こ数か月、関東の記事が続いてしまいました。今回は少し視点を変えて、数年前に調査した九州の古墳・遺跡群についてレポートしたいと思います。
■装飾古墳とは何か
古墳と言えば、天然石で組まれた石室と石棺などがイメージされますが、中には棺や、それを納める石室の壁面に、模様を刻んだり、着色された絵などを施した装飾古墳(そうしょくこふん)というものがあります。
取りあえず、Wikiペディアではどのように説明されているのか調べてみましょう。
装飾古墳(そうしょくこふん)は、日本の古墳のうち、内部の壁や石棺に浮き彫り、線刻、彩色などの装飾のあるものの総称で、墳丘を持たない横穴墓も含まれる。大半が九州地方、特に福岡県、熊本県に集中している。福岡県桂川町の王塚古墳(国の特別史跡)、熊本県山鹿市のチブサン古墳などが有名である。
引用元:Wikiペディア「装飾古墳 」
Wikiの説明にもあるように、実はこの装飾古墳は九州にあるものが、他の地域におけるその数を圧倒しているのです。
私も、とても全部を回りきれてはいませんが、次の古墳に赴いてその装飾デザインを見てきています。
竹原古墳 福岡県宮若市
王塚古墳 福岡県桂川町
チブサン古墳 熊本県山鹿市
※当時撮影した写真を紛失してしまったので、上記画像は福岡・熊本両県の各自治体公式ページから拝借しています。
・宮若市公式ページ:竹原古墳
・王塚装飾古墳館公式ページ:墳丘と石室
・山鹿市公式ページ:チブサン古墳
今回は、この中から特に熊本のチブサン古墳を取り上げたいと思います。
■チブサン古墳、謎の人物画
まずはこの古墳の名前の由来ですが、一般的な説明では、石室内の石屋形(いしやかた)内壁に描かれた装飾文様の中に丸い乳房のような形状が2つあるので、そこから名付けられたことになっています。仮にも古代の有力者のお墓なのに、そんな名前の付け方ってどうなんだろう?とは思うのですが、まあ、分かりやすいといえば分かりやすいですよね。
そして、チブサン古墳で最も注目されるのが、3方向に分かれた冠を被った、あるいは、3本の角を生やした人物のような絵がそこに描かれていることです。
この人物画とその上に描かれた7つの丸い円を以って、「UFOとそこから降り立った宇宙人だ!」と騒ぐ方もいらっしゃるようですが、想像するのは自由だとは言え、まずはなるべくオーソドックスな解釈から入るのが正道でしょう。普段から変なことばかり書いてる私が言うのも何なのですが…
■失われた石板の謎
現地にてたいへん物知りで熱心な学芸員さんの説明を聞きながら、私は覗き窓越しにこの装飾を眺めました。
そして、最初に違和感を感じたのが、
石屋形の壁を構成している石板の1枚が欠けている
ことなのです(画像3)。学芸員さんの説明によると、この古墳が発見された時には既に盗掘されて古墳の口が開いており、石板もおそらく盗掘時かそれ以降に持ち出されたのだろうとのことです。
しかし、待ってください、石室内の祭具や宝飾品類が盗み出されるのまでは理解できますが、どうして、重くて大きな石板を持ち出したのでしょう?それも1枚だけ?もしも装飾に価値があるのなら、墳丘を崩して全部持ち出せばいいことです。それをわざわざ1枚だけ、狭い入り口からいそいそと運び出したその理由が理解できないのです。
ここで、このブログがこれまで主張してきた次の基本的な考え方を思い出してください。
記紀は真の日本史を書き換えるために編纂された
つまり、上古代に実在したはずの古代天皇を全て超自然的な神様に祭り上げ、八百万の神々を創作してしまったというアレです。すると、国家的とも言えるこの歴史隠蔽政策は、記紀が編纂された西暦700年代以前の古代期には既に始まっていたと考えられるのです。そして、チブサン古墳が築かれたとされる古墳時代後期はちょうどその政策が全国に広がり始めた頃だと想像されるのです。
何が言いたいかというと、埋葬当時やそれ以前を想起させる歴史情報の多い「装飾文様」なる媒体は、同政策遂行上たいへん目障りだったと考えられるのです。だからこそ、装飾された石板の中でも、後世に最も知られてはならないものだけを、どこかの時点で運び出したのではないかと考えられるのです。
私は、おそらくその盗まれた石板に描かれていたのは「文字」だったのではないかと予想しています。
ここまで書くと、読者の皆様の中には
ならば、石板を全て持ち出し、古墳を丸ごと潰してしまえばよいではないか
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。それは、その通りなのです。私もそこまでして昔のことを知られたくない人たちが、どうしてその他の石板をそこに残したのだろうかと考えあぐねていましたが、よく考えたら、その答はとても簡単であることに気付きました。
誤った歴史観を植え付けるのに利用すればいい
要するに、歴史文献における記紀と同じで、装飾そのもに手を加えて後代の発見者を誤誘導、あるいは攪乱させようと考えたはずなのです。そして、おそらく文字が書かれた石板だけは、盗掘者も解読の必要があり、資料として持ち出さざるを得なかった。そう考えると辻褄が合ってきます。
ですから、チブサン古墳の装飾文様が、果たして建設当初のままだったかどうかはたいへん疑わしいのです。そうなると、宇宙人と呼ばれる人物画の形状も、そのまま素直に受け取ってよいのだろうかという疑問が生じるのです。
何しろ、3本の角とは、悪魔バフォメットの象徴でもあり、こんなものを死者を安置する聖所に描くこと自体があり得ないのです。むしろ、埋葬者を侮辱するため、後からわざと悪魔を描いたと考える方が自然なのです。
なお、当時の人々が悪魔バフォメットの概念を理解していたのか?それについて疑問を持たれる方は、前回の記事で「ユダヤ人埴輪」を取り上げたことを今一度思い出してください。古墳時代には、旧約聖書における神と悪魔の対立概念が日本の地に存在していたと考える方が自然なのです。ですから、その時代以降から現在に至るまで、どの時代にバフォメット像が描かれたとしても不思議はないのです。
■チブサで読み解く人物画
ここから更に推論を加えて行きます。必ずしもこれが正解であると主張するつもりもありませんが、日本の国家的な歴史隠蔽政策という考え方に矛盾が無いよう論を進めると、どうしてもこういう結論になってしまうのだとご理解ください。
さて、ここでもう一度「チブサン」という違和感たっぷりの名前に焦点を当ててみます。この変な名前の由来は上述した通りなのですが、こういう命名にしたのは、親しみを感じるからというよりは、むしろ
何かの暗号、あるいは暗示
を残したかったからだとも考えられます。ここで、画像4(チブサ)と画像5(人物)を見比べます。
そもそも、この乳房と呼ばれる模様自体が、全体の装飾文様の中では何か違和感を感じさせます。そして、これが「チブサン」なる暗号を残した意味だとすれば、おそらくこの乳房の絵は後から描き加えられたものであり、この中にに何かの意図が隠されていることになります。
私はこれをオリジナル装飾の復元コードなのではないかと解釈しました。乳房の絵は、「赤丸の中に白丸、そして白丸の中に小さな黒丸」となっており、それが少し離れて二つあるという構造を取っています。
これってどうなんでしょう、当初からこれは乳房の絵だという先入観から入りましたが、何の情報もなければ私たちはこれを見てこう思ったはずです
これは「目」じゃないのか?
そして、この復元コードを先の人物画に適用して得られたのが次の図なのです。
頭部の切れ込みのように赤く塗られた部分に、白目と黒目を入れるともう少し現実的な人物画が浮き出してくるのです。
ここまで紐解いたとき、次に問題になるのは、以下の点です、
どうしてこの人物画を隠さなければいけなかったのか?
もちろん、バフォメット像をそこに描きたかったというのもあるでしょうが、理由がそれだけならば、わざわざ「チブサン」などという暗号名を残して、事情を知る関係者に対して特に注意喚起を求める必要などなかったはずなのですから・・・
■トンカラリンの住人
さて、ここでチブサン古墳から一旦離れ、周囲にある遺跡に目を向けます。熊本県山鹿市から隣の玉名市にかけては古墳等の遺跡が非常に多い所なのですが、今回はあの有名な石組みの遺構、玉名市にあるトンカラリンに注目します。
トンカラリンと言うと、あの戦時歌謡「トントン トンカラリと 隣組♪」の「隣組」を思い出す方もいらっしゃると思います。当然ながら、私はこの歌と遺跡の間に関係があると見ていますが、今回はそこにフォーカスしません。
トンカラリンがどのような遺跡なのか、それを知るのにちょうどよい観光PR動画があるので、まずはそちらをご覧になってください。
この動画の中で、縦横70㎝ほどの、大人が這ってやっと通れるような石組みのトンネル(動画では暗渠と呼ばれている)が出てくることにご注目ください。
これについては排水路なのではないかという意見もあるのですが、これに続く階段が設けられていたりするので、どうも水路とも言い切れず、一体全体いつ誰がどんな目的でこんな狭いトンネルを作ったのか、謎とされています。
ここで再び、先ほどのチブサン古墳の人物画(画像8)に注目してください。画像ではこの人物画がどれくらいの大きさで描かれているのか分かりませんが、石板の高さが1.4mですから、描かれた人物の身長は50cmくらいかと思われます。
私は、この人物画は実寸大に描かれているのではないかと考えています。つまり小人型の人間が古墳時代の当時この地域にいたのではないかということです。そう考える理由はこれまで述べてきた通りで、それをまとめると次のようになります。
(1)わざわざ人物画を改竄し、注意を促す暗号を残している
(2)トンカラリンの石組トンネルの小ささが説明できる
「またまた、変なことを言って~」という読者様の声が聞こえてきそうですが、実は過去記事「異形の人々考」で古代期における巨人の実在可能性を論じた時と、議論の本質は全く変わらないのです。
ただでさえ、童話の中では小人がたくさん登場し、それに加えギリシァ神話のピュグマイオイ、ガリバー旅行記のリリパット、北海道のコロボックルなど、小人に関する話題は昔から世界中で見られるのです。現存する小人では大人の身長が150cmほどの、アフリカのピグミー族が有名です。
以上のような事実を踏まえると、巨人種や有角種などと同じように、かつて小人種が地上に生存していた時代があったと仮定しても、それほど突飛な発想ではないだろうと思われます。
むしろ、米国スミソニアン博物館が必死になって巨人の骨を隠すように、この日本でも同じように巨人種や小人種などの異形種の痕跡を消そうとしている、そしてこの作業自体が、過去から連綿と続く歴史隠蔽政策の一環なのだろうと窺われるのです。
そのような、不都合な歴史の痕跡を漏らさず摘み取らんとする強い意志を表しているのが、実はこの「トンカラリン」という奇妙な名前なのですが、これはおそらく「トゥカラリーム」という音から来ているのでしょう。その考察については、メルマガ及び次回以降のテーマとしたいと思います。
最後に、チブサン古墳に描かれた七つの白丸とは、私が調べた限りではギリシャ神話に登場する「パンドラの箱から放たれた七つの災い」を象徴しているようなのです。そうなると、ユダヤどころかいよいよここは日本なのかギリシャなのかというヘンテコな話になってしまいます。
この話をヘンテコな珍説だと言って一笑に付すのは簡単なのですが、でもこうは考えられないでしょうか?歴史隠蔽政策は日本だけでなく
かなり古い時代から世界規模で行われている
のではないのか?こう考えると、巨人や小人、有角人(鬼)など多様な異形種の伝承、ユダヤやギリシャが混在する日本の古代遺跡の姿、なおかつそれを隠そうとする現在の動きまでが全てカバーできるのです。
まさに歴史の陰謀論ですが、それではなぜ、隠蔽の首謀者たちはそこまで膨大なエネルギーと長大な時間を掛けてまで真の世界史を隠そうとするのか・・・という次の大問題が浮上してくるのです。
私が(新)(真)(神)の3つのブログで扱っているテーマとは、詰まるところ、複数のアプローチからその唯一の理由を追い求めているだけとも言えるのです。
災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。「誰が我らを見るものか/誰が我らに気づくものか」と。
(イザヤ書 第29章15節)
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
(ヨハネによる福音書 第17章3節)
奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土
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