前回の記事「男神猿田彦の誕生」で伊勢の猿田彦神社のことを話題に取り上げましたが、その後、この神社に置かれた方位石が現在の芸能-テレビドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり(カネ恋)」に関する呪術と関係ありそうだと(真)ブログ記事「三浦春馬の死とカネ恋の呪い」で取り上げました。
歴史の話からは少し離れるかもしれませんが、その関係性についてここで少し補足したいと思います。まずは、方位石の写真を再掲します。
この方位石が陰陽五行と十二支十干の思想に基づいているのは一目瞭然です。
次に、ドラマの登場人物と方位の関連性を示した(真)ブログ記事に掲載の分析図を、この方位石の示す方角に合わすよう南北を逆転させ、更に十干による方位を描き足すと次の様になります。
この図を見るとよく分かるのですが、巽(たつみ)の方角、つまり東南方向には該当するドラマの役名がありません。つまり、全方位を示す文字がその方向には欠けているのです。おそらく、この欠損は意図的に為されたものであり、それこそがこの呪術の中核であると考えられます。
さて、次に猿田彦神社の敷地内がどのようになっているのか見てみましょう。
方位石の東南方向に何があるでしょうか?画像を見れば分かるように、そこにあるのは
佐瑠女神社(さるめじんじゃ)
なのです。
猿女とは天鈿女のことであり、天鈿女が岩戸の前で踊ったという神話から、芸能の神として、特に芸能関係者から崇められていることはこれまで「伊勢の油屋と猿田彦」でも書きました。
真)ブログ記事でも触れてますが、このドラマの設定は間違いなく陰陽道系の呪術者によって設計されていると断言して良いでしょう。この中で呪いとして最も分かりやすいのが、人の名に「サル(猿)」などと獣を表す蔑称を用いていることです。
名前による呪いについては、この他に日本武尊(ヤマトタケル)の名前の例がより参考になります。
秀真伝研究者の池田満氏によると、江戸時代までの日本武尊の正式な呼び名は
ヤマトタケ
であり、最後の「ル」の文字は、近年になって後付けされたものだとしています。実際に秀真伝のヲシテ文字による記述は「ル」なしの「ヤマトタケ」になっています。
私の調べでは、どうやら「ル」の字には呪いの意味があり、日本神話の神名には意図的に「ル」の字が付加された形跡があるのです。
ここで猿田彦・猿女の記述を分解し呪い文字の「ル」の字を除くと次の様になります。
猿田彦 → さルたひこ → さたひこ
猿女 → さルめ → さめ
実際に、伊勢の猿田彦神社の本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる二重破風の妻入造を施した独自の建築様式を用いています。そして、島根県の出雲二宮、かつては一宮だった佐太神社の祭神とは猿田彦なのです。
ですから、「さたひこ」こそが猿田彦の正式名であり、猿女についても「さめ」と呼ぶのが正しいのではないかと考えられます。そして何より、
東南に「鮫」(さめ)の字を当てた辻褄も合ってくるのです。
さて、画像1を見ると中央に「古殿地(こでんち)」とあることから、かつての猿田彦神社の本殿はこの方位石の真上にあり、この石はおそらく旧社殿の心柱(しんばしら)の位置に置かれたのかもしれません。
この意味は非常に重要で、この神社の当初からのターゲットは、その神社名に冠された「猿田彦」ではなく、むしろこちらの佐瑠女神社であり、この呪術形態を鑑みると過去から現在に至るまで「さめ」さんを呪う呪術的性格が非常に強い神社であったと考えられるのです。
この仮説を裏付けるかのように、佐瑠女神社のすぐ後ろには、全長140㎝位の平べったい石が置かれています。
この様式は古代人が墓に使った支石墓とたいへん似ており、もしもこれが墓石ならば被埋葬者は子供か小柄な人物であったはずです。
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この神社が基本的に呪術を目的としていることから、個人的には少女もしくは意図的に生長を止められた古代女性シャーマンだったのではないかと推察します。要するに生贄にされた女性(巫女)ではないかということです。
ここで行われている呪術が具体的にどのようなものであったのかは、考察にもう少し時間を要するのですが、日本書紀に書かれた次の一節がこれを理解するヒントになるかもしれません。
すぐに降ろうとされるころに、先払いの神が帰っていわれるのに、
「一人の神が天の八街(道の分れるところ)に居り、その鼻の長さ七握ななつか、背の高さ七尺あまり、正に七尋というべきでしょう。また口の端が明るく光っています。目は八咫鏡のようで、照り輝いていることは、赤酸漿あかほおずきに似ています」
と。そこでお供の神を遣わして問わせられた。ときにハ十万の神たちがおられ、皆眼光が鋭く、尋ねることもできなかった。そこで天鈿女に特に勅していわれるのに、
「お前は眼力が人に勝れた者である。行って尋ねなさい」
と。天鈿女はそこで、自分の胸を露わにむき出して、腰ひもを臍の下まで押しさげ、あざ笑って向かい立った。このとき街ちまたの神が問われていうのに、
「天鈿女よ、あなたがこんな風にされるのは何故ですか」
と。答えていわれるのに、
「天照大神の御子がおいでになる道に、このようにいるのは一体誰なのか、あえて問う」
と。街の神が答えていう。
「天照大神の御子が、今降っておいでになると聞いています。それでお迎えしてお待ちしているのです。私の名は猿田彦大神です」
と。そこで天鈿女がまた尋ねて
「お前が私より先に立って行くか、私がお前より先に立って行こうか」
と。答えて、
「私が先に立って道を開いて行きましょう」
という。天鈿女がまた問うて
「お前はどこへ行こうとするのか。皇孫はどこへおいでになるのか」
と。答えていうのに、
「天神の御子は、筑紫の日向の高千穂の槵触峯くしふるたけにおいでになるでしょう。私は伊勢の狭長田さなだの五十鈴の川上に行くでしょう」
と。そして、
「私の出所をあらわにしたのはあなただから、あなたは私を送って行って下さい」
といった。天鈿女は天に帰って報告した。皇孫はそこで天磐座あまのいわくらを離れ、天の八重雲を押しわけて降り、勢いよく道をふみわけて進み天降られた。そして先の約束のように、皇孫を筑紫の日向の高干穂の槵触峯にお届けした。猿田彦神は、伊勢の狭長田の五十鈴の川上に着いた。
天鈿女命は猿田彦神の要望に従って、最後まで送って行った。時に皇孫は天釧女龠に勅して、
「お前があらわにした神の名を、お前の姓氏うじにしよう」
といわれ、猿女君の名を賜わった。だから猿女君らの男女は皆、君と呼んでいる。これがそのことのいわれである。
講談社現代文庫「日本書紀(上)」より神代下 監修 宇治谷孟
この件に関しては、史書の暗号解読やアニメの構造分析などとのんびり構えてはいられません。実際に俳優の三浦春馬さんは2年前の2020年7月、クローゼットで首を吊るなどという、自殺と言うにはかなり不審な死に方をされています。
そして、同年9月には映画での共演関係でもあった女優の竹内結子さんも、同じような死に方をされているのです。
私は、この事件が自殺か他殺かなどと問う立場にありませんが、このようにはっきりと古代呪術の痕跡を認めた以上、二人の死と呪術との関係をあっさりと否定することもできないのです。
むしろ、最近になってこのような有名芸能人の名前を用いた呪術が使われていることから、この呪いが現在の日本社会全体に広く向けられているのを見て取るのです。
「呪い」などと言うと笑われてしまうかもしれませんが、日本の統治、世界の統治の中枢にいるのはほぼ間違いなく、呪術や魔術を信奉している上に、それに心理学や科学技術の成果を交え行動してくるカルト的思想の集団であり、それが漫画やアニメの世界で留まるならともかく、現実に人の生死に関わっていると考えられる以上、もはやそれを無視したり看過するなどできない状況に至っています。
このサタヒコ・サメに関わる呪術を解く鍵は、実は日本古代史の中にあり、その意味でも史書暗号の解読が急がれるのです。
春の日の黄花青草桜花 馬出る時のここに来たれり
管理人 日月土