ファンタジーを超えて

今回は、歴史関連はひとまずお休みして、本ブログと関係ありそうな時事ネタを扱います。

フロントページにも書いたように、私は日本神話とは何か重要な古代の事実を伝えるために、敢えて史実を神話化、いわゆるファンタジーとして後世に書き残したものであると考えています。

しかし、ファンタジーだからと言って歴史考証上全く無視してよい訳ではなく、神武天皇以前の日本の古代期(上代)に、むしろ史実を神話化せざるを得ない深刻な出来事があったからこそ、敢えて日本書紀、古事記、秀真伝(ほつまつたえ)、その他という異なる種類の史書をほぼ同時期に編纂し、世に出したのであると解釈します。

これらの史書が編纂されたのは、神武天皇の即位を西暦50年前後と仮定すれば、それから数えて凡そ700年後、700年と言えば十分に長い時間が上代の時から経過しています。そこまで古い話であっても素直に史書に書き残せなかった上代の出来事、また、史書編纂時の理由とは一体何であったのでしょうか?

そして、わざわざ複数の史書を残した理由とは何だったのでしょうか?これまで述べてきた通り、私はその理由を、複数の史書バリエーションを世に出すことによって、一書単体では表現できない史実を分散し、それによって真実の歴史を後世に残そうとしたのではないかと捉えました。つまり、これらの史書は合わせて一つの史実を表現しているのではないかと仮定したのです。

歴史家であるならば、嘘は書き残したくないものです。しかし、当時の政治状況がそれを許さない、そんな状況下で取った手段が複数史書編纂による史実の暗号化であったのではないかと予想するのです。それこそファンタジーだと怒られそうですが、私は当時の歴史家の知恵と良心を信じてあげたいのです。

■神社本庁が向かう先

さて、日本神話と切っても切り離せないのが、現在、私たちも時より参拝に足を向ける神社です。当たり前ですが、神社と呼んでいる以上、そこに居られるのは日本神話で言うところの「神」、つまり超自然的「神」であることに間違いありません。中には、その神様を古代史実と関連付けて実在人であったと解釈する奇特な宮司さんもおられますが、基本的には、ありがたき八百万の神と崇敬し、それ以上詮索はされない方が多いようです。

これら日本に数多く存在する神社を束ねるのが現在の神社本庁ですが、その神に仕える人々の代表である彼らの間で、何やらスキャンダラスな出来事が起きたようです。以下、ネット記事より引用します。

神社本庁が「絶対に負けられない戦い」で全面敗訴 裁判で訴えた“強烈な言葉”とは

「週刊文春」編集部
source : 週刊文春 2021年4月1日号

法廷闘争の末、全国約8万の神社を束ねる“総本山”が断罪された――。

内部告発を理由に懲戒解雇されたのは不当だとして、宗教法人「#神社本庁」(渋谷区)の元部長(61)らが処分の無効を訴えた訴訟。東京地裁は3月18日、「懲戒権の行使に客観的な合理性はなく、社会通念上相当性を欠く」と原告の訴えを認める判決を言い渡した。

「神社本庁が15年10月に1億8400万円で売却した職員寮が即日転売され、後に3億円以上に値上がりした疑惑が発端でした。元部長らは同様の案件が複数あり、売却先が同じ不動産業者で随意契約だったことを問題視。『不当に安く売却したのは背任行為に当たる』などとした内部告発の文書を配布したのです。これに対して神社本庁は17年8月、元部長を懲戒解雇し、裁判になっていました」(神社本庁関係者)

元部長(左)は会見で「主張がほぼ全面的に認められた」 ©共同通信社
内部告発で「疑惑の張本人」と名指しされたのが、神道政治連盟の打田文博会長。神政連は日本会議とともに、憲法改正を目指す安倍晋三前首相らの活動を支えてきた団体だ。その打田氏とともに神社本庁執行部を総長として率いるのが、田中恆清氏である。異例の総長4期目に突入し、内部では「打田―田中体制」(同前)と評されてきた。
 
しかし、その内実は危うい。不動産取引疑惑以外にも不倫スキャンダルなどが相次ぎ、“こんぴらさん”こと「金刀比羅宮」(香川県)のように本庁から離脱する動きも出ている。
神社界と縁のある皇室との関係も微妙だ。神社本庁において象徴のトップである「統理」の多くは旧皇族らが務め、現統理の鷹司尚武氏も昭和天皇の孫にあたる。だが、その鷹司氏はカネや女性問題ばかりが報じられる田中氏ら執行部に対し、「顔も見たくない」と不信感を募らせてきた。

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それだけに、打田氏や田中氏にとって、「今回の裁判は絶対に負けられない戦い」(前出・本庁関係者)だった。事実、神社本庁は裁判所に提出した最終準備書面でも、強烈な言葉で体制の正当性を訴えていた。

〈(敗訴すれば)包括宗教団体としての組織維持ができなくなる。被告は、伊勢神宮や皇室と密接な関係があって、いわば『日本の国体』の根幹を護っている最後の砦である。(中略)決して裁判所が日本の国体破壊につながることに手を貸す事態があってはならないと信じる次第である〉
 
だが、“詭弁”は裁判官に通じなかったようだ。
 
奇しくも、判決と同じ日、神社本庁幹部が集まる会議があった。全面敗訴の一報が伝わると、出席者からは「これ以上裁判を続けても恥を晒すだけ」と控訴に否定的な声が上がったという。
 
国体護持の前に、職員の雇用すら守れない神社本庁。八百万の神が泣いている。


引用元:文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/44319

どこの団体でもありそうな、金銭を巡る不祥事の裁判についての報道ですが、ここで注目するべき点は、神社本庁の被告当事者たちが、

 ・『日本の国体』の根幹を護っている最後の砦である
 ・裁判所が日本の国体破壊につながることに手を貸す事態があってはならない

と、かなり強い調子の言葉で同団体の存在意義を主張していることです。もっとも、そんなことは本人たちが仕出かした不祥事とは全く関係はないですし、もしもそう思っているなら、日頃から清く正しく振舞っていれば良いだけなのですから。

私が気になるのは、神社本庁並びに記事に登場するそれぞれの政治団体、宗教団体がおそらく同じメンタリティーで神社運営に関わっているのではないかということです。

繰り返しますが、日本神話はファンタジーなのです。そんな曖昧でいくらでも都合よく解釈できるものを「日本の国体」と捉えているならば、それこそ、この日本と言う国の国体は危ういということになります。

ここで出てきた「最後の砦」なる言葉は

 俺たちの最後の飯の種を奪うな

と言っているようにしか聞こえません。そして、それに続く司法への脅しとも取れる言葉を読むと、

 俺たちこそが国の守護者(神?)である

という、思い上がりとしか表現の仕様がない傲慢な態度が見て取れます。

この記事は特定個人や団体を批難する意図はありませんが、もしかしたら、神社本庁や関連諸団体の関係者の中にも、同じように自分こそ「神に仕える特別な存在」、「我こそ愛国者だ」という思いがあるのではないでしょうか。また、信仰心とは別に、ディズニーランドよろしくこの国家ファンタジーを生活の原資にしようと考える人々がいるのではないかと気になります。

おそらく、史書の編纂が行われた西暦700年代も、史実の記載を巡って政治的な軋轢が強かったのではないかと想像します。それは、各氏族の名誉のためであったり、各種利権を一族独占する裏付けに使おうといった様々な意図があったはずです。それどころか、積極的に歴史をそこで分断・書き換えてしまおうと言う大きな意図が働いた可能性もあります。私はそれを「歴史隠蔽政策」と仮に読んでいます。例えば、ユダヤ的教義を歴史的な痕跡から取り除くといったようなことです。

今現在、今回の訴訟のような出来事が起こるのも、元はと言えば、私たちのルーツを示すはずの古代史が神話化されファンタジーになってしまったことにあります。

その意味で、私たち日本人のアイデンティティーは既に失われた状態であり、真の意味での国体は破戒されたままであると言えます。

私は非力ではありますが、このブログを通して、この国が成立するまでの本当の経緯、神話でない母国の史実を、少しでも取り戻したいと考えているのです。もしもそれが達成できたならば、神話をその拠り所とする現在の神社や神社本庁の在り方は、大きく変貌し今とは全く違うものとなるでしょう。


罪穢れ今はあらじと祓え給ひそ
管理人 日月土


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