神話から歴史へ、奇跡を科学へ

学校で日本史を学ぶ時、神武天皇より古い時代は「神話」として扱われます。つまり、歴史上何があったかよく分からない時代、あるいは極めて抽象的、曖昧な時代ということになります。

そうなってしまうのは、「日本書紀」や「古事記」など、いわゆる記紀が古代日本の正史として扱われるからだと思いますが、よもや神代記に書かれた内容が、事実として文面通り起きた事象だと思う方はどれくらい居られるのでしょうか?

天照大神や素戔嗚など神代記の神々を祭神とする神社などが、初詣に人でごった返す様を見る限り、この国の国民の多くが常識的には荒唐無稽とも思われる日本神話を漠然と受け入れている様子が見て取れます。

そろそろこんな古代史ファンタジーと決別する時ではないでしょうか?

神道関係者など、宗教として関わる方々ならその存在を疑っては仕事として成り立たないのはもちろんですが、その信者やスピリチュアル系の方々の中には無邪気に神的存在を有難がる方々も多いようです。

西洋キリスト教などもそうですが、超自然的な奇跡譚と歴史上の事実を混同することでおかしな歴史物語や歴史解釈が生まれて来るのではないでしょうか?

例えば、数百年前の社会で電気の光を突然見せられたら、それは奇跡であり神の光であったはずです。「そんな昔に電気の光なんかあるはずがない」というのは、一般的な科学史に照らし合わせて得られた思い込みでしかなく、その時代に本当に電気がなかったとは誰も証明できないのです。むしろ、そういう科学技術の独占が宗教を語る人々、または時の為政者に上手に利用されてきた可能性も考慮しなければなりません。歴史上の奇跡は歴史的あるいは科学的に再解釈されるべきだと私は考えます。

その「科学技術の独占」を最も疑う例が「原子力」です。それについては関連ブログ(新)日本の黒い霧でも取り上げていますが、とにかく、1911年にラザフォードによる光の散乱実験で初めて原子モデルの推測がなされ、「核」の存在がやっと議論され始めたのに、何と1944年には「核分裂」を利用した最初の原子炉が出来上がってしまうのだから驚き以外の何物でもありません。これは科学理論から原子力が考えられたというより、すでにあった原子力を広く世に出すために後から理論体系が用意されたと考えるべきではないでしょうか?

 参考:認めたくない、日本の憂うべき現状(8) - 中西部地下原発マップ

原子物理の父と呼ばれる
アーネスト・ラザフォード
(1871-1937)

なお、原子力が本当に「核分裂」によって起きているのか、現在でも疑っている物理学者が居ることだけは覚えておいてください。いわゆる核を中心とした土星型原子モデルそのものが間違いだという指摘すらあるのです。少なくとも、常識とされている現在の原子モデルは科学的な確定事項ではないのです。そんな中でどうして、「核分裂」や「核爆発」があった、存在していると言えるのでしょうか?これについては科学テーマとして別稿で取り上げたいと思います。

(神)日本の黒い霧では、「神」という存在の霊的部分、いわゆる超自然的な側面、事実としての歴史的な側面を切り離し、特に後者の歴史に焦点を当てて考えたいと思います。

神話に史実的な視点を導入することにより、日本の謎めいた古代史について多くのことが分かってきます。例えば、

 ・神にされてしまった超古代天皇の実在可能性
 ・超古代天皇が居た高天原(たかあまはら)の所在地
 ・天孫降臨が示す具体的歴史事象
 ・出雲の国譲りが示す歴史的意味
  etc..

などです。ちなみに、秀真伝(ほつまつたえ)によると、記紀で神武以降の天皇が「スメラミコト」と呼ばれるのに対し、超古代天皇は「アマカミ(天神)」と称していたとあります。「カミ(神)」とは実在していた超古代天皇を指す呼称であり、決して霊的・超自然的な存在を意味していたのではないのです。そして、その血の系譜の中にアマテル(天照、男性)もソサノヲ(素戔嗚)も実在人として記されているのです。

ここまで日本史を辿るのは、何も自分の生まれた国のことを正しく知りたいというだけではありません。後にお伝えすることになりますが、1985年の123便事件の原因も、突き詰めれば神武以前の歴史にその根源を求めることになるからです。

高麗神社の神紋は鶴丸
日高見国(ひだかみのくに)とは大和武尊(ヤマトタケルノミコト)が向かった東の国。高麗神社は埼玉県の日高市にある。この辺りは高句麗からの亡命者が入植した土地と言われるが、当時の日本と高句麗との関係を、現在と同じく朝鮮半島と日本(外国と日本)の関係に置き換えて見てよいのだろうか?そして、2017年に現上皇が私的にここを参拝した真意とはいったい何であろうか(下写真)?ここにもあの鶴丸が印されているのだ。

私も信仰者ですので霊的な「神」を否定はしません。しかし、「神」の名を語り歴史の真実を曲げる行為は、人の犯す最も大きな過ちの一つであると思うのです。

令和元年12月30日
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