三貴子の暗号 – 三貴子の誕生

前回の記事「誓約(うけい)の暗号 – 剣と王権」では、次代の王と女王(天皇と皇后)を示した重要な約定であるこの場面に、どうして三貴子の一人であるツクヨミ(月読尊)が加わっていないのか、その点について指摘しました。

これについて分析を進める上で、どうしても、アマテラス(天照大神)、スサノオ(素戔嗚尊)、そしてツクヨミの出自について、記紀にどのように記述されているのか調べる必要が出てきます。

実は、日本神話について関心を抱いた時から、重要な神とされるこの3柱、おそらく神話化された3人の実在人について、その荒唐無稽な記述の意味する内容に困惑しており、これまで長く後回しにしていたのです。

そして、誓約の分析を始めて以来、やはりこの3柱、一般に三貴子(さんきし)と呼ばれる神様(あるいは人物)について理解する必要性を再認識することとなりました。

三貴子はどのように誕生したのか?

古代の実情をこの目で見る訳にも行かないので、頼りにするしかないのが、暗号の史書である日本書紀、そして古事記です。

ここでは、少し長くなりますが、日本書紀から三貴子がどのように誕生したのか、ご存知の方も多いと思いますが、改めてその場面を引用したいと思います。

 次に海(うなはら)を生む。次に川を生む。次に山を生む。
 次に木の祖(おや)句句廼馳(くくのち)を生む。次に草(か
 や)の祖草野姫(かやのひめ)を生む。亦は野槌(のつち)と
 名(なづ)く。既にして伊奘諾尊・伊奘冉尊、共に議(はか)
 りて日(のたま)はく、

 「吾(われ)已(すで)に大八洲国(おおやしまのくに)及び山
 川草木(やまかはくさき)を生めり。何(いかに)ぞ天下(あめ
 のした)の主者(きみたるもの)を生まざらむ」とのたまふ。
 是に、共に日の神を生みまつります。大日霎貴(おおひるめ
 のむち)と号(まう)す。大日霎貴、此をば於保比屡眸能武智
 (おほひるめのむち)と云ふ。霎の音は力丁反(のかへし)。

 一書に云はく、天照大神(あまてらすおほかみ)といふ。一書
 に云はく天照大日霎尊(あまてらすおほひるめのみこと)とい
 ふ。此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合
 (くに)の内に照り徹(とほ)る。故(かれ)、二(ふたはしら)の
 神喜びて曰(のたまは)く、「吾(わ)が息(こ)多(さわ)ありと
 雖も、未だ若此霊(かくくしび)に異(あや)しき児(こ)有らず。
 久しく此の国に留めまつるべからず。自(おの)づから当(まさ)
 に早(すみやか)に天(あめ)に送(おくりまつ)りて、授(さづ)
 くるに天上(あめ)の事を以(も)てすべし」とのたまふ。是の
 時に、天地(あめつち)、相去ること未だ遠からず。故、天柱
 (あめのみはしら)を以て、天上(あめ)に挙(おくりあ)ぐ。

 次に月の神を生みまつります。一書に云はく、月弓尊(つくゆ
 みのみこと)、月夜見尊(つくよみのみこと)、月読尊(つくよみ
 のみこと)といふ。其の光彩(ひかりうるは)しきこと、日に亜(つ)
 げり。以て日に配(なら)べて治(しら)すべし。故、亦(また)天
 に送りまつる。

 次に蛭児(ひるこ)を生む。巳(すで)に三歳になるまで、脚(あし)
 猶(なほ)し立たず。故、天磐櫲樟船(あまのいはくすぶね)に載
 せて、風の順(まにまに)放ち棄(す)つ。

 次に、素戔嗚尊を生みまつります。一書に云はく、神素戔嗚尊
 (かむすさのほ)、速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)といふ。
 此の神、勇悍(いさみたけ)くして安忍(いぶり)なること有り。
 且(また)常に哭き泣(いさ)つるを以て行(わざ)とす。故、国内
 (くにのうち)の人民(ひとくさ)をして、多(さは)に以て夭折(あ
 からさまに)なしむ。復使(また)、青山(あをやま)を枯(からやま)
 に変(な)す。故、その父母(かぞいろは)の二(ふたはしら)の神、
 素戔嗚尊に勅(ことよさ)したまはく、「汝(いまし)、甚だ無道
 (あづきな)し。以て宇宙(あめのした)に君臨(きみ)たるべから
 ず。固(まこと)に当(まさ)に遠く根国(ねのくに)に適(い)ね」
 とのたまひて、遂(つひ)に逐(や)らひき」

岩波文庫 日本書紀(一)神代上

この世に大地と山川、草木を生み出したイザナギ・イザナミは、これらを統治・管理するために、3柱の神を新たに生み出します。それが三貴子なのですが、この時点でそれぞれの担当所管を決めています。それが、

 アマテラス → 天地(あめつち)
 ツキヨミ  → 日に配べて
 スサノオ  → 根の国

の3所管なのですが、面倒なことに、その所管については日本書紀の他の一書、そして古事記の記述とは多少食い違いがあるのです。それをまとめたのが以下の表になります。

画像1:三貴子の所管に関する一覧表
(滄海原:あおうなはら)

実はこれこそが、日本神話を読み始めた時から一番の疑問点だったのですが、こうやって表に纏めてみても、やはりどうしてこんなに表現が揺れているのか見当が付きません。

アマテラス所管の「天上」と「高天原」が同じ天上世界を指しているの何となく理解できますが、ならばここにどうして「天地」(あめつち)なる、地上世界を包含した表現が現れるのか?

ツキヨミの「日に配ぶ」は「太陽」には及ばないものの、同じ様に空を明るく輝かせる「月」を意味していること、また「夜の食す国」とは夜の帳が侵食する国、すなわちそれまで太陽が照らしていた国、アマテラスの所管に被るものと理解できます。しかし、「滄海原」は海洋を指すと思われ、どうしてここに海洋が記されるのか?

更に良く分からないのが、スサノオの「根の国」と「天下」(あめのした:おそらく地上世界のこと)の関係で、「天下」は日本書紀の本文ではそこに居てはいけないとされているのです。そして、ここでも「滄海原」と「海原」など海洋を指す表現が現れ、これらが互いにどのように関連するのかよく分からないのです。そして、どうして海洋で、ツキヨミの所管と重なってくるのか?

単なる記録上のブレとも取れるのですが、誓約の記事でもお伝えしているように、記紀の編者は明らかにその表現の中に、実際にあった史実に関する重要なヒントを埋め込んでいると考えられるのです。

結局のところ、どんなに頭を捻っても分からなかったので、今回は三貴子の誕生に関する箇所を提示するのみとしますが、現日本社会では、このように出自が曖昧なアマテラスが日本神道の最高神、現天皇家の祖先神とされているのですから、これを単なるヒューマンエラーと片付けてよいのかと私は思うのです。


管理人 日月土

誓約(うけい)の暗号 – 剣と王権

これまで、日本神話の誓約(うけい)について見てきましたが、話の中心は、誓約によって誕生した五人の王、そして三人の女王(姫)が具体的に誰を指すのか、その特定作業でした。

そもそも、登場する5柱の男神が王の系譜を表すだろうとした根拠は、スサノオ(素戔嗚)が噛み砕き噴き出した天照大神の玉が「御統(みすまる)の玉」、すなわち「王統」を意味するところから予想されたものです。

これについては「誓約(うけい)の暗号 – 王の系譜」で触れていますので、気になる方は再読してみてください。

さて、これまで誓約について考察ができていなかったのは、アマテラス(天照大神)が噛み砕き噴き出したとされるスサノオの剣です。この剣にはいったいどのような意味が隠されているのでしょうか?

■改めて誓約を分析する

これまで、Wikiペディアに掲載された誓約の分析図を借用させてもらいましたが、それはあくまでも古事記ベースの記述だったので、日本書紀の記述に合わせた分析図を新たに作成してみました。それが以下の図になりますのでご覧ください。

画像1:誓約の分析図(日本書紀ベース)

内容は古事記版と大きく異なりませんが、この図では敢えて三貴子の1方であるツクヨミ(月読)を加えています。

というのも、天地を治める3柱の神の1柱として、イザナギ(伊弉諾)・イザナミ(伊弉冉)の子として誕生したはずのツクヨミが、この世の王と女王を決定付ける重要な契約(誓約)に参加していないのはかなり不自然であり、当然、誓約のストーリーに含まれていないのには、記紀編集者に何か意図があっての事だろうと感じられたからです。

もちろん、誓約の記述にツクヨミは登場しないので、上分析図でもどことも線は繋がっていません。しかし、ここにツクヨミを置くことで、記述されていない関係性が見えてくるのですが、それについては次回以降のテーマにしたいと思います。

ここで、日本書紀に書かれたアマテラスによる「剣の噛み砕き・吹き出し」のシーンを引用してみます。

 是に、天照大神、乃ち素戔嗚尊の十握剣を索ひ取りて、
 打ち折りて三段に為して天真名井に濯ぎて、𪗾然に咀嚼
 みて、(𪗾然咀嚼、此をば佐我弥爾加武と云ふ。)吹き
 棄つる気噴の狭霧吹棄気噴之狭霧、(此をば浮枳于都屢
 伊浮岐能佐擬理と云ふ。)に生まるる神を、号けて田心姫
 と日す。次に湍津姫。次に市杵嶋姫。凡て三の女ます。

 岩波文庫 日本書紀(一) 神代上

ここで登場する3柱の女神については既に述べています。そして、その前文にある「打ち折りて三段に為して」は「剣を3つに折って」とそのまま訳して問題ないと考えられますが、そうなると、実はこの記述において3柱の女神が誕生することは既に予見されているのです。

すると、何故剣を3つに折ったのか?その意味が問題となり、そもそもここで言う「剣」とはいったい何を意味するのかを考察しなければなりません。

■剣は王権継承の証

何度も同じ説明ばかりで申し訳ありませんが、本ブログでは、古代王権の継承に関してはみシまる湟耳(こうみみ)氏が提唱する「少女神」(しょうじょしん)という考えを取り入れており、王権の継承権は、女王、すなわち皇后が有していると見ています。

すなわち、王と女王の間の男子が自動的に王権を継ぐという、歴史学者を含め一般的に信じられている王権の継承スタイルではない、あくまでも王権を保有する「少女神」を娶った男子に王の地位が授けられるという考え方なのです。詳しくは同氏の書籍をご覧になってください。

 書籍のご紹介:日本神話と鹿児島 

実はこの女系王権継承と剣との関係については、既にこのブログで述べていたのを思い出しました。それは、次の図に示されています。

画像2:黒曜石の短剣に示された王権の継承

上の図は、昨年1月に投稿した記事「もののけ姫と馬鹿」で使用したものですが、アニメ映画「もののけ姫」で描かれた、黒曜石の短剣がカヤからサンに渡ったのは王権がカヤ(タクハタチヂヒメ)からサン(コノハナサクヤヒメ)に移譲されたことを表すと結論を出しています。

これを、誓約に登場する女神名に置き換えると次の様に描き治せるでしょう。

画像3:黒曜石の短剣に示された王権の継承(誓約の女神名による)

ちなみに、宗像3女神と呼ばれる次の女神には次のような別名との対応関係があります。

 タギツヒメ=タクハタチヂヒメ=豊玉姫(とよたまひめ)
 タゴリヒメ=アメノウズメ=玉依姫(たまよりひめ)
 イチキシマヒメ=木花開耶姫(このはなさくやひめ)

私も古代の様子を見た訳ではないので、実際どうかは分かりませんが、多くの歴史的事実を作品内に巧妙にプロットしている宮崎駿監督の手腕を考えれば、やはり黒曜石の短剣が王権継承の証として用いられた史実はあるのだろうと考えられるのです。

さて、誓約では剣が3つに折られた、それが意味するのは、

 王位継承権が3人の姫に割り当てられた

ということだと解釈できるのですが、この権利が順番に行使されれば特に問題はないものの、もしも王の在位中に、女王が有するこの権利を強引に行使したら(させられたら)どうなるのか?

それこそが、秀真伝(ほつまつたえ)が伝える二王朝並立時代であり、また彦火火出見(八咫烏)による姫の強奪ではないかと私は見ているのです。

おそらく、王権を巡って大変な時代がこの時始まったのでしょう。


管理人 日月土


誓約(うけい)の暗号 ー 五人と三人

日本神話の誓約(うけい)に関する考察をこれまで3回に渡って掲載してきました。

 (1) 誓約(うけい)の暗号
 (2)     – 王の系譜 
 (3) – 隠津島姫と3女神 

話が大分複雑になってきたので、今回はこれまでの考察を一旦整理したいと思います。

■誓約で生まれた男神の系譜

(1)の記事では日本書紀に書かれた部分の原文及び訳文を掲載しています。誓約とはどのような内容なのか、改めて確認される場合は(1)を再読してみてください。

この記事での結論は、誓約によって生まれた神「アメノホヒ」とは、秀真伝(ほつまつたえ)に記述された二王朝時代の王「ホノアカリ」(実在王)を指す別名であろうと結論を導いています。

また、(2)の記事では、誓約によって生まれた神々(男神)とは、ホノアカリ王朝に連なる王のことを指し、こちらはニギハヤヒで王統が途絶えているので、それに続く王とは秀真伝でオオモノヌシ皇統とされている、いわゆる出雲系の王統を指すのではないかと、予想して実在王の名前を特定しています。

何よりも、高天原系、出雲系、そして二王朝時代と王統に関する記述が交錯するこの時代の流れを整理することにより、おそらく記紀における誓約とは、次の図1で数字の1~5で示した実在王を暗に指しているのではないかと考えられるのです。

画像1:誓約で生まれた五柱の男神とは誰のことなのか?

この図を見ていただければ分かるように、記紀、そして秀真伝などの史書で女神天照(秀あまてらす:秀真伝では男性王)の次に高天原の王となったとされている「オシホミミ」とは、このように王統図を照らし合わすと、どうやら出雲の王「大国主」(おおくにぬし)」のことを指しているように読めるのです。つまり、現代に残る史書からは大国主の名が現皇室に繋がる皇統の履歴から消されてしまっていると考えられるのです。

実は、大国主とオシホミミが同一人物であると考える方が、ここで扱っている誓約の意味とまさしく合致するのです。

アマテラス(高天原国王)はスサノオ(出雲国王)から王となる男性を受け入れ、スサノオはアマテラスから女王を受け入れる、このようにして両国の平和的合一が達成される、これこそが誓約の本来の意味であったと考えられるのです。

■誓約で生まれた女神の系譜

さて、アマテラスが噛み砕いて噴き出したスサノオの剣からは、3人の女神、いわゆる宗像3女神が生まれることになるのですが、この3女神について述べたのが上述の(3)の記事になります。

同記事に記したように、タコリヒメ、タギツヒメ、イツキシマヒメの誕生順序は記紀の中でも一致せず、更に困惑させるのが、3人の姫神の名前の中に時々「オキツシマヒメ」が混じっており、このオキツシマヒメがこの3人の誰をさすのかが、記述が揺れてはっきりしないのです。

そして更に問題なのが、5人の王に3人の女王という記述が数字の上でアンバランスなことです。しかし、この疑問については以下の図2を見るとことであっさりと氷解するのがお分かりになるでしょう。

画像2:誓約で生まれた三柱の女神とは誰のことなのか?

ここで、これまでの考察で得た次の結論が意味を持ってきます。

 タクハタチヂヒメ=豊玉姫
 アメノウズメ  =玉依姫

上画像の中で「※1」、「※2」で示したキャプションにご注目ください。この記号はそれぞれ1回重複しているのです。つまり3女神とは延べで数えれば5女神となり、数字の上では五柱の男神ときちんと対応しているのです。

ただし、女王の系統は誓約で定められた出雲系の王統ではなく、ニニギ、ヒコホホデミから現在の皇室まで続く皇統へと移っていくのです。

この事実は、王権の継承権は男性ではなく女性が有している、すなわち天皇家は女系によって王権が継承されているということを意味してはいないでしょうか?

そして何より、誓約による国内統一が始まったその矢先に

 誓約破り

の王権継承が始まり、それこそが、史書の記述に僅かに垣間見られる「倭国大乱」や「ハタレの乱」などの国内の大混乱を招いたと、容易に想像できるのです。


* * *

これまで何度も書いてきたので詳細は省略しますが、123便事件が発生した1985年にはメディア表現の中で「猿」が頻繁に表れています。私は、これを猿田彦(さるたひこ)を狙った呪詛と捉えていますが、猿田彦とは、画像1、2で記述するところの「ホノアカリ」の別名なのです。

要するに、古代から続く内乱は現代に至るまでまだ終わっていないと考えるべきなのです。


塩の山 遠き木幡の山想ふ 姫の眼に映るせの影
管理人 日月土

誓約(うけい)の暗号 – 隠津島姫と3女神

今回も、日本神話の誓約について考察します。素戔嗚(すさのお)が噛み砕いて吐き出した御統(みすまる)の玉が、5柱の男神となったという記述についてですが、御統が王統を象徴する用語であること、また、神話とは史実の婉曲であると考えられることから、ここで言う5柱の神とは、実際は古代期における正統な5人の男性王と解釈できるとしました。

秀真伝(ほつまつたえ)では、記紀には記述のない「オオモノヌシ皇統」が記述されていることから、この5人の王とは初代から第四代までの歴代オオモノヌシ、それにニギハヤヒを加えたものというのが、前回記事の結論だったのです。

 御統の5人の王

 (1) オシホミミ   = オオクニヌシ(初代オオモノヌシ)
 (2) アメノホヒ   = ホノアカリ (二代目オオモノヌシ相当)
 (3) アマツヒコネ  = ニギハヤヒ (養子)
 (4) イクツヒコネ  = ミホヒコ  (三代目オオモノヌシ)
 (5) クマノノクスビ = カンクチ  (四代目オオモノヌシ)

ニギハヤヒは別として、どうやら誓約によって決められた古代日本の正統王とは、いわゆる素戔嗚に始まる出雲族の男性たちだったと読めるのです。

そして、神話をこのように解釈した時に初めて、ただの寓話のようにしか聞こえない「出雲の国譲り」・「ニギハヤヒの国譲り」の本来の意図が

 男性王を素戔嗚の血族から輩出するのが国譲りの条件

という、具体的な約定を表していると解釈できるのです。

この場合考えられる当時の社会的背景とは、おそらく高天原国と出雲国による統一王国の誕生だったのではないかと私は予想したのです。

しかし問題なのは、どうして正統王であったはずのオオクニヌシやニギハヤヒの名が、記紀の中では王と記されず、このような神話と言う婉曲的表現でのみその名が残されたか、まさにその点なのです。

■剣から生まれた三柱の女神

さて、誓約五男神の考察が済んだところで、次に女神天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕いた時に生まれたとされる三柱の女神について見ていきましょう。

Wikipediaに掲載された誓約の関係図は古事記をベースにしており、宗像3女神(むなかたさんじょしん)とも呼ばれるこの三柱の神は、古事記では次の様に書かれています。

 古事記に書かれた3女神 (*数字は記述された順)

 1. 多紀理毘売(たぎりびめ) *別名:奥津島比売(おきつしまひめ)
 2.市寸島比売(いちきしまひめ) *別名:狭依毘売(さよりびめ)
 3.多岐都比売(たきつひめ)

日本書紀の場合は微妙に神名の表記が異なりますが、これを書き出すと次の様になります。

 日本書紀(本文)に書かれた3女神 (*数字は記述された順)

 1.田心姫(たこりひめ)
 2.湍津姫(たぎつひめ)
 3.市杵嶋姫(いつきしまひめ)

ここでちょっとだけ疑問が生まれます。古事記と日本書紀の間で2.と3.の記述順が異なっているのも少し気にはなるのですが、何よりも、誓約で生まれた五柱の男神が、実在したであろう5人の王を指しているとするなら、どうして女王は三人しか記述がないのでしょうか?

その他、日本書紀にはこの誓約神話には3つの一書(あるふみ)が併記されており、そこには次の様に書かれているのです。

一書1
 1.オキツシマヒメ
 2.タギツヒメ
 3.タコリヒメ

一書2
 1.イチキシマヒメ
 2.タコリヒメ
 3.タギツヒメ

一書3
 1.オキツシマヒメ *別名:イチキシマヒメ
 2.タギツヒメ
 3.タギリヒメ

どうやら、どの史書も三柱の神名はほぼ共通なのですが、その記述順に一貫性はないようです。

そして、これらを眺めて気になるのが「オキツシマヒメ」という姫神の別名で、3編の一書を見比べる限り、「イチキシマヒメ = オキツシマヒメ」という等式が成立ちそうなのですが、古事記の記述では「タギリヒメ = オキツシマヒメ」とあり、既にここで矛盾が生じてしまうのです。

ちなみに、秀真伝では大国主の王妃は「オキツシマヒメ」とされており、冒頭で述べた様に大国主とは誓約に記述された男性王「オシホミミ」と同一人物であると考えられることから、ここに

 オシホミミ(男王) === オキツシマヒメ(女王)

となり、少なくとも誓約に書かれた男女1組の国王のペアがここに完成することになるのです。

また、これまでの過去記事で考察してきた以下の結果を適応すると

 オシホミミの王妃 = タクハタチヂヒメ

 タクハタチヂヒメ = 豊玉姫

          ↓

 オキツシマヒメ = タクハタチヂヒメ = 豊玉姫

となり、少なくとも大国主の王妃が誓約に記述された宗像3女神(タコリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメ)の中の誰かだということが予想されるのです。

■木幡山穏津島神社

この3女神の素性を調べるべく、今年の6月に福島県二本松市にある木幡山隠津島神社へ出かけて来ました。

画像1:木幡山穏津島神社

この神社の御祭神は今回取り上げた宗像3女神なのですが、案内版によると神社の社名ともなった穏津島姫(おきつしまひめ)とは、日本書紀の一書群に見られるような「オキツシマヒメ=イチキシマヒメ」と言う説を採用しているようなのです。

しかし、オキツシマヒメが本当にイチキシマヒメのことを指すのかはまだ確定しておらず、これについてはもう少し考察を続ける必要がありそうです。


管理人 日月土

誓約(うけい)の暗号 – 王の系譜

前回の記事「誓約(うけい)の暗号」では、日本神話における名場面の一つ「誓約」(うけい)について紹介し、そこで使われたキーワード「御統」(みすまる)の意味的解釈から、スサノオ(素戔嗚)がアマテラス(天照大神)の御統の玉を噛み砕いて生まれたアメノホヒ(天穂日命)なる神様が、史実として誰を指すのかを考察しました。

何度も強調して申し訳ありませんが、私は日本神話とは実際にあった史実をデフォルメしたものであると考えており、政治的な理由で事実そのままを書き残せなかった史書編纂者が、超人かつ超常的な物語(ファンタジー)を通して何とか後世に知る限りの事実を伝えようとした、いわば「暗号の書」であると見ています。

アメノホヒの解釈はそこから生まれたものなのですが、御統の玉からは5柱の神様、あるいは5人の男性王が誕生しており、今回はその5人の王が誰なのかについて考察したいと思います。

なお、この考察はメルマガ130号の記事解説に掲載した文章を、改めて加筆修正したものであることをお断りしておきます。

■御統から生まれた五柱の男神

まずは、前回の記事で掲載した誓約の関係図をご覧になってください。

画像1:誓約の関係図(Wikiペディア)

ここから、天照大神の御統の玉を素戔嗚尊が噛み砕き噴き出した時に生まれた五柱の男神を、以下に列記します。

 (1) オシホミミ(正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊)
 (2) アメノホヒ(天穂日命)
 (3) アマツヒコネ(天津彦根命)
 (4) イクツヒコネ(活津彦根命)
 (5) クマノノクスビ(熊野櫲樟日命)

また、オシホミミとその後に続く王位の継承は、秀真伝(ほつまつたえ)によると次の様に二王朝並立時代へ移行したことになっています。

画像2:二王朝時代への変遷(秀真伝)

画像2を見る限り、オシホミミはニニキネ(瓊瓊杵尊)とホノアカリの二人の王に王位を継承したように見えますが、ニニキネについては記紀にも王位継承者として明記されており、敢えて王として別名で表記する必要がありません。ここから、前回お伝えしているようにアメノホヒとは、記紀から名前を消された側のホノアカリ王、あるいは別名サルタヒコ(猿田彦)を指すと考えられるのです。

すると、他の4柱の神についても、「御統から生まれた」と表現されていることから、そのモデルとなった実在人が、おそらく古代王の地位に就いた人物であったと予想されるのです。

秀真伝によると、画像2から分かるように、二王朝並立後のホノアカリの次の王はニギハヤヒ(饒速日命)とあり、それを単純に適用すると

 (3) アマツヒコネ = ニギハヤヒ

であろうことが、容易に割り出せます。

ちなみに、ニギハヤヒはホノアカリの養子であると秀真伝ではわざわざ言及していますが、この時代の王権移譲は女系によって行われていたと考えられるため、血の繋がった息子だからといって次代の王になったとみなすことはできない、むしろ(婿)養子が当たり前なのです。

これは、ニギハヤヒの出自がかなり特殊であることを意味しているのですが、それについては別途取り上げなくてはならないと考えています。

さて、問題なのはニギハヤヒ以降の王位継承者であり、秀真伝にはそれについて名が記載されていません。一応、記紀にはニギハヤヒの子にはアマノカグヤマ(天香山命)、ウマシマジ(宇摩志麻遅命)の二人の息子が居ることになっていますが、前述の理由から、息子に王位が譲位された保証はないのです。

ここで、しばらく考えが止まってしまったのですが、そういえば、ホノアカリにはアヂスキタカヒコネ(味耜高彦根神)という別名があったことを思いだしました。

アヂスキタカヒコネとは、秀真伝では古代皇統オオモノヌシ(大物主)の初代王、オオクニヌシ(大国主命)の息子の一人とされています。

二代目オオモノヌシはコトシロヌシ(事代主命)となっているのですが、本来ならば二代目に就くのはアジスキタカヒコネだったのではないかと、過去のブログ記事では述べています。

つまり、アヂスキタカヒコネ(=ホノアカリ)とは秀真伝が記述するところのオオモノヌシ皇統に連なる王であり、誓約に登場する他の無名の神も、同じオオモノヌシ皇統の王であったのではないかという推察が成立するのです。

画像3:秀真伝に記述されたオオモノヌシ皇統

画像3から、オオモノヌシ皇統の三代目以降の皇位継承者は

 三代目オオモノヌシ: ミホヒコ
 四代目オオモノヌシ: カンクチ

と記述されており、仮に、アヂスキタカヒコネを二代目オオモノヌシ相当と見れば、訳ありのニギハヤヒを一回挟んで

 (4) イクツヒコネ  = ミホヒコ
 (5) クマノノクスビ = カンクチ

と置き換えることも可能です。

この考え方には、実は重要な意味が込められており、秀真伝で言う所のオオモノヌシ皇統とは、実は

 ホノアカリ王朝の系統を表している

のではないか、つまり、これこそが秀真伝が婉曲的に伝えようとしていたホノアカリ王朝の実態だったのではないかと思えてならないのです。

ここまでの考察から5人の王の名を一旦整理すると次の様になります。

 (1) オシホミミ   = 〇〇〇
 (2) アメノホヒ   = ホノアカリ(二代目オオモノヌシ相当)
 (3) アマツヒコネ  = ニギハヤヒ(養子)
 (4) イクツヒコネ  = ミホヒコ (三代目オオモノヌシ)
 (5) クマノノクスビ = カンクチ (四代目オオモノヌシ)

■オオクニヌシ(大国主)は日本の王であった

これまでの考察を更に推し進めると、実はたいへん重大な考えに到達します。画像3から上述した〇〇〇に当てはまるのは、もうこの人しかいません、それは初代オオモノヌシである

 オオクニヌシ(大国主命)

なのです。また、画像2と画像3の対比から

 (1) オシホミミ = オオクニヌシ

が更に導けるのです。

記紀に記述された有名な神話の中に、「出雲の国譲り」というものがあり、ご存知の方も多いでしょう。出雲の王である大国主に国を譲り渡せと高天原の神々が持ち掛けるという有名なストーリーなのですが、その国譲りの実態がどうであったのか?私は、その実際的な交渉条件あるいは契約内容こそが、誓約(うけい)に書かれたものであり、それならば、現実的な取引(ディール)として合点が行くのです。要するに

 男性王は素戔嗚(出雲系オオモノヌシ)の一族から出すのが条件

というものだったと考えられるのです。

このような交換条件が成立するには、この国の王権継承が女系よって行われており、実質的な王権のオーナーは皇后を輩出する高天原の一族が握っていたからこそ可能だった、そう考えられるのです。

これが正しいとするならば、一国の王が呑気に国を譲り渡したとする「出雲の国譲り」の実態や、どうして秀真伝が「オオモノヌシ皇統」の系譜をわざわざ書き残したのか、その意味がより明確になるのです。

誓約とは、本来ならば出雲国と高天原国(仮称)の統一国家建設の取り決めだったはずなのに、誓約によって王となったのは最初のオシホミミ(=オオクニヌシ)だけで、ホノアカリ以降の王は記紀から抹殺されてしまい、何故か瓊瓊杵尊から現代に続く王朝だけが記紀に残されるようになってしまったのです。

ここに、秀真伝が伝える「ハタレの乱」、魏志倭人伝が伝える「倭国大乱」など、古代日本に起こったとされる大きな内乱の片鱗とその理由までもが見えてくるのです。

すると、この問題は現代日本に住む私たちにも無関係でないことに気付きます。

 今の天皇家は誓約を反故にしているのではないか?

歴史に基づいて日本と言う国家を考えるなら、この誓約問題を有耶無耶にしたままでは済まされないと私は思うのです。


管理人 日月土

誓約(うけい)の暗号

前回の記事「二人の姫を巡る探訪(その三)」の中で、千葉県旭市にある雷神社の主祭神が「天穂日命」(あめのほひのみこと)であることに触れました。

掲載直後に配送したメルマガの中では、アメノホヒが如何なる神、そして、現実人としては具体的に誰のことを指すのかを私なりに考察した結果をお知らせしています。

これを読み解くには、日本神話の有名なシーン、天照大神(あまてらすおおかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)の意味を、一種の暗号文として再解釈する必要があり、二柱の神が取り交わした約束事が具体的にどのような内容を指すのか、他の史書との比較の中でを改めて考察する必要があります。

今回はその点に注力してみましょう。

■誓約シーン(日本書紀)

日本神話の誓約と言っても、そもそも史書にどのように書かれているのかを知らないと話になりませんので、ここではまず、日本書紀の記述を考察の叩き台として引用したいと思います。

話の前段として、高天原(たかあまのはら)に登ってくる弟の素戔嗚を、何か良くない意図、例えば高天原を奪おうとしているのではないかと天照大神は警戒します。すっかり身構えた状況の中で、天照大神は素戔嗚にその用向きを伺うのですが、それに素戔嗚が答えるところから引用部分が始まります。

まずは前段とその訳文です。

 素戔嗚尊対へて日はく、「吾は元黒き心無し。但し
 父母已に厳しき勅有りて、永に根国に就りなむとす。
 如し姉と相見えずは、吾何ぞ能く敢へて去らむ。是
 を以て、雲霧を跋渉み、遠くより来参つ。意はず、
 阿姉翻りて起厳顔りたまはむといふことを」とのた
 まふ。時に、天照大神、復問ひて日はく、「若し然
 らば、将に何を以てか爾が赤き心を明さむ」とのた
 まふ。対へて日はく、「請ふ、姉と共に誓はむ。(夫
 れ誓約の中に、誓約之中、此をば宇気譬能美儺箇と云
 ふ。)必ず当に子を生むべし。如し吾が所生めらむ、
 是女ならば、濁き心有りと以為せ。若し是男ならば、
 清き心有りと以為せ」とのたまふ。是に、天照大神、
 乃ち素戔嗚尊の十握剣を索ひ取りて、打ち折りて三段
 に為して天真名井に濯ぎて、𪗾然に咀嚼みて、(𪗾然咀
 嚼、此をば佐我弥爾加武と云ふ。)吹き棄つる気噴の
 狭霧吹棄気噴之狭霧、(此をば浮枳于都屢伊浮岐能佐擬
 理と云ふ。)に生まるる神を、号けて田心姫と日す。次
 に湍津姫。次に市杵嶋姫。凡て三の女ます。

 岩波文庫 日本書紀(一) 神代上

 素戔嗚尊が答えていわれるのに、「私ははじめから汚い
 心はありませぬ。ただすでに父母の厳命があって、まっ
 すぐ根の国に行くつもりです。ただ姉上にお目にかかり
 たかっただけです。それで雲霧を踏み分けて、遠くから
 やってきました。思いがけないことです。姉上の厳しい
 お顔にお会いするとは」と。

 すると天照大神がまた尋ねられ、「もしそれなら、お前
 の赤い心を何で証明するのか」と。答えていわれる。
 「どうか姉上と共に誓約しましよう。誓約の中に、必ず
 子を生むことを入れましょう。もし私の生んだのが女だっ
 たら、汚い心があると思って下さい。もし男だったら清
 い心であるとして下さい」と。

 そこで天照大神は、素戔鳴尊の十握の剣を借りて三つに
 折って、天の真名井で振りすすいで、カリガリと噛んで
 吹き出し、そのこまかい霧から生まれ出た神を、名づけ
 て田心姫(たごりひめ)といった。次に湍津姫(たぎつひ
 め)。次に市杵嶋姫(いつきしまひめ)。皆で三柱の神であ
 る

 講談社学術文庫 日本書紀(上) 宇治谷孟訳

素戔嗚の提案とは、「お互いの持ち物を交換し、それを噛み砕いて生まれた子の性別で自身の潔白さを証明してみましょう」という、何とも奇妙なものですが、神話にしてしまえば、そんな奇天烈な話であろうと何でもありということでしょうか。私が関心があるのは、字面そのものの意味ではなく、このような言葉の応酬を通して、書紀編集者がどのような符号を紛れ込ませているのか、まさにそこなのです。

なお、田心姫、湍津姫、市杵嶋姫は宗像三女伸として広く知られている神様なのはご存じの方も多いでしょう。

続いて後段部分です。

 既にして素戔鳴尊、天照大神の髻鬘及び腕に纏かせる、
 八坂瓊の五百箇の御統を乞ひ取りて、天真名井に濯ぎ
 て、𪗾然に咀嚼みて、吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる
 神を号けまつりて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と日す。次
 に天穂日命。是出雲臣・土師連等が祖なり。次に天津彦
 根命。これ凡川内値・山代直等が祖なり。次に活津彦根
 命。次に熊野櫲樟日命。凡て五の男ます。是の時に、天
 照大神、勅して日はく、「其の物根を原ぬれば、八坂瓊
 の五百箇の御統は、是吾が物なり。故、彼の五の男神は、
 悉に是吾が児なり」とのたまひて、乃ち取りて子養した
 まふ。又勅して日はく、「其の十握剣は、是素戔嗚尊の
 物なり。故、此の三の女神は、悉に是爾が児なり」との
 たまひて、便ち素戔鳴尊に授けたまふ。此則ち、筑紫の
 胸肩君等が祭る神、是なり。

 岩波文庫 日本書紀 神代(上)より

 素戔嗚尊は、天照大神がみずらと腕に巻いておられた、
 八坂瓊(やさかに)の五百箇(いおつ)の御統(みすまる)を
 乞われて、天の真名井で振りすすぎ、カリカリ噛んで噴
 き出し、そのこまかい霧から生まれた神を、名付けて正
 哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまの
 おしほみみのみこと)という。次に天穂日命(あまのほひの
 みこと) ーこれは出雲土師連の先祖であるー 次に天津彦
 根命(あまつひこねのみこと) ーこれは凡川内直・山代直
 らの先祖であるー 次に活津彦根命(いくつひこねのみこ
 と)。次に熊野櫲樟日命(くまののくすびのみこと)。皆で
 五柱の男神である。このとき天照大神がおっしゃるのに、
 「その元を尋ねれば、八坂瓊の五百箇の御統は私の物であ
 る。だからこの五柱の男神は全部私の子である」と。そこ
 で引取って養われた。またいわれるのに、「その十握の剣
 は、素戔鳴尊のものである。だからこの三柱の神はことご
 とくお前の子である」と。そして素戔嗚尊に授けられた。
 これが筑紫の胸肩君らがまつる神である。

 講談社学術文庫 日本書紀(上) 宇治谷孟訳

素戔嗚は「自分が生み出した子が男だったら自分は潔白である」と言ってたのですから、天照大神の御統(みすまる)を噛み砕いて見事に5人の男神を誕生せしめたことで、この誓約は成立したことになります。

ここで、新たに誕生した3人の女神、5人の男神の名前と、誕生の経緯を改めて図に落としてみましょう。と思ったら、Wikiにちょうど意図した図解が掲載されていたので、ここではそれを引用したいと思います。

なお、Wikiの場合は日本書紀ではなく古事記を元に作図してあるようですが、大きな違いは見当たらないので、そのままを掲載したいと思います。

画像1:誓約の関係図(Wikiペディア)

■アメノホヒとは誰か

さて、ここでいよいよ登場するのが、冒頭で紹介した雷神社の主祭神であるアメノホヒ(天穂日)なのです。この神様は記紀の中ではここでしか登場しないのですが、アメノホビの前に生まれたオシホミミ(忍穂耳)は、秀真伝の中では、男性王アマテルカミ(本来の天照大神か?)の次の王として登場しているのです。

しかも、図1では玉と簡略化されている「御統(みすまる)の玉」ですが、そもそも御統とはその字の示す通り

 王統

を表すものなのです。要するに、玉に穴を空け紐で繋げる形状が、歴代の王が脈々と続いていく様を表していると見立てられているのです。

秀真伝では、オシホミミは神話の神ではなく、古代に実在した王として書かれており、当然ながら御統(=王統)の一つと表現されるにふさわしいのですが、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、そしてクマノクスビが天照級の格上の神や歴代王として記紀や秀真に書かれた形跡はありません。

但し、「御統」と称された神様が記紀中に他にも存在しているのです。それは書紀の神代上に記述された次の歌を見れば一目瞭然です。

  あもなるや おとたなばたの うながせる 
  たまのみすまるの あなだまはや 
  みたにふたわたらす あぢすきたかひこね

これは神話の神アヂスキタカヒコネに向けて詠まれた歌で、「玉の御統」とはっきり表現されている上に「みたにふたわたらす」と幾つもの谷をまたいで栄光をとどろかすと、実に最大級の賛辞が贈られているのです。

本ブログを何年も読み続けられている読者ならば、アヂスキタカヒコネが別の神名の別称であることを覚えておられるかもしれません。それは

 火明命(ほのあかりのみこと)

なのです。

ホノアカリとは、秀真伝ではオシホミミの次に即位する王なのですが、面倒なことに、オシホミミの次の王にはニニキネ(=瓊瓊杵尊:ににぎのみこと)も即位しており、ここに

 二王朝並立時代

が生まれたとされています。

画像2:二王朝時代への変遷(秀真伝)

もちろん、記紀にはホノアカリ王朝があったなどとは書かれておらず、私の分析では、この王は名前を幾つも変えられて、色々な場面で登場します。以下にその名前を書き出してみると

 アヂスキタカヒコネ
 アメワカヒコ
 サルタヒコ

となり、サルタヒコ(猿田彦)はニニキネ(瓊瓊杵)の天孫降臨を案内した神としてよく知られていますが、別称のアヂスキタカヒコネは前述のように最大級の賛辞を受けた神、アメワカヒコは返し矢に討たれて死んだ、アヂスキタカヒコネのそっくりさんとしてエピソード的に記紀には記述されています。

つまり、非常に重要な王でありながら、日本の正史とされる記紀からはその名前が殆ど除外されてしまった古代王であったと考えられるのです。

すると、この誓約の場面で素戔嗚によって噛み砕かれた御統の玉から「オシホミミの次」に生まれた男神、すなわち男性王「アメノホヒ」とは

 ホノアカリ(火明命)

あるいは、サルタヒコ(猿田彦)を指していると窺い知れるのです。

ここで、前回の記事に掲載した以下の地図を再度見ていただきたいのですが、雷神社と猿田神社が高台の上に互いに近く建てられているのがお分かりになるでしょう。

画像2:雷神社(主祭神:天穂日)と猿田神社(主祭神:猿田彦)

何てことはありません、神名は違えど、どちらの神社もホノアカリ王(火明命)が本来の祀る対象なのですから。そして、この地図に描かれた同地一帯が正史から名を消された王朝、火明王朝と非常に縁が深い土地であることも、ここから見えてくるのです。

* * *

今回はここまでとしますが、画像1の誓約のチャート図をよく見ると、他にも正史から消された古代史の秘密が浮かび上がってきます。なるほど、昔の人は良く考えたものだな、「事実を語らずして語るのが神話である」と一人で合点しているのですが、次回以降も、誓約についてその分析結果を提示して行きましょう。


管理人 日月土

二人の姫を巡る探訪(その三)

前回、前々回と「二人の姫を巡る探訪」シリーズですが、主に千葉県東総地区に残る龍宮城に関わる姫神を祀る神社についてレポートしてきました。今回はいよいよその最終回となる三回目となります。

 ・二人の姫を巡る探訪(その一) 
 ・二人の姫を巡る探訪(その二) 

ここで、二人の姫を追いかけるきっかけとなった「二人の姫と犬吠埼」に掲載した関係諸神社の地図を再掲します。

画像1:龍宮城関係の神々を祀る神社(猿田神社は除く)

画像1の中でこれまでレポートしたのは

 ・編玉神社 
 ・豊玉姫神社
 ・東大社  
 ・渡海神社 
 ・海津見神社

となりますが、今回は以下の神社について取り上げようと思います。

 ・玉崎神社
 ・雷神社
 ・二玉姫神社

■玉崎神社

この神社については、実は「サキタマ姫と玉依姫」で一度取り上げているのですが、同過去記事では埼玉県行田市の前玉(さきたま)神社と千葉県に数か所存在する玉前(たまさき)神社あるいは玉崎神社と漢字の読み順が前後しているだけなので、おそらく行田の前玉神社の祭神「前玉比売」とは、おそらく玉崎神社の主祭神である

 玉依姫(たまよりひめ)

であろうとしています。

画像2:玉崎神社(千葉県旭市)

すると県名の「埼玉」はサイタマともサキタマとも読めることから、同記事で紹介したように、現在の「埼玉」という県名は、前玉姫の名を冠したもの、すなわち

 玉依姫県

と言い換えることができるでしょう。

神話において玉依姫とは、現天皇家の祖である神武天皇の母とされていますから、埼玉県とは実は非常に由緒正しい県名なのだとも言う事ができるのです。

これは余談ですが「翔んで埼玉」なるコメディ映画がこれまで2作作られていますが、その最初の作品の最後で「世界埼玉化計画」なるスローガンが掲げられています。これは別の言い方をすれば「世界玉依姫化計画」、すなわち、

 世界天皇支配計画

とも読み替えられ、そうなるとおふざけの過ぎたこのギャグ的発想も、その裏に何かシリアスな意味が込められているのではないかと急に笑えなくなってしまうのです。

画像3:世界埼玉化計画(「翔んで埼玉」から)

今回の探訪コースの中に千葉県旭市の玉崎神社が入っていたのが取り上げましたが、ここで注意しなければならないのは、どうしてこの地(千葉県東総地区)の中に玉依姫を主祭神とした神社、それも上総國二宮という比較的格の高い神社が置かれたのか、そこを考える必要がありそうです。

同神社のホームページ、「ご由緒」には次のような一文があります。

玉﨑神社は、景行天皇十二年の御創祀と伝えられている。

実はこれまでの記事で紹介した、編玉神社、豊玉姫神社、そして東大社の創建についても、景行天皇の時代、あるいはヤマトタケルが居たとされる時代のものだと記録が残っています。

前にも書きましたが、豊玉姫・玉依姫の二人の姫の時代から数百年後の世代が、どうして祭神に二人の姫を選んだのか?その理由がよく分からないのです。私のつたない憶測についてはメルマガで既にお伝えしていますが、簡単に言うと、二人の姫が実在していたと思われる時代は、二つの天皇家が並立してた二王朝時代だったことが、何か大きな要因だったと考えられるのです。

■雷神社

雷(いかづち)神社は元々旭市内ではあっても、元々椿海(つばきのうみ)であった低地ではなく、東の銚子側の丘陵地帯に置かれた神社です。

画像4:雷神社

その祭神は

 主祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)
 併祀神:別雷命(わけいかづちのみこと)

となっており、一見龍宮城神話と関係あるのかと思われるのですが、別雷命とは、史書によって三嶋神、賀茂建角身命、八咫烏、彦火火出見尊と様々な別名で表記されていることが分かっており、この中で彦火火出見尊とは、まさに龍宮城に出向いたとされるその人ですから、実は無関係とはいえないのです。

同神社の由緒と祭神については、同社のホームページに詳しいので、そちらを引用します。

主祭神の「天穂日命」は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が天照大神と誓約した時生んだ男神五神の一柱で、その御子建比良鳥命は「出雲の国ゆずり」の後、香取・鹿島の両神と共に東国へ参られた。後に、その御孫の久都伎直(くずきのあたえ)が下海上(しもつうなかみ・海上郡、香取郡、匝瑳郡の一帯)の国造となり、この一帯を統治した。そして自らの祖神である天穂日命をこの地に奉祀したとも伝えられている。なお、出雲国造の祖神も天穂日命で、出雲大社はその子孫が歴代宮司として、大社創建から今日まで奉職している。

 併せ祀る「別雷命」は、奈良時代最後の年(西暦793年)に京都の賀茂別雷神社より御迎えした大神で、これにより、時の桓武天皇から「雷大神」の称号を賜ったと言われている。また、総社雷大神または雷神様・雷大明神・鳴神様(「鳴神」とは「雷」のことであり、御鎮座地一帯は鳴神山と呼ばれている)とも尊称されている。この大神は造化三神の一人である神産巣日神の孫の賀茂建角身命(カモノタケツヌミノミコト)の孫に当たる神である。

(中略)

 今でこそ干拓により湖は無いが、かつて「椿の海」が満々と水を湛え、人々は海の幸を享受していた。漁業と縁の深い別雷命をこの地に奉斎したのもこの椿の海があったればこそであろう。
(以下略)

雷神社ホームページ

椿海について書かれているものは珍しいので、このご由緒書はたいへん参考になるのですが、今一つ良く分からないのは「天穂日命」の存在です。

これについては、神話に記述されている天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)について分析しなければならないのですが、実はこの地に雷神社があることで、天穂日命が誰を指すのか一つの仮説が生まれてきました。それについてはメルマガでご紹介しましょう。

■二玉姫神社

今回の探訪で最後に訪れたのが二玉姫神社(仁玉とも書く)神社です。旧椿海の真中付近に置かれた神社で、旧海との関係から創建自体はそんなに古くないだろうとは、地形から予見できました。

画像5:二玉姫神社

外見から比較的最近に建て替えられたのが分る神社で、よく手入れされているのが印象的でした。境内に建てられた石碑には次ように書かれています。

二玉姫神社の由来と御神幸祭

二玉姫神社の御祭神は玉依姫命と申され鵜茅草萱不合尊のお后で神武天皇の母君に当るお方でございます。

明治八年に記された棟札により御祭神は玉依姫命であることが判明しお宝の二つの宝珠は満珠と干珠で二玉姫と称される所以ではないかと拝察いたします
今から四百七十八年前 大永五年西暦一五二五年この地に創めてお宮を造り 二玉姫神社と申し上げ人々の心のよりどころとして崇敬されました。

三十三年目毎に御神幸祭が行われるのは神仏一体の頃先祖様祭は三十三年で終りになり神様が氏子の生活の様子 農作物の状況 漁業の有様などを御覧になり 海で禊をして五穀豊穣漁業の発展をお祈りして神社にお帰りになる行事を申すのであります

平成十六年三月吉日

予想通り、中世頃、室町時代の後期に建てられたようで、龍宮城神話の時代から千五百年は経過した頃です。この時代はまだ椿海の干拓も始まっておらず、おそらく、浅瀬の砂洲のような陸地に建てられたのが始まりではないか、あるいは干拓の後に、ここに移されたのではないかと考えられるのです。

問題なのは、他の龍宮城関連神社と同じく、

 どうして祭神が玉依姫なのか?

という点であり、この神社の場合、景行天皇の時代から更に千年以上経過した中世にどうして玉依姫を祀る神社を海の真中に置いたのか、そこがたいへん気になったのです。

さて、この神社の名前の言われとなった「二つの玉」なのですが、石碑に書かれた説明はあくまでも一般向けのもので、実はここで言う二つの玉とは

 豊姫と依姫

の二人の姫を指しているのではないかと私は思うのです。そして、そのように捉える説もどうやらあるようなのです。

仮に、「二つの玉 = 豊玉姫+玉依姫」だとするならば、どうしてこの二人の姫のことをことさら強調するのでしょうか?

それはやはり、この二人の姫が

 豊玉姫 = タクハタチヂヒメ
 玉依姫 = アメノウズメノミコト

という、それぞれ二つ名を付けられた特殊な事情にあるのだと私は考えます。要するに、この二人の姫は

 奪われた姫

だったからではないでしょうか?

どこから奪ったかと言えば、二つあった王朝のどちらかであり、これは王権継承が女系よってなされており(少女神仮説)、王朝の正当性を謳うにはどうしても女系の血を取り入れる必要があったからです。

最後に、今回記事にした神社を、等高線毎に色分けして地図上にプロットしたものを掲載します。この地図は、古代期におけるこの地の特殊性を示すだけでなく、前述の天穂日命がどのような人物であったのか、それを推察する大きなヒントを与えてくれたのです。

画像6:椿海周辺の神社


管理人 日月土

二人の姫を巡る探訪(その二)

今回は前回記事「二人の姫を巡る探訪(その一)」に引き続き、先月下旬に訪れた、千葉県東総地区にある、豊玉姫、玉依姫、そして記紀の龍宮城伝説にまつわる神様を祭神としている神社についてレポートします。

 前回取り上げた神社
  ・編玉神社 
  ・豊玉姫神社

 今回取り上げる神社
  ・東大社  
  ・渡海神社 
  ・海津見神社

 次回以降
  ・雷神社
  ・仁玉姫神社
  ・二玉姫神社

■東大社

東大社(とうだいしゃ)は、豊玉姫神社から下総台地の畑の中を車で15分くらい走ったところにある、周囲が開けている上に境内が比較的広く、手入れも行き届いていて地元の氏子さんたちに大事にされているのがよく伝わる神社でした。

画像1:東大社

この神社の創建に関わる縁起は案内に次の様に記されています。

画像2:東大社略記

ここから、気になる点を書き出すと

 御祭神
 主神に玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相殿に鵜葺草葺不合尊
 (ウガヤフキアワセズノミコト)を祀る

 創立
 (第十二代景光)天皇は追慕の御心抑え難く、息子(日本武尊)の
 歴戦の後を親しくご視察なさるため この東国へ御幸なさり、
 その途上 当社の裏の白幡の地に船でお着きになったと言われ
 る。そこで 7日間お留まりの際に、東海の鎮護として一社を営
 まれたのが当社の創めと伝えられる。千八百数十年前のことで
 ある。

豊玉姫神社の場合、その創建には日本武尊が直接関わったような書き方でしたが、ここでは、その父とされる景行天皇が、息子の東国での活躍を偲ぶために、後日この地を訪れ、その時に創建されたものだとあり、前者と多少経緯が異なっています。

いずれにせよ、編玉神社、豊玉姫神社、そしてこちらの東大社のいずれもが、景行天皇の時代、すなわち日本武尊が活躍したとされる時代に創建されたものであると伝えられている点に共通性があります。

ここで注目なのは「当社の裏の白幡の地に船でお着きになった」とはっきり記述されている点で、これはすなわち、東大社がかつては海辺にあった、すなわちこの地が香取海(かとりのうみ)、あるいは椿海(つばきのうみ)の海岸にほど近かったことが今に伝えられている点なのです。

現代の地形から古代の海岸線を予想すると、この3者は次の様な位置関係で建てられたと考えられます。

画像3:3社と香取海・椿海

東大社の社殿は南を向いていますから、社の裏とはおそらく北側、すなわち香取海を指していると考えられます。この伝承が正しいとするなら、景行天皇はここより北の東国を視察した後、香取梅を船で渡ってこの地に到着したのでしょう。

さて、画像3を見れば分かるように、これら3社が置かれたこの土地は、香取海と椿海の両内海を最短の陸路で繋ぐ、船を乗り継いで移動するには最適の地であったと予想されるのです。ちなみに、図中の矢印が示す直線距離はたったの2kmほどです。

すなわち、ここは人・物資両方の海上輸送において古くから要衝の地であったと考えられ、多くの人の行き来や、定住者もそれに見合うだけの人数が居たはずです。ならばこそ、この狭い台地に幾つもの貝塚や土器の出土が見らるのでしょう。

同時に、このような交通要衝の地は

 海上輸送利権・軍事を巡る紛争の地

となったとも考えられ、景行天皇、日本武尊の時代にどうしてここに宮が置かれたのか、おそらく、背後に戦略・戦術的な理由があったと見るのが合理的なのです。

ただし、そのような戦術の中で、朝廷側がどうして宮の祭神を当時から見ても100年以上前の豊玉姫・玉依姫としたのか、それについては、ただ単に初代神武天皇の祖母、母に当たるからというのではまだ少し弱いような気もするのです。

■渡海神社

東大社を出て銚子港に向かい、そこで昼食を済ませた後に向かったのが、千葉県銚子市の突端部にほど近い渡海神社です。

画像4:渡海神社

この神社は犬吠埼の南側の海を見下ろす高台の端に、千葉県の天然記念物にも指定されている極相林(きょくそうりん)に囲まれて鎮座しています。

地形も植生もたいへん面白い所なのですが、それを上手く伝える作画的センスがないので、取り敢えず次の図で勘弁してください。

画像5:渡海神社と周囲の地形

この画像に映る海の、右手方向に延長した先が外川(とがわ)なのですが、先に述べた豊玉姫神社、東大社にはこちらの海まで渡り奉納する神事があるのはお伝えした通りです。

主祭神は綿津見大神(わたつみおおかみ)、すなわち海神で、神話では豊玉姫の父ということになっています。すなわち龍宮城に関わる神様となります。

さて、この神社ではちょっと問題が発生し、画像4の写真を撮った場所から神殿に近付くことができませんでした。その理由やその後の経過を細かく書くと歴史ブログではなくなってしまうので、たいへん申し訳ありませんが、この神社についてはこれ以上は割愛させてください。

■海津見神社

犬吠埼からお隣の旭市の市境付近まで、太平洋に壁の如く連なる高台、屏風ヶ浦(びょうぶがうら)が続きますが、なんでもそこは「東洋のドーバー」と呼ばれているそうな。

その屏風ヶ浦が途切れた、崖の中腹付近に据えられたのが、海津見神社です。

画像6:海神神社

今回見た神社の中では結構荒れていた方で、事前の調べでは主祭神は豊玉姫だったのですが、時間の都合もあり、現地では細かく観察できませんでした。

ただ、台地の切れ目の中腹付近に社を構えるこの位置取りには、何か別の意味があるのではないか、そう思ったことはここに書き残しておきます。

* * *

何度も調査に訪れた千葉県東総地区ですが、回れば回る程新しい発見があることに驚きます。古代期には、ここはいったいどんな土地だったのでしょうか?


管理人 日月土

二人の姫を巡る探訪(その一)

前回の記事「二人の姫犬吠埼」では、アニメ映画「千と千尋の神隠し」の舞台モデル地の一つと思われる千葉県東総地区(銚子市・香取市・旭市・東庄町)に、豊玉姫・玉依姫など、神話の中の龍宮城伝説に関わる神様を祀る神社が比較的多く見られることを指摘しました。

繰り返しになりますが、この映画の主人公「千尋」と脇役「リン」がモデルとしている日本神話上の登場人物(あるいは神)は、これまでの分析から次のような関係であることが分かっています。

 千尋 = 豊玉姫 = タクハタチヂヒメ
 リン = 玉依姫 = アメノウズメ

そして、二人が住み込みで働く「油屋」とは、神話に記述された「龍宮城」をモチーフにしているところまで見えて来たのです。

前回は、あくまでもネット上の検索から神社の当りを付けただけですが、そのままでは少々気持ち悪いので、記事で取り上げた以下の神社を実際に訪ねてみることにしました。今回はその時のレポートとなります。

今回の記事対象となる神社
 ・編玉神社 
 ・豊玉姫神社

次回以降
 ・東大社  
 ・渡海神社 
 ・海津見神社
 ・雷神社
 ・仁玉姫神社
 ・二玉姫神社

■編玉神社

5月の下旬、まず最初に訪れたのは千葉県香取市阿玉台に鎮座する「編玉神社」です。この辺りは大地と低地が複雑に入り組んでおり、その複雑に入り組んだ高低差はやはり現地を訪れてみなければ分かりません。

古代期において、地形は神社や古墳の設置場所を決める重要な要素ですから、最近はそこの地形を見るだけ、古墳や神社、貝塚などの遺跡がそこにあるだろうと少し想像が付くようになってきました。

実際、編玉神社の近くには阿玉台貝塚、少し離れた豊玉姫神社には良文貝塚が見つかっており、後者の場合は地名も「貝塚」ですから、そこが古代から人が多く住み着いた土地であることを物語っています。

画像1:編玉神社

編玉神社は関東地方の農村ならどこにでもありそうな神社ですが、ここで目を惹いたのは、それが低地を見下ろす高台にあることです。

以前お伝えしたように、現在水田になっている利根川南岸の低地部は、かつて存在した香取海(かとりのうみ)の一部であり、ここに宮が設けられた当初は海を見下ろすように配置され、海上からは航行の目印としてこの宮が見えたのではないかと想像されます。

おそらく、このお宮の下にはここの集落の船着き場があったのではないかと考えられ、同時に、この周辺に多くの貝塚が見つかっていることから、かなり大人数の集落がこの旧海岸線に沿って形成されていたのでしょう。

画像2-1:神社前の道路から見下ろした水田(旧香取海)
画像2-2:推定される旧地形

もう一つ意外だったのが、事前の調べではこの神社の旧名が「編玉豊玉姫神社」で祭神も文字通り「豊玉姫」だと見当を付けていたにも拘わらず、現地の案内表示では祭神は次の三柱であると謳われていたことです。

 天津日高日子穂々出見尊(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)
 大巳貴命(オオナムチノミコト)
 少彦名命(スクナヒコナノミコト)

これだけ見ると龍宮城の姫神と関係ないように見えますが、日子穂々出見尊とは彦火火出見尊の別表記であり、これまでの分析から

 彦火火出見 = 賀茂建角身 = 八咫烏 = 三嶋神

であることが分かっていますし、彦火火出見の皇后は豊玉姫・玉依姫ですから、その意味では、龍宮城関係者と言えないこともありません。

それよりも、意外なのは大巳貴命(=大国主命)と少彦名なるいわゆる出雲系の神々が併記されていることであり、その時の社会的な状況により扱う祭神名が変わることはあったとしても、どうして出雲系の神々が合祀されているのかについては少し首を傾げてしまいます。

この神社の社伝や地域の伝承を詳しく調べた訳ではないので、歴史的変遷については分かったように言えませんが、次に調べる時の留意点として覚えておきたいと思います。

画像3:編玉神社案内表示

案内表示の記述が正しいとすれば、勧請は第12代景行天皇の頃で、実は豊玉姫・玉依姫の時代からは200年位後になると推計されます。

時代的な隔絶を考慮すれば、龍宮城の神々と日本武尊の東征の間には特に関連性があるとは思えませんが、そもそも日本武尊がどうして東を目指して来たのかと考えた時、一般的には朝廷に逆らう東国の蛮族を征伐するためと言われていますが、何度も書いてるように、千葉県北部から茨城県南部の旧香取海沿岸は、神話に登場する高天原(たかあまはら)が実在していた土地と考えられ、そうなると、「東国の蛮族」という捉え方自体がそもそも誤った解釈だとも考えられるのです。

こうなると、龍宮城の神々の存在と日本武尊の東国遠征の間に何かしらの関係があるとも言えるのですが、これについてはまた別に考察してみたいと思います。

■豊玉姫神社

編玉神社から自動車で数分移動した所に豊玉姫神社は鎮座しています。直線距離だと2kmに届かない位でしょうか。

ここも編玉神社と同じく、低地(旧香取海)を望む高台に位置しており、おそらく元々は香取海の海上航行と深く関わる場所であったと考えられます。

画像4:豊玉姫神社

こちらも、地方でよく見かける風の神社なのですが、さすがに社名に「豊玉姫」なる現皇室の始祖にも繋がる神名を冠しているだけに、神紋には元々皇室専用であった五三桐紋と十六菊花紋の両方が使われているのには目を見張りました。

画像5:豊玉姫神社の神紋
(逆光で見辛い点はご容赦ください)

この神社についてはもっと詳しく調べる必要があるなと思いましたが、案内板によると、やはりこの神社も創建に日本武尊が関わっていることが記されています。

画像6:豊玉姫神社案内表示

そして注目なのが4月8日の例祭に関する記述で、そこには

 二十年毎に東大社、雷神社と共に銚子市戸川浜
 まで御神幸し大祭を挙行する

とありますが、その例祭の様式にどのような意味が込められているのか非常に興味が惹かれるところです。そして、東大社・雷神社の両方だけでなく、外川浜のすぐ傍にある渡海神社も今回の現地調査の対象であり、今回の二人の姫を巡る探訪が、偶然にもここで何かしらの歴史的意味を持つことを直感したのです。

* * *

今回はこの2社までのレポートとしますが、日本武尊と豊玉姫の関係がやはり気になります。どうして、日本武尊は悪天候時の無事を祈った海神(わたつみ)の神ではなく、その娘とされる豊玉姫を祭神としたのか、その謂われの意味するものが非常に気になるのです。


管理人 日月土

二人の姫と犬吠埼

前回の記事「『千と千尋の神隠し』と龍宮城」では、このアニメ映画で表現されていた「油屋」が、日本神話に登場する龍宮城をモデルにデザインされたのではないか、そして龍宮城の姫神として登場する豊玉姫(とよたまひめ)、玉依姫(たまよりひめ)が、それぞれアニメキャラの「千尋」と「リン」に対応しているのではないかと仮定しました。

画像1:千と千尋の神隠しからリンと千尋

再三述べている様に、神話と同映画作品との比較による構造分析から、これまでに次の関係が分っています。

 千尋 = タクハタチヂヒメ(または スズカヒメ)
 リン = アメノウズメ(または サルメノキミ)

また、前回の考察では次の関係が導かれました。

 千尋 = 豊玉姫
 リン = 玉依姫

つまり三段論法的には次の関係が成立すると言えます。

 豊玉姫 = タクハタチヂヒメ
 玉依姫 = アメノウズメ

これの他にも様々な事例を取り上げてきましたが、どうやら、日本神話の中では、一人の実在した人物に複数の別名を与えることによって、それぞれ別のキャラクターとして話を進めることが普通に行われている様なのです。

それが単なる別の呼び名とかではなく、明らかに異なる人物として描かれている点には特に注意しなくてはなりません。なんだか、神話に対するロマンチシズムをぶち壊すようで申し訳ないのですが、日本神話における八百万(やおろず)の神々とは、実は

 水増しされた神々

と言い換えることができるのかもしれません。

逆に言えば、上代(神武以前)の日本古代史は、神話というファンタジーとして記述しなければとても表現できないほど、複雑なものであっただろうと想像されるのです。

今回は、この豊玉姫と玉依姫について、更にもう少し周辺情報を取り上げてみたいと思います。

■千と千尋と犬吠埼

次の2021年の過去記事では、「千と千尋~」の舞台モデルの一つが、現在の千葉県銚子市、旭市周辺であることを考察しています。

 ・千と千尋の隠された神 
 ・千と千尋の隠された神(2) 

ここでの結論は、取り敢えず油屋のモデルになったのは銚子市内にある「猿田神社」としましたが、他にも三重県伊勢市内に実在した女郎茶屋の「油屋」もアニメデザインに大いに参考にされたのだろうと見ていました。

しかし今回、そのデザインのベースが日本神話に出て来る龍宮城にありそうなことが分かったので、ここでもう一度、銚子市・旭市周辺の状況について調べてみます。

4年前の考察では、龍宮城関係の神名については全く考慮していなかったので、今回は二人の龍宮城の姫神について、どちらかの神名及び、龍宮城繋がりと思われる神名を主祭神にしている神社を検索でピックアップしてみました。

その結果が次の図です。

画像2:龍宮城関係の神々を祀る神社(猿田神社は除く)

他にも該当する神社はあるとは思いますが、取り敢えず以上の図だけでも、密集とは言わないまでも、関係する神社がそこそこ鎮座しているのが分ります。

それぞれの神社の祭神をまとめたのが次のリストになります。

  社名    主祭神             所在地
 ——————————————————————————
 東大社    玉依姫 (旧名:八尾社)    東庄町宮本
 豊玉姫神社  豊玉姫            香取市貝塚
 編玉神社   豊玉姫 (編玉豊玉姫神社)   香取市阿玉台
 海津見神社  豊玉姫            旭市下永井
 二玉姫神社  玉依姫            旭市中谷里
 玉崎神社   玉依姫            旭市飯岡

 渡海神社   綿津見大神 (併:猿田彦)   銚子市高神西町
 雷神社    天穂日 (併:別雷命)     旭市広見

「豊玉姫」と「玉依姫」は日本神話の中でもメジャーな女神なので、この分布が特別多い、あるいは偏在しているとすぐには断定できませんが、それでも自分がこれまで地方の神社を見てきた感覚から言って、やはり多いのではないかと思います。

中でも「玉崎神社」は、昨年の記事「サキタマ姫と玉依姫」で、埼玉県行田市にある前玉神社(さきたまじんじゃ)と共に、その祭神についての考察を既に行っています。この神社は下総國二宮ということで、同地区でも格の高い神社とされており、そこから、玉依姫のがここでは特に大事にされているのが窺われるのです。

次に注目すべきなのが、神話の中で豊玉姫の父とされる綿津見の神を祭神とする渡海神社で、やはり龍宮城繋がりであること、また雷神社(いかづちじんじゃ)に合祀されている「別雷命」(わけいかづちのみこと)とは、京都の上賀茂神社の祭神「賀茂別雷神」(かもわけいかづちのかみ)のことであり、上賀茂社の伝承においてこの神の母に当たるのが下鴨神社の祭神、玉依姫なのです。

雷神社の祭神は上賀茂神社から分祀されたと記録に残されているようですが、やはりこの地が玉依姫所縁の地であればこそ、そのような計らいが為されたと考えられるのです。

ちなみに、「別雷命の母 = 玉依姫」という関係から、

  別雷命とは神武天皇の別称である

ことが分かるのです。それは以前掲載した次の系図を見ても明らかでしょう。

画像3:三嶋神から神武天皇までの系図

問題なのは、現皇室の皇祖と呼ばれる神武天皇の母親がアニメキャラ(リン)のモデルにされ、しかもそれが千葉県銚子市周辺と大いに関係ありそうだということなのです。

これは繰り返しになりますが、1985年8月12日に123便事件が起きたその時期、NHK朝のテレビ小説で放映されていたのが、沢口靖子さん主演の「澪つくし」であり、

 ドラマの舞台が銚子

であったことに、同事件との大きな繋がりが見え隠れするのです。因みに澪(=ミオ)とは猿田彦の別名であり、それについては「椿海とミヲの猿田彦」で既に説明済です。

以上から、私が何故

 123便事件は現天皇家の出自と関係がある

とするのか、お分かり頂けたでしょうか?



管理人 日月土