(真)ブログ及び(新)ブログでもお伝えしているように、先日、鹿児島へ行ってきました。今回は、そこで見てきたものについてレポートしたいと思います。
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■鹿児島残る神代の遺構
日本古代史の研究において、九州内における古墳などの遺跡類と言えば、まずは福岡、次に熊本・宮崎などを思い浮かべますが、九州の最南端、鹿児島についてはあまりそのような話は聞こえてきません。
勿論、調べれば普通に遺跡類はあるのですが、神武天皇の出征の地と言われる宮崎や、記紀で何かと登場する博多湾周辺や大宰府、そして装飾古墳で有名な熊本などに比べれば、知名度はそれほど高くないと思われます。
ですから、鹿児島と言えば、もっぱら島津藩が活躍した江戸時代以降から幕末・西南の役の頃くらいまでが話題の中心となるのですが、このような敢えて鹿児島の古代史に触れようとしないとも見える現状については、以前から少し疑問に感じていたのです。もちろん、単に優先順の問題だけなのかも知れませんが。
今回の調査に当たり、鹿児島の古代史を理解する上で、特に重要な鍵となるのが同県内に位置する次の遺跡・遺構です。
(1)可愛山陵 (えのみささぎ) 薩摩川内市
(2)髙屋山上陵 (たかやのやまの えのみささぎ) 霧島市
(3)吾平山上陵 (あひらのやまの えのみささぎ) 鹿屋市
これらに関連する場所として、霧島市と宮崎県都城市内との境界付近にある
(4)高千穂の峰 霧島市・宮崎県都城市
も挙げておきたいと思います。
(1)~(3)まではいずれも鹿児島県内にあり、合せて「神代三山陵」と呼ばれているそうです。その被葬者として比定されているのが、それぞれ日本神話に登場する次の有名な人物(神?)となります。
(1)瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)
(2)彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと)
(3)鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)
日本神話においては、(1)が地上に降臨した最初の神で、(2)、(3)がそれぞれ、子、孫と代を重ねます。そして、(3)の子に当たるのが初代天皇となる神武天皇であり、この系図だけ見ると、まさに神代の超重要人物(神?)が勢揃いなのです。
そして(4)の高千穂の峰については、(1)の瓊瓊杵尊が天孫降臨の際に降り立った山とされていますが、この神話の史実的解釈については既に過去に取り扱っているので、そちらの記事をご覧ください。
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なお、これらの方々が、神なのか人物なのかという点なのですが、御陵(みささぎ)=墓という実体を以って祀られている以上、私は全て実在した人物と捉えるべきだと考えますし、以前からお伝えしているように、史書の一つ秀真伝(ほつまつたえ)では、明らかに実在人として表現されていることから、ここから先は人物として扱うことにします。
4年前に鹿児島を訪れた時には(3)の吾平山上陵を、そして今回は(2)の髙屋山上陵を見て回りました。ここでは、(2)の髙屋山上陵を視察した感想をお伝えすることにしましょう。
■彦火火出見尊
以下が現地で撮影した髙屋山上陵の正面です。現皇室の租という話ですから、宮内庁が管轄する御陵となっています。
さて、ここに眠るとされる彦火火出見尊ですが、このような難しい名前よりも、子供の時に読み聞かされた方も多いであろう日本神話に出て来る「山彦」(やまひこ)の名の方が良く知られているかもしれません。世に知られる「海彦・山彦伝説」です。
それがどんなお話であったか、ここではまず粗筋を思い返すことにしましょう。
昔、海彦(兄)と山彦(弟)という兄弟がいた。海彦は海で漁を、山彦は山で狩りをそれぞれの生業としていた。
ある日、兄弟はそれぞれの仕事道具である釣り針と弓矢を交換し、海彦は山に狩りへ、山彦は海へ釣りに出かけたが、二人とも成果はさっぱりであった。
お互いの道具を返す段となったとき、山彦は海彦の大事な釣り針を海に落としたことに気付いた。海彦は大層怒り、山彦が自らの剣を溶かして作った代わりの釣り針も受け取らず、「同じものを返せ」と迫った。
海辺で途方に暮れていた山彦の前に翁が現れ、事情を話すと、籠に乗るよう促され、籠は海に流されると沈み、龍宮城へと辿り着く。
山彦は龍宮城で美しい姫と出会い、しばらく時を過ごすが、地上に戻るに当たり、失くした釣り針について竜宮城の神に尋ねたところ、ある魚の口に引っかかっていたのが分かる。
それを持って地上へ発つとき、龍宮城の神は2つの玉を山彦に渡す。潮干玉(しおひるたま)と潮満玉(しおみつたま)で、潮干玉は水を引かせ、潮満玉は水を満たす力があり、兄に意地悪された時にはそれを使って兄を困らせろと言う。
地上に戻った山彦は、2つの玉を使って兄を溺れさせるなど懲らしめ、兄の海彦は、命の懇願として今後山彦に従うと約束する。
どうでしょうか、この話を覚えていらっしゃる方は多いのではないかと思います。どこか荒唐無稽であり、神話と言うよりもおとぎ話に近いと感じられたことでしょう。
こんな話が日本の正史を記述したとされる日本書紀や古事記に、神代の記録、それも現皇室の先祖の記録として本当に書かれているのですから頭が混乱します。
当然、これらを文字通りに受け取る訳にはいかず、何かの歴史的事実を寓話的に脚色したものであると考えざるを得ないのです。
日本書紀に拠ると、これらの登場人物はそれぞれ次の様になります。
海彦:火酢芹尊(ほすせりのみこと)
山彦:彦火火出見尊
翁 :塩土老翁(しおつちのおぢ)
龍宮の神:海神の神(わたつみのかみ)
姫 :豊玉姫(とよたまひめ)
このストーリーから窺える重大事象の1つは
火酢芹尊と彦火火出見尊が争った
次に、
塩土老翁と海神の神が彦火火出見尊に加勢した
そして、私が最も重要視するのが
彦火火出見尊は豊玉姫を娶る
という点なのです。
■少女神豊玉姫
本ブログでは、これまで少女神仮説に基づいて古代王朝の成立過程について考察してきましたが、この海彦・山彦の神話の中に少女神の継承者と考えられる「豊玉姫」が登場したことにより、やはりこの仮説によって実際の史実が解明できるのではないかと考えるのです。
少女神仮説の中核は「女系による王権継承」ですから、火酢芹尊や彦火火出見尊が誰の子であるかは、日本の王権とは直接関係しないのです。ですから、王位継承者の二人が争ったとする記紀の男系継承的な解釈は当てはまらず、そこにはひたすら「二人の男性による姫の奪い合い」があったと考えるべきなのです。
話の筋道から考えると
海の支配者は元々火酢芹尊であった
と考えられ、それを味方の加勢を受けた彦火火出見尊が奪い取り、姫と同時に海の支配権を略奪したとも読めるのです。
画像4の記述で大事なのは、これまでの考察から彦火火出見尊が、三嶋湟咋(みしまみぞくい)もしくは賀茂建角身(かものたけつぬみ)と同一人物であると考えられることであり、この時に三嶋一族、あるいは賀茂建角身の別名である八咫烏(やたがらす)がこの国の中枢に侵入した事実を物語っているとも取れるのです。
そうなると、王権を剥奪され従者と成り下がった火酢芹尊とはいったい誰なのかが問題になるのですが、その答は日本書紀の次の節に書かれていると私は考えるのです。
始めて起こる烟(けぶり)の末より生り出づる児を、火闌降命(ほのすそりのみこと)と号(なづ)く。是(これ)隼人等が始祖(はじめのおや)なり。
日本書紀 神代下
当ブログで頻繁に取り上げている「少女神」という概念は、みシまる湟耳(こうみみ)氏による著書「少女神 ヤタガラスの娘」(2022/1/28 幻冬舎)によってインスピレーションを受けたものです。ブログ記事を読み進めるためにも、まず初めにこちらをお読みになられることを強くお勧めします。
この本を読むことで、日本国民が天皇家の成立ちについて誤解していること、あるいは意図的に誤解させられている事実に気付くはずです。
この本の出版が露骨に妨害されている動きが見られます。みシまる氏の今後の活動を応援する為にも、ぜひとも新刊での購入をお願いします。
髙屋山見下ろす隼人の御土地は守り鎮めし神の賜物
管理人 日月土