今月28日、11月に公開される新海誠監督の新作「すずめの戸締り」にタイアップしてか、5年前の大ヒットアニメ「君の名は」が放映されました。
この作品、絵が美しく物語も詩情豊かにまとまっているので、あまりくさすような事を書きたくないのですが、それでも日本のヒットアニメに共通する基本パターンはしっかりと踏襲しており、それについてはやはり指摘しておかなければならないでしょう。
以下、このアニメ作品の構造解析について説明して行きますが、既に同作品をご覧になっていることを前提に進めて行きます。まだ観たことがないという方は、ぜひ鑑賞してから読み始めることをお勧めします。
■時間の循環(ループ)
この物語は、3年前の三葉(みづは:主役の女子高生)と現在に生きる瀧(たき:主役の男子校生)との時間を超えた奇妙な交流から始まります。そのやり取りの手段も、時より二人の心と身体が入れ替わった時に、互いに残した日記を読み合うという、極めてSFファンタジー的な設定となっています。
二人が直接顔を見合わすシーンは、それこそ山上での短い「彼は誰時(かわたれどき)」と、ラストのあの感動的な出会いのシーンだけなのですが、その二人の時間的・空間的距離の遠さこそが、この少年少女の仄かな慕情を募らす大きな要素となっています。この辺の演出はさすがだなと私も感心することしかりでした。
この、可愛らしくも美しい恋慕の情に観る人は心惹かれるのだと思いますが、ところがどっこい、ここにもお約束のテーマがしっかりと隠されているのです。そのテーマが何であるかは、三葉の祖母である一葉(ひとは)のセリフを通して次の様に語られています。
三葉、四葉、結びって知っとるか?土地の氏神様を古い言葉で結びって呼ぶんやさ。この言葉には深い意味がある。糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び、全部神様の力や。わしらの作る組紐もせやから、神様の技、時間の流れそのものを表しとる。寄り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って途切れ、また繋がり、それが結び、それが時間。
この「時には戻って途切れ、また繋がり、それが結びそれが時間。」という部分はたいへん重要で、これは時間の流れというものは永遠普遍ではなく、切れたり繋がり直ったりすると言ってることです。
物語の中でも、3年先の未来の人である瀧の介入により、ティアマト彗星の落下により失われるはずだった三葉の命が救われる、すなわち過去改変が行われるのですが、ここには、
・未来から過去への時間の循環
・過去の事実への介入
という、日本アニメ・映画作品で良く見られるテーマがしっかりと盛り込まれているのです。同様なテーマを表現する作品の例を挙げれば
・ドラえもん
・火の鳥
・時をかける少女
・涼宮ハルヒの憂鬱
・エウレカセブン AO
・シュタインズ・ゲート
・魔法少女まどかマギカ
・Re:ゼロから始める異世界生活
海外作品まで目を向ければ
・バック・トゥ・ザ・フューチャー
・ターミネーター
など、他にも色々あります。また「時間の循環」を「ループ」と置き換えれば次の様な作品もその範疇に入って来ます。
・テラ戦士Ψボーイ
・マトリックス・レザレクション
・鬼滅の刃 無限列車編
世の中の全てのメディア作品に目を通すほど私も暇ではありませんが、これまで観てきたものだけ取り上げてもこの数ですから、「時間循環と過去改変」なるテーマがメディア表現に如何に多く埋め込まれているのかお分かりになると思います。
要するに「君の名は」も、メディア業界における大テーマに沿った作品であり、そこにはまた、人を感動させる以外の別の目的も仕込まれているのだと考えるべきなのです。
■日本神話との関連性
アニメ作品に見られる日本神話との関連性については、これまで、スタジオジブリ作品の「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」についてその神話的・古代史的分析を試みてきました。今回の「君の名は」についても、主人公の三葉の家が代々水宮(みずみや)神社を守る巫女の家系であるという設定が、何やらその関連性を臭わせています。
作品の中では三葉が巫女として鈴を鳴らしながら神楽を舞ったり、口噛み酒を造るシーンが登場します。余談ですが、そもそも「醸す」とは「噛む」から来ている言葉で、「かむ」はそのまま「神(かむ)」に通じ、本来は神聖な行為であることを意味してます。それについて一葉おばあちゃんが語るシーンもあり、このようなディテールの細やかさはこの作品の大きな特徴でもあります。
さて、読者の皆様におかれましては、分析を進める前に、まず次の点について考えてみてください。
ジブリ映画「もののけ姫」の構造分析では、その主人公であるアシタカとサンがそれぞれ日本古代史(あるいは日本神話)における「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」および「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」をモデルにキャラクタ設定されていると結論を得ました。詳しくは過去記事をご覧になってください。
そこで同じように「君の名は」が日本古代史をモデルにしていると仮定した時、
・三葉のモデルは誰なのか?
・瀧のモデルは誰なのか?
これを考えてみて欲しいのです。
三葉(みづは)という名前の響きから、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)、古事記では弥都波能売神(みづはのめのかみ)と表記される女性神が連想されますが、この神様、両書の記述に共通しているのが、伊邪那美命(いざなみのみこと)の尿(ゆまり:おしっこ)から和久産巣日神(わくむすびのかみ、男神)と共に誕生したと記述されいる点です。
「むすび」とは、上述の一葉おばあちゃんのセリフにも出てきており、この語呂による関連性の推測が全く的外れということも無さそうです。
他に似たような名前も見つからないし、だったら、三葉のモデルが罔象女神で、瀧のモデルが和久産巣日であるとしても良さそうなのですが、それだと、一葉、二葉、四葉など近親者との関係性がうまく説明できませんし、わざわざ二人の主人公の超時空的なめぐり逢いを強調する意味も見出せません。どうやらこれについてはもうひと捻りする必要がありそうです。
■ティアマト神とは何か
この映画の冒頭は天空を流れる美しく輝いて流れるティアマト彗星のシーンで始まります。もしもこの映画に神話的モデルがあるならば、当然ですが最初のこのシーンに何か大きな意味が込められていると考えられます。
ティアマトとはメソポタミア神話に登場する女神で、多くの神々を誕生させた原初の神、海の女神とされるも、その存在については抽象的に描かれていることが多く、容姿などについては蛇神、ドラゴン、など異形の神とも考えられていたようです。
バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』のあらすじについて、Wikiの解説は次のように記述しています。
ティアマトはアプスーを夫として多くの神々を誕生させたが、新しい世代の神々の騒々しさに耐えられず、ついに神々の殺害を企てる。
(中略)
ティアマトは一人でマルドゥクに挑み彼を飲み込もうと襲い掛かったが、飲み込もうと口を開けた瞬間にマルドゥクが送り込んだ暴風によって口を閉じられなくなり、その隙を突いたマルドゥクはティアマトの心臓を弓で射抜いて倒した。
ティアマトを破ったマルドゥクは「天命の書版」をキングーから奪い、キングーの血を神々の労働を肩代わりさせるための「人間創造」に当て、ティアマトの死体は「天地創造」の材料として使うべくその亡骸を解体。二つに引き裂かれてそれぞれが天と地に、乳房は山に(そのそばに泉が作られ)、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じたとされる。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。
引用元:Wikipedia
この世に多くの神々を生み出したティアマトは、メソポタミア神話の英雄であるマルドゥクとの闘いに敗れはしたものの、その死骸から世界の原型が生まれたとされています。
多くの神々の生みの親となり、死んでなおその身体から天地が創造された海の女神!?大雑把ですが、これと似たような話、何だかどこかで聞いたことがないでしょうか?
天地創造とはまさに「国生み」であり、死とは「黄泉の国」へと去ること、そしてその肉体や排泄物から多くの神々を生み出したとは、前述の罔象女神で述べたように、記紀の神代に記された伊邪那美命の描写に極めて類似しているのです。
ここで、物語に登場する幾つかのキーワードは次の様に繋がってくるとは考えられないでしょうか?
ティアマト彗星 → ティアマト神 → 伊邪那美命
水宮 → 水の神 → ティアマト神 → 伊邪那美命
三葉(みづは) → 罔象女神(みづはのめ)の親 → 伊邪那美命
そしてまた、物語冒頭にティアマト彗星が登場するということは、
全ては伊邪那美命から始まる
の意であり、古代史における伊邪那美命からの繋がりを辿ることで、三葉のモデルがいったい誰なのか、それを特定するための道筋が見えてくるのです。
* * *
このテーマは2回に分けて記述したいと思います。読者様へは
三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?
という質問を投げかけておりますが、私が予想している答が必ずしも正解とは限りませんので、どうぞ皆様も一緒に考えて欲しいのです。
その際は、どうして「身体と心の入れ替わり」という表現が使われたのか、また、どうして二人が互いを「君(きみ)」と呼ぶのか、その辺も併せて考えてみてください。
これらを齟齬なく網羅できる解答こそが、おそらく正解なのだと思います。そして最も肝心なのが、どうして日本古代史を執拗にそのモチーフに使おうとするのか、それも時間の循環と重ねて、その辺の制作者側の真意なのです。
時越えて打ち寄す波の海原に何をか結ばん三島姫神
管理人 日月土
“時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」” への1件のフィードバック