シタテル姫と呼ばれたヒルコ姫

日本神話では生まれてすぐに流されてしまったとされる蛭子(ひるこ)について、ここ4回ほど考察してきました。そこから、記紀及び秀真伝の伝承の中に蛭子が名前を変えて何度か登場していることが分かってきたのです。

以下は蛭子の別名として付けられたと予想される名前のリストになります。

 蛭子(蛭児) = { ヒルコ姫、ワカ姫、シタテル姫、
          ヒ姫、ワカヒルメ、ハヤアキツ姫 }

 関連記事:
  ・ムカツ姫とヒルコ姫 
  ・ヒルコ姫と西宮 
  ・ヒルコ姫とワカヒルメ 
  ・ハヤアキツ姫は誰なのか 

以上の記事の中で、まだ考察の終わっていない別名があるのですが、それが

 シタテル姫(下照姫)

となります。、Wikipediaで「シタテルヒメ」を調べると、表記の違いも含めて実に多くの別名のあるのが分かります。

 シタテル姫 ={ 下光比売命、下光比賣命、下照比売、下照比賣、下照姫命、
        下照媛、高比売命(たかひめのみこと)、高比賣命、髙比売命、
        髙比賣命、高姫命、稚国玉(わかくにたま)、稚國玉 等 }

もはやどの表記を基準にしてよいのか迷ってしまうのですが、ここでは蛭子のことを基本的に「ヒルコ姫」、もしくは「シタテル姫」と書き表すことにします。

■記紀に登場するシタテル姫

実は、シタテル姫について、前に取り上げたことがありましたが覚えておられるでしょうか?それは5年前の記事及び「犬神モロと下照姫」及び「下照姫を巡る史書の暗号」の2編です。

以下に、その時に作成した系図を再掲します。

画像1:「日本書紀」における下照姫を巡る系図
画像2:「古事記」における下照姫を巡る系図
画像3:「秀真伝」における下照姫を巡る系図

これらの系図を見ると、シタテル姫の親の出身家系も史書によっては不明、あるいは異なる家系であったりしますし、もっと頭を悩ますのが、画像3の系図にはシタテル姫が二人も登場することなのです。

一人目が、これまで取り上げてきたイザナギ・イザナミの子でヒルコ姫と呼ばれるシタテル姫、もう一人が、アマクニタマの子で「オクラ」なる別名を持つシタテル姫なのです。この二人は世代的に祖母と孫の関係程度は離れているので、両者は別人であろうとも考えられるのですが、そこで問題となったのはナギ・ナミの子という高貴な出である姫の名を、他所の家がその娘に名付けるのかという疑問なのです。

故に、投稿当時は「秀真伝に登場する二人の下照姫は同一人物ではないのか?」としながらも、これまで未解決の謎としていたのです。

さて、その後の考察で以下について分かってきました。

 アチスキタカヒコネ = アメワカヒコ = 猿田彦 = 火明命

つまり、これらは皆同一人物の別名ということです。

加えて、最近の記事「ムカツ姫とヒルコ姫」に書いたように、記紀において王位6代に亘ると描かれている登場人物たちが、多少の年齢差はあるとしても実は同時代に存命していた人々であるだろうということが分かってきました。つまり神話はこの時代の人物を別名を用いて意図的に世代を引き延ばして表記しているのです。この引き延ばされた時代を私は記号的に「F時代」と呼んでいます。

すると、先ほどの世代が異なる二人のシタテル姫の疑問は容易に解消することになります。つまり同一人物をわざわざ世代を分けて登場させているのであり、次なる疑問点は秀真伝は何故このような改竄ミスとも取れるような表記を残したのかという、編纂者の隠された意図なのです。

火明命は大国主を次ぐ王となることが予定されていた人物ですから、まさにF時代人でありますし、二王朝時代には瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、すなわち少彦名との並立王朝を立てたと秀真伝にあるので、その点でもまごうことなくF時代人なのです。

以上から、図1~図3までの表現の揺らぎを修正した意味は、おそらく次のようになるでしょう。

  火明命 === シタテル姫 (王と女王)

■アメノウズメとシタテル姫

さて、前段のような結論が導かれると当然次のような疑問が再び湧き上がってきます。何故ならば、火明命はアメノウズメ(別名:猿女君、玉依姫)と一緒になって王になったとするこれまでの結論とは異なるからです。

もちろん、アメノウズメはシタテル姫の別名ではないか?という考え方もあるのですが、今のところ、この別名説を支持する表記は見い出せていないのです。

ひとまず別名説を横において、前段の結論を説明しようとした時、以前からお伝えしているように、当時の王権継承は女系を通じて行われていたはずなので、側室として女王を二人置いたというのもまた考えにくく、あるとすれば

 女王を変えざるを得なかった

という事態が発生したというのが最も考えられるケースなのです。

実はその事態がどういうものであったのか、それについては過去記事で既に述べているのですが、お気付きになったでしょうか?それは

  豊玉姫(大国主の女王)と玉依姫(火明命の女王)が出自不明の
  彦火火出見(ひこほほでみ:別名八咫烏)一派に強奪され、王位継
  承権が奪われた

というものなのです。

王位継承権を有する女王が奪われた以上、王の地位に留まるには女王の家系の中から新たな女王を選び、その婿となるしかないのです。

この王権の分裂状況こそが、秀真伝が残している二王朝時代の真の姿であろうと私は考えます。そしてこの時から「ハタレの乱」という長く続く騒乱の時代に古代日本は突入することになったのでしょう。


管理人 日月土

ハヤアキツ姫は誰なのか

前回まで3回ほど、ヒルコ姫を取り上げてきました。

 ・ムカツ姫とヒルコ姫 
 ・ヒルコ姫と西宮 
 ・ヒルコ姫とワカヒルメ 

この中の考察で、伊弉諾(イザナミ)・伊弉冉(イザナミ)の子で葦の船に乗せて流された蛭子(ヒルコ)とは

  蛭子 = (ヒ姫、ヒルコ姫、ワカ姫、シタテル姫、ワカヒルメ)

と、いくつも名前を変えて神話に登場する、同一の女性を指すのではないかとの結論を得ました。

記紀には多くの神名が登場しますが、その内幾つかは、モデルとなった同一人物を別名で呼び表し、異なるキャラクターとして神話を展開させていることがこれまでの分析で段々分かってきました。

大分煩雑になってきたので、どこかで別名一覧表を作らないと、私も混乱してきそうです。

■ヒルコ姫とハヤアキツ姫

さて、前々回の記事「ヒルコ姫と西宮」では、秀真伝(ほつまつたえ)の研究家、池田満さんの次の解説を引用しました。

 七代アマカミの父イサナギ・母イサナミの長女として
 ツクバ(現、茨城県筑波市筑波)にてうまれるが、父40
 才・母31才(「ミカサフミ」では父42・母33才)のアメ
 ノフシ(厄年)に当たったため捨て子にされた。拾い親の
 カナサキによって、ニシノミヤ(兵庫県西宮市)のヒロタ
 (広田神社及び浜南宮=現在の西宮神社)で養育された。

 (池田満著 ホツマ辞典「ワカヒメ」から)

このヒルコ姫の養父と言われている「カナサキ」という人物ですが、池田氏の解説だと、アマテラス(天照:男性王)の重鎮で、またの名を「スミヨシ」、すなわち現在の漢字表記で「住吉」とも呼ばれていたとあります。

造船技術に長けた人物ということなのですが、そう言えば住吉神社の御祭神が「底筒男命・中筒男命・表筒男命のいわゆる「住吉三神」で、過去記事「鹿と方舟信仰」にて伝えしたように、これが擬人的表現として

 三層構造の方舟

を指しているのではないかと指摘したことがありますが、これが造船の達人たる人物の代表的な作品を神として祀っているとすれば、妙に合点が行くのです。

画像1:国内最古の住吉神社と言われる福岡県那珂市の現人神社(あらひとじんじゃ)
こちらにはたいへんお世話になりました。

このカナサキ、もとい住吉という古代人、およびその人物と方舟の関係についてはまた取り上げたいと思いますが、今回はヒルコ姫に関して気になる点をご紹介します。

秀真伝には次のような記述があります。

 サノウチメ カナサキガメノ
 ハヤアキツ アキコハシホノ
 ヤヲアイコ ツノスキウチハ
 ムナカタカ オリハタオサコ

(池田満著「記紀原書 ヲシテ 上巻」から 秀真伝 6-27 )

原文はたいへん難解なので池田氏の解説に頼ると、カナサキにはハヤアキツ姫という娘が居り、後に天照(男性王)の側室に入り、皇后の一人として非常に重要なポジションに就いたとあります。

秀真伝では、カナサキに預けられ後に宮中に戻されたヒルコ姫とは別人として描かれていますが、ハヤアキツ姫とヒルコ姫の二人の関係は特に描写されてはいないようです。

秀真伝に見る二人の成長後の経歴は、簡略して書くと次のようになります。

 ヒルコ姫  :天照の姉。里子に出されるも、後に天照の妹として宮中に復帰
        オモヒカネの妻となる
 ハヤアキツ姫:天照の側室として宮中に入る
        アマツヒコネを産む

このように、全く違う人生を歩んだように見える二人なのですが、どちらも宮中において非常に天照(男性王)に近いポジションであることが伺えるのです。

そして、記紀における両者の記述は大体次のようになり

 ヒルコ姫  :葦船で流された蛭子
        機織りの杼(ひ)で命を落としたワカヒルメ
        アジスキタカヒコネの関係者として登場するシタテルヒメ
 ハヤアキツ姫:速秋津日命 – 水門の神達の総称(書紀)
        速秋津比売神 – 水戸の神の妻神(古事記)

秀真伝とは異なり、いくら神話中の神とされているとはいえ、どこか扱いがぞんざいなのも共通していると言えます。

■何故「秋」の字が当てられたのか

現在私たちが目にすることのできる記紀は、歴史的に漢字が後から当てられているのはもはや疑いないかと思いますが、何故「アキツ」に「秋津」が当てられたのか、特に「秋」の文字が選ばれたのが気になります。

その前に、池田氏によると、秀真伝における「アキツ」とは、伊弉諾・伊弉冉による国の再興という偉業に対しての尊称であり、そのような意味の名が与えられるハヤアキツ姫とは到底普通の姫ではないことが分かります。

「秋」は甲骨文字や篆書(てんしょ)などの表意解釈から、収穫の季節に「”穂”についた”虫”を”火”で追い払う」と読め、後に”虫”を表す字体が脱落し、”穂”と”火”を表す「秋」となったとされています。

アキツに漢字を当てる時、当時(おそらく平安時代前後)の人々はどのような意図をもってこの字を選んだのか?そう考えた時、”穂の実り”を表す「禾」(のぎ)はもちろんですが、「火」の字の語義を非常に重視したのではないかと考えられるのです。

このハヤアキツ姫、記紀では「水門の神」または水戸の神」と「水」に関係する神と表現されていますが、これは逆にその反意、すなわち「火」を強調している、あるいは呪い文字として「火」の持つ意味を相殺しているのではと見られるのです。

記紀の表現を呪い文字と見た場合、ハヤアキツ姫は本来「火」を象徴する姫であったはずであり、それは「火姫」であり、これまで展開してきたロジックから

 ハヤアキツ姫 → 火姫=ヒ姫 → ヒルコ姫

なる結論が導かれるのです。すなわち

 ハヤアキツ姫はヒルコ姫である

と。

もしかしたら、ヒルコ姫とハヤアキツ姫が同じカナサキの下に居たという表現は、二人が同一人物であることを示す、秀真伝なりの暗号表現なのかもしれません。

秀真伝には二人のことがある程度詳細に書かれているのに、いささか強引な結論なのではないかと思われますが、以前にもお伝えしたように、秀真伝の編纂時には既に国史改竄のアウトラインが定まっており、それは、大国主や玉依姫などの同世代人が、まるで別世代人のように系図に組み込まれている点からも窺えます。

おそらく秀真伝が描いたような人間史では齟齬が生じるため、この複雑なF時代をまるっと神話化、ファンタジー化した、それが記紀なのではないかと思うのです。そして、できれば正史にその名を残したくない人物、それがヒルコ姫、もといハヤアキツ姫であったと考えられるのです。

画像2:猫山田根子
©おしおしお・講談社/
日野南高校シカ部
このキャラの古代史モデル、
もうお分かりになったでしょう


管理人 日月土

ヒルコ姫とワカヒルメ

前回の「ヒルコ姫と西宮」では次の点について触れました。

 ・記紀における蛭子(ひるこ)は秀真伝ではヒルコ姫とされている

その秀真伝の記述では、ヒルコ姫は次のように書かれています。

 ・イザナギ/イザナミの子、天照(男性)の姉
 ・ヒルコ姫はヒロタ(現西宮市の廣田神社か?)に預けられた
 ・ヒルコ姫の別名はワカヒメ、またはシタテルヒメ(下照姫)

西宮神社の主祭神が蛭子大神(えびすおおかみ)であり、読み方は違うものの、同じ「蛭子」の字を当てている点から、秀真伝の記述も単なる異伝として簡単に無視できないと感じます。

画像1:一般的な蛭子(えびす)のイメージ

秀真伝では、天照大神は男性王アマテラスですし、ヒルコ姫も葦船に乗せられて流された訳でもありません。

むしろ、記紀においてまるで忌み嫌われるかのような扱いを受けている「ヒルコ姫」に、日本古代史における何か特別な意味があるのを感じてならないのです。

■ワカヒメとワカヒルメ

記紀においては、同じ人物を別名を用いてまるで別人のように記述する例を何度も見てきました。例えば、豊玉姫(とよたまひめ)を栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)や宗像三女神の一人である湍津姫(たぎつひめ)などと言い換えている例です。

こうすることで、どうやら私がF時代と呼んでいるイザナギ/イザナギ及び天照と同時代の人物たちを、意図的に世代が遠く離れた人物のように描いているようなのです。

そう考えると、葦船に乗って流されたとされる蛭子(ひるこ)も、記紀の中で別の名前で登場している可能性が考えられます。

日本書紀の神代をざっと眺めてみて、私がおそらく別名による置き換えに該当するだろうと思ったのは次の部分です。

 時に素戔嗚尊、春に重播種子(しきまき)し、秋は天斑
 駒(あめのぶちこま)を放ちて、田(みた)の中に伏す。
 復(また)天照大神の新嘗(にいなへきこ)しめす時を見
 て、則(すなわ)ち陰(ひそか)に新宮(にひなへのみや)
 に糞放(くそま)る。又天照大神の方(みざかり)に神衣
 (かむみそ)を織りつつ、斎服殿(いみはたどの)に居(ま)
 しますを見て、則ち天斑駒を剥(さかはぎには)ぎて、
 殿(おほとの)の甍(いらか)を穿(うが)ちて投げ納(い)
 る。是(こ)の時に、天照大神、驚動(おどろ)きたまひ
 て、梭(かび)を以て身を傷ましむ。此に由りて、発慍
 (いか)りまして、乃(すなは)ち天石窟(あめのいはや)
 に入りまして、磐戸(いはと)を閉(さ)して幽(こも)り
 居(ま)しぬ。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上

これは素戔嗚(すさのお)が高天原に登って大暴れしたシーンですが、機織り場の天井に穴を空け、そこから皮を剥いだ馬を投げ入れたというのですから、これに天照(女神)は立腹して岩戸の中に閉じこもり、太陽は隠れ世界はしばらく闇に包まれたという、日本神話の中でもよく知られた重要な場面です。

以上はあくまでも書紀本文からの抜粋であり、問題なのはそれに続く次の一書(あるふみ)の一説なのです。

 一書に日はく、是の後に、稚日女尊(わかひるめのみこ
 と)、斎服殿(いたはたどの)に坐(ま)しまして、神之御
 服(かむみそ)織りたまふ。素戔嗚尊見(みそなは)して、
 則ち斑駒(ぶちこま)を逆剥(さかはぎには)ぎて、殿(み
 あらか)の内に投げ入る。稚日女尊、乃ち驚きたまひて、
 機(はたもの)より堕ちて、持たる梭(かび)を以て体(み)
 を傷(やぶ)らしめて、神退(かむさ)りましぬ。故(かれ)、
 天照大神、素戔嗚尊に謂(かた)りて日はく、「汝(いま
 し)猶黒(なほきたな)き心有り。汝と相見じ」とのたま
 ひて、乃ち天石窟(あまのいはや)に入りまして、磐戸を
 閉著(さ)しつ。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上

ここでは、本文とは多少異なり稚日女(わかひるめ)という女性が被害に会い、この素戔嗚の暴挙によって結果的に命を失うことになります。

この稚日女なる女性、この一書において藪から棒に登場するのですが、岩波文庫の解説ではこの女性について

 ここの稚日女尊は天照大神のようでもあり、そうでないよ
 うにも見える

とあるのです。

結局、この短い記述からだけでは判断が付かないとしており、この女性が死亡したことで天照大神が怒ったとあるので、天照大神その人を指すという解釈は当たらないと私は思います。

ここで少し文字をいじってみると

 ワカヒルメ→ ワカヒメ + ル

となるのですが、ワカヒメとはヒルコ姫の別名であるのは既にお伝えした通りです。文字の重複部から考えると、ワカヒルメとはワカヒメ、すなわちヒルコ姫を指している可能性が高いと私は考えます。

そして、「ル」の字なのですが、記紀における有名人の「ヤマトタケル」は、古い記述では「ヤマトタケ」であると、秀真伝の研究者である池田満氏は指摘しているのですが、どうやらそれほど古くない時期に、記紀では意図的に人名に「ル」の字を付け加えているようなのです。

私はこれを言霊(ことだま)を用いた一種の「呪い」の手法ではないかと見ているのですが、それはヤマトタケ「ル」は神に抗い病身となり死亡、そしてワカヒ「ル」メは上述の通り死亡と、その生い立ちにも暗い影が見られるのです。

画像2:神戸市の生田神社
主祭神は稚日女尊。蛭子大神を祀る西宮神社は隣接する西宮市内にある

■ヒルコ姫とヒ姫

前回の記事では、秀真伝、正確にはミカサフミの原文から次のようなカナ音訳を抜粋し引用しました。

  ネコエナル ノチニヒヒメオ
  ウムトキニ ヒルナレヴナモ
  ヒルコヒメ トシオコユレワ
 
  子声鳴る  後裔のヒ姫を
  産む時に  昼なればなも
  ヒルコ姫  (その)年を超えれば

池田さんは「昼に生まれたからヒルコ姫と名付けられた」と解釈されていますが、「なも」は推量を表す言い回しなので、正確には「昼に生まれたからなのか?」と読むべきで、それはすなわち、この文の記述者もどうして「ヒルコ」と名付けられたのかよく分かっていないことを表しています。

実はここには「ヒ姫」との呼称が既に使われており、これは「一姫(最初の姫)」とも読めますし、「(火/日/陽)姫」と読めなくもありません。これに呪い文字と思われる「ル」と、子声(ねこえ)の「子」を付加すると

 ヒ姫 → ヒ・ル・子姫 → ヒルコ姫

となり、秀真伝の編纂時にはヒルコ姫の史書における扱いが既に決定していたとも取れるのです。そうなるとわざわざ文中に「なも」を挟んだのは、歴史の真実に気付いて欲しいという同文編纂者による精一杯の暗号文だという可能性もあるのです。

* * *

今回はここまでとしますが、(真)ブログ「猫山田根子 – 今更の鹿の子アニメ」で提示した問の答えがお分かりになったでしょうか?


鹿ぬんぬん猫にゃあにゃあ狸は月夜にぽんぽこりん
管理人 日月土

ヒルコ姫と西宮

前回の記事「ムカツ姫とヒルコ姫」では、神話では六代に亘る家系の一員として記述されている登場人物(神話では当然「神」)が、実は、離れていてもせいぜいに二・三代程度の同世代人である可能性を述べました。

その世代を集合記号「F」で表したとき、 

 {
  伊弉諾(いざなぎ),
  伊弉冉(いざなみ),
  少彦名(すくなひこな),
  大国主(おおくにぬし),
  豊玉姫(とよたまひめ),
  玉依姫(たまよりひめ),
  木花開耶姫(このはなさくやひめ),
  天照大神(あまてらす),
  月読(つくよみ),
  素戔嗚(すさのお),
  火明(ほのあかり),
  彦火火出見(ひこほほでみ),
  鵜葺草葺不合(うがやふきあわせず),
  瀬織津姫(せおりつひめ)、
  下照姫(したてるひめ)    
} ∈ F

となることは前回お知らせしたとおりです。

このリストの最後に記述した下照姫は、秀真伝に別名ヒルコ姫とあり、おそらく記紀において葦船に乗せて流されたとされるヒルコ(蛭子、蛭児)を指すものだと思われます。

そのどこかに流されたはずの蛭子が、実は別の段では下照姫の名で登場しており、これらの別名を利用した神話創作の作為は、秀真伝と比較することでしか気付けません。

下照姫は他に「ワカヒメ」とも呼ばれ、本ブログではとりあえず「ヒルコ姫」に統一した上で、この人物について少し深く考察していきます。

■秀真伝に記述されたヒルコ姫伝承

さて、ヒルコ姫が秀真伝にはどのように記述されているのか、まずは原文を見てみましょう。

  ヲシユナリ マサニキクベシ
  フタカミノ アノアワウタニ
  クニオウミ ワノアワウタニ
  ネコエナル ノチニヒヒメオ
  ウムトキニ ヒルナレヴナモ
  ヒルコヒメ トシオコユレワ
  タラチネノ ヨソフミソミノ
  ヲヱスマモ メワタヲクラニ
  アタラシト スツオカナザキ
  オモエラク コノハヤカレノ
  イタミオモ チオヱシナズカ
  ワスレクサ ヒラウヒロタノ
  ・・・

(池田満校訂 ミカサフミ 55-56)

実際はヲシテ文字で書かれているのですが、簡単のため現代カタカナに書き換えています。一部表記が間違っているかもしれませんがご容赦ください。

このヒルコ姫について、秀真伝の研究家である池田満氏は、「ホツマ辞典」の中で次のように解説しています。

 八代アマカミ・アマテルの実姉のヒメのイミナ(実名)
 をヒルコという。

 昼に生まれたからヒルコと名付けられた。父母イサナギ・
 イサナミがアメノフシ(厄年)であった。ため捨て子に
 され、後年に父母の許に戻ったため、アマテルカミの妹
 とされた。ヒルコの通称はワカヒメ、またシタテルヒメ
 とも呼ばれる。

 未熟児として流産したヒョルコは別人物。

(池田満著 ホツマ辞典「ヒルコ」から)

「昼(ひる)に生まれたからヒルコ姫、厄日に生まれたから捨てられた・・・」今とは風習が異なる大昔のことですから、この説明で何となく辻褄は合ってるようにも思えます。

ホツマ辞典の「ワカヒメ」の項にも解説があるのでそれも引用してみます。

 七代アマカミの父イサナギ・母イサナミの長女として
 ツクバ(現、茨城県筑波市筑波)にてうまれるが、父40
 才・母31才(「ミカサフミ」では父42・母33才)のアメ
 ノフシ(厄年)に当たったため捨て子にされた。拾い親の
 カナサキによって、ニシノミヤ(兵庫県西宮市)のヒロタ
 (広田神社及び浜南宮=現在の西宮神社)で養育された。

(池田満著 ホツマ辞典「ワカヒメ」から)

ここでヒルコ姫(=ワカ姫)に関して新たな情報が加えられます。それが茨城県の筑波、そして兵庫県の西宮と広田神社、そしてヒルコ姫の里親となるカナサキなる人物の存在となります。

これらの情報については、上述の原文内に「ヒルコヒメ」、「カナザキ」、「ヒロタ」とありますので、それらのワードを見つけ出してみてください。

池田氏による解釈が絶対に正しいとは言いませんが、記紀では正体不明のヒルコなる人物が、秀真伝の世界ではかなりの具体性を以て記述されているのは注目に値します。

■西宮と西宮神社

西宮市(にしのみやし)は神戸と大阪の間にある、文教住宅都市として名が知られています。私が大学生の時もクラスメートに同市出身の女性が居り、知的かつ上品、そして笑顔を絶やさない穏やかな方で、周囲の男子にとってちょっと憧れの人でした。

そんな情報はどうでもよいとして、多くの方が「西宮」と聞くとどうしても兵庫県のその地を連想してしまうと思いますし、西宮神社と来れば当然ながら阪神電車西宮駅近くの西宮神社を思い浮かべるはずです。

画像1:西宮神社(兵庫県西宮市)

その西宮神社、御祭神とされているのが

 蛭児大神(えびす大神)

であり、蛭児(えびす)が蛭児(ひるこ)と読めるのは先に述べたとおりです。

えびす様といえば、一般的に竿と魚の鯛を抱えた男神で漁業の神様、また、七福神の一柱というイメージが強いはずです。しかし、これをヒルコ姫と捉えるとそのイメージは性別を含め大きく変わるのです。

同神社の由緒には、お宮の起源について次のように書かれています。

 神戸・和田岬の沖より出現された御神像を西宮・鳴尾の
 漁師が救い上げ自宅でお祀りしていましたが、御神託に
 より西の宮地(西宮)にお遷し祀られた

(西宮神社公式ページ) 

この辺の話は、「ヒルコ(えびす)」という名以外、秀真伝の記述から池田氏が読み解いたものと全く重ならないのですが、この違いはいったいどのように解釈すればよいのでしょうか?

■関東の西宮

そして、読者の皆様はその「西宮」なる神社が関東にもあるのをご存知でしょうか?実は、その「西宮神社」が千葉県銚子市の太平洋に突き出た岬の突端にもあるのです。

画像2:西宮神社(千葉県銚子市)

一般にはあまり知られていない銚子西宮神社ですが、スピリチュアル系の研究者の中には、「関東における最も重要な神社の一つ」と捉えている方もいると聞いています。私も、そちら系の方からこの神社の存在について聞かされました。

そして、本ブログ読者ならばご存知のように、銚子市を含む千葉県東総地域にはF時代の人物に関わる神社が多く見られるのはお伝えしている通りです。これまでご紹介してきた中から抜き出すと

 玉埼神社(旭市)   → 玉依姫
 豊玉姫神社(香取市) → 豊玉姫
 猿田神社(銚子市)  → 火明, 豊玉姫、玉依姫

となり、ヒルコ姫もF時代の人物であることが分かっていますので、銚子西宮神社がヒルコ姫と縁のある神社だとすると、千葉県東総地域にまたもやF時代の人物の足跡がみられることになるのです。

そもそも、関東最東端に「西宮」という名前も変なのですが、これはいったい何を意味しているのか、宗像三女神の考察から始まった追及は、神話に隠された新たな姫への探求へと繋がってきました。

画像3:二つの西宮神社と位置関係
二つの宮は何を見ているのか?


管理人 日月土

ムカツ姫とヒルコ姫

話が大分複雑になってきたので、これまで数回のシリーズで登場した人物をここで再確認してみます。くどくなって申し訳ありませんが、本ブログでは

 日本神話は史実を婉曲化したもの

という認識で分析していますので、今後は全て「登場人物」という表現で統一したいと思います。

これまでの関連記事の流れは、前年末のまとめ記事「書き換えられた皇統史 – 令和七年のまとめ」に掲載順に列記していますので、よろしかったらそちらも確認頂きたくお願いします。

前回の「少彦名と淡島」でも述べたように、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)、そして少彦名(すくなひこな)は同時代人であることが窺えるので、この時代を記号的に「F」(FloodのF)で表し、数学の集合記号∈(属する) を用いれば次の様に表現できるかと思います。

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名) ∈ F

少彦名は大国主の協力者ということですから

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主) ∈ F

となります。大国主の后(きさき)は隠津島姫(おきつしまひめ)、またの名が豊玉姫(とよたまひめ)、あるいは宗像三女神の一人湍津姫(たぎつひめ)であることも分かっていますから、この女神に加え田心姫(たごりひめ)と市杵島姫命(いちきしまひめ姫も同時代人ということになります。

また、この三女神は豊玉姫・玉依姫(たまよりひめ)・木花開耶姫(このはなさくやひめ)の別名でもありますから、同時代の登場人物は次のようになるでしょう。

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,
  玉依姫,木花開耶姫) ∈ F

さて、伊弉諾・伊弉冉と言えば、記紀神話では次の子を産んだとされています。

  天照大神,月読,素戔嗚

いわゆる三貴子なのですが、二人の子ということならば当然ながら同時代を生きた人物だと考えられます。よって集合記号は次のように表現できます。

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,玉依姫,木花開耶姫,
  天照大神,月読,素戔嗚) ∈ F

玉依姫は天鈿女(あめのうずめ)の別名で、天鈿女は猿田彦(さるたひこ)と呼ばれる火明(ほのあかり)の后であるだけでなく、後に鵜葺草葺不合(うがやふきあわせず)の后にもされています。同じように、豊玉姫も彦火火出見の后ともされています。これを同時代集合に加えると、次のようになります。

 (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,玉依姫,木花開耶姫,
 天照大神,月読,素戔嗚,火明,彦火火出見,鵜葺草葺不合) ∈ F

とりあえず、これまで扱ってきた人名は以上のようになります。以上の人物はそれぞれ年齢差はあるにせよ、どうやら全てこの困難な時代(おそらく大洪水)を経験した人々と認識してよいでしょう。

■世代間隔の再考

記紀だけでなく、秀真伝においてもこれらの人物は親子関係で結ばれているとされるので、それに従うと伊弉諾・伊弉冉から一番離れた鵜葺草葺不合と玉依姫のペアまでは、なんと六世代も隔絶していることになります。

当時が若年期における婚姻・出産が普通、なおかつ長寿であったとしても、さすがに六世代も隔世していれば、本当に同時代人だったのかは極めて怪しくなります。

画像1:記紀神話に語られる歴代王権の推移
これは本当なのか?

ならば、前段における同時代人の仮説自体が間違っているとも考えられますが、私はそうは思いません。むしろ

  史書の系図が捏造されている

のだろうと見ています。

この考えを具体化させる回答こそが、以前からお伝えしている「女系による王権継承」であり、誰(男性)であろうと、王位継承権を所持している女王を娶らない限り、例え王の実子であろうと次の王座に付けないというものです。つまり、必ずしも王の子が次の王に成り得ず、時には次代の王が先代より年齢がかなり上だということもあり得たはずなのです。

そして、この制度を可能にしていたのが、複数の王権継承女系家族の存在で、そこに在籍する何人もの女王候補の中から適任者が選ばれたのだと考えられます。複数存在するのは万が一女の子が生まれない家が出ても、王権が確実に継承されるようそのバックアップとなる仕組みが当然作られていたと考えられるからです。

そしてその女王選考方法とは、当時の価値観を鑑みるにほぼ間違いなく

  御神託

であったと考えられるのです。

「御神託で女王と王が決まるのか?」と歴史学者だけでなく多くの人が疑問に思うかもしれませんが、それは極めて現代的な思考であり、当時においては神事的手段こそが、王権を支える絶対的な判断基準であったと考えられるのです。特にこの日本(にほん)においてはです。

現在では天皇家であれ一般家庭であれ、親子による血の継承、特に男系長子で一家が繋がっていると考えるのが一般的ですし、それについては古代史を研究する学者でさえ露ほども疑いを持ちません。

どうしてそれが一般常識になってしまったのか?実はこの状況を生み出すことこそが史書における「系図捏造の大きな理由」であり、現代日本人(にほんじん)は千年以上かけてその改変された常識にどっぷりと染まってしまったことになります。

別の言い方をすれば、

  女系による日本国王権継承の事実を完全隠蔽

するのが狙いだったと考えられるのです。

■ムカツ姫とヒルコ姫

さて、先に挙げた集合図なのですが、実はまだ何人か重要人物が抜けています。その中の重要人物こそが、

  ムカツ姫

なのです。また、前回紹介したヒルコ姫もこれに加えなければなりません。

この二人の姫のことは記紀には書かれていないようですが、秀真伝ではしっかりとムカツ姫の地位が次のように記載されているのです。

  男性王天照(あまてらす)の后

であると。

私たちは日本神話の中で、日本の最高神は女神の天照大神だと教わっていますが、秀真伝では天照は男性であると明示されており、日本神道の重要な位置をなす神、そのモデルとなったであろう天照なる人物の性別が逆転されているのです。

ムカツ姫はまたの名を瀬織津姫(せおりつひめ)と呼び、この姫神は記紀には登場しないものの、祓祝詞にだけ名前が記されている神として知られています。

そしてヒルコ姫とは、前回お伝えした通り、記紀神話で葦船に乗せて流されてしまった蛭子(ひるこ)を指すと考えられます。別名は下照姫(したてるひめ)。

当然この二人もF時代の同時代人と考えられ、よって前述の集合表現は

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,玉依姫,木花開耶姫,
  天照大神,月読,素戔嗚,火明,彦火火出見,鵜葺草葺不合,
  瀬織津姫、下照姫) ∈ F

と書き加えられるのです。

おそらく史書改竄により系図が引き延ばされ、互いに離れた代の人物にされてしまったこれら同世代人たちが、いったいこの時代で何を見、どう生きてきたのか、記紀の暗号解読を進めることで、いよいよその事情が見えてくるかもしれません。


管理人 日月土

少彦名と淡島

神話に登場する少彦名(すくなひこな)について考察するシリーズの第4弾です。昨年11月15日の記事「市杵島姫と少彦名」の中で、淡島(あわしま)神社が一般的に少彦名を祀る神社として知られていると説明しました。

日本書紀の本編では有名な国生みの段で、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が最初に作り出した島が「淡路島」とありますが、この淡路島と淡島は明確に異なるものとして記述されています。

では淡島とは何なのか、今回はこの「淡島」について少し考察してみたいと思います。

■ナギ・ナミと国生み

まずは古事記と日本書紀について具体的に「淡島」について触れている箇所を原文から引用してみます。

 ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と
 この天の御柱を行き廻(めぐ)り逢ひて、みとのまぐ
 はひせむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りてすな
 はち、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢は
 む」と詔りたまひき。約(ちぎ)り竟(を)へて廻る時、
 伊邪那美命先に「あなにやし、えをとこを」と言ひ、
 後に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを」と言
 ひ各々ひぎへし後、その妹に告げて、「女人(をみ
 な)先に言へるは良からず」と曰りたまひき。然れ
 どもくみどに興して、子水蛭子(ひるこ)を生みき。
 この子は葦船に入れて流し去(う)てき。次に淡島を
 生みき。こも子の例(かず)には入らず。

 岩波文庫 古事記 上 淤能碁呂島から

 「妹は左より巡(めぐ)れ。吾は当(まさ)に右より巡
 らむ」とのたまふ。既にして分れ巡りて相遇ひたま
 ひぬ。陰神、乃(すなは)ち先づ唱へて日はく、「妍
 哉(あなにゑや)、可愛少男(えをとこ)を」とのたま
 ふ。陽神、後に和(こた)へて日はく、「妍哉、可愛
 少女(えをとめ)を」とのたまふ。遂に為夫婦(みとの
 まぐはひ)して、先づ蛭児(ひるこ)を生む。便ち葦船
 に載せて流りてき。次に淡洲(あはのしま)を生む。
 此亦(これまた)児(こ)の数に充れず。

 岩波文庫 日本書紀 神代上 一書から

男神(イザナギ)と女神(イザナミ)が交じりあって国土を生み出すという、なんともエロティックかつファンタジックな神話なのですが、当然ながら、本ブログでは史実における重要情報が、これらの神話化された婉曲表現の中に圧縮して詰め込まれていると考えます。

このシーンが大変重要な部分であることは、過去記事「時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」(2)」でも触れたように、2016年の大ヒットアニメ「君の名は」の中でも物語の中核部分として使われているほどです。

さて記紀の記述では

 古事記: 蛭子と淡島を生み出すが、蛭子は葦船で流し淡島は数えない
 日本書紀:蛭児と淡洲を生み出すが、蛭児は葦船で流し淡洲は数えない

とあります。

蛭子(ひるこ)は一般的に不具の子を指し、そのため流されたと解釈されがちですが、秀真伝をみるとヒルコは登場せず、その代わりイザナギとイザナミの間に次のような子が居たとされています。

 秀真伝:ヒルコヒメ(別名でワカヒメ、シタテルヒメ)

「ヒメ」とあるので、どうやら女性のようなのですが、これをシタテルヒメと読むと、実は記紀においても別の箇所で登場するシーンがあるのですが、それについてはまた別に論じます。

さて、二人の子がノーカウントとなった理由として、

 古事記: 女神イザナミが先に声を発したから
 日本書紀:女神イザナミが(御柱を)左回りで回ったから

と書によって少々異なるのですが、とにかく男女の本来取るべきポジションが正反対だったので国生みに失敗したと言いたげなのです。

次に肝心の「淡島」なのですが、蛭子は船で流したとしているのに「数に入れない」とはいったいどういうことなのでしょうか?

■淡島は異世界の人物だった?

ちなみに、記紀共に国史とされているのですが、記紀の役割とは一般的な国史を語るというよりも、

 皇統史

すなわち歴代天皇及びその近親者の記録を書き残したものと見るのは、おそらくどなたも異論がないところだと思います。そもそも、日本書紀などは歴代天皇の名がインデクス代わりになっているくらいですから。

つまり、天皇家に直接関わりのない人物の記録は書き残す必要がないのですが、それでも同時代において最重要と思われる人物については「数に入れられない」、すなわち「天皇家の血縁者ではないが」と敢えて断りを入れるのが皇統史編纂者の一種の記法であったと考えられるのです。

すなわち、「淡島」の人物として考えられる姿とは

 異文化人・異世界人・外国人

といった類の人物で、おそらく当時の日本人からも一見風貌が異質な人物であったと考えられます。また、異文化人であるがゆえに、当時の日本人たちが知らない多くの知恵を携えていた可能性も大きいでしょう。

この、知恵者であり見た目も異質な人物とは・・・もうお分かりだと思いますが、それが大国主による国作りをサポートしたとされる

 少彦名

その人であり、そうであればこそ、淡島が少彦名の代名詞として呼ばれるのにも納得が行くのです。

■葦船の船が意味するもの

淡島解読の論理で蛭子(ひるこ)を考察すると、やはり蛭子あるいはヒルコヒメも皇室の血縁者でなかった可能性が高いと考えられるのです。

ここで「葦船に乗せられて」という下りが非常に意味を帯びてきます。というのも、少彦名の探求は宗像三女神から始まった訳であり、その三女神には

 方舟

という記号が初めから見え隠れしているからなのです。

そういえば、少彦名も「カガミの舟」に乗って現れことは過去記事「少彦名とは誰なのか」で既に触れています。

宗像三女神登場の後に突然発生する彦火火出見王朝(現天皇家)も出自が不明であり、どうやらナギ・ナミ時代の前後は

 方舟・大洪水・異世界人の流入

等が同時発生したたいへん混乱した時代であったと想像されるのです。

この時代はまた、天照(あまてらす)、月読(つくよみ)、素戔嗚(すさのお)の三貴子の時代でもあり、現代に続く古代日本の変動期についてまだまだ考察しなければならないことが多いと私は感じるのです。

画像1:昨年末、福岡県の能古島へ調査に向かいました。この島がアニメ「しかのこのこのここしたんたん」のメインキャラの命名モデルになっていることは再三お知らせしています。
画像2:そして、この島には「いざなぎ石」と「いざなみ石」が置かれているのですが、これはいったい何を意味しているのでしょうか?これについては次のメルマガで私の考察を述べたいと思います。


管理人 日月土

書き換えられた皇統史 – 令和七年のまとめ

令和七年も終わろうとしています。今回は今年最後のブログ記事として、この一年の間に何について書いてきたのか、そのまとめをお届けしたいと思います。

■素戔嗚と世田谷事件

日本神話に登場する天照(あまてらす)、月読(つくよみ)、素戔嗚(すさのお)は三貴子と呼ばれ、特に女神の天照は神社神道において現皇室の祖とされている神として有名ですが、記紀において、月読の記述はほんの僅かですし、素戔嗚についてはその行動に関する記述は多いものの、高天原(たかあまはら)で乱暴狼藉を働き追放されたと思ったら、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して姫を救うなどとヒーロー的な一面も神話には記述されています。

神話に出てくる有名人(神)として非常に個性が強く描かれている素戔嗚ですが、「神話は史実の極端な婉曲表現」と捉えている本ブログでも、その行動の幅広さは実際の史実が何であったのか推測する上で非常に悩ましいものがあります。

そんな中で、日本書紀の一書の中に新羅の「ソシモリ」から素戔嗚が渡ってきたという記述が残されており、その「ソシモリ」が現代韓国語で「牛(ソ)の頭(モリ)」であることから、牛頭天皇(ごずてんのう)とは素戔嗚の別名であるのだろうと容易に考えられるのです。

その「ソシ」から着想を得て、「祖師(ソシ)」を地名に含む東京都世田谷区祖師ヶ谷(そしがや)、そして、26年前にそこで発生したいわゆる「世田谷事件」について、何か関連性があるのではないかと、今年の1月に現地を訪れて視察をしてきました。

以上についてあれこれ推察したのが、以下の3編となります。

 ・素戔嗚と牛頭天皇 
 ・ソシと祖師と世田谷事件 
 ・世界の中の素戔嗚伝承 

■線刻石に描かれた七枝樹

さて、牛頭を象徴するものと言えば、雄牛の頭に生えている二本の角なのですが、実はシュメール文明の遺物には頭に牛角を模した冠を被る王の姿のレリーフが多く見つかっているようです。

この「牛角」の王に対して、必ず対になって描かれるのが「蛇」を傍に置いた女王の姿なのです。そして、王と女王の間には七本の枝を付けた樹木らしきもの(七枝樹)が描かれ、どうやらこれらのセットがシュメール王制を表す重要なシンボルのようなのです。

この「七枝樹」、実は日本の弥生式土器にも見られ、正倉院に収められている樹家美人図の樹木も、元々は七枝樹から来たものではないかと疑われるのです。

画像1:牛角の王、蛇と女王、七枝樹 (シュメールの円筒印章)

素戔嗚と牛頭とシュメールの印章模様、古代日本社会おいてこれらは互いに関係するものなのかどうか、それらについて川崎真治さんという歴史言語学の研究家の著書をタネ本に次の記事を書いてみました。

 ・蛇と樹とシュメールの女王 
 ・七枝樹と弥生土器 

■足摺岬と龍宮伝説

3月頃、四国南端の足摺岬へと調査に行ってきました。土佐清水市内から足摺岬へと向かうその途中に「唐人駄場」(とうじんだば)という有名な巨石群があるのですが、その規模に私も圧倒されました。

この巨石群については分からないことだらけなのですが、現地の地名や神社の祭神を調べていたら、どうやら記紀に登場する「豊玉姫」(とよたまひめ)や「玉依姫」(たまよりひめ)を想起させるものが多く、従来から調査している上記二人の姫及び同時代の関係者と巨石群の間に何やら関係ありそうだというところまでは辿りつけたのです。

 ・唐人駄場の巨石と神話の神々
 ・足摺岬と奪われた女王 

この調査の頃、四国では山火事騒ぎが続き、現地に向かったちょうどその時には高知龍馬空港に米軍のF35戦闘機が緊急着陸したり、唐人駄場に向かう歩道脇の岩に塗料で赤く塗られた真新しい先刻文字が刻まれているなど、具体的な事情は分からないまま、身の周りで不可解な出来事に見舞われた、記憶に残る調査であったことを覚えています。

画像2:誰が何の為にわざわざ古代文字風のメッセージを書き残したのか?
この文字の試訳はメルマガで発表しています

■豊玉姫と玉依姫

以前、アニメ映画「千と千尋の神隠し」の設定に埋め込まれているだろう日本古代史を分析することで、主要キャラクターが神話上の誰をモデルとしているのか、次の結論を得ています。

 ちひろ = 栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)
 リン  = 天鈿女(あめのうずめ)

この分析では、アニメのモデル地、いわゆる聖地として千葉県銚子市及びその周辺地域がその一つであろうとしていました。

さて、同地について以前から気になっていたことがあり、同地域には豊玉姫及び玉依姫に関わる神社が比較的目に付いていたことなのです。

この二人の「玉」の姫が栲幡千千姫や天鈿女とどういう関係なのか謎だったのですが、唐人駄場で二人の「玉」の姫への関心が深まったことから、再び同地へ調査に赴くことになったのです。

その調査記録と考察を綴ったのが次の記事になります。

 ・「千と千尋の神隠し」と龍宮城 
 ・二人の姫と犬吠埼 
 ・二人の姫を巡る探訪(その一) 
 ・二人の姫を巡る探訪(その二) 
 ・二人の姫を巡る探訪(その三) 

ここでの大きな発見は、アニメに登場したお風呂屋さん「油屋」のアニメ描写が、日本神話における「龍宮城」の文字表現と酷似していることなのです。「油屋」が「龍宮城」をモデルとしているのならば、自ずから結論は見えてきます。それは

 ちひろ = 豊玉姫
 リン  = 玉依姫

というもので、すなわち

 栲幡千千姫 = 豊玉姫 (= ちひろ)
 天鈿女   = 玉依姫 (= リン)

という結論が必然的に導かれたのです。記紀など日本古代史の史書をお読みになる方ならば、一人の人物(あるいは神)にいくつも異なる名前、いわゆる別名が当てられているのはよくご存知でしょう。同じことが、この二人の姫のケースにも当てはまるのです。

画像3:油屋のモデルは龍宮城なのか?
© 2001 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDDTM

■天照と素戔嗚の誓約

日本神話には誓約(うけい)と呼ばれる、天照と素戔嗚が交わした約定の場面があります。詳しくは以下をお読みいただきたいのですが、この約定によって5柱の男神と3柱の女神が誕生します。

これはいったい何を意味しているのか?この奇妙な誓約シーンは、私の分析では天照に続く歴代5人の王とその皇后となった3人の女王を指す暗号なのだろうとしています。ちなみに、この3人の女王こそが、世間で言われる宗像三女神(むなかたさんじょしん)なのです。

この誓約シーンをこのように史実として解釈すると少しおかしなことに気付きます。それは次の2点になります。

 ・5人の王と3人の女王では釣り合いがとれない
 ・三貴子の一人である月読が含まれていない

この5人の王ですが、最初のオシホミミ王を除き、それに続く王の名は記紀の歴代王として登場しない王の名が記されています。これはいったいどういうことなのでしょうか?

実は秀真伝(ほつまつたえ)には、記紀とは全く異なる次の記述があるのです。それは

 オオモノヌシ王統なる別の王統が存在した
 ニニキネ(瓊瓊杵尊)の代に2つの王朝に分裂した

というものです。

色々語られたとしても史実は一つしかありません。この混乱を私がどのように分析したのか、それは次の記事を読んだ上で読者の皆様にも考えていただきたく思います。

 ・誓約(うけい)の暗号 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 王の系譜 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 隠津島姫と3女神 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 五人と三人 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 剣と王権 

私の結論は、この誓約は結果的に破られることになった本来の王統で、姫は強奪され再婚させられることになった、それが姫の数(3)が王の数(5)より少ない理由であるというものです。この誓約破りの王朝こそが誓約王朝を排除し現日本皇室のルーツとなったというものです。

そして、このような誓約破りが強行されたのも、日本の王権が女系に有り、王家の姫を娶ることが日本の王となる必要条件であったため、このような事態が発生したと私は考えるのです。

なお、月読が誓約シーンに登場しない理由については、以下記事にて手を付けていますが、まだ結論を出すに至っていません。

 ・三貴子の暗号 

■宗像三女神とは誰なのか?

誓約シーンの分析から、宗像三女神と呼ばれる、タギツ姫、タゴリ姫、イチキシマ姫もそれぞれ既出の姫の別名であることが見えてきます。その結果は次の通りです。

 タギツ姫   = 豊玉姫
 タゴリ姫   = 玉依姫
 イチキシマ姫 = 木花開耶姫(このはなさくやひめ)

実は「千と千尋の神隠し」よろしく、宗像三女神は3人の若い女性として、多くのアニメ作品のモデルとして採用されていることが分かってきました。

それらの作品をまた詳しく分析すると、この三女神は洪水伝説の「方舟」と結び付けられていることが分かりましたが、この辺りの分析過程については以下の2編で解説しています。

 ・アニメに表れた宗像三女神 
 ・方舟と宗像三女伸 

■市杵島姫と少彦名

宗像三女神の中で、特に市杵嶋姫(いちきしまひめ)にフォーカスして調べたところ、市杵嶋姫は少彦名(すくなひこな)という人物(あるいは神)の相方であると、能登半島の神社の伝承に残っていることが分かりました。

また、静岡県沼津市の淡島(あわしま)に市杵嶋姫を祀る神社がある事実は、少彦名の代名詞的呼称が淡島であることを考え併せれば、この神社伝承の確からしさを裏付けているとも言えます。

ここで、

 イチキシマ姫 = 木花開耶姫

という等式を用いれば、木花開耶姫の夫は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)ですから、三段論法的に

 少彦名 = 瓊瓊杵尊

という図式が見えてきます。

この辺の推論の経緯については次の2編で述べています。

 ・少彦名とは誰なのか 
 ・少彦名とクエビコ 

少彦名は掌に乗るほどの小男だった、瓊瓊杵尊は天から降りてきた(天孫降臨)など、いくら神話的に演出されているとはいえ、やはりこの人物表現の特殊性は際立っています。

これに加え、タニグク(蛙)とクエビコ(案山子)の神話から、私は少彦名もとい瓊瓊杵尊とは、全世界的に有名な歴史上のあの人物なのではないかと私は疑っているのです。

 
* * *

以上、令和七年の記事について振り返ってみましたが、多少全体の流れが把握できたでしょうか?

来年はまた、日本の古代史、特に神話に書き換えられた神武天皇以前の上代について、更にここから先へと分析を進めていきたいと考えています。


管理人 日月土

少彦名とクエビコ

宗像三女神のタギツ姫、タゴリ姫からイチキシマ姫と調べて行く中で、神話に登場する謎多き神「少彦名」(すくなびこな)に辿り着きました。

そして、前回の記事「少彦名とは誰なのか」で述べたように、記紀及び能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ)の社伝の記述を参照することで、仮説ではあるものの、どうやら

 スクナビコナ(少彦名) = ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)

と言えるらしいことまで分かりました。

以前から、記紀には無く秀真伝(ほつまつたえ)には記述されているニニギノミコトとホノアカリによる「2王朝時代」という不自然な状況が胸に引っかかっていたのですが、この仮説によって実際の史実が見えてくるかもしれません。

■古事記に書かれたクエビコとは?

少彦名について書かれた箇所は神話の中では非常に少ないのですが、その中でも、古事記には記述があるのに、書記ではそれが一切ない箇所があります。それがクエビコ(久延毘古)の神との関わりなのです。

まずは、古事記から当該箇所を引用してみましょう。

 ここにその名を問ひたまへども答へず。また従へる
 諸の神に問ひたまへども、皆「知らず」と白(まを)
 しき。ここにたにぐく白(まを)さく、「こはくえ
 びこ必ず知りたらむ」とまをせば、即ちくえびこを
 召して問ひたまふ時、「こは神産巣日神の御子、少
 名毘古那神ぞ」と答へ白しき。

 かれここに、神産巣日の御祖命(みおやのみこと)
 に白し上げたまへば、答へて告(の)りたまはく、
 「こは実(まこと)に我が子なり。子の中に我が
 手俣(たなまた)よりくきし子なり。かれ、汝、
 葦原色許男(あしはらしこをのみおと)と兄弟(あ
 におと)となりて、その国を作り堅めよ」とのりた
 まひき。かれ、それより大穴牟遅(おほなむち)と
 少名毘古那と二柱の神相並ばして、この国を作り堅
 めたまひき。然る後は、その少名毘古那神は常世国
 (とこよのくに)に度りましき。かれ、その少名毘
 古那神を顕はし白しし謂(い)はゆるくえびこは、
 今に山田のそほどといふ。の神は足は行かねど尽(
 ことごと)く天下(あめのした)の事を知れる神なり。

  岩波新書 古事記(上) 大国主と少彦名から

この記述は、前回掲載した古事記からの引用の続きとなります。前回の引用では、不思議な船に乗って来て、はたまた不思議な姿をした少彦名の描写が主でしたが、今回の箇所では、大国主が「この神は誰か?」と尋ねたところ、周りの神様に知っている者はおらず、タニグクという神がクエビコの神なら知っているだろうと提案し、果たして、クエビコはそれが少彦名であると大国主に告げるのです。

同書注釈によると

 タニグク:谷蟆、ヒキガエルの古名
 クエビコ:「崩え彦」の意で案山子(かかし)に与えた神名
 そほど :案山子の古名

と説明があります。

引用文中の「山田のそほど」を現代語的に解釈すれば、山合いの田んぼに立てられた案山子のような神様であり、その方に聞くのが良いとヒキガエルの神が大国主に言ったのですから、状況及びキャラクター的には何となく辻褄が合っているような気もします。

しかし、ここで考えるべきは

 (1)どうして書記には無く古事記にのみ記載されているのか?
 (2)どうしてヒキガエルと案山子なのか?

しつこいようですが、私は「神話は史実の婉曲表現」という視点で神話を解釈しているので、仮にも人の姿をした大国主や少彦名のストーリーに「蛙と案山子」というのはかなり不自然なのです。これをどう解釈したらよいのでしょうか?

画像1:少彦名に関する記紀の違い
画像2:ヒキガエルと案山子

■タニグクとクエビコは少彦名の補足説明

まず、(1)の点についてですが、現代に残る史書の類がこれまでに何度も改変されているだろうということは押さえておきたいと思います。

教科書的には、記紀は西暦700年代に編纂されたことになっていますが、その時点で各方面で記録されていた更に古い史書を統合・再編集したのは間違いなく、編纂時の政治情勢に合わせて書き足りない箇所を足したり(盛ったり)、都合の悪い箇所を落としたりしているはずです。

記紀では神話とされている上代が、秀真伝では人間史として書かれているのも、史実を神話化するという大改編のタイミングに秀真伝が追い付けなかった、あるいはその時代の人々の注意から外れてしまっていたと考えるのが、理由として一番あり得るのではないかと私は思っています。

日本書紀と古事記で微妙に記載が異なるのは、このように改変タイミングのズレが考えられるでしょう。書紀で不要と落とされたのに古事記では残ってしまった、あるいは、古事記で補足的に足された記述が書紀では盛り込まれなかったなどです。もしかしたら、当該箇所を強調するため意図的に両書の記載を変えた可能性すらあります。

クエビコの下りが足されたのか落とされたのか、あるいはわざとそうしたのかは不明ですが、どちらにせよ、この箇所の記述が少彦名の性質を決定付ける重要箇所だと、改変時の編纂者は思ったに違いありません。

つまり、タニグクとクエビコの下りは、少彦名がどのような人物だったのかを語る重要箇所だと見るべきなのです。

■ヒキガエルと案山子の意味するもの

ニグク(谷蟆)の「蟆」は「ガマ」と読み、これを単純に考えれば、(谷のような)低い土地に住むガマ蛙と理解されます。一方、案山子の「案山」とはAI(Gemini)さんによれば、「中国の禅僧が使っていた言葉で、『案山』は『山の中の低い土地』、つまり田畑を意味します。」となります。

つまり、特に深読みをしなくても、日本人なら普通に想像できる「山に囲まれた田園風景と蛙、案山子」のイメージでそのまま理解すればよさそうです。これのいったいどこが重要なのか、自分で話を切り出しといてここから進まなくなってしまったのですが、そういえば引用文本文にもわざわざ「山田」と強調しています。どうやらこの字面そのものに意味がありそうです。

画像3:石川県中能登町久江の久氐比古神社

ここからは私流のかなり極端な解釈となることをお断りします。

まず「山」の字ですが、このブログでは「二人の少女神」(= 二人の皇后)というコンテキストで古代王権の仕組みを考察してきた経緯から、「山」という字の中央の長線を「男性王」、左右の二つの短線を「二人の少女神」と解釈すれば、古代日本の王権スタイルを象徴していると考えられます。

次に「田」の字ですが、これは「口」と「十」に分解でき、「口」は一般的に土地を表し、「十」は「天地・秘密・十字架・神・墓」など複数のニュアンスがありますが、そのどれかではないかと思われます。

いちおう神話という体ですから、ここでは「十字架・神」の意味であるとします。「口」の字は四方を囲むすなわち「閉じ込める」という意味が有り、この二つの意味を合わせると

 十字架・神を閉じ込める

という、少し物騒な意味が出てきます。

実は、このように理解すると、本文にわざわざ案山子が出てくるその意味まで見えてくるのです。今の世の中では色々な形状の案山子が見られますが、オーソドックスな案山子といえば、画像2にあるような、一本足の案山子、すなわち

 十字架に張り付けられた人の形をしたもの

であることには異論がないでしょう。

おや、そのように捉えると、さきほどの「山」の解釈が少し変わってきます。もうお分かりの方もいらっしゃると思いますが、これは

 磔にされた王と二人の罪人

とも取れるのです。

「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。

ルカによる福音書 第23章33節

さて、夏になるとガマ蛙は田んぼの中でうるさく鳴くものです。そして、ただ鳴くだけで哀れな案山子に露ほども温情を示しません。

民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

ルカによる福音書 第23章35節

わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。

ヨハネの黙示録 第16章13節

なんと言うか、新約聖書からの引用がなぜかピタリと当てはまるのです。

画像4:「千と千尋の神隠し」に登場したカエル男たち。なぜ蛙なのか?

クエビコは天下のことを全て知っていると古事記には記述されており、世の中の全てを知る者とは、神そのものを指しているとは言えないでしょうか?

要するにタニグクとクエビコというのは、擬態化された例えであり、それが誰を擬態したのかと問われれば、文脈的に少彦名を指すのは間違いなく。その名が示す「特別な力を有した男性王の名」の人物とは、あの世界的に著名な歴史的人物である可能性が窺えるのです。

それについては、少彦名が奇妙な船に乗り、また奇妙な風体で突然現れ、時の王(大国主)の国造りを助けた後に突然いなくなる点も、歴代王の所作とはかなり異なります。つまり少彦名、すなわち瓊瓊杵尊とは、本来の王統には連ならない神のような特別な存在であり、記紀や秀真伝はその存在があたかもこの国の王家の祖先であるかのように記した(改竄した)ものであると考えられるのです。

つまり、

 瓊瓊杵尊王朝などなかった

と捉えるのが、秀真伝が伝える二王朝時代に対する最善解であると私は考えるのです。そして、記紀における彦火火出見王朝(現天皇家に続く王朝)とは、同時期に突然現れた謎の王朝という結論にならざるを得ないのです。


管理人 日月土

少彦名とは誰なのか

前回の記事「市杵島姫と少彦名」」では、市杵島姫(いちきしまひめ)を調べる中で、どうやら日本神話でも謎めいた神として扱われることの多い少彦名(すくなびこな)とどうやら関係がありそうだということが、静岡県沼津市の内浦湾に浮かぶ島、淡島に鎮座する厳島神社の存在から見えてきました。

今回は、それでは少彦名がどのような神なのか、まずは現在残されている文献から当たってみることにします。

大国主と同時代人であった少彦名

記紀などを通して、少彦名は、大国主(おおくにぬし)と共に日本の国造りに携わった功績の大きい神だとされていますが、その記述は極めて限られています。まずは、大国主との出会いと、その風貌がどのようなものであったかを、文献から読み解いてみます。

 初め大己貴神((おおなむちのかみ)、国平(む)けしときに、
 出雲国の五十狹狹(いささ)の小汀(おはま)に行到(ゆき
 ま)して、飮食(みおし)せむとす。是の時に、海(わたつ
 み)の上に忽(たちまち)に人の声有り。乃(すなわ)ち驚
 きて之(これ)を求むるに、都(ふつ)に見ゆる所無し。頃
 時(しばらく)ありて、一箇(ひとり)の小男(おぐな)有
 り。白蘞(かがみ)の皮を以ちて舟と爲し、鷦鷯(さざき)
 の羽を以ちて衣(ころも)と爲し、潮水(しほ)の隨(まに
 ま)に浮き到る 

岩波文庫 日本書紀 神代上 一書から

 故(かれ)、この大国主神(おおくにぬしのかみ)、出雲(い
 ずも)の御大(みほ)の御前(みさき)に坐(いま)す時、波
 の穂より、天(あめ)の羅摩船(かがみのふね)に乗りて、鵝
 (ひむし)の皮を内剥(うつは)ぎに剥ぎて衣服(きもの)に
 して、帰(よ)り来る神あり

岩波文庫 古事記 大国主と少彦名から

ここで、文中の用語に関するそれぞれの編者の解説を添えると

 日本書紀:
  白蘞(かがみ) → 薬草のヤマカガミ
  鷦鷯(さざき) → 野鳥のミソサザイ

 古事記:
  羅摩(かがみ) → 野草のガガイモ
  鵝 (ひむし) → 蛾

少彦名が乗って来た舟の素材、そして衣服の素材について解釈の違いがあるようです。

画像1:少彦名に登場する素材の違い:左上から時計回りに、
ヤマカガミの花、ミソサザイ、一般的な蛾、ガガイモの花と実

しかし共通しているのが、野の草や、虫や小鳥の羽を材料にしていることから、日本書紀の記述にあるように、非常に小さな男性であることが分かります。

日本書紀の続きには、大国主が少彦名を掌に乗せている描写、淡島に生えていた粟の茎に登ったところ弾き飛ばされて常世に行ってしまったなどの記述すらあるのです。

まあ、神話だからそんな突拍子もない記述でもOKなのですが、当ブログでは神話は史実の婉曲表現であると仮定しているので、このような表現にもきっと何等かの意味があると考えます。

むしろ、これだけ人間離れしている記述を見せられると、多くの意味がその奇抜な表現の中に圧縮されているのだろうとすら思うのです。

画像2:少彦名に関する記述の違い

なお、古代史を実在した「人間史」として記述している秀真伝(ほつまつたえ)では、少彦名は古代皇統タカミムスビの第6代王であるヤソキネの末子として簡単に記述されています。

以上をまとめると、少彦名とは素材に関する記紀の記述の相違を別として

 1)舟でやって来た
 2)羽の衣を着ている
 3)小男で、
 4)タカミムスビ/カミムスビの縁者であり
 5)大国主と共に国造りをしたが
 6)突然常世国に去ってしまった(粟に弾かれた?)

となるでしょうか。

常世国とは、その解釈が必ずしも定まっておらず、「常夜国」のイメージから黄泉の国(死者の国)を表すとも解釈可能ですが、決定的ではありません。少なくとも、少彦名は突然いなくなった、そう捉えるべきでしょう。

■少彦名の名に関する分析

少彦名は日本書紀の記述で、スクナビコナ、またはスクナヒコナと読みますが、古事記では「少名毘古那」(すくなひこな)、先代旧事本紀では「天少彦根命」(あまのすくなひこね)と表記のバリエーションが多く、漢字は後の時代の当て字と考えて良いので、ここでは秀真伝の音表記「スクナヒコナ」を標準として考察したいと思います。

「スクナヒコナ」とは意味的に分解すると

 スクナ – ヒコ – ナ

となり、「ヒコ」が男性に与えられる名称とするなら「スクナ」は宮中における高位の身分を表す「宿禰」(すくね)が該当するのではないかと考えられます。

気を付けなければならないのは、身分としての「宿禰」は、600年代後半の天武天皇の時に定められたもので、宿禰が持つ本来の意味は、野見宿禰(格闘に長けていた)や武内宿禰(神祇祭祀に長けていた)など、特殊能力に長けていた人物に与えられていた称号ではなかったのかということなのです。

「ナ」についてはこれをどう解釈してよいか悩みますが、記紀が編纂された時に使われた万葉仮名にわざわざ「名」を用いたということは、そのまま「名前」の意味で取って良いのではないかと思われます。

すると、「スクナヒコナ」とは

 特殊な能力を有した男性の名前

と解釈することが可能で、個人名と言うよりも特定の人物のことを指す一般名称だとも考えられるのです。

■能登生國玉比古神社と市杵島姫

さてWikipediaの「スクナビコナ」の記述を見ていると、気になる記述があるのを見つけました。

 能登生國玉比古神社(中能登町金丸)の社伝によると、
 大己貴命と少彦名命が能登国の国魂神である多食倉長
 命と共に国土を平定した際、少彦名命が多食倉長命の
 娘の伊豆目比売命(市杵嶋姫命)を娶り、金丸村村主
 遠祖の菅根彦命(金鋺翁菅根彦根)を産んだ。その子
 孫が神主の梶井氏であるという

Wikipedia「スクナビコナ」から

この記述を読むと、なんと

 少彦名が市杵嶋姫を娶った

とあり、この記述が正しいかどうかは別として、なんと前回の記事で疑問点として挙げた市杵島姫と少彦名との関係があっさりと解き明かされているのです。

もちろん記紀にそんなことは書かれていないのですが、少彦名を象徴する駿河湾の淡島に何故か市杵島姫を祀る厳島神社が鎮座している、その理由として挙げるにはこの上なく好都合なのです。

仮に能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ)の社伝がある程度正確だとすると、次の等式

 イチキシマ姫の夫 = スクナビコナ

 コノハナサクヤ姫の夫 = ニニギノミコト

は、既に分っている次の等式

 イチキシマ姫 = コノハナサクヤ姫

を適用すると

 スクナビコナ(少彦名) = ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)

という関係が導かれるのです。要するに、上述したように少彦名とは瓊瓊杵尊を指す特殊な一般名称であり、大国主(オシホミミの別名)の補佐的役割から、次代の王になったということになるのです。

画像3:従来の古代王統解釈

仮にこの等式を認めると、秀真伝に記された瓊瓊杵尊と火明命の二人の王が立ったとされる二王朝時代がどのようなものであったのかが見えてくるのと同時に、瓊瓊杵尊の天孫降臨の記述が実際にどのような意味を持つのかも分って来るのです。

画像4:今回の結果を反映した古代王統解釈(秀真伝ベース)

加えて問題にするべきは、少彦名あるいは瓊瓊杵尊の「宿禰としての特殊性」であり、それは、先に掲げた少彦名に関する6つの記述ポイントについて、記紀の編者がどのような意味を込めてそう書いたのか、その真意そのものなのです。

それらについては次回の記事で私の考えを述べたいと思います。


彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 (ヨハネによる福音書 第20章16節)
管理人 日月土

市杵島姫と少彦名

神話の誓約(うけい)から始まり、特にここ数回は宗像三女神を取り上げてきました。これまでにも指摘し続けてきたことですが、どうやら、同一の神に対して幾つもの変名・別名が名付けられ、それがまるで別々の神様の如く神話の中に登場していることが分かってきました。

宗像三女神についても同様で、本ブログで分析したその分類はおおよそ次の様になることが分かってきたのです。

画像1:宗像三女神の別名・変名一覧
(当ブログの分析による)

上図のタギツ姫およびタゴリ姫については、豊玉姫と玉依姫としてこれまで扱ってきたので、今回は三女神の一人、イチキシマ姫(市杵島姫)に焦点を絞って考察したいと思います。

■市杵島姫と厳島神社

イチキシマ姫(市杵島姫)と言えば、一般には全国に点在する名前の読みがそっくりな厳島(いつくしま)神社の御祭神として良く知られています。

厳島神社で有名なのは、何といっても「安芸の宮島」として知られる広島県の宮島にある厳島神社でしょう。この神社の御祭神は言うまでもなく、イチキシマ姫を含む宗像三女神なのです。

画像2:宮島の厳島神社の御祭神
厳島神社公式ページから

厳島神社は少し大きな神社の摂社・末社として置かれていることも多く、円形の池の真ん中に島を作りそこに橋を架け、その島の中央に建てられたお社や祠が厳島神社であるパターンは全国どこでも見られる光景です。

画像3:三嶋大社の厳島神社

画像1でイチキシマ姫(市杵島姫)の別名に「弁才天」と書き加えていますが、イチキシマ姫の神仏習合の神名として「弁才天」もしくは「弁財天」、いわゆる弁天様として呼称されることがあります。これはインドのヒンズー教の女神「サラスヴァティー」を指すと言われていますが、七福神唯一の女神として、昔から全国で広く信仰の対象とされているのはもはや説明の必要はないでしょう。

どうして、厳島神社は池の中、あるいは宮島のように海上にあるのかについては、サラスヴァティーが元々同名の川の女神であること、すなわち水の女神であることに起因すると考えられているようですが、私はそれだけではないと見ています。

日本のお城が周囲に堀を巡らし水を張るのは、確かに実利的な防御手段の一つであることは間違いないのですが、同時にこれは呪術的な意味での「結界」を表し、心理的な見えない壁を構築することと同じだと言えます。

この結界、外に向ければ防御壁として機能しますが、内に向ければどのように機能するのでしょうか?結界でぐるり周囲を囲んでいるのですから、米国のアルカトラズ島と同じ「牢獄」あるいは「締め」の意味を持つのです。

神社の鳥居や注連縄が、そこが俗世と聖域を区別する境界を意味するのではなく、実は

 神を締める(神封じ)

という呪術的意味合いを持つことは、(真)ブログ記事「今日も鳥居で神封じ?」で既に述べているので、ここで改めて確認してみてください。本来、日本国土は全て神様の「御神体」という考えなのですから、そこに境界を設ける必要性などないのです。

このように解釈すると、鳥居内において更に結界を張り巡らされるイチキシマ姫は、一部の人々にとって非常にやっかいな神様、できれば人前に絶対に現れてもらいたくない神様という風にも取れるのですが、果たしてどうなのでしょうか?

■あのアニメに市杵島姫も登場していた

かつて本ブログでは、宮崎駿監督の大ヒット映画「千と千尋の神隠し」が日本神話をベースに構成されていることを指摘し、その上で、登場するキャラクターがどの神様(あるいは人物)をモデルにしているのか特定してきました。

その時の反映が画像1にも表れているのですが、タクハタチヂ姫(=千尋)とアメノウズメ(=リン)まで特定したものの、三女神の中でイチキシマ姫だけは、これまで同作品の構造分析で見つけられなかったのです。

しかし今回、鹿の子アニメのキャラクターと宗像三女神との関係性を見出した結果、同映画作品にもイチキシマ姫をモデルにした描写があることが分かったのです。

それは次の画像を見ればお分かりになるはずです。

画像4:2つのアニメで表現された「めめめ」のサイン

要するに、「千と千尋の神隠し」ではキャラクターとしては登場せず、象徴として「め」が3つのサインとして表現されていたのです。これが分かったのは、まさに鹿の子アニメの奇抜なキャラ名「馬車芽めめ(=イチキシマ姫)」によるものだったのです。

また、これが分かると、主人公の千尋の苗字がどうして「荻野」(おぎの)だったのかも見えて来ます。

この映画が上映された2001年、アイドル歌手としては既に第一線を引いていたものの、1985年の大ヒット曲「ダンシング・ヒーロー」を歌った

 荻野目洋子

さんのことは、まだ多くの人の記憶に残っていたはずです。

もちろん、荻野さんという苗字の方は普通にいらっしゃるのですが、当時の人々の多くは「荻野」とくれば「目」という連想が自然に働いたはずです。そして、背景画像にしてはやけに目立つ「め」の看板を見れば

 目(め)がない荻野 → 「め」

と無意識にこのひらがなを強調して捉えていたと想像するのは少し考え過ぎでしょうか?

そうなると、この「め」の字に隠された記号の意味を探る必要が出てくるのです。

■市杵島姫と少彦名

駿河湾の東岸にある静岡県沼津市の内浦湾には、淡島(あわしま)という島があります。ご記憶の方も多いと思いますが、一時期、内浦湾周辺の動きが妙にきな臭く、また、あまりにも不自然な、同地を題材にしたアニメ「ラブライブサンシャイン」が放映されたこともあり、しばらく動向を伺っていたことがあります。

画像5:今や懐かしい淡島とラブライブ

実は、このアニメ作品も多分に日本神話との接点があり、ある程度分析が出来ているのですが、それについてはまた別の機会にお伝えしたいと思います。

ここで取り上げたいのは淡島であり、この島の中央には淡島神社が鎮座するのですが、この神社の別名はなんと

 厳島神社

であり、御祭神はイチキシマ姫なのです。

画像6:淡島の淡島神社(厳島神社) G
画像引用元:Googleマップ

淡島神社は、「粟島」などと表記を変えながらも全国に見られる神社なのですが、一般的にその主祭神が

 少彦名(すくなひこな)

なのは、神社に詳しい方ならとっくにご存知のことでしょう。

そうなると、ここにスクナヒコナとイチキシマ姫に何らかの関係性が見られるのですが、これを調べる前に、スクナヒコナとはどのような神(あるいは人物)なのかを知らなくてはなりません。

どうやら、誓約(うけい)の分析から始まって宗像三女神、そして女神イチキシマ姫から更にスクナヒコナへと繋がってきました。

もしかしたらイチキシマ姫に付けられた「め」の記号を理解する鍵はスクナヒコナにあるのかもしれません。


なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか?(ルカ 24-5)
管理人 日月土