二人の姫を巡る探訪(その一)

前回の記事「二人の姫犬吠埼」では、アニメ映画「千と千尋の神隠し」の舞台モデル地の一つと思われる千葉県東総地区(銚子市・香取市・旭市・東庄町)に、豊玉姫・玉依姫など、神話の中の龍宮城伝説に関わる神様を祀る神社が比較的多く見られることを指摘しました。

繰り返しになりますが、この映画の主人公「千尋」と脇役「リン」がモデルとしている日本神話上の登場人物(あるいは神)は、これまでの分析から次のような関係であることが分かっています。

 千尋 = 豊玉姫 = タクハタチヂヒメ
 リン = 玉依姫 = アメノウズメ

そして、二人が住み込みで働く「油屋」とは、神話に記述された「龍宮城」をモチーフにしているところまで見えて来たのです。

前回は、あくまでもネット上の検索から神社の当りを付けただけですが、そのままでは少々気持ち悪いので、記事で取り上げた以下の神社を実際に訪ねてみることにしました。今回はその時のレポートとなります。

今回の記事対象となる神社
 ・編玉神社 
 ・豊玉姫神社

次回以降
 ・東大社  
 ・渡海神社 
 ・海津見神社
 ・雷神社
 ・仁玉姫神社
 ・二玉姫神社

■編玉神社

5月の下旬、まず最初に訪れたのは千葉県香取市阿玉台に鎮座する「編玉神社」です。この辺りは大地と低地が複雑に入り組んでおり、その複雑に入り組んだ高低差はやはり現地を訪れてみなければ分かりません。

古代期において、地形は神社や古墳の設置場所を決める重要な要素ですから、最近はそこの地形を見るだけ、古墳や神社、貝塚などの遺跡がそこにあるだろうと少し想像が付くようになってきました。

実際、編玉神社の近くには阿玉台貝塚、少し離れた豊玉姫神社には良文貝塚が見つかっており、後者の場合は地名も「貝塚」ですから、そこが古代から人が多く住み着いた土地であることを物語っています。

画像1:編玉神社

編玉神社は関東地方の農村ならどこにでもありそうな神社ですが、ここで目を惹いたのは、それが低地を見下ろす高台にあることです。

以前お伝えしたように、現在水田になっている利根川南岸の低地部は、かつて存在した香取海(かとりのうみ)の一部であり、ここに宮が設けられた当初は海を見下ろすように配置され、海上からは航行の目印としてこの宮が見えたのではないかと想像されます。

おそらく、このお宮の下にはここの集落の船着き場があったのではないかと考えられ、同時に、この周辺に多くの貝塚が見つかっていることから、かなり大人数の集落がこの旧海岸線に沿って形成されていたのでしょう。

画像2-1:神社前の道路から見下ろした水田(旧香取海)
画像2-2:推定される旧地形

もう一つ意外だったのが、事前の調べではこの神社の旧名が「編玉豊玉姫神社」で祭神も文字通り「豊玉姫」だと見当を付けていたにも拘わらず、現地の案内表示では祭神は次の三柱であると謳われていたことです。

 天津日高日子穂々出見尊(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)
 大巳貴命(オオナムチノミコト)
 少彦名命(スクナヒコナノミコト)

これだけ見ると龍宮城の姫神と関係ないように見えますが、日子穂々出見尊とは彦火火出見尊の別表記であり、これまでの分析から

 彦火火出見 = 賀茂建角身 = 八咫烏 = 三嶋神

であることが分かっていますし、彦火火出見の皇后は豊玉姫・玉依姫ですから、その意味では、龍宮城関係者と言えないこともありません。

それよりも、意外なのは大巳貴命(=大国主命)と少彦名なるいわゆる出雲系の神々が併記されていることであり、その時の社会的な状況により扱う祭神名が変わることはあったとしても、どうして出雲系の神々が合祀されているのかについては少し首を傾げてしまいます。

この神社の社伝や地域の伝承を詳しく調べた訳ではないので、歴史的変遷については分かったように言えませんが、次に調べる時の留意点として覚えておきたいと思います。

画像3:編玉神社案内表示

案内表示の記述が正しいとすれば、勧請は第12代景行天皇の頃で、実は豊玉姫・玉依姫の時代からは200年位後になると推計されます。

時代的な隔絶を考慮すれば、龍宮城の神々と日本武尊の東征の間には特に関連性があるとは思えませんが、そもそも日本武尊がどうして東を目指して来たのかと考えた時、一般的には朝廷に逆らう東国の蛮族を征伐するためと言われていますが、何度も書いてるように、千葉県北部から茨城県南部の旧香取海沿岸は、神話に登場する高天原(たかあまはら)が実在していた土地と考えられ、そうなると、「東国の蛮族」という捉え方自体がそもそも誤った解釈だとも考えられるのです。

こうなると、龍宮城の神々の存在と日本武尊の東国遠征の間に何かしらの関係があるとも言えるのですが、これについてはまた別に考察してみたいと思います。

■豊玉姫神社

編玉神社から自動車で数分移動した所に豊玉姫神社は鎮座しています。直線距離だと2kmに届かない位でしょうか。

ここも編玉神社と同じく、低地(旧香取海)を望む高台に位置しており、おそらく元々は香取海の海上航行と深く関わる場所であったと考えられます。

画像4:豊玉姫神社

こちらも、地方でよく見かける風の神社なのですが、さすがに社名に「豊玉姫」なる現皇室の始祖にも繋がる神名を冠しているだけに、神紋には元々皇室専用であった五三桐紋と十六菊花紋の両方が使われているのには目を見張りました。

画像5:豊玉姫神社の神紋
(逆光で見辛い点はご容赦ください)

この神社についてはもっと詳しく調べる必要があるなと思いましたが、案内板によると、やはりこの神社も創建に日本武尊が関わっていることが記されています。

画像6:豊玉姫神社案内表示

そして注目なのが4月8日の例祭に関する記述で、そこには

 二十年毎に東大社、雷神社と共に銚子市戸川浜
 まで御神幸し大祭を挙行する

とありますが、その例祭の様式にどのような意味が込められているのか非常に興味が惹かれるところです。そして、東大社・雷神社の両方だけでなく、外川浜のすぐ傍にある渡海神社も今回の現地調査の対象であり、今回の二人の姫を巡る探訪が、偶然にもここで何かしらの歴史的意味を持つことを直感したのです。

* * *

今回はこの2社までのレポートとしますが、日本武尊と豊玉姫の関係がやはり気になります。どうして、日本武尊は悪天候時の無事を祈った海神(わたつみ)の神ではなく、その娘とされる豊玉姫を祭神としたのか、その謂われの意味するものが非常に気になるのです。


管理人 日月土

二人の姫と犬吠埼

前回の記事「『千と千尋の神隠し』と龍宮城」では、このアニメ映画で表現されていた「油屋」が、日本神話に登場する龍宮城をモデルにデザインされたのではないか、そして龍宮城の姫神として登場する豊玉姫(とよたまひめ)、玉依姫(たまよりひめ)が、それぞれアニメキャラの「千尋」と「リン」に対応しているのではないかと仮定しました。

画像1:千と千尋の神隠しからリンと千尋

再三述べている様に、神話と同映画作品との比較による構造分析から、これまでに次の関係が分っています。

 千尋 = タクハタチヂヒメ(または スズカヒメ)
 リン = アメノウズメ(または サルメノキミ)

また、前回の考察では次の関係が導かれました。

 千尋 = 豊玉姫
 リン = 玉依姫

つまり三段論法的には次の関係が成立すると言えます。

 豊玉姫 = タクハタチヂヒメ
 玉依姫 = アメノウズメ

これの他にも様々な事例を取り上げてきましたが、どうやら、日本神話の中では、一人の実在した人物に複数の別名を与えることによって、それぞれ別のキャラクターとして話を進めることが普通に行われている様なのです。

それが単なる別の呼び名とかではなく、明らかに異なる人物として描かれている点には特に注意しなくてはなりません。なんだか、神話に対するロマンチシズムをぶち壊すようで申し訳ないのですが、日本神話における八百万(やおろず)の神々とは、実は

 水増しされた神々

と言い換えることができるのかもしれません。

逆に言えば、上代(神武以前)の日本古代史は、神話というファンタジーとして記述しなければとても表現できないほど、複雑なものであっただろうと想像されるのです。

今回は、この豊玉姫と玉依姫について、更にもう少し周辺情報を取り上げてみたいと思います。

■千と千尋と犬吠埼

次の2021年の過去記事では、「千と千尋~」の舞台モデルの一つが、現在の千葉県銚子市、旭市周辺であることを考察しています。

 ・千と千尋の隠された神 
 ・千と千尋の隠された神(2) 

ここでの結論は、取り敢えず油屋のモデルになったのは銚子市内にある「猿田神社」としましたが、他にも三重県伊勢市内に実在した女郎茶屋の「油屋」もアニメデザインに大いに参考にされたのだろうと見ていました。

しかし今回、そのデザインのベースが日本神話に出て来る龍宮城にありそうなことが分かったので、ここでもう一度、銚子市・旭市周辺の状況について調べてみます。

4年前の考察では、龍宮城関係の神名については全く考慮していなかったので、今回は二人の龍宮城の姫神について、どちらかの神名及び、龍宮城繋がりと思われる神名を主祭神にしている神社を検索でピックアップしてみました。

その結果が次の図です。

画像2:龍宮城関係の神々を祀る神社(猿田神社は除く)

他にも該当する神社はあるとは思いますが、取り敢えず以上の図だけでも、密集とは言わないまでも、関係する神社がそこそこ鎮座しているのが分ります。

それぞれの神社の祭神をまとめたのが次のリストになります。

  社名    主祭神             所在地
 ——————————————————————————
 東大社    玉依姫 (旧名:八尾社)    東庄町宮本
 豊玉姫神社  豊玉姫            香取市貝塚
 編玉神社   豊玉姫 (編玉豊玉姫神社)   香取市阿玉台
 海津見神社  豊玉姫            旭市下永井
 二玉姫神社  玉依姫            旭市中谷里
 玉崎神社   玉依姫            旭市飯岡

 渡海神社   綿津見大神 (併:猿田彦)   銚子市高神西町
 雷神社    天穂日 (併:別雷命)     旭市広見

「豊玉姫」と「玉依姫」は日本神話の中でもメジャーな女神なので、この分布が特別多い、あるいは偏在しているとすぐには断定できませんが、それでも自分がこれまで地方の神社を見てきた感覚から言って、やはり多いのではないかと思います。

中でも「玉崎神社」は、昨年の記事「サキタマ姫と玉依姫」で、埼玉県行田市にある前玉神社(さきたまじんじゃ)と共に、その祭神についての考察を既に行っています。この神社は下総國二宮ということで、同地区でも格の高い神社とされており、そこから、玉依姫のがここでは特に大事にされているのが窺われるのです。

次に注目すべきなのが、神話の中で豊玉姫の父とされる綿津見の神を祭神とする渡海神社で、やはり龍宮城繋がりであること、また雷神社(いかづちじんじゃ)に合祀されている「別雷命」(わけいかづちのみこと)とは、京都の上賀茂神社の祭神「賀茂別雷神」(かもわけいかづちのかみ)のことであり、上賀茂社の伝承においてこの神の母に当たるのが下鴨神社の祭神、玉依姫なのです。

雷神社の祭神は上賀茂神社から分祀されたと記録に残されているようですが、やはりこの地が玉依姫所縁の地であればこそ、そのような計らいが為されたと考えられるのです。

ちなみに、「別雷命の母 = 玉依姫」という関係から、

  別雷命とは神武天皇の別称である

ことが分かるのです。それは以前掲載した次の系図を見ても明らかでしょう。

画像3:三嶋神から神武天皇までの系図

問題なのは、現皇室の皇祖と呼ばれる神武天皇の母親がアニメキャラ(リン)のモデルにされ、しかもそれが千葉県銚子市周辺と大いに関係ありそうだということなのです。

これは繰り返しになりますが、1985年8月12日に123便事件が起きたその時期、NHK朝のテレビ小説で放映されていたのが、沢口靖子さん主演の「澪つくし」であり、

 ドラマの舞台が銚子

であったことに、同事件との大きな繋がりが見え隠れするのです。因みに澪(=ミオ)とは猿田彦の別名であり、それについては「椿海とミヲの猿田彦」で既に説明済です。

以上から、私が何故

 123便事件は現天皇家の出自と関係がある

とするのか、お分かり頂けたでしょうか?



管理人 日月土

「千と千尋の神隠し」と龍宮城

初めに、今回の記事はメルマガ124号(令和7年4月16日号)の記事解説に掲載した 「『千と千尋の神隠し』再び」を再構成したものであることをお断りします。

このブログを読んでから長い読者の皆様なら、大ヒットしたスタジオジブリのアニメ映画「もののけ姫」及び「千と千尋の神隠し」の中に、日本神話をモチーフとした登場人物が描かれているのを既にご存知かと思います。詳しくは過去記事「千と千尋の二人姫」をご覧になっていただきたいのですが、その登場人物(あるいは神)が、今年調査に向かった高知県の足摺岬と何やら関係あるだろうという話になります。

■「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」

前回の記事「足摺岬と奪われた女王 」では最後に次の様なカットを掲載しました。

画像1:千尋(左)とリン(右)

リンは元からそこ(油屋)に居たお風呂屋の女中、また、千尋は新入りの女中見習いというポジションで、まだ仕事に慣れていない千尋のことをリンは厳しくも優しく見守るという設定になっています。

さて、これまでの分析から、この二人は各々次の日本神話上の登場人物をモチーフにしていることが分かっています。

 千尋 : タクハタチヂヒメ
 リン : アメノウズメ

ここで、やはり前回の記事に掲載したこの時代の予想系図をここに再掲します。

画像2:二王朝時代と王権移譲の推移予想

さて、この画像2に注目すると、少女神(皇后)の系譜は

  9代:タクハタチヂヒメ
 10代:アメノウズメ
 11代:コノハナサクヤヒメ

と推移しますが、ここに記載されているコノハナサクヤヒメをモデルにしたのが「もののけ姫」の主人公「サン」であり、実はこの作品の冒頭に登場する「カヤ」のモデルが「千尋」と同じタクハタチヂヒメであることを、皆さん覚えておられるでしょうか?

画像3:「もののけ姫と馬鹿」から

「もののけ姫」の中では、黒曜石の短剣を象徴に王権が「カヤ」から「サン」へと移譲されるのですが、実はこの解釈だと画像2の系図で第10代の王権継承権を受けるはずのアメノウズメが一つ飛ばされることになります。

実はここに、アメノウズメの夫で後に猿田彦の蔑称を付されたホノアカリが正史から皇統の正式な後継者を抹消された痕跡が見えるのです。ただし、それならば「千と千尋」の中でどうしてわざわざ「リン」と「千尋」、すなわち「アメノウズメ」と「タクハタチヂヒメ」が親しい関係として描かれているのか疑問が湧いてくるのです。

■油屋は龍宮城なのか?

画像2で第12代王権継承権を有したと見られるミカシキヤヒメですが、これはアメノウズメと同様に正史から消された側の王朝だとすれば、同時期を扱ったジブリ作品に登場しないのも頷けるのですが、次に疑問なのが、コノハナサクヤヒメに続く皇統の系譜です。

系図では、豊玉姫(とよたまひめ)、玉依姫(たまよりひめ)と2人の少女神(皇后)がコノハナサクヤヒメに続くのですが、ミカシキヤヒメが正史から排除されてしまった後、王権継承の順をどのようにナンバリングしたらよいのか、もうここで分からなくなってしまうのです。

神武天皇の皇后となるタタラヒメとイスズヒメについては、「千と千尋」の中で「湯婆婆」と「銭婆」の双子の姉妹として描かれているのは確認していますが、それを繋ぐ豊玉姫と玉依姫についての言及がないのはいったいどうしたことなのでしょうか?

ここで、「リン」と「千尋」が住み込みで働かされていた「油屋」が何かの象徴ではないかと考えてみます。

画像4:油屋

以前、油屋は三重県伊勢市内に実在した同名の女郎茶屋がモデルではないかとしましたが、アニメに描かれた「お城」のように立派な構えと、庭に植えられた「木」、そしてお風呂屋ということで「水」に縁がある存在、そこで思い出されるのが

 龍宮城

なのです。

その龍宮城、日本書紀には次の様に記述されています。

 その宮は立派な垣が備わって、高殿が光り輝いていた。
 門の前に一つの井戸があり、井戸の上に一本の神聖な桂
 の木があり、枝葉が繁茂していた。彦火火出見尊は、そ
 の木の下をよろよろ歩きさまよった。

講談社学術文庫 日本書紀(上) 現代語訳 宇治谷孟監修

彦火火出見はその井戸の前で豊玉姫と出会うのですが、垣と高殿、木に井戸(水)などという記述は、むしろ画像4を描く上での想像上の情景と瓜二つと言えないでしょうか?

油屋のモデルが神話の中の龍宮城だとするならば、そこに囲われていた「千尋」と「リン」はいったい何を意味しているのか?神話に於いては、豊玉姫と玉依姫は共に龍宮城出身の姫神とされています。

そこで私はこう考えます

 豊玉姫はタクハタチヂヒメの別称
 玉依姫はアメノウズメの別称

であると(代の順で)。

即ち、既に王権継承を経験したことのある二人の少女神(皇后)が、再び王権の継承者として男性王を迎え入れることになったのでないか、ということなのです。

2代前の少女神ならば、再婚時点ではもうお婆ちゃんではないかと思われるかもしれませんが、当時の婚姻は10代半ば前後で行われていたと考えられ、2代くらい後ならばまだ30代であり、再婚する年齢としては特に問題がなかったはずなのです。

しかし、ここで二人に豊玉姫、玉依姫と別の名が与えられたのは、その行為が何かやましいからであり、元の名では正史に残せなかったのではないでしょうか?

少女神仮説においては、王権の継承権は女性側にあり、現実的な解釈としては、王権を手中にしたかった彦火火出見(ホオデミ)(註1)は、先々代の皇后(タクハタチヂヒメ)及びホノアカリの皇后であるアメノウズメを略奪し、ホノアカリに対抗する王朝を強引に立ち上げたのではないかと推測されるのです。

註1:彦火火出見には三嶋神、賀茂建角身命(かものたけつぬみ)、そして八咫烏(ヤタガラス)の別名が付されていることも既に説明済みです。

正史においては、日本の初代天皇は神武天皇であり、神武天皇以前の王は神話の神とされてしまってますが、実はそのような史実の改変を行った一番の理由とは、ホノアカリ正統王朝を史実から抹消するだけではなく、女系王権の系統がこのように混乱してしまったので、新たに王権の系譜を作り直す必要に迫られたからではないかと考えられるのです。

そうなると、現在ある天皇家は古代の略奪者の血統なのか?と疑う向きも出て来るかもしれませんが、ここで注意しなければならないのは、日本における王権の継承者はあくまでも女系家系であり、実は現代においても、その血統がどこかで脈々と続いているのではないかとも考えられるのです。

足摺岬では龍宮城の神々と同時に、正史から消されてしまった王、ホノアカリ(蔑称猿田彦)の名前の痕跡が見られますが、これは、少女神の獲得競争、すなわち王権を巡る当時の激しい争いを表しているのかもしれません。


姫神の願い継がれる日本(ひのもと)は ただ弥栄ぞここに有らなむ
管理人 日月土

サキタマ姫と玉依姫

今年1月30日の記事から前回3月30日の記事まで、2020年に不審な亡くなられ方をした俳優の三浦春馬さんについて、その死の意味について古代史的な考察を行ってきました。

 (1) 三浦春馬と馬鹿(1月30日) 
 (2) 竹内結子と鹿の暗号(2月15日) 
 (3) 三浦春馬と猿の暗号(2月27日) 
 (4) 三浦春馬のカネ恋と少女神(3月15日) 
 (5) 3人の三島とひふみ神示(3月30日) 

思いの外同じテーマが続いてしまい、手元にある材料も出尽くした感があるので、そろそろ別のテーマをとも思いましたが、まだ一つだけ気になる点が残っていましたので、今回もそちらについて話を続けたいと思います。

それはやはり、上記(4)・(5)の春馬さんが最期に出演したテレビドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」の最終第4話に関わるものとなります。

■サキタマ姫とは誰なのか? – 前玉神社

上記(4)の記事の中で、三嶋神の第3皇后として「佐岐多麻比咩」(サキタマ姫)が登場し、この方が伊豆七島の三宅島で三島八王子を産んだとの伝承があることをお伝えしました。

そして記事(5)では、その内の三人が後の天皇家(男性王)の祖となり、もしかしたら3人が同時に天皇として即位しているのではないかという、ちょっと突拍子もない結論が導かれたのですが、それは単なる私の妄想ではなく、現代に書き残されている記録からその様に読み解いたものなのです。

要するに、陰謀論界隈では時たま話題になる「裏天皇」が本当に実在するのではないかという話になるのです。

この件を確かめるためには、「三宅記」に登場する三島八王子の母「サキタマ姫」がどのような方なのかを歴史的に追う必要があります。

実はこの「サキタマ姫」を祭神に祀る神社が埼玉県の行田市にあるのです。それが「前玉神社」(さきたま神社)なのですが、同社のホームページによると、埼玉県の「さいたま」はこの「さきたま」が訛って付けられとの説まであるようなのです。

画像1:埼玉県行田市の前玉神社

この神社は、行田市内にある有名な「埼玉古墳群」の一角にある、やはり古墳と思われる小山の上の狭いスペースに鎮座しており、その様な理由から、社殿の全体写真が非常に撮影しにくく、画像1のようなアップ画像しか撮れませんでした(2020年6月撮影)。

撮影当時は「埼玉の名前の由来になった神社かも?」ということ以外には特に意識していませんでしたが、ここに来て再び「さきたま」に遭遇することになったのは少し意外な気がします。

そこで、前玉神社のホームページから、由緒と御祭神の記述を抜粋します。

御由緒

前玉神社は「延喜式」(927年)に載る古社で、幸魂(さいわいのみたま)神社ともいいます。700年代の古代において当神社よりつけられた【前玉郡】は後に【埼玉郡】へと漢字が変化し、現在の埼玉県へとつながります。

前玉神社は、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。

武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)は、726年(神亀3年)正倉院文書戸籍帳に見える地名だと言われており、1978(昭和53)年に解読された稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文から、471年には大和朝廷の支配する東国領域が、北武蔵国に及んでいたのは確実であると言われています。

北武蔵国の地元豪族が眠ると思われるさきたま古墳群の真上に建てられています。

https://sakitama-jinja.com/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%ae%e5%be%a1%e7%94%b1%e7%b7%92/

御祭神

前玉神社の御祭神は、『古事記』所載の出雲系の神である、前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。天之甕主神(アメノミナカヌシノカミ、アマノミナカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母です。

https://sakitama-jinja.com/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%ae%e5%be%a1%e7%a5%ad%e7%a5%9e/

また、この「御祭神」の箇所に書かれた古事記の原文には次のように記載されています。

大国主神、また神屋楯比売(かむやたてひめの)命を娶して生みし子は、事代主神。また八島牟遅能(やしまむぢの)神の女(むすめ)、鳥取(ととりの)神を娶して生みし子は、鳥鳴海(とりなるみの)神。この神、日名照額田毘道男伊許知邇(ひなてるぬかたびちをいこちにの)神を娶して生みし子は、国忍富(くにおしとみの)神。この神、葦那陀迦(あしなだかの)神、亦の名は八河江比売(やがはえひめ)を娶して生みし子は、速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみの)神。この神、天之甕主(あめのみかぬしの)神の女、前玉比売を娶して生みし子は、甕主日子(みかぬしひこの)神。

古事記 神代 大国主神「大国主の神裔」より
※正しくはアメノミカヌシノカミ、アマノミカヌシノカミだと思われます

これを読むと、大国主から4代目、つまり曾孫の嫁と言うことになりますが、世代的には三嶋神と推定される、彦火火出見の代と合っています。

ただし、古事記の記述は男系継承に基づいて記述されており、サキタマ姫の出自は天之甕主の娘というだけでそれ以上は追えません。なおかつ、日本書紀にはもちろん秀真伝にも記述がなく、やはりここからも追えないのです。

ここまでで分かるのは、サキタマ姫は大国主の曾孫の嫁に入った女性というだけで、その夫である速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみの)神の正体も不明なのです。こうなると、この神社の御祭神である前玉姫が三島八王子を産んだサキタマ姫と同一人物かどうかも分からないのです。

■サキタマ姫とは誰なのか? – 玉前神社

埼玉の前玉神社の場合はストレートに名前が合致していたのですが、残念ながら三島のサキタマ姫との関連はこれ以上探れません。ところが、「さきたま」を「たまさき」と少し変形させると、実は別の神社が現れてくるのです。それが千葉県の外房海岸沿いに鎮座する神社、「玉前神社」あるいは「玉崎神社」なのです。

画像2:千葉県内のタマサキ神社群(Google Map 上の検索)
画像3:旭市の玉崎神社

この中で、一之宮町の「玉前神社」、旭市の「玉崎神社」へは調査に向かったことがあるのですが、どちらの神社もその御祭神は

 玉依姫(たまよりひめ)

であるということなのです。

三嶋神あるいは彦火火出見尊の皇后が豊玉姫であり、次の王位継承者であるウガヤフキアワセズ王の皇后が玉依姫ですから、三島との関係は埼玉のサキタマ姫よりはぐっと近くなります。

ここで、過去記事「伊古奈姫と豊玉姫、そして123便」を読み返して欲しいのですが、ここでは

 豊玉姫 = 伊古奈姫

という関係を導き出しています。そして、第2皇后の伊古奈姫に対する本后として阿波姫の名とその阿波姫の娘である

 物忌名姫(ものいみなひめ)

が居たこともお伝えしています。

私が採用している少女神仮説においては、女系による王権継承という立場を取っているので、当然この物忌名姫にも王権継承権が与えられていると考えられます。

ここで、過去記事では取り扱わなかった「物忌名姫」の存在が大きくクローズアップされるのです。

以下は、これまでの幾つかの仮説の上で展開されていることを前提にお読みください。

 ・サキタマ=タマサキという関係を認めるなら
  三嶋神の第3皇后であるサキタマ姫とは玉依姫のことである

 ・三嶋神の本后阿波姫の娘である物忌名姫とは玉依姫のことである

これはつまりどういうことなのか?3人の三島王との関係を含め、それを図に表したのが以下の系図になります。

画像4:三嶋神を巡る姻戚関係

配色など、この図についてはもう少し説明しなければならないこともあるのですが、それについてはメルマガの記事解説でお伝えしましょう。

なお、私はこれこそが現皇室の始まりを示す本当の姿であると考えています。

よく旗印みてよと申してあろがな、お日様 赤いのでないぞ、赤いとばかり思ってゐたであろがな、まともにお日様みよ、みどりであるぞ、お日様も一つでないぞ。ひとりまもられているのざぞ。さむさ狂ふぞ。

ひふみ神示 カゼの巻 第2帖


管理人 日月土