方舟と獣の数字

今回に限っては、少しだけ触れて終わりにしようと思っていたアニメ分析ですが、この鹿の子アニメ(*)には思いの外多くの歴史的情報が埋め込まれていたので、まだ文字化ができていない点について今回もまた取り上げてみようと思います。

*タイトルは「しかのこのこのここしたんたん」

「いい加減にしろよ」と思われる読者さんも多いかと思いますが、あくまでもこれは「古代史分析」の一環であり、けっして酔狂でアニメについて語っている訳ではないので(本当です)、その点はご理解いただけますようお願いします。

■背振の山から見えたもの

実は1週間程前、現地の福岡県に飛んで、もう一度アニメに関係する土地を見てきました。具体的な行先は次になります。

画像1:脊振山気象レーダー観測所
画像2:気象レーダーの地図上の位置

気象レーダーは福岡県と佐賀県の県境となる背振山の尾根伝いの登山道上にあるのですが、レーダーまでは自動車が入れるように舗装されており(一般車両は不可)、県道から歩いておよそ30分くらいの所にあります。

私も現地に入ってから気付いたのですが、このポイントからは福岡県側に博多湾、そして佐賀県側は有明海はもちろん「鹿島と木嶋と方舟と」で取り上げた杵島までが見渡せるのです。

当日は少し霞んでいて写真では見にくいのですが、以上の重要ポイントをここから写真に収めました。

画像3:気象レーダーから見下ろした志賀島と能古島
画像4:気象レーダーから見下ろした佐賀の平野と杵島

志賀島と能古島は「志賀能古(しかのこ)=鹿の子」であり、志賀の神とはどうやら大船、すなわち「方舟」を指すだろうことは過去記事で述べた通りです。

また「杵島(きしま)」とは、古代シュメール語まで遡ればキッジュ(木)マァ(舟)で木舟であり、どうやらこれが「方舟」を指すことも、過去記事で既に述べています。

つまりこのレーダー観測所の位置は、方舟伝承に関わる2つの土地が同時に見下ろせる絶好のポイントであることが分かるのです。

これは私にとっても大きな発見で、わざわざここまで足を運んで良かったと思うだけでなく、古代史においてこの脊振の山々が、当時の信仰形態がどのようなものであったのか、それを理解する上で極めて重要な場所だという認識に至ったのです。

■虎虎虎

これまで鹿の子アニメの「鹿」について多くを考察してきましたが、このアニメには「虎」の文字を冠するキャラクターが準主役として登場していることを忘れてはなりません。

画像5:虎視姉妹

もうお気付きの様に、この二人合わせたキャラ名の中には「虎」の字が3回現れています。それを抜き出すと「虎虎虎(トラトラトラ)」となりますが、この「トラトラトラ」は第2次世界大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃する際に出された暗号文であることはつとに有名です。そう言えば同名タイトルの映画も作られていますよね。

それではどうして、真珠湾攻撃の暗号文がトラトラトラだったのか?そして、それがまた何でこのようなお気楽ギャグアニメの中に登場したのかが非常に気になります。

以下は私の考察なので合っているかどうかは分かりませんが、偶然と言うには余りにも意味的符牒が整っているので、参考までに紹介しておきましょう。

画像6:「トラ」をヲシテ文字で表記し、文字の構成要素を組み合わせる

以上のように、神代文字とも言われるヲシテ文字で「トラ」を表記し直すと、この音に隠された意味が見えてきます。そして、そこから見えてくるのは

 天地(の理)と六芒星、あるいはダビデの星

なのです。

これを意味的に日本語表現するならば

 天地(あめつち)の秘密(火水)

と読めなくもありません。

また、ここから「トラトラトラ」と「トラ」を3つ重ねた言葉に隠された意味の一つに3つの六芒星、すなわち

 666

があるだろうと考えられるのです。

ご存知の様に、666という数字は「獣の数字」として聖書の「ヨハネの黙示録」にも記述されています。

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

(ヨハネの黙示録 13章18節)

「鹿」からは「ノアの方舟」、そして「虎」からは「獣の数字666」、あくまでも日本古代史を扱っていたはずなのに、どちらも聖書の世界と繋がってしまうのです。一見能天気なお気楽アニメにしか見えないこの鹿の子アニメ、いったい何を企んでいるのでしょうか?

■七枝の線刻石

前回の記事「鹿と大船と祓祝詞」では、この鹿の子アニメの中で七枝のメノラー(古代ユダヤの7支の燭台)が描かれているとの指摘をしました。

画像7:アニメ中に描かれたメノラー

実はこのメノラー、日本国内の各地で見つかった線刻石や弥生式土器にも描かれていると言うのです。

画像8:下関市、彦島の線刻石(川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から)

古代言語の研究家、川崎真治さんによると、七枝の文様のルーツは聖書の時代を通り越してシュメール神話にまで遡ると推定されており、どうやらこれまで見てきた聖書と古代日本の奇妙な接点を理解する共通の鍵は、シュメール文明にあるようなのです。

シュメール神話に関する彫像で七枝樹が描かれる場面は、王「アン」と女王「キ」の間というのが定番のようなのですが、ここでやっと、アニメに登場した少女キャラクター(少女神の象徴)、すなわち皇后(=女王)とメノラーの関係性が見えてくるのです。

画像9:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹
女王の象徴は左端に描かれた蛇、王の象徴は牛角の冠

ここから先は私もまだ不勉強なのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが、このアニメの設定は、想像以上に深い歴史考証によって組み立てられているのが分るのです。


管理人 日月土

鹿と大船と祓祝詞

巷でちょっとだけ話題?にされていた鹿の子アニメ(※)を題材に取り上げて、なぜあれほどまで脈絡なしに「シカ」を強調するのか、その謎というか、原作サイドの隠された意図を、例によって日本古代史の文脈で掘り下げてみたところ、それが、

 方舟(はこぶね)

に辿り着いたことは、前回2回の記事でお伝えした通りです。

 関連記事:
 ・越と鹿乃子 
 ・鹿と方舟信仰 

 ※アニメタイトルは「しかのこのこのここしたんたん」です

残念ながらこのアニメ、先月で最終回を迎えたのですが、とにかく呪文のように怪しげなタイトルと奇妙な鹿の子ダンス、そして意味不明な設定で話を押しまくれるだけ押しまくって消えて行ってしまったようなのです。

ところが、その一見とっちらかって無茶苦茶なアニメも、整理してみると、非常によく計算された構造が見えて来たことは、上記過去記事でも述べています。

■鹿の子アニメの気になるシーン

さて、今回は同作品中の次の二つのカットを紹介しますが、どちらも、これまで本ブログで扱ってきた歴史的記号を象徴するものであると私は考えます。

画像1:鹿の角とバナナ
©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部(画像3も同様)

鹿の子の角の中にバナナが入っている?ギャグアニメだと言われればそれまでなのですが、これに関する解釈については、実は昨年1月の記事で既に取り扱っているのです。

「バナナ」をアラビア数字で音表現すると「877」となりますが、この数字にどんな意味があるかは、以下の説明画像を見ればお分かりになるかと思います

画像2:877の記号
大空のXXと少女神の暗号」から

「877」は古代の皇后、それも特殊な巫女能力と王権継承権を有した「少女神」の象徴と解釈したのですが、この鹿の子アニメは(真)ブログ記事「角娘の降臨」でも書いたように、とにかく「角のある少女」たちが複数登場しており、すなわち「少女神」を表す記号が満載なのです。

ですから、この「鹿の角とバナナ」という珍妙な組み合わせも、これが古代日本の女系王権のことを意図的に示すものだと捉えれば、この画が非常に重要な意味を含むものと捉え直すことができるのです。

画像3:鹿の角とメノラー

「鹿の子の角は頭ごと取り外せる」という、これもまたギャグアニメのなせるナンセンスの一つなのでしょうが、この画もまた歴史的には奇妙に一致するニュアンスを含んでいるのです。それが、頭部を含め七支の突起部を持つ鹿の子の角と、古代ユダヤ教のメノラーの形状が酷似していることなのです。

ここで、「少女神」と「ユダヤ」という奇妙な関連性が導かれるのです。これまで、この2つの事象が直接関連し合うとの考察は特に行ってきませんでしたが、このアニメの構造分析を通していよいよその接点が見えて来たように思えます。

この2つの古代史トピックを繋ぐのが、おそらく「方舟」なのでしょう。聖書によるとユダヤ人十二支族が誕生したのは、ノアの方舟から更に下ってアブラハムが登場して以降のことですから、方舟伝承の方がはるかに旧いと考えられるのです。

そのユダヤより旧い伝承が日本国内に残っている。ここで、「少女神」と「方舟」の間に何か関連性があるのならば、「少女神」は日本における古代ユダヤの登場よりも前から、この国に存在していたとも考えられるのです。

■大船と祓祝詞

聖書によれば、ノアの方舟は3層構造の大きな船であることが記述されています。つまり、「方舟」は「大船」と表現されてもおかしくないのですが、実はこの「大船」は神社の祓祝詞(はらえのりと)の中に出てきます。

祓祝詞は、6月の大祓(おおはらえ)の時に神社で聞くことのある祝詞ですが、その文面は神社によって多少異なるとしても、概ねその骨子は同じように思います。

祓祝詞として有名なのが中臣祓(なかとみのはらえ)で、次にそこから「大船」が出て来る場面を抜き出してみましょう。

 高天原(たかまのはら)に神留坐(かむづまりまし)ます
 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ))神漏美(かむろみ)
 の命(みこと)を以もちて 八百万(やほよろづ)の神等
 (かみたち)を 神集(へに集賜つど)へたまひ 神議
 (かむはかり)に議賜(はかりたまひ)て 我(あが)
 皇孫尊(すめみまのみこと)をば 豊葦原(とよあしはら)
 の水穂(みずほ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平
 (たひら)けく所知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し
 奉まつりき

 ・・・(中略)・・・

 如此(かく)所聞食(きこしめ)しては 罪(つみ)と云(い)
 ふ罪(つみ)は不在(あらじ)と 科戸(しなど)の風(かぜ)
 の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹放(ふきはな)つ事
 (こと)の如(ごと)く 朝(あした)の御霧(みきり)夕(ゆふ)
 べの御霧(みきり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹掃
 (ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)
 に居(を)る大船(おほふね)の舳(へ)解放(ときはな)ち艫
 (とも)解放(ときはな)ちて大海原(おほわだのはら)に
 押放(おしはなつ)事(こと)如ごとく

 ・・・(以下略)・・・

引用元:古今宗教研究所から

この祝詞では、罪や穢れが吹き流され清められる様を、大きな船が風を受けて大海にさっそうと乗り出す情景に例えて比喩的に表現されていると読めます。

私も「何でここで船なんだろうな?」と長らく疑問ではあったものの、祝詞全体の調子によく合っているのか、それ以上は特に疑問を感じることはありませんでした。

しかし、今回「鹿」(シカ)と「方舟」の関連性に気付いてから、この祝詞の捉え方が大きく変わったのです。そして、こう思うようになりました。

 日本は方舟伝承の当時国なのでは?

と。

大祓は元々6月と12月に朝廷で行われていた行事であり、それはすなわち、国家全体の罪や穢れを祓い清める儀式であることを意味している訳で、その国家的行事で奏上される文言の中にしっかりと遠い昔の「方舟」の記憶が盛り込まれているのですから。

繰り返しになりますが、聖書と日本書紀、中臣祓祝詞の方舟に関係するとされる箇所を比較すると

 聖書  : 3層構造の方舟
 日本書紀: 底・中・表の3人の海神(シカの祭神)→ 3層構造
 中臣祓 : 大船

となります。これがどう繋がるかは、前回・前々回の記事を参考にしてください。

■鹿の子アニメの狙いは?

鹿の子アニメを我慢して視聴し、古代史と照らし合わせながらここまで見てきましたが、この作品には思わぬ意図が隠れていることが分かって来ました。

読者の皆さんが関心を抱くのは、これまでの私の分析が仮に正しいとして、どうしてこのアニメを世に出して来たのかという点だと思います。

原案者の真意を正確に把握することは非常に難しいのですが、ある程度推測することは可能です。その真意を測る上で非常に大事なキーワードが実はこの「方舟」なのです。

そもそも方舟は何のために作られたのでしょうか?それを考えた時、このアニメを制作した側の狙いが朧気ながら見えてくるのです。

もう一つのヒントは、シカ(志賀)の神とは別名「穂高見命」(ほだかみのみこと)であることです。すると次のキャラクターが登場したあの有名アニメ映画が思い出されるのですが覚えておられるでしょうか?

画像4:右側の少年キャラは誰?

そして、この映画のラストシーンがどうであったのかをもう一度思い出すと、鹿の子アニメの真の狙いがこの映画のメッセージと同じであることに気が付くのです。


鹿は藤原光る君虎に翼の虎視眈々
管理人 日月土

鹿島と木嶋と方舟と

先々月5月31日の記事「もう一つの鹿島」では、この春に調査に向かった、佐賀県の杵島(きしま)についての考察をレポートさせて頂きました。

そこでは、古代の海運事情と朝鮮半島との繋がり、また、現在でも残る地名から、日本神話の登場人物(あるいは神)との関係性について考察し、またその中の「鹿」の文字から、古代ユダヤとの関連性も考えられるのではないかとの推察を述べています。

今回は鹿島、もとい杵島について、もう少し深いお話をお伝えさせていただきます。

■シュメール語による「きしま」の分析

前回もお伝えしたように、この調査では私にとって歴史の先生役でもあるG氏に同行して頂いたのですが、最近またG氏に会ってお話を聞く機会を得たので、その時聞いた内容をできるだけそのままお伝えできればと思います。

画像1:地図上の杵島
画像2:潮見神社側から見た杵島

前回お伝えしたように、潮見神社のある辺りの平地は、古代期には半島交易の重要な船溜まりとして機能していただろうと考えられ、その向かいにある300メートル程度の低い山が連なる杵島も、有明海側を見渡す見張り台として大変都合が良い場所であったはずです。

海運を生業としている古代人にとっては、杵島は現実的な要所であったと同時に、人々の生活を支える有難い山、いわば神が宿る聖なる山であったのかもしれません。

そんな古代人の信仰の表れが「杵島」(きしま)という地名から読み取れるとG氏は語るのです。

古代言語研究家の川崎真治さんの著書などから推察すると、「キシマ」という言葉は、どうやらシュメール語の「ギシュ・マァ・グル・グル」から来ているようなのです。

「ギシュ」は文字通りの「木」(wood)の意味、「マァ」は「船」(ship)、「グル・グル」船の「回遊する様」(wandering)を意味しており、直訳すれば、「彷徨う木の船」となりますが、どうやらこの「彷徨う木の船」とは

 方舟(はこぶね、または箱舟)

を指しているようなのです。後に、「グル・グル」の部分が脱落して「ギシュ・マァ」だけが残り、時間とともに日本語的に平易な響きの「きしま」に変化していったようなのです。

※初回投稿から一部修正があります

この話を聞いた時、当然ながら私は聖書の創世記に記された「ノアの箱舟」を思い出したのは言うまでもありません。

前回の記事の最後部で、(「鹿」など周囲の地名から)古代ユダヤとの繋がりが感じられる旨の感想を述べましたが、G氏のこの話はまさに直球で、旧約聖書における重要トピックとの繋がりを示唆するものだったのです。

これだけでも、大いに興味が湧いてくるのですが、G氏は次の様に話を続けます。

 あられふる きしみがたけを さがしみと くさとりはなち いもがてをとる

これは万葉集の巻3-385番の和歌ですが、これの漢字読み下しは

 あられふる 吉志美が岳を 険しみと 草取りはなち 妹が手を取る

となります。現代語訳は

 あられの降る吉志美の山が険しいので、草を取りそこねて妹の手を取ることだ

となり、一般的には吉野(奈良県)の男性が、姫に与えた歌と伝えられていますが、そもそも「きしみが岳」とはどこを指すのでしょう?またいったいこの歌にはどのような意味が込められているのでしょうか?

私は、吉志美(きしみ)とは杵島(きしま)ではないかと考えるのです。

「あられふる」は「霰降る」で、その後に出て来る「山」にかかる枕詞なのですが、そもそも「霰降る」とは文字通り以外に何を意味するのでしょうか?

これを聖書の箱舟伝説に関わる用語と捉えると、その意味が自ずと見えてくるのです。

聖書では、大洪水でこの世の陸地が水没した中、150日以上も漂流し続けたノアの箱舟は最終的に

  アララト山に漂着

することになるのです。

水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。

新共同訳聖書 創世記第8章3-5節
画像3:アララト山上の箱舟(想像図)

「箱舟」と「山」の関係はまさに聖書のままなのですが、では「あられふる」とは何なのか?G氏は次の様に推測します。

「あられふる」とは元々「アララト」であったのが、後に変容した言葉だと考えられるのです。

これには私も驚きました、もしもそうであるならば、「あられふるきしみがたけ」とは「あられふる」(アララト)の「きしみ」(箱舟)が漂着した「たけ」(山)と、聖書の記述とピッタリ一致するのです。

これはいったいどういうことなのか、G氏の説明は続きます。

■全国に見られる箱舟信仰

この和歌に出て来る「きしみ」が必ずしも佐賀の杵島を指しているとは言いませんが、おそらくこのような箱舟信仰は日本中にあったと考えられます。

それを象徴するのが、まさに「貴船神社」(きふねじんじゃ)です。「貴船」は「木船」と表記することもあり、やはり箱舟を指していると見るのが妥当なのです。

京都北部の貴船神社が有名ですが、どうしてあんな山深いところに「船」なんだろうと思ったことはありませんか?

しかし、これがノアの洪水伝説に従うなら、むしろ山間にある方が状況としては正しいのです。

同じく京都には蚕ノ社(かいこのやしろ)と呼ばれる「木嶋坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)がありますが、まさにこれも文字通り「きしま」なんです。

ここを訪れる方は、有名な3本鳥居ばかり注目していますが、この神社の北側に「雙ヶ岡」(ふたがおか)と呼ばれる小山があるのはあまりご存知無いようです。この小山とセットで本来の箱舟信仰は成立しているのですよ。

このお話を聞いた後、さっそくGoogleアースでこの2つの神社を調べてみました。その図が以下になります。

画像4:貴船神社と京都北部の山々
画像5:蚕ノ社と雙ヶ岡

これは非常に驚くべき視点です。古代ユダヤと日本の関係を探していたら、いきなり創世記の洪水・箱舟伝説と古代日本の信仰形態がリンクしてくるのですから。

そうなると、シュメール文明まで遡らないと、ユダヤとの日本の本当の文明起源を俯瞰できないということも示しており、今からそこまで掘り下げないといけないとなると、何やら頭がくらくらしてくるのです。

最後に、「あられふる」の枕詞を用いた和歌を一首紹介しましょう

 霰(あられ)降り鹿島の神を祈りつつ
  皇御軍(すめらみくさ)にわれは来にしを

万葉集の防人の歌であるこの歌には、次の様な解説が付けられています。

「霰降り」は、空から降るあられが地面を打ち付ける音がやかましい(=かしましい)ことから「鹿島」の枕詞(まくらことば)となっている。

産経新聞 https://www.sankei.com/article/20190501-QRPGUNC7UBJVHC7DA4GMTSWHSI/

以上はあくまでも現代日本語的な解釈であると考えられます。「鹿島」(かしま)が「杵島」(きしま)の言語的変化であることは既に述べていますので、おそらくこの歌の上の句の真意は

 箱舟の降り立ったアララト

を意味していると考えられ、歌全体の意味も

「大洪水から我らを守った神に祈りを捧げ、私は出征する」と解した方が、はるかにシンプルにその意味が伝わって来るのです。

そして、「鹿」はユダヤ十二支族「ナフタリ」族の象徴であることも、ここで改めて強調しておきましょう。


管理人 日月土

三浦春馬と猿の暗号

前々回及び前回のブログ記事では、2020年に「クローゼットで首吊り」という不審な亡くなられ方をした二人の俳優(三浦春馬さん、竹内結子さん)の死について、古代史的な解釈を用いてその意味を考察してみました。

 ・前々回 三浦春馬と馬鹿 
 ・前回  竹内結子と鹿の暗号 

そこから得た一つの解釈が

 素姓を隠したまま死ね

という呪いのメッセージであり、素姓とはイッサカル族(馬)そしてナフタリ族(鹿)という、古代期における日本とユダヤ十二支族の関係性であり、呪いの向かう先はおそらく現皇室ではないかとの結論を見ています。

■カネ恋と馬鹿

三浦春馬さんの話題を扱う上で、私にとってネックだったのが彼の出演作品を殆ど観たことがないという点でした。

今回このテーマを扱う中で、彼が出演した最後のテレビドラマで、そのストーリー設定からも多くの呪術的要素が見られる「おカネの切れ目が恋のはじまり」(略称:カネ恋)くらいは観ておかねばならないと判断し、つい最近、主演者死去のため4回で打ち切られた同ドラマの有料配信(特別編集版)に目を通してみたのです。

画像1:カネ恋の登場人物と十二支(方位)
 伊勢の猿田彦神社の方位石から南東側に佐瑠女(さるめ)神社がある
 関連記事:佐瑠女神社と三浦春馬の呪い 

上図を書き起した時に、登場人物などドラマの構成についてはある程度調べており、このドラマの大枠については大体分かっていたつもりでしたが、実際に三浦さんがドラマの中でどのように演出されていたのか、また、人間関係の描写等からそこに隠された別の意図を知ることができたのは大きな収穫でした。

三浦さんと馬鹿(うましか)の関係性については、既に前々回の記事で述べていますが、おそらくその関係性を表す侮蔑用語「馬鹿」(ばか)は劇中で絶対に使われていると踏んでいたところ、案の定、第一話の冒頭から三浦さんが演じる猿渡慶太(さるわたり けいた)に向けて、父親の猿渡富彦(さるわたり とみひこ)からこの言葉が発せられたのです。

画像2:第一話で息子の慶太をぼやく父の富彦(草刈正雄)

これに続いて、他の社員やヒロインの九鬼玲子(くき れいこ)から「馬鹿」(ばか)が連発して表現されており、どうやら「猿渡慶太(三浦春馬)は馬鹿(ばか)」という印象をドラマの最初から与えるようにセリフが組まれているとも見えるのです。

この猿渡慶太の役どころは、お金の使い方に非常識な社長の息子という設定ですから、周囲に馬鹿(ばか)と呼ばれても違和感のないものになっています。

これらの設定が果たして本ブログで指摘したユダヤ十二支族による歴史的背景を意図していたものかどうか?コメディものではありがちな設定とも言えるので、この段階では何とも判断できないとしておきましょう。

■カネ恋と猿の暗号

さて、このドラマで気になるのは、登場人物名の多くが干支の十二支に登場する動物名にちなんで付けられていることで、それについては「佐瑠女神社と三浦春馬の呪い」で既に述べており、方位による分析も行っています。

このドラマの隠された意図を理解する上で最も重要と思われるのが、何と言っても主役の名前

 渡慶太

でしょう。

そういえばこのドラマ、慶太の勤める会社が父親の経営するおもちゃの製造会社「モンキーパス」ですし、ヒロインの玲子が慶太を知るきっかけとなったのが「猿が描かれた小皿」。慶太は猿が描かれたビンテージアロハを着ているし、この会社が制作した猿型のロボットはドラマの中でまるで準登場人物のような扱いをされています。

とにかくこのドラマは「猿」尽くしなのです。

画像3:猿之助(左)と猿彦(右)

ここで注目なのが、慶太が日頃側に置いて大事にしている猿型ロボットの名前が「猿彦」(さるひこ)であり(画像3)、これは日本神話に登場する猿田彦(さるたひこ)とそっくりな名前であると言えないでしょうか?ここで、本ブログがテーマとしている日本古代史と話が繋がってくるのです

ちなみ「猿之助」(えんのすけ)の方は、父親の富彦が側に置いているという設定となっています。

父親の富彦と息子の慶太が、猿型ロボットを常に大事に手元に置いている。コメディドラマでは割りとありがちな、つまらないことへの愛着を極端に強調した表現のようにも見えますが、果たしてそれだけなのでしょうか?

これを理解するためには、名前をもじられた日本神話の神「猿田彦」についておさらいする必要があります。猿田彦については、アニメ表現の分析を中心に過去に何度か記事にしていますが、「令和五年のブログ記事まとめ」の中の小見出し「記紀から名を消された古代王」に短くまとめていますので、まずはそちらをお読みになってください。

秀真伝(ほつまつたえ)には、火明命(ほのあかりのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)との2王朝並立時代があったと記されています。火明命とはこれまでの分析から猿田彦その人であることが分かっています。

万世一系を信条とする皇統論の中では2王朝並立期などあってはならない話であり、そのため、猿田彦とは火明命の蔑称として後の歴史家が付けた名前なのであろうと私は見ています。

その歴史から消されたはずの古代王を何故ここまで前面に押し出して来たのか?それについての詳細は未だ不明ではありますが、おそらくこのドラマが構成している「方位の呪術」と大きく関係しているのではないかと予想されるのです。

■猿のユダヤ解釈

さて、ここでちょっと困ったのが、これまで三浦春馬さんと竹内結子さんの名前に込められた意味を、それぞれ「馬鹿」(うましか)、「鹿」(しか)と分析し、そこからユダヤ十二支族のイッサカル族(馬)とナフタリ族(鹿)との関係性を割り出したのですが、「猿」については十二支族のそれぞれ紋章の中に見当たりません。

画像4:ユダヤ十二支族の紋章

やはり、ユダヤ解釈では無理があるのか・・と考えあぐんでいたところ、前述した「2王朝並立時代」という言葉の中に大きなヒントがありました。

旧約聖書をお読みになる方ならご存知のように、サウルから始まるユダヤの王統は、2つの王朝に分裂します。それは

 ユダ王国 と 北イスラエル王国

です。

ユダ王国は、ユダ族とベニヤミン族が中心となった王国、北イスラエル王国はそれ以外の10支族により構成されています。この2国はしばらく並立しますが、後にまた一つの王朝へと戻ることになります。

これだけだと、2王朝並立の部分が同じだけだと言われそうなのですが、この王朝分列のきっかけとなったのが、イスラエル王国の第3代王となった

 שלמה

これは「シェロモー」に近い発音なのですが、一般音訳では

 ソロモン

と表記します。

ヘブライ語は基本的に母音表記をしないので、これを英字表記にすれば

 SLMN

となります。

私が気になるのはこの

 SL(של)

の部分で、母音の添え方次第で幾通りにも読めるのですが、その中にSaLu(サル)も含まれることは注目に値します。

ソロモン王は、ユダヤの王の中でも知恵に秀で、王国に最も繫栄したもたらした王とされていますが、エジプトのファラオの娘を娶ったり偶像崇拝に走るなど、ユダヤの教えを破った最も堕落した王と評されることもあります。

要するに、猿田彦という名には、獣として蔑視の意味を込めた「猿」だけでなく、ユダヤの王朝並立を招いてしまったソロモン王への揶揄が込められているとは考えられないでしょうか?

もっと直接的に表現するならば、猿田彦、すなわち火明命とは、古代ユダヤ王権、特にソロモン王と関係する人物ではなかったのかとも考えられるのです。

しかし、仮にこの説が正しいとしても、どうしてカネ恋の中でここまでソロモン王が強調されるのかについては、やはりよく分からないままなのです。

ここで、呪術的な論理による解釈を許していただけるなら、猿渡慶太こと三浦春馬さんはドラマの収録途中でお亡くなりになった。彼の芸名には、イッサカル・ナフタリの2つのユダヤ支族の名が刻まれているが、同時に、役名として与えられた猿にはユダヤ王ソロモン、そして火明命の名も刻まれていた。要するにこれらまとめて

 素姓を隠したまま死ね

という呪いだったのではなかったのか・・・

ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子を愛され、預言者ナタンを通してそのことを示されたので、主のゆえにその子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。

サムエル記下 第12章24,25節



管理人 日月土

三浦春馬と馬鹿

まず最初にお詫びから申し上げます。

今月令和6年1月は、元日から色々ありまして歴史関係の調査・整理が全く進みませんでした。よって今回のブログ記事では、これまでの記事の中から整理してまとめたものをお知らせしたいと思います。

今回取り上げるのは、2020年の7月18日にお亡くなりになられた、俳優の三浦春馬さんと、最近の歴史テーマに取り上げてきた「馬鹿」(うましか)の関係についてです。

画像1:三浦春馬さん

三浦春馬さんは、クローゼットの中で首を吊った「自殺」と認定されていますが、同年9月27には、やはり有名俳優の竹内結子さんも、同じようにクローゼットの中で自殺したとされています。

この二人について、自殺と言うにはあまりに奇妙な点が共通していることから、両者共にこれが他殺だったのではないかという疑いは今でも囁かれています。

このブログは歴史ブログと銘打っている以上、この件を単純な事件として扱うことはしません。但し、両者の亡くなり方、報道のされ方には呪詛的要因が見受けられるため、それが呪詛だった場合、何に起因し、何を目的としている呪詛なのか、歴史的に解釈することは可能であると判断しました。

まとめ記事故に、これまでお知らせした内容と被る箇所も多々ありますが、三浦春馬さんの死の一件の中に、どのような歴史的意味が込められていたのかを見て行きたいと思います。

■芸名「三浦春馬」に込められた暗喩

芸名にしろ本名にしろ、芸能人の名前が重要なのは、単にそれが個人を識別するだけの記号でなく、そこに使われる文字や読み方が多くの人々に認識されることから、芸能人個人のパーソナリティを超えた別の象徴として使われることは、芸能の世界では良く見られます。

氷川きよしさんの「氷川」が埼玉県大宮市にある「氷川神社」、綾瀬はるかさんの「綾瀬」が同じ埼玉県を流れる「綾瀬川」を象徴し、一つの地理的かつ歴史的呪詛体系を作り出している可能性については、(真)ブログ「氷川と綾瀬と昭和天皇と-皇室への呪い」で既に触れています。

同じように「三浦春馬」という文字列を見て行った場合

 三浦、春、馬

という要素に分解することができます。

ここで、これまでの分析から

 春 → 春日大社 → 鹿
 馬(字のまま)

と、ここでさっそく馬鹿(うましか)の記号が抽出できるのです。

次に「三浦」(みうら)ですが、一般的には神奈川県の三浦半島を想像しがちですが、これについては以下の地図より

画像2:鹿島三浦

茨城県鹿島地方の三つの浦(うら)、すなわち

 霞ヶ浦、北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)

を指すとも考えられ、要するに「鹿島」あるいは「鹿」を表しているとも考えられるのです。

そして、この「三浦」(みうら)を音読みの「三浦」(みほ)と読み替えたらどうなるかというと

 三浦(みほ)→ 美浦(みほ)

となり、この美浦には、広大な

 中央競トレーニング・センター

が置かれているのです。しかも、美浦は画像2の地図の中にすっかり収まっているのです。

画像3:鹿島三浦と美浦
画像4:JRA美浦トレーニングセンター

即ち、「三浦」というどこでもあるような苗字には、「馬鹿」(うましか)の両方の意味が付されていると見なされ、有名芸能人が「三浦」の名で活躍すれば、本人の意識とは全く別に、もう一つの「馬鹿」(うましか)の意味が大衆の意識の中で一人歩きし始めると、呪術に通じている関係者ならば普通にそう考えるのです。

どうやら、「三浦春馬」という芸名には、「馬鹿」(うましか)という別の意味が込められていたようなのです。

■馬鹿(うましか)と馬鹿(ばか)

さて、ここまでは「馬鹿」を「うましか」と呼んできましたが、通常ならばこの漢字2字を書けば「ばか」と読むのが普通です。

前回記事「もののけ姫と馬鹿」では、侮蔑用語として「ばか」がどうして馬と鹿なのか、その起源については、国語辞典編集者の神永さんをして

 諸説あるがはっきりしない

としています。

大事なのは「諸説ある」と「はっきりしない」は意味的には同意であることで、某国営放送の看板番組のように、「諸説ある」のにある一説を以って「ボーっと生きてるんじゃねぇ」と他者をこき下ろすような下品なことはこのブログではやりたくありません。

ならば、「ばか」を「馬鹿」と書かせる諸説の一つに、今回の三浦春馬さんとの関係を考慮しても良いのではないかと思われるのです。

どういうことかといえば、三浦春馬さんの名前に関連付けられた「馬」と「鹿」の意味に対して、昔の人が後から何か侮蔑的な意味を持たせた造語だったのではないかということなのです。

正直なところ、私は三浦春馬さんが出演されたドラマはほとんど見たことがないのですが、彼の出演作を良く知る知人の話では

 少し間の抜けた美男子

という役割が多かったと聞いています。別の言葉で言い換えれば

 ちょっと馬鹿(ばか)っぽい美男子

と言えるのではないでしょうか。

しっかり見ていないので推測の域は出ませんが、もしも「三浦春馬」という名に「馬鹿」(うましか)の意が含まれているのを知っていれば、敢えて彼に「馬鹿」(ばか)のような役作りをさせる演出があったのではないかと想像してしまうのです。

■馬鹿の意味についての再考

そもそも「馬鹿」(うましか)の話は、鹿児島の「鹿」から出てきたもので、これまでの話の展開からその相関図は次のようになります。

画像5:鹿の相関図

この相関図には「鹿」はあっても「馬」らしきものは見えず、「馬」との関連性を考慮しなければならなくなったのは、まさに「三浦春馬」という芸名に「馬」が含まれていること、そして、日本古代史を原作モデルに置いているのは間違いないあの名作アニメ映画「もののけ姫」に、「馬」と「鹿」をミックスしたような架空の動物が描かれていることにあったのです。

画像6:「もののけ姫」のヤックル

多少素性が見えてきた「鹿」は良いとして、このペアに現れる「馬」とはいったい誰を、あるいはどの系統を指すのか思案していたところ、おあつらえ向きに次の様な紋章があることを思い出したのです。

画像7:馬(ロバ)と鹿の紋章

実はこれ、ユダヤ十二支族と言われる聖書の創世記に登場するヤコブ(イスラエル)の子孫(の家)に付けられた紋章なのです。

ヤコブはイサクの息子であり、イサクはまたその父アブラハムの息子です。ヤコブはアブラハムの孫に当たることになります。さて、イサクとアブラハムについては創世記の22章に次のような下りがあります。

 神の命がアブラハムに下った。息子イサクをモリヤにある山
 に連れて行き、そこでイサクの命を神に捧げるようにと。
 山に祭場を作った後、アブラハムが刃物を取りイサクを屠
 (ほふ)ろうとした時、神は手を下すのを止めろと命じた。
 神は愛する息子を捧げようとしたアブラハムを、神を畏れる
 者として祝福した。

この刃物を手にして子を撃とうし、直前でそれを取りやめる動作というのが、かつて諏訪大社の御頭祭において神事として演じられていたというのは、日本のユダヤ同祖論の中でよく聞く話です。

また、諏訪には守屋山もあることから、諏訪の地は聖書のこの記述と何か深い繋がりがあるのではないかと、多くの方が疑問を抱くのも無理はありません。

この件については既にご存知の方は多いと思われますが、これについては次のサイトがよくまとまっているので是非参考にしてください。

 外部リンク:諏訪 御頭祭:聖書のイサクはミシャクジ神か?

私がここで強調したいのは、一見突拍子もなく出したユダヤ十二支族の紋章の話が、聖書の記述を通して諏訪大社の御頭祭と繋がることなのです。

さて、ユダヤ十二支族とは一般的に、ヤコブの子である

 ルベン
 シメオン
 レビ
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 ヨセフ
 ベニヤミン

を指しますが、領地を継いだ一族という基準で見れば、ヨセフの代わりにヨセフの子であるマナセとエフライムの名を加え、そもそも所領を持たないレビ族を除けば

 ルベン
 シメオン
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 マナセ
 エフライム
 ベニヤミン

となります。他にヤコブの直接の子ではないマナセとエフライムの2族をここから除いて十氏族とする見方もまたあるのです。

さて、画像7で挙げた紋章なのですが、それぞれ次の支族を表します。

 馬:イッサカル族
 鹿:ナフタリ族

こうなると、「鹿はユダヤのナフタリ族を指しているのか!」とやりたくなるのですが、それを言うにはまず「馬」の痕跡が日本古代史のどこかに残っているのかを見つけなければ、早計というものでしょう。

■馬に象徴されるもの

まずは「鹿島」と「鹿」の関係よろしく、「馬」の字を含む地名のチェックから始めたのですが、そもそも馬は昔の生活に深く根差した生き物であり、全国ほぼ満遍なく「馬」の付く地名が存在します。

これでは良く分からないので、検索の対象を大きな単位、具体的には県市町村群名に絞ったところ、次の様な結果を得ました。

 群馬県
 福島県   相馬市
 福島県   南相馬市
 福島県   相馬郡
 茨城県   北相馬郡
 群馬県   北群馬郡
 東京都   練馬区
 長野県   北安曇郡白馬村
 徳島県   美馬市
 徳島県   美馬郡
 高知県   安芸郡馬路村
 長崎県   対馬市

これだけ見ても直ぐに何とも言えませんが、県名に「馬」の字を使う群馬県はまず一つ押さえておくべきかと思われます。そして、福島と茨城に見られる「相馬」もまた気になる地名です。特に福島県の南相馬市周辺は2011年の福島第一原発事故で大きな被害を受けた所でもあります。

あと、気になるのは徳島県の美馬郡で、ここにはやはりユダヤ同祖論で取り上げられることの多い「剣山」(つるぎさん)が位置しているのです。やはり「馬」とユダヤの支族が関係しているサインなのでしょうか?

結局良く分からないままなのですが、鹿島のある茨城県から太平洋岸に沿って続く、福島県の「相馬」エリアについては、馬との関連性で追ってみる必要がありそうです。

■三浦春馬と馬鹿

結局のところ、馬鹿(うましか)について核心を突く結論は得られていないのですが、状況証拠的にこれがどうも古代日本におけるユダヤ問題と関連がありそうだというところまでは掴めました。

ここで三浦春馬さんの不審な死の話に戻ると、この死に呪詛的な意味があると仮定した場合、それは古代日本のユダヤ問題に関連するだろうと考えられるのです。

そして、それは三浦さんの芸名が体現する2つのユダヤ支族「馬(イッサカル族)と鹿(ナフタリ族)」に対して死の宣告を向けたのだとも解釈できるのです。

この場合、鹿とは武御雷から藤原氏へと続く一族の血統を指すと考えられますが、馬については上述の通りその系統については未解決だとしておきます。

さて、「クローゼット」という言葉には「隠された性癖」という隠語があるのですが、その中で死亡したという事実と併せて解釈するならば

 素性を隠したまま死ね

と言う意味にも取れます。つまり、日本の中でユダヤの末裔を名乗ることは一切まかりならんと言う強い意志を表しているとも解釈できるのです。

三浦春馬さんは、このようにユダヤ支族への大きな呪いを背負わされて旅立たれたのでしょうか?

参考:

三浦春馬さんの出演ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」について、その中で表現されている種々の暗号メッセージの解読に挑んだ動画がありますので、ここでご紹介しておきます。

Youtubeチャンネル「外閣情報調査室」から

なお、同ドラマについては(真)ブログ記事「三浦春馬の死とカネ恋の呪い」において、そのドラマ設定に仕掛けられた呪術的な意味を、方位術の観点で解読を試みています。


管理人 日月土

もののけ姫と馬鹿

今回のタイトルですが、ちょっと誤解されそうなので初めにお断りを入れて起きます。

ここで使った「馬鹿」はいわゆる侮蔑的な意味での「ばか」ではなく、是非とも動物の馬と鹿を表す「うましか」と読んで頂きたいのです。

どうしてそのような区別をするのかについては、この後の記事を読んで頂ければご納得頂けるのではないかと思います。

■もののけ姫の少女神解釈

今から3年前、2021年の今頃からアニメ映画「もののけ姫」について、その物語構成のモデルとなった日本神話の分析を行ってきました。

これまでにどのようなことが分かったのか、それについては当ブログの過去記事を参考にして頂きたいのですが、今回は、これまでの分析で触れていなかった箇所、及び昨年展開した「少女神仮説」に基づいてに再度この作品を考察したいと思います。

これまでのおさらいとして、主要登場人物に対応する各々の神話上の神(人物)の関係は以下の様になります。

 カヤ   = タクハタチヂヒメ
 アシタカ = ニニギノミコト
 サン   = コノハナサクヤヒメ

これを図で表すと以下の様になります。

画像1:映画「もののけ姫」の主要登場人物の関係図

もののけ姫分析を始めた頃には気付かなかったのですが、カヤとアシタカ、そしてサンとアシタカの男女関係、いわゆる三角関係については、少女神仮説を取り入れると非常に上手く説明できることが分かります。

神話の中で、皇后タクハタチヂヒメにはオシホミミという王がいたのですが、記紀・秀真伝の記述によると、ニニギノミコトはその二人の間の子ということになっています。

この映画もそうなのですが、ニニギノミコトとその母であるタクハタチヂヒメとの男女関係を示すサインが幾つか見られる事から、私は「二人は不義の関係」と解釈してきましたが、ここに少女神仮説、古代王権は女系によって継承されていたという考えを導入すれば、ニニギノミコトは入婿でありタクハタチヂヒメと直接の血の関係はなかったことになります。

前王の王妃を娶って王権が移譲されるものなのかどうかは何とも言えませんが、少なくとも「不義の関係」は言い過ぎではなかったかと訂正します。

史書においてはニニギノミコトはオオヤマツミの娘であるコノハナサクヤヒメを娶ることになっていますが、少女神仮説を以ってこの記述を変換すれば

 オオヤマツミの息子ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメに婿入り

と置き換え可能なのです。

この新解釈を適用した場合、もののけ姫の問題シーンであり、この映画を観た世の女性たちを怒らせた

 カヤからもらった贈り物(黒曜石の短剣)をサンに渡した

という、まるで下衆男の振舞いとも取られかねないアシタカの行動にも重要な意味が隠されていたことに気付かされるのです。それは、

 王権の継承

であり、第9代アマカミ(古代天皇)のオシホミミが王権を獲得できたのは、その皇后であるタクハタチヂヒメに王権継承権があるからであり、その権威の象徴である短剣を別の女性に渡す行為はその女性の夫に王権を継がせる行為そのものなのです。

もしかしたら、カヤは新しい女性の元でアシタカに王になってもらいたかったのかもしれないのです。

すると、サンのモデルとなったコノハナサクヤヒメは誰の子だったのかが問題になるのですが、そちらについてもこれまでの分析から次の答を既に得ています。それは

 ホノアカリとアメノウズメの娘

であり、ホノアカリとは、神話の中で多くの変名・蔑称を持たされた王で、代表的なのがアヂスキタヒコネ、あるいは

 サルタヒコ

なのです。

アメノウズメ(別名サルメキミ)も当然王権継承権を持つ女性であり、その実の娘であるコノハナサクヤヒメがそれを有するのは言うまでもありません。

秀真伝には、ニニギノミコトとホノアカリの二王朝並立時代があったとされ、そうなるとニニギノミコトはもう一つの並立王朝の娘を娶ったことになります。

ホノアカリ王朝については秀真伝に若干の記述があるものの、記紀からは完全に消し去られており、獣の名を冠した「猿タヒコ」の名を以って道案内の神などとその地位を大きく蔑まれているのです。

■アシタカを導いた馬鹿(うましか)

以上はこれまでの解釈をまとめたものですが、ここで新たに注目すべきキャラクターを取り上げます。それは、このキャラです。

画像2:ヤックル

映画の中で、短剣を渡されたアシタカは不思議な生き物に乗って蝦夷の里から西へと向います。

鹿の様に立派な角を携え、サラブレッドのような身体を以って長距離を走り抜く不思議な生き物。このヤックルは、設定上は架空の生き物とされていますが、そのデザインから窺われるのは、明らかに

 馬と鹿の合いの子

なのです。

果たしてこれは宮崎駿監督の単なる思い付きと捉えてよいのでしょうか?ここまで作品設定内に日本古代史を取り込み、モロや乙事主など、動物デザインにもその深い意味を忍ばせているのに、果たしてヤックルだけが「何となく」描かれたなどと言えるのでしょうか?

実は、この話は亡くなられた次の俳優さんにも繋がるのです。

画像3:三浦春馬さん

この「三浦春馬」という芸名が、馬鹿(うましか)を意味するのは前回記事「令和五年のブログ記事まとめ」の最後部に「三浦春馬と春日の関係」という見出しで小さく触れています。

春日大社は放し飼いの鹿で有名ですが、そこに祀られているのは藤原氏の祖神(おやがみ)である武御雷(たけみかづち)の神、別名鹿島神(かしまかみ)なのです。

藤原氏と言えば、今年放映されるNHKの大河ドラマ「光る君へ」は平安の藤原氏の時代に生きる紫式部の生涯をドラマ化したものですが、第1回放送の中に非常に気になるシーンがありました。お菓子を失くしてしまった三郎に向ってまひろが放った言葉です。

画像4:1月7日放送のダイジェスト動画から(吹き出しは筆者が加工)
https://www.youtube.com/watch?v=F-0rxW7VU-8

「馬鹿」(ばか)?果たしてこれは単純に相手を侮蔑する子供のやりとりを現代語表現しただけのものなのでしょうか?

そもそも「馬鹿」(ばか)の語源とは何なのでしょうか?

これについては、国語辞典編集者の神永さんによるブログ記事「何でバカって言うの?」が参考になります。

同記事における結論は、「諸説あるものの語源がはっきりしない」ということなので、現代日本人はその意味も分からずに「馬」と「鹿」を使って人を侮蔑しているということになります。

現代の子供でさえふざけて使う、こんな一般的な言葉の語源が不明だと言うのも驚きなのですが、もしも「馬鹿」が何かの呪術的符号だとするならば、そこには必ず呪術を成立させる明確な論理が存在するはずなのです。

実は、その答は少し見えています。以下の図を見れば、お分かりになる人は直ぐにハッと気付かれるでしょう。

画像5:古代ユダヤの紋章
イッサカル族(左)とナフタリ族(右)

どうやらニニギノミコトの王権取得にはこの紋章を戴く2族が関わっているようなのです。

そして、藤原氏と鹿の一族との関係はもちろんですが、馬を戴く一族とは具体的に誰なのか、そして、アシタカをサンの下へ送り届けた馬鹿(ヤックル)の映画表現は何を意味するのか?

また、ニニギノミコトノの事跡である「天孫降臨」と呼ばれる神話的事象も、この2族との関係を無視して正確に語り得ないのです。

ジブリ映画の大ヒット作「もののけ姫」にはまだまだ古代日本の史実が隠されていたようです。

岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)
ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入
られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれた
のであるぞ、十二の卵を十生んだことに
もなるのであるぞ、五つの卵を四つ生ん
だとも言へるのであるぞ、総て神界のこ
と、霊界のことは、現界から見れば妙な
ことであるなれど、それでちゃんと道に
はまってゐるのであるぞ。

(日月神示 碧玉の巻 第十帖)


管理人 日月土

菊池盆地に残るユダヤの痕跡

これまで、「菊池盆地と古代」・「菊池盆地の大遺跡と鉄」と、6月に訪れた熊本県の菊池盆地内の史跡について現地調査レポートを紹介してきました。

今回もその続きになりますが、単なる歴史探訪記で終わってもつまらないので、今回は、現地で見つけた史跡について、極めて個人的興味から気になったもの、面白そうなものを特に取り上げてみたいと思います。

始めにお断りしておきますが、ここで述べられていることに学術的な裏付けはほぼないばかりか、かなり主観的な思い込みも含まれていますのでご注意ください。

■高橋八幡神社:鞠智城との中継点か?

最初に紹介するのは、山鹿市鹿本町高橋にある「高橋八幡神社」です。八幡神社なんて全国どこにでもあると思われるかもしれませんが、この神社には古代史ファンが表現するところの「ユダヤ」的要素が多分に見られるのです。

画像1:神社内から鳥居の外側を見る

いきなり神社の外の風景を見てもらったのは、神社が置かれた土地の地形についてイメージを持って頂きたいからです。

写真を見ればお分かりになるように、鳥居に向かう道路は東南に向けて少し下っており、その先の少し低くなった土地に畑と水田が広がっています。更にその先に菊池川の支流である上内田川が流れているのですが、ここから、神社が川面よりも数メートル高い所にあるのが分ります。

こんな風景は珍しくないかもしれませんが、ここで「菊池盆地と古代」で書いたように、上の写真で畑として写っている低い土地は、古代期に存在したと言われている巨大湖「茂賀の浦」の水面下であった可能性が認められるのです。

神社の由緒によると「1191年に宇佐八幡宮の分霊を勧請した」のが神社の始まりとありますが、この地形を見て最初に想像されるのは

 この神社は元々船着き場だったのではないか

という点なのです。もちろん、茂賀の浦がまだ水を湛えた頃の話です。

現在は海岸線の位置がずい分と後退したこと、また干拓などで耕作地を広げたことにより、今では内陸の神社と思われている多くの神社が実は古代期、遅くは中世期位までは海辺の神社、すなわち人の集まる船着き場や見張り台として公的な機能を有していたと考えられます。

神社に灯篭があるのも、夜の参道を照らす灯りと言うより、当初は沖合の船に船着き場を知らす灯台の役割があったとも考えられるのです。

この点を考慮すると、高橋八幡神社は神社として今の形態を取る前は、茂賀の浦の船着き場であったと同時に、人が集まることから湖上の安全航行を祈願する場所であったとも予想されるのです。

この高橋八幡神社の鎮座する小高い丘は、地図上でその位置を確認すると次の様になります。

画像2:高橋八幡神社と鞠智城跡
両者は茂賀の浦を挟んで互いに対岸に位置する

画像2を見ると、高橋八幡神社は鞠智城から茂賀の浦の入り江を船で西に渡る最短地点にあり、鞠智城が西暦600年代後半位からそこにあったと考えられているので、やはりここが鞠智城と西の陸路を結ぶ船の接岸地点であったと見なすのが適当なのではないかと私は予想します。

■高橋八幡神社に見るユダヤの痕跡

さて、この高橋八幡神社なのですが、一部の歴史ファンの間では古代ユダヤと何か関係あるのではないかと注目されている神社なのです。それは、由緒書き云々やそこに祀られている祭神とは全く関係なく、賽銭箱の正面に描かれた次の神紋から窺えるのです。

画像3:高橋八幡神社の神紋

この神紋は国内でも非常に珍しく、円天角地十字剣紋または十字剣紋と呼ばれているそうですが、これを旧約聖書に登場するモーゼが掲げた紋章であると解釈し、古代日本とユダヤの繋がりを示すものであると考える方もいらっしゃるようです。

海外サイトでモーゼの紋章について書かれているものをネット検索してみましたが、私が調べた限りではこの神紋に近いものは見つかりませんでした。むしろ、中世のテンプル騎士団が使っていた十字紋章の方がそれに近いと思えるのです。

画像4:テンプル騎士団の紋章

今回の調査では、たまたま外出するところの宮司さんにお会いできたので、急いでいるところをたいへん申し訳なかったのですが、この神紋の言われについて尋ねることができました。その答はほぼ予想していた通りだったのですが、

 ”実はよく分からないのです”

というものでした。

この神社には、神紋の他にもう一つユダヤ的要素を示す特徴があります。それが次に掲げる画像5の写真です

画像5:ユダヤブルーに塗られた壁

屋根と庇の間の外壁が緑に近い青、青緑とでも呼ぶべき色に塗られていますが、私や同じく古代史に興味を抱いている仲間の間では、この色のことを勝手に「ユダヤブルー」と呼んでいます。

それというのも、古代ユダヤとの繋がりを感じる日本国内の史跡には何故かこの色が多用されているのをこれまで多く見て来ているからなのです。そして、この「青」という色は旧約聖書の中で次の様に書かれているのです。

また、エフォドと共に着る上着を青一色の布で作りなさい。

出エジプト記 第28章31節

旧約聖書の中では何も青色に限らず、他の色の記述もあるのですが、この一節は司祭の服装に関する規定の中に登場するもので、ユダヤ社会においては青色がとりわけ神聖な色として取り扱われていることが、ここから窺えるのです。

実際にそのユダヤ的思想は現代のイスラエルの国旗の色に現れています。

画像6:ご存知イスラエル国旗

中心は古代ユダヤ王ダビデの紋章、そして上下の青色の帯はパレスチナの空の色、あるいは聖なる青色のタリート(肩掛け)を表していると言われています。とにかくこの国は青色を極めて好む国だと言うことはできそうです。

■本当にユダヤ起源なのか?

私たち日本人は、十字形の物を見ると直ぐにキリスト教の十字架を連想し、そこから直ぐに西欧的なものとの繋がりを感じてしまうようです。もちろん、現代社会ではそれが自然な感性なのでしょうが、実は十字形もダビデの星(六芒星)も古代陰陽道の思想で説明可能なのです。

高橋八幡神社の神紋については、各パーツに分けると個々について陰陽道的に次の様に説明することができます。

画像7:陰陽道における火水(ひみつ)の原理

このように、この神紋を解釈するに当たって必ずしも西欧的ユダヤ思想に依る必要もないのですが、別の捉え方をすると

 古代陰陽道とユダヤに見られる共通性はどうしてなのか?

という新たな疑問が生じるのです。

日猶同祖論は、一方的に大陸からユダヤ氏族が日本に訪れたことを前提として論じられますが、シンボルに見られるこの奇妙な共通性はユダヤ思想由来と断じてよいのか私は大いに疑問に感じます。

何故なら、陰陽道的解釈の方がはるかに原理的解釈において緻密であり、文化伝来の方向性を考慮するならば、原理解釈として劣化が見られるユダヤ的解釈(カバラ)を陰陽道の起源と考えるのは無理を感じるからです。

もしかしたらユダヤ思想とは日本を起源としているのではないのか?私はその可能性も残しておくべきだと思うのです。


  * * *

今回は熊本県山鹿市の高橋八幡神社に見られるユダヤの痕跡についてレポートしましたが、それを言うならば、鞠智城に大量に入植してきただろう百済人とユダヤとの関係、そして魏志倭人伝に登場する狗奴国王クコチヒク(菊池彦?)とユダヤの関係も無視できないトピックとなってきます。

何より、この地に入り込んだ古代祭祀一族(呪術者一族)である日置氏とユダヤの関係も精査していかなければならないのです。



青の神出ずるこの時何をか語らん
管理人 日月土

ホログラム宇宙とビッグ・バン

以下の図は、本日(令和3年元日)に配信されたメルマガの解説文を補足するために掲載したものです。

夜空に見える星々や、太陽や月などの「天体」と呼ばれるものはいったい何なのか。その「天体」の定義に遡ったとき、 これまで与えられてきた宇宙概念が誤りであり、宇宙の真の姿が理解できるようになるでしょう。また、宇宙の成立に神の介在が不可欠であることも見えてくるのです。

宇宙開闢(うちゅうかいびゃく)は古代文明によって人工的に為された。これが日本神話における岩戸閉めであり、騙した岩戸開きとなった。

しかし、このような人の犯した過ちは、近々清算されることになるでしょう。天空の異変はこれをきっかけに起こることになります。


月の光は太陽の光になり/太陽の光は七倍になり/七つの日の光となる
(イザヤ 30:26)
管理人 日月土

倭国大乱とハタレの乱

繰り返しになりますが、このブログでは日本書紀・古事記などの史書に書かれた神代は、史実を隠蔽するために意図的に寓話化・神話化されたものであるとみなしています。

ですから、日本各地の神社に祀られている天照大御神(アマテラスオオミカミ)や大国主命(オオクニヌシノミコト)などは、実在した人物を象徴した名前であるとの認識で話を進めています。

また、それを裏付ける材料として、秀真伝(ホツマツタエ)を重要な参考資料としています。何故なら、秀真伝に登場するアマテルカミ(天照大御神のこと)や記紀で神々として描かれている他の登場人物は、ここでは明らかに実在した人物であり、都を開いた場所や血縁関係等が具体的に示されているだけでなく、人物にまつわるエピソードなどもより詳細に記述されているからです。

もちろん、秀真伝に書かれていることが全て正しいかどうかなど分かりません。そこで、神話化された記紀の物語を一種の暗号と見なし、暗号の解読内容と、秀真伝の記述に矛盾がないか、また、他の史書とはどうなのか、それらを比較検討して、史実を見出そうとしています。尤も、それは理想形であり、現実にはなかなかそこまで行きつけませんが。

■倭国大乱とは何か

女王卑弥呼と邪馬台国の謎は、卑弥呼の正体や、国が実在した場所を巡って古代史ファンにとって興味尽きない話題ですが、今回私は、敢えてその主要テーマから外れて、魏志倭人伝の次の記述に注目しました

其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 


「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大。夫婿なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。」

引用元:魏志倭人伝 http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

卑弥呼が登場する有名な一説ではありますが、私が注目するのは次の箇所です

 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年
「住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年」

男王の時代、倭国は乱れ7,80年に及ぶ乱が起きていたといいます。本書では単に「乱」と記述されていますが、一般にこれを「倭国大乱」と呼び、Wikiによると魏志倭人伝の他、後漢書や梁書などの他の中国史書にもその記述あるとあります。

 参考:Wikiペディア「倭国大乱

また、Wikiでは、史書の記述からその時期を2世紀後半としていますが、交戦勢力や戦力、指揮官や損害などについては不明ということになっています。

要するに、この頃、卑弥呼の登場直前までに日本国内で何か大きな戦争があったという漠然とした情報しか残されていないのです。

■秀真伝に書かれた騒乱

魏志倭人伝や記紀では何があったのかまったく不明の倭国大乱ですが、実は、秀真伝では記紀で言うところの神話時代に「ハタレの乱」という全国規模の騒乱があったとの記載があります。

ここから先は秀真研究者の池田満さんの文献解釈に従って「ハタレの乱」がどういうものであったかを確認します。

まず、池田氏編集の「ホツマ辞典」からその定義の冒頭部を抜粋します。

 八代アマカミ・アマテルの時代に起きた全国規模の叛乱の名称。またこの叛乱に参加した人々についていう。ハタレの語源は、必然性を超えて強引に要求する意の動詞ハタレからきている。
 ハタレには六集団の区別があって、、各々に名前が付いていた。

 (中略)

 悪人を野放しのまま放置するのか、或いは、ノリ(法)を通すために戦さをするのか、二者択一の判断を迫られた時、アマテルカミは後者を選んだ。

このハタレの乱の規模については、同辞典に次のような表でまとめられています。

表1:ハタレの乱六集団 ※赤字は筆者

秀真伝の記述を信じるなら、約80万人の参加人数とは、例えこれが述べ人数だとしても兵力としては大規模であり、決してそれが小競り合いなどではないことが分かります。

■ハタレの乱はイロから始まった

さて、このハタレの乱が何をきっかけに始まったかというと、これはいつの時代も人の常と言うべきなのか、どうやらソサノヲ(素戔嗚尊)とその兄、アマテルカミ(天照大御神)のキサキ(13人居るキサキの一人)であるハヤコとの不倫関係のようなのです。

また、ハヤコには同じくアマテルカミの筆頭キサキである姉のモチコがおり、モチコはアマテルカミの世継ぎが他のキサキの子に決まると、それに怒りハヤコと協調し、アマテルカミの弟ソサノヲを立てて天下をわが物にしようと画策を始めるのです。

二人の姉妹の画策は朝廷側に漏れて、九州の宇佐へと謹慎処分となるのですが、ハヤコは自家の忠実な部下であるコクミという人物に命じて、ソサノヲに嫁入り話がある度に相手の娘を殺させたのです。その犠牲となった娘の数は8人。そのためソサノヲは意を決してハヤコを斬ります。

ここからソサノヲのヤマタ成敗が始まるのですが、ヤマタの頭目の数は8人、これがいわゆる八岐大蛇神話の秀真伝による現実的解釈なのです。

以上、池田氏による秀真伝解釈から言えるのは、ハタレの乱とは、神話における天照大御神および素戔嗚尊の頃に発生した内乱ということになります。二人の関係について、古事記における神話ストーリーは大体以下の様になります。

『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大御神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対する。スサノオは疑いを解くために誓約(うけひ)を行った。


我の潔白が誓約によって証明されたとして高天原に滞在するスサノオだったが、居られることになると次々と粗暴を行い、天照大御神は恐れて天の岩屋に隠れてしまった。そのため、彼は高天原を追放された

引用元:Wikiペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA

以上、神話においては、アマテルカミ自身が女性にされてしまっており、ソサノヲの不倫相手のハヤコ、アマテルカミの他のキサキに敵意を抱いたモチコの存在が隠されています。

この神話設定ではソサノヲとハヤコの交情は成立せず、乱の原因となったイロの問題は消滅してしまいます。このアマテルカミの女神化には、「女の情によって崩された国家秩序」という恥ずべき汚点を史実から排除しつつ、それと同時に、女(イロ)がソサノヲを粗暴に追い込んでしまった(=社会的混乱が発生した)という、歴史的教訓と解釈のヒントを埋め込んだ、古事記特有の暗号なのではないかと私は考えるのです。

■ハタレの乱はいつまで続いたのか

もしも、中国系史書の記述する倭国大乱がハタレの乱を指すならば、ハタレの乱は7,80年続いたことになります。アマテルカミから続く血統は、秀真伝に従って記述すると次のようになります。

 アマテルカミ (ハタレの乱発生)
   |
 オシホミミ
   |
 ニニキネ
   |
 ホオデミ
   |
 ウカヤフキアワセズ
   |
 神武天皇

以前、「ダリフラのプリンセスプリンセス」で卑弥呼は神武天皇の双子の皇后の一人だったのではないか?という記事を掲載しましたが、その時の結論を用いると、ハタレの乱は神武天皇が即位した頃に収まったことになります。アマテルカミから神武天皇まで5代の王権が継承されていますが、80年を5人で割ると、一人当たりの在位期間は平均16年となり、一人の王の在位期間としては妥当ではないかと思われます。

もちろん、中国史書が示す年代と厳密に照らし合わせる必要があるとは思いますが、私はその中国史書についても、その記述に大きな疑いを持っています。何故なら、以前から主張している「歴史隠蔽政策」または「ヘブライ一掃政策」は、必ずしも日本国内だけの話とは限らないからです。疑うべきは海外史書も同じなのです。

この解釈で気を付ける点は、このハタレの乱の期間内に、いわゆる「天孫降臨」や「海彦山彦の争い」、「神武東征」など、古代史における有名歴史事象が発生したことです。つまり、それらの歴史事象の背景には、国家的内乱があり、言い換えればこの内乱こそが古代の歴史を大きく動かしたのだと言うことができます。

■聖書にみる女性と混乱

女性の乱れた情念が世の混乱を引き起こす。これについては、聖書にも似た記述がたくさんあります。特に、不法を犯すイスラエルの民を「姦淫な女」と例えるシーンは、聖書全編を通して各所に現れます。

また、黙示録では、審判の日には淫らな女性に対し大いなる罰が下されると記されています。

その裁きは真実で正しいからである。みだらな行いで/地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、/御自分の僕たちの流した血の復讐を、/彼女になさったからである。

ヨハネの黙示録 第19章2節

これはアダムとエヴァに始まる、男女のあるべき関係を厳密に規定する聖書の教えでありますが、ここには、イロの乱れがどれほど世の秩序を乱すのかという、戒めも含まれているのです。

最後に、似たようなフレーズを日月神示からご紹介しましょう。

出足の港は二二(夫婦)の理(ミチ)からぢゃと申してあろう。真理と申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ。神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。男女の道 正されん限り、世界はちっともよくはならんぞ。今の世のさま見て、早う改心、結構いたしくれよ。和は力ぞ。

春の巻 第二十五帖

人間社会における諸問題は、はるか昔から男女の関係が作り出してきたのかもしれません。きっと、より良き世を導くためには、まず夫婦の間、恋人同士の間で良き関係を作ることから始めるべきなのでしょう。歴史は男女が作る、当たり前かもしれませんがそういうことです。


 * * *

実は、11月に九州に向かった理由には、トンカラリンの現地調査だけでなく、このハタレの乱についての調査も含まれていました。明日配送予定のメルマガでは、それについてもご報告したいと思います。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土




※以下は12月16日配信メルマガに関連した追加画像です

画像1:不動岩(熊本県山鹿市)
画像2:山鹿灯篭祭の灯篭
画像3:ヴィマーナ
(出典「古代核戦争の謎」学研 2009)

ヘブライ語から生まれた日本語

?שלום, קוראים. מה שלומך
(読者の皆様こんちは。ご機嫌如何でしょうか?)

いきなりヘブライ語で失礼しました。今回はこれまでの記事「モリヤとユダヤ人」、「ユダヤ人埴輪と六芒星」に関連して、古代日本とヘブライの関係について考察してみたいと思います。

とはいえ、この件については既に多くの研究者が言及されているので、今回はそれらをご紹介するだけで終わってしまうかもしれません。しかし、正装ユダヤ人と同じ形状の埴輪が実際に日本の地から出土している以上、日本人のルーツを探る上で外せない内容かと思います。その復習だと思ってお付き合いいただければと思います。

■君が代のヘブライ音訳

ここでは、ヘブライ音訳という考え方で考察を進めます。ヘブライ音訳とは、日本語の音に注目し、その音に近いヘブライ語をそれに対応させ、意味を解読するというものです。その手法を用いた分析の中で、最も有名なのは、我が日本国の国歌「君が代」をヘブライ音訳したものです。

現代の君が代は「和漢朗詠集七七五」または「古今和歌集巻七-三四三」の古謡の一部分、「わが君は」を「君が代」に置き換えたものと言われています。

ここでは、西澤徹彦著「古代日本と七大天使 神代編」(1989年 ジェイアイ出版)で紹介されたヘブライ音訳とその解釈をご紹介します。

 日本語文:
  我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
 
 ヘブライ音訳文(右から読みます):
     וְאֶגַע קִימךָ
       צַוֹּנִי יְעַוֵּנִי
      שֶׁוֶרַע יִּשֶׁהַנוּ
    יְחַוַּה אוֹת חַנְלִיתָ
    כָּכַנוּ מוֹשִׁיעַ מֵעֵד 

 音訳文の日本語意訳:
  私は、あなたの立ち向かう者を批判するだろう。
  彼はかならず、私を決めるだろう。
  (同じ)血統であるところの私たちのイエス。
  あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
  私達のこのような証言による救い主。

同書によると、「君が代」の元歌にはこれの他に2つの「雑歌・皇大神宮年中行事」版があり、歌の一部が変えられていますが、その場合でも日本語意訳の意味は大きく変わらないことが分かっています。そして、むしろ互いの歌がその意味を補強し合っていると見なすことができるとあります。

ご存知のように、ヘブライの民は聖書の民です。この意訳でいう「私」とは「主=ヤハウェ」を指し、また「彼」であるイエス・キリストが「完遂」したというのは、神の計画の完遂、すなわちイエス・キリストの復活を意味するものであると解釈されるのです。

「岡っ引き」や「ヤクザ」など、語源がよく分からない日本語がヘブライ語起源であることはよく指摘されますが、君が代の場合は、日本語とヘブライ語の音声の類似性などという些末な事象をはるかに超えて、ヘブライ人(ユダヤ人)の精神性までを表現しているのです。

オリンピックで日本人が金メダルを獲得する度に、私たち日本人はイエス・キリストを礼賛しているとしたら、それはいったい何を意味しているのでしょうか?

なお、君が代のヘブライ語音訳とその解釈についてはWebサイト「日本とユダヤのハーモニー」さんでも試みられています。そこにはやはり「イエス・キリスト」の名が現れている点に注意です。

■日本語はどこから来たのか?

西澤氏のヘブライ語研究は、やがて日本語の発生起源に迫ることになります。私たちが日常使っている日本語は、時に外来語を取り込むことがあっても、日本独自の固有文化を象徴している言葉であると、私たち日本人は普通に考えています。ところが、その認識が実際はどうなのか、次の西澤氏の研究成果を見る限り大きく修正する必要があると思うのは私だけでしょうか?

表1:ヘブライ語文法暗誦表その一
表2:ヘブライ語文法暗誦表その二

私たちが中学生の時に英語を勉強した際、代名詞を覚えるのに次のような文字の羅列を暗誦していたことを思い出してみてください。

 I, My, Me, You, Your, You, He, His, Him, She, Her, Her
アイマイミー、ユウユアユウ、ヒーヒズヒム、シーハーハー

上記2つの表は、まさにヘブライ語の必須文法項目を記憶するための、暗誦用虎の巻とも言えるものです。英語とは異なり、ヘブライ語は男女の性別による使い分けがはっきりしているので、上記の表には同じく性別が厳格なフランス語文法による注釈を原本に加えています。

さて、次に各表の右列に並んだ発音のかな表記を読んでみましょう。どのような音に聞こえますか?

 ひー、ふー、みー …
 あてぃ、あぇに、しゃぶ …

もうお分かりですね、これらは現代の私たちも使用している2種類の日本語数詞なのです。漢字で書くと、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十となるお馴染みのあれです。

西澤氏はこの結果から次のように結論を導いています。

古代日本人は、明らかにヘブライ語を学んでいた。そして、当時の社会で広く知られていた学習用暗誦文が後に数詞として使われるようになった。

そんなの、日本語数詞に似ている言葉を寄せ集めれば何とでも言えると反論される方もいらっしゃると思いますが、それならば、なぜ、その寄せ集めた言葉が基本文法語ばかりなのか、それについての説明もご用意いただかないと説明不足です。

また、日本語に数詞の系統が何故2つ(「ひふみ」と「いちにさん」)あるのかも、例えば共に通用していた文法暗誦表の1ページ目と2ページ目を流用したという風に説明できてしまうのです。

さらに言うなら、「ひふみ」数詞の発声には「ひとつ、ふたつ、みっつ」などのように終わりに「つ」を添えるものも広く使用されていますが、語尾にT音の「ת」(タウ)を添える発声はまさにヘブライ語の特徴でもあるのです。

以上は数詞に限っての説明ですが、その他に言語の類似性を追っていくと、どうやら私達の言葉、日本語は古代ヘブライ語から人工的に造語されているようなのです。

日本語造語がいつ、何のために行われたのか?その答のヒントを示しているのが、前節で取り上げた日本国国歌「君が代」なのです。そして、この隠された理由こそが、123便撃墜計画をはじめ、近代日本で繰り返し行われてきた怪事件(山下事件など)や猟奇事件、世界大戦などに通底する根本的理由であるとも言えるのです。

言葉の説明から何だかいきなりすごい結論になってしまいましたが、明日配信のメルマガでは、その他の古謡解釈や、ヲシテ文字などカタカムナとヘブライ語との関連性について説明したいと思います。また、今回取り上げた日本語造語説についての私の考察をお伝えしたいと思います。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
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