伊古奈姫と豊玉姫、そして123便

今回の記事を読み進める前に、まず次の写真を見て頂きたいと思います。

画像1:123便内から地上を見た写真

以前から(新)日本の黒い霧ブログを読まれてきた方なら、一目でこの写真が何かお分かりになったかと思います。これは、1985年8月12日、羽田空港から大坂伊丹空港に向けて飛んだ日本航空123便の機内で撮られた写真です。

撮影場所についてはメディアで様々言われていますが、私の行った現地調査の結果では、これは

 東に向かう高度600~1000mの低高度から
 伊豆半島東岸の白浜海岸付近を撮影したもの

と結論が出ています。

方角については、この撮影者とその家族が機体の後方右寄りに着座していたこと。高度については、窓から見える地上の景観から数学的に計算して割り出したものです。

一般には、この写真は「高度4000m以上の高度から相模湾を見下ろしたもの」とされていますが、その説明が間違いであることは、この写真が窓枠の少し手前から撮影したものにも拘わらず、窓の中央部まで地上の景色が写り込んでいることから分かります。

4000mの高度では、窓から下を覗き込まないと地上の景色は見えません。それは普段飛行機を利用している方なら直ぐに確認できるはずです。

要するに、123便は相模湾上空をかなり低い高度で東に向かって飛んでいたことになります。その事実は、公表されているボイスレコーダー(CVR)やフライトレコーダー(CFR)では全く確認できないのです。つまり、

 CVRもCFRも本事件解明の資料とは成り得ない

有体に言えば、どちらも改竄された上で公開されているという結論になり、私がこれらの公的資料を一切用いないのもその点に起因するのです。

これらの調査の経緯については(新)ブログ記事「折れなかった垂直尾翼(1)」を読んで頂きたいと思います。

■写真に写ったもの

画像1の写真を見てまず目につくのは、2番の橙〇で囲んだ黒い物体です。ぼやけていて色も形もはっきりしていませんが、おそらく撮影者もこれが気になって撮影したのだと思われます。

これについては、私もかつては「戦闘機なのでは?」と仮説を提示しましたが、その後、専門家による画像分析でオレンジ色の発光が確認できたと週刊誌で報じられました。

それに続き、これが航空機なのかミサイルなのか、はたまたUFOなのではないかと、とかく議論の的になりますが、今回は歴史ブログの記事なのでこの物体には注目しません。

私が今回注目するのは1番の赤〇で囲んだ部分なのです。ここに何があるのか、読者の皆様はお分かりになるでしょうか?斯く言う私もその存在が気になりだしたのは最近のことなのです。

画像2:伊古奈比咩(いこなひめ)神社本殿

下田市白浜海岸の中間部に、相模湾に突き出した小丘陵があるのですが、この伊古奈姫神社は丘陵の麓に本殿、そして境内の階段を昇った頂上部には樹木に囲まれた奥宮が鎮座します。

画像3:伊古奈比咩神社奥宮

さて、これだけだと、写真のフレームに収まったただの神社という話で終わってしまうのですが、肝心なのはその「伊古奈姫」というお姫様の正体なのです。

■三嶋神の后(きさき)

伊豆半島に三嶋(三島)神社が多いことは、過去記事「名前を消された三嶋」でお伝えしましたが、この神社、名前こそ「伊古奈姫」と女性の名前を冠していますが、実は同じく三嶋神を祀る神社の一つなのです。

画像4:祭神の案内板

では、伊古奈姫とは誰なのか、そして三嶋神(三嶋湟咋:みしまみぞくひ)との関係は?実はそれについて昭和初期に書かれた研究書が同社のホームページに掲載されているので、それを読んでみることにしましょう。なお、漢字は基本的に旧字体ですが、フォントの存在していない異体字については現代漢字に置き換えています。

(イ)伊古奈比咩命に就いて

 本社の主神が伊古奈比咩命にましますことは、既に述べた如く祭神の御名をそのまま社名とする延喜式の記載からでも容易に首肯することが出來るが、然らばその神名並に神格等に就いては如何であらうか。

【古典其他に見える神名】 現神名の顯はれた記事は、日本後紀 (釋日本紀十五所引)淳和天皇天長九年五月二十二日 (癸丑)の條に

 伊豆國言上、三嶋神、伊古奈比咩神二神預名神

とあるを初見とする、爾後文德實錄嘉祥三年十月八日 (壬子)の條を始め、同十一月一日(甲戌)、仁壽二年十二月十五日(丙子)、齊衡元年六月廿六日 (己卯)の各條に見え、その都度神位の加叙が行はれてゐる。次いで延喜の制伊豆國賀茂郡四十六座中の一に記載せられ、降って江戸時代の初期慶長十二年大久保長安奉納の鰐口にも「白濱伊古奈比咩命大明神」とき刻記せられてゐる。

【神格と神系】 上述の如く正史古典に嚴然たる御名を遺させ給ふ大神にましますのであるが、その神格と神系については、古典に記す所尠く、僅かに左の數點を拜するに過ぎない。先づ神格については前記日本後紀逸文中天長九年の條に

  令卜筮亢旱於内裏、伊豆國神爲祟

次で伊豆國より言上して三嶋神・伊古奈比咩神の二神を名神に預るとあるから、此處に言ふ伊豆神は卽ちこの二神にましますことが知り得られ、且つ亢旱を祈って驗あることが推察されるが、更に同文に次で次の一條が記載される。(以下略)

引用元: 伊古奈比咩命神社公式ホームページより

この文献を読み進めると、後段に伊古奈姫 が

 三嶋神の後后

を指すとの記述が見られます。

後后とは二番目の后という意味ですから、当然正妻に該当する本后も存在し、同文献には本后(阿波姫:あわひめ)とその娘(物忌名姫:ものいみなひめ)の名前も記されています。但し、官位を先に授かったのが後后の伊古奈姫だったため、二人は怒って祟ったとの伝承が残されています。

本后と後后、ここに、以前から話題にしている

 双子の皇后 あるいは 二人の皇后

という、少女神とはまた別の、女系史に関する重要テーマが含まれていることに気付かされます。

画像5:このアニメも同テーマを扱ったものか?
©田中靖規/集英社・サマータイムレンダ製作委員会

三嶋系の神社は、大抵は男神「三嶋神」を表に出しますが、どうしてこの神社では后の名を用いるのでしょう?この文献を読むと、祭神五柱の内、主祭神は伊古奈姫と三嶋神ですが、三嶋神については説が定まらず、筆頭の主祭神は「伊古奈姫」であると断じているのです。

■三嶋湟咋の后と豊玉姫

ここで前回の記事「書き換えられた上代の系譜」の画像1を見てみます。これら同一家系の変化と思われる系図の中では、三嶋湟咋(=賀茂建角身)の后の名が不明でした。

画像6:三嶋湟咋の后の名が不明

ここで、この研究書の結論を適用すれば

 ① = ①’ = ①” = 伊古奈姫

と置き換えることが可能です。

ところが、男系継承で記載されている日本書紀と比較すると、ちょっと訳の分からない感じになります。

画像7:日本書紀との比較

これをどう解釈したらよいのか?私は日本書紀の記述は

 後に男系化された古代王朝の系譜

と考えられるので、ここは女系解釈に沿って

 伊古奈姫 = 豊玉姫
 三嶋湟咋 = 彦火火出見

と置き換えが可能であろうと見ています。これを私は「一体分身」の原則と捉えており、これまで他の例でも見てきたように、個人の功績や職名、諱(いみな)などそれぞれに別の名前を用い、まるで複数人が存在していたかのように史実を攪乱し捏造する、史書編集者の常套手段ではないかと見ているのです。

しかも、この混乱した話を神話(ファンタジー)としてしまえば、後世の読者は話の辻褄について事実関係を訴求する意欲を大いに削がれるばかりか、現代の神道のようにあたかも神話の神々が実在するかのように勘違いするかもしれません。

このように暗号化された史書を読み解くには、史書編集者がどのような改変手法・暗号化手法を適用したのか、それを見抜かなければなりません。そして、何故そんなことをしてまで史実を隠そうとしたのか(あるいは逆説的に事実を残そうとしたのか)、その意図を探るのもまた重要なテーマとなるのです。

さて、

 天皇の祖先が三嶋湟咋?

これがいったい何を意味するのか、今後、より深く見て行きたいと思います。


* * *

今回の記事冒頭では、123便事件を取り上げましたが、そもそも歴史研究を始めたのが、同事件発生の大きな理由に古代から現代まで横たわる何か大きな社会的構造の歪みが関わっているからだろうと見立てたからなのです。

その歴史的追及が直接この事件の現場と関わってきたことに、何か偶然でないものを感じてなりません。これまでの調査から、123便事件の背景には、昭和天皇と美智子妃殿下(当時)の存在が非常に大きいだろうとしてきましたが、ここにきて、およそ2000年の時を超え、古代と現代の天皇、そして后の関係が繋がってきたように感じるのです。


管理人 日月土

書き換えられた上代の系譜

先月京都の久我神社を訪れ、その時得た着想を元に賀茂と三嶋について考察を加えてきましたが、ここではこれまでの話を一旦整理してみたいと思います。

 関連記事:
  ・甲と山の八咫烏 (‘23.3.15)
  ・加茂と三嶋と玉の姫 (‘23.3.28) 

賀茂は「鴨」であり、三嶋には「嶋」の字が含まれます。どちらの文字にも「烏」(カラス)が含まれることから、ここで既に共通性が見られます。

三嶋湟咋(みしまみそくひ)の孫娘が我が国の皇室の租とされている「神武天皇」の后(きさき)になっているのは、各史書における共通の認識の様ですが、ここで、神武天皇の父の名「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊」(ひこなぎさたけうがやふきあわせずのみこと)の中に「鸕鷀」(う)の字、すなわち「烏」の文字が含まれている事に気付きます。

以上の事実を踏まえ、三嶋湟咋(みしまみそくひ)とその家系、また神武天皇のと関係を、山城国風土記・秀真伝・古事記、そして日本書紀とに分け、それぞれ系図として書き出してみたいと思います。以下、文字が小さく表示されると思うので拡大してご覧になってください。

画像1:鴨・三嶋・鸕鷀、3つの烏(からす)とその系図

この系図を見てどう思われるでしょうか?各史書毎に記述はバラバラに見えますが、一部同じ名が現れていたりと、やはり共通している点も見受けられます。

左側3つの系図の比較から、私は「賀茂」と「三嶋」は元々同じ家を指していたのだろうと結論付けたのです。そして、この3系図は女系の血縁関係を表しており、その繋がりは図中に引いたピンク色のラインで示されています。

一方、右端の日本書紀を元に描いた系図は、神武天皇に至る男系による血の繋がりを表しており、それを青色のラインでトレースしています。

明らかに、賀茂・三嶋はヒメタタライスズヒメなる皇后を輩出した女系の家系であり、そこには共通の「烏」の字も見られるのですが、困ったことに、男系の彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊にも「烏」の文字が使われているだけでなく、山城国風土記に女系の姫として登場した「玉依姫」が。今度は男系王の后、神武天皇の母としてその名が記されているのです。

 これはいったいどういうことなのか?

この疑問への答になるかどうか分かりませんが、日本書紀の中には、画像1に登場する神武天皇の祖父、彦火火出見尊が、約束を破られたことに怒って竜宮城に帰って行こうとする后の豊玉姫に次の様な歌を詠んでいます

 おきつとり かもづくしまに わがゐねし いもはわすらじ よのことごとも
 (沖つ鳥 鴨著く嶋に 我が率寝し 妹は忘らじ 世の尽も)

岩波文庫 日本書紀 巻第二

表面上の訳は「鴨が着く島で、私が添い寝した少女のことが忘れられない。わたしが生きている限り」という情緒たっぷりの歌なのですが、この歌には大事な文字が含まれているのにもう気付かれたでしょうか?

「沖つ鳥」とはそもそも「鴨」を指す枕詞でもありますし、この歌にはあからさまに「鴨」と「嶋」の文字が同時に使われているのです。それに加え豊玉姫の生み残した子の名に「鸕鷀」(う)と、ご丁寧にも「烏」の文字が二つも含まれているという具合なのですから、何とも出来過ぎた話なのです。

以前から述べているように、私は記紀などの史書は高度に暗号化されている書物と見ており、そのまま文字通り読んでは歴史書として使い物にならないと感じています。ですから、当然この歌には史実解読のヒントが含まれていると考えられるのです。

ここで重要となるのは、「鴨」と「嶋」、そして両者を指すであろう「鸕鷀」に共通する文字、「烏」(カラス)であり、また「妹」(少女)であると考えられます。すなわち、私がこれまでテーマにしてきた

 ヤタガラスの娘(少女神)

を強く指し示していると捉えるのが妥当であると考えられます。そして、それがいったい何を意味しているのか?それは画像1の系図のバリエーションをよく見れば自ずから気付くはずです。

 皇位の正当性は「烏」の一族、すなわち女系にある

端的に言えば、一般的に認識されている

 彦火火出見 - 鸕鷀草葺不合 - 神武

と続く男系による皇位継承は、実は血の繋がった継承ではなく、鴨・嶋(=鳥)なる少女神の下へ男が入る(率寝る)ことで、その皇位、王としての権限が保証されることを示しているのだろうと考えられるのです。

要するに、日本書紀に詠まれたこの歌は、

 日本の皇統史は女系から男系に書き換えられている

という事実を後代の読者にこっそり伝えているのだと読めるのです。


* * *

今回の考察は、天皇は神の子孫であり、天皇家は万世一系で、2000年以上脈々と続く世界でも稀有な存在であると信じている方々には少々刺激が強いかもしれません。しかし、男系天皇が虚実であったとしても、女系として引き継がれたこの国の尊厳は何も傷つくことはないであろうと私は信じています。

それよりも、日本人(にほんじん)として祖国の成立史を夢見がちに理解することが本当に正しい姿勢なのか、そこを良く考えて頂きたいと私は思うのです。

今後は、古代日本がおそらく女系王権の国だったであろうという前提で、より深くこの国の成立史を読み解いて行く予定です。


管理人 日月土