八咫烏の兄弟

前々回の記事「神武天皇と三嶋神」では、三嶋神から神武天皇へとどのように血筋が繋がるのか、伊豆半島の伊古奈姫神社に残る伝承、そして三宅島に残る三島八王子の伝承から実際の有様がどうであったのかを推測してみました。

その結果が以下の系図です。

画像1:三嶋神を巡る姻戚関係(人名付)

上図で「三嶋神」の隣に添えてある、彦火火出見(ひこほほでみ)、賀茂建角身(かものたけつぬみ)、八咫烏(やたがらす)は伝承毎に呼び名が異なりますが、いずれも同じ三嶋神を表す別称であると、これまでの考察から結論付けています。

この中で、彦火火出見については、日本書紀・古事記において正当な皇孫(すめみま)の継承者としてその名が記載されており、三嶋神について調べるには、記紀神話の中で彦火火出見がどのように描かれているかを詳細に見ていく必要があると考えられます。

そこでまずは、日本書紀が彦火火出見をどの様に記述しているのかを改めて見ることにします。

■彦火火出見の誕生とその兄弟

彦火火出見がどのように誕生したのか、その一節をまずは日本書紀の本文から引用してみます。

皇孫(すめみま)因りて幸(め)す。即ち一夜にして有娠(はら)みぬ.皇孫、未信之(いつはりならむとおもほ)して日(のたま)はく、

「復天神(またあまつかみ)と雖(いふと)も、何(いかに)ぞ能(よ)く一夜の間に、人をして有娠(はら)ませむや。汝が所懐(はら)めるは、必ず我が子に非じ」

とのたまふ。故(かれ)、鹿葦津姫(かしつひめ)、忿(いか)り恨みまつりて、乃(すなは)ち無戸室(うつむろ)を作りて、其の内(なか)に入り居(こも)りて、誓ひて日(い)はく、

「妾(やつこ)が所娠(はら)める、若し天孫の胤(みこ)に非ずは、必当(かなら)ず[ヤ]け滅びてむ。如(も)し実(まこと)に天孫の胤ならば、火も害(そこな)ふこと能(あた)はじ」

といふ。

即ち火を放(つ)けて室を焼く。始めて起る烟の末より生り出づる児を、火闌降命(ほのすそりのみこと)と号く。[是(これ)隼人等(はやひとら)が始祖(はじめのおや)なり。火闌降、此をば褒能須素里(ほのすそり)と云ふ。]

次に熱(ほとぼり)を避(さ)りて居(ま)しますときに、生(な)り出づる児(みこ)を、彦火火出見尊と号(なづ)く。

次に生り出づる児を、火明命(ほのあかりのみこと)と号く。是(これ)尾張連等(をはりのむらじら)が始祖なり。全て三子(みはしらのみこ)ます。

※[ヤ]はフォントが見つからず読み仮名で代用

岩波新書 日本書紀(一)神代下

鹿葦津姫とは木花開耶姫(このはなのさくやひめ)の別称で、夫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がたった一夜の契りにして懐妊したのを疑い、「私の子ではないのだろう」と言ったことに怒り、産屋に火を放ってお産をするという、何とも壮絶な状況が描かれています。

皇孫である夫の子なら決して火で焼かれることはないと、まさに身を挺しての自己証明だったのですが、そこで生まれたのが

 第一子 火闌降命(ほのすそりのみこと)
 第ニ子 彦火火出見尊
 第三子 火明命(ほのあかりのみこと)

の3人の子だったのです。

もちろん、この話自体が丸ごと荒唐無稽なのですが、ここで気になるのが、彦火火出見にはほぼ同時に生まれた兄と弟がいること、そして3人とも火の中で生れ、その名に「火」の字が与えられている点なのです。

この話が何かしらの史実を比喩的に表現したものであろうことはほぼ間違いなく、実際の血縁関係はともかく、この3人が兄弟として並べられたその理由、ここで象徴される「火」の字の意味を探ることが、三嶋神(彦火火出見)の出自を理解する上で重要なサインであると考えられます。

上記の引用は日本書紀本文からなのですが、これに付随する一書(あるふみ)には、これとは若干異なる彦火火出見誕生譚も併記されています。確認の為、出生順とその名前については、各一書毎に次の様になります。

ある一書(1)

 第一子 火酢芹命(ほのすせりのみこと)
 第ニ子 火明命
 第三子 彦火火出見尊 又の名を 火折尊(ほのをりのみこと)

別の一書(2)

 第一子 火明命
 第ニ子 火進命(ほのすすみのみこと)
 第三子 火折尊
 第四子 彦火火出見尊

別の一書(3)

 第一子 火酢芹命
 第ニ子 火折尊 又の名を 彦火火出見尊

別の一書(4)

 第一子 火明命
 第ニ子 火夜織命(ほのよりのみこと)
 第三子 彦火火出見尊 又の名を 火折尊(ほのをりのみこと)

別の一書(5)

 第一子 火酢芹命
 第ニ子 彦火火出見尊

ちなみに、古事記の方を見て見ると次の様になっています。

 第一子 火照命(ほでりのみこと)
 第ニ子 火須勢理命(ほすせりのみこと)
 第三子 火遠理命(ほをりのみこと) 又の名を 
      天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)

ここで更に「先代旧事本紀」(せんだいくじほんぎ)ではどう書かれているのかを加えます。これは日本書紀の一書(2)と同じなのが分ります。、

 第一子 火明命
 第ニ子 火進命
 第三子 火折尊
 第四子 彦火火出見尊

以上を眺めると、まずはっきりしている点に彦火火出見の名は全ての書において共通して見られること、そしていずれも長子でないことが挙げられます。

また、表現に揺らぎはありますが、火闌降/火酢芹/火須勢理/火進はおそらく同じ「ホノスセリ/ホスセリ」を指しているのだろうと考えられます。

火折/火遠理(ホノヲリ/ホオリ)については、彦火火出見を表す別称、あるいは全く別人なのかはっきりしませんが、この命名の意味が理解できれば、どちらが正しいのか見えてくるでしょう。ここでは彦火火出見の別称として扱います。

よく分からないのが、火照命と火夜織命なのですが、全体の出現パターンから見て、前者が火明命、後者が火酢芹命を指すのではないかと予想されます。

以上をまとめると、書紀本文の記述に有るように、火闌降・彦火火出見(火折)・火明の3人が、火の中で誕生するというこの極めて比喩的表現で描かれた登場人物ということになるのです。

「火」を縁に生まれたこの3兄弟なのですが、後に続く物語は少し奇妙な展開を見せてくるのです。

■消えてしまった火明命

子供の時に「海彦・山彦」という日本神話を聞いたことがある方は多いと思いますが、日本書紀でこの後に続くのはまさにその話なのです。

兄火闌降命、自(おの)づからに海幸(うみさち) [幸、此をば左知と云ふ。] 有(ま)します。弟彦火火出見尊、自(おの)づからに山幸(やまさち)有(ま)します。始め兄弟二人(あにおとふたはしら)、相謂(かたら)ひて日(のたま)はく、「試(こころみ)に易幸(さちがへ)せむ」とのたまひて、遂(つひ)に相易(あひか)ふ。各(おのおの)其(そ)の利(さち)を得ず。

岩波新書 日本書紀(一)神代下

海で漁をする兄の海幸(海彦:火闌降命)、そして山で狩りをする弟の山幸(山彦:彦火火出見)が互いに仕事道具を交換し、それぞれいつもとは異なるフィールドで仕事をするも、互いに成果は出ない・・・・

ご存知の様に、山彦は兄海彦の釣り針を失くしてしまい、兄に責め立てられて落胆しているところに1人の翁が現れ、龍宮城に行き豊玉姫を見初めて帰還するというあの神話の冒頭部分です。

ここで妙なことに気付きます。前段の話では3兄弟であったはずなのに、この海彦・山彦神話の段では、何故か兄と弟の2人だけの関係に終始しているのです。

ここで消えてしまった兄弟の名は

 火明

なのですが、この名前、実は本ブログでも日本神話において非常に重要な位置を占める人物の別名であることを既にお知らせしています。

それは、秀真伝において瓊瓊杵尊と共に並立王朝を築いたとされる

 猿田彦

の別名なのです。

画像2:失われたホノアカリ王朝とその変名
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これはいったいどういうことなのか?どうやら三嶋神(彦火火出見)誕生の背後には、猿田彦、あるいはその別称の味耜高彦根(あぢすきたかひこね)が深く関係しているようなのです。


九十九浜 渡りて向かう玉前の姫
管理人 日月土


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