神の国と123便

こちらの「日本の黒い霧」では、日本の隠された歴史を、様々な視点より掘り下げ、日本という国の正体を明らかにしたいと考えています。日本はよく神の国と言われますが、その神の国の真実を追い求めるという意味でタイトルに「神」の字を当てました。

この目的達成の過程の中では、「天皇」という、日本国の概念的・精神的な在り方を規定する存在についても言及を避ける訳にはいきません。例えば、記紀の伝える日本神話や古代史に登場する天皇については、それを皇国史観による誇大妄想と捉えることは容易いのですが、何故それが宮崎に始まり奈良の大和朝廷と繋がる物語になったのか、その真の理由を問うことによって、どのように天皇が生まれてきたのか、その成立過程がより鮮明になるのではないかと考えております。

これまでの「日本の黒い霧」では、主として事件としての123便遭難を扱ってきましたが、こちらのブログでは、この事件を生むに至った背景となる「天皇」もしくは「日本成立史」の知られざる真実にフォーカスし、その根本原因を探って行く予定です。

歴史の見方について

歴史研究と言えばまず文献ですが、もっと大事なのは当時の地形と気象です。どちらも人の生活を左右する重要ファクターですが、それを現在見ている景色のまま延長して捉えると大きな間違いを生みます。

香取海 中世1600年代まで存在したと考えられる
黄色枠は現在も宗像神社が密集する地域

上図は中世までの千葉県北部、および茨城県南部に横たわった内海である「香取海(かとりのうみ)」の予想図ですが、現在の東京湾に匹敵するほどの広大な内海がこの地にあったのならば、当時の人の行き来や物の流通を現在の地形の延長で測ると大きな間違いを犯します。平将門の乱や鎌倉幕府誕生の背景は、本来ならば香取海、東京湾、相模湾などの海洋交通とその権益を無視しては語れないはずです。果たして歴史の教科書には香取海について何か書かれているでしょうか?

この香取海のさらに内湾である現在の印旛沼の周辺には、宗像神社が固まって鎮座している場所があります。これはすなわち、ある時期に九州北部の海洋族、宗像氏が海を伝って香取海の奥まで行き来していたことを意味しています。宗像氏族はなぜこの地に入ったのか、どのように関東の歴史に関ってきたのか、また逆に、宗像氏のルーツは本当に九州北部なのか等々の疑問が湧き起こります。

このように、地形一つで歴史の捉え方が大きく変わってきます。このブログでは、一般歴史書の他に、このような地理的考察や気象的考察を加味すると同時に、近代まで日本人の思考を支配していた呪術的論理を組み合わせ、太古の人々がどのように国内を動いていたのかを考えて行きたいと思います。もしかしたら、これまでの歴史解釈を大きく逸脱するかもしれませんが、それだけの根拠は極力示すことを方針とします。

宗像神社がその沿岸に密集する印旛の海は、「まあかたの海」と呼ばれていました。「まあかた」は後に「麻賀多」と表記され、現在この地域だけに分布する麻賀多神社としてその名残を留めています。「まあかた」の字並びは「たかあま」の逆さ読み、すなわち「高天(原)」の鏡写しとなっています。そして高天原山に連なる無名の尾根、後に御巣鷹の尾根と名付けられた地点こそが、123便が不幸な最後を遂げた運命の場所となるのです。

本サイトのURLとなった「maakata」はそこから命名しました。日本の神々の拠り所とならんことを意図したのですが、果たしてその思いは届くのでしょうか?

平成31年3月20日
管理人 日月土