陶棺に刻まれた大洪水事象

先月、ブログ記事「壁画が語る古代の大洪水事象」で、福岡県宮若市の竹原古墳石室に描かれた壁画について、その図案がおそらく古代期の大洪水と関連するものだと見た時、その多くが一貫性を持って説明できることを示しました。

画像1:竹原古墳の壁画

この時に疑問として残ったのが、翳(さしば)とよばれる左右に描かれた大きな日除け、あるいはうちわのような物体だったのですが、それが何であるかをここではもう少し考察してみます。

■陶棺に刻まれた同じ図案

話を進めるにあたって、岡山県美作市平福で出土した陶棺(とうかん)についてまずご紹介します。陶棺とは文字通り、土の焼き物でできた棺(ひつぎ)で、死者を収めるために作られたものです。

画像2:平福出土の陶棺(全体像)

この陶棺は現在東京国立博物館が所蔵しており、同博物館が運営している「文化遺産オンライン」からも閲覧することができます。

これについての詳細は、同サイト及び考古学関連サイトで見ておいていただきたいのですが、今回ここで私が注目するのは、同陶棺の側面に刻まれたレリーフの図案なのです。

画像3:平福出土の陶棺(レリーフ部)

画像1と画像3を見比べた時、配置や構成物は多少異なるものの、基本的に同一テーマを扱ったものなのではないかと直感させます。

詳しく見て行くために、図案の各パーツに番号を振った次の図を作成しました。

画像4:平福出土の陶棺(レリーフ分析図)
(3)と(5)はそれぞれ同型のペアを持つ

これを、竹原古墳の壁画と対比させながら見て行きましょう

①は陶棺の蓋の部分に刻まれていますが、円形が二つ並べて配置されています。同じ文様は竹原古墳壁画には描かれていません。

歴史言語学の研究家、川崎真治氏によると、これはオリエント「洪水伝承」に登場する太陽神「ウトゥ」、エジプト語の太陽神「ラー」を表わす「双日(そうじつ)」紋であろうとしています。

②は竹原古墳にも描かれている「連続三角紋」に対応していると考えられます。この波線を縦に3つ並べたものがエジプト象形文字が示す「水(me)」であり、この波線は象形文字を一つの線に省略したものであると考えられるのです。

画像5:「水」の象形文字

(3)の馬については、竹原古墳壁画の考察の時にも述べましたが、シュメール語の「ma(舟)」を漢字の音である「馬(ma)」と表現し直したものとすると辻褄が合ってきます。要するに、竹原古墳壁画と同様に、この2頭の馬は舟または方舟を表わす記号として描かれた可能性があるのです。

(4)の人物については、竹原古墳壁画に描かれた人物像と多少輪郭が異なりますが、この図案が大洪水事象をテーマに描かれたものなら、必然的に同一人物を指していると考えられます。それがいったい誰を指すのかについてはもう少し分析を要します。

(5)はまさに竹原古墳壁画で描かれた翳(さしば)とされる物体と同じものを指していると考えられるのですが、壁画と比べると随分と簡略化されているようにも見えます。

これでは翳の意味は結局分からず仕舞いとなってしまいそうですが、この2つのペアの丸みを帯びた先端部のデザインから、これは蓋部に刻まれた「双日」を模したものではないかと考えられるのです。

蓋にはレリーフを刻む十分なスペースが取れないことから、洪水伝承の中でも特に重要な象徴を印すはずです。それに対応するものを棺のレリーフから選ぶとすれば、翳の先端部が最も適当なのではないかと思うのです。

竹原古墳壁画の場合は翳の先端部をより真円に近い丸い形に描いており、他に円形の物体を他に描いた形跡もありません。よって、この二つの図案の対比から

 翳(さしば)状の物体は双日を表わす

と解釈できるのです。

と、ここまでは良いのですが、それでは

 ・どうして「双日=二つの太陽」なのか?
 ・どうして太陽に脚がついているのか?
 ・竹原古墳壁画の双日に描かれた7本の枝は何を意味しているのか?

が相変わらず未解決のままなのです。

画像5:実はモデル不詳の自由の女神
「双日」との共通性が見られる。どこに?

■エポナの彫像と陶棺レリーフ

平福の陶棺について調べていると、非常に興味深い視点でこれについて語っているブログを見つけました。そこでは、ケルト文化渡来の可能性と陶棺デザインの関係性について触れています。

画像6:エポナ信仰の影響を受けた彫像?
ヒデチャコさんのブログから

そのブロガーさんが指摘するように、画像6の見た目の図案は平福陶棺のレリーフとそっくりです。

同ブログによると、これは古代ケルト文化における「水と馬の女神エポナ」の彫像であり、後にローマ、ユーラシアに広がっていったのだとか。

当然ながら、古代期に日本にもその文化が渡来してきたのではないかと考えるのは、自然なことかもしれません。

しかし、このデザインの根本思想が

 世界的な大洪水事象

にあると捉えた時、そこにはもはや国境も何もなく、世界同時にその時の混乱と回復の記憶が刻み込まれたはずです。

実際に前述の川崎真治氏は、シュメール語の水や洪水に関する言葉が、音変化によりヨーロッパの諸言語に変換されて行く過程を一部示しています。もちろんそれは、ヨーロッパだけでなくアジア地域も同じであり、当然そこに日本も含まれているのです。


管理人 日月土

月のかぐや姫と龍宮の乙姫

先月の記事「超かぐや姫とツクヨミ」では、話題?のアニメ映画「超かぐや姫!」と日本神話との関係性について述べましたが、その中で、同映画の中に大洪水を表現しているのでは?思われるシーンがあるのを指摘しています。

画像1:大洪水を表現していると思われるシーン

これまで述べてきたように、日本神話の中で伊弉諾・伊弉冉(イザナギ・イザナミ)から神武天皇に至る時代、私はこれをF時代と呼んでいますが、日本書紀や古事記では神代、あるいは上代と呼ばれるこの時代は、どうやら古代期に発生した大洪水事象と関係するだろうと推測されるのです。

もしも「超かぐや姫!」が、このF時代の実在を認識し、それを作中に取り入れているのならば、明らかに同映画の原案となっただろう「竹取物語」が、どのようにF時代と関係を持つのかもう少し考察する必要があるのです。

■竹取物語と水

「竹取物語」は「かぐや姫」として日本人なら一度はそのお話を耳にしたことはあると思います。

Wikiペディアではその概要を次のように記述しています。

 『竹取物語』(たけとりものがたり)は、平安時代前期
 に成立した日本の物語。「現存する日本最古の物語」と
 される。

 概要

 竹取の翁(たけとりのおきな)によって光り輝く竹の中か
 ら見出され、翁夫婦に育てられた少女かぐや姫を巡る奇譚。
 『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取
 の翁」とあるように、日本最古の物語といわれる。9世紀後半
 から10世紀前半頃に成立したとされ、かなによって書かれた
 最初期の物語の一つである。いつからかは不明だが『かぐや姫』
 の題名で絵本・アニメ・映画など様々な形において受容されて
 いる。

あらすじについてはここで説明する必要もないほど読者の皆さんがご存知だと思いますが、そんな極めて有名な物語が、実は成立年も作者も分かっていないというのが何ともミステリアスです。

F時代とは、平安時代から更に700年程度は前の時代を指しますから、時代的には両者の間に直接的な関係はないように見えます。

かぐや姫は物語の最後で、求婚者たちを残して月の都へ去って行くのですが、「月」と「水」との関係は、海の潮汐が月の引力によって大きく影響されているという一般的な説明の中に見出すことができます。

「月」と「水」が影響し合っていることは当然昔の人々も知っており、「月」が「臓」や「胴」、「脚」など身体の部分を表わす漢字の部首として使われているのは、人間の身体が大部分「水」でできていることを経験的に分かっていたからだと考えられます。

「月と水」との関係がこのように深く、古代の人々にその認識があったことまでは分かるのですが、これだけでは大洪水との関係性を指摘するのは無理があります。

■異世界に帰還する姫

そこで、今度は「かぐや姫」そのものの生い立ちに注目してみます。その概要はおおよそ次のようになるのではないでしょうか。

 ・竹の中に赤ん坊として現れる
 ・翁に養育され美しい女性と成長する
 ・貴人たちの求愛を受け、無理難題を課させる
 ・月からの迎えに従い月の都に帰る

これを更に短くまとめると

 地上に現れた姫が、様々の出来事を経て最後に故郷(月)に帰還する

のように非常にシンプルな物語となります。

この省きに省いたあらすじで強調されるのは

 姫 と 異世界(ここでは月)

であり、異世界から来て異世界に去ってしまうところが、通常の人間ドラマとは大きく異なる点であると言えるでしょう。

このように、物語の骨格だけを取り出すと、実は日本神話の中に同じようなプロットのシーンがあるのに気付きます。

 乃ち草(かや)を以て児(みこ)を裏(つつ)みて、海辺
 (うみへた)に棄てて海途(うみのみち)を閉ぢてただ
 に去ぬ

 日本書紀 神代下 

このシーンは、失くした兄の釣り針を探しに海中に向かった彦火火出見(ひこほほでみ)が、海中にある海神(わたつみ)の宮で豊玉姫(とよたまひめ)を見初め、妹の玉依姫(たまよりひめ)と共に地上に連れ帰ったところ、絶対に見るなと言われた豊玉姫のお産を覗き見してしまい、龍の姿になったところを見られた豊玉姫はそれを恥じて、生まれた子を置いて海中に帰って行くという、まさに豊玉姫の故郷への帰還を描いているものなのです。

これは

 地上に現れた姫が、様々の出来事を経て最後に故郷(海)に帰還する

と要約することができ、強調されるのはもちろん

 姫 と 異世界(ここでは海)

なのです。

この神話はやはり昔話の「浦島太郎」のモデルと考えられ、この場合の豊玉姫は浦島太郎伝説の記述を借りれば

 龍宮の乙姫

と表現することが可能なのです。

先に述べた通り、「月」は「水」と同意ですから、「かぐや姫」も「龍宮の乙姫」も実は同根の話だと考えられるのです。

具体的には、おそらく「かぐや姫」とは、平安時代前後に設定変更されてリバイバル登場した「龍宮の乙姫」物語だったのかもしれません。

そして、豊玉姫、玉依姫は以前からお伝えしているようにF時代ど真ん中の人物と想定されるので、「超かぐや姫!」が大洪水をテーマに扱うことに全く矛盾はないのです。

■二人のかぐや

ネタバレになって申し訳ありませんが、「超かぐや姫!」では二人の少女「かぐや」と「ヤチヨ」が実は時を隔てた同一人物であることが終盤で明かされています。

注目すべきは月の女王は二人居るという点であり、海神の宮(龍宮城)から訪れた女王もやはり二人居るところに共通性が見られます。

この二人の女王、あるいは二人の姫という関係性は、前回の記事「壁画が語る古代の大洪水事象」で紹介した竹原古墳の壁画、そこに描かれた翳(さしば)と呼ばれる物体の意味と大きく関連してくるのです。

画像2:(1)のうちわのようなものが翳(さしば)

管理人 日月土

壁画が語る古代の大洪水事象

ここまで、記紀の暗号文的解読と最近のアニメ表現の比較から、古代期に実際あっただろう大洪水の発生と方舟の存在、そしてその時代に生きただろう実在人を、特に姫(高貴な女性)たちについて考察をしてきたつもりです。

アニメがこのような比較資料に成り得るのは、F時代(大洪水時代)の記憶をどうやら意図的にアニメのストーリーに忍び込ませている痕跡が、特に大ヒット作品と呼ばれるものについて多く見られるからです。

例えば、本ブログで取り上げてきたものだけでも、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「君の名は」、「天気の子」、そして最近の作品として「超かぐや姫!」などが挙げられます。

どうしてそんな面倒な細工をするのかについては、歴史考察の範疇を超えるので詳しいことは控えたいと思いますが、歴史的プロットの挿入が大衆心理の操作に極めて効果的だからではないかと私は見ています。

■F時代の存在を示すもの

大洪水と方舟と言えば旧約聖書の創世記がよく知られています。いわゆる「ノアの方舟」と言われているものですが、この伝承自体は聖書よりも古いシュメール時代に流布していたのではないかと言われています。

要するに聖書が編纂される以前に古代バビロニアでは知られた話であり、ノアの方舟とは、聖書向けに改変された大洪水伝承の一つなのではないかという議論は以前から存在するのです。

そして、大洪水&方舟伝承はオリエント地方に限らず、どうやら日本でも流布していたらしいという話を、次のブログ記事でシュメール語との関連で既に触れています。

 関連記事:鹿島と木嶋と方舟と 

日本国内において、大洪水との関係を示すものはこれだけでなく、実は古墳の石室に描き残された装飾画からもそれが窺えるのです。

■竹原古墳の壁画に描かれたもの

福岡県は古墳など遺跡が多く残されている土地ですが、同県宮若市の竹原古墳は石室の内壁に描かれた壁画がつとに知られています。

画像1:竹原古墳の壁画
引用元:宮若市プレスリリースから

私も現地の調査に向かったことがありますが、一般展示されているので、ガラス窓越しに直接その壁画を見ることができます。

この絵が何を意味するのか諸説あるのですが、宮若市のパンフレットには次のような解説が書かれています。

画像2:竹原古墳の壁画解説
引用元:Beyond the bridgeさんのブログから

読んでお分かりの通り、壁画のパーツそれぞれについて説明こそしていますが、結局のところ、これでは壁画全体が何を表現しようとしているのか見えてきません。

宮若市のプレスリリースでも「この絵の解釈としては四神思想、龍媒信仰、葬送儀礼の表現、騎馬民族到来など様々な説がありますが、・・・」とあり、何となく大陸や半島の影響を受けたのだろういう、漠然としたことしか説明されていないのです。

実は、この壁画、大洪水&方舟伝承を元に分析すると、その意味がくっきりと浮かび上ってくるのです。

ここで、次の若宮市制作の画像にて番号毎に私から解説を加えたいと思います。

画像3:竹原古墳の壁画(解説番号付き)
引用元:宮若市プレスリリースから
※黄色の番号はオリジナル。緑色の番号は私が描き加えたもの

(1) 解説では翳(さしば)とありますが、単なる日除けでないのは、そこに描かれている7本の葉っぱのような模様から判定できます。これはシュメール文明期のレリーフに見られる王と女王の対を表わす文様ですし、ユダヤ教で用いるメノラーの形状でもあります。これについては更に詳しく見る必要があります。

 関連記事:七枝樹と弥生土器 

(2) 三角連続文は古代エジプト語で「水」を表わす象形です。発音は「me(メ)」で、これはシュメール語で水を表わす「a(ア)」の屈折形「me(メ)」と共通しています。もうお気づきかと思いますが、日本語の「雨(あめ)」の語源は古代オリエント語由来とも考えられ、壁画で水が縦に描かれいるのは、降りしきる雨を抽象的に表現したものだとも言えるのです。

(3) これが船だとすれば、洪水伝承上のコンテキストから「方舟」を指すと考えられます。

(4) 明らかに波なのですが、三角連続文で示された「水」とは表現が異なります。これは大水または大津波を表わすのでしょう。これこそが大洪水を表わすサインと見られるのです。

(5) わざわざ人物を描いていることから、古墳建設当時においても極めて重要だと認識されていた人物なのでしょう。もちろんF時代に関係する人物なのは間違いなく、それが誰なのか、私も特定を急いでいます。

(6) 解説では小舟または月とありますが、壁画全体の意味から舟と捉えるのが正しいでしょう。ただし、(3)の方舟とは異なるという点が(7)と(9)の表現の違いから窺えます。

(7) 長い脚を有する四つ足動物であり、龍でないことは明らかです。ただし、(9)の普通の馬とも違う、おそらく「馬のようなもの」を敢えて強調した表現です。漢字の「馬」の音読みである「ma(マ)」はシュメール語では「舟」を意味し、この古墳が築かれたとされる6世紀には漢字が使われ始めていたので、音声記号として馬の絵が使用されたと考えられます。馬の形状の違いは、(3)と(6)の舟の意味が異なることを示しています。

(8) これは壁面の汚れだと思われたらしく、特に説明は加えられていませんが、私はこれが鳥、形状的には「燕」ではないかと考えられます。「方舟」と「燕」の関係性については「鹿の子キャラクターと古代女王」で既に述べています。

(9) これは普通の馬であり、足元にある(3)の方舟を指しているのでしょう。

以上、オリエント地方の古代言語をベースに壁画の意味を解釈すると、全パーツにおいて一貫した意味が見えてくるのです。それが

 大洪水と方舟

なのですが、この壁画には翳(さしば)とされる柱状の物体は何なのか、中心いる人物(おそらく男性)は誰なのか、舟の違いとは何なのか、そしてこれらは大洪水という危機的状況の中で何が起きたことを示しているか、などいくつか解読すべき問題が残されています。

実はこれらについのて答が最近のアニメ映画「超かぐや姫!」で一部示されているのですが、まずはゆっくりと周辺知識から埋めて行きたいと思います。

画像4:「超かぐや姫!」のかぐや(右)とヤチヨ(左)
この2人の関係性がポイントです

■玄武と朱雀

この石室の入り口には玄武と朱雀も描かれているのですが、通常の四神獣思想から紐解けば

 玄武:北、青龍:東、朱雀:南、白虎:西

と方位を示すだろうと捉えるのが普通です。

像4:石室の入り口に描かれた玄武と朱雀

しかし、竹原古墳には玄武(北)と朱雀(南)はあっても、青龍(東)と白虎(西)は描かれていません。この不足を埋めるために(3)を龍と解釈されたのかもしれませんが、それならば白虎もどこかに描かれていないとおかしな話になってしまいます。

おそらくこの2つは、北と南の何かを示す特別な記号であると考えられるのですが、記紀を読むとそれが何に対応するのか見えてきます。

それについては、また別途お伝えしましょう。


管理人 日月土

超かぐや姫とツクヨミ

昨年から、日本の古代期と神話の姫の歴史的関係を考察してきましたが、今年の1月末頃に「超かぐや姫!」なるアニメ映画が公開されており、少しだけその内容が気になっていました。

画像1:超かぐや姫! 
(c)コロリド・ツインエンジンパートナーズ

最近になって、重い腰を上げて近隣の上映映画館に観に行ったのですが、予想通りというか、やはりこの作品も日本神話のエッセンスがかなり取り込まれているのを確認しました。

そもそも、舞台の中心は「ツクヨミ」というコンピューター上の仮想空間で、これは神話に登場する月読命(つくよみのみこと)から取ったのは明らかであり、その月読命は私がF時代(大洪水時代)と命名した、おそらく実在しただろう時代の中に居た実物であると特定が済んでいます。

「竹取物語」に登場する「かぐや姫」はF時代からは数百年経った頃の話ではありますが、「月」を象徴する女性としては同じような存在であり、このアニメ映画の主人公「かぐや」も、やはり令和の時代に再び登場した「月」のような存在として描かれているのでしょう。

今回は、複数登場するキャラクター群の中から特に次の人物について焦点を当てたいと思います。

画像2:3人の登場キャラ
左から、「かぐや」、「月見ヤチヨ」(るなみ やちよ)、「酒寄彩葉」(さかより いろは)

■月を象徴する二人の少女

この役名を見れば、月を象徴する少女が二人登場していることがすぐに見て取れます。この二人の関係については同映画のストーリーの核となる部分なので詳細は伏せますが、 このブログの読者さんならば、これまで散々取り上げてきた次のキーワードが思い起こされるはずです。

 二人の少女神

古代の皇后は正皇后と巫女的皇后の二人が居たのではないかとする仮説なのですが、物語の最初からこの設定と思しき関係性が現れてくるのは、同説が有効なのではないかと私自身は捉えています。

ただよく分からないのが、それがどうして「月」なのかという、その点なのです。

この解釈には色々なパターンが考えられるのですが、今現在、私が最も可能性が高いと思うのは、

 月と太陽の呼称の逆転

が神話創作時に行われたのではないかというものです。

つまり、今私たちが「月」だと表現している天体が実は昔は「太陽(日)」であった。これを記号的に表現するなら

  (今)月 = (昔)日
  (今)日 = (昔)月

と書けるのではないでしょうか?

この日月の解釈の逆転現象についての考え方は、2020年の(真)ブログ記事「HELLO WORLD の暗号(2)」で既に述べておりますので、よろしかったらそちらの記事にも目を通していただきたいと思います。

実は、このように解釈することで、(今)太陽神である天照大神が何故女性であるのか、その理由も見えてきます。この逆転理論で解釈すると

 天照大神 = (昔)月神

となり、「月」は陰陽五行で「陰」を表し、これは則ち陰の性である「女性」を指すことに矛盾はなくなります。

また、「二人の少女神」という意味についても、日月神示など天照大神(あまてらすおおかみ)と天照皇大神(てんしょうこうたいじん)をわざわざ区別して記述しているケースもあるので、その理由も説明できてしまうのです。

なにより、記紀において月読命についての記述が極端に少ない理由も、

 (昔)月の女神を(今)日の女神に置き換えた

ので、そこに空白が生まれたと解釈すれば全ての辻褄が合ってくるのです。

ここで、一旦整理すると、「かぐや」と「月見」は(今)月の二人の女神のように捉えられますが、その実相は

  二人の(昔)日の少女神

ということになります(名は不明)。但し、「日」は本来陽性、則ち男性の性であるので、ここに隠れた男性の存在がある、あるいは

  男性王が隠されている

と解釈できるのです。

■別アニメに登場していた彩羽(いろは)

さて、準主人公的な存在である酒寄彩葉なのですが、この彩葉(いろは)という名前、実は別のアニメ作品に既に登場していたのです。

画像3:「友達の妹が俺にだけウザい」から
(上)小向彩羽(こひなた いろは)、(下)ノ森真白(つきのもり ましろ)
(c)三河ごーすと・SBクリエイティブ/「いもウザ」製作委員会

これはもうキャラ名を見れば一目瞭然でしょう。「いろは」は(今)日を表し、「ましろ」は(今)月を如実に表しているのです。しかも、このアニメの放映期間は昨年2025年の10月~12月で、翌2026年の1月22日にネットフリックスで「超かぐや姫!」が公開される直前なのです。つまり、両作品の放映時期は計画的に連動していたとも考えられるのです。

しかも、テーマに「日月」が含まれていることから、「超かぐや姫!」のサブキャラ酒寄彩葉は(今)日かつ(昔)月の存在である

 天照大神 

を指していると考えられ、実際はF時代に実在したであろう女王(名は不明)のことを指していると考えられるのです。

■「超かぐや姫!」の暗号

そもそも、このテーマは大洪水時代と古代王権との関係見ていくことで始まったのですが、「超かぐや姫!」の中には、「大洪水」、「二人の少女神」だけでなく、仮想空間という名の「異世界」や「時のループ(繰り返し)」という、最近の大ヒットアニメではお決まりのテーマが悪びれもせず堂々と登場します。

一番の問題は、このアニメ映画がいったい何を狙って制作されたのか、その最終目的なのです。

画像4:イベント会場に満ちる水と空中に浮かぶ大船
これは大洪水の表現なのか?

どうやら終了未定のロングラン上映のようなので、まだ観てないのならば、この連休中にでも映画館へ確かめに行かれることをお勧めします。


管理人 日月土

鹿の子キャラクターと古代女王

これまで、日本神話の核となる伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)から鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせず)までの6代に亘る王朝が、実は高々2~3代の比較的短い期間内に起きた実際の史実、そしてその期間に実在した人物の話を、別名を用いて見かけ上、王権が実際より長く続いたように史実を組み替えているのではないか?という話をしてきました。

そもそも秀真伝(ほつまつたえ)では神武天皇以前も明確に人間史として記述されているのに対し、古事記・日本書紀では神話というファンタジーに仕立てられているのもどこか変なのです。そこには、

 神話にせざるを得なかった

理由が必ずあるはずなのです。その理由の一つが、ナギ・ナミからウガヤフキアワセズまでの記録を大きく改竄せざるを得なかった、あるいは創作せざるを得なかったからであり、神話という表現形式も、同箇所が「ほぼ作り話」であることを示す、史書編纂者による苦し紛れの工夫であったのではないか、私はそう考えるのです。

この作り話の対象となった短い期間を、私は「F時代」と呼びますが、秀真伝や記紀が編纂されたのはその時代から数百年も経ってからの奈良時代であり、その時は既に現王朝に続く古代王朝が基盤を築いていますから、王朝に対して歴史的権威を与える方向でしか史実をまとめられなかったはずなのです。

しかし、全てを作り話で固めては真実が記録から永久に消え行くことになるので、表現の端々に真実を散りばめる、そのためには奇想天外な話も盛り込む必要が出てくるのですが、そこで採用された表現形式が「神話」というファンタジー的表現であったと考えるのが、おそらく一番自然な解釈であると私は思うのです。

「神話は空想ばかりで信じられない」と言うのはある意味正しく、だからと言って読む価値が全くない訳でもありません。神話には神話の記法にあった読み方があるはずで、それがこのブログでこれまで試みてきた神話解釈なのです。

さて、このF時代の主要な登場人物であるお姫様について、それぞれ多くの別名を有することをこれまでブログ記事の中で考察してきました。そして、それらのお姫様達が約2年前のアニメ番組「しかのこのこのここしたんたん」のキャラクターモデルとして採用されているだろうことを指摘してきました。

今回は、この鹿の子アニメとF時代のお姫様の関係を今一度振り返ってみます。

■鹿の子アニメのキャラクターとF時代のお姫様

これまで(神)ブログ、あるいは(真)ブログで話題にしてきたキャラ、それに加え、まだ考察に手を付けていない女性キャラについて次の図にまとめてみました。

「古代史上のモデル」欄には幾つか名前が記述されていますが、どれも一人のお姫様に付けられた「別名」となります。漢字表記の違いも含めれば更に別名の数は増えますが、とりあえず主要なものだけをここではピックアップしています。

画像1:鹿の子アニメの登場キャラクター名と古代史モデルの対応一覧

アニメ公式ページのキャラクター紹介にはシカ部メンバーと生徒会メンバーの少女7人のみが記載されていますが、このアニメにはこの7人以外にもう一人名前が与えられている女性キャラ「鵜飼先生」が登場し、上記画像にはそれも加えています。

この大人の女性1名を含めて計8名となるのですが、この数字が神話解釈上非常に大きな意味を持つことは後でお伝えしたいと思います。

■F時代とは大洪水時代

F時代のFが Flood(洪水)から取られていることは以前述べましたが、改めて大洪水と画像1のキャラ名との関係を考察したとき、画像1では「未考察」とされているキャラ「燕谷千春」との関係が見えてきます。

大洪水は旧約聖書に書かれているノアの箱舟の説話が有名ですが、ノアの箱舟は3層構造であり、志賀神(しかのかみ)とはその三層を「底・中・表」と神格化したものであることは過去記事で既に述べています。また同神を祀る信州の穂高神社では大船に模した山車を祭の日に引き廻す習わしが残っている事にも触れています。

 関連記事:鹿と方舟信仰 

聖書に書かれた大洪水の原本となっただろうと言われるものに、メソポタミア神話のギルガメッシュ叙事詩があり、その洪水物語には次のような記述があります。

 エア神の説明により私は船をつくり、自分と自分の家族、
 船大工、全ての動物を乗せた。6日間の嵐により人間は粘
 土になった。私の船がニシル山の頂上に着地して7日目、
 鳩、ツバメ、カラスを放ってみた。私は船を開け乗船者を
 解放した後で神々に生贄を捧げると、その匂いにつられて
 多くの神が集って来た。

Wikipedia ギルガメシュ叙事詩から

聖書では、陸地を見つけるのに放たれた鳥は鳩だけですが、ギルガメッシュ叙事詩では

 燕(つばめ)と烏(からす)

もそれに加わっています。

ここに、「大洪水」と「燕」の関係が見えてくるのですが、これだけではまだ「燕」がどのお姫様、あるいは古代女王のことを指すのかまでは分かりません。しかし、「鹿乃子のこ」同様、「燕谷千春」が大洪水と関係している古代女王をモデルにしているのだろうと予想できるのです。

画像2:燕谷千春
©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部

みすまるの玉を受け継ぐ八女ならば継いで残さん一人然りても
管理人 日月土

※このブログはアニメ解説ブログではないのでご注意ください

シタテル姫と呼ばれたヒルコ姫

日本神話では生まれてすぐに流されてしまったとされる蛭子(ひるこ)について、ここ4回ほど考察してきました。そこから、記紀及び秀真伝の伝承の中に蛭子が名前を変えて何度か登場していることが分かってきたのです。

以下は蛭子の別名として付けられたと予想される名前のリストになります。

 蛭子(蛭児) = { ヒルコ姫、ワカ姫、シタテル姫、
          ヒ姫、ワカヒルメ、ハヤアキツ姫 }

 関連記事:
  ・ムカツ姫とヒルコ姫 
  ・ヒルコ姫と西宮 
  ・ヒルコ姫とワカヒルメ 
  ・ハヤアキツ姫は誰なのか 

以上の記事の中で、まだ考察の終わっていない別名があるのですが、それが

 シタテル姫(下照姫)

となります。、Wikipediaで「シタテルヒメ」を調べると、表記の違いも含めて実に多くの別名のあるのが分かります。

 シタテル姫 ={ 下光比売命、下光比賣命、下照比売、下照比賣、下照姫命、
        下照媛、高比売命(たかひめのみこと)、高比賣命、髙比売命、
        髙比賣命、高姫命、稚国玉(わかくにたま)、稚國玉 等 }

もはやどの表記を基準にしてよいのか迷ってしまうのですが、ここでは蛭子のことを基本的に「ヒルコ姫」、もしくは「シタテル姫」と書き表すことにします。

■記紀に登場するシタテル姫

実は、シタテル姫について、前に取り上げたことがありましたが覚えておられるでしょうか?それは5年前の記事及び「犬神モロと下照姫」及び「下照姫を巡る史書の暗号」の2編です。

以下に、その時に作成した系図を再掲します。

画像1:「日本書紀」における下照姫を巡る系図
画像2:「古事記」における下照姫を巡る系図
画像3:「秀真伝」における下照姫を巡る系図

これらの系図を見ると、シタテル姫の親の出身家系も史書によっては不明、あるいは異なる家系であったりしますし、もっと頭を悩ますのが、画像3の系図にはシタテル姫が二人も登場することなのです。

一人目が、これまで取り上げてきたイザナギ・イザナミの子でヒルコ姫と呼ばれるシタテル姫、もう一人が、アマクニタマの子で「オクラ」なる別名を持つシタテル姫なのです。この二人は世代的に祖母と孫の関係程度は離れているので、両者は別人であろうとも考えられるのですが、そこで問題となったのはナギ・ナミの子という高貴な出である姫の名を、他所の家がその娘に名付けるのかという疑問なのです。

故に、投稿当時は「秀真伝に登場する二人の下照姫は同一人物ではないのか?」としながらも、これまで未解決の謎としていたのです。

さて、その後の考察で以下について分かってきました。

 アチスキタカヒコネ = アメワカヒコ = 猿田彦 = 火明命

つまり、これらは皆同一人物の別名ということです。

加えて、最近の記事「ムカツ姫とヒルコ姫」に書いたように、記紀において王位6代に亘ると描かれている登場人物たちが、多少の年齢差はあるとしても実は同時代に存命していた人々であるだろうということが分かってきました。つまり神話はこの時代の人物を別名を用いて意図的に世代を引き延ばして表記しているのです。この引き延ばされた時代を私は記号的に「F時代」と呼んでいます。

すると、先ほどの世代が異なる二人のシタテル姫の疑問は容易に解消することになります。つまり同一人物をわざわざ世代を分けて登場させているのであり、次なる疑問点は秀真伝は何故このような改竄ミスとも取れるような表記を残したのかという、編纂者の隠された意図なのです。

火明命は大国主を次ぐ王となることが予定されていた人物ですから、まさにF時代人でありますし、二王朝時代には瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、すなわち少彦名との並立王朝を立てたと秀真伝にあるので、その点でもまごうことなくF時代人なのです。

以上から、図1~図3までの表現の揺らぎを修正した意味は、おそらく次のようになるでしょう。

  火明命 === シタテル姫 (王と女王)

■アメノウズメとシタテル姫

さて、前段のような結論が導かれると当然次のような疑問が再び湧き上がってきます。何故ならば、火明命はアメノウズメ(別名:猿女君、玉依姫)と一緒になって王になったとするこれまでの結論とは異なるからです。

もちろん、アメノウズメはシタテル姫の別名ではないか?という考え方もあるのですが、今のところ、この別名説を支持する表記は見い出せていないのです。

ひとまず別名説を横において、前段の結論を説明しようとした時、以前からお伝えしているように、当時の王権継承は女系を通じて行われていたはずなので、側室として女王を二人置いたというのもまた考えにくく、あるとすれば

 女王を変えざるを得なかった

という事態が発生したというのが最も考えられるケースなのです。

実はその事態がどういうものであったのか、それについては過去記事で既に述べているのですが、お気付きになったでしょうか?それは

  豊玉姫(大国主の女王)と玉依姫(火明命の女王)が出自不明の
  彦火火出見(ひこほほでみ:別名八咫烏)一派に強奪され、王位継
  承権が奪われた

というものなのです。

王位継承権を有する女王が奪われた以上、王の地位に留まるには女王の家系の中から新たな女王を選び、その婿となるしかないのです。

この王権の分裂状況こそが、秀真伝が残している二王朝時代の真の姿であろうと私は考えます。そしてこの時から「ハタレの乱」という長く続く騒乱の時代に古代日本は突入することになったのでしょう。


管理人 日月土

ハヤアキツ姫は誰なのか

前回まで3回ほど、ヒルコ姫を取り上げてきました。

 ・ムカツ姫とヒルコ姫 
 ・ヒルコ姫と西宮 
 ・ヒルコ姫とワカヒルメ 

この中の考察で、伊弉諾(イザナミ)・伊弉冉(イザナミ)の子で葦の船に乗せて流された蛭子(ヒルコ)とは

  蛭子 = (ヒ姫、ヒルコ姫、ワカ姫、シタテル姫、ワカヒルメ)

と、いくつも名前を変えて神話に登場する、同一の女性を指すのではないかとの結論を得ました。

記紀には多くの神名が登場しますが、その内幾つかは、モデルとなった同一人物を別名で呼び表し、異なるキャラクターとして神話を展開させていることがこれまでの分析で段々分かってきました。

大分煩雑になってきたので、どこかで別名一覧表を作らないと、私も混乱してきそうです。

■ヒルコ姫とハヤアキツ姫

さて、前々回の記事「ヒルコ姫と西宮」では、秀真伝(ほつまつたえ)の研究家、池田満さんの次の解説を引用しました。

 七代アマカミの父イサナギ・母イサナミの長女として
 ツクバ(現、茨城県筑波市筑波)にてうまれるが、父40
 才・母31才(「ミカサフミ」では父42・母33才)のアメ
 ノフシ(厄年)に当たったため捨て子にされた。拾い親の
 カナサキによって、ニシノミヤ(兵庫県西宮市)のヒロタ
 (広田神社及び浜南宮=現在の西宮神社)で養育された。

 (池田満著 ホツマ辞典「ワカヒメ」から)

このヒルコ姫の養父と言われている「カナサキ」という人物ですが、池田氏の解説だと、アマテラス(天照:男性王)の重鎮で、またの名を「スミヨシ」、すなわち現在の漢字表記で「住吉」とも呼ばれていたとあります。

造船技術に長けた人物ということなのですが、そう言えば住吉神社の御祭神が「底筒男命・中筒男命・表筒男命のいわゆる「住吉三神」で、過去記事「鹿と方舟信仰」にて伝えしたように、これが擬人的表現として

 三層構造の方舟

を指しているのではないかと指摘したことがありますが、これが造船の達人たる人物の代表的な作品を神として祀っているとすれば、妙に合点が行くのです。

画像1:国内最古の住吉神社と言われる福岡県那珂市の現人神社(あらひとじんじゃ)
こちらにはたいへんお世話になりました。

このカナサキ、もとい住吉という古代人、およびその人物と方舟の関係についてはまた取り上げたいと思いますが、今回はヒルコ姫に関して気になる点をご紹介します。

秀真伝には次のような記述があります。

 サノウチメ カナサキガメノ
 ハヤアキツ アキコハシホノ
 ヤヲアイコ ツノスキウチハ
 ムナカタカ オリハタオサコ

(池田満著「記紀原書 ヲシテ 上巻」から 秀真伝 6-27 )

原文はたいへん難解なので池田氏の解説に頼ると、カナサキにはハヤアキツ姫という娘が居り、後に天照(男性王)の側室に入り、皇后の一人として非常に重要なポジションに就いたとあります。

秀真伝では、カナサキに預けられ後に宮中に戻されたヒルコ姫とは別人として描かれていますが、ハヤアキツ姫とヒルコ姫の二人の関係は特に描写されてはいないようです。

秀真伝に見る二人の成長後の経歴は、簡略して書くと次のようになります。

 ヒルコ姫  :天照の姉。里子に出されるも、後に天照の妹として宮中に復帰
        オモヒカネの妻となる
 ハヤアキツ姫:天照の側室として宮中に入る
        アマツヒコネを産む

このように、全く違う人生を歩んだように見える二人なのですが、どちらも宮中において非常に天照(男性王)に近いポジションであることが伺えるのです。

そして、記紀における両者の記述は大体次のようになり

 ヒルコ姫  :葦船で流された蛭子
        機織りの杼(ひ)で命を落としたワカヒルメ
        アジスキタカヒコネの関係者として登場するシタテルヒメ
 ハヤアキツ姫:速秋津日命 – 水門の神達の総称(書紀)
        速秋津比売神 – 水戸の神の妻神(古事記)

秀真伝とは異なり、いくら神話中の神とされているとはいえ、どこか扱いがぞんざいなのも共通していると言えます。

■何故「秋」の字が当てられたのか

現在私たちが目にすることのできる記紀は、歴史的に漢字が後から当てられているのはもはや疑いないかと思いますが、何故「アキツ」に「秋津」が当てられたのか、特に「秋」の文字が選ばれたのが気になります。

その前に、池田氏によると、秀真伝における「アキツ」とは、伊弉諾・伊弉冉による国の再興という偉業に対しての尊称であり、そのような意味の名が与えられるハヤアキツ姫とは到底普通の姫ではないことが分かります。

「秋」は甲骨文字や篆書(てんしょ)などの表意解釈から、収穫の季節に「”穂”についた”虫”を”火”で追い払う」と読め、後に”虫”を表す字体が脱落し、”穂”と”火”を表す「秋」となったとされています。

アキツに漢字を当てる時、当時(おそらく平安時代前後)の人々はどのような意図をもってこの字を選んだのか?そう考えた時、”穂の実り”を表す「禾」(のぎ)はもちろんですが、「火」の字の語義を非常に重視したのではないかと考えられるのです。

このハヤアキツ姫、記紀では「水門の神」または水戸の神」と「水」に関係する神と表現されていますが、これは逆にその反意、すなわち「火」を強調している、あるいは呪い文字として「火」の持つ意味を相殺しているのではと見られるのです。

記紀の表現を呪い文字と見た場合、ハヤアキツ姫は本来「火」を象徴する姫であったはずであり、それは「火姫」であり、これまで展開してきたロジックから

 ハヤアキツ姫 → 火姫=ヒ姫 → ヒルコ姫

なる結論が導かれるのです。すなわち

 ハヤアキツ姫はヒルコ姫である

と。

もしかしたら、ヒルコ姫とハヤアキツ姫が同じカナサキの下に居たという表現は、二人が同一人物であることを示す、秀真伝なりの暗号表現なのかもしれません。

秀真伝には二人のことがある程度詳細に書かれているのに、いささか強引な結論なのではないかと思われますが、以前にもお伝えしたように、秀真伝の編纂時には既に国史改竄のアウトラインが定まっており、それは、大国主や玉依姫などの同世代人が、まるで別世代人のように系図に組み込まれている点からも窺えます。

おそらく秀真伝が描いたような人間史では齟齬が生じるため、この複雑なF時代をまるっと神話化、ファンタジー化した、それが記紀なのではないかと思うのです。そして、できれば正史にその名を残したくない人物、それがヒルコ姫、もといハヤアキツ姫であったと考えられるのです。

画像2:猫山田根子
©おしおしお・講談社/
日野南高校シカ部
このキャラの古代史モデル、
もうお分かりになったでしょう


管理人 日月土

ヒルコ姫とワカヒルメ

前回の「ヒルコ姫と西宮」では次の点について触れました。

 ・記紀における蛭子(ひるこ)は秀真伝ではヒルコ姫とされている

その秀真伝の記述では、ヒルコ姫は次のように書かれています。

 ・イザナギ/イザナミの子、天照(男性)の姉
 ・ヒルコ姫はヒロタ(現西宮市の廣田神社か?)に預けられた
 ・ヒルコ姫の別名はワカヒメ、またはシタテルヒメ(下照姫)

西宮神社の主祭神が蛭子大神(えびすおおかみ)であり、読み方は違うものの、同じ「蛭子」の字を当てている点から、秀真伝の記述も単なる異伝として簡単に無視できないと感じます。

画像1:一般的な蛭子(えびす)のイメージ

秀真伝では、天照大神は男性王アマテラスですし、ヒルコ姫も葦船に乗せられて流された訳でもありません。

むしろ、記紀においてまるで忌み嫌われるかのような扱いを受けている「ヒルコ姫」に、日本古代史における何か特別な意味があるのを感じてならないのです。

■ワカヒメとワカヒルメ

記紀においては、同じ人物を別名を用いてまるで別人のように記述する例を何度も見てきました。例えば、豊玉姫(とよたまひめ)を栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)や宗像三女神の一人である湍津姫(たぎつひめ)などと言い換えている例です。

こうすることで、どうやら私がF時代と呼んでいるイザナギ/イザナギ及び天照と同時代の人物たちを、意図的に世代が遠く離れた人物のように描いているようなのです。

そう考えると、葦船に乗って流されたとされる蛭子(ひるこ)も、記紀の中で別の名前で登場している可能性が考えられます。

日本書紀の神代をざっと眺めてみて、私がおそらく別名による置き換えに該当するだろうと思ったのは次の部分です。

 時に素戔嗚尊、春に重播種子(しきまき)し、秋は天斑
 駒(あめのぶちこま)を放ちて、田(みた)の中に伏す。
 復(また)天照大神の新嘗(にいなへきこ)しめす時を見
 て、則(すなわ)ち陰(ひそか)に新宮(にひなへのみや)
 に糞放(くそま)る。又天照大神の方(みざかり)に神衣
 (かむみそ)を織りつつ、斎服殿(いみはたどの)に居(ま)
 しますを見て、則ち天斑駒を剥(さかはぎには)ぎて、
 殿(おほとの)の甍(いらか)を穿(うが)ちて投げ納(い)
 る。是(こ)の時に、天照大神、驚動(おどろ)きたまひ
 て、梭(かび)を以て身を傷ましむ。此に由りて、発慍
 (いか)りまして、乃(すなは)ち天石窟(あめのいはや)
 に入りまして、磐戸(いはと)を閉(さ)して幽(こも)り
 居(ま)しぬ。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上

これは素戔嗚(すさのお)が高天原に登って大暴れしたシーンですが、機織り場の天井に穴を空け、そこから皮を剥いだ馬を投げ入れたというのですから、これに天照(女神)は立腹して岩戸の中に閉じこもり、太陽は隠れ世界はしばらく闇に包まれたという、日本神話の中でもよく知られた重要な場面です。

以上はあくまでも書紀本文からの抜粋であり、問題なのはそれに続く次の一書(あるふみ)の一説なのです。

 一書に日はく、是の後に、稚日女尊(わかひるめのみこ
 と)、斎服殿(いたはたどの)に坐(ま)しまして、神之御
 服(かむみそ)織りたまふ。素戔嗚尊見(みそなは)して、
 則ち斑駒(ぶちこま)を逆剥(さかはぎには)ぎて、殿(み
 あらか)の内に投げ入る。稚日女尊、乃ち驚きたまひて、
 機(はたもの)より堕ちて、持たる梭(かび)を以て体(み)
 を傷(やぶ)らしめて、神退(かむさ)りましぬ。故(かれ)、
 天照大神、素戔嗚尊に謂(かた)りて日はく、「汝(いま
 し)猶黒(なほきたな)き心有り。汝と相見じ」とのたま
 ひて、乃ち天石窟(あまのいはや)に入りまして、磐戸を
 閉著(さ)しつ。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上

ここでは、本文とは多少異なり稚日女(わかひるめ)という女性が被害に会い、この素戔嗚の暴挙によって結果的に命を失うことになります。

この稚日女なる女性、この一書において藪から棒に登場するのですが、岩波文庫の解説ではこの女性について

 ここの稚日女尊は天照大神のようでもあり、そうでないよ
 うにも見える

とあるのです。

結局、この短い記述からだけでは判断が付かないとしており、この女性が死亡したことで天照大神が怒ったとあるので、天照大神その人を指すという解釈は当たらないと私は思います。

ここで少し文字をいじってみると

 ワカヒルメ→ ワカヒメ + ル

となるのですが、ワカヒメとはヒルコ姫の別名であるのは既にお伝えした通りです。文字の重複部から考えると、ワカヒルメとはワカヒメ、すなわちヒルコ姫を指している可能性が高いと私は考えます。

そして、「ル」の字なのですが、記紀における有名人の「ヤマトタケル」は、古い記述では「ヤマトタケ」であると、秀真伝の研究者である池田満氏は指摘しているのですが、どうやらそれほど古くない時期に、記紀では意図的に人名に「ル」の字を付け加えているようなのです。

私はこれを言霊(ことだま)を用いた一種の「呪い」の手法ではないかと見ているのですが、それはヤマトタケ「ル」は神に抗い病身となり死亡、そしてワカヒ「ル」メは上述の通り死亡と、その生い立ちにも暗い影が見られるのです。

画像2:神戸市の生田神社
主祭神は稚日女尊。蛭子大神を祀る西宮神社は隣接する西宮市内にある

■ヒルコ姫とヒ姫

前回の記事では、秀真伝、正確にはミカサフミの原文から次のようなカナ音訳を抜粋し引用しました。

  ネコエナル ノチニヒヒメオ
  ウムトキニ ヒルナレヴナモ
  ヒルコヒメ トシオコユレワ
 
  子声鳴る  後裔のヒ姫を
  産む時に  昼なればなも
  ヒルコ姫  (その)年を超えれば

池田さんは「昼に生まれたからヒルコ姫と名付けられた」と解釈されていますが、「なも」は推量を表す言い回しなので、正確には「昼に生まれたからなのか?」と読むべきで、それはすなわち、この文の記述者もどうして「ヒルコ」と名付けられたのかよく分かっていないことを表しています。

実はここには「ヒ姫」との呼称が既に使われており、これは「一姫(最初の姫)」とも読めますし、「(火/日/陽)姫」と読めなくもありません。これに呪い文字と思われる「ル」と、子声(ねこえ)の「子」を付加すると

 ヒ姫 → ヒ・ル・子姫 → ヒルコ姫

となり、秀真伝の編纂時にはヒルコ姫の史書における扱いが既に決定していたとも取れるのです。そうなるとわざわざ文中に「なも」を挟んだのは、歴史の真実に気付いて欲しいという同文編纂者による精一杯の暗号文だという可能性もあるのです。

* * *

今回はここまでとしますが、(真)ブログ「猫山田根子 – 今更の鹿の子アニメ」で提示した問の答えがお分かりになったでしょうか?


鹿ぬんぬん猫にゃあにゃあ狸は月夜にぽんぽこりん
管理人 日月土

ヒルコ姫と西宮

前回の記事「ムカツ姫とヒルコ姫」では、神話では六代に亘る家系の一員として記述されている登場人物(神話では当然「神」)が、実は、離れていてもせいぜいに二・三代程度の同世代人である可能性を述べました。

その世代を集合記号「F」で表したとき、 

 {
  伊弉諾(いざなぎ),
  伊弉冉(いざなみ),
  少彦名(すくなひこな),
  大国主(おおくにぬし),
  豊玉姫(とよたまひめ),
  玉依姫(たまよりひめ),
  木花開耶姫(このはなさくやひめ),
  天照大神(あまてらす),
  月読(つくよみ),
  素戔嗚(すさのお),
  火明(ほのあかり),
  彦火火出見(ひこほほでみ),
  鵜葺草葺不合(うがやふきあわせず),
  瀬織津姫(せおりつひめ)、
  下照姫(したてるひめ)    
} ∈ F

となることは前回お知らせしたとおりです。

このリストの最後に記述した下照姫は、秀真伝に別名ヒルコ姫とあり、おそらく記紀において葦船に乗せて流されたとされるヒルコ(蛭子、蛭児)を指すものだと思われます。

そのどこかに流されたはずの蛭子が、実は別の段では下照姫の名で登場しており、これらの別名を利用した神話創作の作為は、秀真伝と比較することでしか気付けません。

下照姫は他に「ワカヒメ」とも呼ばれ、本ブログではとりあえず「ヒルコ姫」に統一した上で、この人物について少し深く考察していきます。

■秀真伝に記述されたヒルコ姫伝承

さて、ヒルコ姫が秀真伝にはどのように記述されているのか、まずは原文を見てみましょう。

  ヲシユナリ マサニキクベシ
  フタカミノ アノアワウタニ
  クニオウミ ワノアワウタニ
  ネコエナル ノチニヒヒメオ
  ウムトキニ ヒルナレヴナモ
  ヒルコヒメ トシオコユレワ
  タラチネノ ヨソフミソミノ
  ヲヱスマモ メワタヲクラニ
  アタラシト スツオカナザキ
  オモエラク コノハヤカレノ
  イタミオモ チオヱシナズカ
  ワスレクサ ヒラウヒロタノ
  ・・・

(池田満校訂 ミカサフミ 55-56)

実際はヲシテ文字で書かれているのですが、簡単のため現代カタカナに書き換えています。一部表記が間違っているかもしれませんがご容赦ください。

このヒルコ姫について、秀真伝の研究家である池田満氏は、「ホツマ辞典」の中で次のように解説しています。

 八代アマカミ・アマテルの実姉のヒメのイミナ(実名)
 をヒルコという。

 昼に生まれたからヒルコと名付けられた。父母イサナギ・
 イサナミがアメノフシ(厄年)であった。ため捨て子に
 され、後年に父母の許に戻ったため、アマテルカミの妹
 とされた。ヒルコの通称はワカヒメ、またシタテルヒメ
 とも呼ばれる。

 未熟児として流産したヒョルコは別人物。

(池田満著 ホツマ辞典「ヒルコ」から)

「昼(ひる)に生まれたからヒルコ姫、厄日に生まれたから捨てられた・・・」今とは風習が異なる大昔のことですから、この説明で何となく辻褄は合ってるようにも思えます。

ホツマ辞典の「ワカヒメ」の項にも解説があるのでそれも引用してみます。

 七代アマカミの父イサナギ・母イサナミの長女として
 ツクバ(現、茨城県筑波市筑波)にてうまれるが、父40
 才・母31才(「ミカサフミ」では父42・母33才)のアメ
 ノフシ(厄年)に当たったため捨て子にされた。拾い親の
 カナサキによって、ニシノミヤ(兵庫県西宮市)のヒロタ
 (広田神社及び浜南宮=現在の西宮神社)で養育された。

(池田満著 ホツマ辞典「ワカヒメ」から)

ここでヒルコ姫(=ワカ姫)に関して新たな情報が加えられます。それが茨城県の筑波、そして兵庫県の西宮と広田神社、そしてヒルコ姫の里親となるカナサキなる人物の存在となります。

これらの情報については、上述の原文内に「ヒルコヒメ」、「カナザキ」、「ヒロタ」とありますので、それらのワードを見つけ出してみてください。

池田氏による解釈が絶対に正しいとは言いませんが、記紀では正体不明のヒルコなる人物が、秀真伝の世界ではかなりの具体性を以て記述されているのは注目に値します。

■西宮と西宮神社

西宮市(にしのみやし)は神戸と大阪の間にある、文教住宅都市として名が知られています。私が大学生の時もクラスメートに同市出身の女性が居り、知的かつ上品、そして笑顔を絶やさない穏やかな方で、周囲の男子にとってちょっと憧れの人でした。

そんな情報はどうでもよいとして、多くの方が「西宮」と聞くとどうしても兵庫県のその地を連想してしまうと思いますし、西宮神社と来れば当然ながら阪神電車西宮駅近くの西宮神社を思い浮かべるはずです。

画像1:西宮神社(兵庫県西宮市)

その西宮神社、御祭神とされているのが

 蛭児大神(えびす大神)

であり、蛭児(えびす)が蛭児(ひるこ)と読めるのは先に述べたとおりです。

えびす様といえば、一般的に竿と魚の鯛を抱えた男神で漁業の神様、また、七福神の一柱というイメージが強いはずです。しかし、これをヒルコ姫と捉えるとそのイメージは性別を含め大きく変わるのです。

同神社の由緒には、お宮の起源について次のように書かれています。

 神戸・和田岬の沖より出現された御神像を西宮・鳴尾の
 漁師が救い上げ自宅でお祀りしていましたが、御神託に
 より西の宮地(西宮)にお遷し祀られた

(西宮神社公式ページ) 

この辺の話は、「ヒルコ(えびす)」という名以外、秀真伝の記述から池田氏が読み解いたものと全く重ならないのですが、この違いはいったいどのように解釈すればよいのでしょうか?

■関東の西宮

そして、読者の皆様はその「西宮」なる神社が関東にもあるのをご存知でしょうか?実は、その「西宮神社」が千葉県銚子市の太平洋に突き出た岬の突端にもあるのです。

画像2:西宮神社(千葉県銚子市)

一般にはあまり知られていない銚子西宮神社ですが、スピリチュアル系の研究者の中には、「関東における最も重要な神社の一つ」と捉えている方もいると聞いています。私も、そちら系の方からこの神社の存在について聞かされました。

そして、本ブログ読者ならばご存知のように、銚子市を含む千葉県東総地域にはF時代の人物に関わる神社が多く見られるのはお伝えしている通りです。これまでご紹介してきた中から抜き出すと

 玉埼神社(旭市)   → 玉依姫
 豊玉姫神社(香取市) → 豊玉姫
 猿田神社(銚子市)  → 火明, 豊玉姫、玉依姫

となり、ヒルコ姫もF時代の人物であることが分かっていますので、銚子西宮神社がヒルコ姫と縁のある神社だとすると、千葉県東総地域にまたもやF時代の人物の足跡がみられることになるのです。

そもそも、関東最東端に「西宮」という名前も変なのですが、これはいったい何を意味しているのか、宗像三女神の考察から始まった追及は、神話に隠された新たな姫への探求へと繋がってきました。

画像3:二つの西宮神社と位置関係
二つの宮は何を見ているのか?


管理人 日月土

ムカツ姫とヒルコ姫

話が大分複雑になってきたので、これまで数回のシリーズで登場した人物をここで再確認してみます。くどくなって申し訳ありませんが、本ブログでは

 日本神話は史実を婉曲化したもの

という認識で分析していますので、今後は全て「登場人物」という表現で統一したいと思います。

これまでの関連記事の流れは、前年末のまとめ記事「書き換えられた皇統史 – 令和七年のまとめ」に掲載順に列記していますので、よろしかったらそちらも確認頂きたくお願いします。

前回の「少彦名と淡島」でも述べたように、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)、そして少彦名(すくなひこな)は同時代人であることが窺えるので、この時代を記号的に「F」(FloodのF)で表し、数学の集合記号∈(属する) を用いれば次の様に表現できるかと思います。

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名) ∈ F

少彦名は大国主の協力者ということですから

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主) ∈ F

となります。大国主の后(きさき)は隠津島姫(おきつしまひめ)、またの名が豊玉姫(とよたまひめ)、あるいは宗像三女神の一人湍津姫(たぎつひめ)であることも分かっていますから、この女神に加え田心姫(たごりひめ)と市杵島姫命(いちきしまひめ姫も同時代人ということになります。

また、この三女神は豊玉姫・玉依姫(たまよりひめ)・木花開耶姫(このはなさくやひめ)の別名でもありますから、同時代の登場人物は次のようになるでしょう。

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,
  玉依姫,木花開耶姫) ∈ F

さて、伊弉諾・伊弉冉と言えば、記紀神話では次の子を産んだとされています。

  天照大神,月読,素戔嗚

いわゆる三貴子なのですが、二人の子ということならば当然ながら同時代を生きた人物だと考えられます。よって集合記号は次のように表現できます。

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,玉依姫,木花開耶姫,
  天照大神,月読,素戔嗚) ∈ F

玉依姫は天鈿女(あめのうずめ)の別名で、天鈿女は猿田彦(さるたひこ)と呼ばれる火明(ほのあかり)の后であるだけでなく、後に鵜葺草葺不合(うがやふきあわせず)の后にもされています。同じように、豊玉姫も彦火火出見の后ともされています。これを同時代集合に加えると、次のようになります。

 (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,玉依姫,木花開耶姫,
 天照大神,月読,素戔嗚,火明,彦火火出見,鵜葺草葺不合) ∈ F

とりあえず、これまで扱ってきた人名は以上のようになります。以上の人物はそれぞれ年齢差はあるにせよ、どうやら全てこの困難な時代(おそらく大洪水)を経験した人々と認識してよいでしょう。

■世代間隔の再考

記紀だけでなく、秀真伝においてもこれらの人物は親子関係で結ばれているとされるので、それに従うと伊弉諾・伊弉冉から一番離れた鵜葺草葺不合と玉依姫のペアまでは、なんと六世代も隔絶していることになります。

当時が若年期における婚姻・出産が普通、なおかつ長寿であったとしても、さすがに六世代も隔世していれば、本当に同時代人だったのかは極めて怪しくなります。

画像1:記紀神話に語られる歴代王権の推移
これは本当なのか?

ならば、前段における同時代人の仮説自体が間違っているとも考えられますが、私はそうは思いません。むしろ

  史書の系図が捏造されている

のだろうと見ています。

この考えを具体化させる回答こそが、以前からお伝えしている「女系による王権継承」であり、誰(男性)であろうと、王位継承権を所持している女王を娶らない限り、例え王の実子であろうと次の王座に付けないというものです。つまり、必ずしも王の子が次の王に成り得ず、時には次代の王が先代より年齢がかなり上だということもあり得たはずなのです。

そして、この制度を可能にしていたのが、複数の王権継承女系家族の存在で、そこに在籍する何人もの女王候補の中から適任者が選ばれたのだと考えられます。複数存在するのは万が一女の子が生まれない家が出ても、王権が確実に継承されるようそのバックアップとなる仕組みが当然作られていたと考えられるからです。

そしてその女王選考方法とは、当時の価値観を鑑みるにほぼ間違いなく

  御神託

であったと考えられるのです。

「御神託で女王と王が決まるのか?」と歴史学者だけでなく多くの人が疑問に思うかもしれませんが、それは極めて現代的な思考であり、当時においては神事的手段こそが、王権を支える絶対的な判断基準であったと考えられるのです。特にこの日本(にほん)においてはです。

現在では天皇家であれ一般家庭であれ、親子による血の継承、特に男系長子で一家が繋がっていると考えるのが一般的ですし、それについては古代史を研究する学者でさえ露ほども疑いを持ちません。

どうしてそれが一般常識になってしまったのか?実はこの状況を生み出すことこそが史書における「系図捏造の大きな理由」であり、現代日本人(にほんじん)は千年以上かけてその改変された常識にどっぷりと染まってしまったことになります。

別の言い方をすれば、

  女系による日本国王権継承の事実を完全隠蔽

するのが狙いだったと考えられるのです。

■ムカツ姫とヒルコ姫

さて、先に挙げた集合図なのですが、実はまだ何人か重要人物が抜けています。その中の重要人物こそが、

  ムカツ姫

なのです。また、前回紹介したヒルコ姫もこれに加えなければなりません。

この二人の姫のことは記紀には書かれていないようですが、秀真伝ではしっかりとムカツ姫の地位が次のように記載されているのです。

  男性王天照(あまてらす)の后

であると。

私たちは日本神話の中で、日本の最高神は女神の天照大神だと教わっていますが、秀真伝では天照は男性であると明示されており、日本神道の重要な位置をなす神、そのモデルとなったであろう天照なる人物の性別が逆転されているのです。

ムカツ姫はまたの名を瀬織津姫(せおりつひめ)と呼び、この姫神は記紀には登場しないものの、祓祝詞にだけ名前が記されている神として知られています。

そしてヒルコ姫とは、前回お伝えした通り、記紀神話で葦船に乗せて流されてしまった蛭子(ひるこ)を指すと考えられます。別名は下照姫(したてるひめ)。

当然この二人もF時代の同時代人と考えられ、よって前述の集合表現は

  (伊弉諾,伊弉冉,少彦名,大国主,豊玉姫,玉依姫,木花開耶姫,
  天照大神,月読,素戔嗚,火明,彦火火出見,鵜葺草葺不合,
  瀬織津姫、下照姫) ∈ F

と書き加えられるのです。

おそらく史書改竄により系図が引き延ばされ、互いに離れた代の人物にされてしまったこれら同世代人たちが、いったいこの時代で何を見、どう生きてきたのか、記紀の暗号解読を進めることで、いよいよその事情が見えてくるかもしれません。


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