今回の記事を書く数日前、私は四国の南端部、高知県の土佐清水市へと出向き、足摺岬、および世界一の規模とも言われる巨石群、唐人駄場(とうじんだば)を見てきました。
現地に着いては以前から知人に話を聞いており、いつかは一度訪ねてみたかった所なのですが、何せ移動するには遠く、出向くのに少々躊躇していたスポットだったのです。

高知竜馬空港から鉄道とバスを乗り継いで土佐清水市街に到着した時には、空はもう暗くなりかけており、結局、移動だけに1日を要したことになります。
■足摺岬の縄文遺跡
土佐清水市観光協会のホームページには、足摺岬周辺の古代遺跡について、次の様に極めて簡単に書かれています。
足摺半島の先端近くの海岸段丘の一角に、縄文時代早期
(紀元前5000年頃)から弥生時代にかけての石器や
土器片が数多く出土。一帯にはストーンサークルと思われる石の配列や、高さ
引用元:https://www.shimizu-kankou.com/spot/toujindaba/
6~7メートルもある巨石が林立している唐人岩があり、
太古の巨大文明の名残ではないかと言われています。
足摺岬周辺の遺跡についてネット上で資料を検索してみましたが、これ以上の詳しい資料にはヒットしなかったので、更に詳しく知るには現地で考古資料等を物色する必要がありそうです。
土佐清水市のホームページに唯一、縄文土器の記述があったので、以下にその箇所を貼り付けておきましょう。

引用元:土佐清水市ホームページ
この地はどちらかと言うと、足摺岬からの景観はもちろん、ジョン万次郎の生誕地や四国八十八箇所38番札所の金剛福寺の方が有名ですので、古代遺跡への注目度はあまり高くないかもしれません。
しかし、その地味なイメージを打ち破るのが、唐人駄場巨石群の存在なのです。

画像3の他、当然ながら何枚も写真を撮ってきたのですが、その写真からでは今一つ現場のスケール感が伝わらないので、代わりに、ここでは土佐清水市が作成したドローンからの空中撮影映像をご紹介しておきます。
とにかくその規模には驚かされるのですが、ここだけに巨石が集中して配置されているというのもどこか不自然で、何かしら人為的な手が入っていると考えざるを得ないのですが、そうなると、どのようにこの巨石を移動させたのかという問題に突き当たってしまうのです。
この巨石群の中には「祭壇石」(さいだんせき:画像4)と呼ばれる一組の石のセットがあり、

その説明書きには、次の様な実に興味深いことが書かれています。
前の2石と後方の岩との組成が違うことから、
石に残る過去の地磁気を分析した結果、前の
2石が移動していることが確認されています。
つまり、少なくともそこにある石の一部が人為的に移動させられている可能性が窺われるのです。
こうなると、「古代巨石文明の痕跡かっ!」あるいは「知られざる縄文テクノロジーかっ!」と俄然興味が湧いてくるのですが、当然ながら直ぐにその結論に結び付ける訳にもいかず、結局のところ真実は謎のままということになるのです。
ただし、そのような歴史ロマンに浸るだけでは済まない事情が、現地に残る地名から見えてくるのです。
■日本神話の神々と足摺岬
今回の調査は、現地の地名など殆ど予習しないで出かけたので、現地に着いて観光ガイド地図を見た時、そこに書かれた地名・名所名に違和感と言うか、どこか聞き覚えのある響きが重なって表記されているのを見て私は不思議に思ったのです。
それを地図上にピックアップすると以下のようになります。

このブログに長くお付き合い頂いた方なら、画像5の黄枠の名称から日本神話との関連性が読み取れるのではないでしょうか?
まず、「佐田山」「白山洞門」「椿のトンネル」なのですが、これらは
佐田山 → 佐田 → 佐田彦 → 猿田彦
白 → 白鬚 → 猿田彦
椿 → 猿田彦
と、神話の神「猿田彦」を象徴するキーワードを含むことが見て取れます。
次に「龍宮神社」「竈戸神社」「鵜の岬」を分析すると
竜宮 → 豊玉姫・玉依姫・彦火火出見
竈戸 → 玉依姫(一般的な竈神社の祭神)
鵜 → ウ(鵜)ガヤフキアワセズ
との関連性が導かれ、玉依姫(たまよりひめ)はウガヤフキアワセズの皇后となる姫神ですから、組み合わせ的にもドンピシャなのです。
※以上の分析がどうしてそうなるのかは、過去の記事で詳しく解説しているので、そちらを参考にしていただければと思います。
これ迄の神話解釈から、猿田彦というのは、正統な皇位継承者である火明命(ほあかりのみこと)の蔑称であり、火明命と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)との二人の王が並立する2王朝時代があったと秀真伝には記されています。
ウガヤフキアワセズは瓊瓊杵尊王朝の継承者であり、現在の皇室のルーツとされている古代王です。記紀など一般的な史書から消滅した火明命王朝とは別の系統なのですが、なぜかこの足摺岬では
2つの王朝の王の名が両方見られる
のです。これはいったいどういうことなのでしょうか?そして、巨石群と何か関連はあるのでしょうか?
これについての考察は、改めてメルマガの中でお伝えしたいと思います。
■唐人駄場で遭遇した謎のサイン
バス停「唐人駄場入口」から巨石群まで舗装された山道を歩いて登ったのですが、その途中、山道脇の岩に下図の様な不可解な文様が刻まれていました。


これを目にした瞬間、もの凄い違和感に襲われたのは言うまでもありません。
一見、漢字か古代の線刻文字の様に見えますが、彫りは深く滑らかで最近刻まれたのは間違いありませんし、わざわざ文様を赤く塗装しているのがあまりにもわざとらしいのです。しかも、この赤い塗料も数日以内に吹き付けられたものらしく、発色がやけに鮮明なのです。
ここ数回のブログ記事では、古代文字に関するトピックを扱ってきましたから、どうやら私にこれを見せたかった誰かからのメッセージであると私は理解しました。
現代漢字に似せたこれら似非古代文字にも一応意味があり、これについてはメルマガの中でその分析やメッセンジャーの意図についての考察をお知らせしたいと思います。
なお、今回の調査で最も訝しく感じたのは、帰りの飛行機に搭乗する際に高知竜馬空港で目撃した次の戦闘機です。

「Strange Coincidence in Shikoku」から
トラブルで緊急着陸していたということですが、本当にそうだったのでしょうか?この数日前に四国で山火事騒ぎも発生しており、上述の偽線刻文字の件を含め単なる偶然では済まされない何かが動いているとしか思えないのです。
奪われし王妃の血なる現世は岩戸開きて御代に帰らむ
管理人 日月土