誓約(うけい)の暗号

前回の記事「二人の姫を巡る探訪(その三)」の中で、千葉県旭市にある雷神社の主祭神が「天穂日命」(あめのほひのみこと)であることに触れました。

掲載直後に配送したメルマガの中では、アメノホヒが如何なる神、そして、現実人としては具体的に誰のことを指すのかを私なりに考察した結果をお知らせしています。

これを読み解くには、日本神話の有名なシーン、天照大神(あまてらすおおかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)の意味を、一種の暗号文として再解釈する必要があり、二柱の神が取り交わした約束事が具体的にどのような内容を指すのか、他の史書との比較の中でを改めて考察する必要があります。

今回はその点に注力してみましょう。

■誓約シーン(日本書紀)

日本神話の誓約と言っても、そもそも史書にどのように書かれているのかを知らないと話になりませんので、ここではまず、日本書紀の記述を考察の叩き台として引用したいと思います。

話の前段として、高天原(たかあまのはら)に登ってくる弟の素戔嗚を、何か良くない意図、例えば高天原を奪おうとしているのではないかと天照大神は警戒します。すっかり身構えた状況の中で、天照大神は素戔嗚にその用向きを伺うのですが、それに素戔嗚が答えるところから引用部分が始まります。

まずは前段とその訳文です。

 素戔嗚尊対へて日はく、「吾は元黒き心無し。但し
 父母已に厳しき勅有りて、永に根国に就りなむとす。
 如し姉と相見えずは、吾何ぞ能く敢へて去らむ。是
 を以て、雲霧を跋渉み、遠くより来参つ。意はず、
 阿姉翻りて起厳顔りたまはむといふことを」とのた
 まふ。時に、天照大神、復問ひて日はく、「若し然
 らば、将に何を以てか爾が赤き心を明さむ」とのた
 まふ。対へて日はく、「請ふ、姉と共に誓はむ。(夫
 れ誓約の中に、誓約之中、此をば宇気譬能美儺箇と云
 ふ。)必ず当に子を生むべし。如し吾が所生めらむ、
 是女ならば、濁き心有りと以為せ。若し是男ならば、
 清き心有りと以為せ」とのたまふ。是に、天照大神、
 乃ち素戔嗚尊の十握剣を索ひ取りて、打ち折りて三段
 に為して天真名井に濯ぎて、𪗾然に咀嚼みて、(𪗾然咀
 嚼、此をば佐我弥爾加武と云ふ。)吹き棄つる気噴の
 狭霧吹棄気噴之狭霧、(此をば浮枳于都屢伊浮岐能佐擬
 理と云ふ。)に生まるる神を、号けて田心姫と日す。次
 に湍津姫。次に市杵嶋姫。凡て三の女ます。

 岩波文庫 日本書紀(一) 神代上

 素戔嗚尊が答えていわれるのに、「私ははじめから汚い
 心はありませぬ。ただすでに父母の厳命があって、まっ
 すぐ根の国に行くつもりです。ただ姉上にお目にかかり
 たかっただけです。それで雲霧を踏み分けて、遠くから
 やってきました。思いがけないことです。姉上の厳しい
 お顔にお会いするとは」と。

 すると天照大神がまた尋ねられ、「もしそれなら、お前
 の赤い心を何で証明するのか」と。答えていわれる。
 「どうか姉上と共に誓約しましよう。誓約の中に、必ず
 子を生むことを入れましょう。もし私の生んだのが女だっ
 たら、汚い心があると思って下さい。もし男だったら清
 い心であるとして下さい」と。

 そこで天照大神は、素戔鳴尊の十握の剣を借りて三つに
 折って、天の真名井で振りすすいで、カリガリと噛んで
 吹き出し、そのこまかい霧から生まれ出た神を、名づけ
 て田心姫(たごりひめ)といった。次に湍津姫(たぎつひ
 め)。次に市杵嶋姫(いつきしまひめ)。皆で三柱の神であ
 る

 講談社学術文庫 日本書紀(上) 宇治谷孟訳

素戔嗚の提案とは、「お互いの持ち物を交換し、それを噛み砕いて生まれた子の性別で自身の潔白さを証明してみましょう」という、何とも奇妙なものですが、神話にしてしまえば、そんな奇天烈な話であろうと何でもありということでしょうか。私が関心があるのは、字面そのものの意味ではなく、このような言葉の応酬を通して、書紀編集者がどのような符号を紛れ込ませているのか、まさにそこなのです。

なお、田心姫、湍津姫、市杵嶋姫は宗像三女伸として広く知られている神様なのはご存じの方も多いでしょう。

続いて後段部分です。

 既にして素戔鳴尊、天照大神の髻鬘及び腕に纏かせる、
 八坂瓊の五百箇の御統を乞ひ取りて、天真名井に濯ぎ
 て、𪗾然に咀嚼みて、吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる
 神を号けまつりて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と日す。次
 に天穂日命。是出雲臣・土師連等が祖なり。次に天津彦
 根命。これ凡川内値・山代直等が祖なり。次に活津彦根
 命。次に熊野櫲樟日命。凡て五の男ます。是の時に、天
 照大神、勅して日はく、「其の物根を原ぬれば、八坂瓊
 の五百箇の御統は、是吾が物なり。故、彼の五の男神は、
 悉に是吾が児なり」とのたまひて、乃ち取りて子養した
 まふ。又勅して日はく、「其の十握剣は、是素戔嗚尊の
 物なり。故、此の三の女神は、悉に是爾が児なり」との
 たまひて、便ち素戔鳴尊に授けたまふ。此則ち、筑紫の
 胸肩君等が祭る神、是なり。

 岩波文庫 日本書紀 神代(上)より

 素戔嗚尊は、天照大神がみずらと腕に巻いておられた、
 八坂瓊(やさかに)の五百箇(いおつ)の御統(みすまる)を
 乞われて、天の真名井で振りすすぎ、カリカリ噛んで噴
 き出し、そのこまかい霧から生まれた神を、名付けて正
 哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまの
 おしほみみのみこと)という。次に天穂日命(あまのほひの
 みこと) ーこれは出雲土師連の先祖であるー 次に天津彦
 根命(あまつひこねのみこと) ーこれは凡川内直・山代直
 らの先祖であるー 次に活津彦根命(いくつひこねのみこ
 と)。次に熊野櫲樟日命(くまののくすびのみこと)。皆で
 五柱の男神である。このとき天照大神がおっしゃるのに、
 「その元を尋ねれば、八坂瓊の五百箇の御統は私の物であ
 る。だからこの五柱の男神は全部私の子である」と。そこ
 で引取って養われた。またいわれるのに、「その十握の剣
 は、素戔鳴尊のものである。だからこの三柱の神はことご
 とくお前の子である」と。そして素戔嗚尊に授けられた。
 これが筑紫の胸肩君らがまつる神である。

 講談社学術文庫 日本書紀(上) 宇治谷孟訳

素戔嗚は「自分が生み出した子が男だったら自分は潔白である」と言ってたのですから、天照大神の御統(みすまる)を噛み砕いて見事に5人の男神を誕生せしめたことで、この誓約は成立したことになります。

ここで、新たに誕生した3人の女神、5人の男神の名前と、誕生の経緯を改めて図に落としてみましょう。と思ったら、Wikiにちょうど意図した図解が掲載されていたので、ここではそれを引用したいと思います。

なお、Wikiの場合は日本書紀ではなく古事記を元に作図してあるようですが、大きな違いは見当たらないので、そのままを掲載したいと思います。

画像1:誓約の関係図(Wikiペディア)

■アメノホヒとは誰か

さて、ここでいよいよ登場するのが、冒頭で紹介した雷神社の主祭神であるアメノホヒ(天穂日)なのです。この神様は記紀の中ではここでしか登場しないのですが、アメノホビの前に生まれたオシホミミ(忍穂耳)は、秀真伝の中では、男性王アマテルカミ(本来の天照大神か?)の次の王として登場しているのです。

しかも、図1では玉と簡略化されている「御統(みすまる)の玉」ですが、そもそも御統とはその字の示す通り

 王統

を表すものなのです。要するに、玉に穴を空け紐で繋げる形状が、歴代の王が脈々と続いていく様を表していると見立てられているのです。

秀真伝では、オシホミミは神話の神ではなく、古代に実在した王として書かれており、当然ながら御統(=王統)の一つと表現されるにふさわしいのですが、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、そしてクマノクスビが天照級の格上の神や歴代王として記紀や秀真に書かれた形跡はありません。

但し、「御統」と称された神様が記紀中に他にも存在しているのです。それは書紀の神代上に記述された次の歌を見れば一目瞭然です。

  あもなるや おとたなばたの うながせる 
  たまのみすまるの あなだまはや 
  みたにふたわたらす あぢすきたかひこね

これは神話の神アヂスキタカヒコネに向けて詠まれた歌で、「玉の御統」とはっきり表現されている上に「みたにふたわたらす」と幾つもの谷をまたいで栄光をとどろかすと、実に最大級の賛辞が贈られているのです。

本ブログを何年も読み続けられている読者ならば、アヂスキタカヒコネが別の神名の別称であることを覚えておられるかもしれません。それは

 火明命(ほのあかりのみこと)

なのです。

ホノアカリとは、秀真伝ではオシホミミの次に即位する王なのですが、面倒なことに、オシホミミの次の王にはニニキネ(=瓊瓊杵尊:ににぎのみこと)も即位しており、ここに

 二王朝並立時代

が生まれたとされています。

画像2:二王朝時代への変遷(秀真伝)

もちろん、記紀にはホノアカリ王朝があったなどとは書かれておらず、私の分析では、この王は名前を幾つも変えられて、色々な場面で登場します。以下にその名前を書き出してみると

 アヂスキタカヒコネ
 アメワカヒコ
 サルタヒコ

となり、サルタヒコ(猿田彦)はニニキネ(瓊瓊杵)の天孫降臨を案内した神としてよく知られていますが、別称のアヂスキタカヒコネは前述のように最大級の賛辞を受けた神、アメワカヒコは返し矢に討たれて死んだ、アヂスキタカヒコネのそっくりさんとしてエピソード的に記紀には記述されています。

つまり、非常に重要な王でありながら、日本の正史とされる記紀からはその名前が殆ど除外されてしまった古代王であったと考えられるのです。

すると、この誓約の場面で素戔嗚によって噛み砕かれた御統の玉から「オシホミミの次」に生まれた男神、すなわち男性王「アメノホヒ」とは

 ホノアカリ(火明命)

あるいは、サルタヒコ(猿田彦)を指していると窺い知れるのです。

ここで、前回の記事に掲載した以下の地図を再度見ていただきたいのですが、雷神社と猿田神社が高台の上に互いに近く建てられているのがお分かりになるでしょう。

画像2:雷神社(主祭神:天穂日)と猿田神社(主祭神:猿田彦)

何てことはありません、神名は違えど、どちらの神社もホノアカリ王(火明命)が本来の祀る対象なのですから。そして、この地図に描かれた同地一帯が正史から名を消された王朝、火明王朝と非常に縁が深い土地であることも、ここから見えてくるのです。

* * *

今回はここまでとしますが、画像1の誓約のチャート図をよく見ると、他にも正史から消された古代史の秘密が浮かび上がってきます。なるほど、昔の人は良く考えたものだな、「事実を語らずして語るのが神話である」と一人で合点しているのですが、次回以降も、誓約についてその分析結果を提示して行きましょう。


管理人 日月土

世界の中の素戔嗚伝承

前々回の記事「素戔嗚と牛頭天皇」では、日本神話の三貴子の一人で、なお且つ神話のヒーロー的存在である素戔嗚(すさのお)が、仏教説話に登場する牛頭天皇(ごずてんのう)と同一視されているというお話をしました。

そして、日本書紀の一書の中に、素戔嗚が新羅(しらぎ)の「曾尸茂梨」(そしもり)と言う土地に降り立ち、その「ソシモリ」という言葉が韓国語で

 牛頭

を意味するという点を指摘しました。

■神農と牛頭

炎帝神農(えんていしんのう)とは、古代中国の「殷」(いん)や「夏」(か)の時代より前の三皇五帝時代の統治者の一人と伝えられている人物で、様々な説はあるものの、一般には医薬と農業の神として知られています。

日本でも、大阪の他東京の湯島聖堂に神農廟があり、毎年11月23日の新嘗祭と同じ日に「神農祭」というお祭が行われているようです。

さて、その神農ですが、Wikiペディアによるとその風貌について次のように書かれています。

伝説では炎帝と黄帝は異母兄弟であり、『国語』には、
炎帝は少典氏が娶った有蟜氏の子で、共に関中を流れ
る姜水で生まれた炎帝が姜姓を、姫水で生まれた黄帝
が姫姓を名乗ったとある。

また『帝王世紀』には、神農は、母が華陽に遊覧の際、
龍の首が現れ、感応して妊娠し姜水で産まれ、体は人間
だが頭は牛の姿であった。火の徳(木の次は火であるこ
と、南方に在位すること、夏を治めること)を持ってい
たので炎帝とも呼ぶ。とある。

Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%BE%B2

この「頭は牛の姿」という下りはまさに「牛頭」そのものなのですが、高句麗(現在の北朝鮮)の言葉では神農のことを

 スサ

と呼ぶらしいので、ここでも牛頭天皇と素戔嗚の間に見られた関係が古代の言葉を通して繋がってくるのです。

画像1:神農図(伝楊月筆、16世紀、東京国立博物館)

上の画像では、頭に瘤にも見える牛の様な角を生やした、草を食みつつ薬草になるかどうかを試している神農の姿(想像図)が描かれています。

この極めて特徴的な「牛の頭」というキーワードを用いて、これまで出てきた人物の呼び名を並べると

 神農(中国)
 スサ (高句麗)
 ソシモリ(新羅)
 素戔嗚(日本)
 牛頭天皇(中央アジア?)

となり、これらは同じ一人の人物(あるいは神)を指すのではないかと考えると、牛の頭の王(あるいは皇・帝)とは、アジア地域に広く行き渡っていた一人の偉大な王の伝承を表しているのではないかと考えられるのです。

しかし、やはりここで忘れてならないのは、次のシュメール文明の円筒印象に見られるデザインなのです。

画像2:王(牛頭)と女王(蛇)の象徴

牛頭の王が各国伝承それぞれの共通のシンボルであるならば、その範囲は東端の日本から始まり、朝鮮半島、東アジア・中央アジアを通り越して西アジアのチグリス・ユーフラテス川流域(シュメール文明の地)にまで及ぶことになるのです。

古代期文明の広がりをそのように捉えると、素戔嗚はもはや日本国内だけのローカルな神話的ヒーローに留まらなくなってくるのです。

■東京で見つかったシュメールの象徴

歴史言語学を研究されている川崎真治さんの著書「日本最古の文字と女神画像」(1988 六興出版)の中では、次の様な文様が刻まれた線刻石が東京の町田市で見つかったとの報告が書かれています。

画像3:町田市綾部原で見つかった線刻石(同書 p152)

画像の中に書き込んでいますが、牛頭と蛇のペアであること、七枝樹の枝の数である3(王)、2または4(女王)までもが画像2のシュメールの紋章と構図がそっくり同じなのです。

これまで、日本古代史の分析作業はあくまでも記紀やその他の史書、漢書等の記述に頼ってきましたが、ここまで明確な類似点を見せつけられると、分析手法について再考する必要が出てきました。

神話ヒーローの素戔嗚がいったいどのような王であったのか、そして古代世界がどのようなものであったのか、新たな実像が見えて来そうです。

■多摩川流域の遺跡地帯

前節の線刻石は町田市で見つかったものですが、町田市は丘陵部が多く石器時代からの遺跡が数多く見つかっている土地でもあります。

画像4:顔面把手(縄文時代中期)
町田デジタルミュージアムから

そこと、前回の記事「ソシと祖師と世田谷事件」でお伝えした世田谷区の祖師谷とは直線距離で10km程度しか離れていません。そして2つの場所の間には多摩川が流れており、まさに古代人が好んで居住しそうな条件が揃っています。

画像5:町田と世田谷

祖師谷の祖師(そし)とはソシモリのソシ、すなわち素戔嗚と何か関係があるのではないかとしましたが、それほど離れていない町田で「牛頭と蛇」の文様が見つかったということは、言葉の類似性に加えて物的にもに説得力が増したように感じられます。

東京と言えば大都会で、古代遺跡と関係なさそうですが、これまでの現地調査では、多摩川周辺、例えば川崎や大田区などにも、多くの古代の痕跡が残っているのを確認しています。

どうやら、東京からもう一度古代史を見直す必要がありそうです。


管理人 日月土

素戔嗚と牛頭天皇

今回からは日本神話における主役級の登場人物(神話的には神)である素戔嗚(すさのお)について取り上げたいと思います。

あまりにもよく知られた名前なので、わざわざ私がここで背景を説明する必要があるのかどうか迷いましたが、これから説明を進めて行く上で必要なことと判断したので、非常に簡単にですが、まずはそこから述べて行きたいと思います。

日本神話は良く知っているという読者様には少々退屈な回になるかもしれませんので、既にご存知だと思われる箇所は読み飛ばしていただいて結構です。

■神話に登場する3貴子

日本神話と言えば、最も有名なのは天照大神(あまてらすおおかみ)なのは言うまでもないでしょう。神話に疎い方でもその名を聞いたことくらいはあるのではないかと思います。加えて、天照大神と言えば女性(女神)であることもご存知ではないかと思います。

そして、天照大神には2人の兄弟が居て、一人は月夜見尊(つくよみのみこと)、もう一人が素戔嗚尊(すさのおのみこと)と呼ばれています。

一般的には月夜見尊は男性であると見なされていますが、正直なところ、神話における記述は極めて少なく、性別ははっきりしていません。ここではとりあえず男性であると見なします。

この

 天照大神(女神)
 月夜見尊(男神)
 素戔嗚尊(男神)

の3名は、この世を治めるとされる重要な3神で、3貴子(きし)などと呼ばれています。

書紀本文における神話では、この3貴子は、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が、国土をこの世に現した後、この国を治める神として生み出したとあります。それぞれ分担するのは

 天照大神 → 天上(あめのうえ)
 月夜見尊 → 日に配(なら)ぶ
 素戔嗚尊 → 根の国

と書紀本文にはありますが、統治分については書紀の一書によっては記述が異なる複数のケースが見られ、さらに言うなら古事記では

 天照大神 → 高天原(たかあまのはら)
 月夜見尊 → 夜の食(おす)国
 素戔嗚尊 → 海原

となるなど、かなりバラつきが見られるのです。

なお、3貴子の誕生譚については、書紀の一書第六では伊弉諾が黄泉の国から戻った後、水の中で禊(みそぎ)をしている時に、伊弉諾の身体の一部から生まれ出たとあります。

 左目 → 天照大神
 右目 → 月夜見尊
 鼻  → 素戔嗚尊

いずれにせよ荒唐無稽な話なのですが、だからと言ってこれらの記述に全く意味がないと言うことでもなく、記紀編纂者はこの記述を通して何を伝えようとしているのか、そこを押さえることに意義が感じられるのです。

■素戔嗚の描写1(日本書紀)

それではこの世に誕生した素戔嗚が、その後どのように書かれているのか、それを簡単に箇条書きにすると次の様になります。

 ・母(イザナミ)が居る黄泉の国へ行きたがった
 ・姉の天照大神と誓約を交わす
 ・神々の不興を買う乱暴狼藉の数々
   高天原の田畑をきちんと手入れしない
   (畑に馬を放す、水路を壊す、間違った種まき)
   新米収穫祭の神聖な場所に大を排泄
   馬を機小屋の天井を破って投げ入れる
 ・天照大神を怒らせて岩戸に隠れさせていまう
 ・罪を咎められ、神々に高天原を追放されてしまう。
 ・地上で八股大蛇を退治して奇稲田姫を娶る

以上、こんな所かという点を書き出しましたが、この中にはご存知のストーリーも多いかと思います。要するに、素戔嗚とは子供の時から手が付けられず、天照大神をはじめ、周囲の神々に迷惑をかける困った存在のように描かれています。

ところが、高天原を追い出され地上に降りると、人の娘を食らう八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して奇稲田姫(くしいなだひめ)を娶り、諸説あるものの、その子孫が大国主(おおくにぬし)に始まる出雲国の祖となるなど、一転、神話のヒーロー的な扱いに描写が変わります。

画像1:素戔嗚と八岐大蛇

ここまでが一般的な素戔嗚のイメージなのですが、この何とも幅の広い性格と活躍の描写から、神話に登場する神々の中でも、天照大神と同等以上に存在感の大きい神であることが分かるのです。

そして、一連のストーリーの中で私が特に注目しているのが、八岐大蛇の身体の中から出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)を天照大神に献上して、それが現在に至る天皇家の三種の神器の一つとなったという下りです。

ここまで大袈裟に脚色された神話と、天皇家に絡む現実性のある記述、これらの基となった歴史的事実とはいったい何であったのか?昔の史書編纂者はこの伝承によって歴史の何を伝えようとしたのでしょうか?

■素戔嗚の描写2(秀真伝)

以上は記紀に描かれた素戔嗚の基本的なイメージですが、これが神話ではなく史実的に描かれた秀真伝(ほつまつたえ)になるといささかそのイメージが変わります。

秀真伝研究家の池田満さんの分析によると、素戔嗚とは次の様な「人物」として描かれていると言います。

 ・ソサノオ(素戔嗚)は4兄妹の三男
 ・甘やかされて我儘に育った(のだろう)
 ・高天原から遠く離れた根の国を治めるよう派遣される
 ・優秀な兄アマテルカミ(天照大神)の日影的なポジション
 ・アマテルカミの妃(モチコ・ハヤコ)にそそのかされ高天原に反乱
 ・死刑は免れたが罰を受け毛と爪を抜かれる
 ・改心し妃を娶ろうとするも候補が次々と殺されてしまう(計8人)
 ・妃候補の暗殺者を排除する
 ・イナダヒメ(奇稲田姫)を娶り根の国の統治者となる

兄のアマテルカミ(天照大神)が女性ではなく男性だという点がそもそも記紀神話と大きく異なるのですが、テーマから外れるのでここではそれについて議論しません。

また、「根の国」というのは現在で言う「出雲」のことで、この点は記紀とも矛盾がないようです。

王位の跡目争いで、長子の母である王妃(複数居る)がソサノオに中央政府(高天原)への反乱をそそのかしたという下りは、何だか安っぽい歴史ドラマを観ているようでもありますが、人間社会とは昔も今もそんなものなのかもしれません。

秀真伝の記述で注目なのは、八岐大蛇の「八」という数字にどのような意味が込められているのか理解できるという点です。確かに、イナダヒメの前の8人の娘は大蛇に食われてしまうのですから、8人の娘(妃候補)の殺害という史実を敢えて婉曲表現したものであるという解釈は意外と的を射ているとも言えるのです。

■天津神と国津神

記紀神話における、天照大神に抗い神々に嫌われ追放される素戔嗚、秀真伝においては中央政府(高天原)に反乱を仕掛ける素戔嗚。当然ここには2局の対立関係が見られるのですが、これを

 天津神(あまつかみ)vs 国津神(くにつかみ)

と見立て、天津神を現天皇家に繋がる大陸からの侵入者民族、そして国津神を日本土着の民族、出雲の一族とし、古代期に入植してきた侵入者民族に徐々に屈服させられた姿なのではないかという見方もあります。

特に、八岐大蛇の身体から出てきた草薙剣を高天原の天照大神に献上したなどという描写は、国の統治権を「侵略者側に手渡した姿」と取れなくもありません。

しかし、高天原が存在していたと比定される地は現在の関東地方にあり、縄文遺跡が東日本に広く分布している現実を見れば、地勢的にはむしろ高天原中央政府の方が、日本土着の一派であったと見なせるのです。

どうやら、単純に「天津神 vs 国津神」と二元対立的な視点で古代史を見ていては、正確な理解を誤ってしまいそうです。

この古代史解釈の混乱に光を当てるのが、素戔嗚神話の正確な解釈ではないかと私は思うのです。

■牛頭天皇とソシモリ

過去行われた日本の神々と仏神のいわゆる神仏習合で、素戔嗚は牛頭天皇と同一視されるようになります。牛頭天皇については、Wikiに次のように書かれています。

 釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。
 蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の
 垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。

 (中略)

 『祇園牛頭天王御縁起』によれば、本地仏は
 東方浄瑠璃世界(東方の浄土)の教主薬師如来で
 あるが、かれは12の大願を発し、須彌山中腹にあ
 る「豊饒国」(日本のことか)の武答天王の一人
 息子として垂迹し、姿をあらわした。

 太子は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛の頭
 をもち、また、3尺の赤い角もあった。太子は王位を
 継承して牛頭天王を名乗るが、后を迎えようとする
 ものの、その姿形の怖ろしさのために近寄ろうとす
 る女人さえいない。牛頭天王は酒びたりの毎日を送
 るようになった。

 3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩
 りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩があらわれた。
 山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む
 沙掲羅龍王(八大龍王)の娘のもとへ案内すると言
 う。牛頭天王は娘を娶りに出かける。

 旅の途次、長者である弟の古單將來に宿所を求めた
 が、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。そ
 れに対し、貧乏な兄の蘇民將來は歓待して宿を貸し、
 粟飯を振舞った。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王
 は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民に授け、の
 ちに蘇民は富貴の人となった。

 龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女の頗梨采女
 を娶り、8年をそこで過ごす間に七男一女の王子
 (八王子)をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王
 は八万四千の眷属を差向け、古単への復讐を図った。
 古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわ
 たって読誦させたが、法師のひとりが居眠りしたた
 めに失敗し、古単の眷属五千余はことごとく蹴り殺
 されたという。

 この殺戮のなかで、牛頭天王は古単の妻だけを蘇民
 将来の娘であるために助命して、「茅の輪をつくっ
 て、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との
 護符を付ければ、末代までも災難を逃れることがで
 きる」と除災の法を教示した。

Wikipedia「牛頭天皇」から

関西地区に行くと、現在でも「蘇民将来」と書かれたの護符を災厄除けのお守りとして大事に扱う家が多いように見られますが、この大陸伝来の話とされる説話が素戔嗚とどのように繋がるのでしょうか?

実は、日本書紀一書第4に次のような下りがあります。

 一書に曰く、素戔鳴尊の所業無状(しわざあづきな)し。
 故、諸(もろもろの)の神(かみたち)、科(おほ)するに
 千座置戸(ちくらおきと)を以てし、遂に逐(やら)ふ。
 是の時にヽ素戔嗚尊ヽ其の子(みこ)五十猛神(いそたけ
 るのかみ)を師ゐて、新羅国(しらきのくに)に降到(あま
 くだ)りまして、曾尸茂梨(そしもり)の処(ところ)に居
 (ま)します。乃ち興言(ことあげ)して日はく、「此の地
 は吾(われ)居(を)らまく欲(ほり)せじ」とのたまひて、
 遂に埴土(はに)を以て舟に作りて、乗りて東(ひむがしの
 かた)に渡りて、出雲国の簸(ひ)の川上に所在(あ)る、
 鳥上(とりかみ)の峯(たけ)に到る。

岩波文庫 日本書紀(一) 第1巻

ここに登場する曾尸茂梨(そしもり)とは、現代韓国語で次のように記述できてしまうのです。

 소씨머리 = 牛の頭

ここに、素戔嗚と牛頭天皇、そして朝鮮半島の古代国家「新羅」との関係性が僅かに認められるのですが、それはどのようなものなのでしょうか?

そもそも「すさのお」という呼び名は「そさのお」が正しいという説もあり、確かに秀真伝では「ソサノオ」と「ソ」の字で呼んでいます。「ソ」とは「소」であり、「소」が意味するのは「牛」のことなのです。

そして、この「牛の頭」というキーワードは、次のシュメール文明の石板とも関連性が見出せるのです。

画像2:シュメールの石板に表現された王(牛頭)と女王(蛇)の象徴

素戔嗚と奇稲田姫が出会うのは、大蛇を介してのことであり、ここにシュメール文明における王の象徴である「牛の頭」と女王の象徴である「蛇」が同じように登場してくるのです。

この2つの古代ストーリーに共通して現れる象徴を、果たしてどのように解釈すればよいのでしょうか?


八雲立つ出雲八重垣妻籠に 八重垣作るその八重垣を
管理人 日月土