少彦名とクエビコ

宗像三女神のタギツ姫、タゴリ姫からイチキシマ姫と調べて行く中で、神話に登場する謎多き神「少彦名」(すくなびこな)に辿り着きました。

そして、前回の記事「少彦名とは誰なのか」で述べたように、記紀及び能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ)の社伝の記述を参照することで、仮説ではあるものの、どうやら

 スクナビコナ(少彦名) = ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)

と言えるらしいことまで分かりました。

以前から、記紀には無く秀真伝(ほつまつたえ)には記述されているニニギノミコトとホノアカリによる「2王朝時代」という不自然な状況が胸に引っかかっていたのですが、この仮説によって実際の史実が見えてくるかもしれません。

■古事記に書かれたクエビコとは?

少彦名について書かれた箇所は神話の中では非常に少ないのですが、その中でも、古事記には記述があるのに、書記ではそれが一切ない箇所があります。それがクエビコ(久延毘古)の神との関わりなのです。

まずは、古事記から当該箇所を引用してみましょう。

 ここにその名を問ひたまへども答へず。また従へる
 諸の神に問ひたまへども、皆「知らず」と白(まを)
 しき。ここにたにぐく白(まを)さく、「こはくえ
 びこ必ず知りたらむ」とまをせば、即ちくえびこを
 召して問ひたまふ時、「こは神産巣日神の御子、少
 名毘古那神ぞ」と答へ白しき。

 かれここに、神産巣日の御祖命(みおやのみこと)
 に白し上げたまへば、答へて告(の)りたまはく、
 「こは実(まこと)に我が子なり。子の中に我が
 手俣(たなまた)よりくきし子なり。かれ、汝、
 葦原色許男(あしはらしこをのみおと)と兄弟(あ
 におと)となりて、その国を作り堅めよ」とのりた
 まひき。かれ、それより大穴牟遅(おほなむち)と
 少名毘古那と二柱の神相並ばして、この国を作り堅
 めたまひき。然る後は、その少名毘古那神は常世国
 (とこよのくに)に度りましき。かれ、その少名毘
 古那神を顕はし白しし謂(い)はゆるくえびこは、
 今に山田のそほどといふ。の神は足は行かねど尽(
 ことごと)く天下(あめのした)の事を知れる神なり。

  岩波新書 古事記(上) 大国主と少彦名から

この記述は、前回掲載した古事記からの引用の続きとなります。前回の引用では、不思議な船に乗って来て、はたまた不思議な姿をした少彦名の描写が主でしたが、今回の箇所では、大国主が「この神は誰か?」と尋ねたところ、周りの神様に知っている者はおらず、タニグクという神がクエビコの神なら知っているだろうと提案し、果たして、クエビコはそれが少彦名であると大国主に告げるのです。

同書注釈によると

 タニグク:谷蟆、ヒキガエルの古名
 クエビコ:「崩え彦」の意で案山子(かかし)に与えた神名
 そほど :案山子の古名

と説明があります。

引用文中の「山田のそほど」を現代語的に解釈すれば、山合いの田んぼに立てられた案山子のような神様であり、その方に聞くのが良いとヒキガエルの神が大国主に言ったのですから、状況及びキャラクター的には何となく辻褄が合っているような気もします。

しかし、ここで考えるべきは

 (1)どうして書記には無く古事記にのみ記載されているのか?
 (2)どうしてヒキガエルと案山子なのか?

しつこいようですが、私は「神話は史実の婉曲表現」という視点で神話を解釈しているので、仮にも人の姿をした大国主や少彦名のストーリーに「蛙と案山子」というのはかなり不自然なのです。これをどう解釈したらよいのでしょうか?

画像1:少彦名に関する記紀の違い
画像2:ヒキガエルと案山子

■タニグクとクエビコは少彦名の補足説明

まず、(1)の点についてですが、現代に残る史書の類がこれまでに何度も改変されているだろうということは押さえておきたいと思います。

教科書的には、記紀は西暦700年代に編纂されたことになっていますが、その時点で各方面で記録されていた更に古い史書を統合・再編集したのは間違いなく、編纂時の政治情勢に合わせて書き足りない箇所を足したり(盛ったり)、都合の悪い箇所を落としたりしているはずです。

記紀では神話とされている上代が、秀真伝では人間史として書かれているのも、史実を神話化するという大改編のタイミングに秀真伝が追い付けなかった、あるいはその時代の人々の注意から外れてしまっていたと考えるのが、理由として一番あり得るのではないかと私は思っています。

日本書紀と古事記で微妙に記載が異なるのは、このように改変タイミングのズレが考えられるでしょう。書紀で不要と落とされたのに古事記では残ってしまった、あるいは、古事記で補足的に足された記述が書紀では盛り込まれなかったなどです。もしかしたら、当該箇所を強調するため意図的に両書の記載を変えた可能性すらあります。

クエビコの下りが足されたのか落とされたのか、あるいはわざとそうしたのかは不明ですが、どちらにせよ、この箇所の記述が少彦名の性質を決定付ける重要箇所だと、改変時の編纂者は思ったに違いありません。

つまり、タニグクとクエビコの下りは、少彦名がどのような人物だったのかを語る重要箇所だと見るべきなのです。

■ヒキガエルと案山子の意味するもの

ニグク(谷蟆)の「蟆」は「ガマ」と読み、これを単純に考えれば、(谷のような)低い土地に住むガマ蛙と理解されます。一方、案山子の「案山」とはAI(Gemini)さんによれば、「中国の禅僧が使っていた言葉で、『案山』は『山の中の低い土地』、つまり田畑を意味します。」となります。

つまり、特に深読みをしなくても、日本人なら普通に想像できる「山に囲まれた田園風景と蛙、案山子」のイメージでそのまま理解すればよさそうです。これのいったいどこが重要なのか、自分で話を切り出しといてここから進まなくなってしまったのですが、そういえば引用文本文にもわざわざ「山田」と強調しています。どうやらこの字面そのものに意味がありそうです。

画像3:石川県中能登町久江の久氐比古神社

ここからは私流のかなり極端な解釈となることをお断りします。

まず「山」の字ですが、このブログでは「二人の少女神」(= 二人の皇后)というコンテキストで古代王権の仕組みを考察してきた経緯から、「山」という字の中央の長線を「男性王」、左右の二つの短線を「二人の少女神」と解釈すれば、古代日本の王権スタイルを象徴していると考えられます。

次に「田」の字ですが、これは「口」と「十」に分解でき、「口」は一般的に土地を表し、「十」は「天地・秘密・十字架・神・墓」など複数のニュアンスがありますが、そのどれかではないかと思われます。

いちおう神話という体ですから、ここでは「十字架・神」の意味であるとします。「口」の字は四方を囲むすなわち「閉じ込める」という意味が有り、この二つの意味を合わせると

 十字架・神を閉じ込める

という、少し物騒な意味が出てきます。

実は、このように理解すると、本文にわざわざ案山子が出てくるその意味まで見えてくるのです。今の世の中では色々な形状の案山子が見られますが、オーソドックスな案山子といえば、画像2にあるような、一本足の案山子、すなわち

 十字架に張り付けられた人の形をしたもの

であることには異論がないでしょう。

おや、そのように捉えると、さきほどの「山」の解釈が少し変わってきます。もうお分かりの方もいらっしゃると思いますが、これは

 磔にされた王と二人の罪人

とも取れるのです。

「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。

ルカによる福音書 第23章33節

さて、夏になるとガマ蛙は田んぼの中でうるさく鳴くものです。そして、ただ鳴くだけで哀れな案山子に露ほども温情を示しません。

民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

ルカによる福音書 第23章35節

わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。

ヨハネの黙示録 第16章13節

なんと言うか、新約聖書からの引用がなぜかピタリと当てはまるのです。

画像4:「千と千尋の神隠し」に登場したカエル男たち。なぜ蛙なのか?

クエビコは天下のことを全て知っていると古事記には記述されており、世の中の全てを知る者とは、神そのものを指しているとは言えないでしょうか?

要するにタニグクとクエビコというのは、擬態化された例えであり、それが誰を擬態したのかと問われれば、文脈的に少彦名を指すのは間違いなく。その名が示す「特別な力を有した男性王の名」の人物とは、あの世界的に著名な歴史的人物である可能性が窺えるのです。

それについては、少彦名が奇妙な船に乗り、また奇妙な風体で突然現れ、時の王(大国主)の国造りを助けた後に突然いなくなる点も、歴代王の所作とはかなり異なります。つまり少彦名、すなわち瓊瓊杵尊とは、本来の王統には連ならない神のような特別な存在であり、記紀や秀真伝はその存在があたかもこの国の王家の祖先であるかのように記した(改竄した)ものであると考えられるのです。

つまり、

 瓊瓊杵尊王朝などなかった

と捉えるのが、秀真伝が伝える二王朝時代に対する最善解であると私は考えるのです。そして、記紀における彦火火出見王朝(現天皇家に続く王朝)とは、同時期に突然現れた謎の王朝という結論にならざるを得ないのです。


管理人 日月土


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