サキタマ姫と玉依姫

今年1月30日の記事から前回3月30日の記事まで、2020年に不審な亡くなられ方をした俳優の三浦春馬さんについて、その死の意味について古代史的な考察を行ってきました。

 (1) 三浦春馬と馬鹿(1月30日) 
 (2) 竹内結子と鹿の暗号(2月15日) 
 (3) 三浦春馬と猿の暗号(2月27日) 
 (4) 三浦春馬のカネ恋と少女神(3月15日) 
 (5) 3人の三島とひふみ神示(3月30日) 

思いの外同じテーマが続いてしまい、手元にある材料も出尽くした感があるので、そろそろ別のテーマをとも思いましたが、まだ一つだけ気になる点が残っていましたので、今回もそちらについて話を続けたいと思います。

それはやはり、上記(4)・(5)の春馬さんが最期に出演したテレビドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」の最終第4話に関わるものとなります。

■サキタマ姫とは誰なのか? – 前玉神社

上記(4)の記事の中で、三嶋神の第3皇后として「佐岐多麻比咩」(サキタマ姫)が登場し、この方が伊豆七島の三宅島で三島八王子を産んだとの伝承があることをお伝えしました。

そして記事(5)では、その内の三人が後の天皇家(男性王)の祖となり、もしかしたら3人が同時に天皇として即位しているのではないかという、ちょっと突拍子もない結論が導かれたのですが、それは単なる私の妄想ではなく、現代に書き残されている記録からその様に読み解いたものなのです。

要するに、陰謀論界隈では時たま話題になる「裏天皇」が本当に実在するのではないかという話になるのです。

この件を確かめるためには、「三宅記」に登場する三島八王子の母「サキタマ姫」がどのような方なのかを歴史的に追う必要があります。

実はこの「サキタマ姫」を祭神に祀る神社が埼玉県の行田市にあるのです。それが「前玉神社」(さきたま神社)なのですが、同社のホームページによると、埼玉県の「さいたま」はこの「さきたま」が訛って付けられとの説まであるようなのです。

画像1:埼玉県行田市の前玉神社

この神社は、行田市内にある有名な「埼玉古墳群」の一角にある、やはり古墳と思われる小山の上の狭いスペースに鎮座しており、その様な理由から、社殿の全体写真が非常に撮影しにくく、画像1のようなアップ画像しか撮れませんでした(2020年6月撮影)。

撮影当時は「埼玉の名前の由来になった神社かも?」ということ以外には特に意識していませんでしたが、ここに来て再び「さきたま」に遭遇することになったのは少し意外な気がします。

そこで、前玉神社のホームページから、由緒と御祭神の記述を抜粋します。

御由緒

前玉神社は「延喜式」(927年)に載る古社で、幸魂(さいわいのみたま)神社ともいいます。700年代の古代において当神社よりつけられた【前玉郡】は後に【埼玉郡】へと漢字が変化し、現在の埼玉県へとつながります。

前玉神社は、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。

武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)は、726年(神亀3年)正倉院文書戸籍帳に見える地名だと言われており、1978(昭和53)年に解読された稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文から、471年には大和朝廷の支配する東国領域が、北武蔵国に及んでいたのは確実であると言われています。

北武蔵国の地元豪族が眠ると思われるさきたま古墳群の真上に建てられています。

https://sakitama-jinja.com/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%ae%e5%be%a1%e7%94%b1%e7%b7%92/

御祭神

前玉神社の御祭神は、『古事記』所載の出雲系の神である、前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。天之甕主神(アメノミナカヌシノカミ、アマノミナカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母です。

https://sakitama-jinja.com/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%ae%e5%be%a1%e7%a5%ad%e7%a5%9e/

また、この「御祭神」の箇所に書かれた古事記の原文には次のように記載されています。

大国主神、また神屋楯比売(かむやたてひめの)命を娶して生みし子は、事代主神。また八島牟遅能(やしまむぢの)神の女(むすめ)、鳥取(ととりの)神を娶して生みし子は、鳥鳴海(とりなるみの)神。この神、日名照額田毘道男伊許知邇(ひなてるぬかたびちをいこちにの)神を娶して生みし子は、国忍富(くにおしとみの)神。この神、葦那陀迦(あしなだかの)神、亦の名は八河江比売(やがはえひめ)を娶して生みし子は、速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみの)神。この神、天之甕主(あめのみかぬしの)神の女、前玉比売を娶して生みし子は、甕主日子(みかぬしひこの)神。

古事記 神代 大国主神「大国主の神裔」より
※正しくはアメノミカヌシノカミ、アマノミカヌシノカミだと思われます

これを読むと、大国主から4代目、つまり曾孫の嫁と言うことになりますが、世代的には三嶋神と推定される、彦火火出見の代と合っています。

ただし、古事記の記述は男系継承に基づいて記述されており、サキタマ姫の出自は天之甕主の娘というだけでそれ以上は追えません。なおかつ、日本書紀にはもちろん秀真伝にも記述がなく、やはりここからも追えないのです。

ここまでで分かるのは、サキタマ姫は大国主の曾孫の嫁に入った女性というだけで、その夫である速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみの)神の正体も不明なのです。こうなると、この神社の御祭神である前玉姫が三島八王子を産んだサキタマ姫と同一人物かどうかも分からないのです。

■サキタマ姫とは誰なのか? – 玉前神社

埼玉の前玉神社の場合はストレートに名前が合致していたのですが、残念ながら三島のサキタマ姫との関連はこれ以上探れません。ところが、「さきたま」を「たまさき」と少し変形させると、実は別の神社が現れてくるのです。それが千葉県の外房海岸沿いに鎮座する神社、「玉前神社」あるいは「玉崎神社」なのです。

画像2:千葉県内のタマサキ神社群(Google Map 上の検索)
画像3:旭市の玉崎神社

この中で、一之宮町の「玉前神社」、旭市の「玉崎神社」へは調査に向かったことがあるのですが、どちらの神社もその御祭神は

 玉依姫(たまよりひめ)

であるということなのです。

三嶋神あるいは彦火火出見尊の皇后が豊玉姫であり、次の王位継承者であるウガヤフキアワセズ王の皇后が玉依姫ですから、三島との関係は埼玉のサキタマ姫よりはぐっと近くなります。

ここで、過去記事「伊古奈姫と豊玉姫、そして123便」を読み返して欲しいのですが、ここでは

 豊玉姫 = 伊古奈姫

という関係を導き出しています。そして、第2皇后の伊古奈姫に対する本后として阿波姫の名とその阿波姫の娘である

 物忌名姫(ものいみなひめ)

が居たこともお伝えしています。

私が採用している少女神仮説においては、女系による王権継承という立場を取っているので、当然この物忌名姫にも王権継承権が与えられていると考えられます。

ここで、過去記事では取り扱わなかった「物忌名姫」の存在が大きくクローズアップされるのです。

以下は、これまでの幾つかの仮説の上で展開されていることを前提にお読みください。

 ・サキタマ=タマサキという関係を認めるなら
  三嶋神の第3皇后であるサキタマ姫とは玉依姫のことである

 ・三嶋神の本后阿波姫の娘である物忌名姫とは玉依姫のことである

これはつまりどういうことなのか?3人の三島王との関係を含め、それを図に表したのが以下の系図になります。

画像4:三嶋神を巡る姻戚関係

配色など、この図についてはもう少し説明しなければならないこともあるのですが、それについてはメルマガの記事解説でお伝えしましょう。

なお、私はこれこそが現皇室の始まりを示す本当の姿であると考えています。

よく旗印みてよと申してあろがな、お日様 赤いのでないぞ、赤いとばかり思ってゐたであろがな、まともにお日様みよ、みどりであるぞ、お日様も一つでないぞ。ひとりまもられているのざぞ。さむさ狂ふぞ。

ひふみ神示 カゼの巻 第2帖


管理人 日月土

3人の三島とひふみ神示

※リンク切れなど一部を修正しました(3/31)

今回の記事を書き進める前に、日本書紀の記述から、伊奘諾尊(イザナギのみこと)と伊奘冉尊(イザナミのみこと)が黄泉の国と現世との境にある、泉津平坂(よもつひらさか)の大岩越しに交わした有名な会話のシーンを読んで頂きます。

 故(かれ)便(すなは)ち千人所引(ちびき)の磐石(いは)を以て、其の坂路(さかぢ)に塞(ふさ)ひて、伊奘冉尊と相向(あひむ)きて立ちて、遂に絶妻之誓(ことど)建(わた)す。

 時に、伊奘冉尊の日(のたま)はく、「愛(うるは)しき吾が夫君(なせのみこと)し、如此(かく)言(のたま)はば、吾(われ)は当(まさ)に汝(いまし)が治す国民(ひとくさ)、日に千頭(ちこうべ)縊(くび)り殺さむ」とのたまふ。伊奘諾尊、乃ち報(こた)へて日(のたま)はく、「愛(うるは)しき吾が妹(なにものみこと)し、如此(かく)言(のたま)はば、吾は当に日に千五百頭(ちこうべあまりいほかうべ)産ましめむ」とのたまふ。

岩波新書 日本書紀(一)神代上 一書

以上は、死んだイザナミを追いかけて黄泉の国に下ったイザナギが、妻の朽ち果てた醜い姿を見て逃げ帰り、2つの世界を仕切る大岩を挟んで交わした会話です。

妻のイザナミは、日に1000人を殺すと呪い、夫のイザナミは、それならば日に1500人の人を産ませると宣言するのですが、一応これは神話なので、なんとなく凄まじい話だなと思いつつ、特に深くも考えず読み飛ばした方は多いと思います(私もそうでした)。

しかし、もはや暗号の書と言っても良い記紀には無駄なエピソードなどなく、この記述の中にも日本古代史を紐解く隠された意味があるのです。

それが、前回のブログ記事「三浦春馬のカネ恋と少女神」と大きく関連することを今回はお伝えしようと思います。

■3人の三島

前回の記事の中で、ドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」の最終話第4話で、ヒロインの九鬼玲子(くきれいこ)が、特に意味も無く、伊豆急行線の「片瀬白田駅」で下車し、いかめしを食べるシーンが挿入されており、そこに、三宅島と神津島に関する歴史的暗喩が含まれていると説明しました。

画像1:前回記事から。玲子と三宅島、神津島の位置関係

この片瀬白田駅の近くには、志理太乎宜神社(しりたおぎ神社)と片菅神社(かたすけ神社の2つがあり、それぞれの祭神である志理太乎宜命と片菅命とは、鎌倉時代の文書「三宅記」によると、三嶋神の第3皇后である佐岐多麻比咩(さきたまひめ)が三宅島で産んだ8人の王子の中の2人を指すことが分かります。

ここで、Shrine-heritagerさんの記事を参考に、この8人の王子の名前を列記すると次の様になります。

 第1王子:ナコ(南子命)
 第2王子:カネ(加彌命)
 第3王子:ヤス(夜須命)
 第4王子:テイ(氐良命)
 第5王子:イタヒ(志理太宜命)
 第6王子:クラヒ(久良恵命)
 第7王子:カタスケ(片菅命)
 第8王子:ヒンスケ(波夜志命)

8人の王子それぞれを祀る神社が三宅島にはあるようなのですが、その内の3人については、陸側の伊豆半島に分社が作られています。それは次の3名となります。

 第5王子:イタヒ(志理太宜命) 片瀬白田
 第7王子:カタスケ(片菅命)  片瀬白田
 第8王子:ヒンスケ(波夜志命) 下田

片瀬白田と下田、どちらもドラマで玲子が降り立った駅の名前です。さて、何故8人の王子の内、3人だけが分社を置かれたのか、それについては知る由もないのですが、ただ、幾つかの気になる点があります。

まず、何度も繰り返しますが、三嶋神とは

 三島大神=三嶋湟咋=彦火火出見=賀茂建角身

であることがこれまでの分析から分かっており、彦火火出見(ひこほほでみ)とは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に続く王(天皇)ですから、第3皇后の息子であれ

 三島8王子は天皇の息子たち

ということになります。

本ブログで展開している少女神解釈では、王権を継承できるのはあくまでも女性側ですので、例え天皇の実子とはいえ、男性はそのまま自動的に王になれる訳ではないのです。

さて、ここで「8人の中の3人」の意味を考えてみます。とは言ってもただの言葉いじりなのですが、

 三島8王子 → 8 → 八
 分社3王子 → 3 → 三

 三八 → みや → 宮

と導くことができます。また、8王子たちが産まれた三宅島については

 三宅島 → みやけ島 → 宮家島

と変換することができるのです。

これだけと本当にただの言葉遊びなのですが、三島8王子が天皇の息子たちであるとすれば、「宮」あるいは「宮家」(天皇の血筋)の持つ意味とうまい具合に被って来るので、何かの冗談だと一笑に付すのも躊躇われるのです。

■王輩出家系と三嶋

少女神という女系による王権継承を考えた時、次の皇后が定まったとするならば、その配偶者、すなわち王はどのように決まるのかを考えてみます。

男系社会では、その女性配偶者を選ぶ時に「良家の子女」という相手の家柄を見て相手を選ぶ選択基準がありますが、それでは、女系継承の場合は何を基準に相手の男性を選ぶのでしょうか?

まさか、男なら誰でも良いという訳ではなく、その資質をある程度担保できる基準を定めるはずです。ましてや、一国の王となる人物なのですから。すると一番に思い付くのが、

 良家の男子

ということになるのですが、問題なのは何を以って「良家」とするかです。

現代なら、資産家の家系である、国家功労者の家系であるなど様々な基準があるかもしれませんが、その中でもやはり「宮家」の血筋は特別視されるのではないでしょうか?

つまり、古代日本においても王の血統は圧倒的優位性を保っていたと考えられるのです。但し、血筋は世代と共にネズミ算式に広がりを見せたり、はたまた断絶してしまう可能性があります。ですからそれを補う基準を設けなければいけません。一番考えられるのが、複数の王輩出家系を作り、その直系あるいは直系に最も近い男子を王に差し出すという仕組みです。

ここまで書くと私が何を言いたいかお分かりだと思います。すなわち

 伊豆分社三島3王子とは、後の王輩出家系の祖先だった

のではないかということなのです。

■もう一人の天皇

随分前の記事になりますが、2015年6月12日の(新)ブログ記事「2015年の慰霊(4)」で、中京地方のある神社に不思議な案内書きが建てられているのをご紹介したことがあります。

画像2:「2015年の慰霊(4)」から(個人名は消しています)

昭和61年に即位20年を記念するこの記述は、明らかにもう一人の天皇がこの国に居ることを示しています。

この国に「裏天皇」なる存在がいるのではないかとは、以前から囁かれていることですが、この案内板が存在することは、それが単なる噂などではなく事実を示すものであるとは考えられないでしょうか?

そうなると、前節で述べた三島3王子が男性王の輩出家系ではないかとする推測は、もしかしたら、3家から同時期に3人の王が選出されているのではないかという考えに変わるのです。もちろん、私たち一般国民が知らされる天皇はたった一人だけなのですが。

これを裏付ける確証とはならないかもしれませんが、この国には奇妙な「三」の符号が多く見られます。

 三島の「三」
 三つ巴の「三」
 門松の「三」本松
 「三」段の鏡餅

果たしてこれらは関係ないと言い切れるでしょうか?

画像3:門松と鏡餅。
近年は2段にみかんという鏡餅が主流だが、正式には3段。
みかんを飾りに乗せるのにも重要な意味がある。

■3人の王と2人の少女神

ここで話を少女神に戻します。このブログでは、少女神を王権授受権を有する皇后と捉えるほかに、政体とシャーマンの2人の少女神、あるいは双子の少女神が存在するとも見ています。

詳しくは、本ブログのサイト検索で「双子」と入れて関係記事を探してみてください。

ここで、前節の3人の王と2人の少女神という推測から

 三島王:3人
 少女神:2人

となりますが、これに冒頭で述べたイザナギ・イザナミの神話から、数字だけを取り出すと

 イザナギ(男性王):1500人
 イザナミ(皇后) :1000人

となり、

 三島王:少女神 = イザナギ:イザナミ = 3:2

という関係が導かれるのです。要するに王と王妃の割合を示していると解釈できるのですが、人は1以下には分割できないので、どうしても最小公約数であるこの人数の割合となってしまうのです。

これだけだとただの偶然かもしれませんが、これを補足すると考えられる次のような文面が、ひふみ神示には見られるのです。

五人あるぞ、中二人、外三人、この仕組 天の仕組。

五十黙示録 扶桑の巻 9帖

千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが

五十黙示録 至恩の巻 9帖

2番目の文書を補足すると

 千五百の産屋:千人 = 216(天):144(地) = 3:2

となることはもうお分かりでしょう。

ですから、三島3王子から少々苦しい導入でしたが、3人の王と2人の少女神という仮説はまんざら突拍子もないとは言い切れないのです。

そうであるならば、ドラマ「カネ恋」第4話は、3人の王と2人の少女神の存在を示しており、まさしくそれはこの国の隠された天皇統治の仕組みを示していたと言えるのです。

どうやら、三浦春馬さんはテレビドラマの体をした、どえらい呪詛に巻き込まれてしまったようです。


ささげてむ 和稲荒稲(わしねあらしね) 横山のごと。
管理人 日月土