古代鈴鹿とスズカ姫(3)

今回は4月に三重県鈴鹿市内の史跡を調査した3回目の記事となります。

これまで、鈴鹿(スズカ)という地名から、同地の名が付けられたスズカ姫、すなわち記紀の神代記に登場する「タクハタチヂヒメ」についてその痕跡を追ってきた訳なのですが、何度もお伝えしているように、この方はシブリ映画「千と千尋の神隠し」で主人公「千尋」のモデルとなった歴史上の人物(*)であると推定されるのです。

*歴史上の人物:一般に日本神話の神様として扱われていますが、本ブログではそのような人が勝手に思い描いたファンタジーに付き合うつもりはありません。むしろ、神話とは史実を婉曲に表現するための暗号的記法であると捉えています。

鈴鹿市内の椿大神社(つばきおおかみやしろ)に祀られているスズカ姫、そして秀真伝(ほつまつたえ)に伝承によると、スズカ姫は鈴鹿峠の近くに葬られたと言われています。どうやら、鈴鹿とスズカ姫の間にはやはり深い関係があるようなのです。

■鈴鹿に残るコノハナサクヤ姫伝承

椿大神社にはスズカ姫の他に、サルタヒコの妻とされるサルメノキミ(アメノウズメ)も祀られているので、都合二人の姫君がこの地に関係していると考えられます。

そして、ほぼ同時期の姫君で、ニニギノミコト(秀真伝では第10代アマカミ)の后(きさき)であるコノハナサクヤ姫もこの鈴鹿に縁があると秀真伝には記されているのです。

秀真伝研究家の池田満さんの解説をここでご紹介しましょう。

 十代アマカミの弟の方の二二午ネのキサキとなったヒメの讃え名。コノハナサクヤヒメのイミナ(実名)はアシツヒメという。

 アシツヒメは、オオヤマスミ家の三代目カグヤマツミと夕キコヒメ(ヱツノシマヒメ)との間に生まれた。夕キコヒメは、アマテルカミの娘である。アシツヒメは、十代アマカミとなる二二キネのキサキに上るが、一夜にして身寵ったため、妬む人たちによって放たれた讒言により、ニニキネに疑いの心を抱かせてしまう。悲嘆にくれたアシツヒメは、帰途の途中にサクラの樹を植えた。

 正種ならば、子を産む日に咲くべしと誓っての植樹である。そして富土山南麓のサト(実家)に帰って、旧暦の6月1日(現往の暦では7月15日前後)に三つ子の男の子を産んだ。この日、植えたサクラは見事に花を咲かした。このことから、二二キネの疑いも晴れた。このサグラは、現代にも植え継がれて、三重県鈴鹿市寺家の比佐豆知(ひさつち)神社に植わっていて、白子の不断桜(ふだんざくら)として著名である。比佐豆知神社は木花開耶姫を祭神としていて、比佐豆知とは、ミコの生まれた日に奇しくもサクラが咲いたことを表わしている。

 コノハナサクヤヒメは、富士山の山中に入って亡くなったため、アサマノカミの謚号(おくりな)が贈られた。浅間神社の名称の元であるアサマは富土山の別称。

池田満著 ホツマ辞典より (※ニニキネ = ニニギノミコト)

またしても神話化された姫君が鈴鹿に登場!?こうなると、今回の調査でもこの比佐豆知神社は外せないと考え、現地へ向かうことになったのです。

画像1:比佐豆知神社
祭神は五十猛命 他だが伊勢国史などでは木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の名も

近鉄名古屋線からほど近い所にある比佐豆知神社は、その窮屈な敷地の作りから、元々は隣に並ぶ子安観音寺の境内と一体であっただろうと見て取れます。おそらく、明治の神仏分離令により、お寺と神社の間に仕切りの壁が作られたのでしょう。外見がどちらかというとお寺ぽいのも、その名残だと考えられます。

さて、件の「不断桜」は神社側の敷地内にはありません。お隣の子安観音寺の敷地に移動する必要があります。比較的広々とした駐車場の片隅にその桜の木はありました。

画像2:不断桜

これを見てすぐに思ったのが、この枝ぶりでは、コノハナサクヤ姫が居たと思われる、およそ二千年前に植えられた樹木にはとても見えないというものです。

それは仕方ないとしても、側に掲げられている説明板を読んでもコノハナサクヤ姫のコの字もそこに見当たりません。

ちなみに説明板には次の様に書かれています。

             天然記念物不断桜
                       大正十二年三月七日国指定
                           白子山子安観音寺

この桜は、里桜の一種で四季を通じて葉が絶えず、聞花期も春秋冬に及ぶのが特長です。

永禄十年、連歌師 紹巴が、東国に下ったときの紀行富士見道記 に「白子山観音寺に不断桜とて名木あり」と配され、また観世流の貞享三 年版にある「不断桜」もこの桜をうたったもので古来より全国に有名です。

また当山の縁起によれば、天平宝字年中雷火のため焼失した伽藍跡に芽生えた桜と伝えられ本尊白衣観世音の霊験によって咲くとして尊ばれています。

なお不断桜の虫喰い葉の巧妙な自然の紋様に着目して伊勢型紙が創られたという由来があります。 

鈴鹿市教育委員会
鈴鹿市観光協会

よって、現地で秀真伝の伝承を確認することは不可能なのですが、ただし、言葉は悪いのですが、こんな大したこと無さそうな地方の桜の銘木に、どうして国指定の天然記念物認定が下りたのかがかえって不思議に思われます。

そして、再び神社に戻って良く見ると、気になる点が幾つか見受けられました。

画像3:人型の紙垂(しで)
画像4:鬼瓦の配置
写真右の壁と植栽で仕切られているが社殿は不断桜を向いている

お寺風の建築様式以外には目立った特徴のない神社ではありますが、普通の紙垂の他に、人型の紙垂が幾つか下げられていたのには目が留まりました。

立派な鬼瓦も、お堂か何かの解体時に出たものを境内の装飾として置いたように見えますが、実はどちらも

 呪術の形式

を踏襲したものなのです。

これはあくまでも私の見立てなのですが、これらをやってる神社は何かを強く封印していると考えられるのです。

その対象がいったい何なのかは判然としませんが、もしかしたらコノハナサクヤ姫の伝承と関係があるのかもしれません。そして、強い封印術をかける必要があるほどの重要物がここにある(あった)のなら、不断桜が国指定を受けたのも、何となくですが理解できるのです。

それ以上のことは特に何も見つけられず、この場所の調査で私が出来た事と言えば、所定の作法に従ってこの封印術の解除を行ったことくらいでしょうか。

■伊勢国と少女神

日本書紀によると、伊勢に天照大神が祀られるようになったのは、第11代垂仁天皇の第四皇女である倭姫(やまとひめ)が畿内各地を巡り、最終的に辿り着いたのが伊勢の地であったと言います。いわゆる元伊勢伝承です。そして、神話における天照大神が女神であることはもとより、ここでもまた「姫」が出てきたことはたいへん興味深いことです。

さて、今年の4月の記事「少女神の系譜と日本の王」では書籍「少女神 ヤタガラスの娘」を紹介しました。同書に関連し、この記事では、古代天皇の権威とは、特定の女系家族出身の少女を娶る(あるいは入婿する)ことで与えられていたのではないかと考察しました。

そして女系継承の話と「姫」伝承だらけの鈴鹿を含む伊勢地方の話がここでにわかに繋がってきます。

伊勢神宮と言えば、天皇家も参詣し、日本中から参拝客が詣でにやって来る、まさに神社の中の神社と言うイメージが一般的かと思われますが、実は日本書紀には次のような記述があります。

 三月三日、浄広肆広瀬王・直広参当麻真人智徳・直広肆紀朝臣弓張らを、行幸中の留守官に任ぜられた。このとき、中納言大三輪朝臣高市麻呂は、職を賭して重ねて諌め、「農繁の時の行幸は、なさるべきではありませぬ」といった。六日、天皇は諌めに従われず、ついに伊勢に行幸された

講談社学術文庫 日本書紀(下) 現代語訳 宇治谷孟

実はこれ、第41代天皇の持統天皇(女帝)が周囲の反対を押し切って伊勢国に行幸したという下りなのですが、およそ西暦700年代のこの時から明治に入るまでの千年以上、天皇は伊勢神宮に参拝などしていないのです(非公式はあるかもしれませんが)。

日本書紀の他の記述を見ても、伊勢に派遣する人物は皇女や女官など女性の斎王ばかりで、まるで天皇本人やその周囲が伊勢への参拝を拒んでいるようにすら思えるのです。そして、持統天皇は女帝であり、女性であればこそ伊勢国への行幸が可能であったようにも取れるのです。

ですから、

 伊勢神宮を中心とした神道は明治期に作られたもの

と考えるべきで、現在一般的に信じられているような伊勢神宮を頂点とする神道体系は本来あるべき日本の姿ではないとも言えるでしょう。

問題なのは、何故に伊勢には「姫」伝承がこんなにも集中するのかなのです。

画像5:伊勢湾を巡る姫神達
縄文海進期の予想海岸線で描いており、岐阜が湾の最奥部となる

上の図には「ヤタガラスの娘」でも紹介されている、愛知県豊田市の香良須(カラス)神社を加えていますが、現地を細かく調査すればこの他にも史書に登場する女神と関連する神社や史跡は他にも沢山あるだろうと予想されます。

以上から、古代伊勢国とは皇后輩出家系が治める国であり、その成り立ちは大和国や出雲国とはまた別のものであった。そして、その家の力を得て初めて天皇は日本の王として存立できる条件を得られた・・・そのように考えられるのです。

この予想を現代の状況にまで拡大すると、

 古代女系氏族を押さえることが日本を押さえること

に等しいと解釈できます。そうであればこそ、スタジオジブリが執拗に実在しただろう古代少女神をそのキャラクターのモデルに採用し、なおかつそれを呪う描写を表現し続ける理由も見えてくるのです。


吾が君の胸にこぼれし志摩の真珠
管理人 日月土


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