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今回の記事を書き進める前に、日本書紀の記述から、伊奘諾尊(イザナギのみこと)と伊奘冉尊(イザナミのみこと)が黄泉の国と現世との境にある、泉津平坂(よもつひらさか)の大岩越しに交わした有名な会話のシーンを読んで頂きます。
故(かれ)便(すなは)ち千人所引(ちびき)の磐石(いは)を以て、其の坂路(さかぢ)に塞(ふさ)ひて、伊奘冉尊と相向(あひむ)きて立ちて、遂に絶妻之誓(ことど)建(わた)す。
時に、伊奘冉尊の日(のたま)はく、「愛(うるは)しき吾が夫君(なせのみこと)し、如此(かく)言(のたま)はば、吾(われ)は当(まさ)に汝(いまし)が治す国民(ひとくさ)、日に千頭(ちこうべ)縊(くび)り殺さむ」とのたまふ。伊奘諾尊、乃ち報(こた)へて日(のたま)はく、「愛(うるは)しき吾が妹(なにものみこと)し、如此(かく)言(のたま)はば、吾は当に日に千五百頭(ちこうべあまりいほかうべ)産ましめむ」とのたまふ。
岩波新書 日本書紀(一)神代上 一書
以上は、死んだイザナミを追いかけて黄泉の国に下ったイザナギが、妻の朽ち果てた醜い姿を見て逃げ帰り、2つの世界を仕切る大岩を挟んで交わした会話です。
妻のイザナミは、日に1000人を殺すと呪い、夫のイザナミは、それならば日に1500人の人を産ませると宣言するのですが、一応これは神話なので、なんとなく凄まじい話だなと思いつつ、特に深くも考えず読み飛ばした方は多いと思います(私もそうでした)。
しかし、もはや暗号の書と言っても良い記紀には無駄なエピソードなどなく、この記述の中にも日本古代史を紐解く隠された意味があるのです。
それが、前回のブログ記事「三浦春馬のカネ恋と少女神」と大きく関連することを今回はお伝えしようと思います。
■3人の三島
前回の記事の中で、ドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」の最終話第4話で、ヒロインの九鬼玲子(くきれいこ)が、特に意味も無く、伊豆急行線の「片瀬白田駅」で下車し、いかめしを食べるシーンが挿入されており、そこに、三宅島と神津島に関する歴史的暗喩が含まれていると説明しました。
この片瀬白田駅の近くには、志理太乎宜神社(しりたおぎ神社)と片菅神社(かたすけ神社の2つがあり、それぞれの祭神である志理太乎宜命と片菅命とは、鎌倉時代の文書「三宅記」によると、三嶋神の第3皇后である佐岐多麻比咩(さきたまひめ)が三宅島で産んだ8人の王子の中の2人を指すことが分かります。
ここで、Shrine-heritagerさんの記事を参考に、この8人の王子の名前を列記すると次の様になります。
第1王子:ナコ(南子命)
第2王子:カネ(加彌命)
第3王子:ヤス(夜須命)
第4王子:テイ(氐良命)
第5王子:イタヒ(志理太宜命)
第6王子:クラヒ(久良恵命)
第7王子:カタスケ(片菅命)
第8王子:ヒンスケ(波夜志命)
8人の王子それぞれを祀る神社が三宅島にはあるようなのですが、その内の3人については、陸側の伊豆半島に分社が作られています。それは次の3名となります。
第5王子:イタヒ(志理太宜命) 片瀬白田
第7王子:カタスケ(片菅命) 片瀬白田
第8王子:ヒンスケ(波夜志命) 下田
片瀬白田と下田、どちらもドラマで玲子が降り立った駅の名前です。さて、何故8人の王子の内、3人だけが分社を置かれたのか、それについては知る由もないのですが、ただ、幾つかの気になる点があります。
まず、何度も繰り返しますが、三嶋神とは
三島大神=三嶋湟咋=彦火火出見=賀茂建角身
であることがこれまでの分析から分かっており、彦火火出見(ひこほほでみ)とは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に続く王(天皇)ですから、第3皇后の息子であれ
三島8王子は天皇の息子たち
ということになります。
本ブログで展開している少女神解釈では、王権を継承できるのはあくまでも女性側ですので、例え天皇の実子とはいえ、男性はそのまま自動的に王になれる訳ではないのです。
さて、ここで「8人の中の3人」の意味を考えてみます。とは言ってもただの言葉いじりなのですが、
三島8王子 → 8 → 八
分社3王子 → 3 → 三
三八 → みや → 宮
と導くことができます。また、8王子たちが産まれた三宅島については
三宅島 → みやけ島 → 宮家島
と変換することができるのです。
これだけと本当にただの言葉遊びなのですが、三島8王子が天皇の息子たちであるとすれば、「宮」あるいは「宮家」(天皇の血筋)の持つ意味とうまい具合に被って来るので、何かの冗談だと一笑に付すのも躊躇われるのです。
■王輩出家系と三嶋
少女神という女系による王権継承を考えた時、次の皇后が定まったとするならば、その配偶者、すなわち王はどのように決まるのかを考えてみます。
男系社会では、その女性配偶者を選ぶ時に「良家の子女」という相手の家柄を見て相手を選ぶ選択基準がありますが、それでは、女系継承の場合は何を基準に相手の男性を選ぶのでしょうか?
まさか、男なら誰でも良いという訳ではなく、その資質をある程度担保できる基準を定めるはずです。ましてや、一国の王となる人物なのですから。すると一番に思い付くのが、
良家の男子
ということになるのですが、問題なのは何を以って「良家」とするかです。
現代なら、資産家の家系である、国家功労者の家系であるなど様々な基準があるかもしれませんが、その中でもやはり「宮家」の血筋は特別視されるのではないでしょうか?
つまり、古代日本においても王の血統は圧倒的優位性を保っていたと考えられるのです。但し、血筋は世代と共にネズミ算式に広がりを見せたり、はたまた断絶してしまう可能性があります。ですからそれを補う基準を設けなければいけません。一番考えられるのが、複数の王輩出家系を作り、その直系あるいは直系に最も近い男子を王に差し出すという仕組みです。
ここまで書くと私が何を言いたいかお分かりだと思います。すなわち
伊豆分社三島3王子とは、後の王輩出家系の祖先だった
のではないかということなのです。
■もう一人の天皇
随分前の記事になりますが、2015年6月12日の(新)ブログ記事「2015年の慰霊(4)」で、中京地方のある神社に不思議な案内書きが建てられているのをご紹介したことがあります。
昭和61年に即位20年を記念するこの記述は、明らかにもう一人の天皇がこの国に居ることを示しています。
この国に「裏天皇」なる存在がいるのではないかとは、以前から囁かれていることですが、この案内板が存在することは、それが単なる噂などではなく事実を示すものであるとは考えられないでしょうか?
そうなると、前節で述べた三島3王子が男性王の輩出家系ではないかとする推測は、もしかしたら、3家から同時期に3人の王が選出されているのではないかという考えに変わるのです。もちろん、私たち一般国民が知らされる天皇はたった一人だけなのですが。
これを裏付ける確証とはならないかもしれませんが、この国には奇妙な「三」の符号が多く見られます。
三島の「三」
三つ巴の「三」
門松の「三」本松
「三」段の鏡餅
果たしてこれらは関係ないと言い切れるでしょうか?
■3人の王と2人の少女神
ここで話を少女神に戻します。このブログでは、少女神を王権授受権を有する皇后と捉えるほかに、政体とシャーマンの2人の少女神、あるいは双子の少女神が存在するとも見ています。
詳しくは、本ブログのサイト検索で「双子」と入れて関係記事を探してみてください。
ここで、前節の3人の王と2人の少女神という推測から
三島王:3人
少女神:2人
となりますが、これに冒頭で述べたイザナギ・イザナミの神話から、数字だけを取り出すと
イザナギ(男性王):1500人
イザナミ(皇后) :1000人
となり、
三島王:少女神 = イザナギ:イザナミ = 3:2
という関係が導かれるのです。要するに王と王妃の割合を示していると解釈できるのですが、人は1以下には分割できないので、どうしても最小公約数であるこの人数の割合となってしまうのです。
これだけだとただの偶然かもしれませんが、これを補足すると考えられる次のような文面が、ひふみ神示には見られるのです。
五人あるぞ、中二人、外三人、この仕組 天の仕組。
五十黙示録 扶桑の巻 9帖
千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが
五十黙示録 至恩の巻 9帖
2番目の文書を補足すると
千五百の産屋:千人 = 216(天):144(地) = 3:2
となることはもうお分かりでしょう。
ですから、三島3王子から少々苦しい導入でしたが、3人の王と2人の少女神という仮説はまんざら突拍子もないとは言い切れないのです。
そうであるならば、ドラマ「カネ恋」第4話は、3人の王と2人の少女神の存在を示しており、まさしくそれはこの国の隠された天皇統治の仕組みを示していたと言えるのです。
どうやら、三浦春馬さんはテレビドラマの体をした、どえらい呪詛に巻き込まれてしまったようです。
ささげてむ 和稲荒稲(わしねあらしね) 横山のごと。
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