ホログラム宇宙とビッグ・バン

以下の図は、本日(令和3年元日)に配信されたメルマガの解説文を補足するために掲載したものです。

夜空に見える星々や、太陽や月などの「天体」と呼ばれるものはいったい何なのか。その「天体」の定義に遡ったとき、 これまで与えられてきた宇宙概念が誤りであり、宇宙の真の姿が理解できるようになるでしょう。また、宇宙の成立に神の介在が不可欠であることも見えてくるのです。

宇宙開闢(うちゅうかいびゃく)は古代文明によって人工的に為された。これが日本神話における岩戸閉めであり、騙した岩戸開きとなった。

しかし、このような人の犯した過ちは、近々清算されることになるでしょう。天空の異変はこれをきっかけに起こることになります。


月の光は太陽の光になり/太陽の光は七倍になり/七つの日の光となる
(イザヤ 30:26)
管理人 日月土

倭国大乱とハタレの乱

繰り返しになりますが、このブログでは日本書紀・古事記などの史書に書かれた神代は、史実を隠蔽するために意図的に寓話化・神話化されたものであるとみなしています。

ですから、日本各地の神社に祀られている天照大御神(アマテラスオオミカミ)や大国主命(オオクニヌシノミコト)などは、実在した人物を象徴した名前であるとの認識で話を進めています。

また、それを裏付ける材料として、秀真伝(ホツマツタエ)を重要な参考資料としています。何故なら、秀真伝に登場するアマテルカミ(天照大御神のこと)や記紀で神々として描かれている他の登場人物は、ここでは明らかに実在した人物であり、都を開いた場所や血縁関係等が具体的に示されているだけでなく、人物にまつわるエピソードなどもより詳細に記述されているからです。

もちろん、秀真伝に書かれていることが全て正しいかどうかなど分かりません。そこで、神話化された記紀の物語を一種の暗号と見なし、暗号の解読内容と、秀真伝の記述に矛盾がないか、また、他の史書とはどうなのか、それらを比較検討して、史実を見出そうとしています。尤も、それは理想形であり、現実にはなかなかそこまで行きつけませんが。

■倭国大乱とは何か

女王卑弥呼と邪馬台国の謎は、卑弥呼の正体や、国が実在した場所を巡って古代史ファンにとって興味尽きない話題ですが、今回私は、敢えてその主要テーマから外れて、魏志倭人伝の次の記述に注目しました

其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 


「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大。夫婿なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。」

引用元:魏志倭人伝 http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

卑弥呼が登場する有名な一説ではありますが、私が注目するのは次の箇所です

 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年
「住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年」

男王の時代、倭国は乱れ7,80年に及ぶ乱が起きていたといいます。本書では単に「乱」と記述されていますが、一般にこれを「倭国大乱」と呼び、Wikiによると魏志倭人伝の他、後漢書や梁書などの他の中国史書にもその記述あるとあります。

 参考:Wikiペディア「倭国大乱

また、Wikiでは、史書の記述からその時期を2世紀後半としていますが、交戦勢力や戦力、指揮官や損害などについては不明ということになっています。

要するに、この頃、卑弥呼の登場直前までに日本国内で何か大きな戦争があったという漠然とした情報しか残されていないのです。

■秀真伝に書かれた騒乱

魏志倭人伝や記紀では何があったのかまったく不明の倭国大乱ですが、実は、秀真伝では記紀で言うところの神話時代に「ハタレの乱」という全国規模の騒乱があったとの記載があります。

ここから先は秀真研究者の池田満さんの文献解釈に従って「ハタレの乱」がどういうものであったかを確認します。

まず、池田氏編集の「ホツマ辞典」からその定義の冒頭部を抜粋します。

 八代アマカミ・アマテルの時代に起きた全国規模の叛乱の名称。またこの叛乱に参加した人々についていう。ハタレの語源は、必然性を超えて強引に要求する意の動詞ハタレからきている。
 ハタレには六集団の区別があって、、各々に名前が付いていた。

 (中略)

 悪人を野放しのまま放置するのか、或いは、ノリ(法)を通すために戦さをするのか、二者択一の判断を迫られた時、アマテルカミは後者を選んだ。

このハタレの乱の規模については、同辞典に次のような表でまとめられています。

表1:ハタレの乱六集団 ※赤字は筆者

秀真伝の記述を信じるなら、約80万人の参加人数とは、例えこれが述べ人数だとしても兵力としては大規模であり、決してそれが小競り合いなどではないことが分かります。

■ハタレの乱はイロから始まった

さて、このハタレの乱が何をきっかけに始まったかというと、これはいつの時代も人の常と言うべきなのか、どうやらソサノヲ(素戔嗚尊)とその兄、アマテルカミ(天照大御神)のキサキ(13人居るキサキの一人)であるハヤコとの不倫関係のようなのです。

また、ハヤコには同じくアマテルカミの筆頭キサキである姉のモチコがおり、モチコはアマテルカミの世継ぎが他のキサキの子に決まると、それに怒りハヤコと協調し、アマテルカミの弟ソサノヲを立てて天下をわが物にしようと画策を始めるのです。

二人の姉妹の画策は朝廷側に漏れて、九州の宇佐へと謹慎処分となるのですが、ハヤコは自家の忠実な部下であるコクミという人物に命じて、ソサノヲに嫁入り話がある度に相手の娘を殺させたのです。その犠牲となった娘の数は8人。そのためソサノヲは意を決してハヤコを斬ります。

ここからソサノヲのヤマタ成敗が始まるのですが、ヤマタの頭目の数は8人、これがいわゆる八岐大蛇神話の秀真伝による現実的解釈なのです。

以上、池田氏による秀真伝解釈から言えるのは、ハタレの乱とは、神話における天照大御神および素戔嗚尊の頃に発生した内乱ということになります。二人の関係について、古事記における神話ストーリーは大体以下の様になります。

『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大御神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対する。スサノオは疑いを解くために誓約(うけひ)を行った。


我の潔白が誓約によって証明されたとして高天原に滞在するスサノオだったが、居られることになると次々と粗暴を行い、天照大御神は恐れて天の岩屋に隠れてしまった。そのため、彼は高天原を追放された

引用元:Wikiペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA

以上、神話においては、アマテルカミ自身が女性にされてしまっており、ソサノヲの不倫相手のハヤコ、アマテルカミの他のキサキに敵意を抱いたモチコの存在が隠されています。

この神話設定ではソサノヲとハヤコの交情は成立せず、乱の原因となったイロの問題は消滅してしまいます。このアマテルカミの女神化には、「女の情によって崩された国家秩序」という恥ずべき汚点を史実から排除しつつ、それと同時に、女(イロ)がソサノヲを粗暴に追い込んでしまった(=社会的混乱が発生した)という、歴史的教訓と解釈のヒントを埋め込んだ、古事記特有の暗号なのではないかと私は考えるのです。

■ハタレの乱はいつまで続いたのか

もしも、中国系史書の記述する倭国大乱がハタレの乱を指すならば、ハタレの乱は7,80年続いたことになります。アマテルカミから続く血統は、秀真伝に従って記述すると次のようになります。

 アマテルカミ (ハタレの乱発生)
   |
 オシホミミ
   |
 ニニキネ
   |
 ホオデミ
   |
 ウカヤフキアワセズ
   |
 神武天皇

以前、「ダリフラのプリンセスプリンセス」で卑弥呼は神武天皇の双子の皇后の一人だったのではないか?という記事を掲載しましたが、その時の結論を用いると、ハタレの乱は神武天皇が即位した頃に収まったことになります。アマテルカミから神武天皇まで5代の王権が継承されていますが、80年を5人で割ると、一人当たりの在位期間は平均16年となり、一人の王の在位期間としては妥当ではないかと思われます。

もちろん、中国史書が示す年代と厳密に照らし合わせる必要があるとは思いますが、私はその中国史書についても、その記述に大きな疑いを持っています。何故なら、以前から主張している「歴史隠蔽政策」または「ヘブライ一掃政策」は、必ずしも日本国内だけの話とは限らないからです。疑うべきは海外史書も同じなのです。

この解釈で気を付ける点は、このハタレの乱の期間内に、いわゆる「天孫降臨」や「海彦山彦の争い」、「神武東征」など、古代史における有名歴史事象が発生したことです。つまり、それらの歴史事象の背景には、国家的内乱があり、言い換えればこの内乱こそが古代の歴史を大きく動かしたのだと言うことができます。

■聖書にみる女性と混乱

女性の乱れた情念が世の混乱を引き起こす。これについては、聖書にも似た記述がたくさんあります。特に、不法を犯すイスラエルの民を「姦淫な女」と例えるシーンは、聖書全編を通して各所に現れます。

また、黙示録では、審判の日には淫らな女性に対し大いなる罰が下されると記されています。

その裁きは真実で正しいからである。みだらな行いで/地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、/御自分の僕たちの流した血の復讐を、/彼女になさったからである。

ヨハネの黙示録 第19章2節

これはアダムとエヴァに始まる、男女のあるべき関係を厳密に規定する聖書の教えでありますが、ここには、イロの乱れがどれほど世の秩序を乱すのかという、戒めも含まれているのです。

最後に、似たようなフレーズを日月神示からご紹介しましょう。

出足の港は二二(夫婦)の理(ミチ)からぢゃと申してあろう。真理と申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ。神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。男女の道 正されん限り、世界はちっともよくはならんぞ。今の世のさま見て、早う改心、結構いたしくれよ。和は力ぞ。

春の巻 第二十五帖

人間社会における諸問題は、はるか昔から男女の関係が作り出してきたのかもしれません。きっと、より良き世を導くためには、まず夫婦の間、恋人同士の間で良き関係を作ることから始めるべきなのでしょう。歴史は男女が作る、当たり前かもしれませんがそういうことです。


 * * *

実は、11月に九州に向かった理由には、トンカラリンの現地調査だけでなく、このハタレの乱についての調査も含まれていました。明日配送予定のメルマガでは、それについてもご報告したいと思います。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土




※以下は12月16日配信メルマガに関連した追加画像です

画像1:不動岩(熊本県山鹿市)
画像2:山鹿灯篭祭の灯篭
画像3:ヴィマーナ
(出典「古代核戦争の謎」学研 2009)

ヘブライ語から生まれた日本語

?שלום, קוראים. מה שלומך
(読者の皆様こんちは。ご機嫌如何でしょうか?)

いきなりヘブライ語で失礼しました。今回はこれまでの記事「モリヤとユダヤ人」、「ユダヤ人埴輪と六芒星」に関連して、古代日本とヘブライの関係について考察してみたいと思います。

とはいえ、この件については既に多くの研究者が言及されているので、今回はそれらをご紹介するだけで終わってしまうかもしれません。しかし、正装ユダヤ人と同じ形状の埴輪が実際に日本の地から出土している以上、日本人のルーツを探る上で外せない内容かと思います。その復習だと思ってお付き合いいただければと思います。

■君が代のヘブライ音訳

ここでは、ヘブライ音訳という考え方で考察を進めます。ヘブライ音訳とは、日本語の音に注目し、その音に近いヘブライ語をそれに対応させ、意味を解読するというものです。その手法を用いた分析の中で、最も有名なのは、我が日本国の国歌「君が代」をヘブライ音訳したものです。

現代の君が代は「和漢朗詠集七七五」または「古今和歌集巻七-三四三」の古謡の一部分、「わが君は」を「君が代」に置き換えたものと言われています。

ここでは、西澤徹彦著「古代日本と七大天使 神代編」(1989年 ジェイアイ出版)で紹介されたヘブライ音訳とその解釈をご紹介します。

 日本語文:
  我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
 
 ヘブライ音訳文(右から読みます):
     וְאֶגַע קִימךָ
       צַוֹּנִי יְעַוֵּנִי
      שֶׁוֶרַע יִּשֶׁהַנוּ
    יְחַוַּה אוֹת חַנְלִיתָ
    כָּכַנוּ מוֹשִׁיעַ מֵעֵד 

 音訳文の日本語意訳:
  私は、あなたの立ち向かう者を批判するだろう。
  彼はかならず、私を決めるだろう。
  (同じ)血統であるところの私たちのイエス。
  あなたは完遂させたしるしに、告げるだろう。
  私達のこのような証言による救い主。

同書によると、「君が代」の元歌にはこれの他に2つの「雑歌・皇大神宮年中行事」版があり、歌の一部が変えられていますが、その場合でも日本語意訳の意味は大きく変わらないことが分かっています。そして、むしろ互いの歌がその意味を補強し合っていると見なすことができるとあります。

ご存知のように、ヘブライの民は聖書の民です。この意訳でいう「私」とは「主=ヤハウェ」を指し、また「彼」であるイエス・キリストが「完遂」したというのは、神の計画の完遂、すなわちイエス・キリストの復活を意味するものであると解釈されるのです。

「岡っ引き」や「ヤクザ」など、語源がよく分からない日本語がヘブライ語起源であることはよく指摘されますが、君が代の場合は、日本語とヘブライ語の音声の類似性などという些末な事象をはるかに超えて、ヘブライ人(ユダヤ人)の精神性までを表現しているのです。

オリンピックで日本人が金メダルを獲得する度に、私たち日本人はイエス・キリストを礼賛しているとしたら、それはいったい何を意味しているのでしょうか?

なお、君が代のヘブライ語音訳とその解釈についてはWebサイト「日本とユダヤのハーモニー」さんでも試みられています。そこにはやはり「イエス・キリスト」の名が現れている点に注意です。

■日本語はどこから来たのか?

西澤氏のヘブライ語研究は、やがて日本語の発生起源に迫ることになります。私たちが日常使っている日本語は、時に外来語を取り込むことがあっても、日本独自の固有文化を象徴している言葉であると、私たち日本人は普通に考えています。ところが、その認識が実際はどうなのか、次の西澤氏の研究成果を見る限り大きく修正する必要があると思うのは私だけでしょうか?

表1:ヘブライ語文法暗誦表その一
表2:ヘブライ語文法暗誦表その二

私たちが中学生の時に英語を勉強した際、代名詞を覚えるのに次のような文字の羅列を暗誦していたことを思い出してみてください。

 I, My, Me, You, Your, You, He, His, Him, She, Her, Her
アイマイミー、ユウユアユウ、ヒーヒズヒム、シーハーハー

上記2つの表は、まさにヘブライ語の必須文法項目を記憶するための、暗誦用虎の巻とも言えるものです。英語とは異なり、ヘブライ語は男女の性別による使い分けがはっきりしているので、上記の表には同じく性別が厳格なフランス語文法による注釈を原本に加えています。

さて、次に各表の右列に並んだ発音のかな表記を読んでみましょう。どのような音に聞こえますか?

 ひー、ふー、みー …
 あてぃ、あぇに、しゃぶ …

もうお分かりですね、これらは現代の私たちも使用している2種類の日本語数詞なのです。漢字で書くと、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十となるお馴染みのあれです。

西澤氏はこの結果から次のように結論を導いています。

古代日本人は、明らかにヘブライ語を学んでいた。そして、当時の社会で広く知られていた学習用暗誦文が後に数詞として使われるようになった。

そんなの、日本語数詞に似ている言葉を寄せ集めれば何とでも言えると反論される方もいらっしゃると思いますが、それならば、なぜ、その寄せ集めた言葉が基本文法語ばかりなのか、それについての説明もご用意いただかないと説明不足です。

また、日本語に数詞の系統が何故2つ(「ひふみ」と「いちにさん」)あるのかも、例えば共に通用していた文法暗誦表の1ページ目と2ページ目を流用したという風に説明できてしまうのです。

さらに言うなら、「ひふみ」数詞の発声には「ひとつ、ふたつ、みっつ」などのように終わりに「つ」を添えるものも広く使用されていますが、語尾にT音の「ת」(タウ)を添える発声はまさにヘブライ語の特徴でもあるのです。

以上は数詞に限っての説明ですが、その他に言語の類似性を追っていくと、どうやら私達の言葉、日本語は古代ヘブライ語から人工的に造語されているようなのです。

日本語造語がいつ、何のために行われたのか?その答のヒントを示しているのが、前節で取り上げた日本国国歌「君が代」なのです。そして、この隠された理由こそが、123便撃墜計画をはじめ、近代日本で繰り返し行われてきた怪事件(山下事件など)や猟奇事件、世界大戦などに通底する根本的理由であるとも言えるのです。

言葉の説明から何だかいきなりすごい結論になってしまいましたが、明日配信のメルマガでは、その他の古謡解釈や、ヲシテ文字などカタカムナとヘブライ語との関連性について説明したいと思います。また、今回取り上げた日本語造語説についての私の考察をお伝えしたいと思います。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土

ユダヤ人埴輪と六芒星

前々回の記事「麻賀多神社と高天原(2)」で、次の様な画像を掲載しました。

画像1:ユダヤ人埴輪と現代ユダヤ教徒の正装

これについて、知人であり遺跡発掘の専門家であるG氏にこの埴輪(はにわ)を見てどう思われるか感想を尋ねたところ、

「ああ、あのユダヤ人の姿をした埴輪でしょ?あれはどう見たってユダヤ人なのに、アカデミズムでは誰もそれを口に出さないんだよね。それがかえっておかしいと前から思っていたんですよ。」

他、次の様にも仰ってました。

「ユダヤ人の姿をした埴輪は、成田周辺だけでなく、少し離れた千葉市の人形塚古墳(椎名崎古墳群の一部)からも出土しています。おそらく、千葉県北総地区一帯にユダヤの影響があったのではないかと予想されるのです。」

画像2:椎名崎古墳群の位置

今回はそのユダヤ人埴輪について、形状及び、その形状が意味する呪術的側面から、これがほぼ間違いなくユダヤの教えの痕跡を示すものであることを説明したいと思います。

■武人ではなくユダヤ司祭か

このユダヤ人埴輪ですが、一般的には武人型埴輪と呼ばれています。それは、背の高い軍帽のような山高帽を被り、鎧のようなチョッキを着て、手には短剣を持っている。ぱっと見で武人に見えてしまうのはむしろ当然ではないかと思います。

画像3:姫塚から出土したユダヤ人埴輪

しかし、これが古墳と呼ばれるお墓に、当時の権威者と共に埋められたという点を普通に考えれば、直ぐに軍事と関連させて解釈するのは早計であると思われます。しかも、ユダヤ人埴輪は王の墓と思われる殿塚ではなく、そのお妃の墓とされる姫塚から出ているのですから。

日月神示には「玉とは御魂(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ(富士の巻第3帖)。」とあり、また、ある神道関係者からは、鎧とは鏡を象徴するものであるという話を聞いたことがあります。

何が言いたいかというと、武具のように見える装束(鎧のような着衣と短剣)は、神示が語るように神宝(鏡と剣)を表しているのではないかということ、つまりこれらは祭祀道具であり、そうなると、この埴輪は武人などではなく、むしろ司祭を表しているのではないかということになります。

また、山高帽と表現とした被り物も、後方からの撮影写真を見ると、それが帽子の役目を全く果たしていないことが明らかとなります。

画像4:山高帽を後から撮影したもの

この画像4では、正面の三角に尖った部分を、後ろから支えているだけのように見えます。つまり、端から頭部を保護する目的ではないことは明らかで、古墳に入れられている点、前述の鏡と剣の関係性を考慮すると、これも祭祀道具として着用されたと考える方が自然なのです。

さて、この山高帽状の被り物、正面から見れば「烏帽子」、帽子の支えだけに注目すれば「冠」に見えてしまうのですが、読者の皆さんの目にはどう映るでしょうか?

画像5:(左)烏帽子と(右)冠 (Wikiペディアから)

中には、こんなにはっきりと冠の形としか思えない山高帽を被っているユダヤ人埴輪もあります。

画像6:冠形状の被り物をしたユダヤ人埴輪

また、左右にカールした髪型については、埴輪研究書でははっきりと「美豆良(ミズラ)」と書かれており、こうなると、この埴輪がユダヤ人司祭を指しているのか、それとも古代日本人の司祭を指しているのか、なんとも曖昧となってくるのです。

画像7:古代日本人像でお馴染みの角髪
または美豆良 (goo辞書から)

この曖昧さについて、古代ユダヤ人の影響ではないかと議論してきたのがこれまでの日ユ同祖論なのですが、この議論の前提にはこういう思い込みがあることに気付きませんでしょうか?

 古代ユダヤ人と古代日本人は別物

つまり、古代ユダヤ人が遠い昔に大陸の方から日本へ渡来してきたのだという思い込みです。前から同じことを言ってますが、お互いが遠く離れたA地とB地から同じ遺跡が出てきた場合、どちらが起源であるかなど、軽々に決められないのです。すなわち、

 ユダヤ人は日本発祥の民族

である可能性も、考察の一つとして残しておかなければ片手落ちなのです。

■ユダヤ人埴輪に見るカバラと陰陽道

Wikiペディアによると、「カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。」とあります。

日本にも同じ神秘主義的色彩の強い「陰陽道(おんみょうどう)」があります。一般的には、陰陽道は古代中国の陰陽五行思想から発展したものと理解されていますが、それについては今は議論しません。ここでは、日本独自に発展した暦などの実学的要素を含む陰陽道全般を指すことにします。

実は、このユダヤ人埴輪の出で立ちは、陰陽道の考え方であっさりと分析・説明できるのです。

画像8:二つの三角形状がポイント

顎鬚の末端が一点に集約され、全体で下向きの三角形を作っていることが重要です。これは地から登り空中で広がる「火」を表します。陽気です。

また、山高帽が上向きの三角形を形作っているのは一目で明らかです。これは天から下に落ちて広がる「水」を表します。陰気です。

これらを整理すると次のようになります。

 山高帽:△:水:陰
 顎鬚 :▽:火:陽

この二つの三角を重ね合すとどうなるでしょう?

画像9:ご存知、六芒星(ダビデの星)
またはカゴメ紋、麻紋、亀甲紋

この紋様が、海の向こうの某ユダヤ国家の国旗に使われていることは今更説明することではありませんね。加えて、このユダヤ人埴輪において重要なのは、この二つの要素が人の頭部で融合していることなのです。

「天地人」という言葉がありますが、まさに人とは天と地の間に生じる存在であり、人体の最も重要な器官が詰まっている頭部に、天地の創造のエネルギーを集約するという考え方が、この形状一つで理解されるのです。

また、カール状の頭髪(美豆良)は螺旋を表し、螺旋の中心部に気の流れが発生すると考えるのが気功術なので、ここからもまた、天地のエネルギーを頭部に集中させるという呪術的思考が垣間見れるのです。

このよく考えられた幾何学的なデザインだけを見ても、このユダヤ人埴輪が武人などではなく、宗教祭祀を象徴するものであることが見て取れるのです。

そして、ここでも前節と同じ疑問が生じます。この司祭像が執り行っている儀式は古代ユダヤ(カバラ)のそれを指すのか、はたまた、古代日本(陰陽道など)のそれなのか・・・

私は、両者に違いはないと思っています。つまりカバラも陰陽道も出所は同じであり、それを象徴するのが、姫塚のユダヤ人埴輪なのでしょう。但し、この埴輪は古墳時代のものですから、歴史的にはかなり新しい方です。この様式が本来のものであったかどうかは不明ですので、これより過去の時代に融合したという考えも捨ててはいません。

そうすると、古墳時代前後の日本の古代史はどう理解すればよいのか?

ここで、前から私が主張している次の考え方が極めて有効になってきます

 記紀とは真の古代を隠すために編纂された偽りの国史である

ここで言う「隠された日本の古代」とはまさにユダヤ人と日本人の真の関係性のことであると考えられるのです。加えて、現ユダヤ教、その派生であるキリスト教やイスラム教が一神教であることを鑑みれば、これはすなわち、

 日本人と唯一神との関係

と言い換えることができるでしょう。よく言われる「日本は八百万の神の国」という概念は、記紀が編纂された1300年前より以前に企図された、この古代史隠蔽政策の中で練り上げられた後代の創作であるということです。つまり、日本の伝統などではない。

言い換えれば、木は森の中に隠せと言うように、

 神は神々の中に隠せ

これこそが、実在人であった神武天皇以前の天皇一族を神と書き換えてしまった、記紀編纂の真の狙いであったと考えられるのです。

画像10:成田空港近隣の芝山町大里に建てられた
石井四郎書の忠魂碑

上の石碑は、旧帝国陸軍731部隊の創設者で有名な石井四郎氏の書が刻まれたものです。まさに、ユダヤ人埴輪の多出地域に建てられているのですが、この一帯は石井姓を名乗る家が多く、石碑の裏面にも、親族と思われる石井の名が多く刻まれています。

731部隊は初期の頃、賀茂村と呼ばれたこの土地の関係者を中心に設立されたと言います。おそらく731部隊の設立とユダヤ人埴輪は無関係ではない、つまり日本の古代史と現代史は密接にリンクしている。最後にそれを指摘して次回に繋げたいと思います。

※明日配信のメルマガでは、この関係性についてもう少し掘り下げて解説したいと思います。
※本記事で使用した埴輪写真は、六一書房刊、城倉正祥編「殿塚・姫塚古墳の研究 -人物埴輪の三次元計測調査報告書-」(平成29年)より抜粋したものです。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土

モリヤとユダヤ人

日本の古代史に関心を抱き、在野の研究者が記した膨大な書籍を調べていくと、必ず有名な「日猶同祖論(にちゆどうそろん)」に出会うことになります。

同論には色んなバリエーションがあるようですが、概ね次のような主張が骨格をなしているようです。

”紀元前、中東アッシリアに捕囚されたユダヤ北王国10氏族の指導層について、その後の記録がどこにも残されておらず、失われた10氏族と呼ばれている。どうやらその10氏族は東へ向かい日本列島に辿り着き、日本国建国の中心的役割を担ったようだ。”

要するに私たち日本人の血にはかつての古代イスラエル時代のユダヤ人の血が入り込んでいるというものです。同論の研究では宇野正美さん、久保有政さんなどがたいへん有名ですが、多くの研究者が、日本語とヘブライ語の語彙におけるその発音や意味の偶然とは思えない類似点、神道形式と古代ユダヤ神殿との共通点など、古代ユダヤが日本の成立に大きく関わったとする数々の傍証を示されています。

たいへん多くの研究がなされており、それをこのブログで一つ一つ紹介するのも今更なので、そちらについては、書籍なりネットなどで調べて頂きたいと思います。本ブログでは全国の地名に焦点を当てて、ユダヤ・キリストの痕跡を追ってみたいと思います。

■諏訪の守屋山

日猶同祖論の提唱者に多く取り上げられるトピックに、長野県は諏訪湖のほとり、諏訪大社に伝わる御頭祭が挙げられます。これについては久保有政さんの講演動画がYoutubeに公開されていますのでそちらを紹介したいと思います。

動画1:諏訪大社御頭祭とアブラハムの神事(久保有政講演)

この御頭祭の元になったストーリとされているのが聖書の次の一節です。

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」


次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。


三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」


アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。


イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」


アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。


神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。


そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。


そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」


アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。


アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。


主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。


御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。


地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


引用元:新共同訳聖書 創世記 第22章1-18節

後のユダヤ人の祖先となる大父「アブラハム」とその子「イサク」の物語であり、神の言い付けを守り、躊躇せず我が子を捧げようとしたアブラハムの神への畏れ深さを称え、それを祝福したという内容になっています。

そして諏訪大社の御頭祭は、その一節に記された出来事を祭事として今に伝えているとするのが、久保有政さんを初めとする日猶同祖論的な解釈なのです。

この解釈には無理な点は少なく、旧約聖書に描かれたアブラハムとイサク、そしてその子孫たるユダヤ人とこの日本の成立には少なからず関連がある。それは認めざるを得ない事実であろうと、私も思います。

さて、聖書に表れた「モリヤ」が、現代の住所表記にどのように表れているか調べたのが次の結果です。

 福島県須賀川市 守屋 モリヤ
 福島県須賀川市 守谷舘 モリヤタテ
 茨城県常総市 内守谷町 ウチモリヤマチ
 千葉県勝浦市 守谷 モリヤ
 神奈川県横浜市神奈川区 守屋町 モリヤチョウ
 富山県小矢部市 森屋 モリヤ
 大阪府南河内郡千早赤阪村 森屋 モリヤ

これが市町村名で現れているのが次です

 茨城県守谷市 イバラキケンモリヤシ

この中で、「守屋」は、見張り小屋をイメージさせ、まだ漢字の意味が取りやすいのですが、「守谷」「森屋」となると漢字の示す意味が漠然としており、これはおそらく万葉仮名と同じように、既に存在していたヤマト言葉に後から漢字を当てた地名なのではないかと推測されるのです。

実は、「モリヤ」で地名を検索すると、「森山(モリヤマ)」、「守山」と「山」の字を添えて出てくることが圧倒的に多いのです。その一部は例えば次のようになります。

 青森県西津軽郡深浦町 森山
 富山県高岡市 守山
 長野県小諸市 森山
 岐阜県美濃加茂市 森山町
 京都府京都市中京区 守山町
 大分県宇佐市 森山
 長崎県諫早市 森山町

この他

 滋賀県守山市
 愛知県名古屋市守山区 

など、ほぼ全国で「モリヤマ」の地名が見られるのです。聖書においては「わたしが命じる山の一つに登り」とあるように、「モリヤ」と「山」がセットであることは明白ですし、諏訪の御頭祭の場合も、諏訪大社前社の後背にある「守屋山」と聖所と見立てていることから、「守山」、「森山」の両表記の場合は「山」とセットの「モリヤ」と考えて良いかと思います。

また、諏訪の場合は「守屋山(モリヤサン)」と呼んでいるようですが、「モリヤヤマ」だとヤが重なり、発音が「モリヤマ」となまったとも考えられます。

そうなると、ユダヤ人の父たるアブラハムが神に祝福され子孫の繁栄を約束された地である「モリヤ」あるいは「モリヤの山」は全国各地にあるという、何とも凄い話になってくるのです。

■真里谷はマリアなのか

以下の写真はグーグルのストリートビューから切り抜いた写真です。交差点の名前に注目してください

画像1:真里谷交差点

この一見してドキっとする名前の交差点は千葉県木更津市の真里谷(マリヤツ)にあります。地名もそうなのですが、この写真の右側に写っている神社が諏訪大社と縁のある「諏訪神社」であることも注目点の一つです。

そして、この交差点からすぐ近くにある駅名を見るとさらにドキっとしてしまうのです。

画像2:馬来田駅(JR東日本久留里線)

クリスチャンではなくても聖書やキリストの生涯に関心がある方なら、この2つの写真を同時に見たらあの人の名を思い出すに違いありません。

 馬来田の真里谷 → マグダラのマリヤ

もちろん、たまたまこういう名前が重なっただけかもしれませんので、直ちに関連があると断定することはできません。マグダラのマリアとは、磔にされ後に埋葬されたキリストの死を見守った女性とされ、一部伝承にはキリストの妻であったとするものもあります。

さて、この真里谷ですが、諏訪神社に記載された伝承には、甲州から逃げてきた武田家の落ち武者たちがこの地に入って開いた土地である云々と書かれています。そして現地の七曲川沿いの古い集落を調べていた時に見つけたのが次の神社です。

画像3:森山神社

ここで冒頭の御頭祭に絡んで幾つかの事象が繋がることに気付きます。それを整理したのが次の図になります。

画像4:信仰は武田家と共に来たのか?

諏訪大社の起源も、武田家の出自もいったいどれだけ古いのかは分かりませんが、武田家が千葉県の上総の国に移ってきたのは大体1500年代頃と推定することはできます。

そして、その時に諏訪のモリヤ信仰(あるいはアブラハム信仰)を伴って来たことは十分考えられ、キリスト誕生から千年以上経過した時代のことですから、もしかしたら新しい信仰、新約聖書の教え(マリア伝承)を伴って当地に来たかもしれないのです。

もちろん、以上は名前から想像を巡らせただけなのですが、この想像を認めるとけっこうトンデモない話になることが分かります。地方の有力者である武田家にしてこうなのですから、

 日本は古来よりユダヤ国家だったのか?

という、まあ日猶同祖論と同じような結論になってしまうのですが、1500年代後半に日本を訪れた宣教師、ルイス・フロイスが「すでに聖書の教えを知っているようだ」と日本人を評したのは、案外その通りなのかもしれません。


 * * *

ここまで記述だけでは、一般の日猶同祖論とあまり大差なかったかもしれませんが、最後にいつもの指摘を残しておきたいと思います。

「大陸」と「島」から同じ壺が見つかった。この壺を作ったのはどちらなのか?これを「大陸です!」と反射的に答えられる様にしているのが現在の歴史教育なのです。日猶同祖論者においても、相変わらずその考え方の癖が抜けないようですね。

誠の神力を現す世と成れる
管理人 日月土