日本書紀・古事記(記紀)が、実在する神武天皇以前の歴史を神話と言うファンタジーに付け替えてしまったのだろうという話は何度かここで出しています。また(新)ブログでは、記紀に書かれた神武東征伝は作り話(デタラメ)であり、そこに書かれている皇位継承の記録も正しいとは言えない、つまり古代期においてすでに万世一系という神話(のようなもの)も崩れているだろうと指摘しています。
今後、この辺の話を詳細に進めようと考えている訳ですが、古代史の話を記述するにあたり、まず使用する用語を明確にするべきだと思い、用語について大まかに約束を決めておきたいと思います。
現在の歴史学だと平安以前は古代に一括りにされてしまうようなので、神武以前と、記紀が扱う範囲、それ以降の古代を明確に区別するために次のように分類しました。
(1)神武天皇より前の時代: 上代
(2)初代神武天皇から15代応神天皇まで: 上古代
(3)16代仁徳天皇から25代武烈天皇まで: 中古代
(4)26代継体天皇から41代持統天皇まで: 下古代
(5)42代文武天皇以降: 記紀後古代
神武以前が神話でなく実在の歴史であることを強調するため「神」という字は敢えて外すようにしました。なお、飛鳥時代という時代区分は「奈良の飛鳥に王朝があった」という決め付けに繋がるので、ここでは採用しません。それより一つ前の古墳時代も、いわゆる墳墓(マウンド)が作られ始めたのはそれよりもかなり前からなので、あまり積極的に使いたくない呼び名です。
そうすると、歴代天皇の代で機械的に分類するのが今のところは適当なようです。もちろん、歴史の連続性を考えたらこんなに単純に区分できるはずもなく、これはあくまでも表現上の便宜的なものだと思ってください。
なお、私は古代史で従来使われている縄文時代・弥生時代という分類はしません。縄文・弥生はあくまでもその生活様式の違いを表しているだけで、本当にそれが時間的変遷を表しているとは言い切れないからです。
最新の研究によると、縄文様式も弥生様式も同時期に点在して存在していた痕跡が年代測定などから認められており、どうも縄文時代や弥生時代という時代の区分けは正しくないことが分かってきています。要するに
大陸から渡ってきた弥生式文化に西方から席巻された縄文文化
という概念はもはや通用しなくなりつつあるのです。この概念は、文明とは
大陸から一方的に日本列島へ渡ってくるという先入観
や確証の無い思い込みを生み出してしまいます。私は日本の史書を疑わしく思うのと等しく、中国の史書や朝鮮半島の史書もかなり疑わしいと見ています。そもそも当時の記録家が史実を偏見無く正確に記述できたと考えること自体が誤っているのです。
これに加え、現代に残された史書とは何度も写本を繰り返されているのが当たり前であり、オリジナルが正確に転写された保証もなければ、その過程で悪意のある改ざんが行われたことを確かめる術もありません。
ですから、中国史書に裏付けられた日本の上代・古代の年代特定は十分に気を付けなければならないのです。例えば、多くの歴史解説書はヤマタイコクのヒメカ(ヒミコ)は248年に死去と何の疑いもなく書いていますが、実はその数字こそがすこぶる怪しいのです。
そんなことを言いだしたら、どうやって歴史検証すればいいのだ?確かに悩ましい問題ではあります。
■遺跡だって必ずしも当てにならない
古代史を検証する上で、確実性の高い手法の一つが遺跡や出土品による時代背景の推定です。おそらくこれ以上に正確な証拠は他にはないでしょう。しかしです。知人である発掘研究者のC氏によると
“埼玉県の稲荷山古墳の出土品なのですが、そこから出た鉄剣に刻まれた銘文が問題なんです。実はそれが日本書紀の記述が示す内容そのままなんです。発掘の世界の常識では、史書とピッタリ合う例と言うのはほとんどなく、かえってその正確性が疑わしい。ぶっちゃけ、わざわざ証拠になるようそこに残されたのではないかとすら考えられるのです”
1000年以上前に書かれた記紀がわざと偽史を正史と装うなら、その頃から記述に合わせた偽装工作が古墳などの遺跡類に対して行われていたと考えても、確かに矛盾はありません。
全部が全部そうだと言えませんが、遺跡・出土品類などの物的証拠についても過信は禁物だということがこの話から分かります。そして、ますますどうしたらよいか悩ましくなります。
■敢えて偽書として読む
ここまで書くと、「これじゃあ歴史的真実なんか調べようがないじゃないか!」と諦めに近い思いが込み上げてくるのですが、唯一取れる手法とは、前回の記事「ダリフラのプリンセスプリンセス」でも採用した、記紀などの史書を敢えて偽書、あるいは暗号の書として読むという方法です。
どういうことかと言うと、本当に正しい歴史を伝えたくなかったら、史書そのものを全く残さなければいい。それでも、偽書が現代まで残されているということは、後世代の歴史認識をどこかに誘導させる為なのでしょうが、誘導するというなら正史をだれかが把握してなければその目的自体が達成され得ません。
要するに、世の中の全員が偽史しか知らない状態になってしまうということは、偽史を創作する意味そのものが失われてしまうのです。だから必ず正史はどこかに残されている。もしかしたら、まだ世に出てない確度の高い史書があるのかもしれませんが、どうせ偽史を編纂するなら、その中に暗号として事実を落とし込む方が二度手間になりません。
私はここで、日本書紀と古事記という似たような二つの史書が同時期に編纂されたことに注目します。両者似たようなことを書いていますが、造化三神の名前が違っていたり、万葉仮名の表記が違ったり、出雲の説話など片方にしか存在しない項目もあります。同時期に書かれたものにこれだけの違いがある、おそらく、この違いのなかに巧妙に隠喩が組み込まれているのではないか、そう考えるのです。
よって私は、「日本書紀はデタラメだ!古事記はデタラメだ!」と言いながらも、実はこれらの史書を頼りにして、斜に構えながら古代正史を読み解くという手法を取るのです。
そして、この二書を補強するのが次のニつの史書です。世間ではどちらも偽書扱いですが、記紀だってそれは同じなので、私は同等に扱います。
・先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)
・秀真伝(ほつまつたえ)
そして、私には他の研究家にはない強みがあると思っています。それは日本の呪術思想について多少は理解があることです。なんといっても、古代日本人にとって
言葉とは呪術の一部
なのですから。歴史は言葉によって綴られます。ですから、そこ(呪術思想)から読み解ける解釈も必ずあるはずなのです。
* * *
今回は前置きだけの文になって申し訳ありません。しかし、これが私の考え方なので、この点を予めご理解いただくと今後の齟齬が少なくて済むのではないかと思います。
上記分類中の上古代は特に重要で、現在のコロナウィルス渦も含め、現代日本が抱える重要諸問題は、実はこの時代に原因があるものが少なくないのです。次回メルマガ2号ではその点にも少し言及したいと思います。
誠の神力を現す世と成れる
管理人 日月土