黒霧123便関連記事ガイド
黒い霧ブログも開始から10年の年月が経とうとしてます。記事が数百稿にも増えてしまったので、123便事件に関するものを集めて整理した上で、新たに要約と小見出しを付け、お探しの記事が見つかり易いように しました。
なお、本件については 毎年新しいことが分かってきており、事件の捉え方も少しずつ変化してきています。 ここで付与した補足説明は、2019年時点のものであり、投稿が成された当時の見解と内容が大きく異なる場合がある点については予めご了承ください。また、この事件に関るだろう未確認の不特定集団を、表記上の理由から仮称及びコードネームとして「クロカモ」と呼称していましたが、これを正式名のごとく引用し、既存団体の誹謗・中傷に用いるなど、誤用の著しいサイトもあるので、 現在はこの呼び名の使用を止めています。
あれから長い時間が経過してます。一日も早く全貌が解明され、真実が国民の前に示されることを願って止みません。事の是非を問うのはそれからだというのが私の考えです。
あなたの口を開いて弁護せよ
ものを言えない人を
犠牲になっている人の訴えを
(箴言 第31章8節 レムエルの言葉より)
2019年6月6日
日月土記す
(新)日本の黒い霧より
・123便に関するシリーズ記事
・123便に関する単独記事
・123便関連資料集
・記事一覧および乗客乗員検索へのリンク
・参考書籍(amazon)
※最終更新日 2024年08月19日
■123便に関するシリーズ記事
・圧力隔壁の嘘(1)~(2)
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事故調査書の記述について当時の見解を記しています。123便事件に関して出版された他書でも同様に、常識的かつ科学的に考えて圧力隔壁の損傷が事故原因だとは考え難いと結論付けるものが多いようです。
・自衛隊説を斬る(1)~(4)
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123便事件に関する陰謀論的解釈のほとんどは、自衛隊の無人標的機激突による機体損傷あるいはミサイル誤射、そしてその隠蔽とするものばかりです。そのような解釈は標的機やミサイルに関する基本知識、当時の訓練環境への理解、それらが欠落しているために生じるものです。自衛隊の問題とは、むしろ123便の遭難から発見までに異常に時間がかかったこと、そして発見後の行動にあると言えます。
・気になる怪説(1)~(3)
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自衛隊撃墜説以外の諸説について言及します。様々な状況証拠から、私も当初は米軍撃墜説に傾いていました。果たして、これらの記事を投稿した後に、123便の遭難現場である御巣鷹の尾根にて、米軍ステルス攻撃機F117の機体破片が発見されるのです。しかし、軍機の破片はF117だけに留まらず、単純な米軍撃墜説では状況を説明できないことを思い知らされます。
・闇夜に蠢くもの(1)~(8)
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墜落原因についてはひとまず置き、ここでは、事件当夜に123便の遭難現場で何が起きていたのかを考察します。たまたま、直に現場を目撃したというM氏(匿名)と出会い、当夜そこで何が行われていたのか細部に至る克明な証言を得ることができました。驚くことに、生存者は多数存在していたのです。翌朝まで遭難地点が特定できなかった不自然さを含め、M氏の証言を検証します。
また、当事者側と目される米軍サイドから出された「アントヌッチ証言」を私は全く信用していないのですが、参考までに、その全文を掲載し疑問点を列記します。
・そしてミサイルは発射された(1)~(17)
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私が123便事件を調べ始めるきっかけになったのは、謎の円筒形物体が突き刺さった1枚のジェットエンジンの写真からです。そこから、事件とミサイルとの関係を調べ始めたところ、実際に現場から多数のミサイル部品が出てきたのです。もちろん、ミサイル部品の発見から、直ぐにミサイルによる撃墜であるとは断定できません。なぜなら、空対空ミサイルにジャンボジェットのような大型機を直接撃墜する能力はないからです。
それよりも、ジャンボジェット以外の航空機の破片が多数見つかっています。それがいったい何を意味するのか、そして、その日そこで何が起きたのか、具体的なことは今でも謎のままです。
- (1) 2009-10-23 ミサイルでジャンボジェットは落とせない
- (2) 2009-10-26 エンジンにめり込んだ円筒形の物体
- (3) 2009-10-31 現場で見つかったミサイル部品
- (4) 2009-11-10 ミサイル攻撃に耐えた大韓航空機の例
- (5) 2009-11-11 オレンジ色の破片と米軍RC-130の着陸装置破片
- (6) 2009-11-19 遭難現場に制服で現れた米国軍人
- (7) 2009-11-25 ボイスレコーダーの公表経緯は話が出来過ぎ
- (8) 2009-12-02 現場回収ミサイル部品の詳細な検証
- (9) 2009-12-09 米軍ミサイル攻撃システム「ファルコン」か?
- (10) 2010-02-11 報道写真に写ったジャンボ機以外のエンジン
- (11) 2010-03-03 黒い戦闘機の正体と米軍RC-135電子作戦機
- (12) 2010-03-06 散乱しているのは核ミサイルの断片なのか?
- (13) 2010-04-27 現場に現れ撃墜された米国政府のU-2偵察機
- (14) 2010-04-30 現場に残るソ連製装甲板と自衛隊との関係
- (15) 2011-01-06 123便の主翼は後から運ばれたのだろうか?
- (16) 2011-07-29 F5軽戦闘機の水平尾翼破片から分かること
- (17) 2011-08-22 米国防空宇宙軍(NORAD)飛来の可能性について
・熊谷売国隊情報(1)~(2)
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この時期、調査の度に埼玉県の熊谷ナンバーの集団に追跡され、嫌がらせや調査の妨害を受けていました。S氏の観察により、彼らの一部が航空自衛隊熊谷基地を出入りしていることを突き止めます。そこで、国際軍事評論家のB氏に航空自衛隊熊谷基地について尋ねたところ、驚くような答えが返ってきました。同基地要員からの監視は、現在も主に空から続いています。
・蘇る亡霊(1)~(24)
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123便事件の調査では、集団で付きまとわれたり、時に危険な目に会うことが当たり前でした。それは自宅や遭難現場だけに限りません。全国に人員を展開できるその規模と監視技術、そしてその資金力や統制力などを考えると、それはもう一つの国家機関とすら言えます。そんな彼らを戦前日本を支配していた軍国主義者の「亡霊」と例えたのですが、もしかしたら、私達が見ている社会そのものが彼らに宛がわれた鳥かごの中の空間なのかもしれません。
様々な体験を元に、「亡霊」の正体とは何かを123便事件と関連付けて考察しています。その中で、日本の見えざる核開発は、本件から切り離せない問題としてこのシリーズ内でも取り扱っていますが、後に「憂うべき現状」シリーズへと引き継がれます。
- (1) 2010-01-12 糜爛性毒ガスの原料、BF4が現場に散乱
- (2) 2010-01-14 現場の発熱スポット-核物質が埋まってる?
- (3) 2010-01-20 軍事要塞化された東京電力神流川発電所
- (4) 2010-01-28 熊谷基地観察レポート、疑われる日立の関与
- (5) 2010-02-07 現場で採取した軍用毒ガス瓶を公開
- (6) 2010-02-09 冬の御巣鷹で特殊銃を持った男に遭遇
- (7) 2010-02-25 東海道新幹線内でニセ車掌に毒ガスを撒かれた
- (8) 2010-03-01 上越新幹線内で強い電磁波を照射された
- (9) 2010-11-16 協力者宅上空に現れた軍用ヘリ大編隊の意味
- (10) 2010-12-08 軍用ヘリ大編隊の暗号解読結果-新しい世界
- (11) 2011-03-02 軍用ヘリ大編隊の暗号解読結果-昭和天皇の死
- (12) 2011-06-28 123便事件の黒幕について考察する
- (13) 2011-07-05 習志野駐屯地前で熱線兵器でタイヤを狙われたM氏
- (14) 2011-10-04 付きまとう自動車と尾行者、高精度追跡技術の実際
- (15) 2011-11-02 日本の核開発と元日航職員が証言する積荷
- (16) 2011-12-20 携帯中継局はテクノロジー犯罪のインフラなのか?
- (17) 2012-07-14 海外記事が指摘する、日本の「核の平和利用は嘘」
- (18) 2013-07-17 海外記事が指摘する、戦後日本の核産業
- (19) 2013-03-26 テクノロジー犯罪の首謀者・組織網の考察
- (20) 2018-04-13 石油と日本-日本は産油国なのかもしれない
- (21) 2021-06-08 人がリモート操作される時代
- (22) 2021-06-19 この世を動かす姿なき亡霊の群れ
- (23) 2024-05-26 旧軍ネットワーク最後のチャンス
- (24) 2024-08-04 墓場まで持って行ったのは誰か
・折れなかった垂直尾翼(1)~(8)、番外編
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123便事件を振り返るとき、必ず引き合いに出されるのが、フライトレコーダー(CFR)とボイスレコーダー(CVR)の記録です。このシリーズでは、そんなものが全く当てにならないことを、物証と現場検証で証明します。その隠蔽工作の中で捏造されたのが垂直尾翼破壊説なのですが、これには日航だけでなく、海上自衛隊や海上保安庁、学会等が加わり、証拠偽装までして同説の正当性を取り繕おうとしました。
垂直尾翼が最後まで残っていたことは、これらの記事を書いた後、上野村のキャンプ場で123便を目撃したという方から証言を得ています。当地に集まっていたキャンパー達は、低空を飛び去る123便の垂直尾翼を見て、「鶴丸だ、日航だ」と無邪気に騒いでいたと言います。捏造されたCFR/CVRや事故調査報告書から離れない限り、123便事件の真相には生涯迫れないことをご理解ください。
- (1) 2010-02-23 123便は高度700Mの低空を東に向かっていた
- (2) 2010-05-09 123便の伊豆半島沖の飛行ルートを解析した
- (3) 2010-10-13 垂直尾翼は折れていなかった!
- (番外) 2012-05-09 竜巻の3倍の風速が吹き抜けた?御用学者の嘘
- (4) 2012-08-31 海上保安庁が加担した垂直尾翼破壊の嘘
- (5) 2019-12-14 伊豆沖の低空飛行が専門家に否定される理由
- (6) 2019-12-21 四国の山中でジャンボジェットを見た!?
- (7) 2020-07-04 ジャンボジェットは翼だけで飛んでいなかった
- (8) 2024-08-19 垂直尾翼偽装に騙され続けてきた国民
・神々の落涙(1)~(7)
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この活動をやっててよく質問されるのは「そんな大事が本当にあるなら誰かが気付くでしょ?」というものです。その発言は、私が気づいた1人であるとは認めていないことを意味します。結局、人の心はメディアに載ったかどうか、権威ある専門家が裏付けたかどうかを判断基準としており、自ら思考することを避けています。その心理こそが、30年以上も123便事件を隠し続けてこられた土壌となっていることに、まず気付かないといけません。
123便遭難現場周辺の町村は福島以前から放射能汚染されており、それは数値となって現われています。その原因はやはり123便事件であると想定されますが、その地域では大型ダムプロジェクトによって、見た目の経済状況は良くなっているように見えます。この様を見た神々はどう思われるのでしょうか?人の心理、特にメディアによる大衆心理操作については「123便事件と芸能界の闇」シリーズへと引き継がれます。
・見えざる人々と神の鉄槌(1)~(5)
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123便事件の調査を続ける中で、数々の不思議な体験をしてきました。私は元々信仰者(クリスチャン)なので、それを神や霊の働きと捉えることに抵抗は無いのですが、単なる勘違いという事もあるので、それをわざわざ記事中に言及することは極力避けてきました。しかし、調査を妨害してくる側にも、何らかの信仰的挙動が見え隠れするため(個人的には悪魔崇拝と見ています)、いずれは神の領域に踏み込んで、彼らの正体や事件の全貌を捉える必要があると考えていました。
その書き始めがこのシリーズだったのですが、なかなか筆が進みません。そこで一旦仕切り直しをして、一般科学常識を超えると判断される内容については、2017年に新設したブログ「(真)日本の黒い霧」でお知らせすることにしました。
・2015年の慰霊(1)~(5)
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2015年の5月、仲間数名と静岡経由で、御巣鷹の尾根にある慰霊の園を慰霊に向かいました。その時の道中に遭遇したこと、見たものから、当時抱いた所感を記しています。記事にはありませんが、道中帰りの東名高速上で、自衛隊が隠し持つ富士学校の殺人部隊車両に取り囲まれ威圧を受けましたが、海外エージェント車両のフォローもあり、無事に帰還することができました。この場を借りてお礼申し上げます。
・123便事件と川内原発(1)~(7)、特別編
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残念ながら、このシリーズはテーマである123便事件と川内原発との関連性を未だ示しきれていません。まずは風水的な因果関係の読み方に慣れていただくため、少々回りくどく話を進めてきました。
そんなのは子供騙しと思われるかもしれませんが、少なくとも123便事件の首謀者とは気学や占星術などを真面目に扱っている集団であることが分かっています。その呪術的論理を追って行くと、川内原発がこの事件の要所であることが自ずと見えてくるのです。
このシリーズの呪術に関する部分については、(真)日本の黒い霧で再開を予定しています。
・123便事件と芸能界の闇(1)~(18)
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123便事件が計画犯罪であることが徐々に明らかになり、調査活動は新たな段階に入ります。それが、1980年代当時の芸能活動や社会事件とその報道による一般大衆への動機付け、意識付けです。これは拷問によらない洗脳工作とも言えるでしょう。まず、当時の風俗や流行がシナリオに沿ったヤラセであることを明らかにし、123便事件の首謀者たちが、当時の日本をどこへ誘導しようとしていたのかを洗い出します。
- (1) 2018-12-16 岡田有希子の123便
- (2) 2018-12-19 岡田有希子と「卒業」
- (3) 2019-01-31 「グリコ森永事件」というエンタメ
- (4) 2019-02-28 岡田有希子の「哀しい予感」(前半)
- (5) 2019-03-06 岡田有希子の「哀しい予感」(後半)
- (6) 2019-05-04 岡田有希子の「哀しい予感」(二度目の夏)
- (7) 2019-10-03 風に死の七日詩(風の谷のナウシカ)
- (8) 2020-02-14 DIAMOND PRINCESS
- (9) 2020-02-28 プリプリとプリンプリン物語
- (10) 2020-03-26 ドリフのゴー・ウェスト(死の国へ)
- (11) 2020-04-11 甘い記憶の終焉
- (12) 2021-07-09 八月に天皇は殺される
- (13) 2021-11-03 川崎の地名と共に現れた坂本九さん
- (14) 2021-12-02 007最新作が暗示する日本の終了
- (15) 2022-07-25 第2の123便計画が画策されている
- (16) 2022-08-11 映画に予告された123便事件
- (17) 2023-07-10 復活のバービー人形
- (18) 2023-08-11 ひとりぼっちのナツコ
■123便に関する単独記事
・8月12日に犠牲者を悼む(2009~2024年)
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事件から24年目の8月12日から、毎年この日に犠牲者追悼の一文を掲載させて頂いてます。毎年新しい事実が分かってきています。犠牲者のご遺族がご健在の内に、ぜひ真実に光が差し、皆様の無念のお気持ちが晴れることを願うばかりです。2015年の記事より、この事件が国家的な計画犯罪であると明言しました。
- 2009-08-12 あれから24年、改めて犠牲者を追悼する
- 2010-08-12 悲劇から25年そして講演会その後
- 2011-08-12 御巣鷹事変、26年目の夏に
- 2012-08-12 123から全てが変わった
- 2013-08-12 幻想から真実の世界へ
- 2014-08-12 事変を乗り越えて新しき世に
- 2015-08-12 あれから30年、真実が語られる時
- 2016-08-12 31年目の真実
- 2017-08-12 あれから32年、一の年へ
- 2018-08-12 事故とすませたい心
- 2019-08-12 34回目の夏-123便と昭和天皇
- 2020-08-12 35回目の夏-小片に刻まれた想い
- 2021-08-12 白い2羽の使者
- 2022-08-12 37回目の夏-失われたウェストサイドストーリー
- 2023-08-12 38回目の夏-計画は再び起こされる
- 2024-08-12 39回目の夏-123便事件の本質
・世界の終わりと123便事件
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2020年に新型コロナウィルスによる計画的なパンデミックが世界で一斉にスタートし、地上の全人口の多くが、内容物も効果も不明なワクチンを半強制的に接種するという、驚くべき事態が世界中で進行しています。
「グレート・リセット」の名の下に世界は大きく作り変えられようとしていますが、この計画自体は今に始まったことではなく古くから存在していたのです。このカルトじみた計画者たちは、ある時点で世界はリセットされるべきだと本気で考えており、いよいよ計画実行までのタイムリミットが目の前に迫ってきたのです。
これまでの分析から、1985年の123便事件も2011年の東日本大震災もその大きな計画の一環であり、そして、おそらく失敗例であったことが分かってきています。これからの世界の行く末に不安を覚える方は多いと思いますが、123便事件を検証し総括することで、この困難な状況を切り抜ける手段は必ず見つかるはずだと私は信じています。
・日産ゴーン氏の逃亡で始まった2020年の123便
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2020年の始まりは元日産会長で保釈中の身であったゴーン氏の国外逃亡という、驚くべき一報で明けました。この突拍子もない事件をよくよく辿って行くと、そこには知られざる国際ネットワークの存在が浮かび上がり、どうやらその繋がりは35年前の123便事件と無縁でないことが見えてきたのです。
その上、ゴーン氏の逃亡事件は単に過去を思い出させるものだけではなく、どうやら2020年の夏に計画されている大きな出来事と関係があるようなのです。その意味では、123便事件は未だに終わっていない、そう言えるのかもしれません。
・(真)日本の黒い霧から
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(真)日本の黒い霧では、映像出版作品、日常報道などの大衆メディアに埋め込まれた様々な記号を、特定機関による通信用暗号、洗脳や印象操作を目的とした呪術の一部として捉え、その意図を分析しています。その中でも特に123便事件に関るものをピックアップしました。
2019年の7月18日に起きた放火事件で35人の犠牲者を出した京都アニメーションが、30年も昔の123便事件に関するメッセージを込めた作品を制作していたことには驚きを禁じ得ません。京都から始まり123便遭難の日に終結宣言が出されたグリコ森永事件との関連がより明瞭に見えてきました。
・その他
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123便事件に絡み、単発で出した記事のリストです。この中で最も貴重な資料となるのは、2010年の1月に投稿した「小さな目は見た」です。上野村の子供達が事件当日何を見たのか、たどたどしい文章の中にも、瞳に映った情景がはっきりと刻まれているのが分かります。
■123便関連資料集
・日本政府公式事故調査報告書
報告書のリストを見る
昭和62年、橋本龍太郎運輸大臣の下でまとめられた日本政府公式の事故調査報告書を資料として掲載します(全てPDF)。付録の研究資料も含め、全てが圧力隔壁の破壊が前提で書かれており、この内容に対する疑問の声は専門家、航空業界内部からも上がっています。当然ながら当方調査チームが現場で回収したミサイル破片や123便以外の機体破片のことは一切記述されておらず、その信憑性は極めて低いと言えます。多くの国民の命を奪った案件です、政府は今すぐにでも再調査を行う責任があります。開かれた再調査であるならば、私はいつでも独自に収集した資料を携えて証言する用意があります。
以下、報告書のおおまかな目次です
・認定事実について p6-p63
・認定理由について p65-p121
・委員会が下した結論 p123-p125
・各種図表 p137-p174
・資料写真 p177-p241
- 航空機事故報告書 1/11 p1-p28 (5.5M)
- 航空機事故報告書 2/11 p29-p64 (4.4M)
- 航空機事故報告書 3/11 p65-p100 (5.6M)
- 航空機事故報告書 4/11 p101-p134 (5.1M)
- 航空機事故報告書 5/11 p137-168 (5.7M)
- 航空機事故報告書 6/11 p169-p191 (5.6M)
- 航空機事故報告書 7/11 p192-p212(5.5M)
- 航空機事故報告書 8/11 p213-p229 (5.6M)
- 航空機事故報告書 9/11 p230-p254 (5.2M)
- 航空機事故報告書 10/11 p255-p294 (4.0M)
- 航空機事故報告書 11/11 p295-p343 (5.2M)
- 航空機事故報告書-付録 pp213 (18.5M)
・岡田有希子さん母の手記
手記のリストを見る
当時トップアイドル歌手の一人であった岡田有希子さんは、123便事件の翌年、1986年4月8日に亡くなられています。岡田さんと同事件との深い繋がりについては「123便事件と芸能界の闇」シリーズで分析を試みていますが、そこから、事件のために芸能界・放送業界に利用された彼女の哀しい姿が見えてきました。飛び降りという衝撃的な死因から様々な憶測が流れましたが、死因巡る報道を含め、彼女がメディアによる大衆心理操作に利用されてきたのは間違いありません。
ここで、佐藤佳代さん(岡田さんの本名)の母の手記を掲載するのは、彼女が一人の若い女性として、純粋に芸能活動に憧れ、努力してきた姿を知って欲しいからです。そして、123便事件の犠牲者は乗客乗員とそのご家族だけでなく、こんな所にも居たことを皆さんに知って頂きたいからです。
・123便遭難現場で採集した軍機破片
ギャラリーを見る
2009年から2010年にかけて、現場の山林に入り調査を続けてきたS氏から次々と説明不能な破片が私の元へと運び込まれました。それが素人目にもジャンボジェット機の物でないことは明らかだったのです。たまたま軍事関係に明るい国際軍事評論家のB氏を個人的に知っていたので、その方の所へ現品、または写真を持ち込み、それが何であるか鑑定を依頼しました。そこで聞かされた内容は、当時の私にとってたいへん衝撃的なものでした。もっとも、鑑定した当のB氏ですら、なんでそんなものがそこにあるのか驚かれていたのです。
これらについては過去の記事で詳しく取り上げていますが、ここではそれらについてより鮮明な写真画像を、動画をも含めて公開したいと思います。基本的に2010年5月16日に江戸東京博物館で開催されたセミナーにて、会場ロビーに展示した物を中心に取り上げる予定です。
書籍やネット上では123便にまつわる様々な疑惑が取りざたされていますが、ここに掲載されているのは全て実物です。単なる推測や架空の話ではありません。123便が事故でなく事件もしくは事変に巻き込まれた明確な証拠でもあります。1985年8月12日、群馬奥地の山々でいったい何があったのか、この動かぬ証拠に基いて本件を解明しなければならないのです。