書き換えられた皇統史 – 令和七年のまとめ

令和七年も終わろうとしています。今回は今年最後のブログ記事として、この一年の間に何について書いてきたのか、そのまとめをお届けしたいと思います。

■素戔嗚と世田谷事件

日本神話に登場する天照(あまてらす)、月読(つくよみ)、素戔嗚(すさのお)は三貴子と呼ばれ、特に女神の天照は神社神道において現皇室の祖とされている神として有名ですが、記紀において、月読の記述はほんの僅かですし、素戔嗚についてはその行動に関する記述は多いものの、高天原(たかあまはら)で乱暴狼藉を働き追放されたと思ったら、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して姫を救うなどとヒーロー的な一面も神話には記述されています。

神話に出てくる有名人(神)として非常に個性が強く描かれている素戔嗚ですが、「神話は史実の極端な婉曲表現」と捉えている本ブログでも、その行動の幅広さは実際の史実が何であったのか推測する上で非常に悩ましいものがあります。

そんな中で、日本書紀の一書の中に新羅の「ソシモリ」から素戔嗚が渡ってきたという記述が残されており、その「ソシモリ」が現代韓国語で「牛(ソ)の頭(モリ)」であることから、牛頭天皇(ごずてんのう)とは素戔嗚の別名であるのだろうと容易に考えられるのです。

その「ソシ」から着想を得て、「祖師(ソシ)」を地名に含む東京都世田谷区祖師ヶ谷(そしがや)、そして、26年前にそこで発生したいわゆる「世田谷事件」について、何か関連性があるのではないかと、今年の1月に現地を訪れて視察をしてきました。

以上についてあれこれ推察したのが、以下の3編となります。

 ・素戔嗚と牛頭天皇 
 ・ソシと祖師と世田谷事件 
 ・世界の中の素戔嗚伝承 

■線刻石に描かれた七枝樹

さて、牛頭を象徴するものと言えば、雄牛の頭に生えている二本の角なのですが、実はシュメール文明の遺物には頭に牛角を模した冠を被る王の姿のレリーフが多く見つかっているようです。

この「牛角」の王に対して、必ず対になって描かれるのが「蛇」を傍に置いた女王の姿なのです。そして、王と女王の間には七本の枝を付けた樹木らしきもの(七枝樹)が描かれ、どうやらこれらのセットがシュメール王制を表す重要なシンボルのようなのです。

この「七枝樹」、実は日本の弥生式土器にも見られ、正倉院に収められている樹家美人図の樹木も、元々は七枝樹から来たものではないかと疑われるのです。

画像1:牛角の王、蛇と女王、七枝樹 (シュメールの円筒印章)

素戔嗚と牛頭とシュメールの印章模様、古代日本社会おいてこれらは互いに関係するものなのかどうか、それらについて川崎真治さんという歴史言語学の研究家の著書をタネ本に次の記事を書いてみました。

 ・蛇と樹とシュメールの女王 
 ・七枝樹と弥生土器 

■足摺岬と龍宮伝説

3月頃、四国南端の足摺岬へと調査に行ってきました。土佐清水市内から足摺岬へと向かうその途中に「唐人駄場」(とうじんだば)という有名な巨石群があるのですが、その規模に私も圧倒されました。

この巨石群については分からないことだらけなのですが、現地の地名や神社の祭神を調べていたら、どうやら記紀に登場する「豊玉姫」(とよたまひめ)や「玉依姫」(たまよりひめ)を想起させるものが多く、従来から調査している上記二人の姫及び同時代の関係者と巨石群の間に何やら関係ありそうだというところまでは辿りつけたのです。

 ・唐人駄場の巨石と神話の神々
 ・足摺岬と奪われた女王 

この調査の頃、四国では山火事騒ぎが続き、現地に向かったちょうどその時には高知龍馬空港に米軍のF35戦闘機が緊急着陸したり、唐人駄場に向かう歩道脇の岩に塗料で赤く塗られた真新しい先刻文字が刻まれているなど、具体的な事情は分からないまま、身の周りで不可解な出来事に見舞われた、記憶に残る調査であったことを覚えています。

画像2:誰が何の為にわざわざ古代文字風のメッセージを書き残したのか?
この文字の試訳はメルマガで発表しています

■豊玉姫と玉依姫

以前、アニメ映画「千と千尋の神隠し」の設定に埋め込まれているだろう日本古代史を分析することで、主要キャラクターが神話上の誰をモデルとしているのか、次の結論を得ています。

 ちひろ = 栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)
 リン  = 天鈿女(あめのうずめ)

この分析では、アニメのモデル地、いわゆる聖地として千葉県銚子市及びその周辺地域がその一つであろうとしていました。

さて、同地について以前から気になっていたことがあり、同地域には豊玉姫及び玉依姫に関わる神社が比較的目に付いていたことなのです。

この二人の「玉」の姫が栲幡千千姫や天鈿女とどういう関係なのか謎だったのですが、唐人駄場で二人の「玉」の姫への関心が深まったことから、再び同地へ調査に赴くことになったのです。

その調査記録と考察を綴ったのが次の記事になります。

 ・「千と千尋の神隠し」と龍宮城 
 ・二人の姫と犬吠埼 
 ・二人の姫を巡る探訪(その一) 
 ・二人の姫を巡る探訪(その二) 
 ・二人の姫を巡る探訪(その三) 

ここでの大きな発見は、アニメに登場したお風呂屋さん「油屋」のアニメ描写が、日本神話における「龍宮城」の文字表現と酷似していることなのです。「油屋」が「龍宮城」をモデルとしているのならば、自ずから結論は見えてきます。それは

 ちひろ = 豊玉姫
 リン  = 玉依姫

というもので、すなわち

 栲幡千千姫 = 豊玉姫 (= ちひろ)
 天鈿女   = 玉依姫 (= リン)

という結論が必然的に導かれたのです。記紀など日本古代史の史書をお読みになる方ならば、一人の人物(あるいは神)にいくつも異なる名前、いわゆる別名が当てられているのはよくご存知でしょう。同じことが、この二人の姫のケースにも当てはまるのです。

画像3:油屋のモデルは龍宮城なのか?
© 2001 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDDTM

■天照と素戔嗚の誓約

日本神話には誓約(うけい)と呼ばれる、天照と素戔嗚が交わした約定の場面があります。詳しくは以下をお読みいただきたいのですが、この約定によって5柱の男神と3柱の女神が誕生します。

これはいったい何を意味しているのか?この奇妙な誓約シーンは、私の分析では天照に続く歴代5人の王とその皇后となった3人の女王を指す暗号なのだろうとしています。ちなみに、この3人の女王こそが、世間で言われる宗像三女神(むなかたさんじょしん)なのです。

この誓約シーンをこのように史実として解釈すると少しおかしなことに気付きます。それは次の2点になります。

 ・5人の王と3人の女王では釣り合いがとれない
 ・三貴子の一人である月読が含まれていない

この5人の王ですが、最初のオシホミミ王を除き、それに続く王の名は記紀の歴代王として登場しない王の名が記されています。これはいったいどういうことなのでしょうか?

実は秀真伝(ほつまつたえ)には、記紀とは全く異なる次の記述があるのです。それは

 オオモノヌシ王統なる別の王統が存在した
 ニニキネ(瓊瓊杵尊)の代に2つの王朝に分裂した

というものです。

色々語られたとしても史実は一つしかありません。この混乱を私がどのように分析したのか、それは次の記事を読んだ上で読者の皆様にも考えていただきたく思います。

 ・誓約(うけい)の暗号 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 王の系譜 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 隠津島姫と3女神 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 五人と三人 
 ・誓約(うけい)の暗号 – 剣と王権 

私の結論は、この誓約は結果的に破られることになった本来の王統で、姫は強奪され再婚させられることになった、それが姫の数(3)が王の数(5)より少ない理由であるというものです。この誓約破りの王朝こそが誓約王朝を排除し現日本皇室のルーツとなったというものです。

そして、このような誓約破りが強行されたのも、日本の王権が女系に有り、王家の姫を娶ることが日本の王となる必要条件であったため、このような事態が発生したと私は考えるのです。

なお、月読が誓約シーンに登場しない理由については、以下記事にて手を付けていますが、まだ結論を出すに至っていません。

 ・三貴子の暗号 

■宗像三女神とは誰なのか?

誓約シーンの分析から、宗像三女神と呼ばれる、タギツ姫、タゴリ姫、イチキシマ姫もそれぞれ既出の姫の別名であることが見えてきます。その結果は次の通りです。

 タギツ姫   = 豊玉姫
 タゴリ姫   = 玉依姫
 イチキシマ姫 = 木花開耶姫(このはなさくやひめ)

実は「千と千尋の神隠し」よろしく、宗像三女神は3人の若い女性として、多くのアニメ作品のモデルとして採用されていることが分かってきました。

それらの作品をまた詳しく分析すると、この三女神は洪水伝説の「方舟」と結び付けられていることが分かりましたが、この辺りの分析過程については以下の2編で解説しています。

 ・アニメに表れた宗像三女神 
 ・方舟と宗像三女伸 

■市杵島姫と少彦名

宗像三女神の中で、特に市杵嶋姫(いちきしまひめ)にフォーカスして調べたところ、市杵嶋姫は少彦名(すくなひこな)という人物(あるいは神)の相方であると、能登半島の神社の伝承に残っていることが分かりました。

また、静岡県沼津市の淡島(あわしま)に市杵嶋姫を祀る神社がある事実は、少彦名の代名詞的呼称が淡島であることを考え併せれば、この神社伝承の確からしさを裏付けているとも言えます。

ここで、

 イチキシマ姫 = 木花開耶姫

という等式を用いれば、木花開耶姫の夫は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)ですから、三段論法的に

 少彦名 = 瓊瓊杵尊

という図式が見えてきます。

この辺の推論の経緯については次の2編で述べています。

 ・少彦名とは誰なのか 
 ・少彦名とクエビコ 

少彦名は掌に乗るほどの小男だった、瓊瓊杵尊は天から降りてきた(天孫降臨)など、いくら神話的に演出されているとはいえ、やはりこの人物表現の特殊性は際立っています。

これに加え、タニグク(蛙)とクエビコ(案山子)の神話から、私は少彦名もとい瓊瓊杵尊とは、全世界的に有名な歴史上のあの人物なのではないかと私は疑っているのです。

 
* * *

以上、令和七年の記事について振り返ってみましたが、多少全体の流れが把握できたでしょうか?

来年はまた、日本の古代史、特に神話に書き換えられた神武天皇以前の上代について、更にここから先へと分析を進めていきたいと考えています。


管理人 日月土


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