今回は前回記事「二人の姫を巡る探訪(その一)」に引き続き、先月下旬に訪れた、千葉県東総地区にある、豊玉姫、玉依姫、そして記紀の龍宮城伝説にまつわる神様を祭神としている神社についてレポートします。
前回取り上げた神社
・編玉神社
・豊玉姫神社
今回取り上げる神社
・東大社
・渡海神社
・海津見神社
次回以降
・雷神社
・仁玉姫神社
・二玉姫神社
■東大社
東大社(とうだいしゃ)は、豊玉姫神社から下総台地の畑の中を車で15分くらい走ったところにある、周囲が開けている上に境内が比較的広く、手入れも行き届いていて地元の氏子さんたちに大事にされているのがよく伝わる神社でした。

この神社の創建に関わる縁起は案内に次の様に記されています。

ここから、気になる点を書き出すと
御祭神
主神に玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相殿に鵜葺草葺不合尊
(ウガヤフキアワセズノミコト)を祀る創立
(第十二代景光)天皇は追慕の御心抑え難く、息子(日本武尊)の
歴戦の後を親しくご視察なさるため この東国へ御幸なさり、
その途上 当社の裏の白幡の地に船でお着きになったと言われ
る。そこで 7日間お留まりの際に、東海の鎮護として一社を営
まれたのが当社の創めと伝えられる。千八百数十年前のことで
ある。
豊玉姫神社の場合、その創建には日本武尊が直接関わったような書き方でしたが、ここでは、その父とされる景行天皇が、息子の東国での活躍を偲ぶ宇ために、後日この地を訪れ、その時に創建されたものだとあり、前者と多少経緯が異なっています。
いずれにせよ、編玉神社、豊玉姫神社、そしてこちらの東大社のいずれもが、景行天皇の時代、すなわち日本武尊が活躍したとされる時代に創建されたものであると伝えられている点なのです。
ここで注目なのは「当社の裏の白幡の地に船でお着きになった」とはっきり記述されている点で、これはすなわち、東大社がかつては海辺にあった、すなわちこの地が香取海(かとりのうみ)、あるいは椿海(つばきのうみ)の海岸にほど近かったことが今に伝えられている点なのです。
現代の地形から古代の海岸線を予想すると、この3者は次の様な位置関係で建てられたと考えられます。

東大社の社殿は南を向いていますから、社の裏とはおそらく北側、すなわち香取海を指していると考えられます。この伝承が正しいとするなら、景行天皇はここより北の東国を視察した後、香取梅を船で渡ってこの地に到着したのでしょう。
さて、画像3を見れば分かるように、これら3社が置かれたこの土地は、香取海と椿海の両内海を最短の陸路で繋ぐ、船を乗り継いで移動するには最適の地であったと予想されるのです。ちなみに、図中の矢印が示す直線距離はたったの2kmほどです。
すなわち、ここは人・物資両方の海上輸送において古くから要衝の地であったと考えられ、多くの人の行き来や、定住者もそれに見合うだけの人数が居たはずです。ならばこそ、この狭い台地に幾つもの貝塚や土器の出土が見らるのでしょう。
同時に、このような交通要衝の地は
海上輸送利権・軍事を巡る紛争の地
となったとも考えられ、景行天皇、日本武尊の時代にどうしてここに宮が置かれたのか、おそらく、背後に戦略・戦術的な理由があったと見るのが合理的なのです。
ただし、そのような戦術の中で、朝廷側がどうして宮の祭神を当時から見ても100年以上前の豊玉姫・玉依姫としたのか、それについては、ただ単に初代神武天皇の祖母、母に当たるからというのではまだ少し弱いような気もするのです。
■渡海神社
東大社を出て銚子港に向かい、そこで昼食を済ませた後に向かったのが、千葉県銚子市のの突端部にほど近い渡海神社です。

この神社は犬吠埼の南側の海を見下ろす高台の端に、千葉県の天然記念物にも指定されている極相林(きょくそうりん)に囲まれて鎮座しています。
地形も植生もたいへん面白い所なのですが、それを上手く伝える作画的センスがないので、取り敢えず次の図で勘弁してください。

この画像に映る海の、右手方向に延長した先が外川(とがわ)なのですが、先に述べた豊玉姫神社、東大社にはこちらの海まで渡り奉納する神事があるのはお伝えした通りです。
主祭神は綿津見大神(わたつみおおかみ)、すなわち海神で、神話では豊玉姫の父ということになっています。すなわち龍宮城に関わる神様となります。
さて、この神社ではちょっと問題が発生し、画像4の写真を撮った場所から神殿に近付くことができませんでした。その理由やその後の経過を細かく書くと歴史ブログではなくなってしまうので、たいへん申し訳ありませんが、この神社についてはこれ以上は割愛させてください。
■海津見神社
犬吠埼からお隣の旭市の市境付近まで、太平洋に壁の如く連なる高台、屏風ヶ浦(びょうぶがうら)が続きますが、なんでもそこは「東洋のドーバー」と呼ばれているそうな。
その屏風ヶ浦が途切れた、崖の中腹付近に据えられたのが、海津見神社です。

今回見た神社の中では結構荒れていた方で、事前の調べでは主祭神は豊玉姫だったのですが、時間の都合もあり、現地では細かく観察できませんでした。
ただ、台地の切れ目の中腹付近に社を構えるこの位置取りには、何か別の意味があるのではないか、そう思ったことはここに書き残しておきます。
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何度も調査に訪れた千葉県東総地区ですが、回れば回る程新しい発見があることに驚きます。古代期には、ここはいったいどんな土地だったのでしょうか?
管理人 日月土