鹿と方舟信仰

前回のブログ記事「越と鹿乃子」では、この夏放映されたアニメ「しかのこのこのここしたん」を題材に、その中に密かに組み込まれたと考えられる日本古代史に関するメッセージを分析してみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部
 ※このブログはアニメ専門ブログではありません

前回記事掲載後に配信したメルマガでは、更に詳しく「鹿(シカ)」の意味について考察したのですが、思いの外これが重要な内容を含んでいると考えられたので、今回はブログでもその内容に修正を加えてご紹介したいと思います。

■志賀島と安曇族

前回のブログ記事のお伝えしましたが、アニメタイトルの「しかのこのこのこ」が、それぞれ

 しかのこ → 志賀島(しかのしま)
 のこのこ → 能古島(のこのしま)

を指すのではないかという点は予め押さえておいてください。福岡県在住の人なら良くご存知の、博多湾に浮かぶ二つの島のことです。

ここから、アニメの主人公「鹿乃子」が「志賀の娘」を指すだろうという話は、既に前回述べていますが、ここでは、志賀(しか)とは何か?という点について更に深く触れてみたいと思います。

さて、志賀島(しかのしま)には、かつて安曇(阿曇)族と呼ばれる海の民が居住していたという話を現地でもよく耳にたので、まずは阿曇族について調べてみます。

この阿曇族、実は日本書紀の神代の帖の中に登場する一節があるので、まずはその部分を書き出してみます。

 凡(すべ)て九(ここのはしらの)の神有(いま)す。
 其の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、是即ち
 住吉大神(すみのえおおかみ)なり。底津少童命・
 中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等(あづみ
 のむらじら)が所祭(いつきまつ)る神なり。

 然して後に、左の眼を洗ひたまふ。因りて生める
 神を、号(なづ)けて天照大神と日す。復(また)右
 の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて月
 読尊と日す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神
 を、号けて素戔嗚尊と日す。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上 一書6より

また、ここに出て来る阿曇連については、同文庫の補注に次の様に書かれています。

 阿曇連:全国各地の海部を中央で管理する伴造。
 天武十三年に宿禰と賜姓。此の三神を旧事紀、
 神代本紀は「筑紫斯香神」とし、延喜神名式には
 筑前国糟屋郡志加海神社三座とある。

 祖先伝承は記に「綿津見神之子、宇都志日金折命
 之 子孫也」、姓氏録、右京神別に「海神綿積豊
 玉彦神子、穂高見命之後也」とある。

補注の解説に従って読み解くと、阿曇連は

 底津少童命(そこつわたつみのみこと)
 中津少童命(なかつわたつみのみこと)
 表津少童命(うわつわたつみのみこと)

の3神を祀る民であり、この神は

 筑紫斯香神
 (ちくししかのかみ) 

もしくは、

 筑前国糟屋郡志加海神社三座
 (ちくぜんこくかすやぐんしかうみじんじゃさんざ)

と別の名で呼ばれていると記載されています。

どれが正式な名なのかは分かりませんが、おそらくこの3神こそが「志賀(しか)」と呼ばれる神様の正体であり、阿曇連はこの3神を奉る一族であったという記述から、この3神(志賀の神)をルーツとする伴造(とものみやつこ)、すなわち、古代期に公務として海洋管理を担当していた一族であったと理解することが出来ます。

ここで引用した書紀の一節は、黄泉の国から返ってきたイザナギが、その穢れを払うために「立花の小戸のあわぎはら」で禊をしていた時の様子であり、阿曇族の祖先はその時に生まれた神の中の3柱だったということになります。

ここで、私が注目したのは、この志賀神(しかのかみ)3神は、天照・月読・素戔嗚の三貴神よりも前に生まれていた、すなわち

 三貴神よりも古い神

というようにも読み取れます。

当然ながら、この記述はある歴史的事実が神話化されてこのような記述になったと思われるのですが、その史実解読のヒントになるのが、補注の後半に紹介されている、他史書に書かれた次の志賀神の別名であると考えられます。

 古事記:綿津見神之子、宇都志日金折命(うつしひかなさくのみこと)之子孫也
 姓氏録:海神綿積豊玉彦神子、穂高見命(ほだかみのみこと)之後也

宇都志日金折命の別名が穂高見命とも言われ、宇都志日金折命を祀る穂高神社があるのが信州の安曇野(あずみの)というのも、何か不思議な歴史の結びつきを感じます。

この安曇野にある穂高神社の有名なお祭りは

 御船祭(みふねさい)

と呼ばれ、大きな船型の山車が街を練り歩くことで有名です。

画像2:安曇野の街中を曳かれる大船
安曇野市観光協会の動画から

阿曇族は海の民とされていますから、神事に船形が見られるのは特段不思議でもなさそうですが、果たしてそれだけでしょうか?

■シカとカシ

日本の地名には読み順を転置させたのではないかと思われるものがいくつか見られます。私が思い付くのものに、多少強引かもしれませんが、以下の例があります。

 登美(トミ) → 水戸(ミト)
 三尾(ミオ) → 小見(オミ)
 香取(カトリ)→ 取香(トッコウ)※漢字の入れ替え

これは、古い昔に地名を名付ける時に取られた手法なのではないか、あるいは祭事的な意味を持たせてそうしたのかもしれませんが、「シカ」についてそれを適用するとどうなるでしょうか?

 シカ → カシ

となります。

「カシ」なる2文字の地名はなかなか見つかりませんが、この2文字から始まる地名ならかなりの数が見つかります。

「樫山、柏原」など「樫」や「柏」から始まる地名は全国に多く見られるのですが、今回取り上げた「鹿」の意を含むものとなれば、次の地名が最も適切なのではないでしょうか?

 鹿島(カシマ)

また、志賀島のすぐ対岸には香椎宮で有名な「香椎」(カシイ)なる地名があることも、非常に興味深いのですが、ここでは鹿島を志賀の転置語、あるいは志賀を鹿島の転置語から「マ」の字が脱落したものとして扱います。

■方舟で繋がる鹿嶋と志賀

さて、鹿島の地名の由来については、今年7月の記事「鹿島と木嶋と方舟と」で既に触れているのを覚えておられるでしょうか?

そこでは、シュメール語の「ギシュ・マァ・グル・グル」その意味は「漂える(グルグル)木(ギシュ)の舟(マァ)」で、すなわち、

 方舟

を指すと説明しました。

このシュメール語から「グル・グル」が脱落し、音が訛って「キシマ」から更に「カシマ」へと変化したのが「鹿島」という地名の始まりではないかとしたのですが、そうなると、鹿島の「鹿」とは、漢字が成立した後に当てられた文字と言うことになります。

同記事では、これを裏付ける傍証として、京都の貴船(木舟)神社や、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)の例を挙げ、そのルーツが古代方舟信仰であった可能性を示しています。また「アラレフル」という和歌の枕詞がどうやら、方舟が上陸したとされる「アララト山」を指すのではないかとしています。

これらから

 志賀 = 鹿島 (※音の転置と脱落)

という予想が成り立つのですが、その説を補強する上で重要な記述が聖書に記されていることにここで気付きます。

 その造り方は次のとおりである。箱舟の長さは
 三百アンマ、幅は五十アンマ、高さは三十アン
 マ。箱舟には屋根を造り、上から一アンマにし
 て、それを仕上げなさい。箱舟の戸口は横側に
 付けなさい。また、一階と二階と三階を造りな
 さい。

創世記 第6章15,16節

聖書に記されている方舟の構造は非常に具体的で、その船の階層は1,2,3階の階層構造であることもここから窺い知れます。

ここで、前々節で述べた「志賀の神」が底津(そこつ)、中津(なかつ)、表津(うわつ)の綿津見(わたつみ)3神であることを思い出してください。

この3神は、日本神話では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊のために入った水の、表面部分、中程、底の部分それぞれから神が生まれたという話になっているのですが、これを何か具体的な事象の比喩的表現(暗号表現)と解釈すれば、何かの構造を表していると考えられるのです。

もしもこれを、方舟の構造を表す表現と解釈すれば

 鹿島 → 方舟
 志賀 → 方舟の構造

となり、互いに関連し合うことが分かるのです。

すると、安曇野の穂高神社の例祭で練り歩く船形の山車がいったい何を象徴しているのか、その意味も明確になってくるのです。

画像3:方舟が繋ぐ志賀と鹿島の関係性


 * * *

これは驚きました、無意味に「シカ」を連発するだけのお気楽アニメかと思っていたら、ここにはそんな意味が隠れていたのです。

もしも、このアニメが古代方舟信仰について何かのメッセージを含んでいるとするなら、それはいったい何なのか?これまで、つまらない、面白くないとかなり否定的であったこのアニメ作品に対し、俄然強い興味が湧いてきたのです。


管理人 日月土


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