今回からは日本神話における主役級の登場人物(神話的には神)である素戔嗚(すさのお)について取り上げたいと思います。
あまりにもよく知られた名前なので、わざわざ私がここで背景を説明する必要があるのかどうか迷いましたが、これから説明を進めて行く上で必要なことと判断したので、非常に簡単にですが、まずはそこから述べて行きたいと思います。
日本神話は良く知っているという読者様には少々退屈な回になるかもしれませんので、既にご存知だと思われる箇所は読み飛ばしていただいて結構です。
■神話に登場する3貴子
日本神話と言えば、最も有名なのは天照大神(あまてらすおおかみ)なのは言うまでもないでしょう。神話に疎い方でもその名を聞いたことくらいはあるのではないかと思います。加えて、天照大神と言えば女性(女神)であることもご存知ではないかと思います。
そして、天照大神には2人の兄弟が居て、一人は月夜見尊(つくよみのみこと)、もう一人が素戔嗚尊(すさのおのみこと)と呼ばれています。
一般的には月夜見尊は男性であると見なされていますが、正直なところ、神話における記述は極めて少なく、性別ははっきりしていません。ここではとりあえず男性であると見なします。
この
天照大神(女神)
月夜見尊(男神)
素戔嗚尊(男神)
の3名は、この世を治めるとされる重要な3神で、3貴子(きし)などと呼ばれています。
書紀本文における神話では、この3貴子は、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が、国土をこの世に現した後、この国を治める神として生み出したとあります。それぞれ分担するのは
天照大神 → 天上(あめのうえ)
月夜見尊 → 日に配(なら)ぶ
素戔嗚尊 → 根の国
と書紀本文にはありますが、統治分については書紀の一書によっては記述が異なる複数のケースが見られ、さらに言うなら古事記では
天照大神 → 高天原(たかあまのはら)
月夜見尊 → 夜の食(おす)国
素戔嗚尊 → 海原
となるなど、かなりバラつきが見られるのです。
なお、3貴子の誕生譚については、書紀の一書第六では伊弉諾が黄泉の国から戻った後、水の中で禊(みそぎ)をしている時に、伊弉諾の身体の一部から生まれ出たとあります。
左目 → 天照大神
右目 → 月夜見尊
鼻 → 素戔嗚尊
いずれにせよ荒唐無稽な話なのですが、だからと言ってこれらの記述に全く意味がないと言うことでもなく、記紀編纂者はこの記述を通して何を伝えようとしているのか、そこを押さえることに意義が感じられるのです。
■素戔嗚の描写1(日本書紀)
それではこの世に誕生した素戔嗚が、その後どのように書かれているのか、それを簡単に箇条書きにすると次の様になります。
・母(イザナミ)が居る黄泉の国へ行きたがった
・姉の天照大神と誓約を交わす
・神々の不興を買う乱暴狼藉の数々
高天原の田畑をきちんと手入れしない
(畑に馬を放す、水路を壊す、間違った種まき)
新米収穫祭の神聖な場所に大を排泄
馬を機小屋の天井を破って投げ入れる
・天照大神を怒らせて岩戸に隠れさせていまう
・罪を咎められ、神々に高天原を追放されてしまう。
・地上で八股大蛇を退治して奇稲田姫を娶る
以上、こんな所かという点を書き出しましたが、この中にはご存知のストーリーも多いかと思います。要するに、素戔嗚とは子供の時から手が付けられず、天照大神をはじめ、周囲の神々に迷惑をかける困った存在のように描かれています。
ところが、高天原を追い出され地上に降りると、人の娘を食らう八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して奇稲田姫(くしいなだひめ)を娶り、諸説あるものの、その子孫が大国主(おおくにぬし)に始まる出雲国の祖となるなど、一転、神話のヒーロー的な扱いに描写が変わります。
ここまでが一般的な素戔嗚のイメージなのですが、この何とも幅の広い性格と活躍の描写から、神話に登場する神々の中でも、天照大神と同等以上に存在感の大きい神であることが分かるのです。
そして、一連のストーリーの中で私が特に注目しているのが、八岐大蛇の身体の中から出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)を天照大神に献上して、それが現在に至る天皇家の三種の神器の一つとなったという下りです。
ここまで大袈裟に脚色された神話と、天皇家に絡む現実性のある記述、これらの基となった歴史的事実とはいったい何であったのか?昔の史書編纂者はこの伝承によって歴史の何を伝えようとしたのでしょうか?
■素戔嗚の描写2(秀真伝)
以上は記紀に描かれた素戔嗚の基本的なイメージですが、これが神話ではなく史実的に描かれた秀真伝(ほつまつたえ)になるといささかそのイメージが変わります。
秀真伝研究家の池田満さんの分析によると、素戔嗚とは次の様な「人物」として描かれていると言います。
・ソサノオ(素戔嗚)は4兄妹の三男
・甘やかされて我儘に育った(のだろう)
・高天原から遠く離れた根の国を治めるよう派遣される
・優秀な兄アマテルカミ(天照大神)の日影的なポジション
・アマテルカミの妃(モチコ・ハヤコ)にそそのかされ高天原に反乱
・死刑は免れたが罰を受け毛と爪を抜かれる
・改心し妃を娶ろうとするも候補が次々と殺されてしまう(計8人)
・妃候補の暗殺者を排除する
・イナダヒメ(奇稲田姫)を娶り根の国の統治者となる
兄のアマテルカミ(天照大神)が女性ではなく男性だという点がそもそも記紀神話と大きく異なるのですが、テーマから外れるのでここではそれについて議論しません。
また、「根の国」というのは現在で言う「出雲」のことで、この点は記紀とも矛盾がないようです。
王位の跡目争いで、長子の母である王妃(複数居る)がソサノオに中央政府(高天原)への反乱をそそのかしたという下りは、何だか安っぽい歴史ドラマを観ているようでもありますが、人間社会とは昔も今もそんなものなのかもしれません。
秀真伝の記述で注目なのは、八岐大蛇の「八」という数字にどのような意味が込められているのか理解できるという点です。確かに、イナダヒメの前の8人の娘は大蛇に食われてしまうのですから、8人の娘(妃候補)の殺害という史実を敢えて婉曲表現したものであるという解釈は意外と的を射ているとも言えるのです。
■天津神と国津神
記紀神話における、天照大神に抗い神々に嫌われ追放される素戔嗚、秀真伝においては中央政府(高天原)に反乱を仕掛ける素戔嗚。当然ここには2局の対立関係が見られるのですが、これを
天津神(あまつかみ)vs 国津神(くにつかみ)
と見立て、天津神を現天皇家に繋がる大陸からの侵入者民族、そして国津神を日本土着の民族、出雲の一族とし、古代期に入植してきた侵入者民族に徐々に屈服させられた姿なのではないかという見方もあります。
特に、八岐大蛇の身体から出てきた草薙剣を高天原の天照大神に献上したなどという描写は、国の統治権を「侵略者側に手渡した姿」と取れなくもありません。
しかし、高天原が存在していたと比定される地は現在の関東地方にあり、縄文遺跡が東日本に広く分布している現実を見れば、地勢的にはむしろ高天原中央政府の方が、日本土着の一派であったと見なせるのです。
どうやら、単純に「天津神 vs 国津神」と二元対立的な視点で古代史を見ていては、正確な理解を誤ってしまいそうです。
この古代史解釈の混乱に光を当てるのが、素戔嗚神話の正確な解釈ではないかと私は思うのです。
■牛頭天皇とソシモリ
過去行われた日本の神々と仏神のいわゆる神仏習合で、素戔嗚は牛頭天皇と同一視されるようになります。牛頭天皇については、Wikiに次のように書かれています。
釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。
蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の
垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。(中略)
『祇園牛頭天王御縁起』によれば、本地仏は
東方浄瑠璃世界(東方の浄土)の教主薬師如来で
あるが、かれは12の大願を発し、須彌山中腹にあ
る「豊饒国」(日本のことか)の武答天王の一人
息子として垂迹し、姿をあらわした。太子は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛の頭
をもち、また、3尺の赤い角もあった。太子は王位を
継承して牛頭天王を名乗るが、后を迎えようとする
ものの、その姿形の怖ろしさのために近寄ろうとす
る女人さえいない。牛頭天王は酒びたりの毎日を送
るようになった。3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩
りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩があらわれた。
山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む
沙掲羅龍王(八大龍王)の娘のもとへ案内すると言
う。牛頭天王は娘を娶りに出かける。旅の途次、長者である弟の古單將來に宿所を求めた
が、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。そ
れに対し、貧乏な兄の蘇民將來は歓待して宿を貸し、
粟飯を振舞った。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王
は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民に授け、の
ちに蘇民は富貴の人となった。龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女の頗梨采女
を娶り、8年をそこで過ごす間に七男一女の王子
(八王子)をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王
は八万四千の眷属を差向け、古単への復讐を図った。
古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわ
たって読誦させたが、法師のひとりが居眠りしたた
めに失敗し、古単の眷属五千余はことごとく蹴り殺
されたという。この殺戮のなかで、牛頭天王は古単の妻だけを蘇民
Wikipedia「牛頭天皇」から
将来の娘であるために助命して、「茅の輪をつくっ
て、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との
護符を付ければ、末代までも災難を逃れることがで
きる」と除災の法を教示した。
関西地区に行くと、現在でも「蘇民将来」と書かれたの護符を災厄除けのお守りとして大事に扱う家が多いように見られますが、この大陸伝来の話とされる説話が素戔嗚とどのように繋がるのでしょうか?
実は、日本書紀一書第4に次のような下りがあります。
一書に曰く、素戔鳴尊の所業無状(しわざあづきな)し。
岩波文庫 日本書紀(一) 第1巻
故、諸(もろもろの)の神(かみたち)、科(おほ)するに
千座置戸(ちくらおきと)を以てし、遂に逐(やら)ふ。
是の時にヽ素戔嗚尊ヽ其の子(みこ)五十猛神(いそたけ
るのかみ)を師ゐて、新羅国(しらきのくに)に降到(あま
くだ)りまして、曾尸茂梨(そしもり)の処(ところ)に居
(ま)します。乃ち興言(ことあげ)して日はく、「此の地
は吾(われ)居(を)らまく欲(ほり)せじ」とのたまひて、
遂に埴土(はに)を以て舟に作りて、乗りて東(ひむがしの
かた)に渡りて、出雲国の簸(ひ)の川上に所在(あ)る、
鳥上(とりかみ)の峯(たけ)に到る。
ここに登場する曾尸茂梨(そしもり)とは、現代韓国語で次のように記述できてしまうのです。
소씨머리 = 牛の頭
ここに、素戔嗚と牛頭天皇、そして朝鮮半島の古代国家「新羅」との関係性が僅かに認められるのですが、それはどのようなものなのでしょうか?
そもそも「すさのお」という呼び名は「そさのお」が正しいという説もあり、確かに秀真伝では「ソサノオ」と「ソ」の字で呼んでいます。「ソ」とは「소」であり、「소」が意味するのは「牛」のことなのです。
そして、この「牛の頭」というキーワードは、次のシュメール文明の石板とも関連性が見出せるのです。
素戔嗚と奇稲田姫が出会うのは、大蛇を介してのことであり、ここにシュメール文明における王の象徴である「牛の頭」と女王の象徴である「蛇」が同じように登場してくるのです。
この2つの古代ストーリーに共通して現れる象徴を、果たしてどのように解釈すればよいのでしょうか?
八雲立つ出雲八重垣妻籠に 八重垣作るその八重垣を
管理人 日月土