七枝樹と弥生土器

ここ数回のブログ記事の内容をまとめると、日本神話の素戔嗚(すさのお)と奇稲田姫(くしいなだひめ)に関わる重要アイテムとして

 牛頭天皇(素戔嗚の別称) → 牛
 八岐大蛇と奇稲田姫    → 蛇

があり、この動物による象徴が、シュメール神話の円筒印章に描かれた、次の象徴と重なることをお伝えしました。

 王(ハル) → 牛角冠
 女王(キ) → 蛇

そして、シュメールの王と女王を表す記号として

 王(ハル) → 3枝
 女王(キ) → 4枝 (または2枝)

があり、これが一つの樹の幹から伸びた枝、すなわち七枝樹として描かれていることも併せてお伝えしています。

2つの神話の間で、「牛」と「蛇」が奇妙に共通しているのも驚きですが、「世界の中の素戔嗚伝承」でお伝えしたように、日本の縄文時代の線刻石に

 牛角冠・蛇・3点・2点

とほぼ共通するパターンが見られることから、もはや

 素戔嗚神話とシュメール神話の共通性は確実にある

と断定しても良いのではないかと思われるのです。

画像1:東京都町田市で発見された線刻石
出典:川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」(1988 六興出版)

■弥生土器に描かれた七枝樹

神話とされる伝承には、その元ネタとなった史実があるだろうと以前からお伝えしていますが、素戔嗚伝承は記紀が示す通り神武天皇が登場する以前の出来事と想定されます。およそ、紀元前から紀元後に移り変わる前後であったと思われます。

前回の記事「蛇と樹とシュメールの女王」では、正倉院に収められている奈良時代の「鳥毛立女図」に七枝樹をモチーフとした樹木が描かれていると見られることから、この七枝樹思想または信仰は、少なくともその時代まで日本国内で続いていたと考えられます。

その数百年もの長い期間があったなら、他にも七枝樹をモチーフとした遺物が何か残っているだろうと資料を見回すと、鳥取県米子市淀江町稲吉の角田(すみだ)遺跡から出土した弥生式土器に、それらしき絵画がヘラ描きで描かれているのに気付きます。

画像2:角田遺跡絵画土器(A~Eの記号は筆者による)
出典:一般財団法人米子市文化財団 
※ 図中青丸で囲った部分は、考古学会員の佐々木謙氏が
考古学雑誌に発表したものに後から描き足されている部分

ここで注目すべきは「B」の画像で、この資料を掲示していたサイトでは「木にぶらさげられた物体」と、それこそ見たままを簡単に説明されています。

これについて多少踏み込んで考察しているのが、磐座(イワクラ)学会さんの論文で、そこでは、土器に描かれている絵画が単純な風景や事物の描写であるというそれまでの見方を排して、祭祀、それも太陽祭祀の祭具であろうとの仮説を打ち立てています。

 2 従来の解釈の問題点

  従来の解釈は、現在のところ一般的には銅鐸の
 祭りの風景を描いたものとされ、その銅鐸の祭り
 は農耕儀礼あったと推測されている。しかし、そ
 れが真の解釈であろうか。

 その疑問の理由は、図Bにある。私にはこれが「木
 に吊るされた銅鐸」にはどうしても見えないからで
 ある。これを、自信をもって「木に吊るされた銅鐸」
 だと言い切れる人はいないであろう。

 ならば、「銅鐸の祭り」の解釈も、この絵に関して
 は成立しがたいと言わざるを得ない。裾のすぼまった
 紡錘状の銅鐸などありえないし、その銅鐸を吊るして
 いる樹木の枝も棒のようである。

 従って、「木に吊るされた銅鐸」は農耕儀礼と結びつ
 けるためのいささか強引な解釈と言わざるをえない。

  (中略)

 [鏡の祭具]
 ここで、土器絵画(図B)を鏡を取り付けた祭具と
 考えるに至った発想の根拠を示そう。

 <土器絵画(図B)の特徴の推定>
 ①紡錘状の物体は、上下左右対称である。
 ②二つの紡錘状の物体は、同じ形状で左右対称の
  位置にある。
 ③樹木状の物体は直線的に描かれており、樹木の
  ような天然のものでなく、人工物である。

 これに、使用される鏡は弥生前期末に楽浪郡より
 渡来した多鈕細文鏡と推定する。

同論文から抜粋

私も、このような文様は、物作りがたいへんだった古代期においては、祭祀など何か特別な催事の為に描かれたと考えるのが順当だと思います。

この論文は、その形状を非常に細かく観察しており、仮説に至ったプロセスを丁寧に積み上げていますが、この棒状の祭具と思われるものの上部、そこから突き出ている横棒が何であるか、また左4本、右3本の非対称であることについては特に言及していません。

もうお分かりの通り、この4本と3本の左右の非対称性に注目すると、これまで考察してきたテーマと俄然話が噛み合ってくるのです。

画像3:シュメール円筒印章と角田弥生絵画の比較

枝の数もそうですが、何と言っても、枝から垂れ下がっている2つの楕円形の物体までがデザイン的にそっくりなのです。

これはもはや、弥生中期と呼ばれる時代にも、七枝樹思想があったと見なして良いのではないでしょうか?

■2つの楕円物体の考察

ここで、昨年10月31日の記事「方舟と獣の数字」で紹介した。山口県下関市、彦島で発見された線刻石から、七枝樹の象形と思われるものを再度見てみます。

画像4:彦島線刻石の七枝樹

こちらの描画パターンは角田弥生絵画とは少し異なるメノラー型ですが、7つの枝のその下に、楕円形の物体こそ描かれていませんが、中心線から下方に向って左右に垂れさがる枝の様なものが描かれています。

私はこれも、シュメール円筒印章、弥生絵画に描かれた樹木のようなものと同じと考えますが、この垂れ下がったものがいったい何なのかが少し気になります。

樹下美人図では、七枝樹は明らかに樹木として描かれているので、これを樹木の象徴と見なした時、木の枝に垂れ下がるものと言えば、一般的に

 果実

ということになります。

シュメール円筒印章ではその樹木の左右に王(ハル)と女王(キ)が相対していますので、「二人の男女の間の果実」と言えば、それは明らかに

 世継ぎ、王位継承者

ということにならないでしょうか?

すると、ここで問題になるのが、

 どうして王位継承者が2人なのか?

という点なのです。

2人の王権継承者・・・このフレーズを聞いて本ブログに長くお付き合い頂いた読者さんなら次のフレーズを思い出すことでしょう。

 少女神:二人の王権継承者

どうやら、これまで見てきた「少女神」というテーマは、日本古代王朝から素戔嗚、そしてシュメールの王にまで話が広がりそうなのです。


イザナギ二百十六、イザナミ百四十四の仕組み
管理人 日月土

蛇と樹とシュメールの女王

これまで「牛の頭(牛頭)」、あるいは牛冠を戴いた王が、どうやら古代アジア全域で共通の象徴として残っているのではないかというお話をしました。

当然、牛頭天皇(ごずてんのう)の異名を持つ日本神話のヒーロー「素戔嗚命」(すさのおのみこと)もその中にに含まれることになります。

そして、前回記事「世界の中の素戔嗚伝承」では、東京都町田市の綾部原で見つかった縄文時代中期頃のものと見られる石の上に、古代シュメールの円筒印章(*1)と同様のパターン

 牛頭とその象徴三(3)、蛇とその象徴二(2)

が刻まれているのを確認しました。

*1: 粘土の上を転がして文様を刻む円筒形の印章

この石がシュメールの円筒印章と同一コンセプトを象徴すると見るならば、牛頭(あるいは牛冠)は男性の王を表し、蛇はその王妃を指すことになります。

日本の素戔嗚神話と比較するのは脇に置いて、今回は王妃の象徴について少し考察してみたいと思います。

■正倉院の樹下美人図

今回の話を進めるに当たって、綾部原の線刻石が紹介されていた歴史言語学の研究者である川崎真治さんの著書「日本最古の文字と女神画像」(1988 六興出版)を全面的に参考にしていることを先にお断りしておきます。

極めて密度の高い内容が書かれている書籍であり、ここではその中の極々一部を私がご紹介する形になりますが、浅学故に、間違いや思い違いもあるかと思いますので、その点は予めご容赦ください。

さて、今回ご紹介するのは、歴史の教科書や美術書などで見た方も多い次の絵画についてです。

画像1:正倉院《鳥毛立女屏風》(とりげりゅうじょびょうぶ)第五扇
作者不明 奈良時代(752〜756)
引用元:artscape https://artscape.jp/study/art-achive/10106681_1982.html

これは樹木の下の美しい女性、いわゆる「樹下美人図」(じゅかびじんず) と呼ばれる構図のカテゴリーで、同様の構図の美術作品は中国の墳墓、インドの寺院の彫刻などでも見つかっています。

樹下美人図(模本)伝トルファン(アスターナ古墳群出土 
原本はMOA美術館が所蔵
引用:東京国立博物館 画像検索 https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0020987

これについては、コトバンク(出典は株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」)に詳しいので、少し長いですがその解説をここに転載します。

樹下美人図 (じゅかびじんず)

〈樹下美人図〉と通称されるのは,正倉院《鳥毛立女屛風(とりげりつじよのびようぶ)》やアスターナ出土の《樹下人物図》(東京国立博物館,MOA美術館)などを指し,樹木の傍らに立つ男女,ことに女性を描くことが,古代アジアにおいて特殊な画題であったと考えられる。

8世紀を中心に,唐王朝の文化の及んだ東は日本から西はトゥルファンに至る広い範囲に,この画題の作品が見られる。しかし画題の意味するところは必ずしも明確ではない。

正倉院の《鳥毛立女屛風》においても,唐装の美人が樹下にたたずんだり,あるいは岩に腰をおろして憩っている情景とみるほかはなく,特別意味ある所作をなしているともみえない。

《鳥毛立女屛風》については,用いられた鳥毛が日本産の鳥の毛であり,また裏張りに天平勝宝4年(752)の反古紙が用いられており,同年から756年に正倉院宝物が東大寺へ奉納される間に制作されたことになろう。

男女一対のアスターナ出土の樹下人物図についても,侍者を伴った男女の会遇の場面と解釈する説もあるが必ずしも明らかでない。この両図は同一の墓室からの出土で,裏張りに唐の開元の年記を有する反古紙を用いており,その制作は開元中期(730ころ)以降とされる。

またこのほかのアスターナ出土の《官女図》(1972出土)や《胡服美人図》(大谷探険隊請来),さらに《春苑奏楽図》(スタイン請来。ニューデリー)では,楽器を奏でる情景や座して囲碁を打つ女性,立ち姿で鳥とたわむれる女性など,いわゆる風俗美人図ないしは官女図というにすぎない。

 中国中原地方にこの種の作品を求めると,独立した作品は見当たらないが,705年(神竜1)に造営された永泰公主墓や章懐太子墓などの壁画中に,宮廷の官女たちが庭先に居並ぶ中に樹木の傍らに鳥とたわむれる情景を描いた個所がある。しかも樹下人物図は中原やトゥルファンにおいては,いずれも墳墓内に用いられた例であり,風俗人物図と墓室内の装飾という結びつきが興味深い。

一方,この樹下人物図の起源については古くより西方説があり,インドのヤクシーやペルシアの〈生命の樹〉の傍らに立つ女神などとの共通性が指摘されてきた。しかし,現存作品はむしろ唐朝風俗画としての華麗な唐朝文化の香りこそ伝えているが,西方的要素はむしろ少ないと思われる。

執筆者:百橋 明穂

コトバンク「樹下美人図」(じゅかびじんず) から

この解説を読むと、鳥毛立女屏風については「特別意味ある所作をなしているともみえない」、またアスターナ出土の樹下美人図については「侍者を伴った男女の会遇の場面と解釈する説もあるが必ずしも明らかでない」と、要するに、この構図(画題)に関してはその意味について「よく分かっていない」という言うのが本音なのでしょう。

しかし、この構図にこそ非常に大きな意味が込められているとするのが、川崎説なのです。

鳥毛立女屏風の構図について、川崎説では女性の顔に描かれている、インドの方がよく額に付けているマーク(ティーカ/ティクリ)に似た印から、その真意を見出しているのです。

 鳥毛立女図の樹下美人の額にあった菱形四点マークは「四」の枝
 をあらわすマークであり、すなわち、

   Ki-lam-ā-da (キ・ラム・アーダ) = 四枝の蛇女神キ

 をあらわすマークなのだ。また、唇の左右の「二点」はすでにの
 べておいた「三」と結ばれる(「牡牛神ハル」と結婚する)とい
 う意味のタブ(二)だった。

川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から

ここで川崎説を補足する次の図を掲載します。

画像3:シュメールの牡牛神「ハル」と蛇女神「キ」

シュメールの牡牛神(男神)の名は「ハル」、蛇女神の名は「キ」と呼ばれ、中央に置かれた七枝樹はハル側に3本、キ側に4本突き出ています。

これを以て川崎説による鳥毛立女図の解読を図中に示すと次のようになるでしょう。

画像4:鳥毛立女図の分析図

要するに、ここに描かれた「樹」とは七枝樹の象徴であり、その内の四枝を示す記号として額の四点が描かれているのだろうということなのです。

川崎説で少し曖昧なのは、女神を指すのが「ラム:四(4)」なのか「タブ:二(2)」なのかなのですが、その混乱がこの図の分析にも現れています。

これについては既に説明したように

 二人の皇后(正妃と少女神)

というこれまでの古代史考察で得た知見を取り入れることで簡単に解決することが分かります。

正妃(2)と少女神(2)の二人を合わせて一組の女王「4」となりますが、記録上王と結ばれるのは正妃(2)のみであり、少女神は影の存在となり、国家シャーマンとして国家的神事に専従するというものです。

少女神の概念はあくまでも日本古代史を分析することで得た一つの仮説ですが、シュメールの印章の意味をこれで説明できてしまうのは私も少々驚きなのです。

■素戔嗚の皇后

鳥毛立女屏風は奈良時代、国内で描かれたものとされていますが、そうなると、今から1300年前の日本では

 牡牛神「ハル」と蛇女神「キ」、七枝樹

の概念が、いくらか形骸化したとはいえ残っていたことになります。

冒頭で述べたように、日本神話における牡牛神とは素戔嗚であり、牡牛神「ハル」が素戔嗚に相当するなら、女王「キ」は誰に相当するのでしょうか?

記紀に拠れば

 神大市比売(かむおおいちひめ 古事記)
 奇稲田姫(くしいなだひめ 日本書紀・古事記)

となりますが、そう言えば、奇稲田姫と素戔嗚の出会いは

 八岐大蛇(やまたのおろち)

すなわち大きな蛇がそこに介在しているのです。

神話に記された牛と蛇との邂逅、東京都町田市で発見された牛頭と蛇が刻まれた縄文の石、そしてそれに類似するパターンのシュメール円筒印章と樹下美人図、これらはいったどのように日本古代史と結びついて 来るのでしょうか?


管理人 日月土

方舟と獣の数字

今回に限っては、少しだけ触れて終わりにしようと思っていたアニメ分析ですが、この鹿の子アニメ(*)には思いの外多くの歴史的情報が埋め込まれていたので、まだ文字化ができていない点について今回もまた取り上げてみようと思います。

*タイトルは「しかのこのこのここしたんたん」

「いい加減にしろよ」と思われる読者さんも多いかと思いますが、あくまでもこれは「古代史分析」の一環であり、けっして酔狂でアニメについて語っている訳ではないので(本当です)、その点はご理解いただけますようお願いします。

■背振の山から見えたもの

実は1週間程前、現地の福岡県に飛んで、もう一度アニメに関係する土地を見てきました。具体的な行先は次になります。

画像1:脊振山気象レーダー観測所
画像2:気象レーダーの地図上の位置

気象レーダーは福岡県と佐賀県の県境となる背振山の尾根伝いの登山道上にあるのですが、レーダーまでは自動車が入れるように舗装されており(一般車両は不可)、県道から歩いておよそ30分くらいの所にあります。

私も現地に入ってから気付いたのですが、このポイントからは福岡県側に博多湾、そして佐賀県側は有明海はもちろん「鹿島と木嶋と方舟と」で取り上げた杵島までが見渡せるのです。

当日は少し霞んでいて写真では見にくいのですが、以上の重要ポイントをここから写真に収めました。

画像3:気象レーダーから見下ろした志賀島と能古島
画像4:気象レーダーから見下ろした佐賀の平野と杵島

志賀島と能古島は「志賀能古(しかのこ)=鹿の子」であり、志賀の神とはどうやら大船、すなわち「方舟」を指すだろうことは過去記事で述べた通りです。

また「杵島(きしま)」とは、古代シュメール語まで遡ればキッジュ(木)マァ(舟)で木舟であり、どうやらこれが「方舟」を指すことも、過去記事で既に述べています。

つまりこのレーダー観測所の位置は、方舟伝承に関わる2つの土地が同時に見下ろせる絶好のポイントであることが分かるのです。

これは私にとっても大きな発見で、わざわざここまで足を運んで良かったと思うだけでなく、古代史においてこの脊振の山々が、当時の信仰形態がどのようなものであったのか、それを理解する上で極めて重要な場所だという認識に至ったのです。

■虎虎虎

これまで鹿の子アニメの「鹿」について多くを考察してきましたが、このアニメには「虎」の文字を冠するキャラクターが準主役として登場していることを忘れてはなりません。

画像5:虎視姉妹

もうお気付きの様に、この二人合わせたキャラ名の中には「虎」の字が3回現れています。それを抜き出すと「虎虎虎(トラトラトラ)」となりますが、この「トラトラトラ」は第2次世界大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃する際に出された暗号文であることはつとに有名です。そう言えば同名タイトルの映画も作られていますよね。

それではどうして、真珠湾攻撃の暗号文がトラトラトラだったのか?そして、それがまた何でこのようなお気楽ギャグアニメの中に登場したのかが非常に気になります。

以下は私の考察なので合っているかどうかは分かりませんが、偶然と言うには余りにも意味的符牒が整っているので、参考までに紹介しておきましょう。

画像6:「トラ」をヲシテ文字で表記し、文字の構成要素を組み合わせる

以上のように、神代文字とも言われるヲシテ文字で「トラ」を表記し直すと、この音に隠された意味が見えてきます。そして、そこから見えてくるのは

 天地(の理)と六芒星、あるいはダビデの星

なのです。

これを意味的に日本語表現するならば

 天地(あめつち)の秘密(火水)

と読めなくもありません。

また、ここから「トラトラトラ」と「トラ」を3つ重ねた言葉に隠された意味の一つに3つの六芒星、すなわち

 666

があるだろうと考えられるのです。

ご存知の様に、666という数字は「獣の数字」として聖書の「ヨハネの黙示録」にも記述されています。

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

(ヨハネの黙示録 13章18節)

「鹿」からは「ノアの方舟」、そして「虎」からは「獣の数字666」、あくまでも日本古代史を扱っていたはずなのに、どちらも聖書の世界と繋がってしまうのです。一見能天気なお気楽アニメにしか見えないこの鹿の子アニメ、いったい何を企んでいるのでしょうか?

■七枝の線刻石

前回の記事「鹿と大船と祓祝詞」では、この鹿の子アニメの中で七枝のメノラー(古代ユダヤの7支の燭台)が描かれているとの指摘をしました。

画像7:アニメ中に描かれたメノラー

実はこのメノラー、日本国内の各地で見つかった線刻石や弥生式土器にも描かれていると言うのです。

画像8:下関市、彦島の線刻石(川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から)

古代言語の研究家、川崎真治さんによると、七枝の文様のルーツは聖書の時代を通り越してシュメール神話にまで遡ると推定されており、どうやらこれまで見てきた聖書と古代日本の奇妙な接点を理解する共通の鍵は、シュメール文明にあるようなのです。

シュメール神話に関する彫像で七枝樹が描かれる場面は、王「アン」と女王「キ」の間というのが定番のようなのですが、ここでやっと、アニメに登場した少女キャラクター(少女神の象徴)、すなわち皇后(=女王)とメノラーの関係性が見えてくるのです。

画像9:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹
女王の象徴は左端に描かれた蛇、王の象徴は牛角の冠

ここから先は私もまだ不勉強なのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが、このアニメの設定は、想像以上に深い歴史考証によって組み立てられているのが分るのです。


管理人 日月土