前回の記事「二人の姫を巡る探訪(その三)」の中で、千葉県旭市にある雷神社の主祭神が「天穂日命」(あめのほひのみこと)であることに触れました。
掲載直後に配送したメルマガの中では、アメノホヒが如何なる神、そして、現実人としては具体的に誰のことを指すのかを私なりに考察した結果をお知らせしています。
これを読み解くには、日本神話の有名なシーン、天照大神(あまてらすおおかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)の意味を、一種の暗号文として再解釈する必要があり、二柱の神が取り交わした約束事が具体的にどのような内容を指すのか、他の史書との比較の中でを改めて考察する必要があります。
今回はその点に注力してみましょう。
■誓約シーン(日本書紀)
日本神話の誓約と言っても、そもそも史書にどのように書かれているのかを知らないと話になりませんので、ここではまず、日本書紀の記述を考察の叩き台として引用したいと思います。
話の前段として、高天原(たかあまのはら)に登ってくる弟の素戔嗚を、何か良くない意図、例えば高天原を奪おうとしているのではないかと天照大神は警戒します。すっかり身構えた状況の中で、天照大神は素戔嗚にその用向きを伺うのですが、それに素戔嗚が答えるところから引用部分が始まります。
まずは前段とその訳文です。
素戔嗚尊対へて日はく、「吾は元黒き心無し。但し
父母已に厳しき勅有りて、永に根国に就りなむとす。
如し姉と相見えずは、吾何ぞ能く敢へて去らむ。是
を以て、雲霧を跋渉み、遠くより来参つ。意はず、
阿姉翻りて起厳顔りたまはむといふことを」とのた
まふ。時に、天照大神、復問ひて日はく、「若し然
らば、将に何を以てか爾が赤き心を明さむ」とのた
まふ。対へて日はく、「請ふ、姉と共に誓はむ。(夫
れ誓約の中に、誓約之中、此をば宇気譬能美儺箇と云
ふ。)必ず当に子を生むべし。如し吾が所生めらむ、
是女ならば、濁き心有りと以為せ。若し是男ならば、
清き心有りと以為せ」とのたまふ。是に、天照大神、
乃ち素戔嗚尊の十握剣を索ひ取りて、打ち折りて三段
に為して天真名井に濯ぎて、𪗾然に咀嚼みて、(𪗾然咀
嚼、此をば佐我弥爾加武と云ふ。)吹き棄つる気噴の
狭霧吹棄気噴之狭霧、(此をば浮枳于都屢伊浮岐能佐擬
理と云ふ。)に生まるる神を、号けて田心姫と日す。次
に湍津姫。次に市杵嶋姫。凡て三の女ます。岩波文庫 日本書紀(一) 神代上
素戔嗚尊が答えていわれるのに、「私ははじめから汚い
心はありませぬ。ただすでに父母の厳命があって、まっ
すぐ根の国に行くつもりです。ただ姉上にお目にかかり
たかっただけです。それで雲霧を踏み分けて、遠くから
やってきました。思いがけないことです。姉上の厳しい
お顔にお会いするとは」と。すると天照大神がまた尋ねられ、「もしそれなら、お前
の赤い心を何で証明するのか」と。答えていわれる。
「どうか姉上と共に誓約しましよう。誓約の中に、必ず
子を生むことを入れましょう。もし私の生んだのが女だっ
たら、汚い心があると思って下さい。もし男だったら清
い心であるとして下さい」と。そこで天照大神は、素戔鳴尊の十握の剣を借りて三つに
折って、天の真名井で振りすすいで、カリガリと噛んで
吹き出し、そのこまかい霧から生まれ出た神を、名づけ
て田心姫(たごりひめ)といった。次に湍津姫(たぎつひ
め)。次に市杵嶋姫(いつきしまひめ)。皆で三柱の神であ
る講談社学術文庫 日本書紀(上) 宇治谷孟訳
素戔嗚の提案とは、「お互いの持ち物を交換し、それを噛み砕いて生まれた子の性別で自身の潔白さを証明してみましょう」という、何とも奇妙なものですが、神話にしてしまえば、そんな奇天烈な話であろうと何でもありということでしょうか。私が関心があるのは、字面そのものの意味ではなく、このような言葉の応酬を通して、書紀編集者がどのような符号を紛れ込ませているのか、まさにそこなのです。
なお、田心姫、湍津姫、市杵嶋姫は宗像三女伸として広く知られている神様なのはご存じの方も多いでしょう。
続いて後段部分です。
既にして素戔鳴尊、天照大神の髻鬘及び腕に纏かせる、
八坂瓊の五百箇の御統を乞ひ取りて、天真名井に濯ぎ
て、𪗾然に咀嚼みて、吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる
神を号けまつりて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と日す。次
に天穂日命。是出雲臣・土師連等が祖なり。次に天津彦
根命。これ凡川内値・山代直等が祖なり。次に活津彦根
命。次に熊野櫲樟日命。凡て五の男ます。是の時に、天
照大神、勅して日はく、「其の物根を原ぬれば、八坂瓊
の五百箇の御統は、是吾が物なり。故、彼の五の男神は、
悉に是吾が児なり」とのたまひて、乃ち取りて子養した
まふ。又勅して日はく、「其の十握剣は、是素戔嗚尊の
物なり。故、此の三の女神は、悉に是爾が児なり」との
たまひて、便ち素戔鳴尊に授けたまふ。此則ち、筑紫の
胸肩君等が祭る神、是なり。岩波文庫 日本書紀 神代(上)より
素戔嗚尊は、天照大神がみずらと腕に巻いておられた、
八坂瓊(やさかに)の五百箇(いおつ)の御統(みすまる)を
乞われて、天の真名井で振りすすぎ、カリカリ噛んで噴
き出し、そのこまかい霧から生まれた神を、名付けて正
哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまの
おしほみみのみこと)という。次に天穂日命(あまのほひの
みこと) ーこれは出雲土師連の先祖であるー 次に天津彦
根命(あまつひこねのみこと) ーこれは凡川内直・山代直
らの先祖であるー 次に活津彦根命(いくつひこねのみこ
と)。次に熊野櫲樟日命(くまののくすびのみこと)。皆で
五柱の男神である。このとき天照大神がおっしゃるのに、
「その元を尋ねれば、八坂瓊の五百箇の御統は私の物であ
る。だからこの五柱の男神は全部私の子である」と。そこ
で引取って養われた。またいわれるのに、「その十握の剣
は、素戔鳴尊のものである。だからこの三柱の神はことご
とくお前の子である」と。そして素戔嗚尊に授けられた。
これが筑紫の胸肩君らがまつる神である。講談社学術文庫 日本書紀(上) 宇治谷孟訳
素戔嗚は「自分が生み出した子が男だったら自分は潔白である」と言ってたのですから、天照大神の御統(みすまる)を噛み砕いて見事に5人の男神を誕生せしめたことで、この誓約は成立したことになります。
ここで、新たに誕生した3人の女神、5人の男神の名前と、誕生の経緯を改めて図に落としてみましょう。と思ったら、Wikiにちょうど意図した図解が掲載されていたので、ここではそれを引用したいと思います。
なお、Wikiの場合は日本書紀ではなく古事記を元に作図してあるようですが、大きな違いは見当たらないので、そのままを掲載したいと思います。

■アメノホヒとは誰か
さて、ここでいよいよ登場するのが、冒頭で紹介した雷神社の主祭神であるアメノホヒ(天穂日)なのです。この神様は記紀の中ではここでしか登場しないのですが、アメノホビの前に生まれたオシホミミ(忍穂耳)は、秀真伝の中では、男性王アマテルカミ(本来の天照大神か?)の次の王として登場しているのです。
しかも、図1では玉と簡略化されている「御統(みすまる)の玉」ですが、そもそも御統とはその字の示す通り
王統
を表すものなのです。要するに、玉に穴を空け紐で繋げる形状が、歴代の王が脈々と続いていく様を表していると見立てられているのです。
秀真伝では、オシホミミは神話の神ではなく、古代に実在した王として書かれており、当然ながら御統(=王統)の一つと表現されるにふさわしいのですが、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、そしてクマノクスビが天照級の格上の神や歴代王として記紀や秀真に書かれた形跡はありません。
但し、「御統」と称された神様が記紀中に他にも存在しているのです。それは書紀の神代上に記述された次の歌を見れば一目瞭然です。
あもなるや おとたなばたの うながせる
たまのみすまるの あなだまはや
みたにふたわたらす あぢすきたかひこね
これは神話の神アヂスキタカヒコネに向けて詠まれた歌で、「玉の御統」とはっきり表現されている上に「みたにふたわたらす」と幾つもの谷をまたいで栄光をとどろかすと、実に最大級の賛辞が贈られているのです。
本ブログを何年も読み続けられている読者ならば、アヂスキタカヒコネが別の神名の別称であることを覚えておられるかもしれません。それは
火明命(ほのあかりのみこと)
なのです。
ホノアカリとは、秀真伝ではオシホミミの次に即位する王なのですが、面倒なことに、オシホミミの次の王にはニニキネ(=瓊瓊杵尊:ににぎのみこと)も即位しており、ここに
二王朝並立時代
が生まれたとされています。

もちろん、記紀にはホノアカリ王朝があったなどとは書かれておらず、私の分析では、この王は名前を幾つも変えられて、色々な場面で登場します。以下にその名前を書き出してみると
アヂスキタカヒコネ
アメワカヒコ
サルタヒコ
となり、サルタヒコ(猿田彦)はニニキネ(瓊瓊杵)の天孫降臨を案内した神としてよく知られていますが、別称のアヂスキタカヒコネは前述のように最大級の賛辞を受けた神、アメワカヒコは返し矢に討たれて死んだ、アヂスキタカヒコネのそっくりさんとしてエピソード的に記紀には記述されています。
つまり、非常に重要な王でありながら、日本の正史とされる記紀からはその名前が殆ど除外されてしまった古代王であったと考えられるのです。
すると、この誓約の場面で素戔嗚によって噛み砕かれた御統の玉から「オシホミミの次」に生まれた男神、すなわち男性王「アメノホヒ」とは
ホノアカリ(火明命)
あるいは、サルタヒコ(猿田彦)を指していると窺い知れるのです。
ここで、前回の記事に掲載した以下の地図を再度見ていただきたいのですが、雷神社と猿田神社が高台の上に互いに近く建てられているのがお分かりになるでしょう。

何てことはありません、神名は違えど、どちらの神社もホノアカリ王(火明命)が本来の祀る対象なのですから。そして、この地図に描かれた同地一帯が正史から名を消された王朝、火明王朝と非常に縁が深い土地であることも、ここから見えてくるのです。
* * *
今回はここまでとしますが、画像1の誓約のチャート図をよく見ると、他にも正史から消された古代史の秘密が浮かび上がってきます。なるほど、昔の人は良く考えたものだな、「事実を語らずして語るのが神話である」と一人で合点しているのですが、次回以降も、誓約についてその分析結果を提示して行きましょう。
管理人 日月土