前回の記事「誓約(うけい)の暗号」では、日本神話における名場面の一つ「誓約」(うけい)について紹介し、そこで使われたキーワード「御統」(みすまる)の意味的解釈から、スサノオ(素戔嗚)がアマテラス(天照大神)の御統の玉を噛み砕いて生まれたアメノホヒ(天穂日命)なる神様が、史実として誰を指すのかを考察しました。
何度も強調して申し訳ありませんが、私は日本神話とは実際にあった史実をデフォルメしたものであると考えており、政治的な理由で事実そのままを書き残せなかった史書編纂者が、超人かつ超常的な物語(ファンタジー)を通して何とか後世に知る限りの事実を伝えようとした、いわば「暗号の書」であると見ています。
アメノホヒの解釈はそこから生まれたものなのですが、御統の玉からは5柱の神様、あるいは5人の男性王が誕生しており、今回はその5人の王が誰なのかについて考察したいと思います。
なお、この考察はメルマガ130号の記事解説に掲載した文章を、改めて加筆修正したものであることをお断りしておきます。
■御統から生まれた五柱の男神
まずは、前回の記事で掲載した誓約の関係図をご覧になってください。

ここから、天照大神の御統の玉を素戔嗚尊が噛み砕き噴き出した時に生まれた五柱の男神を、以下に列記します。
(1) オシホミミ(正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊)
(2) アメノホヒ(天穂日命)
(3) アマツヒコネ(天津彦根命)
(4) イクツヒコネ(活津彦根命)
(5) クマノノクスビ(熊野櫲樟日命)
また、オシホミミとその後に続く王位の継承は、秀真伝(ほつまつたえ)によると次の様に二王朝並立時代へ移行したことになっています。

画像2を見る限り、オシホミミはニニキネ(瓊瓊杵尊)とホノアカリの二人の王に王位を継承したように見えますが、ニニキネについては記紀にも王位継承者として明記されており、敢えて王として別名で表記する必要がありません。ここから、前回お伝えしているようにアメノホヒとは、記紀から名前を消された側のホノアカリ王、あるいは別名サルタヒコ(猿田彦)を指すと考えられるのです。
すると、他の4柱の神についても、「御統から生まれた」と表現されていることから、そのモデルとなった実在人が、おそらく古代王の地位に就いた人物であったと予想されるのです。
秀真伝によると、画像2から分かるように、二王朝並立後のホノアカリの次の王はニギハヤヒ(饒速日命)とあり、それを単純に適用すると
(3) アマツヒコネ = ニギハヤヒ
であろうことが、容易に割り出せます。
ちなみに、ニギハヤヒはホノアカリの養子であると秀真伝ではわざわざ言及していますが、この時代の王権移譲は女系によって行われていたと考えられるため、血の繋がった息子だからといって次代の王になったとみなすことはできない、むしろ(婿)養子が当たり前なのです。
これは、ニギハヤヒの出自がかなり特殊であることを意味しているのですが、それについては別途取り上げなくてはならないと考えています。
さて、問題なのはニギハヤヒ以降の王位継承者であり、秀真伝にはそれについて名が記載されていません。一応、記紀にはニギハヤヒの子にはアマノカグヤマ(天香山命)、ウマシマジ(宇摩志麻遅命)の二人の息子が居ることになっていますが、前述の理由から、息子に王位が譲位された保証はないのです。
ここで、しばらく考えが止まってしまったのですが、そういえば、ホノアカリにはアヂスキタカヒコネ(味耜高彦根神)という別名があったことを思いだしました。
アヂスキタカヒコネとは、秀真伝では古代皇統オオモノヌシ(大物主)の初代王、オオクニヌシ(大国主命)の息子の一人とされています。
二代目オオモノヌシはコトシロヌシ(事代主命)となっているのですが、本来ならば二代目に就くのはアジスキタカヒコネだったのではないかと、過去のブログ記事では述べています。
つまり、アヂスキタカヒコネ(=ホノアカリ)とは秀真伝が記述するところのオオモノヌシ皇統に連なる王であり、誓約に登場する他の無名の神も、同じオオモノヌシ皇統の王であったのではないかという推察が成立するのです。

画像3から、オオモノヌシ皇統の三代目以降の皇位継承者は
三代目オオモノヌシ: ミホヒコ
四代目オオモノヌシ: カンクチ
と記述されており、仮に、アヂスキタカヒコネを二代目オオモノヌシ相当と見れば、訳ありのニギハヤヒを一回挟んで
(4) イクツヒコネ = ミホヒコ
(5) クマノノクスビ = カンクチ
と置き換えることも可能です。
この考え方には、実は重要な意味が込められており、秀真伝で言う所のオオモノヌシ皇統とは、実は
ホノアカリ王朝の系統を表している
のではないか、つまり、これこそが秀真伝が婉曲的に伝えようとしていたホノアカリ王朝の実態だったのではないかと思えてならないのです。
ここまでの考察から5人の王の名を一旦整理すると次の様になります。
(1) オシホミミ = 〇〇〇
(2) アメノホヒ = ホノアカリ(二代目オオモノヌシ相当)
(3) アマツヒコネ = ニギハヤヒ(養子)
(4) イクツヒコネ = ミホヒコ (三代目オオモノヌシ)
(5) クマノノクスビ = カンクチ (四代目オオモノヌシ)
■オオクニヌシ(大国主)は日本の王であった
これまでの考察を更に推し進めると、実はたいへん重大な考えに到達します。画像3から上述した〇〇〇に当てはまるのは、もうこの人しかいません、それは初代オオモノヌシである
オオクニヌシ(大国主命)
なのです。また、画像2と画像3の対比から
(1) オシホミミ = オオクニヌシ
が更に導けるのです。
記紀に記述された有名な神話の中に、「出雲の国譲り」というものがあり、ご存知の方も多いでしょう。出雲の王である大国主に国を譲り渡せと高天原の神々が持ち掛けるという有名なストーリーなのですが、その国譲りの実態がどうであったのか?私は、その実際的な交渉条件あるいは契約内容こそが、誓約(うけい)に書かれたものであり、それならば、現実的な取引(ディール)として合点が行くのです。要するに
男性王は素戔嗚(出雲系オオモノヌシ)の一族から出すのが条件
というものだったと考えられるのです。
このような交換条件が成立するには、この国の王権継承が女系よって行われており、実質的な王権のオーナーは皇后を輩出する高天原の一族が握っていたからこそ可能だった、そう考えられるのです。
これが正しいとするならば、一国の王が呑気に国を譲り渡したとする「出雲の国譲り」の実態や、どうして秀真伝が「オオモノヌシ皇統」の系譜をわざわざ書き残したのか、その意味がより明確になるのです。
誓約とは、本来ならば出雲国と高天原国(仮称)の統一国家建設の取り決めだったはずなのに、誓約によって王となったのは最初のオシホミミ(=オオクニヌシ)だけで、ホノアカリ以降の王は記紀から抹殺されてしまい、何故か瓊瓊杵尊から現代に続く王朝だけが記紀に残されるようになってしまったのです。
ここに、秀真伝が伝える「ハタレの乱」、魏志倭人伝が伝える「倭国大乱」など、古代日本に起こったとされる大きな内乱の片鱗とその理由までもが見えてくるのです。
すると、この問題は現代日本に住む私たちにも無関係でないことに気付きます。
今の天皇家は誓約を反故にしているのではないか?
歴史に基づいて日本と言う国家を考えるなら、この誓約問題を有耶無耶にしたままでは済まされないと私は思うのです。
管理人 日月土













































