埼玉県とサキタマ姫

前回の記事「サキタマ姫と玉依姫」では、埼玉県行田市にある前玉神社(サキタマ神社)の御祭神、前玉姫(サキタマ姫)について、古事記の記載からはその素性が追えないとしましたが、その後、その記述を再解釈することにより、その様子が朧気に見えてきました。

画像1:前玉神社(画像引用:Wikipedia

本件については、4月16日配信のメルマガ100号「記事解説」で既に触れていますが、改めてそれについてここで述べたいと思います。

■古事記の中の前玉姫

まずここで、前回でも引用した古事記の本文を再度ここで掲載します。

大国主神、また神屋楯比売(かむやたてひめの)命を娶して生みし子は、事代主神。また八島牟遅能(やしまむぢの)神の女(むすめ)、鳥取(ととりの)神を娶して生みし子は、鳥鳴海(とりなるみの)神。この神、日名照額田毘道男伊許知邇(ひなてるぬかたびちをいこちにの)神を娶して生みし子は、国忍富(くにおしとみの)神。この神、葦那陀迦(あしなだかの)神、亦の名は八河江比売(やがはえひめ)を娶して生みし子は、速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみの)神。この神、天之甕主(あめのみかぬしの)神の女、前玉比売を娶して生みし子は、甕主日子(みかぬしひこの)神。

岩波新書 古事記(上) 神代 大国主神「大国主の神裔」より

これは大国主から続く系譜を、その皇后と共にただ名前を書き綴っただけであり、ここに登場する前玉姫がどのような方であるのか、これだけでは知る由もありません。

これを、系図に落とすと次のようになります。

画像2:古事記から作った系図

但し、系図に落してみると、少々気になる点があることに気付きます。それは図中の矢印で示した「甕」(みか)の文字なのです。

「甕」が家系を表す何かの記号ならば、前玉姫の父とその夫に同じ文字が使われているのは釈然としません。もちろん同族ということはあるのかもしれませんが、それならば、国忍富より前の代にその文字が全く使われていないのはどういうことなのでしょうか?

前からお伝えしているように、現在残されている史書は全て改竄されたものと見る必要があるのですが、それでも正史が消滅しないように、史書編纂者はそれと分るサインを文中に残していると私は考えています。

それが、私が

 史書は暗号の書

と呼ぶ理由なのですが、するとこの「甕」の文字の配置は、まさしくこの系譜に加えられた改竄の跡を示す記号とは考えられないでしょうか?

■系図の少女神解釈

「皇統は女系によって継承される」、これは本ブログの歴史解釈で採用している「少女神解釈」であることは、本ブログの読者様ならもはや説明は不要でしょう。

「ヤタ娘」ウラ本のお知らせ

本ブログの古代史解釈に大きな影響を与えた、みシまる湟耳氏著の「少女神 ヤタガラスの娘」。その完成に至る著者の思考や背景を暴露?した本

 正規ウラ本「ヤタガラスの娘」への旅と禁忌

が今年の1月に発刊されています。

その中身については正式な書評として取り上げたいと考えていますが、ここに記載された神社旧跡の多くに私も訪れていたこと、そして調査妨害とも思われる身の周りに起きた不可思議な出来事などについては、同じ経験を有する者として私も大いに共感したとここでお伝えしておきましょう。

電子書籍もあるようですが、私としてはペーパーバック版でじっくりと読まれることを強くお奨めします。


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また、秀真伝(ほつまつたえ)の記述では、古代期には現皇統の他に「オオモノヌシ」と「タカミムスビ」の2皇統が別に存在していたとあります。

ここで、他の2皇統についてその王権継承がどのように行われていたかが気になるのですが、秀真伝によると現皇統と同じく男系継承であったように記述されています。

3つの皇統の内、1つだけに女系継承を適用するのも少々強引であり、もしも少女神解釈を適用するならば、他の2皇統も同じ様に女系継承であったと仮定するのがむしろ自然ではないでしょうか?

つまり、画像2で示したいわゆる出雲皇統(オオモノヌシ皇統)も女系継承に変換する意味は十分あると考えられます。そして、同系図において男女の位置を交換すると次のようになるのです。

画像3:女系変換した古事記の系図

この系図では、女性を「緑」、男性を「赤」字で記述しています。注目して頂きたいのは、この変換処理によって、前述の「甕」の字が男系の系統を表す記号としてすんなりと理解できるのです。

この図が示す意味は2つあり、一つは出雲皇統も前玉姫までは少女神なる女系によって王権継承が行われていたのではないかという見方、二つ目には、甕主日子からそれが男系による王権継承に切り替わったのではないかという見方もできるのです。

前回記事では 

 タマサキ姫 = サキタマ姫 = 玉依姫

という関係性を採用しましたが、ここで埼玉の前玉姫を文字通り、三嶋神の第3皇后であるサキタマ姫と同一人物とした時、この変換系図の人物の関係性は次の様に導かれるのです。

画像4:変換古事記系図の対応人物

この図は伊古奈姫神社の伝承や、三島八王子など三宅記における複雑な血縁関係からはかなり単純化されていますが、それでも

 神武天皇がどのように誕生したのか

その家系を見事に説明しているとも取れるのですが如何でしょうか?

何故なら、古事記がどうして「甕」(みか)の文字を記号として選んだのか、その理由がここから見えてくるからです。「みか」とはつまり「かみ」(神)の変形であり、すなわちこれが「神武天皇」の(男性)血統を表しているとするならば、少なからず合理性が認められるからなのです。

同時にこれは、日本神話で「彦火火出見」(ひこほほでみ)とされる

 三嶋神こそが、現皇室の男系王家を生み出した

その祖であることも示しているのです。

この三嶋神がいったいどこから来た何者なのかは不明ですが、少なくともそれより以前のアマテルカミ(天照)時代の王家とは(男系的に)直接関係ないのは確かでしょう。三嶋神に王権を与えたのはやはり日本に先住していた少女神なのです。

■ダサイタマは失礼?

前回の記事で、前玉神社の読み「サキタマ」が現在の埼玉県(さいたま)の命名の元になったという話を紹介しましたが、これを、単純に埼玉の一小神社の名をもじって付けたとしたならば、あまりにも大抜擢過ぎて説明が付きません。

しかし、前玉姫が現皇室の租と言われる神武天皇の母君、玉依姫その方であるなら話は全く変わってきます。一転、埼玉県は何と尊い名をその県名に掲げたのかということになるのです。

これからはもう「ダサイタマ」などと埼玉県民を貶める発言は控えるべきなのではないでしょうか?(私はそんなことを言ったりしませんが)

これの他に、画像4の系図の中には「鳥取」の名が記されています。明らかに少女神の系統に座する皇后なのですが、この「鳥取」が埼玉県同様に県名になっていることはもちろん、私が気になるのは次の方なのです。

画像5:高円宮憲仁親王妃久子さま

久子さまは四国の鳥取家出身であること、そしてそのお嬢様である典子さんが、出雲大社の禰宜、千家に嫁いだことには、古代期だけに留まらないこの国の深い因縁を感じてならないのです。


四月二十九日 昭和の日に寄せて
管理人 日月土

サキタマ姫と玉依姫

今年1月30日の記事から前回3月30日の記事まで、2020年に不審な亡くなられ方をした俳優の三浦春馬さんについて、その死の意味について古代史的な考察を行ってきました。

 (1) 三浦春馬と馬鹿(1月30日) 
 (2) 竹内結子と鹿の暗号(2月15日) 
 (3) 三浦春馬と猿の暗号(2月27日) 
 (4) 三浦春馬のカネ恋と少女神(3月15日) 
 (5) 3人の三島とひふみ神示(3月30日) 

思いの外同じテーマが続いてしまい、手元にある材料も出尽くした感があるので、そろそろ別のテーマをとも思いましたが、まだ一つだけ気になる点が残っていましたので、今回もそちらについて話を続けたいと思います。

それはやはり、上記(4)・(5)の春馬さんが最期に出演したテレビドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」の最終第4話に関わるものとなります。

■サキタマ姫とは誰なのか? – 前玉神社

上記(4)の記事の中で、三嶋神の第3皇后として「佐岐多麻比咩」(サキタマ姫)が登場し、この方が伊豆七島の三宅島で三島八王子を産んだとの伝承があることをお伝えしました。

そして記事(5)では、その内の三人が後の天皇家(男性王)の祖となり、もしかしたら3人が同時に天皇として即位しているのではないかという、ちょっと突拍子もない結論が導かれたのですが、それは単なる私の妄想ではなく、現代に書き残されている記録からその様に読み解いたものなのです。

要するに、陰謀論界隈では時たま話題になる「裏天皇」が本当に実在するのではないかという話になるのです。

この件を確かめるためには、「三宅記」に登場する三島八王子の母「サキタマ姫」がどのような方なのかを歴史的に追う必要があります。

実はこの「サキタマ姫」を祭神に祀る神社が埼玉県の行田市にあるのです。それが「前玉神社」(さきたま神社)なのですが、同社のホームページによると、埼玉県の「さいたま」はこの「さきたま」が訛って付けられとの説まであるようなのです。

画像1:埼玉県行田市の前玉神社

この神社は、行田市内にある有名な「埼玉古墳群」の一角にある、やはり古墳と思われる小山の上の狭いスペースに鎮座しており、その様な理由から、社殿の全体写真が非常に撮影しにくく、画像1のようなアップ画像しか撮れませんでした(2020年6月撮影)。

撮影当時は「埼玉の名前の由来になった神社かも?」ということ以外には特に意識していませんでしたが、ここに来て再び「さきたま」に遭遇することになったのは少し意外な気がします。

そこで、前玉神社のホームページから、由緒と御祭神の記述を抜粋します。

御由緒

前玉神社は「延喜式」(927年)に載る古社で、幸魂(さいわいのみたま)神社ともいいます。700年代の古代において当神社よりつけられた【前玉郡】は後に【埼玉郡】へと漢字が変化し、現在の埼玉県へとつながります。

前玉神社は、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。

武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)は、726年(神亀3年)正倉院文書戸籍帳に見える地名だと言われており、1978(昭和53)年に解読された稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文から、471年には大和朝廷の支配する東国領域が、北武蔵国に及んでいたのは確実であると言われています。

北武蔵国の地元豪族が眠ると思われるさきたま古墳群の真上に建てられています。

https://sakitama-jinja.com/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%ae%e5%be%a1%e7%94%b1%e7%b7%92/

御祭神

前玉神社の御祭神は、『古事記』所載の出雲系の神である、前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。天之甕主神(アメノミナカヌシノカミ、アマノミナカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母です。

https://sakitama-jinja.com/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be/%e5%89%8d%e7%8e%89%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%ae%e5%be%a1%e7%a5%ad%e7%a5%9e/

また、この「御祭神」の箇所に書かれた古事記の原文には次のように記載されています。

大国主神、また神屋楯比売(かむやたてひめの)命を娶して生みし子は、事代主神。また八島牟遅能(やしまむぢの)神の女(むすめ)、鳥取(ととりの)神を娶して生みし子は、鳥鳴海(とりなるみの)神。この神、日名照額田毘道男伊許知邇(ひなてるぬかたびちをいこちにの)神を娶して生みし子は、国忍富(くにおしとみの)神。この神、葦那陀迦(あしなだかの)神、亦の名は八河江比売(やがはえひめ)を娶して生みし子は、速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみの)神。この神、天之甕主(あめのみかぬしの)神の女、前玉比売を娶して生みし子は、甕主日子(みかぬしひこの)神。

古事記 神代 大国主神「大国主の神裔」より
※正しくはアメノミカヌシノカミ、アマノミカヌシノカミだと思われます

これを読むと、大国主から4代目、つまり曾孫の嫁と言うことになりますが、世代的には三嶋神と推定される、彦火火出見の代と合っています。

ただし、古事記の記述は男系継承に基づいて記述されており、サキタマ姫の出自は天之甕主の娘というだけでそれ以上は追えません。なおかつ、日本書紀にはもちろん秀真伝にも記述がなく、やはりここからも追えないのです。

ここまでで分かるのは、サキタマ姫は大国主の曾孫の嫁に入った女性というだけで、その夫である速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみの)神の正体も不明なのです。こうなると、この神社の御祭神である前玉姫が三島八王子を産んだサキタマ姫と同一人物かどうかも分からないのです。

■サキタマ姫とは誰なのか? – 玉前神社

埼玉の前玉神社の場合はストレートに名前が合致していたのですが、残念ながら三島のサキタマ姫との関連はこれ以上探れません。ところが、「さきたま」を「たまさき」と少し変形させると、実は別の神社が現れてくるのです。それが千葉県の外房海岸沿いに鎮座する神社、「玉前神社」あるいは「玉崎神社」なのです。

画像2:千葉県内のタマサキ神社群(Google Map 上の検索)
画像3:旭市の玉崎神社

この中で、一之宮町の「玉前神社」、旭市の「玉崎神社」へは調査に向かったことがあるのですが、どちらの神社もその御祭神は

 玉依姫(たまよりひめ)

であるということなのです。

三嶋神あるいは彦火火出見尊の皇后が豊玉姫であり、次の王位継承者であるウガヤフキアワセズ王の皇后が玉依姫ですから、三島との関係は埼玉のサキタマ姫よりはぐっと近くなります。

ここで、過去記事「伊古奈姫と豊玉姫、そして123便」を読み返して欲しいのですが、ここでは

 豊玉姫 = 伊古奈姫

という関係を導き出しています。そして、第2皇后の伊古奈姫に対する本后として阿波姫の名とその阿波姫の娘である

 物忌名姫(ものいみなひめ)

が居たこともお伝えしています。

私が採用している少女神仮説においては、女系による王権継承という立場を取っているので、当然この物忌名姫にも王権継承権が与えられていると考えられます。

ここで、過去記事では取り扱わなかった「物忌名姫」の存在が大きくクローズアップされるのです。

以下は、これまでの幾つかの仮説の上で展開されていることを前提にお読みください。

 ・サキタマ=タマサキという関係を認めるなら
  三嶋神の第3皇后であるサキタマ姫とは玉依姫のことである

 ・三嶋神の本后阿波姫の娘である物忌名姫とは玉依姫のことである

これはつまりどういうことなのか?3人の三島王との関係を含め、それを図に表したのが以下の系図になります。

画像4:三嶋神を巡る姻戚関係

配色など、この図についてはもう少し説明しなければならないこともあるのですが、それについてはメルマガの記事解説でお伝えしましょう。

なお、私はこれこそが現皇室の始まりを示す本当の姿であると考えています。

よく旗印みてよと申してあろがな、お日様 赤いのでないぞ、赤いとばかり思ってゐたであろがな、まともにお日様みよ、みどりであるぞ、お日様も一つでないぞ。ひとりまもられているのざぞ。さむさ狂ふぞ。

ひふみ神示 カゼの巻 第2帖


管理人 日月土

3人の三島とひふみ神示

※リンク切れなど一部を修正しました(3/31)

今回の記事を書き進める前に、日本書紀の記述から、伊奘諾尊(イザナギのみこと)と伊奘冉尊(イザナミのみこと)が黄泉の国と現世との境にある、泉津平坂(よもつひらさか)の大岩越しに交わした有名な会話のシーンを読んで頂きます。

 故(かれ)便(すなは)ち千人所引(ちびき)の磐石(いは)を以て、其の坂路(さかぢ)に塞(ふさ)ひて、伊奘冉尊と相向(あひむ)きて立ちて、遂に絶妻之誓(ことど)建(わた)す。

 時に、伊奘冉尊の日(のたま)はく、「愛(うるは)しき吾が夫君(なせのみこと)し、如此(かく)言(のたま)はば、吾(われ)は当(まさ)に汝(いまし)が治す国民(ひとくさ)、日に千頭(ちこうべ)縊(くび)り殺さむ」とのたまふ。伊奘諾尊、乃ち報(こた)へて日(のたま)はく、「愛(うるは)しき吾が妹(なにものみこと)し、如此(かく)言(のたま)はば、吾は当に日に千五百頭(ちこうべあまりいほかうべ)産ましめむ」とのたまふ。

岩波新書 日本書紀(一)神代上 一書

以上は、死んだイザナミを追いかけて黄泉の国に下ったイザナギが、妻の朽ち果てた醜い姿を見て逃げ帰り、2つの世界を仕切る大岩を挟んで交わした会話です。

妻のイザナミは、日に1000人を殺すと呪い、夫のイザナミは、それならば日に1500人の人を産ませると宣言するのですが、一応これは神話なので、なんとなく凄まじい話だなと思いつつ、特に深くも考えず読み飛ばした方は多いと思います(私もそうでした)。

しかし、もはや暗号の書と言っても良い記紀には無駄なエピソードなどなく、この記述の中にも日本古代史を紐解く隠された意味があるのです。

それが、前回のブログ記事「三浦春馬のカネ恋と少女神」と大きく関連することを今回はお伝えしようと思います。

■3人の三島

前回の記事の中で、ドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」の最終話第4話で、ヒロインの九鬼玲子(くきれいこ)が、特に意味も無く、伊豆急行線の「片瀬白田駅」で下車し、いかめしを食べるシーンが挿入されており、そこに、三宅島と神津島に関する歴史的暗喩が含まれていると説明しました。

画像1:前回記事から。玲子と三宅島、神津島の位置関係

この片瀬白田駅の近くには、志理太乎宜神社(しりたおぎ神社)と片菅神社(かたすけ神社の2つがあり、それぞれの祭神である志理太乎宜命と片菅命とは、鎌倉時代の文書「三宅記」によると、三嶋神の第3皇后である佐岐多麻比咩(さきたまひめ)が三宅島で産んだ8人の王子の中の2人を指すことが分かります。

ここで、Shrine-heritagerさんの記事を参考に、この8人の王子の名前を列記すると次の様になります。

 第1王子:ナコ(南子命)
 第2王子:カネ(加彌命)
 第3王子:ヤス(夜須命)
 第4王子:テイ(氐良命)
 第5王子:イタヒ(志理太宜命)
 第6王子:クラヒ(久良恵命)
 第7王子:カタスケ(片菅命)
 第8王子:ヒンスケ(波夜志命)

8人の王子それぞれを祀る神社が三宅島にはあるようなのですが、その内の3人については、陸側の伊豆半島に分社が作られています。それは次の3名となります。

 第5王子:イタヒ(志理太宜命) 片瀬白田
 第7王子:カタスケ(片菅命)  片瀬白田
 第8王子:ヒンスケ(波夜志命) 下田

片瀬白田と下田、どちらもドラマで玲子が降り立った駅の名前です。さて、何故8人の王子の内、3人だけが分社を置かれたのか、それについては知る由もないのですが、ただ、幾つかの気になる点があります。

まず、何度も繰り返しますが、三嶋神とは

 三島大神=三嶋湟咋=彦火火出見=賀茂建角身

であることがこれまでの分析から分かっており、彦火火出見(ひこほほでみ)とは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に続く王(天皇)ですから、第3皇后の息子であれ

 三島8王子は天皇の息子たち

ということになります。

本ブログで展開している少女神解釈では、王権を継承できるのはあくまでも女性側ですので、例え天皇の実子とはいえ、男性はそのまま自動的に王になれる訳ではないのです。

さて、ここで「8人の中の3人」の意味を考えてみます。とは言ってもただの言葉いじりなのですが、

 三島8王子 → 8 → 八
 分社3王子 → 3 → 三

 三八 → みや → 宮

と導くことができます。また、8王子たちが産まれた三宅島については

 三宅島 → みやけ島 → 宮家島

と変換することができるのです。

これだけと本当にただの言葉遊びなのですが、三島8王子が天皇の息子たちであるとすれば、「宮」あるいは「宮家」(天皇の血筋)の持つ意味とうまい具合に被って来るので、何かの冗談だと一笑に付すのも躊躇われるのです。

■王輩出家系と三嶋

少女神という女系による王権継承を考えた時、次の皇后が定まったとするならば、その配偶者、すなわち王はどのように決まるのかを考えてみます。

男系社会では、その女性配偶者を選ぶ時に「良家の子女」という相手の家柄を見て相手を選ぶ選択基準がありますが、それでは、女系継承の場合は何を基準に相手の男性を選ぶのでしょうか?

まさか、男なら誰でも良いという訳ではなく、その資質をある程度担保できる基準を定めるはずです。ましてや、一国の王となる人物なのですから。すると一番に思い付くのが、

 良家の男子

ということになるのですが、問題なのは何を以って「良家」とするかです。

現代なら、資産家の家系である、国家功労者の家系であるなど様々な基準があるかもしれませんが、その中でもやはり「宮家」の血筋は特別視されるのではないでしょうか?

つまり、古代日本においても王の血統は圧倒的優位性を保っていたと考えられるのです。但し、血筋は世代と共にネズミ算式に広がりを見せたり、はたまた断絶してしまう可能性があります。ですからそれを補う基準を設けなければいけません。一番考えられるのが、複数の王輩出家系を作り、その直系あるいは直系に最も近い男子を王に差し出すという仕組みです。

ここまで書くと私が何を言いたいかお分かりだと思います。すなわち

 伊豆分社三島3王子とは、後の王輩出家系の祖先だった

のではないかということなのです。

■もう一人の天皇

随分前の記事になりますが、2015年6月12日の(新)ブログ記事「2015年の慰霊(4)」で、中京地方のある神社に不思議な案内書きが建てられているのをご紹介したことがあります。

画像2:「2015年の慰霊(4)」から(個人名は消しています)

昭和61年に即位20年を記念するこの記述は、明らかにもう一人の天皇がこの国に居ることを示しています。

この国に「裏天皇」なる存在がいるのではないかとは、以前から囁かれていることですが、この案内板が存在することは、それが単なる噂などではなく事実を示すものであるとは考えられないでしょうか?

そうなると、前節で述べた三島3王子が男性王の輩出家系ではないかとする推測は、もしかしたら、3家から同時期に3人の王が選出されているのではないかという考えに変わるのです。もちろん、私たち一般国民が知らされる天皇はたった一人だけなのですが。

これを裏付ける確証とはならないかもしれませんが、この国には奇妙な「三」の符号が多く見られます。

 三島の「三」
 三つ巴の「三」
 門松の「三」本松
 「三」段の鏡餅

果たしてこれらは関係ないと言い切れるでしょうか?

画像3:門松と鏡餅。
近年は2段にみかんという鏡餅が主流だが、正式には3段。
みかんを飾りに乗せるのにも重要な意味がある。

■3人の王と2人の少女神

ここで話を少女神に戻します。このブログでは、少女神を王権授受権を有する皇后と捉えるほかに、政体とシャーマンの2人の少女神、あるいは双子の少女神が存在するとも見ています。

詳しくは、本ブログのサイト検索で「双子」と入れて関係記事を探してみてください。

ここで、前節の3人の王と2人の少女神という推測から

 三島王:3人
 少女神:2人

となりますが、これに冒頭で述べたイザナギ・イザナミの神話から、数字だけを取り出すと

 イザナギ(男性王):1500人
 イザナミ(皇后) :1000人

となり、

 三島王:少女神 = イザナギ:イザナミ = 3:2

という関係が導かれるのです。要するに王と王妃の割合を示していると解釈できるのですが、人は1以下には分割できないので、どうしても最小公約数であるこの人数の割合となってしまうのです。

これだけだとただの偶然かもしれませんが、これを補足すると考えられる次のような文面が、ひふみ神示には見られるのです。

五人あるぞ、中二人、外三人、この仕組 天の仕組。

五十黙示録 扶桑の巻 9帖

千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが

五十黙示録 至恩の巻 9帖

2番目の文書を補足すると

 千五百の産屋:千人 = 216(天):144(地) = 3:2

となることはもうお分かりでしょう。

ですから、三島3王子から少々苦しい導入でしたが、3人の王と2人の少女神という仮説はまんざら突拍子もないとは言い切れないのです。

そうであるならば、ドラマ「カネ恋」第4話は、3人の王と2人の少女神の存在を示しており、まさしくそれはこの国の隠された天皇統治の仕組みを示していたと言えるのです。

どうやら、三浦春馬さんはテレビドラマの体をした、どえらい呪詛に巻き込まれてしまったようです。


ささげてむ 和稲荒稲(わしねあらしね) 横山のごと。
管理人 日月土

三浦春馬のカネ恋と少女神

三浦春馬さんの話題が続き、今回でかれこれ連続4回目の記事となります。

ここでは、前回に続いて春馬さんが最後に出演したドラマ「おカネの切れ目が恋の始まり」(カネ恋)に表現されたシーンについて深掘りします。対象となるのは最終回第4話です。

■未完のドラマの最終話

カネ恋は、その撮影中に主演の三浦春馬さんがお亡くなりになられたため、ドラマとしては未完のまま終了します。

最終回の第4話では、春馬さん演じる猿渡慶太が家を出たきり帰って来ないという設定の下、他の出演者が慶太の思い出話を語るという筋書きで話が進み、皆で慶太の帰りを待つというエンディングを迎えます。

この中で、ドラマのヒロイン九鬼玲子が、少女時代に家を出た父に合う為に、伊豆半島の下田を訪ねるというストーリーが、話の中核として展開します。

さて、伊豆半島、それも下田と聞いただけで私は「おや?」と思ってしまうのですが、どういうことかと言えば、下田は過去記事「伊古奈姫と豊玉姫、そして123便」で取り上げたように、少しいわくつきの場所なのです。

しかし、下田に到着する前に、玲子は同伴していた板垣純を電車に残し、駅売りの「いかめし」を買いに出て、案の定電車に乗り遅れるのです。

画像1:伊豆急行「片瀬白田」駅で「いかめし」のぼりを見つけた玲子

正直、このシーンでは、駅のホームで「いかめし」をほおばりながら次の電車を待つ玲子が映されているだけで、これがなくてもドラマの展開にまったく支障がないのです。

これは何かあるなと思い、Googleマップで同駅の周辺を調べたところ、「神社」による検索で次のような結果を得ました。

画像2:片瀬白田駅周辺の神社

この2つの神社は次の様に読みます。

 ・志理太乎宜神社(しりたおぎ神社)
 ・片菅神社(かたすけ神社)

祭神はそれぞれ、

 ・志理太乎宜命
 ・片菅命

で、祭神名がそのまま神社の名前になっています。

実は「片瀬白田」という駅名は片瀬(=片菅)と白田(=志理太乎宜)の名前を合わせて作られているようなのです。

聞き慣れない神名なのですが、鎌倉時代末期に編纂された「三宅記」の伝承によると、三嶋大明神の第3皇后である佐岐多麻比咩命(さきたまひめのみこと)が三宅島で産んだ8人の王子、その中の2人であるということです。

元々は三宅島に祀られていた神様だったのですが、分霊されてこの地の社に置かれたということです。

両神社については、Shrine-heritagerさんのページにたいへん詳しいので、ぜひそちらをご覧になってください。

 ・Shrine-heritager 志理太乎宜神社 
 ・Shrine-heritager 片菅神社 

どうやら、この駅周辺の主要な神社はこれだけのようなのですが、お気付きの様に、三嶋神とは昨年しつこく考察を続けた神名で、一般には「事代主」のことだと思われがちですが、分析の結果、どうやら、

 三島大神=三島湟咋=彦火火出見=賀茂建角身

が同一神(あるいは同一人)を指していることが分かっています。詳しくは「三嶋神と少女神のまとめ」をご覧になってください。

この考察の中で、下田の伊古奈姫神社の祭神である伊古奈姫が三嶋神の第2皇后であり、三嶋神の正皇后とされる豊玉姫とは、双子の少女神の関係であったのではとしましたが、困ったことに第3皇后(佐岐多麻比咩)がここに登場し、更に複雑なことになってしまいました。もしかしたら、三つ子の少女神も考慮に入れる必要があるのかもしれません。

さて、玲子の最終目的地である下田が三嶋神の第2皇后「伊古奈姫」を指しているとすれば、途中下車した片瀬白田は、その皇子を通して間接的に第3皇后「佐岐多麻比咩」を指しているのではないかと考えられます。

要するに、カネ恋第4話は、そのロケ地を通して

 少女神

のことを何か伝えようとしていると考えられるのです。

■東南の角と伊豆七島

カネ恋のドラマ設定に関する分析を記した真ブログ記事「三浦春馬の死とカネ恋の呪い2」、では、登場人物名に埋め込まれた干支による方位の解析から、東南の角が開かれている、あるいは東南の方角を指していると分析されましたが、この方位による解析を地図上の伊豆半島に適用すると次の様になります。

画像3:伊豆半島東南の島々

記録では、伊古奈姫は神津島、佐岐多麻比咩は三宅島に移されたと伝えられていますが、伊豆半島のだいたい東南側にこの両島は位置するのです。

実は、この無駄とも言える玲子の「いかめしシーン」には、問題の二つの島がピタリとアングルに収まるカットも含まれているのです。

画像4:玲子の座った場所がほぼ三宅島の方角を指す

美しい伊豆の海を映像化したかったから?それならば、送電線だらけの駅ホームをわざわざロケ場所にしなくても、撮影に適した場所はいくらでもあります。

つまり、カネ恋第4話は三嶋神(あるいは彦火火出見)が婿入りした少女神を強く意識しているのは間違いないであろうと私は捉えるのですが如何でしょうか?

三浦春馬さんに関しては、これ迄の分析から次のキーワードが抽出されました。

 ユダヤ:イッサカル族(馬)、ナフタリ族(鹿)
 猿田彦と猿女
 少女神(三嶋神の皇后)

そして、竹内結子さんからは次を得ています。

 ユダヤ:ナフタリ族(鹿)
 古代タカミムスビ王統

どうやらお二人の不審な死に方には、古代日本に関わるとんでもない秘密、あるいは呪いが込められている様なのですが、今回の分析により、2020年に起きた著名人の不審死リストにもう一人の人物を加える必要があることに気付きました。

それについては、次回以降お知らせいたしましょう。


管理人 日月土

三浦春馬と猿の暗号

前々回及び前回のブログ記事では、2020年に「クローゼットで首吊り」という不審な亡くなられ方をした二人の俳優(三浦春馬さん、竹内結子さん)の死について、古代史的な解釈を用いてその意味を考察してみました。

 ・前々回 三浦春馬と馬鹿 
 ・前回  竹内結子と鹿の暗号 

そこから得た一つの解釈が

 素姓を隠したまま死ね

という呪いのメッセージであり、素姓とはイッサカル族(馬)そしてナフタリ族(鹿)という、古代期における日本とユダヤ十二支族の関係性であり、呪いの向かう先はおそらく現皇室ではないかとの結論を見ています。

■カネ恋と馬鹿

三浦春馬さんの話題を扱う上で、私にとってネックだったのが彼の出演作品を殆ど観たことがないという点でした。

今回このテーマを扱う中で、彼が出演した最後のテレビドラマで、そのストーリー設定からも多くの呪術的要素が見られる「おカネの切れ目が恋のはじまり」(略称:カネ恋)くらいは観ておかねばならないと判断し、つい最近、主演者死去のため4回で打ち切られた同ドラマの有料配信(特別編集版)に目を通してみたのです。

画像1:カネ恋の登場人物と十二支(方位)
 伊勢の猿田彦神社の方位石から南東側に佐瑠女(さるめ)神社がある
 関連記事:佐瑠女神社と三浦春馬の呪い 

上図を書き起した時に、登場人物などドラマの構成についてはある程度調べており、このドラマの大枠については大体分かっていたつもりでしたが、実際に三浦さんがドラマの中でどのように演出されていたのか、また、人間関係の描写等からそこに隠された別の意図を知ることができたのは大きな収穫でした。

三浦さんと馬鹿(うましか)の関係性については、既に前々回の記事で述べていますが、おそらくその関係性を表す侮蔑用語「馬鹿」(ばか)は劇中で絶対に使われていると踏んでいたところ、案の定、第一話の冒頭から三浦さんが演じる猿渡慶太(さるわたり けいた)に向けて、父親の猿渡富彦(さるわたり とみひこ)からこの言葉が発せられたのです。

画像2:第一話で息子の慶太をぼやく父の富彦(草刈正雄)

これに続いて、他の社員やヒロインの九鬼玲子(くき れいこ)から「馬鹿」(ばか)が連発して表現されており、どうやら「猿渡慶太(三浦春馬)は馬鹿(ばか)」という印象をドラマの最初から与えるようにセリフが組まれているとも見えるのです。

この猿渡慶太の役どころは、お金の使い方に非常識な社長の息子という設定ですから、周囲に馬鹿(ばか)と呼ばれても違和感のないものになっています。

これらの設定が果たして本ブログで指摘したユダヤ十二支族による歴史的背景を意図していたものかどうか?コメディものではありがちな設定とも言えるので、この段階では何とも判断できないとしておきましょう。

■カネ恋と猿の暗号

さて、このドラマで気になるのは、登場人物名の多くが干支の十二支に登場する動物名にちなんで付けられていることで、それについては「佐瑠女神社と三浦春馬の呪い」で既に述べており、方位による分析も行っています。

このドラマの隠された意図を理解する上で最も重要と思われるのが、何と言っても主役の名前

 渡慶太

でしょう。

そういえばこのドラマ、慶太の勤める会社が父親の経営するおもちゃの製造会社「モンキーパス」ですし、ヒロインの玲子が慶太を知るきっかけとなったのが「猿が描かれた小皿」。慶太は猿が描かれたビンテージアロハを着ているし、この会社が制作した猿型のロボットはドラマの中でまるで準登場人物のような扱いをされています。

とにかくこのドラマは「猿」尽くしなのです。

画像3:猿之助(左)と猿彦(右)

ここで注目なのが、慶太が日頃側に置いて大事にしている猿型ロボットの名前が「猿彦」(さるひこ)であり(画像3)、これは日本神話に登場する猿田彦(さるたひこ)とそっくりな名前であると言えないでしょうか?ここで、本ブログがテーマとしている日本古代史と話が繋がってくるのです

ちなみ「猿之助」(えんのすけ)の方は、父親の富彦が側に置いているという設定となっています。

父親の富彦と息子の慶太が、猿型ロボットを常に大事に手元に置いている。コメディドラマでは割りとありがちな、つまらないことへの愛着を極端に強調した表現のようにも見えますが、果たしてそれだけなのでしょうか?

これを理解するためには、名前をもじられた日本神話の神「猿田彦」についておさらいする必要があります。猿田彦については、アニメ表現の分析を中心に過去に何度か記事にしていますが、「令和五年のブログ記事まとめ」の中の小見出し「記紀から名を消された古代王」に短くまとめていますので、まずはそちらをお読みになってください。

秀真伝(ほつまつたえ)には、火明命(ほのあかりのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)との2王朝並立時代があったと記されています。火明命とはこれまでの分析から猿田彦その人であることが分かっています。

万世一系を信条とする皇統論の中では2王朝並立期などあってはならない話であり、そのため、猿田彦とは火明命の蔑称として後の歴史家が付けた名前なのであろうと私は見ています。

その歴史から消されたはずの古代王を何故ここまで前面に押し出して来たのか?それについての詳細は未だ不明ではありますが、おそらくこのドラマが構成している「方位の呪術」と大きく関係しているのではないかと予想されるのです。

■猿のユダヤ解釈

さて、ここでちょっと困ったのが、これまで三浦春馬さんと竹内結子さんの名前に込められた意味を、それぞれ「馬鹿」(うましか)、「鹿」(しか)と分析し、そこからユダヤ十二支族のイッサカル族(馬)とナフタリ族(鹿)との関係性を割り出したのですが、「猿」については十二支族のそれぞれ紋章の中に見当たりません。

画像4:ユダヤ十二支族の紋章

やはり、ユダヤ解釈では無理があるのか・・と考えあぐんでいたところ、前述した「2王朝並立時代」という言葉の中に大きなヒントがありました。

旧約聖書をお読みになる方ならご存知のように、サウルから始まるユダヤの王統は、2つの王朝に分裂します。それは

 ユダ王国 と 北イスラエル王国

です。

ユダ王国は、ユダ族とベニヤミン族が中心となった王国、北イスラエル王国はそれ以外の10支族により構成されています。この2国はしばらく並立しますが、後にまた一つの王朝へと戻ることになります。

これだけだと、2王朝並立の部分が同じだけだと言われそうなのですが、この王朝分列のきっかけとなったのが、イスラエル王国の第3代王となった

 שלמה

これは「シェロモー」に近い発音なのですが、一般音訳では

 ソロモン

と表記します。

ヘブライ語は基本的に母音表記をしないので、これを英字表記にすれば

 SLMN

となります。

私が気になるのはこの

 SL(של)

の部分で、母音の添え方次第で幾通りにも読めるのですが、その中にSaLu(サル)も含まれることは注目に値します。

ソロモン王は、ユダヤの王の中でも知恵に秀で、王国に最も繫栄したもたらした王とされていますが、エジプトのファラオの娘を娶ったり偶像崇拝に走るなど、ユダヤの教えを破った最も堕落した王と評されることもあります。

要するに、猿田彦という名には、獣として蔑視の意味を込めた「猿」だけでなく、ユダヤの王朝並立を招いてしまったソロモン王への揶揄が込められているとは考えられないでしょうか?

もっと直接的に表現するならば、猿田彦、すなわち火明命とは、古代ユダヤ王権、特にソロモン王と関係する人物ではなかったのかとも考えられるのです。

しかし、仮にこの説が正しいとしても、どうしてカネ恋の中でここまでソロモン王が強調されるのかについては、やはりよく分からないままなのです。

ここで、呪術的な論理による解釈を許していただけるなら、猿渡慶太こと三浦春馬さんはドラマの収録途中でお亡くなりになった。彼の芸名には、イッサカル・ナフタリの2つのユダヤ支族の名が刻まれているが、同時に、役名として与えられた猿にはユダヤ王ソロモン、そして火明命の名も刻まれていた。要するにこれらまとめて

 素姓を隠したまま死ね

という呪いだったのではなかったのか・・・

ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子を愛され、預言者ナタンを通してそのことを示されたので、主のゆえにその子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。

サムエル記下 第12章24,25節



管理人 日月土

竹内結子と鹿の暗号

前回の記事「三浦春馬と馬鹿」では、2020年7月に自殺と言うにはあまりに不自然な、俳優の三浦春馬さんの死について、その歴史的背景から考察してみました。

そこでは、三浦さんの名前が内包している「馬」と「鹿」の意味から、これらの動物を一族の紋章としている2つのユダヤ支族

 馬 → イッサカル族
 鹿 → ナフタリ族

と古代日本の関係を疑ってみたのです。

そして、三浦さんが「クローゼットで縊死(いし)した」という報道内容から、彼の死そのものが呪詛として次のような意味を持つのではないかと考えたのです。

 (ユダヤの)素姓を隠して死ね

つまり、古代日本とユダヤの繋がりを知り、同時に、呪詛について何らかの知識を持つ個人もしくは団体による他殺の線もあるのではないかという話になります。

以上はあくまでも机上の考察であり、それが事実であるかどうかは、更に他の傍証を組み立てる必要があるようです。

■もう一人のクローゼットの死

2020年はコロ病騒ぎが始まって、「ステイホーム」など世の中に鬱屈とした空気が蔓延した年でもありました。そして、三浦春馬さんをはじめ著名人の自死が話題となり、社会を取り巻く空気感がより一層重々しく感じられた年でもあります。

さて、その同じ年の9月、三浦さんと同様に「クローゼットで縊死した」俳優さんがもう一人いらっしゃったのを覚えておられるでしょうか?

それは、忘れもしない実力派女優であったこの方です。

画像1:竹内結子さん

もしも三浦さんの死が呪詛を狙った儀式的な死であったと仮定するなら、当然、竹内さんの死についても同じ歴史的解釈が適用できるはずです。

それでは、竹内さんの場合はどのように分析できるのでしょうか。

■タケの暗号と鹿

三浦さんと同じ様に、竹内さんについてもまずその名前から分析を試みます。竹内さんはもちろん「タケうち」と読むのですが、実は名前の冒頭が「タケ」で始まる神名については、少し前の記事「鹿の暗号と春日の姫」で次のような分類が可能であると既に述べているのです。

 建御名方(タケみなかた) → 諏訪大社祭神 → 御頭祭 → 鹿
 武御雷(タケみかづち) → 鹿島神宮祭神 → 鹿
    〃        → 春日大社祭神 → 鹿

そしてこの2柱の神が組んで格闘したとする古事記の記述は、「組んで1体」となる、すなわち、両者が同一人物であることを示す暗号とも読めるとの解釈を示しています。

そしてこの「タケ」なる命名から、京都府木津川にある健伊那太比売神社の主祭神である健伊那太比売(たていなだひめ)は神名の最初に添えられた「建」(たて・タケ)の文字から、「鹿」で象徴される一族の血縁者であったのだろうと結論を得ています。

他に、同神社の神紋が春日大社、または春日大社を造営したとされる藤原氏の家紋と同じ「下がり藤」であることも、やはりこの祭神が同系の一族であることを示していると考えられるのです。

つまり

 健伊那太比売(タケいなだひめ)→ 鹿

となる訳で、これを帰納的に適用すると、少々強引かもしれませんが

 竹内結子(タケうちゆうこ)→ 鹿

という結論が得られるのです。

■名に背負わされた古代皇統

さて、過去記事「鹿の暗号と春日の姫」では、「タケ」がどこの家系を意味するのかの考察も述べているのですが、その結論とは

 タケ → TK → タカ

とも読めることから、秀真伝(ほつまつたえ)に登場する古代皇統「タカみむすび」の一族を表し、この皇統こそが「鹿の一族」ではないか?との予測を立てています。

この辺の解釈はこれまで曖昧だったのですが、これに今回の竹内結子さんの分析を加えるとその意味がより鮮明になってくるので驚きです。

「結子」の「結」を訓読みにすれば「むすび」となるのは敢えて説明しなくてもお分かりでしょう。すなわち「竹内結子」という名前は次の図のように変換されます。

画像2:「竹内結子」の読み変換

これを見れば、竹内さんのお名前そのものがかなりストレートに古代皇統「タカミムスビ」を指していることを言葉の並びから見て取れるのです。

ただの言葉遊びと思われるかもしれませんが、言葉こそが呪術の根幹であり、同件を呪術的儀式として解釈するならば、このような言葉の繋がり、特に人名については小さな言葉の変化もおろそかにできないのです。

さて、秀真伝に残されている系図によると、タケミカヅチ(武御雷)はタカミムスビの血統であり、第7代タカミムスビのタカギの代でその皇統はぱったりと途絶えているのです。

そして、現皇室の直系であるイサナギとイサナミは古くにタカミムスビ皇統から別れた血統であることも示されています。

画像2:古代皇統タカミムスビの系譜(秀真伝)

ここまでに竹内結子さんの名前分析で分かったことを整理すると

 竹   → 鹿の一族を指している
 竹・結 → 鹿の一族とは古代皇統タカミムスビである

となり、ここから

 タカミムスビ皇統とはユダヤのナフタリ族(鹿)なのか?

という更なる疑問が生じてくるのです。

そして、竹内結子さんのクローゼット内で縊死した意味を呪詛として解釈すれば、やはり

 素姓を隠して死ね

となるのですが、これは、ユダヤとの繋がりを持つ古代皇統の存在が日本古代史から抹殺されるのを願うと同時に、古代皇統の血統とされる現天皇家そのものに対する呪いであるとも解釈できるのです。

ユダヤと古代皇統、そして現天皇家。古代から現在にまで至る秘められた関係とはいったい何なのか?それは美しく聡明な一人の女優、そして三浦春馬さんの命を犠牲にしてでも呪い続けなければならないものなのか?

二人の俳優の死の裏には、どうやら日本の国体に関する大きな秘密が隠されているのではないかと思わずにはいられないのです。


管理人 日月土

三浦春馬と馬鹿

まず最初にお詫びから申し上げます。

今月令和6年1月は、元日から色々ありまして歴史関係の調査・整理が全く進みませんでした。よって今回のブログ記事では、これまでの記事の中から整理してまとめたものをお知らせしたいと思います。

今回取り上げるのは、2020年の7月18日にお亡くなりになられた、俳優の三浦春馬さんと、最近の歴史テーマに取り上げてきた「馬鹿」(うましか)の関係についてです。

画像1:三浦春馬さん

三浦春馬さんは、クローゼットの中で首を吊った「自殺」と認定されていますが、同年9月27には、やはり有名俳優の竹内結子さんも、同じようにクローゼットの中で自殺したとされています。

この二人について、自殺と言うにはあまりに奇妙な点が共通していることから、両者共にこれが他殺だったのではないかという疑いは今でも囁かれています。

このブログは歴史ブログと銘打っている以上、この件を単純な事件として扱うことはしません。但し、両者の亡くなり方、報道のされ方には呪詛的要因が見受けられるため、それが呪詛だった場合、何に起因し、何を目的としている呪詛なのか、歴史的に解釈することは可能であると判断しました。

まとめ記事故に、これまでお知らせした内容と被る箇所も多々ありますが、三浦春馬さんの死の一件の中に、どのような歴史的意味が込められていたのかを見て行きたいと思います。

■芸名「三浦春馬」に込められた暗喩

芸名にしろ本名にしろ、芸能人の名前が重要なのは、単にそれが個人を識別するだけの記号でなく、そこに使われる文字や読み方が多くの人々に認識されることから、芸能人個人のパーソナリティを超えた別の象徴として使われることは、芸能の世界では良く見られます。

氷川きよしさんの「氷川」が埼玉県大宮市にある「氷川神社」、綾瀬はるかさんの「綾瀬」が同じ埼玉県を流れる「綾瀬川」を象徴し、一つの地理的かつ歴史的呪詛体系を作り出している可能性については、(真)ブログ「氷川と綾瀬と昭和天皇と-皇室への呪い」で既に触れています。

同じように「三浦春馬」という文字列を見て行った場合

 三浦、春、馬

という要素に分解することができます。

ここで、これまでの分析から

 春 → 春日大社 → 鹿
 馬(字のまま)

と、ここでさっそく馬鹿(うましか)の記号が抽出できるのです。

次に「三浦」(みうら)ですが、一般的には神奈川県の三浦半島を想像しがちですが、これについては以下の地図より

画像2:鹿島三浦

茨城県鹿島地方の三つの浦(うら)、すなわち

 霞ヶ浦、北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)

を指すとも考えられ、要するに「鹿島」あるいは「鹿」を表しているとも考えられるのです。

そして、この「三浦」(みうら)を音読みの「三浦」(みほ)と読み替えたらどうなるかというと

 三浦(みほ)→ 美浦(みほ)

となり、この美浦には、広大な

 中央競トレーニング・センター

が置かれているのです。しかも、美浦は画像2の地図の中にすっかり収まっているのです。

画像3:鹿島三浦と美浦
画像4:JRA美浦トレーニングセンター

即ち、「三浦」というどこでもあるような苗字には、「馬鹿」(うましか)の両方の意味が付されていると見なされ、有名芸能人が「三浦」の名で活躍すれば、本人の意識とは全く別に、もう一つの「馬鹿」(うましか)の意味が大衆の意識の中で一人歩きし始めると、呪術に通じている関係者ならば普通にそう考えるのです。

どうやら、「三浦春馬」という芸名には、「馬鹿」(うましか)という別の意味が込められていたようなのです。

■馬鹿(うましか)と馬鹿(ばか)

さて、ここまでは「馬鹿」を「うましか」と呼んできましたが、通常ならばこの漢字2字を書けば「ばか」と読むのが普通です。

前回記事「もののけ姫と馬鹿」では、侮蔑用語として「ばか」がどうして馬と鹿なのか、その起源については、国語辞典編集者の神永さんをして

 諸説あるがはっきりしない

としています。

大事なのは「諸説ある」と「はっきりしない」は意味的には同意であることで、某国営放送の看板番組のように、「諸説ある」のにある一説を以って「ボーっと生きてるんじゃねぇ」と他者をこき下ろすような下品なことはこのブログではやりたくありません。

ならば、「ばか」を「馬鹿」と書かせる諸説の一つに、今回の三浦春馬さんとの関係を考慮しても良いのではないかと思われるのです。

どういうことかといえば、三浦春馬さんの名前に関連付けられた「馬」と「鹿」の意味に対して、昔の人が後から何か侮蔑的な意味を持たせた造語だったのではないかということなのです。

正直なところ、私は三浦春馬さんが出演されたドラマはほとんど見たことがないのですが、彼の出演作を良く知る知人の話では

 少し間の抜けた美男子

という役割が多かったと聞いています。別の言葉で言い換えれば

 ちょっと馬鹿(ばか)っぽい美男子

と言えるのではないでしょうか。

しっかり見ていないので推測の域は出ませんが、もしも「三浦春馬」という名に「馬鹿」(うましか)の意が含まれているのを知っていれば、敢えて彼に「馬鹿」(ばか)のような役作りをさせる演出があったのではないかと想像してしまうのです。

■馬鹿の意味についての再考

そもそも「馬鹿」(うましか)の話は、鹿児島の「鹿」から出てきたもので、これまでの話の展開からその相関図は次のようになります。

画像5:鹿の相関図

この相関図には「鹿」はあっても「馬」らしきものは見えず、「馬」との関連性を考慮しなければならなくなったのは、まさに「三浦春馬」という芸名に「馬」が含まれていること、そして、日本古代史を原作モデルに置いているのは間違いないあの名作アニメ映画「もののけ姫」に、「馬」と「鹿」をミックスしたような架空の動物が描かれていることにあったのです。

画像6:「もののけ姫」のヤックル

多少素性が見えてきた「鹿」は良いとして、このペアに現れる「馬」とはいったい誰を、あるいはどの系統を指すのか思案していたところ、おあつらえ向きに次の様な紋章があることを思い出したのです。

画像7:馬(ロバ)と鹿の紋章

実はこれ、ユダヤ十二支族と言われる聖書の創世記に登場するヤコブ(イスラエル)の子孫(の家)に付けられた紋章なのです。

ヤコブはイサクの息子であり、イサクはまたその父アブラハムの息子です。ヤコブはアブラハムの孫に当たることになります。さて、イサクとアブラハムについては創世記の22章に次のような下りがあります。

 神の命がアブラハムに下った。息子イサクをモリヤにある山
 に連れて行き、そこでイサクの命を神に捧げるようにと。
 山に祭場を作った後、アブラハムが刃物を取りイサクを屠
 (ほふ)ろうとした時、神は手を下すのを止めろと命じた。
 神は愛する息子を捧げようとしたアブラハムを、神を畏れる
 者として祝福した。

この刃物を手にして子を撃とうし、直前でそれを取りやめる動作というのが、かつて諏訪大社の御頭祭において神事として演じられていたというのは、日本のユダヤ同祖論の中でよく聞く話です。

また、諏訪には守屋山もあることから、諏訪の地は聖書のこの記述と何か深い繋がりがあるのではないかと、多くの方が疑問を抱くのも無理はありません。

この件については既にご存知の方は多いと思われますが、これについては次のサイトがよくまとまっているので是非参考にしてください。

 外部リンク:諏訪 御頭祭:聖書のイサクはミシャクジ神か?

私がここで強調したいのは、一見突拍子もなく出したユダヤ十二支族の紋章の話が、聖書の記述を通して諏訪大社の御頭祭と繋がることなのです。

さて、ユダヤ十二支族とは一般的に、ヤコブの子である

 ルベン
 シメオン
 レビ
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 ヨセフ
 ベニヤミン

を指しますが、領地を継いだ一族という基準で見れば、ヨセフの代わりにヨセフの子であるマナセとエフライムの名を加え、そもそも所領を持たないレビ族を除けば

 ルベン
 シメオン
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 マナセ
 エフライム
 ベニヤミン

となります。他にヤコブの直接の子ではないマナセとエフライムの2族をここから除いて十氏族とする見方もまたあるのです。

さて、画像7で挙げた紋章なのですが、それぞれ次の支族を表します。

 馬:イッサカル族
 鹿:ナフタリ族

こうなると、「鹿はユダヤのナフタリ族を指しているのか!」とやりたくなるのですが、それを言うにはまず「馬」の痕跡が日本古代史のどこかに残っているのかを見つけなければ、早計というものでしょう。

■馬に象徴されるもの

まずは「鹿島」と「鹿」の関係よろしく、「馬」の字を含む地名のチェックから始めたのですが、そもそも馬は昔の生活に深く根差した生き物であり、全国ほぼ満遍なく「馬」の付く地名が存在します。

これでは良く分からないので、検索の対象を大きな単位、具体的には県市町村群名に絞ったところ、次の様な結果を得ました。

 群馬県
 福島県   相馬市
 福島県   南相馬市
 福島県   相馬郡
 茨城県   北相馬郡
 群馬県   北群馬郡
 東京都   練馬区
 長野県   北安曇郡白馬村
 徳島県   美馬市
 徳島県   美馬郡
 高知県   安芸郡馬路村
 長崎県   対馬市

これだけ見ても直ぐに何とも言えませんが、県名に「馬」の字を使う群馬県はまず一つ押さえておくべきかと思われます。そして、福島と茨城に見られる「相馬」もまた気になる地名です。特に福島県の南相馬市周辺は2011年の福島第一原発事故で大きな被害を受けた所でもあります。

あと、気になるのは徳島県の美馬郡で、ここにはやはりユダヤ同祖論で取り上げられることの多い「剣山」(つるぎさん)が位置しているのです。やはり「馬」とユダヤの支族が関係しているサインなのでしょうか?

結局良く分からないままなのですが、鹿島のある茨城県から太平洋岸に沿って続く、福島県の「相馬」エリアについては、馬との関連性で追ってみる必要がありそうです。

■三浦春馬と馬鹿

結局のところ、馬鹿(うましか)について核心を突く結論は得られていないのですが、状況証拠的にこれがどうも古代日本におけるユダヤ問題と関連がありそうだというところまでは掴めました。

ここで三浦春馬さんの不審な死の話に戻ると、この死に呪詛的な意味があると仮定した場合、それは古代日本のユダヤ問題に関連するだろうと考えられるのです。

そして、それは三浦さんの芸名が体現する2つのユダヤ支族「馬(イッサカル族)と鹿(ナフタリ族)」に対して死の宣告を向けたのだとも解釈できるのです。

この場合、鹿とは武御雷から藤原氏へと続く一族の血統を指すと考えられますが、馬については上述の通りその系統については未解決だとしておきます。

さて、「クローゼット」という言葉には「隠された性癖」という隠語があるのですが、その中で死亡したという事実と併せて解釈するならば

 素性を隠したまま死ね

と言う意味にも取れます。つまり、日本の中でユダヤの末裔を名乗ることは一切まかりならんと言う強い意志を表しているとも解釈できるのです。

三浦春馬さんは、このようにユダヤ支族への大きな呪いを背負わされて旅立たれたのでしょうか?

参考:

三浦春馬さんの出演ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」について、その中で表現されている種々の暗号メッセージの解読に挑んだ動画がありますので、ここでご紹介しておきます。

Youtubeチャンネル「外閣情報調査室」から

なお、同ドラマについては(真)ブログ記事「三浦春馬の死とカネ恋の呪い」において、そのドラマ設定に仕掛けられた呪術的な意味を、方位術の観点で解読を試みています。


管理人 日月土

もののけ姫と馬鹿

今回のタイトルですが、ちょっと誤解されそうなので初めにお断りを入れて起きます。

ここで使った「馬鹿」はいわゆる侮蔑的な意味での「ばか」ではなく、是非とも動物の馬と鹿を表す「うましか」と読んで頂きたいのです。

どうしてそのような区別をするのかについては、この後の記事を読んで頂ければご納得頂けるのではないかと思います。

■もののけ姫の少女神解釈

今から3年前、2021年の今頃からアニメ映画「もののけ姫」について、その物語構成のモデルとなった日本神話の分析を行ってきました。

これまでにどのようなことが分かったのか、それについては当ブログの過去記事を参考にして頂きたいのですが、今回は、これまでの分析で触れていなかった箇所、及び昨年展開した「少女神仮説」に基づいてに再度この作品を考察したいと思います。

これまでのおさらいとして、主要登場人物に対応する各々の神話上の神(人物)の関係は以下の様になります。

 カヤ   = タクハタチヂヒメ
 アシタカ = ニニギノミコト
 サン   = コノハナサクヤヒメ

これを図で表すと以下の様になります。

画像1:映画「もののけ姫」の主要登場人物の関係図

もののけ姫分析を始めた頃には気付かなかったのですが、カヤとアシタカ、そしてサンとアシタカの男女関係、いわゆる三角関係については、少女神仮説を取り入れると非常に上手く説明できることが分かります。

神話の中で、皇后タクハタチヂヒメにはオシホミミという王がいたのですが、記紀・秀真伝の記述によると、ニニギノミコトはその二人の間の子ということになっています。

この映画もそうなのですが、ニニギノミコトとその母であるタクハタチヂヒメとの男女関係を示すサインが幾つか見られる事から、私は「二人は不義の関係」と解釈してきましたが、ここに少女神仮説、古代王権は女系によって継承されていたという考えを導入すれば、ニニギノミコトは入婿でありタクハタチヂヒメと直接の血の関係はなかったことになります。

前王の王妃を娶って王権が移譲されるものなのかどうかは何とも言えませんが、少なくとも「不義の関係」は言い過ぎではなかったかと訂正します。

史書においてはニニギノミコトはオオヤマツミの娘であるコノハナサクヤヒメを娶ることになっていますが、少女神仮説を以ってこの記述を変換すれば

 オオヤマツミの息子ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメに婿入り

と置き換え可能なのです。

この新解釈を適用した場合、もののけ姫の問題シーンであり、この映画を観た世の女性たちを怒らせた

 カヤからもらった贈り物(黒曜石の短剣)をサンに渡した

という、まるで下衆男の振舞いとも取られかねないアシタカの行動にも重要な意味が隠されていたことに気付かされるのです。それは、

 王権の継承

であり、第9代アマカミ(古代天皇)のオシホミミが王権を獲得できたのは、その皇后であるタクハタチヂヒメに王権継承権があるからであり、その権威の象徴である短剣を別の女性に渡す行為はその女性の夫に王権を継がせる行為そのものなのです。

もしかしたら、カヤは新しい女性の元でアシタカに王になってもらいたかったのかもしれないのです。

すると、サンのモデルとなったコノハナサクヤヒメは誰の子だったのかが問題になるのですが、そちらについてもこれまでの分析から次の答を既に得ています。それは

 ホノアカリとアメノウズメの娘

であり、ホノアカリとは、神話の中で多くの変名・蔑称を持たされた王で、代表的なのがアヂスキタヒコネ、あるいは

 サルタヒコ

なのです。

アメノウズメ(別名サルメキミ)も当然王権継承権を持つ女性であり、その実の娘であるコノハナサクヤヒメがそれを有するのは言うまでもありません。

秀真伝には、ニニギノミコトとホノアカリの二王朝並立時代があったとされ、そうなるとニニギノミコトはもう一つの並立王朝の娘を娶ったことになります。

ホノアカリ王朝については秀真伝に若干の記述があるものの、記紀からは完全に消し去られており、獣の名を冠した「猿タヒコ」の名を以って道案内の神などとその地位を大きく蔑まれているのです。

■アシタカを導いた馬鹿(うましか)

以上はこれまでの解釈をまとめたものですが、ここで新たに注目すべきキャラクターを取り上げます。それは、このキャラです。

画像2:ヤックル

映画の中で、短剣を渡されたアシタカは不思議な生き物に乗って蝦夷の里から西へと向います。

鹿の様に立派な角を携え、サラブレッドのような身体を以って長距離を走り抜く不思議な生き物。このヤックルは、設定上は架空の生き物とされていますが、そのデザインから窺われるのは、明らかに

 馬と鹿の合いの子

なのです。

果たしてこれは宮崎駿監督の単なる思い付きと捉えてよいのでしょうか?ここまで作品設定内に日本古代史を取り込み、モロや乙事主など、動物デザインにもその深い意味を忍ばせているのに、果たしてヤックルだけが「何となく」描かれたなどと言えるのでしょうか?

実は、この話は亡くなられた次の俳優さんにも繋がるのです。

画像3:三浦春馬さん

この「三浦春馬」という芸名が、馬鹿(うましか)を意味するのは前回記事「令和五年のブログ記事まとめ」の最後部に「三浦春馬と春日の関係」という見出しで小さく触れています。

春日大社は放し飼いの鹿で有名ですが、そこに祀られているのは藤原氏の祖神(おやがみ)である武御雷(たけみかづち)の神、別名鹿島神(かしまかみ)なのです。

藤原氏と言えば、今年放映されるNHKの大河ドラマ「光る君へ」は平安の藤原氏の時代に生きる紫式部の生涯をドラマ化したものですが、第1回放送の中に非常に気になるシーンがありました。お菓子を失くしてしまった三郎に向ってまひろが放った言葉です。

画像4:1月7日放送のダイジェスト動画から(吹き出しは筆者が加工)
https://www.youtube.com/watch?v=F-0rxW7VU-8

「馬鹿」(ばか)?果たしてこれは単純に相手を侮蔑する子供のやりとりを現代語表現しただけのものなのでしょうか?

そもそも「馬鹿」(ばか)の語源とは何なのでしょうか?

これについては、国語辞典編集者の神永さんによるブログ記事「何でバカって言うの?」が参考になります。

同記事における結論は、「諸説あるものの語源がはっきりしない」ということなので、現代日本人はその意味も分からずに「馬」と「鹿」を使って人を侮蔑しているということになります。

現代の子供でさえふざけて使う、こんな一般的な言葉の語源が不明だと言うのも驚きなのですが、もしも「馬鹿」が何かの呪術的符号だとするならば、そこには必ず呪術を成立させる明確な論理が存在するはずなのです。

実は、その答は少し見えています。以下の図を見れば、お分かりになる人は直ぐにハッと気付かれるでしょう。

画像5:古代ユダヤの紋章
イッサカル族(左)とナフタリ族(右)

どうやらニニギノミコトの王権取得にはこの紋章を戴く2族が関わっているようなのです。

そして、藤原氏と鹿の一族との関係はもちろんですが、馬を戴く一族とは具体的に誰なのか、そして、アシタカをサンの下へ送り届けた馬鹿(ヤックル)の映画表現は何を意味するのか?

また、ニニギノミコトノの事跡である「天孫降臨」と呼ばれる神話的事象も、この2族との関係を無視して正確に語り得ないのです。

ジブリ映画の大ヒット作「もののけ姫」にはまだまだ古代日本の史実が隠されていたようです。

岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)
ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入
られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれた
のであるぞ、十二の卵を十生んだことに
もなるのであるぞ、五つの卵を四つ生ん
だとも言へるのであるぞ、総て神界のこ
と、霊界のことは、現界から見れば妙な
ことであるなれど、それでちゃんと道に
はまってゐるのであるぞ。

(日月神示 碧玉の巻 第十帖)


管理人 日月土

令和五年のブログ記事まとめ

このブログの運営を始めて4年近くになりますが、そう言えばこれまでの記事を総括したものを殆ど書いたことがなかったことに気付きました。

ブログという媒体の性質上、古い記事はどんどんと過去に追いやられて行き、読者の皆様が過去記事を読もうにもどこから手を付けてよいか分からなくなるだけでなく、筆者の私自身が過去のいつ頃にどんな記事を書いたのか訳がわからなくなってきます。

今年の年末は例年に増して忙しく、新たな書下ろしをどうしようかと考えあぐねていましたが、この状況を機に、ひとまず今年最後の記事はこの1年の記事を振り返ってみることにします。

■令和五年の過去記事一覧

まずは、今年書いた記事の一覧を、リンクを付けて下記に掲載します。

【前半】
1月
 大空のXXと少女神の暗号 
 豚と女王と木花開耶姫 
2月
 猿と卑しめられた皇統 
 名前を消された三嶋 
3月
 甲と山の八咫烏 
 加茂と三嶋と玉の姫 
4月
 書き換えられた上代の系譜 
 伊古奈姫と豊玉姫、そして123便 
5月
 三嶋神と少女神のまとめ 
 丹塗矢が流れ着いた庄内 
6月
 推しの子に見る月読尊と伊予 
 神津島の少女神たち 

【後半】
7月
 古代の女王と文化庁 
 欠史八代の天皇と皇后 
8月
 美濃の姫神 
 卑弥呼と邪馬台国の精密分析 
9月
 公孫氏卑弥呼とは誰か 
 花嫁たちの故郷 
10月
 神功皇后の新解釈 
 日本神話と鹿児島 
11月
 日本神話と鹿児島(2) – 吾平山上陵 – 
 鹿児島と鹿の暗号 
12月
 鹿の暗号と春日の姫 
 令和五年のブログ記事まとめ (この記事)

■少女神と三嶋神

今年、特に前半で主要なテーマだったのは、何と言っても、

 少女神と三嶋神

であり、それらの考察から見えてきたものは、記紀などの史書やその他伝承の中でそれぞれ別の神の系譜として記述されているものが、実は同一神の系譜を指していることが明らかになったことです。

なお、毎度のお断りですが、私は日本神話とは実在した人物の記録を敢えてデフォルメ(神話化)したものと捉えていますので、この先は実在人として取り扱っていきます。

そして、この一年を通して何度も主張してきたのが

 古代天皇の家系は女系であった

という考え方で、これを「少女神仮説」として展開してきました。

この王権女系継承の継承者となる女性シャーマンのことを「少女神」と呼びますが、この少女神の考え方を提唱されたのが、みシまる湟耳さんであり、その著書「少女神 ヤタガラスの娘」(2022/1/28 幻冬舎)については本文中で何度か紹介させて頂いています。

史書類の記述を比較検討し、それに少女神仮説を組み入れた結論、それは上記事「三嶋神と少女神のまとめ」に初めて掲載した次の系図に表されています。

画像1:女系による王権継承と上代の王

この図を読む上で気を付けて欲しいのが次の点です。

 ・王権の継承者は皇后である
 ・各史書によって異なる人物名が使用されている

記紀の神話を読む限り、男性王が目に留まった女性を皇后に向い入れる様な話が多いのですが、それによって私たちは古代から現代に至るまで男系による天皇家が続いてきたように思わさせられています。

しかし、みシまる氏の上記著書では、史書の細かな記述の分析から、どうやら女性シャーマン(少女神)の下に男性が婿入りすることこそが、その男性が王となる為の条件だったのではと、従来の考え方に一石を投じているのです。

「万世一系」は一般的な天皇家の血の継承を表す言葉ですが、その言葉のイメージは、「男性が皇后を娶り、その間に生まれた男子が王権を継承する」というものですが、もしも女子にこそ王権の継承権が与えられていたとすればどうなるでしょうか?

少女神仮説によれば、一系は一系でも、その血の流れは女子にこそ受け継がれるものなのです。現代の私たちは果たして間違った天皇家像を見ているのでしょうか?

このブログでは、日本神話は神話物語と読むべきものではなく、

 古代史実が高度に記号化された暗号書

であると以前から主張しています。

例えば、「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が大山祇(おおやまつみ)の娘、木花開耶姫を見初めて娶った」という記述は

 大山祇の息子、瓊瓊杵尊が木花開耶姫へ婿入りした

という事実の反転と捉えればよく、記紀で表現されている「皇后が嫁入り」という部分を「天皇が婿入り」に置き換えれば、あっという間に女系継承による天皇系図が出来上がるのです。

要するに、これは記紀編纂者が女系から男系へと史実を大きく改竄した時に使っただろう暗号化手法を更に逆手に取った復号方法だとも考えられるのです。

もちろんそれが正しいかどうかは、他のケースにおいても比較検討しなければなりませんが。

■複数の名を付けられた古代王

日本神話を読むときに、あまりに多くの神(人物)名が出て来るので、その関係性の整理が頭の中でおいつかないという声をよく聞きます。

しかし、このような複雑な神(人物)名の数々も、図1のように各史書の記述を整理していけば、実は同じ神(人物)名に幾つも異なる名が付けられているのが分かってきます。

例えば、上の図では

 三島湟咋 = 賀茂建角身 = 彦火火出見

が同一人物であることを示しています。

なぜこんなにも激しい記述の揺れが発生するのかと言えば、これも過去に行われた歴史改竄事業の結果だと私は考えています。

しかし、結局上図のような系譜の統合ができたのには、これが同一人物を表すのだというサインが、各史書分散され巧妙に散りばめられていたからなのです。ここに、古代の史書編纂者が仕掛けただろう「史実を改竄しつつ史実を残す」という高度な暗号化技法が見て取れるのです。

系譜の統合をどのように行ったかについてはぜひ「書き換えられた上代の系譜」を読んでいただきたいと思います。

■記紀から名を消された古代王

神話の中で複数の名を与えられたばかりに、その実在性が希薄となり、その中でも最も忌むべき名が通名になった古代王がいます。その王について書いたのが「猿と卑しめられた皇統」です。

全国の神社でお馴染みの神様、猿田彦(さるたひこ)が、実は、記紀からその存在を抹殺された古代王、火明(ほのあかり)を揶揄した命名であることが、やはり記紀や古代史を物語の基本プロットに採用したアニメ作品の分析から判明しました。その結果については下図を見て頂きたいと思います。

画像2:失われたホノアカリ王朝とその変名

この火明さんですが、記紀から抹消され、獣の名(猿)を当てられる位ですから、逆に、古代期において非常に大きな業績を残した王だと考えられるのです。

この方については、いずれ大きく取り上げたいと考えています。

■卑弥呼と神功皇后

9月、10月には古代史上の女傑? 卑弥呼と神功皇后(じんぐうこうごう)について触れています。

卑弥呼については、山形明郷著「卑弥呼は公孫氏」を題材に、従来の邪馬台国論争が、全くもって的外れであることを説明しています。

そもそも、「倭人」が日本人であると誰が決めたのか?「邪馬台国」が日本列島内にあると誰が決めたのか?そのような邪馬台国論争の根本となる基礎的解釈が、実は非常に曖昧で当てにならないことを述べています。

また、神功皇后についても、少女神仮説と共に史書編纂者による記述の反転があったとみなし、再反転による再解釈を試みています。この解釈は卑弥呼の節で述べた「倭国」の定義を採用していますが、これにより、世にいう「三韓征伐」(さんかんせいばつ)が実際にどのようなものであったかを考察しています。

■鹿児島と鹿と三浦春馬

9月、10月には鹿児島へ調査に行ってきました。10月後半から今月までは鹿児島と神話に関するトピックを扱ってきましたが、ここでは「鹿の暗合」に大いに注目しています。

実はこの鹿の暗合、3年前に不審な亡くなられ方をした俳優の三浦春馬さんの名前とも関連してくるのです。

ここでは、12月16日配信した(神)ブログメルマガの記事から、鹿と三浦春馬さんの関係について書いた記事を抜粋したいと思います。

■三浦春馬と春日の関係

ここで、少々唐突かもしれませんが、3年前に「クローゼットで首つり自殺」なる不審な死を迎えた若手俳優の三浦春馬(みうらはるま)さんと春日との関係について考察します。

私の直感ではありますが、この俳優さんの死と呪術は無関係でなく、それならば涼宮ハルヒ同様、三浦春馬という芸名にも何かの意味が込められているはずです。

まず、誰でも分かることですが春日の「春」と春馬の「春」が共通の文字として使われている事が一つ。

次に「三浦」の解釈ですが、もしもこれが

 霞ヶ浦、北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)

だとすればどうでしょうか?実はこれらの浦(波が静かな入り江のこと)は全て

 茨城県の「鹿島」地域

にあるものなのです。中世まであったと考えられる香取海(かとりのうみ)の現在まで残った残姿だとも言えます。ちなみに香取海の沿岸は、実在したであろう高天原(たかあまはら)が実際に置かれていた地域と私が推定する場所なのです。

ここで、「春(春日)」と「鹿」という、今回の記事で取り上げた春日大社に意味づけられたのと同じ要素が、三浦春馬さんの名前の中に見られることが分かります。

もしも、三浦春馬さんの死が何か呪術的に呪われたものだとすれば、それは春日大社、引いては藤原氏、武御雷、タカミムスビ皇統に繋がるものであると考えられるのです。

問題なのは「馬」の文字の解読なのですが、これについてはまだ不明な点が多いです。しかし、「馬娘」なる若者向けアニメのプロモーションに巨額の資金が投入されている実態を見ると、どうやらこの「馬」についても、もう少し時間を掛けて調べる必要がありそうなのです。

令和5年12月16日配信 (神)ブログメルマガ92号より

実は、三浦春馬さんの名前には非常に大きな意味が込められているのが分かりました。それについてはまずメルマガで解説させていただくことになります。

 
* * *

以上、なるべく簡潔に今年一年の記事をまとめてみましたが如何だったでしょうか?複雑な日本神話ですが、日本の古代を紐解く暗号書としてその解読に興味をもっていただければ幸いです。

それでは新年もよろしくお願い申し上げます

管理人 日月土

鹿の暗号と春日の姫

鹿児島県に実存する古代墳丘について考察を始め、ついに今回で4回目となってしまいまいそうです。

私もここまで長引くとは思わなかったのですが、アニメキャラのネーミングを初め色々と腑に落ちることが多く、この考察は鹿児島を離れ日本国内の関連個所に飛び火する勢いです。

 これまでの鹿児島関連記事:
  ・日本神話と鹿児島 
  ・日本神話と鹿児島(2) - 吾平山上陵 
  ・鹿児島と鹿の暗号 

■「鹿」が示すもの

前回の記事「鹿児島と鹿の暗号」では、鹿児島県に多い諏訪神社、その主祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が、建御雷神(たけみかづちのかみ)と格闘して負け、最終的に出雲の国譲りが成立すると言う下りが古事記に記述されているという話を、当該部分の原文読み下し文と共にお伝えしました。

また、この格闘を行った二柱の神に共通するのが

 建御名方神 → 御頭祭(鹿の頭を献上)
 武御雷神  → 別名鹿島神(かしまかみ)

と「鹿」の文字であることも述べています。

このように、話は「鹿」を共通点に鹿児島から長野の諏訪、そして茨城の鹿島へと飛ぶのですが、ここで「鹿」を引き合いに出す上で忘れてはならない存在があることに気付きました。

それは何かというと、

画像1:春日の杜(画像引用元:春日大社公式ページ) 

写真は、現地を訪ねたことのある方ならすぐにお分かりになったかもしれませんが、「鹿」の放し飼いで有名な奈良県の春日大社です。

私も何度かここを訪れたことはありますが、鹿せんべいを求める鹿さんたちの激しいアピールにたじたじとなったことを覚えています。

この春日大社の御祭神については、公式ページには次の様に書かれています。

神山である御蓋山ミカサヤマ(春日山)の麓に、奈良時代の神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命により武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様、経津主命(フツヌシノミコト)様、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)様、比売神(ヒメガミ)様の御本殿が造営され御本社(大宮)として整備されました。現在、国家・国民の平和と繁栄を祈る祭が年間2200回以上斎行されています。

その中でも1200年以上続く3月13日の「春日祭」は、現在も宮中より天皇の御代理である勅使が参向され、国家・国民の安泰を祈る御祭文を奏上されます。さらに、上旬・中旬・下旬の語源に関わる宮中の「旬祭」、上巳・端午・七夕などの「節供祭」も平安時代に移され、今に至るまで斎行されています。

引用元:春日大社公式ページ 

もうお気付きのように、春日大社の祭神の筆頭に武甕槌命(=武御雷神)が含まれているのが分かります。

鹿が神様の乗り物として大切にされるのはこの国では珍しい事ではありませんが、ここ春日大社の鹿愛は、その飼育規模から見ても飛び抜けていると言えるでしょう。

この様に、ここで鹿が非常に大事にされる理由とは、果たして「神様の乗り物」という一言で済ませられるものなのでしょうか?何か「鹿」に対する特別な思いがあるようにも思われます。

そして、鹿島神の異名を持つ武御雷神と何か関係があるのでしょうか?

■春日の下がり藤

春日大社の神紋は下図のように「下がり藤」となります。

画像2:春日大社の下がり藤

この神紋と同じ柄を家紋として使われている家は多いのではないでしょうか。それもそのはずで、この紋は有名な「藤原氏」の家紋でもあるのです。

藤原氏の子孫はその後全国に広がり、佐藤・加藤・伊藤など、「藤」の字を当てた名前に変化していくのですが、それを聞いただけでも下がり藤を家紋とした家が多いだろうと想像が付くのです。

そして、藤原氏およびそのルーツである中臣氏(なかとみし)の氏神とされているのが「武御雷神」なのですから、春日大社が藤原氏と関係が深く、その氏神を祭神の筆頭に上げるのも当然と言えば当然のことなのかもしれません。

■春日の姫

実は春日と鹿、そして下がり藤の神紋との関係に気付いたのは、先日、京都府の木津川へと調査に向かったことがきっかけだったのです。

画像3:綺原座健伊那太比売神社(画像引用元:神社巡遊録

上の画像の神社は、木津川市内にある神社で「かんばらにますたていなだひめ」と呼ばれているようです。

この姫神様、記紀はもちろん秀真伝(ほつまつたえ)にも名前が出て来ません。それ故に、どのような神様か色々と憶測があるようなのですが、私が気になったのはこの神社の神紋なのです

画像4:健伊那太比売神社の神紋:下がり藤

木津川は奈良県と接している土地ですし、春日大社の影響力が強かったであろうことは容易に想像が付きます。実際に近くには「春日神社」も幾つか点在しているのです。

ここで、春日の神紋と聞き知れぬ姫神の名の関係性が気にならないはずがありません。そうやって考えていると、この姫神の名「健伊那太比売」と春日大社の筆頭祭神「武御雷」の間に共通点が見られる事に気付きました。

まず「健伊那太比売」の「健」の字は「タケ」と読めること。そして「武」は「タケ」と読みます。

古事記の記述で武御雷の格闘相手となった「建御名方」の「建」はやはり「タケ」ですから、この3者は

 「タケ」と「鹿」で共通している

と考えられるのです。

前からお伝えしているように、私は史書に書かれた神話は実在人のデフォルメされた記録と見ていますので、この3者は

 同じ血族、家系の一員である

と考えられ、これら共通したキーワードは、史書編纂者が史実の記録に挿入した暗号だと解釈するのです。

ここから先は、メルマガで既にお知らせしている内容と重複しますが、この「タケ」の暗号には次の様に更に解釈を進めることが可能でしょう。

古代期の発音は母音が弱いと考えられるので、表記を次のように変えてみます

 「タケ」→ 「TK」

子音「TK」で始まる一族でこれに該当するのは、おそらく

 タカミムスビ

であると考えられるのです。

記紀にはそのような記述は見当たりませんが、秀真伝には

 アマカミ、オオモノヌシ、タカミムスビ

の3皇統が古代日本に並立したとあり、その中のタカミムスビ皇統は武御雷(カシマカミ)の代で系図から忽然と消えてしまっているのです。むしろ、出雲と称されるオオモノヌシ皇統はその後の代も何代か続いているのです。

ここから次の様な推論が成り立つはずです。

古事記における「建御名方神と武御雷神の格闘」、これが意味しているのは出雲の国譲りではなく、実際は

 タカミムスビの国譲り

であった。

それを、あたかも出雲の国譲りのように記述したのは、タカミムスビ皇統の存在そのものをこの国の歴史から消し去ろうとした後の為政者の作意によるものではなかったのか?

また、二柱の神の格闘とは、武御雷神が建御名方神にすり替えられたことを示唆する史書編纂者が示した暗合、すなわち

 武御雷神と建御名方神は同一神(人物)である

ことを意味しているのではないでしょうか?

「健」がタカミムスビ王統を意味するならば、健伊那太比売とはタカミムスビ王統の血統を支えた少女神の一人と考えられ、その少女神の中でよく名前が知られた姫とは、

 ククリヒメ(菊理媛)

であることが窺がい知れるのです。

そうすると前回の記事で得た「鹿目まどか」=「鹿島の玉依姫」という結論は

 タカミムスビ皇統の少女神、玉依姫

と置き換えることができますし、ここから玉依姫がククリヒメの血を受け継ぐ少女神の一人であることが分かるのです。


この宮の裏手に隠る姫神の立たれる時は今ぞ来にけり
管理人 日月土