているのではないかと考えたのです。ちろん、単なるデザイナーさんの気まぐれなのかもしれないのですが、敢えて何か意図を含んだ表現の違いではないかと受け取ったのです。

記事(5)の最終節「3人の王と2人の少女神」を再読して頂きたいのですが、ここでは、日本書紀本文から、黄泉の国に入ったイザナミが日に千人殺すと言ったところ、イザナギが日に千五百の産屋を建てると言い返したシーンを引用しています。

私は、ここに出て来る数字の比率を、女2人男3人の「2対3の法則」と見立てたのですが、すなわち、キャラクターが演じる指の表現とはこれを指すのではないか?そう考えたのです。

この数字が出てくるからには、おそらくイザナミ・イザナギ伝説に関わることだと思い付き、その時に最初に脳裡に浮かんだのが、

 能古島

だったのです。

これは、現地を訪れたことがないと分からないかと思いますが、記事(2)でちらっと触れているように、能古島には、「イザナギ石・イザナミ石」という、不思議な石積みの構造物があり、おそらくそれほど古いものではないと思われるものの、何故か記憶の中に今でも残り続けていたのです。

画像2:能古島のイザナギ石とイザナミ石
(画像引用元:YAMAPさん)

土地の解釈では、能古島は神話に登場するオノコロ島のことであるとされ、この石積みは観光用に後からわざわざ作られたとも考えられるのですが、山林に入って探索すると古い磐座跡のようなものが残っており、この島がただならぬ場所であることはそれだけで十分に窺い知れたのです。

能古島が出てくれば、その対岸にあるのが志賀島ですから、ここから「しか・のこ」が「志賀・能古」を指すだろうことは直ぐに気付きます。

画像3:志賀島の展望台から博多湾を望む

このアニメに登場するのは角(つの)がある、あるいは角を模した髪型の少女ばかりですから、これが少女神(巫女・古代女性シャーマン)を指すのはもはや間違いないと思われ、ここから、少女を表す別表現「娘(こ)」を用いて

 志賀の娘(しかのこ)・能古の娘(のこのこ)

が導き出されたのです。

■虎は何を指すのか?

さて、次にタイトル後半「こしたんたん」が何を指すのかなのですが、記事(1)でも示したように、「虎視眈々」すなわち「虎を視続ける」と解釈すれば、志賀島から寅の方角(東北東)への視線をそのまま地図上に延長すると、その直線は旧国名の

 越(こし)の国・丹後(たんご)の国・丹波(たんば)の国

付近を貫くことが分かります。

丹後・丹波と志賀島の関係についてはまだ不明ですが、広義の越の国に該当する現在の石川県には

 志賀(しか)

の地名が残っていることは、志賀原発に関する報道などでご存知の方が多いかと思われます。

当然ながら志賀と志賀島に関係性があることは地元でもよく言われており、一般的には海の民である志賀島の安曇族(あずみぞく)が能登方面に進出したと考えられているようです。

「しかのこのこのこ」が起点、「こしたんたんが」起点より指示された方角と考えると、どうやらこのタイトルが強く指し示しているのは

 越の国(福井から新潟までの北陸地方)

であると導かれるのです。

■越の春日と鹿

記事(3)は数年前から頻繁に地震が発生した能登半島について書いたものですが、実は地震で鳥居が倒れたと大騒ぎになった珠洲市の神社とは

 春日神社

だったのです。春日神社と鹿の関係は記事(4)について述べていますが、実は北陸方面には比較的「春日」の名が多く見られるのです。

画像4:富山県高岡市の春日神社

記事(4)では春日と藤原家、その先代である武御雷(たけみかづち)やタカミムスビと言った古代王統と少女神の関係についても少し触れています。

このアニメを観ていると無意識に奈良公園の鹿ばかりを意識してしまいますが、私はこれこそがこの作品に仕掛けられた巧妙なトラップであると判断します。

重要なのは「しか」と呼ばれる一族のルーツと広がり、そしてその中で翻弄されてきた少女神たちの運命なのではないでしょうか?当然ながら、物語の舞台にセットされた東京都「日野市」にも共通の意味が込められています。

どうやら、鹿の角を生やした謎の少女キャラの正体が少しだけ見えてきました。「越」に注目しつつ更に考察を続けたいと思います。


虎の名を負ひし幼き娘子は飛鳥の君か春日の君か
管理人 日月土

シタテルヒメと岩戸閉め2

前回の記事「シタテルヒメと岩戸閉め」では、記紀で味耜高彦根(あじすきたかひこね)の関係者として登場する下照姫(したてるひめ)が、何故か秀真伝では、味耜高彦根の段だけではなく、第9代アマカミ(上代における天皇)の天照(あまてらす:男性)の妹としても同名で登場して居る点に触れました。

この二人、年代的には2代離れていることになるので、おそらく同名ではあっても別人でだと考えられます。

それでは、アマカミの妹という高貴な地位にあった下照姫がどうして、2度も登場するのか、また、どうして記紀ではその存在が消されてしまったのか、今回はその点について考察してみたいと思います。

以下、秀真伝の流儀に倣って、人名はカタカナで表記して行きます。

■これまでのおさらい

秀真伝におけるアマテラス(あるいはアマテルカミ、あるいはワカヒト)の系図は次の様になります。

画像1:秀真伝におけるシタテルヒメの系図(アマテラスの妹)

参考までに、記紀及び秀真伝において、アチスキタカヒコネの関係者として登場したシタテルヒメについても、以前作成した次の表を再度掲げます。

画像2:シタテルヒメ(アチスキタカヒコネの関係者)の各史書による関係性の違い

これまでの幾つかの考察から、アメワカヒコとアチスキタカヒコネは同一人物であることが分かっています。それは、記紀に登場する違和感たっぷりのエピソードからも窺えます。

アチスキタカヒコネは死んだアメワカヒコにそっくりであり、アメワカヒコの家族は弔問に訪れたアチスキタカヒコネを見て、アメワカヒコが生き返ったと喜んだ。それを見たアチスキタカヒコネは死者に間違われたことに大いに腹を立てた。

正直、このエピソードは全体の流れにおいて不要であり、どうしてそんな記述を織り交ぜたのか、史書編纂者の意図を推し量れば、これは両者が同一人物であることを示す暗号であると読み解くことができます。

そして、その人物が2王朝並立時代の一方の王で第10代アマカミの「ホノアカリ」であることも分かっているのです。ちなみに、もう一人の王とはニニキネ(瓊瓊杵尊)です。その点を考慮すると、画像2は次の様に集約されます。

画像3:ホノアカリとシタテルヒメ/タカテルヒメの関係性

ここで問題となるのはシタテルヒメとタカテルヒメの関係性です。男性の A=B → X の関係性から、何となく C=D → Y と導けそうです。その操作が許されると思われるもう一つの根拠が、

 テル(照)

の字が両女性の名に含まれている点なのです。すると画像3は更に次の様に集約されるでしょう。

画像4:ホノアカリとシタテルヒメの関係性

さて、ここから何が見えるのでしょうか?

■兄弟姉妹の意味

画像4を見る限り、夫婦関係と兄妹/姉弟関係の並立には少し矛盾を感じます。しかし、社会規範が現在と異なる古代期においては、兄妹婚/姉弟婚という関係性はあり得たかもしれません。

しかし、おそらくそうでは無かっただろうと言うのが私の結論です。というのも、これまでの考察から得た次の知見が活きてくるからです。

 古代王権は女系が継承した

もちろん、たまたま姉または妹が王権継承者であり、その姉妹に入婿したというケースも考えられなくもありませんが、王権継承権を有する女系家族の中から男性王を出すこと自体に矛盾があること、また、男性王を入婿させるのは優秀な王の資質を持つ男性を外部から取り入れるという目的があったからだと考えられるからです。

それだったら、どうして兄弟姉妹関係と夫婦関係を併記するのか?

ここで意味を為すのがシタテルヒメとタカテルヒメの関係性であると私は考えます。画像4を見る限り、YはあくまでもXの姉か妹と考えがちですが、ここで記紀・そして秀真伝編纂者が最も強調したかったのは、シタテルヒメが姉妹であること、すなわち

 二人の皇后が存在する

という事実だったのではないかという点なのです。

この場合、YはXの姉か妹という記述をすれば、Xの方はYの妹か姉という受けになるのは当然です。しかし、ここで強調したいのは、おそらくYは姉妹だという事ではないのか、それを示すために「テル」の文字をわざわざ重ねてきたのではないか、そうとも考えられるのです。

また、この「二人の皇后」という解釈は、初代神武天皇の皇后が「ヒメタタライスズヒメ」、すなわち「タタラヒメ」と「イスズヒメ」の二人の皇后を指すとしたこれまでの結論に矛盾しないのです。

つまり、

 シタテルヒメは姉妹で皇后だった

ということにならないでしょうか?

■アマテラスとシタテルヒメ

「シタテルヒメ」が本人の名前なのか、それとも記紀・秀真編纂者によって記号的に割り当てられた名前なのか?私は、この「シタテルヒメ」を記号的に解釈するべきだと考えます。

ここで、秀真伝に登場するシタテルヒメには次の様な別名があることをお伝えしておきましょう。以降、これら別名を使ってそれぞれのシタテルヒメに対応させていきます。

 シタテルヒメ:アマテラスの妹:別名ワカヒメ
 シタテルヒメ:アチスキタカヒコネの妻:別名オクラ

アマテラス(男性王)にはムカツヒメという正皇后が存在しますが、ここで気になるのが妹のワカヒメに「シタテルヒメ」の記号が付けられている点です。

ここで「シタテルヒメ」を、「二人の皇后」が存在することを示す記号的名称であると仮定します。

ホノアカリとシタテルヒメ(オクラ)が夫婦であり、同時にオクラが隠された姉妹関係を有していた点をこれに適応すると次の結論が導かれるのです。

 シタテルヒメ(ワカヒメ)とアマテラスは夫婦である

シタテルヒメは「二人の皇后」の記号的名称ですから、ワカヒメの他にもう一人の皇后が居なくてはなりません、おそらくそれが正皇后のムカツヒメということになります。すなわち

 ワカヒメとムカツヒメは姉妹 (二人の皇后)

ということにならないでしょうか?

これを系図に落すと次の様になります。

画像5:アマテラスと二人の皇后

すると、記紀に書かれた女神天照大神とは、秀真伝に登場する男性王アマテラスの二人の皇后、ムカツヒメとワカヒメとの関係で再考察する必要が出てくるのです。

神話で「岩戸に隠れた女神」とは、いったいどのような現実的状況を表しているのか、それを理解する鍵となるのが、シタテルヒメことワカヒメの存在ではないかと思われるのです。


管理人 日月土