前回の記事「ムカツ姫とヒルコ姫」では、神話では六代に亘る家系の一員として記述されている登場人物(神話では当然「神」)が、実は、離れていてもせいぜいに二・三代程度の同世代人である可能性を述べました。
その世代を集合記号「F」で表したとき、
{
伊弉諾(いざなぎ),
伊弉冉(いざなみ),
少彦名(すくなひこな),
大国主(おおくにぬし),
豊玉姫(とよたまひめ),
玉依姫(たまよりひめ),
木花開耶姫(このはなさくやひめ),
天照大神(あまてらす),
月読(つくよみ),
素戔嗚(すさのお),
火明(ほのあかり),
彦火火出見(ひこほほでみ),
鵜葺草葺不合(うがやふきあわせず),
瀬織津姫(せおりつひめ)、
下照姫(したてるひめ)
} ∈ F
となることは前回お知らせしたとおりです。
このリストの最後に記述した下照姫は、秀真伝に別名ヒルコ姫とあり、おそらく記紀において葦船に乗せて流されたとされるヒルコ(蛭子、蛭児)を指すものだと思われます。
そのどこかに流されたはずの蛭子が、実は別の段では下照姫の名で登場しており、これらの別名を利用した神話創作の作為は、秀真伝と比較することでしか気付けません。
下照姫は他に「ワカヒメ」とも呼ばれ、本ブログではとりあえず「ヒルコ姫」に統一した上で、この人物について少し深く考察していきます。
■秀真伝に記述されたヒルコ姫伝承
さて、ヒルコ姫が秀真伝にはどのように記述されているのか、まずは原文を見てみましょう。
ヲシユナリ マサニキクベシ
(池田満校訂 ミカサフミ 55-56)
フタカミノ アノアワウタニ
クニオウミ ワノアワウタニ
ネコエナル ノチニヒヒメオ
ウムトキニ ヒルナレヴナモ
ヒルコヒメ トシオコユレワ
タラチネノ ヨソフミソミノ
ヲヱスマモ メワタヲクラニ
アタラシト スツオカナザキ
オモエラク コノハヤカレノ
イタミオモ チオヱシナズカ
ワスレクサ ヒラウヒロタノ
・・・
実際はヲシテ文字で書かれているのですが、簡単のため現代カタカナに書き換えています。一部表記が間違っているかもしれませんがご容赦ください。
このヒルコ姫について、秀真伝の研究家である池田満氏は、「ホツマ辞典」の中で次のように解説しています。
八代アマカミ・アマテルの実姉のヒメのイミナ(実名)
をヒルコという。昼に生まれたからヒルコと名付けられた。父母イサナギ・
イサナミがアメノフシ(厄年)であった。ため捨て子に
され、後年に父母の許に戻ったため、アマテルカミの妹
とされた。ヒルコの通称はワカヒメ、またシタテルヒメ
とも呼ばれる。未熟児として流産したヒョルコは別人物。
(池田満著 ホツマ辞典「ヒルコ」から)
「昼(ひる)に生まれたからヒルコ姫、厄日に生まれたから捨てられた・・・」今とは風習が異なる大昔のことですから、この説明で何となく辻褄は合ってるようにも思えます。
ホツマ辞典の「ワカヒメ」の項にも解説があるのでそれも引用してみます。
七代アマカミの父イサナギ・母イサナミの長女として
(池田満著 ホツマ辞典「ワカヒメ」から)
ツクバ(現、茨城県筑波市筑波)にてうまれるが、父40
才・母31才(「ミカサフミ」では父42・母33才)のアメ
ノフシ(厄年)に当たったため捨て子にされた。拾い親の
カナサキによって、ニシノミヤ(兵庫県西宮市)のヒロタ
(広田神社及び浜南宮=現在の西宮神社)で養育された。
ここでヒルコ姫(=ワカ姫)に関して新たな情報が加えられます。それが茨城県の筑波、そして兵庫県の西宮と広田神社、そしてヒルコ姫の里親となるカナサキなる人物の存在となります。
これらの情報については、上述の原文内に「ヒルコヒメ」、「カナザキ」、「ヒロタ」とありますので、それらのワードを見つけ出してみてください。
池田氏による解釈が絶対に正しいとは言いませんが、記紀では正体不明のヒルコなる人物が、秀真伝の世界ではかなりの具体性を以て記述されているのは注目に値します。
■西宮と西宮神社
西宮市(にしのみやし)は神戸と大阪の間にある、文教住宅都市として名が知られています。私が大学生の時もクラスメートに同市出身の女性が居り、知的かつ上品、そして笑顔を絶やさない穏やかな方で、周囲の男子にとってちょっと憧れの人でした。
そんな情報はどうでもよいとして、多くの方が「西宮」と聞くとどうしても兵庫県のその地を連想してしまうと思いますし、西宮神社と来れば当然ながら阪神電車西宮駅近くの西宮神社を思い浮かべるはずです。

その西宮神社、御祭神とされているのが
蛭児大神(えびす大神)
であり、蛭児(えびす)が蛭児(ひるこ)と読めるのは先に述べたとおりです。
えびす様といえば、一般的に竿と魚の鯛を抱えた男神で漁業の神様、また、七福神の一柱というイメージが強いはずです。しかし、これをヒルコ姫と捉えるとそのイメージは性別を含め大きく変わるのです。
同神社の由緒には、お宮の起源について次のように書かれています。
神戸・和田岬の沖より出現された御神像を西宮・鳴尾の
(西宮神社公式ページ)
漁師が救い上げ自宅でお祀りしていましたが、御神託に
より西の宮地(西宮)にお遷し祀られた
この辺の話は、「ヒルコ(えびす)」という名以外、秀真伝の記述から池田氏が読み解いたものと全く重ならないのですが、この違いはいったいどのように解釈すればよいのでしょうか?
■関東の西宮
そして、読者の皆様はその「西宮」なる神社が関東にもあるのをご存知でしょうか?実は、その「西宮神社」が千葉県銚子市の太平洋に突き出た岬の突端にもあるのです。

一般にはあまり知られていない銚子西宮神社ですが、スピリチュアル系の研究者の中には、「関東における最も重要な神社の一つ」と捉えている方もいると聞いています。私も、そちら系の方からこの神社の存在について聞かされました。
そして、本ブログ読者ならばご存知のように、銚子市を含む千葉県東総地域にはF時代の人物に関わる神社が多く見られるのはお伝えしている通りです。これまでご紹介してきた中から抜き出すと
玉埼神社(旭市) → 玉依姫
豊玉姫神社(香取市) → 豊玉姫
猿田神社(銚子市) → 火明, 豊玉姫、玉依姫
となり、ヒルコ姫もF時代の人物であることが分かっていますので、銚子西宮神社がヒルコ姫と縁のある神社だとすると、千葉県東総地域にまたもやF時代の人物の足跡がみられることになるのです。
そもそも、関東最東端に「西宮」という名前も変なのですが、これはいったい何を意味しているのか、宗像三女神の考察から始まった追及は、神話に隠された新たな姫への探求へと繋がってきました。

二つの宮は何を見ているのか?
管理人 日月土