もののけ姫 - アマテルカミへの呪い

今年の1月末から始めたアニメ映画「もののけ姫」を巡る構造分析ですが、今回でようやく最後の到達点に辿り着けそうです。

話を始める前に、この映画がモデルにしたと思われる、古代史上の人物と各役名との最新の対応表を以下に掲載します。

表1:配役とモデルにされた古代史上の人物

どうしてこのような対応関係になるのか、詳しくは本年1月から前回までのブログ記事をご覧になってください。また、話の途中までですが動画も用意しています。

Youtube動画:もののけ姫とモロ -アニメ映画に隠された古代史-

今回は表1で「?」で表した、シシ神について分析していきます。

■シシ神のモデルは誰か?

この映画のタイトルでもある「もののけ姫」。どうやら、そのタイトル名が「大物主(オオモノヌシ)の娘」という意味から付けられていることが判明したのは、これまでの分析による大きな成果です。

もちろん、もののけ姫(サン)のモデルであるコノハナサクヤヒメ(以下コノハナと略す)が大物主の娘であるとは史書のどこにも書かれていません。しかし、各史書の脈絡のない不自然な記述、そして史書毎の記述内容の違いなどを分析にかけた結果、コノハナが第二代大物主のアチスキタカヒコネの娘であると仮定したとき、これまで不自然と思われた記載が、実は意味合って書き加えられていたことが分かったのです。

「史書は暗号の書である」と言うのは、私の記紀解釈における基本姿勢なのですが、今回の結果を以って、他の歴史的事象についても暗号解読的な手法で新しい歴史的事実が発見できる可能性について確信を得ることができました。

それにしても、驚くのは映画「もののけ姫」の基本プロットが、史書に暗号としてしか示されていない歴史的事実を正確に押さえていることです。この映画によるヒントがなければ、私もこのような分析には至らなかっただろうし、そもそも、この時代について調べてみようという気にもならなかったはずです。

そうなってくると、どうしてこの映画が制作され、世に出されることになったのか、そこに関心が引き寄せられます。

その問いの前にもう一人、対象モデルをはっきりさせなければいけない重要登場人物?が残っていました。そう「シシ神」です。

画像1:シシ神
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

昼は鹿(シシ)の姿、夜はダイダラボッチという巨人に変化し、森全体の生命を司り、神の中の神として描かれているのがこのシシ神です。映画に登場するキャラクターの中では最大最強の存在であると言えます。

主人公は一応、タイトルにもなったもののけ姫ではありますが、シシ神の存在なくしてはこの物語は完結することはありません。むしろ、隠された主役こそがこのシシ神であり、この映画の最重要メッセージはおそらくシシ神の描画表現に隠されているというが、私の見解です。

先ほど、「最大最強の存在」と書きましたが、秀真伝(ホツマツタエ)が伝える歴代アマカミ(現在の天皇家)の中で、最も偉大な王として登場するのがアマテルカミ(男性)です。

また、記紀の神話に登場する神々の中でその中心に位置する神とは、女神天照(アマテラス)です。天照は太陽神と例えられ、太陽は地上の生命を育む最大の恵みであることは論を待たないでしょう。

なお、私は女神天照とはアマテルカミ(男性)の神話ファンタジー化された架空の存在であると認識しており、これまでも、天照=アマテルカミ(男性)として取り扱って来ました。

さて、ここでシシ神・アマテルカミ・天照がイメージとして重なってくるのが分かります。もちろん、これだけはそれらしいとは言うことができても、シシ神のモデルがアマテルカミであると断言するには少し弱い気もします。

しかし、映画の設定においてシシ神のモデルがアマテルカミであることを示す記号がしっかりと示されているのです。それは次の系図を見ればもはや明らかでしょう。

画像2:シシ(44)神がアマテルカミであるサイン

これで確定しました。

  シシ神のモデルはアマテルカミ(天照)である

■アマテルカミへの呪い

シシ神がアマテルカミだと分かったところで、シシ神がどう表現されているかに注目します。画像1に補助線を入れてもう一度よく見てみましょう。

画像3:額に逆五芒星が描かれている
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

シシ神のデザインについては「怖い」、「トラウマになる」などの否定的な声をよく聞きますが、それもそのはずで、額にしっかりと逆五芒星が描かれているのです。敢えて多くを説明しませんが、この逆五芒星は、ギリシャの哲学者が「ペンタモルフ」と呼んだ角のある神(山羊はもちろん鹿も含まれる)から派生したと言われる、悪魔崇拝のシンボルを表現していると考えられるのです。

この他にも映画にはシシ神の奇妙な容姿についても描かれています

 ・昼間は森に隠れるような鹿の姿
 ・夜は怪物のような巨人の姿

昼は陽の光を避け夜に目覚める巨神。これでは生命を司る偉大な神というより、むしろ夜の森を徘徊する強大な悪魔と呼ぶのが相応しいでしょう。

ここまで書いたところで、この映画の真の製作者の意図は明らかです

 古代日本の王、アマテルカミを歴史から葬り去れ

 お前たち日本人は悪魔を王と抱く国民なのだ

結局これは、男性王アマテルカミを女神天照に書き換えてしまった日本神話による古代史隠蔽の企みと意を全く同じくしているのです。なお悪いのは、太陽輝くところの王であるアマテルカミを、まるで真逆の闇の王として描いてしまっていることです。

映画で出雲皇統の古代人をサンを除いて獣として描いていることは、日本神話における国津神の否定(大国主の国譲り)、そして、火石矢で一度死んだアシタカは饒速日並立王朝の否定(饒速日の国譲り)と捉えれば、

 現日本神話こそ日本の歴史である

という、他皇統・他王朝を歴史から切り捨てた神話編纂者の不遜かつ傲慢とも言える意図が窺がい知れ、これが1990年代の映画になっているということは、現代においてもこの国の真の歴史を呪い、改ざんされた記録である日本神話を守り抜こうという勢力が存在することを意味しているのです。

私たち日本人のDNAの中には、おそらく真実の歴史が刻まれているのでしょう。その無自覚な記憶に訴えるためには、ある程度真実を曝け出さないといけません。私たちが自らの潜在意識の誘導によりついついこの映画を観た時、その事実性によって作品に引き込まれるまでは良いのですが、最後の最後で誤ったメッセージをインプットされてしまう。

このように、映画「もののけ姫」の裏設定が詳細な事実性と呪いにも似たメッセージを併せ持つのは、まさにこれを観る者の意識を、宮崎駿監督やスタジオジブリでもない、この国を呪う真の制作者が望む方向に誘導せんがためだと考えられるのです。



時は来たれり、千引の岩戸共に開かん
管理人 日月土


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