方舟と獣の数字

今回に限っては、少しだけ触れて終わりにしようと思っていたアニメ分析ですが、この鹿の子アニメ(*)には思いの外多くの歴史的情報が埋め込まれていたので、まだ文字化ができていない点について今回もまた取り上げてみようと思います。

*タイトルは「しかのこのこのここしたんたん」

「いい加減にしろよ」と思われる読者さんも多いかと思いますが、あくまでもこれは「古代史分析」の一環であり、けっして酔狂でアニメについて語っている訳ではないので(本当です)、その点はご理解いただけますようお願いします。

■背振の山から見えたもの

実は1週間程前、現地の福岡県に飛んで、もう一度アニメに関係する土地を見てきました。具体的な行先は次になります。

画像1:脊振山気象レーダー観測所
画像2:気象レーダーの地図上の位置

気象レーダーは福岡県と佐賀県の県境となる背振山の尾根伝いの登山道上にあるのですが、レーダーまでは自動車が入れるように舗装されており(一般車両は不可)、県道から歩いておよそ30分くらいの所にあります。

私も現地に入ってから気付いたのですが、このポイントからは福岡県側に博多湾、そして佐賀県側は有明海はもちろん「鹿島と木嶋と方舟と」で取り上げた杵島までが見渡せるのです。

当日は少し霞んでいて写真では見にくいのですが、以上の重要ポイントをここから写真に収めました。

画像3:気象レーダーから見下ろした志賀島と能古島
画像4:気象レーダーから見下ろした佐賀の平野と杵島

志賀島と能古島は「志賀能古(しかのこ)=鹿の子」であり、志賀の神とはどうやら大船、すなわち「方舟」を指すだろうことは過去記事で述べた通りです。

また「杵島(きしま)」とは、古代シュメール語まで遡ればキッジュ(木)マァ(舟)で木舟であり、どうやらこれが「方舟」を指すことも、過去記事で既に述べています。

つまりこのレーダー観測所の位置は、方舟伝承に関わる2つの土地が同時に見下ろせる絶好のポイントであることが分かるのです。

これは私にとっても大きな発見で、わざわざここまで足を運んで良かったと思うだけでなく、古代史においてこの脊振の山々が、当時の信仰形態がどのようなものであったのか、それを理解する上で極めて重要な場所だという認識に至ったのです。

■虎虎虎

これまで鹿の子アニメの「鹿」について多くを考察してきましたが、このアニメには「虎」の文字を冠するキャラクターが準主役として登場していることを忘れてはなりません。

画像5:虎視姉妹

もうお気付きの様に、この二人合わせたキャラ名の中には「虎」の字が3回現れています。それを抜き出すと「虎虎虎(トラトラトラ)」となりますが、この「トラトラトラ」は第2次世界大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃する際に出された暗号文であることはつとに有名です。そう言えば同名タイトルの映画も作られていますよね。

それではどうして、真珠湾攻撃の暗号文がトラトラトラだったのか?そして、それがまた何でこのようなお気楽ギャグアニメの中に登場したのかが非常に気になります。

以下は私の考察なので合っているかどうかは分かりませんが、偶然と言うには余りにも意味的符牒が整っているので、参考までに紹介しておきましょう。

画像6:「トラ」をヲシテ文字で表記し、文字の構成要素を組み合わせる

以上のように、神代文字とも言われるヲシテ文字で「トラ」を表記し直すと、この音に隠された意味が見えてきます。そして、そこから見えてくるのは

 天地(の理)と六芒星、あるいはダビデの星

なのです。

これを意味的に日本語表現するならば

 天地(あめつち)の秘密(火水)

と読めなくもありません。

また、ここから「トラトラトラ」と「トラ」を3つ重ねた言葉に隠された意味の一つに3つの六芒星、すなわち

 666

があるだろうと考えられるのです。

ご存知の様に、666という数字は「獣の数字」として聖書の「ヨハネの黙示録」にも記述されています。

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

(ヨハネの黙示録 13章18節)

「鹿」からは「ノアの方舟」、そして「虎」からは「獣の数字666」、あくまでも日本古代史を扱っていたはずなのに、どちらも聖書の世界と繋がってしまうのです。一見能天気なお気楽アニメにしか見えないこの鹿の子アニメ、いったい何を企んでいるのでしょうか?

■七枝の線刻石

前回の記事「鹿と大船と祓祝詞」では、この鹿の子アニメの中で七枝のメノラー(古代ユダヤの7支の燭台)が描かれているとの指摘をしました。

画像7:アニメ中に描かれたメノラー

実はこのメノラー、日本国内の各地で見つかった線刻石や弥生式土器にも描かれていると言うのです。

画像8:下関市、彦島の線刻石(川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から)

古代言語の研究家、川崎真治さんによると、七枝の文様のルーツは聖書の時代を通り越してシュメール神話にまで遡ると推定されており、どうやらこれまで見てきた聖書と古代日本の奇妙な接点を理解する共通の鍵は、シュメール文明にあるようなのです。

シュメール神話に関する彫像で七枝樹が描かれる場面は、王「アン」と女王「キ」の間というのが定番のようなのですが、ここでやっと、アニメに登場した少女キャラクター(少女神の象徴)、すなわち皇后(=女王)とメノラーの関係性が見えてくるのです。

画像9:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹
女王の象徴は左端に描かれた蛇、王の象徴は牛角の冠

ここから先は私もまだ不勉強なのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが、このアニメの設定は、想像以上に深い歴史考証によって組み立てられているのが分るのです。


管理人 日月土

鹿と大船と祓祝詞

巷でちょっとだけ話題?にされていた鹿の子アニメ(※)を題材に取り上げて、なぜあれほどまで脈絡なしに「シカ」を強調するのか、その謎というか、原作サイドの隠された意図を、例によって日本古代史の文脈で掘り下げてみたところ、それが、

 方舟(はこぶね)

に辿り着いたことは、前回2回の記事でお伝えした通りです。

 関連記事:
 ・越と鹿乃子 
 ・鹿と方舟信仰 

 ※アニメタイトルは「しかのこのこのここしたんたん」です

残念ながらこのアニメ、先月で最終回を迎えたのですが、とにかく呪文のように怪しげなタイトルと奇妙な鹿の子ダンス、そして意味不明な設定で話を押しまくれるだけ押しまくって消えて行ってしまったようなのです。

ところが、その一見とっちらかって無茶苦茶なアニメも、整理してみると、非常によく計算された構造が見えて来たことは、上記過去記事でも述べています。

■鹿の子アニメの気になるシーン

さて、今回は同作品中の次の二つのカットを紹介しますが、どちらも、これまで本ブログで扱ってきた歴史的記号を象徴するものであると私は考えます。

画像1:鹿の角とバナナ
©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部(画像3も同様)

鹿の子の角の中にバナナが入っている?ギャグアニメだと言われればそれまでなのですが、これに関する解釈については、実は昨年1月の記事で既に取り扱っているのです。

「バナナ」をアラビア数字で音表現すると「877」となりますが、この数字にどんな意味があるかは、以下の説明画像を見ればお分かりになるかと思います

画像2:877の記号
大空のXXと少女神の暗号」から

「877」は古代の皇后、それも特殊な巫女能力と王権継承権を有した「少女神」の象徴と解釈したのですが、この鹿の子アニメは(真)ブログ記事「角娘の降臨」でも書いたように、とにかく「角のある少女」たちが複数登場しており、すなわち「少女神」を表す記号が満載なのです。

ですから、この「鹿の角とバナナ」という珍妙な組み合わせも、これが古代日本の女系王権のことを意図的に示すものだと捉えれば、この画が非常に重要な意味を含むものと捉え直すことができるのです。

画像3:鹿の角とメノラー

「鹿の子の角は頭ごと取り外せる」という、これもまたギャグアニメのなせるナンセンスの一つなのでしょうが、この画もまた歴史的には奇妙に一致するニュアンスを含んでいるのです。それが、頭部を含め七支の突起部を持つ鹿の子の角と、古代ユダヤ教のメノラーの形状が酷似していることなのです。

ここで、「少女神」と「ユダヤ」という奇妙な関連性が導かれるのです。これまで、この2つの事象が直接関連し合うとの考察は特に行ってきませんでしたが、このアニメの構造分析を通していよいよその接点が見えて来たように思えます。

この2つの古代史トピックを繋ぐのが、おそらく「方舟」なのでしょう。聖書によるとユダヤ人十二支族が誕生したのは、ノアの方舟から更に下ってアブラハムが登場して以降のことですから、方舟伝承の方がはるかに旧いと考えられるのです。

そのユダヤより旧い伝承が日本国内に残っている。ここで、「少女神」と「方舟」の間に何か関連性があるのならば、「少女神」は日本における古代ユダヤの登場よりも前から、この国に存在していたとも考えられるのです。

■大船と祓祝詞

聖書によれば、ノアの方舟は3層構造の大きな船であることが記述されています。つまり、「方舟」は「大船」と表現されてもおかしくないのですが、実はこの「大船」は神社の祓祝詞(はらえのりと)の中に出てきます。

祓祝詞は、6月の大祓(おおはらえ)の時に神社で聞くことのある祝詞ですが、その文面は神社によって多少異なるとしても、概ねその骨子は同じように思います。

祓祝詞として有名なのが中臣祓(なかとみのはらえ)で、次にそこから「大船」が出て来る場面を抜き出してみましょう。

 高天原(たかまのはら)に神留坐(かむづまりまし)ます
 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ))神漏美(かむろみ)
 の命(みこと)を以もちて 八百万(やほよろづ)の神等
 (かみたち)を 神集(へに集賜つど)へたまひ 神議
 (かむはかり)に議賜(はかりたまひ)て 我(あが)
 皇孫尊(すめみまのみこと)をば 豊葦原(とよあしはら)
 の水穂(みずほ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平
 (たひら)けく所知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し
 奉まつりき

 ・・・(中略)・・・

 如此(かく)所聞食(きこしめ)しては 罪(つみ)と云(い)
 ふ罪(つみ)は不在(あらじ)と 科戸(しなど)の風(かぜ)
 の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹放(ふきはな)つ事
 (こと)の如(ごと)く 朝(あした)の御霧(みきり)夕(ゆふ)
 べの御霧(みきり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹掃
 (ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)
 に居(を)る大船(おほふね)の舳(へ)解放(ときはな)ち艫
 (とも)解放(ときはな)ちて大海原(おほわだのはら)に
 押放(おしはなつ)事(こと)如ごとく

 ・・・(以下略)・・・

引用元:古今宗教研究所から

この祝詞では、罪や穢れが吹き流され清められる様を、大きな船が風を受けて大海にさっそうと乗り出す情景に例えて比喩的に表現されていると読めます。

私も「何でここで船なんだろうな?」と長らく疑問ではあったものの、祝詞全体の調子によく合っているのか、それ以上は特に疑問を感じることはありませんでした。

しかし、今回「鹿」(シカ)と「方舟」の関連性に気付いてから、この祝詞の捉え方が大きく変わったのです。そして、こう思うようになりました。

 日本は方舟伝承の当時国なのでは?

と。

大祓は元々6月と12月に朝廷で行われていた行事であり、それはすなわち、国家全体の罪や穢れを祓い清める儀式であることを意味している訳で、その国家的行事で奏上される文言の中にしっかりと遠い昔の「方舟」の記憶が盛り込まれているのですから。

繰り返しになりますが、聖書と日本書紀、中臣祓祝詞の方舟に関係するとされる箇所を比較すると

 聖書  : 3層構造の方舟
 日本書紀: 底・中・表の3人の海神(シカの祭神)→ 3層構造
 中臣祓 : 大船

となります。これがどう繋がるかは、前回・前々回の記事を参考にしてください。

■鹿の子アニメの狙いは?

鹿の子アニメを我慢して視聴し、古代史と照らし合わせながらここまで見てきましたが、この作品には思わぬ意図が隠れていることが分かって来ました。

読者の皆さんが関心を抱くのは、これまでの私の分析が仮に正しいとして、どうしてこのアニメを世に出して来たのかという点だと思います。

原案者の真意を正確に把握することは非常に難しいのですが、ある程度推測することは可能です。その真意を測る上で非常に大事なキーワードが実はこの「方舟」なのです。

そもそも方舟は何のために作られたのでしょうか?それを考えた時、このアニメを制作した側の狙いが朧気ながら見えてくるのです。

もう一つのヒントは、シカ(志賀)の神とは別名「穂高見命」(ほだかみのみこと)であることです。すると次のキャラクターが登場したあの有名アニメ映画が思い出されるのですが覚えておられるでしょうか?

画像4:右側の少年キャラは誰?

そして、この映画のラストシーンがどうであったのかをもう一度思い出すと、鹿の子アニメの真の狙いがこの映画のメッセージと同じであることに気が付くのです。


鹿は藤原光る君虎に翼の虎視眈々
管理人 日月土

鹿と方舟信仰

前回のブログ記事「越と鹿乃子」では、この夏放映されたアニメ「しかのこのこのここしたん」を題材に、その中に密かに組み込まれたと考えられる日本古代史に関するメッセージを分析してみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部
 ※このブログはアニメ専門ブログではありません

前回記事掲載後に配信したメルマガでは、更に詳しく「鹿(シカ)」の意味について考察したのですが、思いの外これが重要な内容を含んでいると考えられたので、今回はブログでもその内容に修正を加えてご紹介したいと思います。

■志賀島と安曇族

前回のブログ記事のお伝えしましたが、アニメタイトルの「しかのこのこのこ」が、それぞれ

 しかのこ → 志賀島(しかのしま)
 のこのこ → 能古島(のこのしま)

を指すのではないかという点は予め押さえておいてください。福岡県在住の人なら良くご存知の、博多湾に浮かぶ二つの島のことです。

ここから、アニメの主人公「鹿乃子」が「志賀の娘」を指すだろうという話は、既に前回述べていますが、ここでは、志賀(しか)とは何か?という点について更に深く触れてみたいと思います。

さて、志賀島(しかのしま)には、かつて安曇(阿曇)族と呼ばれる海の民が居住していたという話を現地でもよく耳にたので、まずは阿曇族について調べてみます。

この阿曇族、実は日本書紀の神代の帖の中に登場する一節があるので、まずはその部分を書き出してみます。

 凡(すべ)て九(ここのはしらの)の神有(いま)す。
 其の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、是即ち
 住吉大神(すみのえおおかみ)なり。底津少童命・
 中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等(あづみ
 のむらじら)が所祭(いつきまつ)る神なり。

 然して後に、左の眼を洗ひたまふ。因りて生める
 神を、号(なづ)けて天照大神と日す。復(また)右
 の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて月
 読尊と日す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神
 を、号けて素戔嗚尊と日す。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上 一書6より

また、ここに出て来る阿曇連については、同文庫の補注に次の様に書かれています。

 阿曇連:全国各地の海部を中央で管理する伴造。
 天武十三年に宿禰と賜姓。此の三神を旧事紀、
 神代本紀は「筑紫斯香神」とし、延喜神名式には
 筑前国糟屋郡志加海神社三座とある。

 祖先伝承は記に「綿津見神之子、宇都志日金折命
 之 子孫也」、姓氏録、右京神別に「海神綿積豊
 玉彦神子、穂高見命之後也」とある。

補注の解説に従って読み解くと、阿曇連は

 底津少童命(そこつわたつみのみこと)
 中津少童命(なかつわたつみのみこと)
 表津少童命(うわつわたつみのみこと)

の3神を祀る民であり、この神は

 筑紫斯香神
 (ちくししかのかみ) 

もしくは、

 筑前国糟屋郡志加海神社三座
 (ちくぜんこくかすやぐんしかうみじんじゃさんざ)

と別の名で呼ばれていると記載されています。

どれが正式な名なのかは分かりませんが、おそらくこの3神こそが「志賀(しか)」と呼ばれる神様の正体であり、阿曇連はこの3神を奉る一族であったという記述から、この3神(志賀の神)をルーツとする伴造(とものみやつこ)、すなわち、古代期に公務として海洋管理を担当していた一族であったと理解することが出来ます。

ここで引用した書紀の一節は、黄泉の国から返ってきたイザナギが、その穢れを払うために「立花の小戸のあわぎはら」で禊をしていた時の様子であり、阿曇族の祖先はその時に生まれた神の中の3柱だったということになります。

ここで、私が注目したのは、この志賀神(しかのかみ)3神は、天照・月読・素戔嗚の三貴神よりも前に生まれていた、すなわち

 三貴神よりも古い神

というようにも読み取れます。

当然ながら、この記述はある歴史的事実が神話化されてこのような記述になったと思われるのですが、その史実解読のヒントになるのが、補注の後半に紹介されている、他史書に書かれた次の志賀神の別名であると考えられます。

 古事記:綿津見神之子、宇都志日金折命(うつしひかなさくのみこと)之子孫也
 姓氏録:海神綿積豊玉彦神子、穂高見命(ほだかみのみこと)之後也

宇都志日金折命の別名が穂高見命とも言われ、宇都志日金折命を祀る穂高神社があるのが信州の安曇野(あずみの)というのも、何か不思議な歴史の結びつきを感じます。

この安曇野にある穂高神社の有名なお祭りは

 御船祭(みふねさい)

と呼ばれ、大きな船型の山車が街を練り歩くことで有名です。

画像2:安曇野の街中を曳かれる大船
安曇野市観光協会の動画から

阿曇族は海の民とされていますから、神事に船形が見られるのは特段不思議でもなさそうですが、果たしてそれだけでしょうか?

■シカとカシ

日本の地名には読み順を転置させたのではないかと思われるものがいくつか見られます。私が思い付くのものに、多少強引かもしれませんが、以下の例があります。

 登美(トミ) → 水戸(ミト)
 三尾(ミオ) → 小見(オミ)
 香取(カトリ)→ 取香(トッコウ)※漢字の入れ替え

これは、古い昔に地名を名付ける時に取られた手法なのではないか、あるいは祭事的な意味を持たせてそうしたのかもしれませんが、「シカ」についてそれを適用するとどうなるでしょうか?

 シカ → カシ

となります。

「カシ」なる2文字の地名はなかなか見つかりませんが、この2文字から始まる地名ならかなりの数が見つかります。

「樫山、柏原」など「樫」や「柏」から始まる地名は全国に多く見られるのですが、今回取り上げた「鹿」の意を含むものとなれば、次の地名が最も適切なのではないでしょうか?

 鹿島(カシマ)

また、志賀島のすぐ対岸には香椎宮で有名な「香椎」(カシイ)なる地名があることも、非常に興味深いのですが、ここでは鹿島を志賀の転置語、あるいは志賀を鹿島の転置語から「マ」の字が脱落したものとして扱います。

■方舟で繋がる鹿嶋と志賀

さて、鹿島の地名の由来については、今年7月の記事「鹿島と木嶋と方舟と」で既に触れているのを覚えておられるでしょうか?

そこでは、シュメール語の「ギシュ・マァ・グル・グル」その意味は「漂える(グルグル)木(ギシュ)の舟(マァ)」で、すなわち、

 方舟

を指すと説明しました。

このシュメール語から「グル・グル」が脱落し、音が訛って「キシマ」から更に「カシマ」へと変化したのが「鹿島」という地名の始まりではないかとしたのですが、そうなると、鹿島の「鹿」とは、漢字が成立した後に当てられた文字と言うことになります。

同記事では、これを裏付ける傍証として、京都の貴船(木舟)神社や、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)の例を挙げ、そのルーツが古代方舟信仰であった可能性を示しています。また「アラレフル」という和歌の枕詞がどうやら、方舟が上陸したとされる「アララト山」を指すのではないかとしています。

これらから

 志賀 = 鹿島 (※音の転置と脱落)

という予想が成り立つのですが、その説を補強する上で重要な記述が聖書に記されていることにここで気付きます。

 その造り方は次のとおりである。箱舟の長さは
 三百アンマ、幅は五十アンマ、高さは三十アン
 マ。箱舟には屋根を造り、上から一アンマにし
 て、それを仕上げなさい。箱舟の戸口は横側に
 付けなさい。また、一階と二階と三階を造りな
 さい。

創世記 第6章15,16節

聖書に記されている方舟の構造は非常に具体的で、その船の階層は1,2,3階の階層構造であることもここから窺い知れます。

ここで、前々節で述べた「志賀の神」が底津(そこつ)、中津(なかつ)、表津(うわつ)の綿津見(わたつみ)3神であることを思い出してください。

この3神は、日本神話では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊のために入った水の、表面部分、中程、底の部分それぞれから神が生まれたという話になっているのですが、これを何か具体的な事象の比喩的表現(暗号表現)と解釈すれば、何かの構造を表していると考えられるのです。

もしもこれを、方舟の構造を表す表現と解釈すれば

 鹿島 → 方舟
 志賀 → 方舟の構造

となり、互いに関連し合うことが分かるのです。

すると、安曇野の穂高神社の例祭で練り歩く船形の山車がいったい何を象徴しているのか、その意味も明確になってくるのです。

画像3:方舟が繋ぐ志賀と鹿島の関係性


 * * *

これは驚きました、無意味に「シカ」を連発するだけのお気楽アニメかと思っていたら、ここにはそんな意味が隠れていたのです。

もしも、このアニメが古代方舟信仰について何かのメッセージを含んでいるとするなら、それはいったい何なのか?これまで、つまらない、面白くないとかなり否定的であったこのアニメ作品に対し、俄然強い興味が湧いてきたのです。


管理人 日月土

越と鹿乃子

今月9日、(真)ブログ記事「角娘の降臨」にて、現在放映中の謎アニメ「しかのこのこのここしたんたん」について、そのネーミング及び設定について表面的に分析を掛けてみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部

このアニメ作品、特に意味がないというか、無理矢理組み込んだように見えるテーマがまさに「鹿」であり、また主人公、準主人公の少女たちが角(つの)が生えた、あるいはそのように見えるデザインで統一されており、これらは当ブログで最近取り上げた古代史のテーマ「馬と鹿」、そして「少女神」とも繋がるので、今回は敢えてこの作品を切り口に、アニメ原作者もしくは原案者が作品を通して何を伝えようとしたのか、その深意を分析したいと思います。

その前に、今回のテーマと関連する過去記事へのリンクを整理しておきましょう。以下、本文で参照の際には次の記事番号で記事名の代わりとします。

 (1)アニメタイトルと土地名の関係性 – (真)ブログ:
  →角娘の降臨 

 (2)福岡県糸島の小呂島と神話「オノコロ島」との関係性
  →再び天孫降臨の地へ 

 (3)能登半島近辺に多く見られる春日神社の分布 – (真)ブログ:
  →能登は地震が多いけど 

 (4)鹿と春日大社、中臣氏・藤原氏、武御雷・建御名方
  またタカミムスビ王統との関連性について:
  →鹿の暗号と春日の姫 

 (5)イザナギとイザナミ、2対3の法則について
  →3人の三島とひふみ神示 

■福岡北部の島々と鹿乃子

記事(1)では特に理由を述べませんでしたが、この奇怪なタイトルの前半「しかのこのこのこ」の部分が、どうやら福岡県の博多湾内に位置する志賀島(しかのしま)と能古島(のこのしま)を指すのだろうという着想に至ったのは既にお伝えした通りです。

そう思い付いたのは、メインキャラクター「鹿乃子のこ」のデザインの中に両手の指をそれぞれ2本ずつ立てる4本立てポーズ、また、国宝の弥勒菩薩半跏思惟像のように3本ずつ立てる6本立てポーズの2パターンがあるのを見つけたからです。

これがどういうことかお分かりでしょうか?

私はこれを4対6、もしくは2対3の法則を意味しているのではないかと考えたのです。ちろん、単なるデザイナーさんの気まぐれなのかもしれないのですが、敢えて何か意図を含んだ表現の違いではないかと受け取ったのです。

記事(5)の最終節「3人の王と2人の少女神」を再読して頂きたいのですが、ここでは、日本書紀本文から、黄泉の国に入ったイザナミが日に千人殺すと言ったところ、イザナギが日に千五百の産屋を建てると言い返したシーンを引用しています。

私は、ここに出て来る数字の比率を、女2人男3人の「2対3の法則」と見立てたのですが、すなわち、キャラクターが演じる指の表現とはこれを指すのではないか?そう考えたのです。

この数字が出てくるからには、おそらくイザナミ・イザナギ伝説に関わることだと思い付き、その時に最初に脳裡に浮かんだのが、

 能古島

だったのです。

これは、現地を訪れたことがないと分からないかと思いますが、記事(2)でちらっと触れているように、能古島には、「イザナギ石・イザナミ石」という、不思議な石積みの構造物があり、おそらくそれほど古いものではないと思われるものの、何故か記憶の中に今でも残り続けていたのです。

画像2:能古島のイザナギ石とイザナミ石
(画像引用元:YAMAPさん)

土地の解釈では、能古島は神話に登場するオノコロ島のことであるとされ、この石積みは観光用に後からわざわざ作られたとも考えられるのですが、山林に入って探索すると古い磐座跡のようなものが残っており、この島がただならぬ場所であることはそれだけで十分に窺い知れたのです。

能古島が出てくれば、その対岸にあるのが志賀島ですから、ここから「しか・のこ」が「志賀・能古」を指すだろうことは直ぐに気付きます。

画像3:志賀島の展望台から博多湾を望む

このアニメに登場するのは角(つの)がある、あるいは角を模した髪型の少女ばかりですから、これが少女神(巫女・古代女性シャーマン)を指すのはもはや間違いないと思われ、ここから、少女を表す別表現「娘(こ)」を用いて

 志賀の娘(しかのこ)・能古の娘(のこのこ)

が導き出されたのです。

■虎は何を指すのか?

さて、次にタイトル後半「こしたんたん」が何を指すのかなのですが、記事(1)でも示したように、「虎視眈々」すなわち「虎を視続ける」と解釈すれば、志賀島から寅の方角(東北東)への視線をそのまま地図上に延長すると、その直線は旧国名の

 越(こし)の国・丹後(たんご)の国・丹波(たんば)の国

付近を貫くことが分かります。

丹後・丹波と志賀島の関係についてはまだ不明ですが、広義の越の国に該当する現在の石川県には

 志賀(しか)

の地名が残っていることは、志賀原発に関する報道などでご存知の方が多いかと思われます。

当然ながら志賀と志賀島に関係性があることは地元でもよく言われており、一般的には海の民である志賀島の安曇族(あずみぞく)が能登方面に進出したと考えられているようです。

「しかのこのこのこ」が起点、「こしたんたんが」起点より指示された方角と考えると、どうやらこのタイトルが強く指し示しているのは

 越の国(福井から新潟までの北陸地方)

であると導かれるのです。

■越の春日と鹿

記事(3)は数年前から頻繁に地震が発生した能登半島について書いたものですが、実は地震で鳥居が倒れたと大騒ぎになった珠洲市の神社とは

 春日神社

だったのです。春日神社と鹿の関係は記事(4)について述べていますが、実は北陸方面には比較的「春日」の名が多く見られるのです。

画像4:富山県高岡市の春日神社

記事(4)では春日と藤原家、その先代である武御雷(たけみかづち)やタカミムスビと言った古代王統と少女神の関係についても少し触れています。

このアニメを観ていると無意識に奈良公園の鹿ばかりを意識してしまいますが、私はこれこそがこの作品に仕掛けられた巧妙なトラップであると判断します。

重要なのは「しか」と呼ばれる一族のルーツと広がり、そしてその中で翻弄されてきた少女神たちの運命なのではないでしょうか?当然ながら、物語の舞台にセットされた東京都「日野市」にも共通の意味が込められています。

どうやら、鹿の角を生やした謎の少女キャラの正体が少しだけ見えてきました。「越」に注目しつつ更に考察を続けたいと思います。


虎の名を負ひし幼き娘子は飛鳥の君か春日の君か
管理人 日月土