鹿の暗号と春日の姫

鹿児島県に実存する古代墳丘について考察を始め、ついに今回で4回目となってしまいまいそうです。

私もここまで長引くとは思わなかったのですが、アニメキャラのネーミングを初め色々と腑に落ちることが多く、この考察は鹿児島を離れ日本国内の関連個所に飛び火する勢いです。

 これまでの鹿児島関連記事:
  ・日本神話と鹿児島 
  ・日本神話と鹿児島(2) - 吾平山上陵 
  ・鹿児島と鹿の暗号 

■「鹿」が示すもの

前回の記事「鹿児島と鹿の暗号」では、鹿児島県に多い諏訪神社、その主祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が、建御雷神(たけみかづちのかみ)と格闘して負け、最終的に出雲の国譲りが成立すると言う下りが古事記に記述されているという話を、当該部分の原文読み下し文と共にお伝えしました。

また、この格闘を行った二柱の神に共通するのが

 建御名方神 → 御頭祭(鹿の頭を献上)
 武御雷神  → 別名鹿島神(かしまかみ)

と「鹿」の文字であることも述べています。

このように、話は「鹿」を共通点に鹿児島から長野の諏訪、そして茨城の鹿島へと飛ぶのですが、ここで「鹿」を引き合いに出す上で忘れてはならない存在があることに気付きました。

それは何かというと、

画像1:春日の杜(画像引用元:春日大社公式ページ) 

写真は、現地を訪ねたことのある方ならすぐにお分かりになったかもしれませんが、「鹿」の放し飼いで有名な奈良県の春日大社です。

私も何度かここを訪れたことはありますが、鹿せんべいを求める鹿さんたちの激しいアピールにたじたじとなったことを覚えています。

この春日大社の御祭神については、公式ページには次の様に書かれています。

神山である御蓋山ミカサヤマ(春日山)の麓に、奈良時代の神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命により武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様、経津主命(フツヌシノミコト)様、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)様、比売神(ヒメガミ)様の御本殿が造営され御本社(大宮)として整備されました。現在、国家・国民の平和と繁栄を祈る祭が年間2200回以上斎行されています。

その中でも1200年以上続く3月13日の「春日祭」は、現在も宮中より天皇の御代理である勅使が参向され、国家・国民の安泰を祈る御祭文を奏上されます。さらに、上旬・中旬・下旬の語源に関わる宮中の「旬祭」、上巳・端午・七夕などの「節供祭」も平安時代に移され、今に至るまで斎行されています。

引用元:春日大社公式ページ 

もうお気付きのように、春日大社の祭神の筆頭に武甕槌命(=武御雷神)が含まれているのが分かります。

鹿が神様の乗り物として大切にされるのはこの国では珍しい事ではありませんが、ここ春日大社の鹿愛は、その飼育規模から見ても飛び抜けていると言えるでしょう。

この様に、ここで鹿が非常に大事にされる理由とは、果たして「神様の乗り物」という一言で済ませられるものなのでしょうか?何か「鹿」に対する特別な思いがあるようにも思われます。

そして、鹿島神の異名を持つ武御雷神と何か関係があるのでしょうか?

■春日の下がり藤

春日大社の神紋は下図のように「下がり藤」となります。

画像2:春日大社の下がり藤

この神紋と同じ柄を家紋として使われている家は多いのではないでしょうか。それもそのはずで、この紋は有名な「藤原氏」の家紋でもあるのです。

藤原氏の子孫はその後全国に広がり、佐藤・加藤・伊藤など、「藤」の字を当てた名前に変化していくのですが、それを聞いただけでも下がり藤を家紋とした家が多いだろうと想像が付くのです。

そして、藤原氏およびそのルーツである中臣氏(なかとみし)の氏神とされているのが「武御雷神」なのですから、春日大社が藤原氏と関係が深く、その氏神を祭神の筆頭に上げるのも当然と言えば当然のことなのかもしれません。

■春日の姫

実は春日と鹿、そして下がり藤の神紋との関係に気付いたのは、先日、京都府の木津川へと調査に向かったことがきっかけだったのです。

画像3:綺原座健伊那太比売神社(画像引用元:神社巡遊録

上の画像の神社は、木津川市内にある神社で「かんばらにますたていなだひめ」と呼ばれているようです。

この姫神様、記紀はもちろん秀真伝(ほつまつたえ)にも名前が出て来ません。それ故に、どのような神様か色々と憶測があるようなのですが、私が気になったのはこの神社の神紋なのです

画像4:健伊那太比売神社の神紋:下がり藤

木津川は奈良県と接している土地ですし、春日大社の影響力が強かったであろうことは容易に想像が付きます。実際に近くには「春日神社」も幾つか点在しているのです。

ここで、春日の神紋と聞き知れぬ姫神の名の関係性が気にならないはずがありません。そうやって考えていると、この姫神の名「健伊那太比売」と春日大社の筆頭祭神「武御雷」の間に共通点が見られる事に気付きました。

まず「健伊那太比売」の「健」の字は「タケ」と読めること。そして「武」は「タケ」と読みます。

古事記の記述で武御雷の格闘相手となった「建御名方」の「建」はやはり「タケ」ですから、この3者は

 「タケ」と「鹿」で共通している

と考えられるのです。

前からお伝えしているように、私は史書に書かれた神話は実在人のデフォルメされた記録と見ていますので、この3者は

 同じ血族、家系の一員である

と考えられ、これら共通したキーワードは、史書編纂者が史実の記録に挿入した暗号だと解釈するのです。

ここから先は、メルマガで既にお知らせしている内容と重複しますが、この「タケ」の暗号には次の様に更に解釈を進めることが可能でしょう。

古代期の発音は母音が弱いと考えられるので、表記を次のように変えてみます

 「タケ」→ 「TK」

子音「TK」で始まる一族でこれに該当するのは、おそらく

 タカミムスビ

であると考えられるのです。

記紀にはそのような記述は見当たりませんが、秀真伝には

 アマカミ、オオモノヌシ、タカミムスビ

の3皇統が古代日本に並立したとあり、その中のタカミムスビ皇統は武御雷(カシマカミ)の代で系図から忽然と消えてしまっているのです。むしろ、出雲と称されるオオモノヌシ皇統はその後の代も何代か続いているのです。

ここから次の様な推論が成り立つはずです。

古事記における「建御名方神と武御雷神の格闘」、これが意味しているのは出雲の国譲りではなく、実際は

 タカミムスビの国譲り

であった。

それを、あたかも出雲の国譲りのように記述したのは、タカミムスビ皇統の存在そのものをこの国の歴史から消し去ろうとした後の為政者の作意によるものではなかったのか?

また、二柱の神の格闘とは、武御雷神が建御名方神にすり替えられたことを示唆する史書編纂者が示した暗合、すなわち

 武御雷神と建御名方神は同一神(人物)である

ことを意味しているのではないでしょうか?

「健」がタカミムスビ王統を意味するならば、健伊那太比売とはタカミムスビ王統の血統を支えた少女神の一人と考えられ、その少女神の中でよく名前が知られた姫とは、

 ククリヒメ(菊理媛)

であることが窺がい知れるのです。

そうすると前回の記事で得た「鹿目まどか」=「鹿島の玉依姫」という結論は

 タカミムスビ皇統の少女神、玉依姫

と置き換えることができますし、ここから玉依姫がククリヒメの血を受け継ぐ少女神の一人であることが分かるのです。


この宮の裏手に隠る姫神の立たれる時は今ぞ来にけり
管理人 日月土


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