ハヤアキツ姫は誰なのか

前回まで3回ほど、ヒルコ姫を取り上げてきました。

 ・ムカツ姫とヒルコ姫 
 ・ヒルコ姫と西宮 
 ・ヒルコ姫とワカヒルメ 

この中の考察で、伊弉諾(イザナミ)・伊弉冉(イザナミ)の子で葦の船に乗せて流された蛭子(ヒルコ)とは

  蛭子 = (ヒ姫、ヒルコ姫、ワカ姫、シタテル姫、ワカヒルメ)

と、いくつも名前を変えて神話に登場する、同一の女性を指すのではないかとの結論を得ました。

記紀には多くの神名が登場しますが、その内幾つかは、モデルとなった同一人物を別名で呼び表し、異なるキャラクターとして神話を展開させていることがこれまでの分析で段々分かってきました。

大分煩雑になってきたので、どこかで別名一覧表を作らないと、私も混乱してきそうです。

■ヒルコ姫とハヤアキツ姫

さて、前々回の記事「ヒルコ姫と西宮」では、秀真伝(ほつまつたえ)の研究家、池田満さんの次の解説を引用しました。

 七代アマカミの父イサナギ・母イサナミの長女として
 ツクバ(現、茨城県筑波市筑波)にてうまれるが、父40
 才・母31才(「ミカサフミ」では父42・母33才)のアメ
 ノフシ(厄年)に当たったため捨て子にされた。拾い親の
 カナサキによって、ニシノミヤ(兵庫県西宮市)のヒロタ
 (広田神社及び浜南宮=現在の西宮神社)で養育された。

 (池田満著 ホツマ辞典「ワカヒメ」から)

このヒルコ姫の養父と言われている「カナサキ」という人物ですが、池田氏の解説だと、アマテラス(天照:男性王)の重鎮で、またの名を「スミヨシ」、すなわち現在の漢字表記で「住吉」とも呼ばれていたとあります。

造船技術に長けた人物ということなのですが、そう言えば住吉神社の御祭神が「底筒男命・中筒男命・表筒男命のいわゆる「住吉三神」で、以前お伝えしたように、これが擬人的表現として

 三層構造の方舟

を指しているのではないかと指摘したことがありますが、これが造船の達人たる人物の代表的な作品を神として祀っているとすれば、妙に合点が行くのです。

画像1:国内最古の住吉神社と言われる福岡県那珂市の現人神社(あらひとじんじゃ)
こちらにはたいへんお世話になりました。

このカナサキ、もとい住吉という古代人、およびその人物と方舟の関係についてはまた取り上げたいと思いますが、今回はヒルコ姫に関して気になる点をご紹介します。

秀真伝には次のような記述があります。

 サノウチメ カナサキガメノ
 ハヤアキツ アキコハシホノ
 ヤヲアイコ ツノスキウチハ
 ムナカタカ オリハタオサコ

(池田満著「記紀原書 ヲシテ 上巻」から 秀真伝 6-27 )

原文はたいへん難解なので池田氏の解説に頼ると、カナサキにはハヤアキツ姫という娘が居り、後に天照(男性王)の側室に入り、皇后の一人として非常に重要なポジションに就いたとあります。

秀真伝では、カナサキに預けられ後に宮中に戻されたヒルコ姫とは別人として描かれていますが、ハヤアキツ姫とヒルコ姫の二人の関係は特に描写されてはいないようです。

秀真伝に見る二人の成長後の経歴は、簡略して書くと次のようになります。

 ヒルコ姫  :天照の姉。里子に出されるも、後に天照の妹として宮中に復帰
        オモヒカネの妻となる
 ハヤアキツ姫:天照の側室として宮中に入る
        アマツヒコネを産む

このように、全く違う人生を歩んだように見える二人なのですが、どちらも宮中において非常に天照(男性王)に近いポジションであることが伺えるのです。

そして、記紀における両者の記述は大体次のようになり

 ヒルコ姫  :葦船で流された蛭子
        機織りの杼(ひ)で命を落としたワカヒルメ
        アジスキタカヒコネの関係者として登場するシタテルヒメ
 ハヤアキツ姫:速秋津日命 – 水門の神達の総称(書紀)
        速秋津比売神 – 水戸の神の妻神(古事記)

秀真伝とは異なり、いくら神話中の神とされているとはいえ、どこか扱いがぞんざいなのも共通していると言えます。

■何故「秋」の字が当てられたのか

現在私たちが目にすることのできる記紀は、歴史的に漢字が後から当てられているのはもはや疑いないかと思いますが、何故「アキツ」に「秋津」が当てられたのか、特に「秋」の文字が選ばれたのが気になります。

その前に、池田氏によると、秀真伝における「アキツ」とは、伊弉諾・伊弉冉による国の再興という偉業に対しての尊称であり、そのような意味の名が与えられるハヤアキツ姫とは到底普通の姫ではないことが分かります。

「秋」は甲骨文字や篆書(てんしょ)などの表意解釈から、収穫の季節に「”穂”についた”虫”を”火”で追い払う」と読め、後に”虫”を表す字体が脱落し、”穂”と”火”を表す「秋」となったとされています。

アキツに漢字を当てる時、当時(おそらく平安時代前後)の人々はどのような意図をもってこの字を選んだのか?そう考えた時、”穂の実り”を表す「禾」(のぎ)はもちろんですが、「火」の字の語義を非常に重視したのではないかと考えられるのです。

このハヤアキツ姫、記紀では「水門の神」または水戸の神」と「水」に関係する神と表現されていますが、これは逆にその反意、すなわち「火」を強調している、あるいは呪い文字として「火」の持つ意味を相殺しているのではと見られるのです。

記紀の表現を呪い文字と見た場合、ハヤアキツ姫は本来「火」を象徴する姫であったはずであり、それは「火姫」であり、これまで展開してきたロジックから

 ハヤアキツ姫 → 火姫=ヒ姫 → ヒルコ姫

なる結論が導かれるのです。すなわち

 ハヤアキツ姫はヒルコ姫である

と。

秀真伝には二人のことがある程度詳細に書かれているのに、いささか強引な結論なのではないかと思われますが、以前にもお伝えしたように、秀真伝の編纂時には既に国史改竄のアウトラインが定まっており、それは、大国主や玉依姫などの同世代人が、まるで別世代人のように系図に組み込まれている点からも窺えます。

おそらく秀真伝が描いたような人間史では齟齬が生じるため、この複雑なF時代をまるっと神話化、ファンタジー化した、それが記紀なのではないかと思うのです。そして、できれば正史にその名を残したくない人物、それがヒルコ姫、もといハヤアキツ姫であったと考えられるのです。


管理人 日月土


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