二人の姫を巡る探訪(その一)

前回の記事「二人の姫犬吠埼」では、アニメ映画「千と千尋の神隠し」の舞台モデル地の一つと思われる千葉県東総地区(銚子市・香取市・旭市・東庄町)に、豊玉姫・玉依姫など、神話の中の龍宮城伝説に関わる神様を祀る神社が比較的多く見られることを指摘しました。

繰り返しになりますが、この映画の主人公「千尋」と脇役「リン」がモデルとしている日本神話上の登場人物(あるいは神)は、これまでの分析から次のような関係であることが分かっています。

 千尋 = 豊玉姫 = タクハタチヂヒメ
 リン = 玉依姫 = アメノウズメ

そして、二人が住み込みで働く「油屋」とは、神話に記述された「龍宮城」をモチーフにしているところまで見えて来たのです。

前回は、あくまでもネット上の検索から神社の当りを付けただけですが、そのままでは少々気持ち悪いので、記事で取り上げた以下の神社を実際に訪ねてみることにしました。今回はその時のレポートとなります。

今回の記事対象となる神社
 ・編玉神社 
 ・豊玉姫神社

次回以降
 ・東大社  
 ・渡海神社 
 ・海津見神社
 ・雷神社
 ・仁玉姫神社
 ・二玉姫神社

■編玉神社

5月の下旬、まず最初に訪れたのは千葉県香取市阿玉台に鎮座する「編玉神社」です。この辺りは大地と低地が複雑に入り組んでおり、その複雑に入り組んだ高低差はやはり現地を訪れてみなければ分かりません。

古代期において、地形は神社や古墳の設置場所を決める重要な要素ですから、最近はそこの地形を見るだけ、古墳や神社、貝塚などの遺跡がそこにあるだろうと少し想像が付くようになってきました。

実際、編玉神社の近くには阿玉台貝塚、少し離れた豊玉姫神社には良文貝塚が見つかっており、後者の場合は地名も「貝塚」ですから、そこが古代から人が多く住み着いた土地であることを物語っています。

画像1:編玉神社

編玉神社は関東地方の農村ならどこにでもありそうな神社ですが、ここで目を惹いたのは、それが低地を見下ろす高台にあることです。

以前お伝えしたように、現在水田になっている利根川南岸の低地部は、かつて存在した香取海(かとりのうみ)の一部であり、ここに宮が設けられた当初は海を見下ろすように配置され、海上からは航行の目印としてこの宮が見えたのではないかと想像されます。

おそらく、このお宮の下にはここの集落の船着き場があったのではないかと考えられ、同時に、この周辺に多くの貝塚が見つかっていることから、かなり大人数の集落がこの旧海岸線に沿って形成されていたのでしょう。

画像2-1:神社前の道路から見下ろした水田(旧香取海)
画像2-2:推定される旧地形

もう一つ意外だったのが、事前の調べではこの神社の旧名が「編玉豊玉姫神社」で祭神も文字通り「豊玉姫」だと見当を付けていたにも拘わらず、現地の案内表示では祭神は次の三柱であると謳われていたことです。

 天津日高日子穂々出見尊(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)
 大巳貴命(オオナムチノミコト)
 少彦名命(スクナヒコナノミコト)

これだけ見ると龍宮城の姫神と関係ないように見えますが、日子穂々出見尊とは彦火火出見尊の別表記であり、これまでの分析から

 彦火火出見 = 賀茂建角身 = 八咫烏 = 三嶋神

であることが分かっていますし、彦火火出見の皇后は豊玉姫・玉依姫ですから、その意味では、龍宮城関係者と言えないこともありません。

それよりも、意外なのは大巳貴命(=大国主命)と少彦名なるいわゆる出雲系の神々が併記されていることであり、その時の社会的な状況により扱う祭神名が変わることはあったとしても、どうして出雲系の神々が合祀されているのかについては少し首を傾げてしまいます。

この神社の社伝や地域の伝承を詳しく調べた訳ではないので、歴史的変遷については分かったように言えませんが、次に調べる時の留意点として覚えておきたいと思います。

画像3:編玉神社案内表示

案内表示の記述が正しいとすれば、勧請は第12代景行天皇の頃で、実は豊玉姫・玉依姫の時代からは200年位後になると推計されます。

時代的な隔絶を考慮すれば、龍宮城の神々と日本武尊の東征の間には特に関連性があるとは思えませんが、そもそも日本武尊がどうして東を目指して来たのかと考えた時、一般的には朝廷に逆らう東国の蛮族を征伐するためと言われていますが、何度も書いてるように、千葉県北部から茨城県南部の旧香取海沿岸は、神話に登場する高天原(たかあまはら)が実在していた土地と考えられ、そうなると、「東国の蛮族」という捉え方自体がそもそも誤った解釈だとも考えられるのです。

こうなると、龍宮城の神々の存在と日本武尊の東国遠征の間に何かしらの関係があるとも言えるのですが、これについてはまた別に考察してみたいと思います。

■豊玉姫神社

編玉神社から自動車で数分移動した所に豊玉姫神社は鎮座しています。直線距離だと2kmに届かない位でしょうか。

ここも編玉神社と同じく、低地(旧香取海)を望む高台に位置しており、おそらく元々は香取海の海上航行と深く関わる場所であったと考えられます。

画像4:豊玉姫神社

こちらも、地方でよく見かける風の神社なのですが、さすがに社名に「豊玉姫」なる現皇室の始祖にも繋がる神名を冠しているだけに、神紋には元々皇室専用であった五三桐紋と十六菊花紋の両方が使われているのには目を見張りました。

画像5:豊玉姫神社の神紋
(逆光で見辛い点はご容赦ください)

この神社についてはもっと詳しく調べる必要があるなと思いましたが、案内板によると、やはりこの神社も創建に日本武尊が関わっていることが記されています。

画像6:豊玉姫神社案内表示

そして注目なのが4月8日の例祭に関する記述で、そこには

 二十年毎に東大社、雷神社と共に銚子市戸川浜
 まで御神幸し大祭を挙行する

とありますが、その例祭の様式にどのような意味が込められているのか非常に興味が惹かれるところです。そして、東大社・雷神社の両方だけでなく、外川浜のすぐ傍にある渡海神社も今回の現地調査の対象であり、今回の二人の姫を巡る探訪が、偶然にもここで何かしらの歴史的意味を持つことを直感したのです。

* * *

今回はこの2社までのレポートとしますが、日本武尊と豊玉姫の関係がやはり気になります。どうして、日本武尊は悪天候時の無事を祈った海神(わたつみ)の神ではなく、その娘とされる豊玉姫を祭神としたのか、その謂われの意味するものが非常に気になるのです。


管理人 日月土

二人の姫と犬吠埼

前回の記事「『千と千尋の神隠し』と龍宮城」では、このアニメ映画で表現されていた「油屋」が、日本神話に登場する龍宮城をモデルにデザインされたのではないか、そして龍宮城の姫神として登場する豊玉姫(とよたまひめ)、玉依姫(たまよりひめ)が、それぞれアニメキャラの「千尋」と「リン」に対応しているのではないかと仮定しました。

画像1:千と千尋の神隠しからリンと千尋

再三述べている様に、神話と同映画作品との比較による構造分析から、これまでに次の関係が分っています。

 千尋 = タクハタチヂヒメ(または スズカヒメ)
 リン = アメノウズメ(または サルメノキミ)

また、前回の考察では次の関係が導かれました。

 千尋 = 豊玉姫
 リン = 玉依姫

つまり三段論法的には次の関係が成立すると言えます。

 豊玉姫 = タクハタチヂヒメ
 玉依姫 = アメノウズメ

これの他にも様々な事例を取り上げてきましたが、どうやら、日本神話の中では、一人の実在した人物に複数の別名を与えることによって、それぞれ別のキャラクターとして話を進めることが普通に行われている様なのです。

それが単なる別の呼び名とかではなく、明らかに異なる人物として描かれている点には特に注意しなくてはなりません。なんだか、神話に対するロマンチシズムをぶち壊すようで申し訳ないのですが、日本神話における八百万(やおろず)の神々とは、実は

 水増しされた神々

と言い換えることができるのかもしれません。

逆に言えば、上代(神武以前)の日本古代史は、神話というファンタジーとして記述しなければとても表現できないほど、複雑なものであっただろうと想像されるのです。

今回は、この豊玉姫と玉依姫について、更にもう少し周辺情報を取り上げてみたいと思います。

■千と千尋と犬吠埼

次の2021年の過去記事では、「千と千尋~」の舞台モデルの一つが、現在の千葉県銚子市、旭市周辺であることを考察しています。

 ・千と千尋の隠された神 
 ・千と千尋の隠された神(2) 

ここでの結論は、取り敢えず油屋のモデルになったのは銚子市内にある「猿田神社」としましたが、他にも三重県伊勢市内に実在した女郎茶屋の「油屋」もアニメデザインに大いに参考にされたのだろうと見ていました。

しかし今回、そのデザインのベースが日本神話に出て来る龍宮城にありそうなことが分かったので、ここでもう一度、銚子市・旭市周辺の状況について調べてみます。

4年前の考察では、龍宮城関係の神名については全く考慮していなかったので、今回は二人の龍宮城の姫神について、どちらかの神名及び、龍宮城繋がりと思われる神名を主祭神にしている神社を検索でピックアップしてみました。

その結果が次の図です。

画像2:龍宮城関係の神々を祀る神社(猿田神社は除く)

他にも該当する神社はあるとは思いますが、取り敢えず以上の図だけでも、密集とは言わないまでも、関係する神社がそこそこ鎮座しているのが分ります。

それぞれの神社の祭神をまとめたのが次のリストになります。

  社名    主祭神             所在地
 ——————————————————————————
 東大社    玉依姫 (旧名:八尾社)    東庄町宮本
 豊玉姫神社  豊玉姫            香取市貝塚
 編玉神社   豊玉姫 (編玉豊玉姫神社)   香取市阿玉台
 海津見神社  豊玉姫            旭市下永井
 二玉姫神社  玉依姫            旭市中谷里
 玉崎神社   玉依姫            旭市飯岡

 渡海神社   綿津見大神 (併:猿田彦)   銚子市高神西町
 雷神社    天穂日 (併:別雷命)     旭市広見

「豊玉姫」と「玉依姫」は日本神話の中でもメジャーな女神なので、この分布が特別多い、あるいは偏在しているとすぐには断定できませんが、それでも自分がこれまで地方の神社を見てきた感覚から言って、やはり多いのではないかと思います。

中でも「玉崎神社」は、昨年の記事「サキタマ姫と玉依姫」で、埼玉県行田市にある前玉神社(さきたまじんじゃ)と共に、その祭神についての考察を既に行っています。この神社は下総國二宮ということで、同地区でも格の高い神社とされており、そこから、玉依姫のがここでは特に大事にされているのが窺われるのです。

次に注目すべきなのが、神話の中で豊玉姫の父とされる綿津見の神を祭神とする渡海神社で、やはり龍宮城繋がりであること、また雷神社(いかづちじんじゃ)に合祀されている「別雷命」(わけいかづちのみこと)とは、京都の上賀茂神社の祭神「賀茂別雷神」(かもわけいかづちのかみ)のことであり、上賀茂社の伝承においてこの神の母に当たるのが下鴨神社の祭神、玉依姫なのです。

雷神社の祭神は上賀茂神社から分祀されたと記録に残されているようですが、やはりこの地が玉依姫所縁の地であればこそ、そのような計らいが為されたと考えられるのです。

ちなみに、「別雷命の母 = 玉依姫」という関係から、

  別雷命とは神武天皇の別称である

ことが分かるのです。それは以前掲載した次の系図を見ても明らかでしょう。

画像3:三嶋神から神武天皇までの系図

問題なのは、現皇室の皇祖と呼ばれる神武天皇の母親がアニメキャラ(リン)のモデルにされ、しかもそれが千葉県銚子市周辺と大いに関係ありそうだということなのです。

これは繰り返しになりますが、1985年8月12日に123便事件が起きたその時期、NHK朝のテレビ小説で放映されていたのが、沢口靖子さん主演の「澪つくし」であり、

 ドラマの舞台が銚子

であったことに、同事件との大きな繋がりが見え隠れするのです。因みに澪(=ミオ)とは猿田彦の別名であり、それについては「椿海とミヲの猿田彦」で既に説明済です。

以上から、私が何故

 123便事件は現天皇家の出自と関係がある

とするのか、お分かり頂けたでしょうか?



管理人 日月土

「千と千尋の神隠し」と龍宮城

初めに、今回の記事はメルマガ124号(令和7年4月16日号)の記事解説に掲載した 「『千と千尋の神隠し』再び」を再構成したものであることをお断りします。

このブログを読んでから長い読者の皆様なら、大ヒットしたスタジオジブリのアニメ映画「もののけ姫」及び「千と千尋の神隠し」の中に、日本神話をモチーフとした登場人物が描かれているのを既にご存知かと思います。詳しくは過去記事「千と千尋の二人姫」をご覧になっていただきたいのですが、その登場人物(あるいは神)が、今年調査に向かった高知県の足摺岬と何やら関係あるだろうという話になります。

■「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」

前回の記事「足摺岬と奪われた女王 」では最後に次の様なカットを掲載しました。

画像1:千尋(左)とリン(右)

リンは元からそこ(油屋)に居たお風呂屋の女中、また、千尋は新入りの女中見習いというポジションで、まだ仕事に慣れていない千尋のことをリンは厳しくも優しく見守るという設定になっています。

さて、これまでの分析から、この二人は各々次の日本神話上の登場人物をモチーフにしていることが分かっています。

 千尋 : タクハタチヂヒメ
 リン : アメノウズメ

ここで、やはり前回の記事に掲載したこの時代の予想系図をここに再掲します。

画像2:二王朝時代と王権移譲の推移予想

さて、この画像2に注目すると、少女神(皇后)の系譜は

  9代:タクハタチヂヒメ
 10代:アメノウズメ
 11代:コノハナサクヤヒメ

と推移しますが、ここに記載されているコノハナサクヤヒメをモデルにしたのが「もののけ姫」の主人公「サン」であり、実はこの作品の冒頭に登場する「カヤ」のモデルが「千尋」と同じタクハタチヂヒメであることを、皆さん覚えておられるでしょうか?

画像3:「もののけ姫と馬鹿」から

「もののけ姫」の中では、黒曜石の短剣を象徴に王権が「カヤ」から「サン」へと移譲されるのですが、実はこの解釈だと画像2の系図で第10代の王権継承権を受けるはずのアメノウズメが一つ飛ばされることになります。

実はここに、アメノウズメの夫で後に猿田彦の蔑称を付されたホノアカリが正史から皇統の正式な後継者を抹消された痕跡が見えるのです。ただし、それならば「千と千尋」の中でどうしてわざわざ「リン」と「千尋」、すなわち「アメノウズメ」と「タクハタチヂヒメ」が親しい関係として描かれているのか疑問が湧いてくるのです。

■油屋は龍宮城なのか?

画像2で第12代王権継承権を有したと見られるミカシキヤヒメですが、これはアメノウズメと同様に正史から消された側の王朝だとすれば、同時期を扱ったジブリ作品に登場しないのも頷けるのですが、次に疑問なのが、コノハナサクヤヒメに続く皇統の系譜です。

系図では、豊玉姫(とよたまひめ)、玉依姫(たまよりひめ)と2人の少女神(皇后)がコノハナサクヤヒメに続くのですが、ミカシキヤヒメが正史から排除されてしまった後、王権継承の順をどのようにナンバリングしたらよいのか、もうここで分からなくなってしまうのです。

神武天皇の皇后となるタタラヒメとイスズヒメについては、「千と千尋」の中で「湯婆婆」と「銭婆」の双子の姉妹として描かれているのは確認していますが、それを繋ぐ豊玉姫と玉依姫についての言及がないのはいったいどうしたことなのでしょうか?

ここで、「リン」と「千尋」が住み込みで働かされていた「油屋」が何かの象徴ではないかと考えてみます。

画像4:油屋

以前、油屋は三重県伊勢市内に実在した同名の女郎茶屋がモデルではないかとしましたが、アニメに描かれた「お城」のように立派な構えと、庭に植えられた「木」、そしてお風呂屋ということで「水」に縁がある存在、そこで思い出されるのが

 龍宮城

なのです。

その龍宮城、日本書紀には次の様に記述されています。

 その宮は立派な垣が備わって、高殿が光り輝いていた。
 門の前に一つの井戸があり、井戸の上に一本の神聖な桂
 の木があり、枝葉が繁茂していた。彦火火出見尊は、そ
 の木の下をよろよろ歩きさまよった。

講談社学術文庫 日本書紀(上) 現代語訳 宇治谷孟監修

彦火火出見はその井戸の前で豊玉姫と出会うのですが、垣と高殿、木に井戸(水)などという記述は、むしろ画像4を描く上での想像上の情景と瓜二つと言えないでしょうか?

油屋のモデルが神話の中の龍宮城だとするならば、そこに囲われていた「千尋」と「リン」はいったい何を意味しているのか?神話に於いては、豊玉姫と玉依姫は共に龍宮城出身の姫神とされています。

そこで私はこう考えます

 豊玉姫はタクハタチヂヒメの別称
 玉依姫はアメノウズメの別称

であると(代の順で)。

即ち、既に王権継承を経験したことのある二人の少女神(皇后)が、再び王権の継承者として男性王を迎え入れることになったのでないか、ということなのです。

2代前の少女神ならば、再婚時点ではもうお婆ちゃんではないかと思われるかもしれませんが、当時の婚姻は10代半ば前後で行われていたと考えられ、2代くらい後ならばまだ30代であり、再婚する年齢としては特に問題がなかったはずなのです。

しかし、ここで二人に豊玉姫、玉依姫と別の名が与えられたのは、その行為が何かやましいからであり、元の名では正史に残せなかったのではないでしょうか?

少女神仮説においては、王権の継承権は女性側にあり、現実的な解釈としては、王権を手中にしたかった彦火火出見(ホオデミ)(註1)は、先々代の皇后(タクハタチヂヒメ)及びホノアカリの皇后であるアメノウズメを略奪し、ホノアカリに対抗する王朝を強引に立ち上げたのではないかと推測されるのです。

註1:彦火火出見には三嶋神、賀茂建角身命(かものたけつぬみ)、そして八咫烏(ヤタガラス)の別名が付されていることも既に説明済みです。

正史においては、日本の初代天皇は神武天皇であり、神武天皇以前の王は神話の神とされてしまってますが、実はそのような史実の改変を行った一番の理由とは、ホノアカリ正統王朝を史実から抹消するだけではなく、女系王権の系統がこのように混乱してしまったので、新たに王権の系譜を作り直す必要に迫られたからではないかと考えられるのです。

そうなると、現在ある天皇家は古代の略奪者の血統なのか?と疑う向きも出て来るかもしれませんが、ここで注意しなければならないのは、日本における王権の継承者はあくまでも女系家系であり、実は現代においても、その血統がどこかで脈々と続いているのではないかとも考えられるのです。

足摺岬では龍宮城の神々と同時に、正史から消されてしまった王、ホノアカリ(蔑称猿田彦)の名前の痕跡が見られますが、これは、少女神の獲得競争、すなわち王権を巡る当時の激しい争いを表しているのかもしれません。


姫神の願い継がれる日本(ひのもと)は ただ弥栄ぞここに有らなむ
管理人 日月土

足摺岬と奪われた女王

前回は高知県土佐清水市にある巨石群「唐人駄場」(とうじんだば)へ向かった件についてお話しましたが、その中で、現地に残る名称に気になる点があるのを指摘しました。

今回はその続編として、日本神話との関係性について考察したいと思います

■龍宮城の神々

足摺岬の西、土佐清水市の松尾には、竜宮神社というパワースポットとして全国的に有名な神社があります。

海に突き出た岩場に置かれたこの神社、今回の調査ではすぐ近くまで行ったものの、時間の関係上立ち寄れなかったのですが、写真を見るだけも景観の素晴らしい所にあるのが分ります。

画像1:竜宮神社(土佐清水市ホームページから)

この竜宮神社の祭神は、豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の父娘の神様ということになっていますが、この豊玉姫は日本神話における龍宮城のお姫様で、話の中では、失くした釣り針を求めて龍宮城に辿り着いた神武天皇の祖父に当たる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を見初めて、後にそのお后になるというストーリーが展開します。

「神話は事実を基に(派手に)脚色された創作である」というのは私の持論ですが、前回も掲載した次の画像からも、どうやら足摺の地が龍宮伝説の元ストーリーと関係ある場所であることが予想されるのです。

画像2:足摺岬周辺の地名・名所等

図中の竈戸(かまど)神社については、祭神不詳ということなのですが、よく知られた福岡県太宰府市の竈門(かまど)神社の祭神が玉依姫(たまよりひめ)であること、また、神話において玉依姫が豊玉姫の次の代の王妃であり、やはり龍宮城関係者であることから、この竈戸神社の祭神も、玉依姫、もしくは豊玉姫だったと考えられるのです。

画像3:足摺岬の竈戸神社(Googleマップから)

さて、この豊玉姫と玉依姫ですが、実は当ブログの過去記事ではこの二人の姫(后)と王の関係を系図に落していたことを覚えておられるでしょうか?以下にその系図を再掲します。

画像4:三嶋神を巡る姻戚関係(神武天皇と三嶋神から)

この図は、伊豆半島下田市の伊古奈姫神社の伝承他を基に作成した系図ですが、ここで言う三嶋神とはこれまでの考察から彦火火出見命と同一人物であり、ここに龍宮城伝説の登場人物が揃うことになります。

また、画像2の「鵜の岬」の「鵜」とは、画像4に登場する鵜葺草葺不合命(鸕鶿草葺不合尊 ウガヤフキアワセズ)を指すと考えられ、王と王妃の名が2代に亘って登場することから、やはり足摺岬も伊豆半島と同じく同時代の痕跡を残した地であると考え得るのです。

伊豆半島と足摺岬、両者は互いに遠く離れていますが、どちらも太平洋に突き出た半島の地であり、ここに神話伝承だけでなく、古代海洋民族の移動ルートについても新たな視点を提供してくれるのです。

■二王朝時代の痕跡

さて、以上の考察で終るならば美しいのですが、ここで問題になるのが、画像2の図中に記した次の名称なのです。

 佐田山の「佐田」
 椿のトンネルの「椿」
 白山洞穴の「白」

いずれのキーワードからも、同じ神(あるいは人物)が連想されるのです。

 佐田 → 佐田彦  → 猿田彦
 椿  → 椿大神社 → 猿田彦 (※つばきおおかみやしろ)
 白  → 白鬚神社 → 猿田彦

そして、猿田彦とは秀真伝(ほつまつたえ)に記された二王朝並立時代の王、火明命(ほのあかりのみこと)であることが、これまでの分析で分かっているのです。二王朝時代の始まりから神武天皇までの王権移譲を、秀真伝に従って系図に示すと次の様になります。

画像5:二王朝時代と王権移譲の推移予想

この図では、男性王の代を青字、女王の代を赤字で記述していますが、以前からお伝えしている様に、この時代の王権継承権は女王が有していたと考えられるので(少女神仮説)、実は王権移譲の推移を見るには女王の代に注視する必要があるのです。

その時問題になるのは、二王朝が並立するということは王権移譲に乱れが生じることになり、まず女王が立つと考えれば女王は代が重複せず、重複するのはもっぱら男性側であるはずなのです。

画像5を見る限り、二王朝時代とは、どうやら瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が先代(火明命)からの王権移譲を待たずに即位した形跡が見て取れ、それが男性王の代と女王の代が不一致に至る原因になったようなのです。

11代女王であるコノハナサクヤ姫はおそらく順当だとして、それでは12代の女王は、豊玉姫なのかミカシキヤ姫なのかと迷うところでありますが、豊玉姫・玉依姫が「(水中の)龍宮城の姫」という記紀の神話表現には、敢えて地上との繋がりを遠ざけているようにも見え、おそらく

 正当な12代女王とはミカシキヤヒメ(三炊屋姫)

であっただろうと考えられるのです。

と言うのも、当時から現皇室に至る王家の継承はあくまで豊玉姫側でありますが、記紀ではわざわざ火明命の継承者である饒速日尊は神武天皇に王権を譲った(国譲り)とまで記されており、それはまさに史書による王家の正当性を主張する修辞句そのものなので、実際には

 火明命・饒速日尊の王朝は滅ぼされた

と見るのが正しいのではないかと思われるのです。

すると、「豊玉姫と玉依姫はどこぞの馬の骨なのか?」と疑いたくなりますが、当時の日本はあくまでも王位継承権は女王側にあったと考えられ、正しく承認された女王との成婚でなければ当時の社会に王として認められなかったはずなのです。

この混乱した状況でしぶしぶながらでも民衆に王権の移譲を認めさせる方法、おそらくそれはかつての女王と再婚すること、もっと乱暴に言えば

 かつての女王を強奪すること

だったのではないかと私は予想するのです。

そう考えた時、奪われた女王の豊玉姫・玉依姫の元の名はいったい何であったのか、そこに焦点が移るのです。そして、その答とは足摺岬に残された地名(画像2)が既に示していると私は考えるのです。

画像6:アニメ映画「千と千尋の神隠し」のリンと千尋
答はこの作品の中にもしっかり描き込まれています


管理人 日月土

侵略者と呼ばれた王

本ブログは歴史考察ブログと銘打ってはいますが、有名な史書や歴史文献に限らず、時より、現代アニメ作品の中に婉曲的に書き込まれた歴史的プロットも、非常に特殊な歴史資料として参考にしています。

なぜこんな手法を取るのか? これまでに何度かその理由はお伝えしていますが、改めてそれを説明すると

 日本書紀や古事記などの史書類はどれも改竄されている

という前提があり、改竄されているという事は、逆に言えば正史に近い底本がどこかに存在しており、限られた一部の関係者だけがそれにアクセスできるのだろうと予想するからです。

それだけでは、アニメや映画・ドラマなどに歴史的プロットが使われる理由にはなりませんが、おそらく、その底本に書かれた内容がメディア表現で頻繁に使用される一番の理由とは、

 事実でないものに大衆は強く反応しない

からであろうと私は考えるからです。

それは、心理学的には潜在意識や集合意識の記憶領域と強く連動している、はたまた遺伝子レベルでの記憶保存と何か関係があるからであろうと思われるのですが、この分野は学術的に議論が多い所なので、私も断言するまでには至っておりません。

しかし、本ブログでスタジオジブリさんのアニメ映画「もののけ姫」あるいは「千と千尋の神隠し」を記紀などの史書と照らし合わせながら分析した結果、かなり矛盾なく古代の様子が見えて来たので、今ではメディア作品の分析手法が、歴史考察においてかなり確度の高いものであると確信しています。

問題なのは「大衆が強く反応」することを利用して、作品提供側が何を意図しているのかです。

一つには、作品の大ヒットによる興行収入の増大などが考えられますが、もう一つ考えられる大変重要な要素とは

 大衆を納得させやすい

こと。どういうことかと言えば、顕在意識に昇らない古い記憶に直接訴えることによって、論理的な説明を省きながら話に説得力を持たせることができる。別の表現をすれば

 大衆を誘導し易い

と言い換えることができるかと思います。要するに「洗脳」ということです。

今回は、つい昨日、(真)ブログ記事「デデデデは諦めない」を上梓した経緯から、このアニメ作品「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」(以下「D4」と略す)について、歴史的事象が挿入された具体例を見て行きたいと思います。

■登場人物名に隠された記号

D4がどのようなアニメ作品かについては、公式ページ及びWikipediaなどを参考にしていただくか、現在ネット配信されているアニメシリーズを実際に視聴していただきたいのですが、今後の解説スタンスは基本的に(真)ブログ記事と同じですので、まずはそちらをお読みになっていただきたいと思います。

この作品には様々な切り口があるのですが、古代史的な観点から見るなら、なんと言っても登場キャラのネーミングでしょう。

画像1:D4の主要キャラ
左から 小山門出(こやまかどで)、中川凰蘭(なかがわおうらん)、大場圭太(おおばけいた)

このアニメ、個性的なキャラが大勢登場するのですが、とは言っても、話はこの二人の少女の関係を軸に展開します。

そして、変わり種は元男性アイドルグループのメンバーであった大場君なのですが、彼の中身は「侵略者」と呼ばれる宇宙人に入れ替わっています。

「二人の少女」が主人公と聞いただけで、読者さんも気付いたかもしれませんが、お分かりのように、本ブログでは日本の古代王室は、一人の王と

 二人の皇后

によって構成されていたと仮説を立てています。

そして、二人の皇后の内、呪術や託宣などシャーマン的な役割を受け持つ方を

 少女神

と呼んでいたことを思い出してください。そして、王権の継承権を保持するのは男性王ではなく、皇后となった女性側なのです。

さて、二人の少女キャラの名前についてですが、「門出」、「凰蘭」と王家を思わせるいかにもそれっぽい名前が付けられていますが、それに比して苗字の方は「小山」、「中川」なる普通と言うかよくありがちなものに留まっています。

この簡単な漢字の組み合わせについて分析すると、次の様な結果が導かれます。

画像2:隠された数字「7」

お分かりのように、どちらの苗字も基本的に単純な直線によって構成された漢字が使われており、このような文字は、呪術の世界では数字表現として暗示的に使われることが多いのです。

この場合、線数を数えるのが一般的ですが、漢字の画数も世間では通用している数え方ですので、この二人の場合は任意に適用するとしました。

ここで出てきた数字は「7」であり、これがユダヤの燭台「メノラー」の枝数を表す、あるいは、ユダヤよりもさらに古い古代メソポタミアの「七枝樹」を表すことは、過去記事「方舟と獣の数字」で既に述べています。

画像3:鹿の子アニメにも出てきたメノラー(七枝樹)

この数字の一致から、二人の少女を主役キャラに立てた理由が、どうやら、日本の王朝を越えたはるかに遠い古代王と女王の関係に行き着くことが見て取れるのです。

■女王は二人だった

上記「方舟と獣の数字」では次のような古代シュメールの彫像を掲載しました。

画像4:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹

注目すべきは、左側の女王に向けて七枝樹の枝が4本向けられていることです。

歴史言語学の研究家、川崎真治氏の著書「日本最古の文字と女神画像」によると、シュメール文明における王と女王の象徴は、次の様に書き表されることがあると説明されています。

 王 :星が3つ
 女王:星が2つ(または4)

「星が2つ(または4つ)」これはいったいどういうことなのでしょうか?どちらの数字が正しいのでしょうか?

この問題は、本ブログで主張してきた「二人の皇后(女王)」の概念を適用すればあっさり解決します。なぜならば、

 女王が二人 (星2つが二人=星が4つ)

また、画像4で女王の彫像が一人だけなのは、

 一人は少女神(シャーマン的女王)

であり、表には現れない存在であること、あるいは二人で一人の扱いであると考えれば論理的にも矛盾はないのです。

この関係をD4の二人の少女キャラに当てはめると次の様になります。

画像5:二人の少女キャラと大場君

この画像を見ていただければ、何故「大場」という苗字がキャラ名に採用されたのかも見えてきます。「大」は「おお」または「おう」で「王」に通じ、「大場」という文字を遠目に見れば「太陽」と見えなくもありません。

世界の神話では太陽神とは一般的に男性であり、記紀で女神にされている天照大神も、秀真伝では人間の男性王「アマテルカミ」として記述されているのは、これまで何度もお伝えしてきたことです。

ちなみに、中川さんは物語の中で、侵略者の技術を借りて

 異なる世界線上の過去に移動

という超人的な、それこそシャーマン的なことをやってのけるという設定が与えられています。これはいったい何を象徴しているのでしょうか?

しかし、このキャラ設定の中で一番の問題は

 王が侵略者とはどういうことなのか?

という点なのです。

私は、これこそが、日本皇室の真の出自と大いに関係があるのではないかと睨んでいるのです。


管理人 日月土

方舟と獣の数字

今回に限っては、少しだけ触れて終わりにしようと思っていたアニメ分析ですが、この鹿の子アニメ(*)には思いの外多くの歴史的情報が埋め込まれていたので、まだ文字化ができていない点について今回もまた取り上げてみようと思います。

*タイトルは「しかのこのこのここしたんたん」

「いい加減にしろよ」と思われる読者さんも多いかと思いますが、あくまでもこれは「古代史分析」の一環であり、けっして酔狂でアニメについて語っている訳ではないので(本当です)、その点はご理解いただけますようお願いします。

■背振の山から見えたもの

実は1週間程前、現地の福岡県に飛んで、もう一度アニメに関係する土地を見てきました。具体的な行先は次になります。

画像1:脊振山気象レーダー観測所
画像2:気象レーダーの地図上の位置

気象レーダーは福岡県と佐賀県の県境となる背振山の尾根伝いの登山道上にあるのですが、レーダーまでは自動車が入れるように舗装されており(一般車両は不可)、県道から歩いておよそ30分くらいの所にあります。

私も現地に入ってから気付いたのですが、このポイントからは福岡県側に博多湾、そして佐賀県側は有明海はもちろん「鹿島と木嶋と方舟と」で取り上げた杵島までが見渡せるのです。

当日は少し霞んでいて写真では見にくいのですが、以上の重要ポイントをここから写真に収めました。

画像3:気象レーダーから見下ろした志賀島と能古島
画像4:気象レーダーから見下ろした佐賀の平野と杵島

志賀島と能古島は「志賀能古(しかのこ)=鹿の子」であり、志賀の神とはどうやら大船、すなわち「方舟」を指すだろうことは過去記事で述べた通りです。

また「杵島(きしま)」とは、古代シュメール語まで遡ればキッジュ(木)マァ(舟)で木舟であり、どうやらこれが「方舟」を指すことも、過去記事で既に述べています。

つまりこのレーダー観測所の位置は、方舟伝承に関わる2つの土地が同時に見下ろせる絶好のポイントであることが分かるのです。

これは私にとっても大きな発見で、わざわざここまで足を運んで良かったと思うだけでなく、古代史においてこの脊振の山々が、当時の信仰形態がどのようなものであったのか、それを理解する上で極めて重要な場所だという認識に至ったのです。

■虎虎虎

これまで鹿の子アニメの「鹿」について多くを考察してきましたが、このアニメには「虎」の文字を冠するキャラクターが準主役として登場していることを忘れてはなりません。

画像5:虎視姉妹

もうお気付きの様に、この二人合わせたキャラ名の中には「虎」の字が3回現れています。それを抜き出すと「虎虎虎(トラトラトラ)」となりますが、この「トラトラトラ」は第2次世界大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃する際に出された暗号文であることはつとに有名です。そう言えば同名タイトルの映画も作られていますよね。

それではどうして、真珠湾攻撃の暗号文がトラトラトラだったのか?そして、それがまた何でこのようなお気楽ギャグアニメの中に登場したのかが非常に気になります。

以下は私の考察なので合っているかどうかは分かりませんが、偶然と言うには余りにも意味的符牒が整っているので、参考までに紹介しておきましょう。

画像6:「トラ」をヲシテ文字で表記し、文字の構成要素を組み合わせる

以上のように、神代文字とも言われるヲシテ文字で「トラ」を表記し直すと、この音に隠された意味が見えてきます。そして、そこから見えてくるのは

 天地(の理)と六芒星、あるいはダビデの星

なのです。

これを意味的に日本語表現するならば

 天地(あめつち)の秘密(火水)

と読めなくもありません。

また、ここから「トラトラトラ」と「トラ」を3つ重ねた言葉に隠された意味の一つに3つの六芒星、すなわち

 666

があるだろうと考えられるのです。

ご存知の様に、666という数字は「獣の数字」として聖書の「ヨハネの黙示録」にも記述されています。

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

(ヨハネの黙示録 13章18節)

「鹿」からは「ノアの方舟」、そして「虎」からは「獣の数字666」、あくまでも日本古代史を扱っていたはずなのに、どちらも聖書の世界と繋がってしまうのです。一見能天気なお気楽アニメにしか見えないこの鹿の子アニメ、いったい何を企んでいるのでしょうか?

■七枝の線刻石

前回の記事「鹿と大船と祓祝詞」では、この鹿の子アニメの中で七枝のメノラー(古代ユダヤの7支の燭台)が描かれているとの指摘をしました。

画像7:アニメ中に描かれたメノラー

実はこのメノラー、日本国内の各地で見つかった線刻石や弥生式土器にも描かれていると言うのです。

画像8:下関市、彦島の線刻石(川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から)

古代言語の研究家、川崎真治さんによると、七枝の文様のルーツは聖書の時代を通り越してシュメール神話にまで遡ると推定されており、どうやらこれまで見てきた聖書と古代日本の奇妙な接点を理解する共通の鍵は、シュメール文明にあるようなのです。

シュメール神話に関する彫像で七枝樹が描かれる場面は、王「アン」と女王「キ」の間というのが定番のようなのですが、ここでやっと、アニメに登場した少女キャラクター(少女神の象徴)、すなわち皇后(=女王)とメノラーの関係性が見えてくるのです。

画像9:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹
女王の象徴は左端に描かれた蛇、王の象徴は牛角の冠

ここから先は私もまだ不勉強なのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが、このアニメの設定は、想像以上に深い歴史考証によって組み立てられているのが分るのです。


管理人 日月土

鹿と大船と祓祝詞

巷でちょっとだけ話題?にされていた鹿の子アニメ(※)を題材に取り上げて、なぜあれほどまで脈絡なしに「シカ」を強調するのか、その謎というか、原作サイドの隠された意図を、例によって日本古代史の文脈で掘り下げてみたところ、それが、

 方舟(はこぶね)

に辿り着いたことは、前回2回の記事でお伝えした通りです。

 関連記事:
 ・越と鹿乃子 
 ・鹿と方舟信仰 

 ※アニメタイトルは「しかのこのこのここしたんたん」です

残念ながらこのアニメ、先月で最終回を迎えたのですが、とにかく呪文のように怪しげなタイトルと奇妙な鹿の子ダンス、そして意味不明な設定で話を押しまくれるだけ押しまくって消えて行ってしまったようなのです。

ところが、その一見とっちらかって無茶苦茶なアニメも、整理してみると、非常によく計算された構造が見えて来たことは、上記過去記事でも述べています。

■鹿の子アニメの気になるシーン

さて、今回は同作品中の次の二つのカットを紹介しますが、どちらも、これまで本ブログで扱ってきた歴史的記号を象徴するものであると私は考えます。

画像1:鹿の角とバナナ
©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部(画像3も同様)

鹿の子の角の中にバナナが入っている?ギャグアニメだと言われればそれまでなのですが、これに関する解釈については、実は昨年1月の記事で既に取り扱っているのです。

「バナナ」をアラビア数字で音表現すると「877」となりますが、この数字にどんな意味があるかは、以下の説明画像を見ればお分かりになるかと思います

画像2:877の記号
大空のXXと少女神の暗号」から

「877」は古代の皇后、それも特殊な巫女能力と王権継承権を有した「少女神」の象徴と解釈したのですが、この鹿の子アニメは(真)ブログ記事「角娘の降臨」でも書いたように、とにかく「角のある少女」たちが複数登場しており、すなわち「少女神」を表す記号が満載なのです。

ですから、この「鹿の角とバナナ」という珍妙な組み合わせも、これが古代日本の女系王権のことを意図的に示すものだと捉えれば、この画が非常に重要な意味を含むものと捉え直すことができるのです。

画像3:鹿の角とメノラー

「鹿の子の角は頭ごと取り外せる」という、これもまたギャグアニメのなせるナンセンスの一つなのでしょうが、この画もまた歴史的には奇妙に一致するニュアンスを含んでいるのです。それが、頭部を含め七支の突起部を持つ鹿の子の角と、古代ユダヤ教のメノラーの形状が酷似していることなのです。

ここで、「少女神」と「ユダヤ」という奇妙な関連性が導かれるのです。これまで、この2つの事象が直接関連し合うとの考察は特に行ってきませんでしたが、このアニメの構造分析を通していよいよその接点が見えて来たように思えます。

この2つの古代史トピックを繋ぐのが、おそらく「方舟」なのでしょう。聖書によるとユダヤ人十二支族が誕生したのは、ノアの方舟から更に下ってアブラハムが登場して以降のことですから、方舟伝承の方がはるかに旧いと考えられるのです。

そのユダヤより旧い伝承が日本国内に残っている。ここで、「少女神」と「方舟」の間に何か関連性があるのならば、「少女神」は日本における古代ユダヤの登場よりも前から、この国に存在していたとも考えられるのです。

■大船と祓祝詞

聖書によれば、ノアの方舟は3層構造の大きな船であることが記述されています。つまり、「方舟」は「大船」と表現されてもおかしくないのですが、実はこの「大船」は神社の祓祝詞(はらえのりと)の中に出てきます。

祓祝詞は、6月の大祓(おおはらえ)の時に神社で聞くことのある祝詞ですが、その文面は神社によって多少異なるとしても、概ねその骨子は同じように思います。

祓祝詞として有名なのが中臣祓(なかとみのはらえ)で、次にそこから「大船」が出て来る場面を抜き出してみましょう。

 高天原(たかまのはら)に神留坐(かむづまりまし)ます
 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ))神漏美(かむろみ)
 の命(みこと)を以もちて 八百万(やほよろづ)の神等
 (かみたち)を 神集(へに集賜つど)へたまひ 神議
 (かむはかり)に議賜(はかりたまひ)て 我(あが)
 皇孫尊(すめみまのみこと)をば 豊葦原(とよあしはら)
 の水穂(みずほ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平
 (たひら)けく所知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し
 奉まつりき

 ・・・(中略)・・・

 如此(かく)所聞食(きこしめ)しては 罪(つみ)と云(い)
 ふ罪(つみ)は不在(あらじ)と 科戸(しなど)の風(かぜ)
 の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹放(ふきはな)つ事
 (こと)の如(ごと)く 朝(あした)の御霧(みきり)夕(ゆふ)
 べの御霧(みきり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹掃
 (ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)
 に居(を)る大船(おほふね)の舳(へ)解放(ときはな)ち艫
 (とも)解放(ときはな)ちて大海原(おほわだのはら)に
 押放(おしはなつ)事(こと)如ごとく

 ・・・(以下略)・・・

引用元:古今宗教研究所から

この祝詞では、罪や穢れが吹き流され清められる様を、大きな船が風を受けて大海にさっそうと乗り出す情景に例えて比喩的に表現されていると読めます。

私も「何でここで船なんだろうな?」と長らく疑問ではあったものの、祝詞全体の調子によく合っているのか、それ以上は特に疑問を感じることはありませんでした。

しかし、今回「鹿」(シカ)と「方舟」の関連性に気付いてから、この祝詞の捉え方が大きく変わったのです。そして、こう思うようになりました。

 日本は方舟伝承の当時国なのでは?

と。

大祓は元々6月と12月に朝廷で行われていた行事であり、それはすなわち、国家全体の罪や穢れを祓い清める儀式であることを意味している訳で、その国家的行事で奏上される文言の中にしっかりと遠い昔の「方舟」の記憶が盛り込まれているのですから。

繰り返しになりますが、聖書と日本書紀、中臣祓祝詞の方舟に関係するとされる箇所を比較すると

 聖書  : 3層構造の方舟
 日本書紀: 底・中・表の3人の海神(シカの祭神)→ 3層構造
 中臣祓 : 大船

となります。これがどう繋がるかは、前回・前々回の記事を参考にしてください。

■鹿の子アニメの狙いは?

鹿の子アニメを我慢して視聴し、古代史と照らし合わせながらここまで見てきましたが、この作品には思わぬ意図が隠れていることが分かって来ました。

読者の皆さんが関心を抱くのは、これまでの私の分析が仮に正しいとして、どうしてこのアニメを世に出して来たのかという点だと思います。

原案者の真意を正確に把握することは非常に難しいのですが、ある程度推測することは可能です。その真意を測る上で非常に大事なキーワードが実はこの「方舟」なのです。

そもそも方舟は何のために作られたのでしょうか?それを考えた時、このアニメを制作した側の狙いが朧気ながら見えてくるのです。

もう一つのヒントは、シカ(志賀)の神とは別名「穂高見命」(ほだかみのみこと)であることです。すると次のキャラクターが登場したあの有名アニメ映画が思い出されるのですが覚えておられるでしょうか?

画像4:右側の少年キャラは誰?

そして、この映画のラストシーンがどうであったのかをもう一度思い出すと、鹿の子アニメの真の狙いがこの映画のメッセージと同じであることに気が付くのです。


鹿は藤原光る君虎に翼の虎視眈々
管理人 日月土

鹿と方舟信仰

前回のブログ記事「越と鹿乃子」では、この夏放映されたアニメ「しかのこのこのここしたん」を題材に、その中に密かに組み込まれたと考えられる日本古代史に関するメッセージを分析してみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部
 ※このブログはアニメ専門ブログではありません

前回記事掲載後に配信したメルマガでは、更に詳しく「鹿(シカ)」の意味について考察したのですが、思いの外これが重要な内容を含んでいると考えられたので、今回はブログでもその内容に修正を加えてご紹介したいと思います。

■志賀島と安曇族

前回のブログ記事のお伝えしましたが、アニメタイトルの「しかのこのこのこ」が、それぞれ

 しかのこ → 志賀島(しかのしま)
 のこのこ → 能古島(のこのしま)

を指すのではないかという点は予め押さえておいてください。福岡県在住の人なら良くご存知の、博多湾に浮かぶ二つの島のことです。

ここから、アニメの主人公「鹿乃子」が「志賀の娘」を指すだろうという話は、既に前回述べていますが、ここでは、志賀(しか)とは何か?という点について更に深く触れてみたいと思います。

さて、志賀島(しかのしま)には、かつて安曇(阿曇)族と呼ばれる海の民が居住していたという話を現地でもよく耳にたので、まずは阿曇族について調べてみます。

この阿曇族、実は日本書紀の神代の帖の中に登場する一節があるので、まずはその部分を書き出してみます。

 凡(すべ)て九(ここのはしらの)の神有(いま)す。
 其の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、是即ち
 住吉大神(すみのえおおかみ)なり。底津少童命・
 中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等(あづみ
 のむらじら)が所祭(いつきまつ)る神なり。

 然して後に、左の眼を洗ひたまふ。因りて生める
 神を、号(なづ)けて天照大神と日す。復(また)右
 の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて月
 読尊と日す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神
 を、号けて素戔嗚尊と日す。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上 一書6より

また、ここに出て来る阿曇連については、同文庫の補注に次の様に書かれています。

 阿曇連:全国各地の海部を中央で管理する伴造。
 天武十三年に宿禰と賜姓。此の三神を旧事紀、
 神代本紀は「筑紫斯香神」とし、延喜神名式には
 筑前国糟屋郡志加海神社三座とある。

 祖先伝承は記に「綿津見神之子、宇都志日金折命
 之 子孫也」、姓氏録、右京神別に「海神綿積豊
 玉彦神子、穂高見命之後也」とある。

補注の解説に従って読み解くと、阿曇連は

 底津少童命(そこつわたつみのみこと)
 中津少童命(なかつわたつみのみこと)
 表津少童命(うわつわたつみのみこと)

の3神を祀る民であり、この神は

 筑紫斯香神
 (ちくししかのかみ) 

もしくは、

 筑前国糟屋郡志加海神社三座
 (ちくぜんこくかすやぐんしかうみじんじゃさんざ)

と別の名で呼ばれていると記載されています。

どれが正式な名なのかは分かりませんが、おそらくこの3神こそが「志賀(しか)」と呼ばれる神様の正体であり、阿曇連はこの3神を奉る一族であったという記述から、この3神(志賀の神)をルーツとする伴造(とものみやつこ)、すなわち、古代期に公務として海洋管理を担当していた一族であったと理解することが出来ます。

ここで引用した書紀の一節は、黄泉の国から返ってきたイザナギが、その穢れを払うために「立花の小戸のあわぎはら」で禊をしていた時の様子であり、阿曇族の祖先はその時に生まれた神の中の3柱だったということになります。

ここで、私が注目したのは、この志賀神(しかのかみ)3神は、天照・月読・素戔嗚の三貴神よりも前に生まれていた、すなわち

 三貴神よりも古い神

というようにも読み取れます。

当然ながら、この記述はある歴史的事実が神話化されてこのような記述になったと思われるのですが、その史実解読のヒントになるのが、補注の後半に紹介されている、他史書に書かれた次の志賀神の別名であると考えられます。

 古事記:綿津見神之子、宇都志日金折命(うつしひかなさくのみこと)之子孫也
 姓氏録:海神綿積豊玉彦神子、穂高見命(ほだかみのみこと)之後也

宇都志日金折命の別名が穂高見命とも言われ、宇都志日金折命を祀る穂高神社があるのが信州の安曇野(あずみの)というのも、何か不思議な歴史の結びつきを感じます。

この安曇野にある穂高神社の有名なお祭りは

 御船祭(みふねさい)

と呼ばれ、大きな船型の山車が街を練り歩くことで有名です。

画像2:安曇野の街中を曳かれる大船
安曇野市観光協会の動画から

阿曇族は海の民とされていますから、神事に船形が見られるのは特段不思議でもなさそうですが、果たしてそれだけでしょうか?

■シカとカシ

日本の地名には読み順を転置させたのではないかと思われるものがいくつか見られます。私が思い付くのものに、多少強引かもしれませんが、以下の例があります。

 登美(トミ) → 水戸(ミト)
 三尾(ミオ) → 小見(オミ)
 香取(カトリ)→ 取香(トッコウ)※漢字の入れ替え

これは、古い昔に地名を名付ける時に取られた手法なのではないか、あるいは祭事的な意味を持たせてそうしたのかもしれませんが、「シカ」についてそれを適用するとどうなるでしょうか?

 シカ → カシ

となります。

「カシ」なる2文字の地名はなかなか見つかりませんが、この2文字から始まる地名ならかなりの数が見つかります。

「樫山、柏原」など「樫」や「柏」から始まる地名は全国に多く見られるのですが、今回取り上げた「鹿」の意を含むものとなれば、次の地名が最も適切なのではないでしょうか?

 鹿島(カシマ)

また、志賀島のすぐ対岸には香椎宮で有名な「香椎」(カシイ)なる地名があることも、非常に興味深いのですが、ここでは鹿島を志賀の転置語、あるいは志賀を鹿島の転置語から「マ」の字が脱落したものとして扱います。

■方舟で繋がる鹿嶋と志賀

さて、鹿島の地名の由来については、今年7月の記事「鹿島と木嶋と方舟と」で既に触れているのを覚えておられるでしょうか?

そこでは、シュメール語の「ギシュ・マァ・グル・グル」その意味は「漂える(グルグル)木(ギシュ)の舟(マァ)」で、すなわち、

 方舟

を指すと説明しました。

このシュメール語から「グル・グル」が脱落し、音が訛って「キシマ」から更に「カシマ」へと変化したのが「鹿島」という地名の始まりではないかとしたのですが、そうなると、鹿島の「鹿」とは、漢字が成立した後に当てられた文字と言うことになります。

同記事では、これを裏付ける傍証として、京都の貴船(木舟)神社や、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)の例を挙げ、そのルーツが古代方舟信仰であった可能性を示しています。また「アラレフル」という和歌の枕詞がどうやら、方舟が上陸したとされる「アララト山」を指すのではないかとしています。

これらから

 志賀 = 鹿島 (※音の転置と脱落)

という予想が成り立つのですが、その説を補強する上で重要な記述が聖書に記されていることにここで気付きます。

 その造り方は次のとおりである。箱舟の長さは
 三百アンマ、幅は五十アンマ、高さは三十アン
 マ。箱舟には屋根を造り、上から一アンマにし
 て、それを仕上げなさい。箱舟の戸口は横側に
 付けなさい。また、一階と二階と三階を造りな
 さい。

創世記 第6章15,16節

聖書に記されている方舟の構造は非常に具体的で、その船の階層は1,2,3階の階層構造であることもここから窺い知れます。

ここで、前々節で述べた「志賀の神」が底津(そこつ)、中津(なかつ)、表津(うわつ)の綿津見(わたつみ)3神であることを思い出してください。

この3神は、日本神話では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊のために入った水の、表面部分、中程、底の部分それぞれから神が生まれたという話になっているのですが、これを何か具体的な事象の比喩的表現(暗号表現)と解釈すれば、何かの構造を表していると考えられるのです。

もしもこれを、方舟の構造を表す表現と解釈すれば

 鹿島 → 方舟
 志賀 → 方舟の構造

となり、互いに関連し合うことが分かるのです。

すると、安曇野の穂高神社の例祭で練り歩く船形の山車がいったい何を象徴しているのか、その意味も明確になってくるのです。

画像3:方舟が繋ぐ志賀と鹿島の関係性


 * * *

これは驚きました、無意味に「シカ」を連発するだけのお気楽アニメかと思っていたら、ここにはそんな意味が隠れていたのです。

もしも、このアニメが古代方舟信仰について何かのメッセージを含んでいるとするなら、それはいったい何なのか?これまで、つまらない、面白くないとかなり否定的であったこのアニメ作品に対し、俄然強い興味が湧いてきたのです。


管理人 日月土

越と鹿乃子

今月9日、(真)ブログ記事「角娘の降臨」にて、現在放映中の謎アニメ「しかのこのこのここしたんたん」について、そのネーミング及び設定について表面的に分析を掛けてみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部

このアニメ作品、特に意味がないというか、無理矢理組み込んだように見えるテーマがまさに「鹿」であり、また主人公、準主人公の少女たちが角(つの)が生えた、あるいはそのように見えるデザインで統一されており、これらは当ブログで最近取り上げた古代史のテーマ「馬と鹿」、そして「少女神」とも繋がるので、今回は敢えてこの作品を切り口に、アニメ原作者もしくは原案者が作品を通して何を伝えようとしたのか、その深意を分析したいと思います。

その前に、今回のテーマと関連する過去記事へのリンクを整理しておきましょう。以下、本文で参照の際には次の記事番号で記事名の代わりとします。

 (1)アニメタイトルと土地名の関係性 – (真)ブログ:
  →角娘の降臨 

 (2)福岡県糸島の小呂島と神話「オノコロ島」との関係性
  →再び天孫降臨の地へ 

 (3)能登半島近辺に多く見られる春日神社の分布 – (真)ブログ:
  →能登は地震が多いけど 

 (4)鹿と春日大社、中臣氏・藤原氏、武御雷・建御名方
  またタカミムスビ王統との関連性について:
  →鹿の暗号と春日の姫 

 (5)イザナギとイザナミ、2対3の法則について
  →3人の三島とひふみ神示 

■福岡北部の島々と鹿乃子

記事(1)では特に理由を述べませんでしたが、この奇怪なタイトルの前半「しかのこのこのこ」の部分が、どうやら福岡県の博多湾内に位置する志賀島(しかのしま)と能古島(のこのしま)を指すのだろうという着想に至ったのは既にお伝えした通りです。

そう思い付いたのは、メインキャラクター「鹿乃子のこ」のデザインの中に両手の指をそれぞれ2本ずつ立てる4本立てポーズ、また、国宝の弥勒菩薩半跏思惟像のように3本ずつ立てる6本立てポーズの2パターンがあるのを見つけたからです。

これがどういうことかお分かりでしょうか?

私はこれを4対6、もしくは2対3の法則を意味しているのではないかと考えたのです。ちろん、単なるデザイナーさんの気まぐれなのかもしれないのですが、敢えて何か意図を含んだ表現の違いではないかと受け取ったのです。

記事(5)の最終節「3人の王と2人の少女神」を再読して頂きたいのですが、ここでは、日本書紀本文から、黄泉の国に入ったイザナミが日に千人殺すと言ったところ、イザナギが日に千五百の産屋を建てると言い返したシーンを引用しています。

私は、ここに出て来る数字の比率を、女2人男3人の「2対3の法則」と見立てたのですが、すなわち、キャラクターが演じる指の表現とはこれを指すのではないか?そう考えたのです。

この数字が出てくるからには、おそらくイザナミ・イザナギ伝説に関わることだと思い付き、その時に最初に脳裡に浮かんだのが、

 能古島

だったのです。

これは、現地を訪れたことがないと分からないかと思いますが、記事(2)でちらっと触れているように、能古島には、「イザナギ石・イザナミ石」という、不思議な石積みの構造物があり、おそらくそれほど古いものではないと思われるものの、何故か記憶の中に今でも残り続けていたのです。

画像2:能古島のイザナギ石とイザナミ石
(画像引用元:YAMAPさん)

土地の解釈では、能古島は神話に登場するオノコロ島のことであるとされ、この石積みは観光用に後からわざわざ作られたとも考えられるのですが、山林に入って探索すると古い磐座跡のようなものが残っており、この島がただならぬ場所であることはそれだけで十分に窺い知れたのです。

能古島が出てくれば、その対岸にあるのが志賀島ですから、ここから「しか・のこ」が「志賀・能古」を指すだろうことは直ぐに気付きます。

画像3:志賀島の展望台から博多湾を望む

このアニメに登場するのは角(つの)がある、あるいは角を模した髪型の少女ばかりですから、これが少女神(巫女・古代女性シャーマン)を指すのはもはや間違いないと思われ、ここから、少女を表す別表現「娘(こ)」を用いて

 志賀の娘(しかのこ)・能古の娘(のこのこ)

が導き出されたのです。

■虎は何を指すのか?

さて、次にタイトル後半「こしたんたん」が何を指すのかなのですが、記事(1)でも示したように、「虎視眈々」すなわち「虎を視続ける」と解釈すれば、志賀島から寅の方角(東北東)への視線をそのまま地図上に延長すると、その直線は旧国名の

 越(こし)の国・丹後(たんご)の国・丹波(たんば)の国

付近を貫くことが分かります。

丹後・丹波と志賀島の関係についてはまだ不明ですが、広義の越の国に該当する現在の石川県には

 志賀(しか)

の地名が残っていることは、志賀原発に関する報道などでご存知の方が多いかと思われます。

当然ながら志賀と志賀島に関係性があることは地元でもよく言われており、一般的には海の民である志賀島の安曇族(あずみぞく)が能登方面に進出したと考えられているようです。

「しかのこのこのこ」が起点、「こしたんたんが」起点より指示された方角と考えると、どうやらこのタイトルが強く指し示しているのは

 越の国(福井から新潟までの北陸地方)

であると導かれるのです。

■越の春日と鹿

記事(3)は数年前から頻繁に地震が発生した能登半島について書いたものですが、実は地震で鳥居が倒れたと大騒ぎになった珠洲市の神社とは

 春日神社

だったのです。春日神社と鹿の関係は記事(4)について述べていますが、実は北陸方面には比較的「春日」の名が多く見られるのです。

画像4:富山県高岡市の春日神社

記事(4)では春日と藤原家、その先代である武御雷(たけみかづち)やタカミムスビと言った古代王統と少女神の関係についても少し触れています。

このアニメを観ていると無意識に奈良公園の鹿ばかりを意識してしまいますが、私はこれこそがこの作品に仕掛けられた巧妙なトラップであると判断します。

重要なのは「しか」と呼ばれる一族のルーツと広がり、そしてその中で翻弄されてきた少女神たちの運命なのではないでしょうか?当然ながら、物語の舞台にセットされた東京都「日野市」にも共通の意味が込められています。

どうやら、鹿の角を生やした謎の少女キャラの正体が少しだけ見えてきました。「越」に注目しつつ更に考察を続けたいと思います。


虎の名を負ひし幼き娘子は飛鳥の君か春日の君か
管理人 日月土

三浦春馬と馬鹿

まず最初にお詫びから申し上げます。

今月令和6年1月は、元日から色々ありまして歴史関係の調査・整理が全く進みませんでした。よって今回のブログ記事では、これまでの記事の中から整理してまとめたものをお知らせしたいと思います。

今回取り上げるのは、2020年の7月18日にお亡くなりになられた、俳優の三浦春馬さんと、最近の歴史テーマに取り上げてきた「馬鹿」(うましか)の関係についてです。

画像1:三浦春馬さん

三浦春馬さんは、クローゼットの中で首を吊った「自殺」と認定されていますが、同年9月27には、やはり有名俳優の竹内結子さんも、同じようにクローゼットの中で自殺したとされています。

この二人について、自殺と言うにはあまりに奇妙な点が共通していることから、両者共にこれが他殺だったのではないかという疑いは今でも囁かれています。

このブログは歴史ブログと銘打っている以上、この件を単純な事件として扱うことはしません。但し、両者の亡くなり方、報道のされ方には呪詛的要因が見受けられるため、それが呪詛だった場合、何に起因し、何を目的としている呪詛なのか、歴史的に解釈することは可能であると判断しました。

まとめ記事故に、これまでお知らせした内容と被る箇所も多々ありますが、三浦春馬さんの死の一件の中に、どのような歴史的意味が込められていたのかを見て行きたいと思います。

■芸名「三浦春馬」に込められた暗喩

芸名にしろ本名にしろ、芸能人の名前が重要なのは、単にそれが個人を識別するだけの記号でなく、そこに使われる文字や読み方が多くの人々に認識されることから、芸能人個人のパーソナリティを超えた別の象徴として使われることは、芸能の世界では良く見られます。

氷川きよしさんの「氷川」が埼玉県大宮市にある「氷川神社」、綾瀬はるかさんの「綾瀬」が同じ埼玉県を流れる「綾瀬川」を象徴し、一つの地理的かつ歴史的呪詛体系を作り出している可能性については、(真)ブログ「氷川と綾瀬と昭和天皇と-皇室への呪い」で既に触れています。

同じように「三浦春馬」という文字列を見て行った場合

 三浦、春、馬

という要素に分解することができます。

ここで、これまでの分析から

 春 → 春日大社 → 鹿
 馬(字のまま)

と、ここでさっそく馬鹿(うましか)の記号が抽出できるのです。

次に「三浦」(みうら)ですが、一般的には神奈川県の三浦半島を想像しがちですが、これについては以下の地図より

画像2:鹿島三浦

茨城県鹿島地方の三つの浦(うら)、すなわち

 霞ヶ浦、北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)

を指すとも考えられ、要するに「鹿島」あるいは「鹿」を表しているとも考えられるのです。

そして、この「三浦」(みうら)を音読みの「三浦」(みほ)と読み替えたらどうなるかというと

 三浦(みほ)→ 美浦(みほ)

となり、この美浦には、広大な

 中央競トレーニング・センター

が置かれているのです。しかも、美浦は画像2の地図の中にすっかり収まっているのです。

画像3:鹿島三浦と美浦
画像4:JRA美浦トレーニングセンター

即ち、「三浦」というどこでもあるような苗字には、「馬鹿」(うましか)の両方の意味が付されていると見なされ、有名芸能人が「三浦」の名で活躍すれば、本人の意識とは全く別に、もう一つの「馬鹿」(うましか)の意味が大衆の意識の中で一人歩きし始めると、呪術に通じている関係者ならば普通にそう考えるのです。

どうやら、「三浦春馬」という芸名には、「馬鹿」(うましか)という別の意味が込められていたようなのです。

■馬鹿(うましか)と馬鹿(ばか)

さて、ここまでは「馬鹿」を「うましか」と呼んできましたが、通常ならばこの漢字2字を書けば「ばか」と読むのが普通です。

前回記事「もののけ姫と馬鹿」では、侮蔑用語として「ばか」がどうして馬と鹿なのか、その起源については、国語辞典編集者の神永さんをして

 諸説あるがはっきりしない

としています。

大事なのは「諸説ある」と「はっきりしない」は意味的には同意であることで、某国営放送の看板番組のように、「諸説ある」のにある一説を以って「ボーっと生きてるんじゃねぇ」と他者をこき下ろすような下品なことはこのブログではやりたくありません。

ならば、「ばか」を「馬鹿」と書かせる諸説の一つに、今回の三浦春馬さんとの関係を考慮しても良いのではないかと思われるのです。

どういうことかといえば、三浦春馬さんの名前に関連付けられた「馬」と「鹿」の意味に対して、昔の人が後から何か侮蔑的な意味を持たせた造語だったのではないかということなのです。

正直なところ、私は三浦春馬さんが出演されたドラマはほとんど見たことがないのですが、彼の出演作を良く知る知人の話では

 少し間の抜けた美男子

という役割が多かったと聞いています。別の言葉で言い換えれば

 ちょっと馬鹿(ばか)っぽい美男子

と言えるのではないでしょうか。

しっかり見ていないので推測の域は出ませんが、もしも「三浦春馬」という名に「馬鹿」(うましか)の意が含まれているのを知っていれば、敢えて彼に「馬鹿」(ばか)のような役作りをさせる演出があったのではないかと想像してしまうのです。

■馬鹿の意味についての再考

そもそも「馬鹿」(うましか)の話は、鹿児島の「鹿」から出てきたもので、これまでの話の展開からその相関図は次のようになります。

画像5:鹿の相関図

この相関図には「鹿」はあっても「馬」らしきものは見えず、「馬」との関連性を考慮しなければならなくなったのは、まさに「三浦春馬」という芸名に「馬」が含まれていること、そして、日本古代史を原作モデルに置いているのは間違いないあの名作アニメ映画「もののけ姫」に、「馬」と「鹿」をミックスしたような架空の動物が描かれていることにあったのです。

画像6:「もののけ姫」のヤックル

多少素性が見えてきた「鹿」は良いとして、このペアに現れる「馬」とはいったい誰を、あるいはどの系統を指すのか思案していたところ、おあつらえ向きに次の様な紋章があることを思い出したのです。

画像7:馬(ロバ)と鹿の紋章

実はこれ、ユダヤ十二支族と言われる聖書の創世記に登場するヤコブ(イスラエル)の子孫(の家)に付けられた紋章なのです。

ヤコブはイサクの息子であり、イサクはまたその父アブラハムの息子です。ヤコブはアブラハムの孫に当たることになります。さて、イサクとアブラハムについては創世記の22章に次のような下りがあります。

 神の命がアブラハムに下った。息子イサクをモリヤにある山
 に連れて行き、そこでイサクの命を神に捧げるようにと。
 山に祭場を作った後、アブラハムが刃物を取りイサクを屠
 (ほふ)ろうとした時、神は手を下すのを止めろと命じた。
 神は愛する息子を捧げようとしたアブラハムを、神を畏れる
 者として祝福した。

この刃物を手にして子を撃とうし、直前でそれを取りやめる動作というのが、かつて諏訪大社の御頭祭において神事として演じられていたというのは、日本のユダヤ同祖論の中でよく聞く話です。

また、諏訪には守屋山もあることから、諏訪の地は聖書のこの記述と何か深い繋がりがあるのではないかと、多くの方が疑問を抱くのも無理はありません。

この件については既にご存知の方は多いと思われますが、これについては次のサイトがよくまとまっているので是非参考にしてください。

 外部リンク:諏訪 御頭祭:聖書のイサクはミシャクジ神か?

私がここで強調したいのは、一見突拍子もなく出したユダヤ十二支族の紋章の話が、聖書の記述を通して諏訪大社の御頭祭と繋がることなのです。

さて、ユダヤ十二支族とは一般的に、ヤコブの子である

 ルベン
 シメオン
 レビ
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 ヨセフ
 ベニヤミン

を指しますが、領地を継いだ一族という基準で見れば、ヨセフの代わりにヨセフの子であるマナセとエフライムの名を加え、そもそも所領を持たないレビ族を除けば

 ルベン
 シメオン
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 マナセ
 エフライム
 ベニヤミン

となります。他にヤコブの直接の子ではないマナセとエフライムの2族をここから除いて十氏族とする見方もまたあるのです。

さて、画像7で挙げた紋章なのですが、それぞれ次の支族を表します。

 馬:イッサカル族
 鹿:ナフタリ族

こうなると、「鹿はユダヤのナフタリ族を指しているのか!」とやりたくなるのですが、それを言うにはまず「馬」の痕跡が日本古代史のどこかに残っているのかを見つけなければ、早計というものでしょう。

■馬に象徴されるもの

まずは「鹿島」と「鹿」の関係よろしく、「馬」の字を含む地名のチェックから始めたのですが、そもそも馬は昔の生活に深く根差した生き物であり、全国ほぼ満遍なく「馬」の付く地名が存在します。

これでは良く分からないので、検索の対象を大きな単位、具体的には県市町村群名に絞ったところ、次の様な結果を得ました。

 群馬県
 福島県   相馬市
 福島県   南相馬市
 福島県   相馬郡
 茨城県   北相馬郡
 群馬県   北群馬郡
 東京都   練馬区
 長野県   北安曇郡白馬村
 徳島県   美馬市
 徳島県   美馬郡
 高知県   安芸郡馬路村
 長崎県   対馬市

これだけ見ても直ぐに何とも言えませんが、県名に「馬」の字を使う群馬県はまず一つ押さえておくべきかと思われます。そして、福島と茨城に見られる「相馬」もまた気になる地名です。特に福島県の南相馬市周辺は2011年の福島第一原発事故で大きな被害を受けた所でもあります。

あと、気になるのは徳島県の美馬郡で、ここにはやはりユダヤ同祖論で取り上げられることの多い「剣山」(つるぎさん)が位置しているのです。やはり「馬」とユダヤの支族が関係しているサインなのでしょうか?

結局良く分からないままなのですが、鹿島のある茨城県から太平洋岸に沿って続く、福島県の「相馬」エリアについては、馬との関連性で追ってみる必要がありそうです。

■三浦春馬と馬鹿

結局のところ、馬鹿(うましか)について核心を突く結論は得られていないのですが、状況証拠的にこれがどうも古代日本におけるユダヤ問題と関連がありそうだというところまでは掴めました。

ここで三浦春馬さんの不審な死の話に戻ると、この死に呪詛的な意味があると仮定した場合、それは古代日本のユダヤ問題に関連するだろうと考えられるのです。

そして、それは三浦さんの芸名が体現する2つのユダヤ支族「馬(イッサカル族)と鹿(ナフタリ族)」に対して死の宣告を向けたのだとも解釈できるのです。

この場合、鹿とは武御雷から藤原氏へと続く一族の血統を指すと考えられますが、馬については上述の通りその系統については未解決だとしておきます。

さて、「クローゼット」という言葉には「隠された性癖」という隠語があるのですが、その中で死亡したという事実と併せて解釈するならば

 素性を隠したまま死ね

と言う意味にも取れます。つまり、日本の中でユダヤの末裔を名乗ることは一切まかりならんと言う強い意志を表しているとも解釈できるのです。

三浦春馬さんは、このようにユダヤ支族への大きな呪いを背負わされて旅立たれたのでしょうか?

参考:

三浦春馬さんの出演ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」について、その中で表現されている種々の暗号メッセージの解読に挑んだ動画がありますので、ここでご紹介しておきます。

Youtubeチャンネル「外閣情報調査室」から

なお、同ドラマについては(真)ブログ記事「三浦春馬の死とカネ恋の呪い」において、そのドラマ設定に仕掛けられた呪術的な意味を、方位術の観点で解読を試みています。


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