少彦名と淡島

神話に登場する少彦名(すくなひこな)について考察するシリーズの第4弾です。昨年11月15日の記事「市杵島姫と少彦名」の中で、淡島(あわしま)神社が一般的に少彦名を祀る神社として知られていると説明しました。

日本書紀の本編では有名な国生みの段で、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が最初に作り出した島が「淡路島」とありますが、この淡路島と淡島は明確に異なるものとして記述されています。

では淡島とは何なのか、今回はこの「淡島」について少し考察してみたいと思います。

■ナギ・ナミと国生み

まずは古事記と日本書紀について具体的に「淡島」について触れている箇所を原文から引用してみます。

 ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と
 この天の御柱を行き廻(めぐ)り逢ひて、みとのまぐ
 はひせむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りてすな
 はち、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢は
 む」と詔りたまひき。約(ちぎ)り竟(を)へて廻る時、
 伊邪那美命先に「あなにやし、えをとこを」と言ひ、
 後に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを」と言
 ひ各々ひぎへし後、その妹に告げて、「女人(をみ
 な)先に言へるは良からず」と曰りたまひき。然れ
 どもくみどに興して、子水蛭子(ひるこ)を生みき。
 この子は葦船に入れて流し去(う)てき。次に淡島を
 生みき。こも子の例(かず)には入らず。

 岩波文庫 古事記 上 淤能碁呂島から

 「妹は左より巡(めぐ)れ。吾は当(まさ)に右より巡
 らむ」とのたまふ。既にして分れ巡りて相遇ひたま
 ひぬ。陰神、乃(すなは)ち先づ唱へて日はく、「妍
 哉(あなにゑや)、可愛少男(えをとこ)を」とのたま
 ふ。陽神、後に和(こた)へて日はく、「妍哉、可愛
 少女(えをとめ)を」とのたまふ。遂に為夫婦(みとの
 まぐはひ)して、先づ蛭児(ひるこ)を生む。便ち葦船
 に載せて流りてき。次に淡洲(あはのしま)を生む。
 此亦(これまた)児(こ)の数に充れず。

 岩波文庫 日本書紀 神代上 一書から

男神(イザナギ)と女神(イザナミ)が交じりあって国土を生み出すという、なんともエロティックかつファンタジックな神話なのですが、当然ながら、本ブログでは史実における重要情報が、これらの神話化された婉曲表現の中に圧縮して詰め込まれていると考えます。

このシーンが大変重要な部分であることは、過去記事「時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」(2)」でも触れたように、2016年の大ヒットアニメ「君の名は」の中でも物語の中核部分として使われているほどです。

さて記紀の記述では

 古事記: 蛭子と淡島を生み出すが、蛭子は葦船で流し淡島は数えない
 日本書紀:蛭児と淡洲を生み出すが、蛭児は葦船で流し淡洲は数えない

とあります。

蛭子(ひるこ)は一般的に不具の子を指し、そのため流されたと解釈されがちですが、秀真伝をみるとヒルコは登場せず、その代わりイザナギとイザナミの間に次のような子が居たとされています。

 秀真伝:ヒルコヒメ(別名でワカヒメ、シタテルヒメ)

「ヒメ」とあるので、どうやら女性のようなのですが、これをシタテルヒメと読むと、実は記紀においても別の箇所で登場するシーンがあるのですが、それについてはまた別に論じます。

さて、二人の子がノーカウントとなった理由として、

 古事記: 女神イザナミが先に声を発したから
 日本書紀:女神イザナミが(御柱を)左回りで回ったから

と書によって少々異なるのですが、とにかく男女の本来取るべきポジションが正反対だったので国生みに失敗したと言いたげなのです。

次に肝心の「淡島」なのですが、蛭子は船で流したとしているのに「数に入れない」とはいったいどういうことなのでしょうか?

■淡島は異世界の人物だった?

ちなみに、記紀共に国史とされているのですが、記紀の役割とは一般的な国史を語るというよりも、

 皇統史

すなわち歴代天皇及びその近親者の記録を書き残したものと見るのは、おそらくどなたも異論がないところだと思います。そもそも、日本書紀などは歴代天皇の名がインデクス代わりになっているくらいですから。

つまり、天皇家に直接関わりのない人物の記録は書き残す必要がないのですが、それでも同時代において最重要と思われる人物については「数に入れられない」、すなわち「天皇家の血縁者ではないが」と敢えて断りを入れるのが皇統史編纂者の一種の記法であったと考えられるのです。

すなわち、「淡島」の人物として考えられる姿とは

 異文化人・異世界人・外国人

といった類の人物で、おそらく当時の日本人からも一見風貌が異質な人物であったと考えられます。また、異文化人であるがゆえに、当時の日本人たちが知らない多くの知恵を携えていた可能性も大きいでしょう。

この、知恵者であり見た目も異質な人物とは・・・もうお分かりだと思いますが、それが大国主による国作りをサポートしたとされる

 少彦名

その人であり、そうであればこそ、淡島が少彦名の代名詞として呼ばれるのにも納得が行くのです。

■葦船の船が意味するもの

淡島解読の論理で蛭子(ひるこ)を考察すると、やはり蛭子あるいはヒルコヒメも皇室の血縁者でなかった可能性が高いと考えられるのです。

ここで「葦船に乗せられて」という下りが非常に意味を帯びてきます。というのも、少彦名の探求は宗像三女神から始まった訳であり、その三女神には

 方舟

という記号が初めから見え隠れしているからなのです。

そういえば、少彦名も「カガミの舟」に乗って現れことは過去記事「少彦名とは誰なのか」で既に触れています。

宗像三女神登場の後に突然発生する彦火火出見王朝(現天皇家)も出自が不明であり、どうやらナギ・ナミ時代の前後は

 方舟・大洪水・異世界人の流入

等が同時発生したたいへん混乱した時代であったと想像されるのです。

この時代はまた、天照(あまてらす)、月読(つくよみ)、素戔嗚(すさのお)の三貴子の時代でもあり、現代に続く古代日本の変動期についてまだまだ考察しなければならないことが多いと私は感じるのです。

画像1:昨年末、福岡県の能古島へ調査に向かいました。この島がアニメ「しかのこのこのここしたんたん」のメインキャラの命名モデルになっていることは再三お知らせしています。
画像2:そして、この島には「いざなぎ石」と「いざなみ石」が置かれているのですが、これはいったい何を意味しているのでしょうか?これについては次のメルマガで私の考察を述べたいと思います。


管理人 日月土


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