古代を隠すコピー地名

昨年の記事「地名が語る古代史」では、同名の地名が全国に幾つも存在し、そもそもどれが地名の起源となったオリジナルなのか簡単に判別するのは難しいことをお伝えしました。ここでは、オリジナル以外の歴史的に後から付けられた地名を「コピー地名」と呼ぶことにします。

日本古代史において、文献を解釈するにあたり地名は重要な要素となることに異論はないかと思います。例えば、次の地名を目にした時、読者の皆さんは日本のどの土地の風景を思い描くでしょうか?

 (1)伊勢
 (2)出雲
 (3)春日

日本史に詳しい方ほど次の様に連想しがちなのではないかと思います。

 (1)伊勢 → 伊勢神宮 → 三重県伊勢市
 (2)出雲 → 出雲大社 → 島根県出雲町
 (3)春日 → 春日大社 → 奈良県奈良市

そして、(4)富士山と聞けばほぼ誰もが静岡県と山梨県にまたがる、あの雄大な富士山を思い浮かべるに違いありません。

図:左から伊勢神宮、出雲大社、春日大社。いずれも神不在の神社。

古文献にこのような地名が登場すれば、まず間違いなく第一印象としてこれらの土地を想起し、その印象に従って仮説を組むはずです。しかも、これらの土地には全国に名の知れた古刹・名山が現代も残っているのですから、そこが文献に現れたその場所であることは、まず疑いのない事実として確信されるのではないかと思います。

ところが、漢字で「伊勢」と書く地名が全国にどれだけあるか調べてみると

 市町村名レベル: 3県 4ケ所 (群馬県伊勢崎市、神奈川県伊勢原市など)
 地域名レベル :29県84ケ所 (宮城県石巻市伊勢町、佐賀県佐賀市伊勢町など)
 (2017年郵便番号データベースから)

など、全国的に同地名が使われているのが分かります。加えて、近代化以降整理されてしまった旧地名や、路地名など住所表記として使われないものまで含めると、いったいどれだけの「伊勢」が全国にあるのか分からないというのが現実です。

例えば、現在福岡県庁がある辺りは、旧土地名で「伊勢町」と呼ばれていたことが、古地図などを見ると確認できます。

しかも、伊勢神宮は全国にその分社がありますし、江戸時代には空前の伊勢参りブームが起きたとも言われてますので、伊勢神宮の名前にあやかって後から地名が付けられたケースも多いかと思います。

図:自作の地名検索ページで関東地方にある「伊勢」の地名を調べた結果。
性能上の問題があり、現在、関係者にのみアドレスを公開しています

本来ならば、これらの地名を冠する全ての土地を調べてから、古文献上の伊勢を特定しなければならないのですが、多くの歴史学者は現在の伊勢神宮のある三重県伊勢市をオリジナルの「伊勢」と決めつけてしまっているようです。

同じように、富士山の記述についても、現在の東海地方の富士山を指すのかどうか、どうも怪しいというお話は(真)ブログの「ラブライブ、忘れちゃいけない田子の浦」で述べています。

気を付けなければならないのは、記紀が神武天皇以前を「神代」と称してうやむやにしているように、古代から現代に至る日本の国史編纂者は、どうやら伝統的かつ意図的に国史を改ざんしていると見られることです。

つまり、コピー地名を全国に複数作り、オリジナルがどこにあるのか特定できないようにしているとさえ考えられるのです。その戦略が背後にあると見立てれば、伊勢神宮や出雲大社、春日大社などは、むしろ歴史のかく乱要素として長期戦略的に建立されたランドマークと考えなければなりません。

神武以前の皇統記を記述している「ホツマ伝」では、「ヒタチ宮」さんがふらっと「イセ宮」さんを訪ねるシーンが記述されています。これを言葉のイメージ通り正直に

 茨城県日立市 → 三重県伊勢市

と解釈すると、このイセ宮さんはどんだけ脚が速いのだということになってしまいます。飛行機でも使ったのでしょうか?これは冗談ですが、ホツマ文献研究者の池田満氏も同じトラップに嵌っているようで、結局、京都・奈良中心の大和朝廷というファンタジーから一歩も抜け出せないままとなっています。これは非常にもったいないことです。

この一点だけ考慮しても、次の様な仮説の方がまだ信憑性があると思うのですが如何でしょうか?

 伊勢とは群馬県伊勢崎のことではないか?

そして、伊勢崎市とその周辺には、下記のように関東を代表する大規模古墳があるのは古代史好きならよくご存知でしょう。

 ・お富士山古墳(群馬県伊勢崎市)
 ・太田天神山古墳(群馬県太田市) ※関東最大の前方後円墳
 ・八幡塚古墳墳(群馬県高崎市)
  等々多数の古墳群がある

関東の大古墳は皆「地方豪族の古墳」で片づけられていますが、その豪族が何者であるかという説明は聞いたとがありません。いわゆる天皇陵と同じ規模、同じ形状の大古墳を建設している事実から、その古墳の主とは豪族などという訳のわからない存在ではなく、大土木をまとめあげるだけの権威を有していた存在、すなはち

 古代天皇または古代天皇家の血縁者

とするのが、より合理的な説明なのではないでしょうか?そして、古代天皇と縁のあるそれらの土地土地こそが、古文献に記述された本来の所在地だと認めることで、謎とされてきた古代の様子がはっきりと見えてくるのだと思うのです。


誠の神力を現す世と成れる
管理人 日月土


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