シタテル姫と呼ばれたヒルコ姫

日本神話では生まれてすぐに流されてしまったとされる蛭子(ひるこ)について、ここ4回ほど考察してきました。そこから、記紀及び秀真伝の伝承の中に蛭子が名前を変えて何度か登場していることが分かってきたのです。

以下は蛭子の別名として付けられたと予想される名前のリストになります。

 蛭子(蛭児) = { ヒルコ姫、ワカ姫、シタテル姫、
          ヒ姫、ワカヒルメ、ハヤアキツ姫 }

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以上の記事の中で、まだ考察の終わっていない別名があるのですが、それが

 シタテル姫(下照姫)

となります。、Wikipediaで「シタテルヒメ」を調べると、表記の違いも含めて実に多くの別名のあるのが分かります。

 シタテル姫 ={ 下光比売命、下光比賣命、下照比売、下照比賣、下照姫命、
        下照媛、高比売命(たかひめのみこと)、高比賣命、髙比売命、
        髙比賣命、高姫命、稚国玉(わかくにたま)、稚國玉 等 }

もはやどの表記を基準にしてよいのか迷ってしまうのですが、ここでは蛭子のことを基本的に「ヒルコ姫」、もしくは「シタテル姫」と書き表すことにします。

■記紀に登場するシタテル姫

実は、シタテル姫について、前に取り上げたことがありましたが覚えておられるでしょうか?それは5年前の記事及び「犬神モロと下照姫」及び「下照姫を巡る史書の暗号」の2編です。

以下に、その時に作成した系図を再掲します。

画像1:「日本書紀」における下照姫を巡る系図
画像2:「古事記」における下照姫を巡る系図
画像3:「秀真伝」における下照姫を巡る系図

これらの系図を見ると、シタテル姫の親の出身家系も史書によっては不明、あるいは異なる家系であったりしますし、もっと頭を悩ますのが、画像3の系図にはシタテル姫が二人も登場することなのです。

一人目が、これまで取り上げてきたイザナギ・イザナミの子でヒルコ姫と呼ばれるシタテル姫、もう一人が、アマクニタマの子で「オクラ」なる別名を持つシタテル姫なのです。この二人は世代的に祖母と孫の関係程度は離れているので、両者は別人であろうとも考えられるのですが、そこで問題となったのはナギ・ナミの子という高貴な出である姫の名を、他所の家がその娘に名付けるのかという疑問なのです。

故に、投稿当時は「秀真伝に登場する二人の下照姫は同一人物ではないのか?」としながらも、これまで未解決の謎としていたのです。

さて、その後の考察で以下について分かってきました。

 アチスキタカヒコネ = アメワカヒコ = 猿田彦 = 火明命

つまり、これらは皆同一人物の別名ということです。

加えて、最近の記事「ムカツ姫とヒルコ姫」に書いたように、記紀において王位6代に亘ると描かれている登場人物たちが、多少の年齢差はあるとしても実は同時代に存命していた人々であるだろうということが分かってきました。つまり神話はこの時代の人物を別名を用いて意図的に世代を引き延ばして表記しているのです。この引き延ばされた時代を私は記号的に「F時代」と呼んでいます。

すると、先ほどの世代が異なる二人のシタテル姫の疑問は容易に解消することになります。つまり同一人物をわざわざ世代を分けて登場させているのであり、次なる疑問点は秀真伝は何故このような改竄ミスとも取れるような表記を残したのかという、編纂者の隠された意図なのです。

火明命は大国主を次ぐ王となることが予定されていた人物ですから、まさにF時代人でありますし、二王朝時代には瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、すなわち少彦名との並立王朝を立てたと秀真伝にあるので、その点でもまごうことなくF時代人なのです。

以上から、図1~図3までの表現の揺らぎを修正した意味は、おそらく次のようになるでしょう。

  火明命 === シタテル姫 (王と女王)

■アメノウズメとシタテル姫

さて、前段のような結論が導かれると当然次のような疑問が再び湧き上がってきます。何故ならば、火明命はアメノウズメ(別名:猿女君、玉依姫)と一緒になって王になったとするこれまでの結論とは異なるからです。

もちろん、アメノウズメはシタテル姫の別名ではないか?という考え方もあるのですが、今のところ、この別名説を支持する表記は見い出せていないのです。

ひとまず別名説を横において、前段の結論を説明しようとした時、以前からお伝えしているように、当時の王権継承は女系を通じて行われていたはずなので、側室として女王を二人置いたというのもまた考えにくく、あるとすれば

 女王を変えざるを得なかった

という事態が発生したというのが最も考えられるケースなのです。

実はその事態がどういうものであったのか、それについては過去記事で既に述べているのですが、お気付きになったでしょうか?それは

  豊玉姫(大国主の女王)と玉依姫(火明命の女王)が出自不明の
  彦火火出見(ひこほほでみ:別名八咫烏)一派に強奪され、王位継
  承権が奪われた

というものなのです。

王位継承権を有する女王が奪われた以上、王の地位に留まるには女王の家系の中から新たな女王を選び、その婿となるしかないのです。

この王権の分裂状況こそが、秀真伝が残している二王朝時代の真の姿であろうと私は考えます。そしてこの時から「ハタレの乱」という長く続く騒乱の時代に古代日本は突入することになったのでしょう。


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