方舟と獣の数字

今回に限っては、少しだけ触れて終わりにしようと思っていたアニメ分析ですが、この鹿の子アニメ(*)には思いの外多くの歴史的情報が埋め込まれていたので、まだ文字化ができていない点について今回もまた取り上げてみようと思います。

*タイトルは「しかのこのこのここしたんたん」

「いい加減にしろよ」と思われる読者さんも多いかと思いますが、あくまでもこれは「古代史分析」の一環であり、けっして酔狂でアニメについて語っている訳ではないので(本当です)、その点はご理解いただけますようお願いします。

■背振の山から見えたもの

実は1週間程前、現地の福岡県に飛んで、もう一度アニメに関係する土地を見てきました。具体的な行先は次になります。

画像1:脊振山気象レーダー観測所
画像2:気象レーダーの地図上の位置

気象レーダーは福岡県と佐賀県の県境となる背振山の尾根伝いの登山道上にあるのですが、レーダーまでは自動車が入れるように舗装されており(一般車両は不可)、県道から歩いておよそ30分くらいの所にあります。

私も現地に入ってから気付いたのですが、このポイントからは福岡県側に博多湾、そして佐賀県側は有明海はもちろん「鹿島と木嶋と方舟と」で取り上げた杵島までが見渡せるのです。

当日は少し霞んでいて写真では見にくいのですが、以上の重要ポイントをここから写真に収めました。

画像3:気象レーダーから見下ろした志賀島と能古島
画像4:気象レーダーから見下ろした佐賀の平野と杵島

志賀島と能古島は「志賀能古(しかのこ)=鹿の子」であり、志賀の神とはどうやら大船、すなわち「方舟」を指すだろうことは過去記事で述べた通りです。

また「杵島(きしま)」とは、古代シュメール語まで遡ればキッジュ(木)マァ(舟)で木舟であり、どうやらこれが「方舟」を指すことも、過去記事で既に述べています。

つまりこのレーダー観測所の位置は、方舟伝承に関わる2つの土地が同時に見下ろせる絶好のポイントであることが分かるのです。

これは私にとっても大きな発見で、わざわざここまで足を運んで良かったと思うだけでなく、古代史においてこの脊振の山々が、当時の信仰形態がどのようなものであったのか、それを理解する上で極めて重要な場所だという認識に至ったのです。

■虎虎虎

これまで鹿の子アニメの「鹿」について多くを考察してきましたが、このアニメには「虎」の文字を冠するキャラクターが準主役として登場していることを忘れてはなりません。

画像5:虎視姉妹

もうお気付きの様に、この二人合わせたキャラ名の中には「虎」の字が3回現れています。それを抜き出すと「虎虎虎(トラトラトラ)」となりますが、この「トラトラトラ」は第2次世界大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃する際に出された暗号文であることはつとに有名です。そう言えば同名タイトルの映画も作られていますよね。

それではどうして、真珠湾攻撃の暗号文がトラトラトラだったのか?そして、それがまた何でこのようなお気楽ギャグアニメの中に登場したのかが非常に気になります。

以下は私の考察なので合っているかどうかは分かりませんが、偶然と言うには余りにも意味的符牒が整っているので、参考までに紹介しておきましょう。

画像6:「トラ」をヲシテ文字で表記し、文字の構成要素を組み合わせる

以上のように、神代文字とも言われるヲシテ文字で「トラ」を表記し直すと、この音に隠された意味が見えてきます。そして、そこから見えてくるのは

 天地(の理)と六芒星、あるいはダビデの星

なのです。

これを意味的に日本語表現するならば

 天地(あめつち)の秘密(火水)

と読めなくもありません。

また、ここから「トラトラトラ」と「トラ」を3つ重ねた言葉に隠された意味の一つに3つの六芒星、すなわち

 666

があるだろうと考えられるのです。

ご存知の様に、666という数字は「獣の数字」として聖書の「ヨハネの黙示録」にも記述されています。

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

(ヨハネの黙示録 13章18節)

「鹿」からは「ノアの方舟」、そして「虎」からは「獣の数字666」、あくまでも日本古代史を扱っていたはずなのに、どちらも聖書の世界と繋がってしまうのです。一見能天気なお気楽アニメにしか見えないこの鹿の子アニメ、いったい何を企んでいるのでしょうか?

■七枝の線刻石

前回の記事「鹿と大船と祓祝詞」では、この鹿の子アニメの中で七枝のメノラー(古代ユダヤの7支の燭台)が描かれているとの指摘をしました。

画像7:アニメ中に描かれたメノラー

実はこのメノラー、日本国内の各地で見つかった線刻石や弥生式土器にも描かれていると言うのです。

画像8:下関市、彦島の線刻石(川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から)

古代言語の研究家、川崎真治さんによると、七枝の文様のルーツは聖書の時代を通り越してシュメール神話にまで遡ると推定されており、どうやらこれまで見てきた聖書と古代日本の奇妙な接点を理解する共通の鍵は、シュメール文明にあるようなのです。

シュメール神話に関する彫像で七枝樹が描かれる場面は、王「アン」と女王「キ」の間というのが定番のようなのですが、ここでやっと、アニメに登場した少女キャラクター(少女神の象徴)、すなわち皇后(=女王)とメノラーの関係性が見えてくるのです。

画像9:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹
女王の象徴は左端に描かれた蛇、王の象徴は牛角の冠

ここから先は私もまだ不勉強なのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが、このアニメの設定は、想像以上に深い歴史考証によって組み立てられているのが分るのです。


管理人 日月土

鹿と大船と祓祝詞

巷でちょっとだけ話題?にされていた鹿の子アニメ(※)を題材に取り上げて、なぜあれほどまで脈絡なしに「シカ」を強調するのか、その謎というか、原作サイドの隠された意図を、例によって日本古代史の文脈で掘り下げてみたところ、それが、

 方舟(はこぶね)

に辿り着いたことは、前回2回の記事でお伝えした通りです。

 関連記事:
 ・越と鹿乃子 
 ・鹿と方舟信仰 

 ※アニメタイトルは「しかのこのこのここしたんたん」です

残念ながらこのアニメ、先月で最終回を迎えたのですが、とにかく呪文のように怪しげなタイトルと奇妙な鹿の子ダンス、そして意味不明な設定で話を押しまくれるだけ押しまくって消えて行ってしまったようなのです。

ところが、その一見とっちらかって無茶苦茶なアニメも、整理してみると、非常によく計算された構造が見えて来たことは、上記過去記事でも述べています。

■鹿の子アニメの気になるシーン

さて、今回は同作品中の次の二つのカットを紹介しますが、どちらも、これまで本ブログで扱ってきた歴史的記号を象徴するものであると私は考えます。

画像1:鹿の角とバナナ
©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部(画像3も同様)

鹿の子の角の中にバナナが入っている?ギャグアニメだと言われればそれまでなのですが、これに関する解釈については、実は昨年1月の記事で既に取り扱っているのです。

「バナナ」をアラビア数字で音表現すると「877」となりますが、この数字にどんな意味があるかは、以下の説明画像を見ればお分かりになるかと思います

画像2:877の記号
大空のXXと少女神の暗号」から

「877」は古代の皇后、それも特殊な巫女能力と王権継承権を有した「少女神」の象徴と解釈したのですが、この鹿の子アニメは(真)ブログ記事「角娘の降臨」でも書いたように、とにかく「角のある少女」たちが複数登場しており、すなわち「少女神」を表す記号が満載なのです。

ですから、この「鹿の角とバナナ」という珍妙な組み合わせも、これが古代日本の女系王権のことを意図的に示すものだと捉えれば、この画が非常に重要な意味を含むものと捉え直すことができるのです。

画像3:鹿の角とメノラー

「鹿の子の角は頭ごと取り外せる」という、これもまたギャグアニメのなせるナンセンスの一つなのでしょうが、この画もまた歴史的には奇妙に一致するニュアンスを含んでいるのです。それが、頭部を含め七支の突起部を持つ鹿の子の角と、古代ユダヤ教のメノラーの形状が酷似していることなのです。

ここで、「少女神」と「ユダヤ」という奇妙な関連性が導かれるのです。これまで、この2つの事象が直接関連し合うとの考察は特に行ってきませんでしたが、このアニメの構造分析を通していよいよその接点が見えて来たように思えます。

この2つの古代史トピックを繋ぐのが、おそらく「方舟」なのでしょう。聖書によるとユダヤ人十二支族が誕生したのは、ノアの方舟から更に下ってアブラハムが登場して以降のことですから、方舟伝承の方がはるかに旧いと考えられるのです。

そのユダヤより旧い伝承が日本国内に残っている。ここで、「少女神」と「方舟」の間に何か関連性があるのならば、「少女神」は日本における古代ユダヤの登場よりも前から、この国に存在していたとも考えられるのです。

■大船と祓祝詞

聖書によれば、ノアの方舟は3層構造の大きな船であることが記述されています。つまり、「方舟」は「大船」と表現されてもおかしくないのですが、実はこの「大船」は神社の祓祝詞(はらえのりと)の中に出てきます。

祓祝詞は、6月の大祓(おおはらえ)の時に神社で聞くことのある祝詞ですが、その文面は神社によって多少異なるとしても、概ねその骨子は同じように思います。

祓祝詞として有名なのが中臣祓(なかとみのはらえ)で、次にそこから「大船」が出て来る場面を抜き出してみましょう。

 高天原(たかまのはら)に神留坐(かむづまりまし)ます
 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ))神漏美(かむろみ)
 の命(みこと)を以もちて 八百万(やほよろづ)の神等
 (かみたち)を 神集(へに集賜つど)へたまひ 神議
 (かむはかり)に議賜(はかりたまひ)て 我(あが)
 皇孫尊(すめみまのみこと)をば 豊葦原(とよあしはら)
 の水穂(みずほ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平
 (たひら)けく所知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し
 奉まつりき

 ・・・(中略)・・・

 如此(かく)所聞食(きこしめ)しては 罪(つみ)と云(い)
 ふ罪(つみ)は不在(あらじ)と 科戸(しなど)の風(かぜ)
 の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹放(ふきはな)つ事
 (こと)の如(ごと)く 朝(あした)の御霧(みきり)夕(ゆふ)
 べの御霧(みきり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹掃
 (ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)
 に居(を)る大船(おほふね)の舳(へ)解放(ときはな)ち艫
 (とも)解放(ときはな)ちて大海原(おほわだのはら)に
 押放(おしはなつ)事(こと)如ごとく

 ・・・(以下略)・・・

引用元:古今宗教研究所から

この祝詞では、罪や穢れが吹き流され清められる様を、大きな船が風を受けて大海にさっそうと乗り出す情景に例えて比喩的に表現されていると読めます。

私も「何でここで船なんだろうな?」と長らく疑問ではあったものの、祝詞全体の調子によく合っているのか、それ以上は特に疑問を感じることはありませんでした。

しかし、今回「鹿」(シカ)と「方舟」の関連性に気付いてから、この祝詞の捉え方が大きく変わったのです。そして、こう思うようになりました。

 日本は方舟伝承の当時国なのでは?

と。

大祓は元々6月と12月に朝廷で行われていた行事であり、それはすなわち、国家全体の罪や穢れを祓い清める儀式であることを意味している訳で、その国家的行事で奏上される文言の中にしっかりと遠い昔の「方舟」の記憶が盛り込まれているのですから。

繰り返しになりますが、聖書と日本書紀、中臣祓祝詞の方舟に関係するとされる箇所を比較すると

 聖書  : 3層構造の方舟
 日本書紀: 底・中・表の3人の海神(シカの祭神)→ 3層構造
 中臣祓 : 大船

となります。これがどう繋がるかは、前回・前々回の記事を参考にしてください。

■鹿の子アニメの狙いは?

鹿の子アニメを我慢して視聴し、古代史と照らし合わせながらここまで見てきましたが、この作品には思わぬ意図が隠れていることが分かって来ました。

読者の皆さんが関心を抱くのは、これまでの私の分析が仮に正しいとして、どうしてこのアニメを世に出して来たのかという点だと思います。

原案者の真意を正確に把握することは非常に難しいのですが、ある程度推測することは可能です。その真意を測る上で非常に大事なキーワードが実はこの「方舟」なのです。

そもそも方舟は何のために作られたのでしょうか?それを考えた時、このアニメを制作した側の狙いが朧気ながら見えてくるのです。

もう一つのヒントは、シカ(志賀)の神とは別名「穂高見命」(ほだかみのみこと)であることです。すると次のキャラクターが登場したあの有名アニメ映画が思い出されるのですが覚えておられるでしょうか?

画像4:右側の少年キャラは誰?

そして、この映画のラストシーンがどうであったのかをもう一度思い出すと、鹿の子アニメの真の狙いがこの映画のメッセージと同じであることに気が付くのです。


鹿は藤原光る君虎に翼の虎視眈々
管理人 日月土