名前を消された三嶋

本年1月15日の記事「大空のXXと少女神の暗号」では、アニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」の裏設定に組み込まれた日本古代史を、「少女神」(皇后となった古代女性シャーマン)の女系継承という視点で新たに分析し直してみました。

その中で、卑弥呼の名で語られることの多い、神武天皇の皇后、姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ)を輩出した

 三嶋溝橛(みしまみぞくひ)

という神名、あるいはその家系に行き着きました。

そこで今回は、その三嶋家がどのような家だったのか、取り敢えず現在用意できる資料などから、その輪郭だけでも辿ってみたいと思います。

■三嶋と言えば三嶋大社

三嶋と言えば忘れてならないのは、静岡県の三島市に鎮座する三嶋大社です。私もこれまでに一度だけ同社を訪れたことがあります。

画像1:三嶋大社(画像引用:公式ページ)

まずは、同社のホームページで祀られている祭神を調べると次の二柱とされています。

 ・大山祇命(おおやまつみのみこと)
 ・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)

 参考:http://www.mishimataisha.or.jp/shrine

また、同ホームページには、この二柱の神を総称して三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称するとあります。

私もこのページを訪れて初めて気づいたのですが、ここにはちゃんと「八重事代主」と、しっかり「八重」(やえ)の字が付けられており、一般的な「事代主」の名称とは異なることが明示されています。

但し、その後の説明で「事代主神は俗に恵比須様とも称され・・」云々とあるように、同社においても積羽八重事代主は「事代主」と同一視されているのが窺えます。

以前触れた通り、秀真伝では「コトシロヌシ」と「ヤヱコトシロヌシ」は明確に区別されており、世代の整合性を考慮しても、三嶋大社の祭神は事代主の孫である八重事代主とするのが正しいのではないかと考えられます。

よって、今後の分析では三嶋大明神と称せられる「事代主」とは「八重事代主」を指すとして取り扱います。

さて、もう一柱の祭神「大山祇命」なのですが、これはおそらく、三島水軍で有名な愛媛県大三島にある大山祇神社との関連を意味しているのでしょう。

画像2:大三島の大山祇神社(画像引用:公式ページ)

こちらも非常に興味のあるトピックなのですが、今回はまず八重事代主と少女神との関係についてフォーカスして行きたいと思います。

■東海の三嶋神社群

三嶋大社の御由緒を読むと、いきなり「創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります」とあります。すなわち、神武天皇以前の上代、及び神武天皇直後の上古代については記録がないと言っているのに等しく、ここで早くも、三嶋溝橛に関する調査は一旦ストップしてしまうことになったのです。

もちろん古文献などを漁れば何か出て来るのかもしれませんが、今回はそこまで調査に時間が割けられませんでした。こういう場合は取り敢えず、現在確認が可能な三嶋(三島)系神社の分布を調べてみようと、ネット検索を元に作ったのが以下の図です。

画像3:東海地方を中心とした三嶋神社群
※「三嶋神社」あるいは「三島神社」をキーワードに、近畿から関東までの太平洋側
についてGoogleマップ上を検索したもの。実際には表示されない小社が多く
存在すると思われる。色分けは地域を表したものでそれ以上の意味はない。

三嶋神は知名度が高く、中世期には分祀や勧請などが頻繁に行われたと考えられますから、その数は全国に広く分布すると予想してました。しかしながら、「みシまる 湟耳(こうみみ)」氏が書かれた本「少女神 ヤタガラスの娘」によれば、少女神のルーツは海洋民族にあるとされているので、もしもそれが正しければ、その分布は古代の海岸線に偏っているだろうとも予想していたのです。

上の画像3はまさに、それを示しているとも言え、三嶋(三島)神社は全国各地に広く見られるも、東海地方(静岡県・愛知県)の旧海岸線、相模湾沿岸(神奈川県)、そして房総半島(千葉県)に多く見られ、特に伊豆半島の集中度合いが高いのが分かります。やはり三嶋大社のお膝元だからということなのでしょうか?

■名前を消された三嶋

ここで画像3を眺めてみて、皆様は何か気が付かれませんでしたでしょうか?

もしも三嶋一族が船で海洋を渡っていた一族ならば、太平洋岸の旧海岸線には、多少の濃淡はあれども、まんべんなく三嶋(三島)神社が配置されていると考えられるのですが、画像3には、それが全く見られない地域が見受けられるのです。

画像4:三嶋神社群が局所的に見られない地域

この地図では枠外になりますが、実は紀伊半島南部でも三嶋神社は検索に掛からないのです。もちろんそういう地域があっても一概にそれがおかしいとは言えないのですが、ここで気になるのは画像4の中で示した次の2ヶ所なのです。

 (1)伊勢湾西岸
 (2)銚子、九十九里

この2ヶ所について(神)ブログ読者の皆様は何か思い出されないでしょうか?実はどちらのエリアも

 映画「千と千尋の神隠し」で舞台モデルとされた土地

なのです。詳しくは同映画を題材にした過去記事を参照して頂きたいのですが、果たしてこれを偶然と呼んでよいのか非常に気になるのです。

そしてまたこの2ヶ所は

 (1)猿田彦神社(伊勢市)、椿大神社(鈴鹿市)
 (2)猿田神社(銚子市)、椿海(中世まで存在した内海、現旭市)

と、それぞれ謎の神「猿田彦」所縁の土地として深く関連しているのです。

「千と千尋の神隠し」の主人公「千尋」は、第9代アマカミ(上代の天皇)忍穗耳(おしほみみ)の皇后となった栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)、すなわち少女神をモデルにしたと考えられるのですが、その少女神所縁の地で「三嶋」の名が見られないのはどうしたことなのでしょう?

また、猿田彦については前回の記事「猿と卑しめられた皇統」で分析した結果、これが記紀から名を消された第10代アマカミのホノアカリであろうと結論付けています。その皇后であるオクラ(天鈿女)は、下照姫の血を継承する少女神ですから、この方の場合も栲幡千千姫と同じく、上の両地では三嶋との関係が見られないことになるのです。

 「では、三嶋と少女神の関係は希薄だったのか?」

それについて、私はこう考えます。ホノアカリが日本の皇統史から消された存在なら、その皇后についても、三嶋の名と共に同時に消されたのではないのか、と。

画像5:千葉県長生村の三嶋神社
ここから北側の九十九里浜沿いで「三嶋(三島)」の名は検索ヒットしなくなる

この考察は更に、二人の少女神、栲幡千千姫とオクラ(天鈿女)が、いったいどのような関係で結ばれていたのか、新たな関心をも呼ぶのです。

栲幡千千姫の別称は「スズカ姫」で「鈴」を表し、また、映画の中で千尋の良き指南役として最後まで親身に世話を焼き続けるキャラクター「リン」もまた「鈴」の変名です。ここから、二人は「鈴(すず)」をシンボルとする同系の人物を指すと考えられ、恐らく両者とも同じ少女神で、リンの場合は同地に縁の深いホノアカリ(猿田彦)の皇后オクラ(猿女君・天鈿女)を指すと考えるのが可能性としては一番妥当でしょう。

画像6:映画「千と千尋の神隠し」から千尋に目を掛けるリン
それぞれ栲幡千千姫、オクラ(天鈿女)の二人の少女神をモデルにしていると考えられる

結局、三嶋について考察らしい考察にはならなかったのですが、これまでに導いてきた少女神に関する結論と奇妙な関連性を見つけた、それだけは言えるのかもしれません。


見晴らせば北に白里浜続く今は隠れし白鳥の山
管理人 日月土


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