書き換えられた上代の系譜

先月京都の久我神社を訪れ、その時得た着想を元に賀茂と三嶋について考察を加えてきましたが、ここではこれまでの話を一旦整理してみたいと思います。

 関連記事:
  ・甲と山の八咫烏 (‘23.3.15)
  ・加茂と三嶋と玉の姫 (‘23.3.28) 

賀茂は「鴨」であり、三嶋には「嶋」の字が含まれます。どちらの文字にも「烏」(カラス)が含まれることから、ここで既に共通性が見られます。

三嶋湟咋(みしまみそくひ)の孫娘が我が国の皇室の租とされている「神武天皇」の后(きさき)になっているのは、各史書における共通の認識の様ですが、ここで、神武天皇の父の名「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊」(ひこなぎさたけうがやふきあわせずのみこと)の中に「鸕鷀」(う)の字、すなわち「烏」の文字が含まれている事に気付きます。

以上の事実を踏まえ、三嶋湟咋(みしまみそくひ)とその家系、また神武天皇のと関係を、山城国風土記・秀真伝・古事記、そして日本書紀とに分け、それぞれ系図として書き出してみたいと思います。以下、文字が小さく表示されると思うので拡大してご覧になってください。

画像1:鴨・三嶋・鸕鷀、3つの烏(からす)とその系図

この系図を見てどう思われるでしょうか?各史書毎に記述はバラバラに見えますが、一部同じ名が現れていたりと、やはり共通している点も見受けられます。

左側3つの系図の比較から、私は「賀茂」と「三嶋」は元々同じ家を指していたのだろうと結論付けたのです。そして、この3系図は女系の血縁関係を表しており、その繋がりは図中に引いたピンク色のラインで示されています。

一方、右端の日本書紀を元に描いた系図は、神武天皇に至る男系による血の繋がりを表しており、それを青色のラインでトレースしています。

明らかに、賀茂・三嶋はヒメタタライスズヒメなる皇后を輩出した女系の家系であり、そこには共通の「烏」の字も見られるのですが、困ったことに、男系の彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊にも「烏」の文字が使われているだけでなく、山城国風土記に女系の姫として登場した「玉依姫」が。今度は男系王の后、神武天皇の母としてその名が記されているのです。

 これはいったいどういうことなのか?

この疑問への答になるかどうか分かりませんが、日本書紀の中には、画像1に登場する神武天皇の祖父、彦火火出見尊が、約束を破られたことに怒って竜宮城に帰って行こうとする后の豊玉姫に次の様な歌を詠んでいます

 おきつとり かもづくしまに わがゐねし いもはわすらじ よのことごとも
 (沖つ鳥 鴨著く嶋に 我が率寝し 妹は忘らじ 世の尽も)

岩波文庫 日本書紀 巻第二

表面上の訳は「鴨が着く島で、私が添い寝した少女のことが忘れられない。わたしが生きている限り」という情緒たっぷりの歌なのですが、この歌には大事な文字が含まれているのにもう気付かれたでしょうか?

「沖つ鳥」とはそもそも「鴨」を指す枕詞でもありますし、この歌にはあからさまに「鴨」と「嶋」の文字が同時に使われているのです。それに加え豊玉姫の生み残した子の名に「鸕鷀」(う)と、ご丁寧にも「烏」の文字が二つも含まれているという具合なのですから、何とも出来過ぎた話なのです。

以前から述べているように、私は記紀などの史書は高度に暗号化されている書物と見ており、そのまま文字通り読んでは歴史書として使い物にならないと感じています。ですから、当然この歌には史実解読のヒントが含まれていると考えられるのです。

ここで重要となるのは、「鴨」と「嶋」、そして両者を指すであろう「鸕鷀」に共通する文字、「烏」(カラス)であり、また「妹」(少女)であると考えられます。すなわち、私がこれまでテーマにしてきた

 ヤタガラスの娘(少女神)

を強く指し示していると捉えるのが妥当であると考えられます。そして、それがいったい何を意味しているのか?それは画像1の系図のバリエーションをよく見れば自ずから気付くはずです。

 皇位の正当性は「烏」の一族、すなわち女系にある

端的に言えば、一般的に認識されている

 彦火火出見 - 鸕鷀草葺不合 - 神武

と続く男系による皇位継承は、実は血の繋がった継承ではなく、鴨・嶋(=鳥)なる少女神の下へ男が入る(率寝る)ことで、その皇位、王としての権限が保証されることを示しているのだろうと考えられるのです。

要するに、日本書紀に詠まれたこの歌は、

 日本の皇統史は女系から男系に書き換えられている

という事実を後代の読者にこっそり伝えているのだと読めるのです。


* * *

今回の考察は、天皇は神の子孫であり、天皇家は万世一系で、2000年以上脈々と続く世界でも稀有な存在であると信じている方々には少々刺激が強いかもしれません。しかし、男系天皇が虚実であったとしても、女系として引き継がれたこの国の尊厳は何も傷つくことはないであろうと私は信じています。

それよりも、日本人(にほんじん)として祖国の成立史を夢見がちに理解することが本当に正しい姿勢なのか、そこを良く考えて頂きたいと私は思うのです。

今後は、古代日本がおそらく女系王権の国だったであろうという前提で、より深くこの国の成立史を読み解いて行く予定です。


管理人 日月土

加茂と三嶋と玉の姫

※今回の記事は、3月20日に掲載したメルマガ購読者限定記事「加茂と三嶋の考察」に新たな考察を加筆したものです。

まず、前回の記事「甲と山の八咫烏」のまとめを箇条書にします。

  • 京都の代表的な神社、上賀茂/下賀茂神社の主祭神について記紀に記載がない
  • 賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)は八咫烏(やたがらす)と同一視される
  • 賀茂/加茂/鴨はどれも同じ「カモ」を指し表記が異なるだけではないか
  • 「鴨」の字は甲(きのえ)と鳥(からす)に分解され、八咫烏を現す符丁なのでは

そして、記事の最後に、同じ符丁が使われているとするなら、「三嶋」(みしま)はどのように読めるのかと、読者の皆様に問い掛けをして終わっています。

今回はその答について、私の考察を述べたものになります。

■賀茂一族は三嶋一族である

もうお気付きのように、「三嶋」の「嶋」の字が「山」と「烏」に分けられることから、賀茂一族同様、三嶋一族も八咫烏との関連性が同じ符丁で隠されているのだろうと考えたのです。

ここで、前回提示した賀茂一族の始祖、賀茂建角身命から始まる3代の系譜と、三嶋一族の始祖、三島溝橛(みしまみそくひ)から始まる3代の系譜を以下に比較してみることにします。

なお、賀茂の系譜は山城国風土記内の表記、また三嶋の系譜は秀真伝内の表記(ヲシテ文字→カタカナ)とします。史書文献によって表記文字がずい分と変わりますのでご注意下さい。基本的に音(読み)を軸に理解すると混乱は少ないと思います。


画像1:鴨(賀茂)と嶋(三嶋)の系図の比較

どうでしょうか。この図を見る限り、3代に渡る系図が両家共2代目の玉依姫、あるいは玉櫛姫を中心に同じように結ばれているのが見て取れます。それは単純に「そう見える」というだけの話ではありますが、ここに「烏」の文字の共通性を考慮すると、ただ同じように見えるだけでは済まないだろうという予感が湧いてくるのです。

ここで新たに注目しなくてはならないのが、古事記に書かれている以下の記述です。少々長目ですが、現代語訳を付けるのでその文意をよく読んでみてください。

 かれ、日向(ひむか)に坐(いま)しし時、阿多の小椅君(をばしのきみ)の妹(いも)、名は阿比良比売(あひらひめ)を娶して生みし子、多芸志美美命(たぎしみみのみこと)、次に岐須美美命(きすみみのみこと)、二柱坐しき。

 然れども更に大后(おおきさき)とせむ美人(をとめ)を求(ま)ぎたまひし時、大久女命(おおくめのみこと)白さく、「ここに媛女(をとめ)あり。こを神の御子といふ。その神の御子といふ所以(ゆゑ)は、三島湟咋(みしまみぞくひ)の女(むすめ)、名は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)、その容姿麗美(かたちうるは)しかりき。かれ、美和(みわ)の大物主神(おおものぬしのかみ)見感(みめ)でて、その美人(をとめ)の大便(くそ)まる時に、丹塗矢に化(な)りてその大便まる溝(みぞ)より流れ下りて、その美人のほとを突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすきき。

 すなはちその矢を将ち来て、床の辺に置けば、忽ちに麗しき壮夫に成りぬ。即ちその美人を娶(めと)して生みし子、名は富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすけひめのみこと)と謂ひ、亦の名は比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と謂ふ。 こはそのほとといふ事を悪みてヽ後に名を改めつるぞ。 かれ、ここを以ちて神の御子といふなり」とまをしき。

岩波文庫 古事記(中) 神武天皇より

また、上原文の現代語訳は以下になります。

 さて、イハレビコノ命が日向におられたときに、阿多の小椅君の妹のアヒラヒメという名の女性と結婚してお生みになった子に、タギシミミノ命とキスミミノ命の二柱がおられた。

 けれどもさらに皇后とする少女をさがし求められたとき、オホクメノ命が申すには、「ここによい少女がおります。この少女を神の御子と伝えています。神の御子というわけは、三島のミソクヒの娘に、セヤダタラヒメという名の容姿の美しい少女がありました。それで三輪のオホモノヌシノ神が、この少女を見て気に入って、その少女が大便をするとき、丹塗りの矢と化して、その大便をする厠の溝を流れ下って、その少女の陰部を突きました。そこでその少女が驚いて、走り回りあわてふためきました。

 そしてその矢を持って来て、床のそばに置きますと、矢はたちまちりっぱな男性に変わって、やがてその少女と結婚して生んだ子の名を、ホトタタライススキヒメノ命といい、またの名をヒメタタライスケヨリヒメといいます。(これはその「ほと」ということばをきらつて、後に改めた名である。)こういうわけで神の御子と申すのです」と申し上げた。

岩波文庫 古事記(中) 神武天皇より現代語訳

ここに書かれているのは、神武天皇の新たなお后選びに大久女命が推した娘、それが 「神の御子」 と呼ばれている娘であり、何故そう呼ばれるのかその言われを大久女命が神武天皇に説明しているシーンです。

大物主(おおものぬし)神が丹塗矢に化けて現れ、 三島湟咋(三嶋)の娘を孕ませて生まれた子(*1)、それが 神の御子ヒメタタライスケヨリヒメ、日本書紀で表記するところの「媛蹈鞴五十鈴媛」(ひめたたらいすずひめ)となります。

*註1:丹塗矢が男性器を象徴しているのはもはや説明するまでもないでしょう

画像2:古事記における三島湟咋の系譜
上の画像と比較してみてください

ここに登場する三島湟咋(三嶋)の娘の名前「勢夜陀多良比売」は、上画像1の山城風土記・秀真伝に出て来る名前(玉依姫/タマクシヒメ)とは全く異なりますが、なぜか

 ・丹塗矢に孕ませられる(山城国風土記)
 ・大物主神と結ばれる(秀真伝)

と、画像1で示した両家の系譜に対してそれぞれ記述の共通性を併せ持っているのです(*2)。

*註2:秀真伝におけるヤヱコトシロヌシは大物主皇統の継承者ではありませんが、上の系図を見れば分かるように、歴代大物主の血筋であることは明白です。

ここまで来るとあまりにも話が出来過ぎであり、これら記述の微妙な共通点と差異の存在は、まさに史書編纂における共通した符丁のようなものの存在を示していると考えられるのです。

もしもこれが符丁であるならば、一つの歴史的事実に対し史書それぞれに異なる変名が使われ、同時にそれに合わせた別の物語が紐付けられているのではないかという推測が成り立つのです。しかも、「烏」や「丹塗矢」などという暗示性の強い言葉(記号)が使われているのを鑑みれば、その可能性は極めて高いだろうと断言できるのです。

これら系図の比較から私は次の仮説を提示したいと思います。

 賀茂と三嶋は同じ家を指す

つまり、カモ(賀茂/加茂/鴨)とミシマ(三嶋/三島)に違いはなく、ある一つの家内に起きた歴史的事実を、名前をそっくり変えて別の物語とし史書に残したのだろう、そう考えるのです。

どうしてそんな面倒なことをしなければならなかったのか?そうなのです、考えるべきはむしろそちらの理由の方なのです。

■もう一人の玉依姫

京都の下賀茂神社に祀られている「玉依姫」ですが、日本神話に詳しい方ならご存知のように、この方は神話の中で非常に重要な役回りを担っているのです。日本書紀から該当する原文をここに示します。

彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)、其の姨(をば)玉依姫を以て妃(みめ)としたまふ。彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生(な)しませり。次に稲飯命(いなひのみこと)。次に三毛入野命(みけいりのみこと)。次に神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)。凡(すべて)て四(よはしら)の男(ひこみこ)を生(な)す。久しくましまして彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、西洲(にしのくに)の宮に崩(かむあがり)りましぬ。因りて日向(ひむか)の吾平山上陵(あひらやまのうえのみささぎ)に葬(はぶ)りまつる。

岩波文庫 日本書紀 巻第二 神代下より

神日本磐余彦尊とは神武天皇のことであり、ここで玉依姫は神武天皇の母として登場しています。画像1に出て来る玉依姫が玉櫛姫と同一人物なら、また画像2の勢夜陀多良比売と同一人物なら、義理ではあっても二人の母息子関係は共通することになります。少なくとも同記述が指している世代は同じであると指摘できるでしょう。

ここに奇妙な共通性が垣間見れる訳ですが、何と言っても気になるのは、玉依姫の夫となった彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、すなわち神武天皇の父の名前なのです。「鸕鷀」は「う」と読み、主に海鵜を指す古語だとのこと。この名には「鳥」の文字が含まれているだけでなく、鵜とは黒い羽に覆われた、まさに鳥(からす)のような鳥(とり)であり、ここにも他の史書に見られた不思議な共通項が認められるのです。

画像3:海鵜

天皇家を中心とする日本国史において、その国父として崇敬される神武天皇ですが、その皇后・母を巡る史書の記述がここまで乱れながらも何やら同じ事柄を示さんとしている理由とはいったい何なのか?

この謎を解明する鍵となるのが、おそらく皇后たるべき特殊な女系の血を継承する少女神たち、すなわち

 ヤタガラスの娘たち

であると私は考えるのです。


* * *

画像1,2に登場する①、①’または①”のおそらく同一人物と考えられる未詳の女性ですが、読者の皆様はこの方が一体誰だと思われるでしょうか?残念ながら記紀や秀真伝を端から端まで眺めても名前は出て来ません。

ある意味、史書から完全にその名前を消された女性だとも言えます。しかし、この方の素性を知る手掛かりが伊豆半島にありました。次のメルマガではこの方について少し語ってみたいと思います。


沖つ鳥夜の水面に浮かぶるは黒き鴨よと人は言うらむ
管理人 日月土

豚と女王と木花開耶姫

昨年、みシまる湟耳(こうみみ)氏の著書「少女神 ヤタガラスの娘」を読んで以来、「少女神」をテーマにそれなりの本数の記事を書いてきました。

この「少女神」を切り口に近年のアニメ作品を分析すると、そこにはまた共通する歴史的プロット、キーワードが見出せるのです。直近の投稿でも「SPY×FAMILY」、「ダーリンインザフランキス」を取り上げましたが、そこにはやはり

 古代天皇の皇后となった女性シャーマン(少女神)

の姿が見出せるのです。

さて、本ブログではアニメ分析の最初の取り掛かりとして、スタジオジブリの大ヒット作「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」を題材に取り上げ、そこに登場する人物の関係性が日本神話に登場する神々(実際は実在した古代天皇とその関係者)のそれに近い、といよりは、おそらくこれらの作品は日本神話を基にストーリーが組まれているのだろうと、結論付けています。

これが単なる神話のパクリだというだけの話ならば、アニメファンに喜んでいただいてこの話題は終了なのですが、これまでの分析の結果、どうも、日本書紀や古事記、秀真伝にも書かれていない要素がアニメには描かれている、要するにアニメ制作サイドは一般に普及している史書以上の情報を持っているらしいことが分かってきました。

そこで、本ブログでは、現代アニメを「もう一つの史書」とみなし、他の史書と比較検討しながら、そこに描き込まれた真の歴史を読み解こうと試みるものです。私自身は間違ってもアニメブログにするつもりはないのですが、何だかアニメばっかり取り上げてふざけた歴史ブログだと思われているのならば、それは私の実力不足なのでどうかご容赦ください。

■紅の豚:他の作品との共通点

今回はスタジオジブリの作品の中でも、少し時間を遡った1992年の劇場映画作品、「紅の豚」について分析を試みます。

画像1:紅の豚

さて、この「紅の豚」ですが、豚がいきなり主人公というのですから、設定としてはかなり突飛であると言えます。宮崎監督としては大人向けのアニメ作品を作ろうとしたとエピソード的には伝えられているようですが、鳥獣戯画のようなハイセンスな婉曲表現を狙った訳でもないことは、その他の登場人物が全て普通の人間として描かれ、特に風刺の要素などが見られないことからも窺い知れます。

それなのに主人公だけが動物に、それも豚などと表現したのか、既にこの辺りから何か別の意図があることを予見させるのです。一応、作中でマルコは「呪いを掛けられて豚にされた」と説明はあるのですが、その経緯や物語終了後にどうなったかなどは一切説明されていません。

同作品を観ていない方のために、ここではまず分析の対象となる登場人物とその関係性を簡単にまとめてみました。細かい設定やストーリーについては本作品をぜひご覧ください。

画像2:主要登場人物
血は繋がっていないが親子の世代関係である

さて、ジブリ作品が大好きな方なら(私は違いますが)、「呪いを掛けられて豚になった」という説明を聞かされて直ぐに次のシーンを思い出すのではないでしょうか?

画像3:「千と千尋の神隠し」から豚になった両親と驚く千尋

そうなのです、「豚」という記号は、「紅の豚」公開から10年後の2002年のジブリ作品「千と千尋の神隠し」で再び登場しているのです。

過去記事「千と千尋の隠された神(2)」では、「紅の豚」のタイトルに使われた「紅」と「豚」のキーワードが、それぞれ「紅花」と「養豚業」のことを指し、それが、かつては紅花の産地であり、現在は養豚業が盛んな、千葉県東総地区、現在の銚子市・旭市周辺の土地を表す記号ではないかとしています。もちろん、この土地は、「千と千尋の神隠し」でも舞台のモデルとなった土地であろうと結論付けています。

ここから、両作品が非常に密接な関係にあることが窺われるのですが、千尋が栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)をモデルにしていることはもう分かっていますから、「紅の豚」もおそらく同時代の古代天皇とその皇后、すなわち少女神をモデルにしているのが予想されるのです。

■どうして豚でなければならないのか?

上述の過去記事では、土地を表す記号としての「豚」を想定しましたが、「紅の豚」における表現からは、特定の土地(千葉県東総地区)を指している感じは伝わって来ません。そもそも作中の舞台が第一世界大戦後のイタリア、そしてアドリア海という設定ですから、日本国内の土地を予見させる要素はゼロと言って良いくらいです。

すると、「豚」が指示す意味は、おそらく土地に拠るものだけではないことが分かってきます。それならば、「豚」の文字にどのような含意があるのか、そこをもう少し詳しく見て行くことにしましょう。

日本語の「豚(ぶた)」は中国語では「猪(zhu)」と書きます。猪はもちろん日本では「いのしし」となります。ここでは

 豚 ≒ 猪

としましょう。さて猪と言えば十二支を表す「亥」と同義であると見なせます。すなわち

 豚 ≒ 猪 ≒ 亥

となります。

さて、亥に関しては「亥の子」というお祝い日があるのをご存知でしょうか?Wikiペディアには次のように書かれています

亥の子(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。
主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A5%E3%81%AE%E5%AD%90

どうやらこのお祝いは、猪が非常に多産であることから、それにあやかり子孫繁栄を願って亥の日に行われるようなのです。ここで、「豚」に生殖・繁殖の意味が加わります。

さて、次に調べるのは、十二支の「亥」の字が持つその真意についてです。私たちは十二支と言えば、直ぐに12種類の動物を思い描きますが、陰陽五行におけるそもそもの十二支の定義とは、

 樹木の成長過程

を表すものであったと言われています。現在使われている動物を対応させる形式は、覚え易さのため後に普及したものだとも言われていますが、真偽の程は私も良く分かりません。

この植物形式による十二支の解釈は、具体的には、

 子(ね) → 種となって次の力を蓄えている状態
 寅(とら)→ 芽が伸び始める
 申(さる)→ 実の形ができる

などの解釈が付けられています。これに従って「亥」の字を解釈すると

 亥(い) → 種に成長力がみなぎった状態

となります。亥と子の違いは、亥(い)は種子として完成したことを表し、世代交代前の一サイクルが完了したこと、そして、子(ね)は次世代のサイクルが新たに始まったことを意味します。ここから、「豚」の字には「完成した種子」の意味が含まれているとも解釈可能なのです。

動物的解釈の「生殖・繁殖」と植物的解釈「種子の完成」、この2つの言葉を聞いて読者の皆様は何を想像するでしょうか?私はここから、次の言葉を連想します。

 生殖・繁殖  → 血の継承
 種子の完成  → 遺伝子

そして、遺伝子による血の継承とは、前回記事「大空のXXと少女神の暗号」で分析した「XX」(ダブルエックス)の解釈と見事に重なってくるのです。

■キャラ名が示すもの

ここで、登場人物名を分析してみます。もう一度画像2を見てください。

まずはジーナですが、イタリア語表記では「gina」となりますが、これはおそらく「女王」を表す「regina」の省略形であると考えられます。

次にフィオですが、イタリア語表記では「fio」となり、これもジーナと場合と同様に「花」を表す「fiora」の省略形なのでしょう。

「女王」は日本の事情を考慮して翻訳すれば「皇后」となるのは説明不要でしょう。そして、「花」の付く古代皇后は誰なのか、それはこのブログ記事のタイトルを再度眺めて頂ければ直ぐにお分かりになると思います。

この歴史上の皇后はジブリ映画「もののけ姫」では「サン」のモデルになりました。詳しくは「もののけ姫」に関する過去記事をご覧になってください。

さて、問題なのは「マルコ・パジェット」で、あだ名の「ポルコ・ロッソ」がイタリア語の「porco rosso(赤い豚)」を表すのは良いとして、本名がいったい誰を表すのかが私もまだ完全には解読し切れていません。

ずばりその名が示す様に、新約聖書の聖マルコを指すのではないかとも考えたのですが、どうもしっくりきません、しばらくしてこれではないかと閃いたのが次のキャラクターです。

画像4:ちびまる子ちゃん
  漫画連載:1986-1996、
TV放映:1990-1992

いくら何でも親父ギャグが過ぎるのではないかと思われるかもしれませんが、このキャラとの関係を疑った理由は名前の響き以外にもあるのです。

それは、「紅の豚」の公開時期とTV放映・漫画掲載の時期が重なっていること、そしてこの時期「ちびまる子ちゃん」は全国的に大ヒットしていたことが挙げられます。

そして何より、このキャラクターが少女時代の作者、「さくらももこ」さんの自伝的肖像であるという点なのです。作者の名前には

 桜と桃

の2つの花の名前が刻まれていること、そして何より「紅の豚」の主題歌が、シャンソンの名曲「Le Temps Des Cerises」、邦題

 さくらんぼの実る頃

である点なのです。

イタリアが舞台なのにどうしてカンツォーネ(Canzone)ではなくフランスのシャンソン(Chanson)なのか、これは、この映画の冒頭から非常に気になった点でもあります。

そして、さくらんぼ(Cerise)とは、桜の木の種子のことであり、「種子」を逆に読めば「子種」となります。マルコ(男性)の「子種」と「皇后」(女性)の組み合わせに次世代の「花」(女性)が加わる、この関係が何を示すのかはこれ以上言葉にしなくても明らかでしょう。

これらの表現の一致を果たして「偶然」で片づけて良いものなのでしょうか?私はこれを、宮崎監督個人の着想を超えた、出版・アニメ制作業界が結託した高度な大衆心理誘導工作の一部だと捉えるのです。


Longtemps, longtemps, longtemps
Après que les poètes ont disparu
Leurs chansons courent encore dans les rues(*)
管理人 日月土

*「L’Âme des poètes」(詩人の魂)より

大空のXXと少女神の暗号

年が明けたばかりの今月6日、某所(後で説明)の現地調査に向かったのですが、移動中に空を見上げて驚いたのが、そこに描かれた二つの「X」の文字だったのです。その状況は(真)ブログ記事「新たな祭の始まり」で触れています。

それが自然にできた雲によるものなのか、あるいは飛行機雲なのか、その発生源については未だに不明ですが、空に文字様の雲を見かけるのは必ずしも珍しいことではありません。それでも今回驚いたのは、そこに描かれた文字が「XX(ダブルエックス)」であるということ、また「XX」を見たのがこれで2回目だということなのです。

最初の目撃体験については、昨年4月の(真)ブログ記事「大空のダブルエックス」で触れていますが、何より不気味に思えたのが、「XX」を目撃した2回の調査活動の目的が

 少女神のルーツを探る

という、同じテーマであったことなのです。

画像1:2度出現したXX状の雲

■ダリフラのXXの意味を再考する

4年近く前、(神)ブログを始めた頃に2018年のアニメ作品「ダーリン・イン・ザ・フランキス」(以下ダリフラ)を取り上げ、そこに隠された日本古代史について分析を行いました。

取り敢えず、その時点で気付いた要素については一通り記事にしたつもりだったのですが、そう言えば、このアニメのタイトル画には「XX」が2つも描かれていたのを思い出したのです。

画像2:ダリフラのタイトル画

ここで、過去の記事を読み返してみたのですが、当時はまだ上古代における皇后兼巫女の女系継承問題、いわゆる「少女神」についてはその概念すらなかったので、分析の方向性は

 双子の皇后

すなわち、政治的なポジションとしての皇后と、宮中祭祀など巫女的役割を担った二人の皇后がいたのではないか、その点にのみフォーカスし、血の継承問題については特に分析の対象とはしていませんでした。

そこで、偶然?にも二度目撃した「XX」に鑑み、ここではこれまでのダリフラ分析に新たに女系継承の視点を取り入れてみようと思い立った訳なのです。

これまでのダリフラ関連記事:

 1)2019年3月30日 “ダリフラ”、タイトルに隠された暗号 
 2)2019年4月2日 太宰府で繋がる新元号とダリフラ 
 3)2020年2月27日 ダリフラのプリンセスプリンセス 

さて、タイトル画以外に「XX」の意味について触れたシーンが作中に一箇所あるので、まずはそこを押さえておきましょう。

画像3:生体兵器「叫竜」(きょりゅう)の肉体はXX(女性遺伝子)で構成されている
(第20話より)

アニメの設定における位置付けはともかく、画像3をのシーンを見る限り、少なくとも「XX」がX染色体、すなわち「女性遺伝子」を指していることは明らかです。問題なのは、画像2のタイトル画で象徴されるように、何故「女性」と「遺伝」をここまで強調するのかその点なのです。

単純に考えれば、これは女性の特性が遺伝的に続くこと、すなわち女系の血の継承を表現しているのではないかと取れるのですが、いかがでしょうか?

これまでの分析により、アニメの主人公である少女「02」(ゼロツー)は、その数字が「鬼」を表すことから、鬼道(呪術)の使い手で知られる卑弥呼、そしてその実体である神武天皇の皇后、媛蹈輔五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)をモデルにしているだろうと予想しています。

また、「媛」ヒメの字がその名に2箇所使われていることから、恐らくこれが双子の皇后の存在を表すであろうとも結論付けています。アニメでは「ゼロツー」が「叫竜の姫」の遺伝子クローンという設定になっていますので、これはまさにヒメタタライスズヒメが双子であることを遠回しに表現しているのではないかと捉えたのです。

これらを少女神の視点から更に表現し直すと

 双子の皇后ヒメタタライスズヒメは、特定女系の血を引き継いでいる

となるのです。

実は、この予想を補足する作品中のメッセージとして、次の登場人物のネーミングが大きな意味を持つことに後から気付きました。

画像4:二人の主人公の世話役「ハチ」(008?)(右)と「ナナ」(007/077?)(左)

二人の役どころは、主人公達を含む「子供」と呼ばれる少年・少女戦闘員の世話役、物語の最後では彼らの親代わりというポジションに移るのですが、まずここで親子という世代継承のニュアンスが表現されているのが分かります。

しかし、数字をそのまま読み替えただけだろうこの二人の名前は、より重大な意味を含んでいることが以下の分析から見出せるのです。なお、この二人に限っては、他のキャラには付けられているコードナンバーが何故だか設定上でも明記されていないので、「ハチ」については「8」、「ナナ」については「77」の数字を割り当てることにします。

画像5:二人の名は「皇后」を表す。

3桁の数字「123」が「天皇」の意味を持つことは(真)ブログ記事「新嘗祭イヴの呪い」をご確認頂きたいのですが、実はこの場合「877」という数字が転じて「皇后」を意味することはこれまで説明したことはありませんでした。

どうしてそう言えるのかは、画像5を見ればお分かりの様に、この二つの数字が加算された時に初めて新しく4桁目が生じる、すなわち、天皇と皇后の組み合わせが新しい次の世代を生み出すと解釈できることに拠るのです。

ここまで来ると、「ハチ」と「ナナ」のネーミングは適当に付けられたものとは考えにくく、明らかにこれは、「皇后」に関連するメッセージを強く含んでいると考えられるのです。

古代史ならず日本の歴史の主役は「天皇」であると私たちは考えがちですが、どうやらダリフラが意図する歴史的視点は、皇后の輩出家系についても大いに注目しているようなのです。

■ヒメタタライスズヒメと三嶋溝橛

さてここで、ダリフラにおいて角の有る美少女キャラのモデルとなったであろうヒメタタライスズヒメが史書の中でどのように記述されているかを確認してみます。

此の神の子は、即ち甘茂君等(かものきみたち)・大三輪君等、又姫蹈韛五十鈴姫命なり。又日はく、事代主神、八尋熊鰐(やひろわに)に化為(な)りて、三嶋の溝樴姫(みぞくひひめ)、或は云はく、玉櫛姫(たまくしひめ)といふに通ひたまふ。而して児姫 蹈韛 五十鈴姫命を生みたまふ。是を神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといはれびこほほでみのすめらみこと[=神武天皇])の后(きさき)とす

日本書紀神代上第八段一書から

これの他に、次の箇所でも登場します。

庚申年(かのえさるのとし)の秋八月(あきはづき)の癸丑(みづのとうし)の朔(ついたち)戊辰(つちのえたつのひ)に、天皇、正妃(むかひめ)を立てむとす。改めて広く華輩(よきやから)を求めたまふ。時に、人有りて奏して日さく、「事代主神、三嶋溝橛耳神(みしまみぞくひみみのかみ)の女(むすめ)玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める児を、号(なづ)けて媛蹈輔五十鈴媛命と日す。是、国色(かほ)秀れたる者なり」とまうす。天皇悦びたまふ。

日本書紀神武天皇記本文から

以上から、書紀では神武天皇の正皇后であるヒメタタライスズヒメは事代主神と玉櫛姫の間に生まれた子と記述されているのですが、秀真伝ではその辺の関係性が少し異なります。

画像6:秀真伝によるヒメタタライスズヒメの系譜

上図の様に、秀真伝によれば玉櫛姫を娶った事代主と言うのは、同じ事代主でも孫の世代に当たる「ヤヱコトシロヌシ」を指すようなのです。

事代主は皇統の代で言えば瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と同世代になりますから、その娘が瓊瓊杵尊のひ孫に当たる神武天皇の后になるというのは少し不自然です。ですから、同じく事代主のひ孫世代がヒメタタライスズヒメとなる秀真伝の記述の方が、より真実に近いと考えられます。

さて、今回の注目点は「少女神」ですから、そうなるとどうしても気になるのが、画像6でも示した、皇后を輩出した家系

 三嶋溝橛(みしまみぞくひ)

とは何者なのか、その点なのです。残念ながら、秀真伝でも三嶋溝橛の妻の名、およびそれより遡った系図は出ていません。

少女神と言う概念を初めて取り上げた記事「少女神の系譜と日本の王」で、私は「みシまる 湟耳(こうみみ)」氏が書かれた本「少女神 ヤタガラスの娘」を紹介しましたが、その中でネタバレ防止の為、次の様に一部を伏せて書いている箇所があります。

古代皇統の権威は特定家系である「☆☆☆」家の少女の元へ入婿することによって引き継がれてきた

もうお分かりのように、この伏字に入る文字は

 ミシマ

なのです。また、著者が三嶋溝橛にたいへん注目していることは、ペンネームの「みシまる」に如実に表れているとも言えるでしょう。

これまで、国内少女神の家系として、伊弉冉尊(いざなみのみこと)から始まる、下照姫の家系、月読尊の家系を予想していましたが、今回登場した三嶋溝橛がそのどちらかの系統に繋がる血筋なのか、あるいは全く別の女系一家なのか、新たなる謎が加わることになりました。

ダリフラというアニメは、素人目に見ても相当に脚本を練った作品、あるいは古代史情報をふんだんに詰め込んだ作品と認められるのですが、ここまで出してくる目的とはいったい何なのか?表現者のその意図を含め、今後の分析が求められるのです。

■大空のXXが意味するもの

次の2つの写真は、空にXXが出現した当日の調査対象です。

画像7:香良須(カラス)神社 愛知県豊田市市木町(令和4年4月11日撮影)
画像8:三島神社 千葉県君津市糠田(令和5年1月6日撮影)

香良須神社はみシまる氏の著書に書かれていたことから、半ば興味本位で向かった場所ではあるのですが、現地の客観的な情報からだけでも次の点が窺えます。

 祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)→ ワカヒメ → 下照姫(少女神)
 所在地は市木町(いちきまち) → イチキ → 市杵島姫(少女神)

そして、君津の三島神社については特に語る必要はないでしょう。

大空のXXが少女神調査との関りで出現したものなのか、それとも単なる偶然なのか、それは私にもよくわかりません。ただ、このテーマが日本(にほん)という国の成立ちを知る上で、避けて通れないものであることを、ひしひしと感じるのです。


賀茂川を上りて向かう姫宮は紅差す御身の清き里なり
管理人 日月土

SPY×FAMILYに見る月読と市杵島姫

今月25日の(真)ブログ記事「国家権力動員のSPY×FAMILY」では、現在放映中の人気アニメ「SPY×FAMILY」を題材に、そこに登場する角の生えた少女キャラクターが、古代皇后兼巫女であったいわゆる「少女神」をモデルとして描かれているのではないか、そして、彼女たちが取り上げられる最大の理由が、その存在を抹殺せんが為の呪詛なのではないかと述べています。

画像1:SPY×FAMILY 
(C)遠藤達哉/集英社・SPY×FAMILY製作委員会

呪詛と言うとオカルトぽくなってしまいますが、日本書紀や古事記などの史書で事実と異なる記述が明らかな場合も、それが事実を捻じ曲げ特定個人を貶めるという点では、やはりそれは呪詛や呪いの類と見なすことができます。

「呪詛」というどこか思想的な観念を持ち出すのは、単に史書から都合の悪い事実を伏せれば良いだけのことなのに、わざわざ特定個人を貶める記述を加えるという行為に、どこか現実的な損得を超えた強い悪意と憎悪を感じるからです。

私は、記紀及びその他の史書についてもそこに大きな改竄が加えられていると考えていますが、それが、登場人物に侮蔑的な名前が付けられていたり、その行為が悪し様あるいは嘲笑的に書かれている場合は、やはりそれも呪詛の一形態であると捉えています。

その意味では、現代メディアがやってることも全く同じで、映画やドラマ、そしてアニメ作品においても、昔ながらの「言葉による呪い」が込められており、その呪いが歴史上の特定人物に向けられているケースをこれまで幾つかご紹介してきました。

しかし、これを逆手に使えば、作品に込められている呪詛の形態から歴史的事実を辿れると考え、実際にその手法を用いてこれまでに「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」など大ヒットアニメに隠された古代日本の実相を分析してきました。

アニメ「SPY×FAMILY」もそれら呪詛的作品の例外ではなく、おそらくその背後には、隠された歴史的事実が存在するであろうと思われるのです。

■ヨルの名に隠された暗号

このアニメの主人公は「鬼の角型髪飾り」を付けた少女「アーニャ」ですが、ここではまず、その仮の母親であるヨルに注目します。

画像2:ヨル

このヨルさん、コードネーム茨姫(いばらひめ)の異名を持つプロの殺し屋で、運動能力が極めて高いという設定以外にこれと言った情報は付加されていないのですが、このヨルという名前をそのまま日本語の「夜」と解釈して良いことは、スパイである旦那役(ロイド)のコードネームが黄昏(たそがれ)であることから容易に察しが付きます。「黄昏に続いて夜が来る」ということです。

それでは次に「夜」に対応する歴史上の人物とは誰なのかを考察してみます。

これまでに少女神の分析を行ってきた対象が、日本書紀・古事記共に神代が中心であったことから、ここでも同時代の記述について調べてみることにします。

「夜」の字で記紀の神代原文を全文検索した場合、明らかに人名(あるいは神名)の一部として現れるケースは

 古事記:
  火之藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)
  波邇須毘古神(はにやすびこのかみ)
  波邇須毘賣神(はにやすひめのかみ)
 
 日本書紀:
  月見尊(つきよみのみこと)
 
となります。

これでは両史書の間で共通項が見当たらないことになりますが、実は古事記には次の様な「夜」の記述があるのです。

 次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。

次に月読命に詔りたまはく、「汝命(いましみこと)は、夜の食国(おすくに)を知らせ」と事依(ことよ)さしき。

ここでは表記の違いにご留意ください。「月夜見=月読=月讀(つきよみ)」であり、以下は「月読」で表記を統一します。

「夜の食す国」とはまさに夜の帳が降りた世界のことであり月読はまさに「夜」の統治者であると記されているのです。これは、月の美しく輝くのが夜の間であるという自然現象をそのまま詩的に表現しているとも言えますね。

以上から、記紀の神代記における「夜(ヨル)」の称号を持たされた人物(あるいは神)とは月読尊(つきよみのみこと)のことであろうと断定してよいのですが、問題なのはその性別なのです。

アニメにおけるヨルの性別は女性ですが、記紀では不詳、秀真伝では男性とされています。この性別問題については、前回記事「月読尊 - 隠された少女神」で提示した仮説を適用し、「ヨル(夜)」が月読尊を指す記号と解釈した上で、その性別はアニメが示すそのままに「女性」であった、即ち伊弉冉(イザナミ)の血を受け継ぐ少女神であったと解釈することにしたいと思います。

■アーニャは市杵島姫なのか

前回の仮説が適用できるとする根拠は、史書類から女系の血筋が隠されている(史実が改竄されている)のではないかと疑うところにあるので、その流れに従うと、当然ながら女性月読には娘がいたと考えざるを得ません。

秀真伝では男性月読に気吹戸主(いぶきどぬし)という息子が居たとの記述がありますが、この場合、こちらも女系を隠す意図の下で改竄されていると見なすべきで、実際には気吹戸主の嫁とされている市杵島姫(いちきしまひめ)が実の娘に当たるのではないかと見ることができます。

すると、ヨルとアーニャの母娘関係(偽装家族ではありますが)はそのまま次の様な対応関係になると考えられるのです

   母     娘
 —————————–
  ヨル → アーニャ
  月読 → 市杵島姫

すなわち、ヨルが月読を表す記号的存在ならば、アーニャも同じく市杵島姫を表していると見なすことができます。

画像3:アーニャは市杵島姫を象徴しているのか?

アニメの中で、アーニャは人の心を読む超能力を有する少女として描かれているのですが、これは神の託宣を受け取る特殊能力者であった古代巫女、すなわち少女神を表現しているとも取れるのですがどうでしょうか?

神話の中では、市杵島姫は宗像三女神の一人として誕生するのですが、全国の神社を回ってみると、三女神の中でも市杵島姫はとりわけ手厚く祀られている(あるいは封印されている)ように感じるのです。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)と聞けば広島県の宮島にあるものが夙に有名です。ここでは宗像三女神を祀っているのですが、摂社・末社などの小社として全国に建てられている厳島神社の祭神は、基本的に市杵島姫を祀るお社として認識されている場合が多いようです(具体的に調べた訳ではありません)。

画像4:宮島の厳島神社

よく考えてみたら「いちきしま」と「いつくしま」は発声がそっくりで、ここからも厳島神社が基本的に市杵島姫を主な祭神としていた証であることが見て取れます。

また全国に多く見られる仏教の弁財天(弁天様)も、本地垂迹説的には市杵島姫と同一視されることが多く、やはり宗像三女神の中では市杵島姫が特別扱いされていると考えられるのです。

それが隠された少女神の血筋に由来することなのかどうか、現在はこれ以上深読みできないのですが、これについては、アニメ放送の今後の展開を見て再度考察を加えたいと思います。

■呪われた少女神

アーニャの鬼の角のような髪飾りと大好物のピーナッツ。これが節分の豆撒きにおける鬼と炒り豆の関係に相当し、鬼とされた存在に向けた呪いであることを上記(真)ブログ記事では述べています。

すなわち、これはアーニャへの呪いでもあり、同時に「市杵島姫への呪い」とも取れる訳ですが、一方ヨルの方は、血塗られた殺し屋の顔を持つ女として描かれています。

画像5:ヨル、依頼を受ければ殺し屋となる

茨姫と呼ばれる血塗られた女、それがどのような悪意を込めた呪いなのかは不明ですが、あまり聞こえの良いものでないのは事実です。少なくともそのモデルであろう月読を敬っていないのは確かだと言えます。

血塗られた女に炒り豆を投げつけられる鬼女、少女神に対する呪いとしてはもはや散々なのですが、実はこのアニメと放映時期を同じくして、この二人の特徴を併せ持つ次の特異なキャラクターが別の作品に登場しているのをご存知でしょうか?

画像6:チェンソーマンから血の魔人パワー
(C)藤本タツキ/集英社・MAPPA

単なる偶然だとは思いますがどこか引っ掛かるのです。そう言えば両作品共に出版元は同じ集英社ですね。また、遠藤達哉氏は藤本タツキ氏のアシスタントを務めていたこともあるそうです。


寒風に追われて辿るこの道はい笑ます君の宮へ誘う
管理人 日月土

月読尊 - 隠された少女神

前回の記事「瀬織津姫 - 名前の消された少女神」では、大祓詞(おおはらえのことば)にのみ登場する謎の女神、瀬織津姫(せおりつひめ)について取り上げました。

その大祓詞の文意から、どうやらこの祝詞(のりと)は、出雲族などの特定家系、そして少女神(皇后を輩出する古代巫女:女性シャーマン)の家系を呪っているのではないかと推察しています。

その考察の中で、大祓詞に登場する「祓戸四柱の神」(はらえどよはしらのかみ)の内、何かと違和感を覚えるのが、氣吹戸主(いぶきどぬし)であることを指摘しています。ここで、その四柱の神をもう一度おさらいしてみます。

後半の説明の為、秀真伝(ほつまつたえ)に出て来る人名と大祓詞の神名の対比として以下に記します。

    秀真伝    =    大祓詞
 ———————————————————————————————-
 ムカツヒメ  女性 = 瀬織津姫            女性
 アキコ    女性 = 速開都比売(はやあきつひめ)  女性
 イフキヌシ  男性 = 氣吹戸主            性別不詳
 ハヤフスヒメ 女性 = 速佐須良比売(はやさすらひめ) 女性

大祓詞では、3人(あるいは3柱)の名に「ヒメ」と付いていることから、その性別を特定するのは容易いのですが、イフキヌシについては詳細がよく分かりません。一方、秀真伝では姫を娶った男性として記述されているのですが、それならば、どうして男が1名だけこの4名の中に加わっているのでしょうか?これでは「少女神に向けた呪いではないか?」とした前回の結論から少々ズレてしまうことになります。

■イフキヌシの系譜

毎度のお断りでうんざりかもしれませんが、私は日本神話を「神話化された日本古代史」と捉えていますので、基本的にこの時代の考察を、人の歴史として記述する史書「秀真伝」に拠っています。

もちろん、記紀の神話的物語が全くのデタラメだとも思っておらず、その表現の中に、多くの事実を臭わせている、すなわち暗号化された史書であると捉えています。ですから、神話編纂者の意図を読み解くことにより、もしかしたら古代期の正確な事実が読み取れるのではないかと考えているのです。

基本的に全ての史書類はその後の権力者の都合で書き換えられることを免れません、そう考えると、秀真伝の全てが正確であるとするのも早計であり、むしろ、早くに神話化されたフィクション(神話)の方がより正確に当時の情報を残している可能性も考えられるのです。もちろん、その含意を解読できればの話となりますが。

さて、ここではまず、秀真伝に記されたイフキヌシの系譜について眺めてみましょう。

画像1:秀真伝に記されたイフキヌシの系譜
出典:池田満著「ホツマ辞典」付録より

なんと、イフキヌシの父は、イサナギ・イサナミの産んだいわゆる三貴子(天照・月読・素戔嗚)の一人である月読尊(つくよみのみこと)であるとされているのです。祖父が7代アマカミ(上代の天皇)であることから、イフキヌシが高貴な血統であることがここから窺えます。

そして、イフキヌシの妻は宗像三女神の一人でもあるイチキシマヒメであり、この姫は8代アマカミのアマテルカミの子女ですから、二人はいとこ同士であり、共にナギ・ナミに繋がる高貴な血筋であったことが分かります。

ここでイフキヌシについて考える時、当然問題となるのが、その父である月読尊がどのような人物(あるいは神)であったかなのですが、記紀においても、天照大神や素戔嗚尊に比べ、月読尊の記述は極めて限られており、実は

 性別すらはっきりしていない

のです。

一般には男性神と考えられているようですが、記紀に記述がない以上、それも推察でしかありません。それならば、秀真伝が伝えるように男性とすれば良いようも思えるのですが、そうなると

 イフキヌシが何故男一人だけ祓戸四柱の神に含まれているか?

その点がやはり不可解なまま残ってしまうのです。

日本神話の最高神で女神でもある天照大神の歴史上のモデルが、何故か男性王であるアマテルカミであることは何度もお伝えしていますが、要するに歴史的現実と神話との間には、何かの理由で

 性別の転換

が効果的に用いられている気配が極めて濃厚なのです。アマテルカミとツキヨミ、そしてイフキヌシの記述を秀真伝と記紀で比較した時以下の様になります。

        | 秀真伝 |  記紀
 —————————————————————-
 アマテルカミ | 男性  | 女性(女神)
 ツキヨミ   | 男性  | 性別不詳  
 イフキヌシ  | 男性  | 性別不詳

アマテルカミの場合、秀真伝には男性としての事跡が多く残されているので、歴史的には男性と考えて良いのですが、ツキヨミの場合は、嫁は娶ったとされるものの、そこまで男性性が強く出てるとは言い難く、その上に記紀で性別不詳とされているのですから、この場合、秀真伝の方に何か作意が働いているのではないか、そう考えるべきではないかと思われるのです。それはまた、ツキヨミの子であるイフキヌシについて向けられる疑いでもあるのです。

ここで、ツキヨミが実は女性だったのではないかと仮定すると、画像1に示した少女神の系譜はシタテルヒメとツキヨミの2系統に分かれることになり、すると、イフキヌシと少女神との関係がより明確に見えてくるのです。

■身代わりとなったイフキヌシ

ツキヨミは女性であり、少女神イサナミの血の継承者であったのではないか?そしてその子であるイフキヌシとは何者であったのか?

前回の記事を上梓して以降、ずっとこれについて考えていたのですが、その仮定の下に辿り着いたのが以下の結論(仮説)となります。

画像2:ツキヨミが女性(少女神)と仮定してみた

この図で注意してだきたいのは、ツキヨミを女性と解釈しただけでなく、いとこ同士である、イフキヌシとイチキシマヒメが交換された関係にあるだろうとしたことです。

何故このような強引な仮説を用いたのか?その根拠とは、一重に

 古代期においては、少女神の血の継承こそが最も重要

と判断したからであり、仮にツキヨミの子が男性のイフキヌシだけであれば、その時点で血の継承は途絶え、上代皇室内の重要問題とは成り得ないからです。

ここで、「イサナミ → ツキヨミ → イチキシマヒメ」という少女神の血の継承が行われたと仮定したとき、始めてイフキヌシが大祓詞に登場する意味が生まれるのですが、これがどういうことかお分かりになるでしょうか?

この理解には言霊による呪術の考え方が必要とされるのですが、敢えて嚙み砕いて説明すれば次の様になります。

大祓詞は少女神への呪い。但し、その力はこの世の権威の独占に不可欠である。ならば、「月」の家系だけはそこから外そう。こっそりと。


つまり、イチキシマヒメの旦那であるイフキヌシは身代わりにされたのです。


* * *

映画「すずめの戸締まり」が公開されて1ヵ月、私もブログでこの映画を取り上げては、神話に関する細々とした点を指摘していますが、実はこの映画で一番に気付いて頂きたいのは次のシーンなのです。

画像3:映画冒頭現れる常世に浮かんだ月
©すずめの戸締まり製作委員会

この月が何を意味するのか、もうお分かりですよね?すると、画像2に私が挿入した「鈴(すず)」の絵の意味もお分かりになったはずです。そう、すずめ(鈴女)なんです。

画像4:月読神社(上州一之宮貫前神社内 12/8撮影)


人は言う姫の大神隠れしとその名を告げよ荒船の氣吹
管理人 日月土

瀬織津姫 - 名前の消された少女神

前回、前々回とアニメ映画「君の名は」を題材に、日本の古代王権がどのように継承されていたのか、「少女神による女系継承」という仮説に基づいて考察してみました。

これまでに構造分析を試みたアニメ作品とそこに登場した少女キャラクター、それと秀真伝に記されている上代皇統の系図を組み合わせたのが以下の図となります。

画像1:上代皇統と少女アニメキャラ

どうしてこうなるかは過去の記事を読んで頂きたいのですが、世の中で話題となった大ヒット人気アニメが、実は日本古代史(あるいは神話)を何度もその題材として取り上げていることは注目すべき点であります。

そう言えば、現在公開中の「すずめの戸締まり」をはじめ、鳴り物入りのアニメ作品の主人公が基本的に「少女」であり、男の主役はどちからというと影が薄いのは共通しているパターンだと言えます。

■もののけ姫に描かれた女系継承

なんだかアニメのストーリーを無理矢理に女系継承の話に持って行ってないか?というご批判はもっともなのですが、これが権力の継承を象徴していると考えられるシーンが「もののけ姫」に登場したのを覚えておられるでしょうか?

画像2:カヤからアシタカに手渡された黒曜石の小刀

カヤはアシタカと別れる時に、形見として黒曜石の小刀を渡すのですが、そのカヤからの大事なプレゼントを、アシタカはサンにあっさりと手渡してしまいます。

このやり取りを見て、多くの女性視聴者が「アシタカは女心の分からない最低の男!」と評したかどうか分かりませんが、少なくともアシタカのこの行動に何の意味があるのか理解できなかった方は多かったと思います。

実は、この小刀を「権力継承の象徴」と見ればあっさりとこの謎は解決するのです。つまり、画像1において、栲幡千千姫から木花咲耶姫へと皇后の権威が次の世代へ移動した象徴と見れば良いのです。

これに加え、小刀が黒曜石であることにも大きな意味があるのです。みシまる湟耳著「ヤタガラスの娘」にも書かれていますが、伊豆七島の神津島は古代少女神と非常に関連が深い島として紹介されています。そして、その神津島こそが古代から黒曜石の重要な産地であり、神津島産の黒曜石は、対岸の静岡地方だけでなく、内陸は長野県の遺跡からも多く出土しているのです。

画像3:御前崎の「星の糞遺跡」
星の糞とは地面の上で星の如く煌めく黒曜石の破片ことで、ここから出土する
黒曜石の約90%が神津島産とのこと。古くは縄文時代後期からなる遺跡。

少女から少女へと受け継がれる黒曜石の小刀、これはまさしく古代女系継承を表現しているとは言えないでしょうか?宮崎監督はこのシーンについて「男とはそんなもん」と嘯いているようですが、この表現に隠された真意は極めて重要なのです。

■大祓詞と瀬織津姫

画像1にある瀬織津姫は、何故か記紀の日本神話の中に登場しない不思議な神様です。しかし、神話ではない人の歴史として古代日本を記述する秀真伝(ほつまつたえ)には、はっきりと男性王アマテルカミの正妻ムカツヒメ(瀬織津姫)として記述されているのです。

実は、記紀と秀真伝のこの大きな食い違いこそが、女神である天照大神(あまてらすおおかみ)を最高神と戴く日本神道の大きな矛盾点なのです。別の表現をするなら、国家神道の根幹部分がそもそもあやふやであり、それ故に私は、日本神話をファンタジー化された歴史の捏造と捉えるのです。ただし、神話化されたということは元の歴史的事実があるということでもあり、その意味では記紀が全く無価値だと言うつもりもなく、むしろ最も解読が求められている暗号書であると捉えているのです。

さて、男性王アマテルカミを女神天照大神に書き換えてしまったら、その妻である瀬織津姫の存在は不都合極まりありません。ですから、単純にテクニカルな意味で記紀の記述からそっくり外されてしまったのは容易に考え得ることです。

しかし、そこまでしておきながら、何故か大祓詞(おおはらえのことば)にはその名が出て来るのですから、その点は少し困惑してしまいます。ここでその大祓詞とやらを眺めてみましょう。

画像4:大祓詞(1/4)
画像5:大祓詞(2/4)
画像6:大祓詞(3/4)
画像7:大祓詞(4/4)

「ヤタガラスの娘」の中で、みシまる氏は①~③を呪いの言葉、④~⑦はいわゆる祓戸四神なのですが、これを瀬織津姫の神的パワーを削ぐために4柱の神名に分けて記述したものだとしています。

①の「金木(かなぎ)」は製鉄を表す言葉で、これをタタラ姫の家系、すなわち少女神の家系と推定し、その本(先祖)と末(子孫)を打ち切るとは、先祖末代を祟る呪いであるとしています。

また、これと同様に②の「菅麻(すがそ)」を蘇我氏、③の「彼方(をちかた)」を古代祭祀族の物部氏と推定し、やはり同家系を呪っていると断じているのです。

このみシまる氏の説には私も概ね同意なのですが、私は①の金木は鉄生産の国である古代朝鮮国の伽耶(かや)を指し、そこを出身とする女性シャーマンの家系、すなわち少女神の家系を指すと考えます。

また、②については「すがそ」を「須賀祖」と読めば、これは素戔嗚尊(すさのおのみこと)の家系、即ち大物主の家系を表し、即ち国津神である出雲一族を呪った言葉であると解釈するのが自然であると考えます。

なお、③については私も不案内なので多くの言及を控えますが、大祓詞を考案した中臣氏以前の祭祀族を呪うのは十分あり得ることだと考えられるのです。要するに

   大祓詞とは特定一族を呪う為の祝詞(のりと)

であると考えられるのです。

さて、ここに登場する瀬織津姫なのですが、みシまる氏の神的パワー分散説については恐らく違うであろうと考えます。というのも、秀真伝には一応、瀬織津姫以外のそれぞれの名前についてもその系図がきちんと示されているからです。

 カナサキ → ハヤアキツヒメ(速開都比売)
 ツキヨミ → イフキヌシ(氣吹戸主)
 アカツチ → ハヤフスヒメ(速佐須良比売)

おそらく、この時代で名前の残っている女性は基本的に各家に養女にもらわれた少女神の家系出身者と考えられるのですが、少女神については大祓詞の①で既に呪いが掛けられているので、実はここに登場する姫神はとりわけ強く呪われているとも考えられるのです。

つまり、瀬織津姫は記紀から名前を消されただけでなく「金輪際絶対出て来るんじゃねぇ!」とより強烈に呪いを掛けられた存在ではないかと考えられるのです。

逆に言うと、瀬織津姫は神道の世界観ではそれほどまでに恐れられている存在であり、同時にそれは、古代日本において女性シャーマンとして非常に卓越した能力があったことを指しているとも考えられるのです。

「君の名は」で、年老いた一葉として瀬織津姫の型を出してきたのも、恐る恐るながらもその力にあやかりたい、そのような意図があったのではないか、私はそう思うのです。


* * *

さて、少女神の観点で祓戸四神を眺めた時、一人だけ首を捻る存在がそこにあるのを無視する訳にはいきません。それは「氣吹戸主(いぶきどぬし)」です。名前の語感からもそうですが、秀真伝でも氣吹戸主は男性なのです。

祓戸四神と括りながらその構成は女3人に対し男1人、この違和感はいったい何なのか?そもそもその親であるツキヨミ(月読尊)は、記紀でも殆どたいした記述がありません。謎の登場人物である月読尊とその子である氣吹戸主。今回の少女神といったいどのように絡んでくるのか、瀬織津姫の謎と共にこちらも追っていく必要がありそうです。

画像8:突然メディアに現れたN国の少女
参考:金閣下、ご返信ありがとうございます
この少女のことを私は市杵嶋姫(いちきしまひめ)と呼んでいます


高天原小宮に坐ます姫神の母なる思ひ今ぞ伝えん
管理人 日月土

時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」(2)

※この記事は、前回「時間を結ぶ少女神 - もう一つの『君の名は』」の続編となります。既に「君の名は」を鑑賞されていることを前提にしておりますので、まだの方はネタバレ注意でお願いします。

さて、このアニメ映画もジブリ作品と同様に日本古代史(あるいは日本神話)をそのモチーフに組み込んでいると考えられるのですが、その前提で、次の様な設問を読者の皆様に課題として出していました。

 Q:三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?

この設問へのヒントとして、メソポタミア神話の女神ティアマトとの関連から、どうやら映画に登場するティアマト彗星が伊邪那美命(=伊弉冉尊:いざなみのみこと)を象徴しているらしいという解説を掲載しましたが、今回はこの話を更に掘り下げてみます。

■出会いのシーンは神話そのもの

説明を始める前に、まずは日本書紀に記述されている次の文面をご覧ください。

故(かれ)、二(ふたはしら)の神、改めて復柱(またみはしら)を巡りたまふ。陽神は左よりし、陰神は右よりして、既に遇ひたまひぬる時に、陽神、先づ唱へて日(のたま)はく「妍哉、可愛少女(あなにゑや、えをとめ)を」とのたまふ。陰神、後に和(こた)へて日はく、「妍哉、可愛少男(あなにゑや、えをとこ)を」とのたまふ。然(しこう)して後に、宮を同くして共に住ひて児(みこ)を生む。大日本豊秋津洲(おおやまとあきづしま)と号(なづ)く。

岩波文庫「日本書紀 一」神代上 一書から

こちらの現代語訳は次の様になります。

二柱の神は改めてまた柱のまわりを回った。男神は左から、女神は右から回って出会ったときに、男神がまず唱えていわれた。「おや、何とすばらしい少女だろう」と。女神が後から答えて「おや、何とすばらしい男の方ね」と。その後で同居をされて子を生まれた。大日本豊秋津洲と名づけた。

講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳から

伊邪那岐命(=伊弉諾尊:いざなぎのみみこと)と伊邪那美命の男女神の初めの出会いは、それぞれの回る向き、および発声の順序に問題があり、改めて上記引用の様に回り直したところ、正しく国生みが始まったとあります。

ここで、前回も紹介した三葉と瀧がカワタレ時に山上で邂逅したシーンを改めて見てみます。

画像1:山上で邂逅した瀧と三葉

もうお気付きかと思いますが、このシーンは上述の日本書紀の記述とシチュエーションが酷似しているのです。それを図解したのが下記になります。

画像2:御神体の外周を初めは左回りする三葉(心は瀧)
画像3:互いが見えずすれ違う二人(心が入れ替わった状態)
画像4:すれ違いの後に向きを変え互いに相手の姿を見る二人(心は元の状態)

御神体を中心に瀧と三葉は初めはそれぞれ右回り・左回りの方向に走り出します。しかし、二人はすれ違ってしまう。ところが、ちょうどその時がカワタレ時だというのもありますが、互いの気配を感じた二人は、引き返すため進行方向をそれぞれ左回り・右回りへと変えた時に出会うことができるのです。

これを整理すると次の様になります。

 日本神話:
  御柱の周りを回る
  伊邪那岐命(右回り)&伊邪那美命(左回り) → 国生み失敗
  伊邪那岐命(左回り)&伊邪那美命(右回り) → 国生み成功

 君の名は:
  御神体の周りを回る
  瀧(右回り)&三葉(左回り) → 出会えない
  瀧(左回り)&三葉(右回り) → 出会える

このように、私から見れば瀧と三葉のこのシーンは明らかに日本神話のそれをモチーフにしていると読むことができ、よってここから

 瀧のモデルは「伊邪那岐命」
 三葉のモデルは「伊邪那美命」

と結論付けることができるのですが、実はこの結論ではまだ説明できない設定が残っているのです。それは、三葉の血縁である、一葉、二葉、そして四葉との関係なのです。

■少女神の系譜

このアニメの設定において、三葉の家である宮水家は、代々村の宮水神社を守る神主やの巫女(みこ)を輩出した家とされています。ところが、入婿である三葉の父は、母の二葉の死去後に家を離れ、家に残されたのは、祖母の一葉、三葉、妹の四葉の女性だけの家として描かれています。

この設定だけをみれば、水宮家は明らかに

 女系家族である

ことが窺われるのです。

これは一体どういうことでしょうか?ここで、神話ではない人の歴史として古代を綴る、秀真伝(ほつまつたえ)に従って、伊邪那美命からその後に3代続くアマカミ(上代の天皇)の系図を見てみましょう。

画像5:秀真伝によるイザナギ・イザナミとそれに続く3代
※漢字表記は日本書紀によるもの(瀬織津姫を除く)
※秀真伝ではアマテルカミ(天照)は男性王である

日本の史書は基本的に男系継承を軸に記述されているので、どうしても上図で示すようにになってしまうのですが、ここで注目すべきなのは王権の中心であるアマカミではなく、その后(きさき)の方なのです。

既にティアマト彗星は伊邪那美命の象徴であろうとしているので、同じように映画に登場した宮水家の人員をこの図に当てはめると次の様になります。

画像6:古代系図と「君の名は」の対応

図の中で、特に三葉と四葉の姉妹関係などを見る限り、登場人物がピタリと上代アマカミの歴代皇后の系譜に当てはまることが分かります。ここから類推する限り、どうやら三葉は木花開耶姫(このはなさくやひめ)に該当し、ここから、前回出した設問の答も

 瀧のモデルは「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)
 三葉のモデルは「木花開耶姫」

ということになります。

しかしここでまたもや問題になるのは、どうして、伊邪那岐命・伊邪那美命と瓊瓊杵尊・木花開耶姫の関係を重複させているかなのです。

この映画のラストシーンでは、瀧と三葉が相手に対し同時に「君の名は?」と呼び掛けますが、「君」とは抽象的かつ普遍的な意味で王と后の両方を指していると考えられ、特定の世代に限定されないことが分かります。

ここでぜひ、過去記事「少女神の系譜と日本の王」を読み返して頂きたいのですが、同記事の中では、私は一つの仮説を取り上げています。それは

 古代日本の王権は母系(女系)継承だったのではないか?

というものです。

すなわち、伊邪那美命と木花開耶姫のイメージをここで重ねてきた一番の理由とは

 伊邪那美命と同じ血を継ぐ女性が代々皇后に選ばれてきた

その事実を開示せんがために、あるいは、日本人の潜在意識が既に把握しているこの事実に対して、何か心理的な作用を与えるために、敢えてこのような設定を盛り込んできたのではないかと推測されるのです。

記紀や秀真伝を読む限り、これらの皇后はそれぞれ別の家系を出自に持つ女性ばかりですが(*)、私はこれらも古代史改竄の一つで、実は

 同一家系から、一旦他の有力者の養女に迎え入れていた

のが事実ではないかと考えるのです。その母系継承についての考察をみシまる湟耳氏の著書「少女神 ヤタガラスの娘」では述べているのですが、私も同様にそのルーツが海の向こうの古代朝鮮の伽耶、そして更に遡ること西アジアのメソポタミア周辺に及ぶと見ているのです。

*例えば、栲幡千千姫は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の娘、木花開耶姫は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘とされており、これだけ見れば両者は全く別の家系の出自となる。

また、なぜ后に特定の血筋を求めるのかなのですが、これはみシまる氏も指摘しているように、神と通信する女性シャーマンとしての優れた能力が代々彼女たちに受け継がれており、当時の社会においては彼女たちを后にすることが王権を得る上での絶対条件であったと考えられるのです。

これは、三葉が巫女姿で舞を踊ったり、口噛み酒を造ったりするシーンに象徴されていると見ることができます。現代的な解釈では、そんなのは迷信であったり習慣化した作法でしかありませんが、古代社会において、呪術とは実践科学であり、神の声を聞く彼女たちの能力は共同体運営に欠かせないものであった。彼女たちを后に置くことはまさに自国の存亡に関わる重要なことだったのではないでしょうか。

■三葉とサン

このブログの読者様なら既にご存知の通り、ジブリ映画「もののけ姫」に登場したサンの歴史モデルが「木花開耶姫」であり、アシタカのモデルが「瓊瓊杵尊」及び「天若彦」(あめわかひこ)のダブルキャストであることは既に結論が出ています。

関連動画:モロともののけ姫の考察

つまり、「君の名は」における三葉の役柄は「もののけ姫」のサンの焼き直しということになります。

画像7:三葉とサン(どちらも3)
サンのキャラデザインもどこか古代巫女風である

私がここで問題にしたいのは、なぜ日本のアニメ映画はこの時代の人物を執拗にモデルに取り上げるのか、果たしてその点なのですが、それについてはもう少し分析を進めて行く必要がありそうです。

おそらく、前回とりあげた日本のメディア作品の大テーマ「時間の循環と過去改変」に関係あるのだろうと今は予想しています。


浜辺にてすくう真砂の数よりも幸多くあれ姫宮の君
管理人 日月土

時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」

今月28日、11月に公開される新海誠監督の新作「すずめの戸締り」にタイアップしてか、5年前の大ヒットアニメ「君の名は」が放映されました。

 関連記事:新海アニメの完成数 

この作品、絵が美しく物語も詩情豊かにまとまっているので、あまりくさすような事を書きたくないのですが、それでも日本のヒットアニメに共通する基本パターンはしっかりと踏襲しており、それについてはやはり指摘しておかなければならないでしょう。

以下、このアニメ作品の構造解析について説明して行きますが、既に同作品をご覧になっていることを前提に進めて行きます。まだ観たことがないという方は、ぜひ鑑賞してから読み始めることをお勧めします。

画像1:「君の名は」公式ページから

■時間の循環(ループ)

この物語は、3年前の三葉(みづは:主役の女子高生)と現在に生きる瀧(たき:主役の男子校生)との時間を超えた奇妙な交流から始まります。そのやり取りの手段も、時より二人の心と身体が入れ替わった時に、互いに残した日記を読み合うという、極めてSFファンタジー的な設定となっています。

画像2:瀧と三葉、出会いの名シーン

二人が直接顔を見合わすシーンは、それこそ山上での短い「彼は誰時(かわたれどき)」と、ラストのあの感動的な出会いのシーンだけなのですが、その二人の時間的・空間的距離の遠さこそが、この少年少女の仄かな慕情を募らす大きな要素となっています。この辺の演出はさすがだなと私も感心することしかりでした。

この、可愛らしくも美しい恋慕の情に観る人は心惹かれるのだと思いますが、ところがどっこい、ここにもお約束のテーマがしっかりと隠されているのです。そのテーマが何であるかは、三葉の祖母である一葉(ひとは)のセリフを通して次の様に語られています。

左から祖母の一葉、母の二葉(ふたは)、妹の四葉(よつは)

三葉、四葉、結びって知っとるか?土地の氏神様を古い言葉で結びって呼ぶんやさ。この言葉には深い意味がある。糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び、全部神様の力や。わしらの作る組紐もせやから、神様の技、時間の流れそのものを表しとる。寄り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って途切れ、また繋がり、それが結び、それが時間。

この「時には戻って途切れ、また繋がり、それが結びそれが時間。」という部分はたいへん重要で、これは時間の流れというものは永遠普遍ではなく、切れたり繋がり直ったりすると言ってることです。

物語の中でも、3年先の未来の人である瀧の介入により、ティアマト彗星の落下により失われるはずだった三葉の命が救われる、すなわち過去改変が行われるのですが、ここには、

 ・未来から過去への時間の循環
 ・過去の事実への介入

という、日本アニメ・映画作品で良く見られるテーマがしっかりと盛り込まれているのです。同様なテーマを表現する作品の例を挙げれば

 ・ドラえもん
 ・火の鳥
 ・時をかける少女
 ・涼宮ハルヒの憂鬱
 ・エウレカセブン AO
 ・シュタインズ・ゲート
 ・魔法少女まどかマギカ
 ・Re:ゼロから始める異世界生活

海外作品まで目を向ければ

 ・バック・トゥ・ザ・フューチャー
 ・ターミネーター

など、他にも色々あります。また「時間の循環」を「ループ」と置き換えれば次の様な作品もその範疇に入って来ます。

 ・テラ戦士Ψボーイ
 ・マトリックス・レザレクション
 ・鬼滅の刃 無限列車編

世の中の全てのメディア作品に目を通すほど私も暇ではありませんが、これまで観てきたものだけ取り上げてもこの数ですから、「時間循環と過去改変」なるテーマがメディア表現に如何に多く埋め込まれているのかお分かりになると思います。

画像4:メディア作品はループばかり
1985年の日航123便事件、2011年の東日本大震災、2020年の
コ〇ナパンデミックなど、大災厄の発生年を基準にまとめてみた

要するに「君の名は」も、メディア業界における大テーマに沿った作品であり、そこにはまた、人を感動させる以外の別の目的も仕込まれているのだと考えるべきなのです。

■日本神話との関連性

アニメ作品に見られる日本神話との関連性については、これまで、スタジオジブリ作品の「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」についてその神話的・古代史的分析を試みてきました。今回の「君の名は」についても、主人公の三葉の家が代々水宮(みずみや)神社を守る巫女の家系であるという設定が、何やらその関連性を臭わせています。

作品の中では三葉が巫女として鈴を鳴らしながら神楽を舞ったり、口噛み酒を造るシーンが登場します。余談ですが、そもそも「醸す」とは「噛む」から来ている言葉で、「かむ」はそのまま「神(かむ)」に通じ、本来は神聖な行為であることを意味してます。それについて一葉おばあちゃんが語るシーンもあり、このようなディテールの細やかさはこの作品の大きな特徴でもあります。

さて、読者の皆様におかれましては、分析を進める前に、まず次の点について考えてみてください。

ジブリ映画「もののけ姫」の構造分析では、その主人公であるアシタカとサンがそれぞれ日本古代史(あるいは日本神話)における「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」および「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」をモデルにキャラクタ設定されていると結論を得ました。詳しくは過去記事をご覧になってください。

そこで同じように「君の名は」が日本古代史をモデルにしていると仮定した時、

 ・三葉のモデルは誰なのか?
 ・瀧のモデルは誰なのか?

これを考えてみて欲しいのです。

三葉(みづは)という名前の響きから、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)、古事記では弥都波能売神(みづはのめのかみ)と表記される女性神が連想されますが、この神様、両書の記述に共通しているのが、伊邪那美命(いざなみのみこと)の尿(ゆまり:おしっこ)から和久産巣日神(わくむすびのかみ、男神)と共に誕生したと記述されいる点です。

「むすび」とは、上述の一葉おばあちゃんのセリフにも出てきており、この語呂による関連性の推測が全く的外れということも無さそうです。

他に似たような名前も見つからないし、だったら、三葉のモデルが罔象女神で、瀧のモデルが和久産巣日であるとしても良さそうなのですが、それだと、一葉、二葉、四葉など近親者との関係性がうまく説明できませんし、わざわざ二人の主人公の超時空的なめぐり逢いを強調する意味も見出せません。どうやらこれについてはもうひと捻りする必要がありそうです。

■ティアマト神とは何か

この映画の冒頭は天空を流れる美しく輝いて流れるティアマト彗星のシーンで始まります。もしもこの映画に神話的モデルがあるならば、当然ですが最初のこのシーンに何か大きな意味が込められていると考えられます。

画像5:冒頭で表現されるティアマト彗星

ティアマトとはメソポタミア神話に登場する女神で、多くの神々を誕生させた原初の神、海の女神とされるも、その存在については抽象的に描かれていることが多く、容姿などについては蛇神、ドラゴン、など異形の神とも考えられていたようです。

バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』のあらすじについて、Wikiの解説は次のように記述しています。

ティアマトはアプスーを夫として多くの神々を誕生させたが、新しい世代の神々の騒々しさに耐えられず、ついに神々の殺害を企てる。

 (中略)

ティアマトは一人でマルドゥクに挑み彼を飲み込もうと襲い掛かったが、飲み込もうと口を開けた瞬間にマルドゥクが送り込んだ暴風によって口を閉じられなくなり、その隙を突いたマルドゥクはティアマトの心臓を弓で射抜いて倒した。

ティアマトを破ったマルドゥクは「天命の書版」をキングーから奪い、キングーの血を神々の労働を肩代わりさせるための「人間創造」に当て、ティアマトの死体は「天地創造」の材料として使うべくその亡骸を解体。二つに引き裂かれてそれぞれが天と地に、乳房は山に(そのそばに泉が作られ)、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じたとされる。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。

引用元:Wikipedia

この世に多くの神々を生み出したティアマトは、メソポタミア神話の英雄であるマルドゥクとの闘いに敗れはしたものの、その死骸から世界の原型が生まれたとされています。

多くの神々の生みの親となり、死んでなおその身体から天地が創造された海の女神!?大雑把ですが、これと似たような話、何だかどこかで聞いたことがないでしょうか?

天地創造とはまさに「国生み」であり、死とは「黄泉の国」へと去ること、そしてその肉体や排泄物から多くの神々を生み出したとは、前述の罔象女神で述べたように、記紀の神代に記された伊邪那美命の描写に極めて類似しているのです。

ここで、物語に登場する幾つかのキーワードは次の様に繋がってくるとは考えられないでしょうか?

 ティアマト彗星 → ティアマト神 → 伊邪那美命
 水宮 → 水の神 → ティアマト神 → 伊邪那美命
 三葉(みづは) → 罔象女神(みづはのめ)の親 → 伊邪那美命

そしてまた、物語冒頭にティアマト彗星が登場するということは、

 全ては伊邪那美命から始まる

の意であり、古代史における伊邪那美命からの繋がりを辿ることで、三葉のモデルがいったい誰なのか、それを特定するための道筋が見えてくるのです。


* * *

このテーマは2回に分けて記述したいと思います。読者様へは

 三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?

という質問を投げかけておりますが、私が予想している答が必ずしも正解とは限りませんので、どうぞ皆様も一緒に考えて欲しいのです。

その際は、どうして「身体と心の入れ替わり」という表現が使われたのか、また、どうして二人が互いを「君(きみ)」と呼ぶのか、その辺も併せて考えてみてください。

これらを齟齬なく網羅できる解答こそが、おそらく正解なのだと思います。そして最も肝心なのが、どうして日本古代史を執拗にそのモチーフに使おうとするのか、それも時間の循環と重ねて、その辺の制作者側の真意なのです。


時越えて打ち寄す波の海原に何をか結ばん三島姫神
管理人 日月土

佐用姫伝説の地を訪ねる

つい先日、佐賀県は唐津市へと知人と共に史跡を回ってきました。今回の記事はその記憶がまだ鮮明な内にと、調査の記録を綴ったものです。

佐賀県と聞くと、特に目立つ産物もなく、九州で最も地味な県と認識されている方も多いと思いますが、歴史研究においては謎多き魅惑の土地でもあるのです。

その中でも佐賀県の北部、玄界灘に接している唐津は、史跡の宝庫である福岡県糸島市の西隣で、博多からも電車または車で1時間少々しか離れていません。ですから、ここから大都市である福岡市内に通勤されている方も居られるようです。

画像1:佐賀県唐津市の地理関係 (Googleマップより)

上の地図をご覧になれば分かるように、福岡同様、唐津は対馬や壹岐などの離島、そして朝鮮半島にも近く、どう考えてもここが歴史の舞台にならない訳がないのです。もっとも、唐津在住の知人は「こんなところ呼子(よぶこ)のイカと名護屋城くらいしかありませんよ」と謙遜されますが、それはまた、唐津の歴史的価値が未だに埋もれたままになっていることの裏返しであると私は思っています。

そんな知人が、「何か歴史的に重要なものはないか?」という私の問いに対して示してくださったのが、地元で良く聞かされていたという「鏡山(かがみやま)と佐用姫(さよひめ)伝説」だったのです。

佐用姫伝説についてはWikiペディアの「松浦佐用姫」に詳しいのですが、何でも日本三大伝説の一つとも言われる、昔から全国的に有名なお話なのだそうです。とは言っても、私の場合はその知人から話を聞くまでは何も知りませんでしたし、読者の皆様でもそういう方は多いでしょう。

伝承については、複数のバリエーションがあるようなのですが、まずはスタンダードな伝承スタイルとして、佐用姫伝説ゆかりの地でもある、唐津市呼子町の田島神社、その摂社である「佐與姫神社」の案内板から次の解説文を引用します。

               佐與姫神社

松浦佐與姫を祭るこの神社は、宣化天皇二年十月、大伴狹手彦(おおとものさでひこ)は勅命によリ、任那を援護することになり、京の都を発し、松浦国篠原の里に滞在した。

篠原村長者の娘佐與姫は心優しく狹手彦と相思の仲となった。いよいよ出航の時、別れを惜しみ後を慕い、領布振山 (ひれふりやま=鏡山のこと)に登り遙に船影を望んだ。更に松浦川を渡り沖合遠く走る帆影は小さく雲間に没して見えなくなった。

姫の悲嘆はますます募り、田島神社の神前に詣でて夫の安泰を祈念しながらも泣き続け息絶えて神石となられた。世に言う望夫石である。これをお祀りしたのが当社である。

豊臣秀吉より文禄二年百石の御朱印以来、徳川将軍家に引継がれた。その後佐與姫の想いがかない、狹手彦は無事帰国した。以後唐津城主の姫君などがお忍びで再三参拝され、良縁の御守を持ち帰られた “以来縁結びの守神として信仰厚く、男女の参拝は習俗となって現在も続いている。

以上が佐用姫伝説として知られている一般的なストーリーなのですが、この美しい恋愛譚が人の心を打つのか、昔から縁結びの神様として崇敬を集めていたようです。

しかしこのお話、元々の土地伝承(風土記)とはかなりの相違点があるようなのです。

画像2:加部島の佐與姫神社(9/28撮影)

■付け加えられた石化伝承

佐用姫伝説の相違点、これについては現地の郷土史研究家の岸川龍氏が分り易く論文まとめられているので、ここではそのURLをご紹介すると共に、その要約のみを簡単にお伝えしたいと思います。

 関連記事:鏡山と万葉 松浦佐用姫伝説考 

岸川氏が指摘する風土記と一般伝承の相違点は次の通りです

 相違点1:風土記の佐用姫は石にならない(石化)
 相違点2:風土記の佐用姫は蛇に連れ去られ絶命する(蛇婚)
 相違点3:風土記の佐用姫は「鏡」を川に落とす(鏡)

どうやら、佐用姫伝説が紹介された鎌倉時代の説話集に、佐用姫伝説と中国由来の「亡夫石」伝承が併記されていたため、話が融合して記憶されてしまっただけでなく、土地伝承に含まれる気味の悪い箇所が切り捨てられたのではないかと、岸川氏は推察しているのです。

また、同論文は佐用姫伝説を題材にした万葉集の7首を例に上げ、そこには「蛇婚」もなければ「鏡」もない、そして「石化」の表現すら見られず、単に男女別離の悲哀を歌っただけであることも指摘しています。

万葉集を含む全ての表現に共通しているのは、山の上から夫に向かって「領巾を振る」という佐用姫の律儀で切ない行動だけなのですが、これらを、時間の経過による伝承の変化と結論付けるには、少し気になる点も多いのです。

画像3:佐用姫が領巾を振ったとされる鏡山から唐津湾を望む(9/27撮影)

■佐用姫は巫女であった

先代旧事本紀には、十種神宝(とくさのかんだから)というと饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降りする際に、天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとする、皇統の証となる神宝について書かれた箇所があります。

この神宝の中には蛇比礼(おろちのひれ)・蜂比礼(はちのひれ)・品物之比礼(くさぐさのもののひれ)という3種の領巾(=比礼=ひれ)が含まれていますが、ここからも分かるように、領巾とは一種の神具であり、これを単純に「スカーフのようなもの」と解釈するとこの物語の解釈を誤ることになると私は思うのです。

また、領巾を振るとは明らかに何らかの呪(まじな)い事を意味しているのですが、文脈から素直に考えると、佐用姫の領巾振りは、夫の無事の帰還を願う祈りと捉えることができます。

しかし、ここで問題なのが、肥前風土記にある「鏡」の一節で、鏡が古代日本において特別な神宝及び神具であることを考慮すれば、これらの道具を携える佐用姫とは、ただの美しい豪族の姫ではないことに直ぐに気付かされるのです。

これらから、佐用姫が古代巫女(シャーマン)であった可能性は極めて高いと私は考えます。

また、一般伝承に「鏡」の伝承が抜け落ちてしまっているのに、どうして現在に残る佐用姫所縁の山が「領巾振山」と「鏡山」の二つ名であるのか、それは、巫女佐用姫の記憶が今でも強く残っているからと考えられないでしょうか?

画像4:鏡山展望台の松浦佐用姫像(9/27撮影)

すると、佐用姫と大伴狹手彦の関係、特に佐用姫の出身が唐津の山間部である厳木(きゅうらぎ)であることを考慮すると、海神族系の大伴氏との関係は奇妙であるばかりでなく、宣化天皇の一代前である継体天皇が大伴系の血筋であることも何か関連するように思えてくるのです。

大伴狹手彦の渡航から130年後には白村江の戦いが起きて日本は大敗北を喫するのですが、この新羅征伐が後の白村江に関わってくるのはもはや明白でしょう。この様に考え始めると、この伝承を巡る様々な当時の事情がもう一段深く見えてくるのですが、それらの考察については次回に持ち越したいと思います。


鏡山沼辺の小屋に湧き出づる人影隠れ蛇と現る
管理人 日月土