方舟と獣の数字

今回に限っては、少しだけ触れて終わりにしようと思っていたアニメ分析ですが、この鹿の子アニメ(*)には思いの外多くの歴史的情報が埋め込まれていたので、まだ文字化ができていない点について今回もまた取り上げてみようと思います。

*タイトルは「しかのこのこのここしたんたん」

「いい加減にしろよ」と思われる読者さんも多いかと思いますが、あくまでもこれは「古代史分析」の一環であり、けっして酔狂でアニメについて語っている訳ではないので(本当です)、その点はご理解いただけますようお願いします。

■背振の山から見えたもの

実は1週間程前、現地の福岡県に飛んで、もう一度アニメに関係する土地を見てきました。具体的な行先は次になります。

画像1:脊振山気象レーダー観測所
画像2:気象レーダーの地図上の位置

気象レーダーは福岡県と佐賀県の県境となる背振山の尾根伝いの登山道上にあるのですが、レーダーまでは自動車が入れるように舗装されており(一般車両は不可)、県道から歩いておよそ30分くらいの所にあります。

私も現地に入ってから気付いたのですが、このポイントからは福岡県側に博多湾、そして佐賀県側は有明海はもちろん「鹿島と木嶋と方舟と」で取り上げた杵島までが見渡せるのです。

当日は少し霞んでいて写真では見にくいのですが、以上の重要ポイントをここから写真に収めました。

画像3:気象レーダーから見下ろした志賀島と能古島
画像4:気象レーダーから見下ろした佐賀の平野と杵島

志賀島と能古島は「志賀能古(しかのこ)=鹿の子」であり、志賀の神とはどうやら大船、すなわち「方舟」を指すだろうことは過去記事で述べた通りです。

また「杵島(きしま)」とは、古代シュメール語まで遡ればキッジュ(木)マァ(舟)で木舟であり、どうやらこれが「方舟」を指すことも、過去記事で既に述べています。

つまりこのレーダー観測所の位置は、方舟伝承に関わる2つの土地が同時に見下ろせる絶好のポイントであることが分かるのです。

これは私にとっても大きな発見で、わざわざここまで足を運んで良かったと思うだけでなく、古代史においてこの脊振の山々が、当時の信仰形態がどのようなものであったのか、それを理解する上で極めて重要な場所だという認識に至ったのです。

■虎虎虎

これまで鹿の子アニメの「鹿」について多くを考察してきましたが、このアニメには「虎」の文字を冠するキャラクターが準主役として登場していることを忘れてはなりません。

画像5:虎視姉妹

もうお気付きの様に、この二人合わせたキャラ名の中には「虎」の字が3回現れています。それを抜き出すと「虎虎虎(トラトラトラ)」となりますが、この「トラトラトラ」は第2次世界大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃する際に出された暗号文であることはつとに有名です。そう言えば同名タイトルの映画も作られていますよね。

それではどうして、真珠湾攻撃の暗号文がトラトラトラだったのか?そして、それがまた何でこのようなお気楽ギャグアニメの中に登場したのかが非常に気になります。

以下は私の考察なので合っているかどうかは分かりませんが、偶然と言うには余りにも意味的符牒が整っているので、参考までに紹介しておきましょう。

画像6:「トラ」をヲシテ文字で表記し、文字の構成要素を組み合わせる

以上のように、神代文字とも言われるヲシテ文字で「トラ」を表記し直すと、この音に隠された意味が見えてきます。そして、そこから見えてくるのは

 天地(の理)と六芒星、あるいはダビデの星

なのです。

これを意味的に日本語表現するならば

 天地(あめつち)の秘密(火水)

と読めなくもありません。

また、ここから「トラトラトラ」と「トラ」を3つ重ねた言葉に隠された意味の一つに3つの六芒星、すなわち

 666

があるだろうと考えられるのです。

ご存知の様に、666という数字は「獣の数字」として聖書の「ヨハネの黙示録」にも記述されています。

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

(ヨハネの黙示録 13章18節)

「鹿」からは「ノアの方舟」、そして「虎」からは「獣の数字666」、あくまでも日本古代史を扱っていたはずなのに、どちらも聖書の世界と繋がってしまうのです。一見能天気なお気楽アニメにしか見えないこの鹿の子アニメ、いったい何を企んでいるのでしょうか?

■七枝の線刻石

前回の記事「鹿と大船と祓祝詞」では、この鹿の子アニメの中で七枝のメノラー(古代ユダヤの7支の燭台)が描かれているとの指摘をしました。

画像7:アニメ中に描かれたメノラー

実はこのメノラー、日本国内の各地で見つかった線刻石や弥生式土器にも描かれていると言うのです。

画像8:下関市、彦島の線刻石(川崎真治著「日本最古の文字と女神画像」から)

古代言語の研究家、川崎真治さんによると、七枝の文様のルーツは聖書の時代を通り越してシュメール神話にまで遡ると推定されており、どうやらこれまで見てきた聖書と古代日本の奇妙な接点を理解する共通の鍵は、シュメール文明にあるようなのです。

シュメール神話に関する彫像で七枝樹が描かれる場面は、王「アン」と女王「キ」の間というのが定番のようなのですが、ここでやっと、アニメに登場した少女キャラクター(少女神の象徴)、すなわち皇后(=女王)とメノラーの関係性が見えてくるのです。

画像9:女王キ(左)と王アン(右)、中央に七枝樹
女王の象徴は左端に描かれた蛇、王の象徴は牛角の冠

ここから先は私もまだ不勉強なのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが、このアニメの設定は、想像以上に深い歴史考証によって組み立てられているのが分るのです。


管理人 日月土

鹿と大船と祓祝詞

巷でちょっとだけ話題?にされていた鹿の子アニメ(※)を題材に取り上げて、なぜあれほどまで脈絡なしに「シカ」を強調するのか、その謎というか、原作サイドの隠された意図を、例によって日本古代史の文脈で掘り下げてみたところ、それが、

 方舟(はこぶね)

に辿り着いたことは、前回2回の記事でお伝えした通りです。

 関連記事:
 ・越と鹿乃子 
 ・鹿と方舟信仰 

 ※アニメタイトルは「しかのこのこのここしたんたん」です

残念ながらこのアニメ、先月で最終回を迎えたのですが、とにかく呪文のように怪しげなタイトルと奇妙な鹿の子ダンス、そして意味不明な設定で話を押しまくれるだけ押しまくって消えて行ってしまったようなのです。

ところが、その一見とっちらかって無茶苦茶なアニメも、整理してみると、非常によく計算された構造が見えて来たことは、上記過去記事でも述べています。

■鹿の子アニメの気になるシーン

さて、今回は同作品中の次の二つのカットを紹介しますが、どちらも、これまで本ブログで扱ってきた歴史的記号を象徴するものであると私は考えます。

画像1:鹿の角とバナナ
©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部(画像3も同様)

鹿の子の角の中にバナナが入っている?ギャグアニメだと言われればそれまでなのですが、これに関する解釈については、実は昨年1月の記事で既に取り扱っているのです。

「バナナ」をアラビア数字で音表現すると「877」となりますが、この数字にどんな意味があるかは、以下の説明画像を見ればお分かりになるかと思います

画像2:877の記号
大空のXXと少女神の暗号」から

「877」は古代の皇后、それも特殊な巫女能力と王権継承権を有した「少女神」の象徴と解釈したのですが、この鹿の子アニメは(真)ブログ記事「角娘の降臨」でも書いたように、とにかく「角のある少女」たちが複数登場しており、すなわち「少女神」を表す記号が満載なのです。

ですから、この「鹿の角とバナナ」という珍妙な組み合わせも、これが古代日本の女系王権のことを意図的に示すものだと捉えれば、この画が非常に重要な意味を含むものと捉え直すことができるのです。

画像3:鹿の角とメノラー

「鹿の子の角は頭ごと取り外せる」という、これもまたギャグアニメのなせるナンセンスの一つなのでしょうが、この画もまた歴史的には奇妙に一致するニュアンスを含んでいるのです。それが、頭部を含め七支の突起部を持つ鹿の子の角と、古代ユダヤ教のメノラーの形状が酷似していることなのです。

ここで、「少女神」と「ユダヤ」という奇妙な関連性が導かれるのです。これまで、この2つの事象が直接関連し合うとの考察は特に行ってきませんでしたが、このアニメの構造分析を通していよいよその接点が見えて来たように思えます。

この2つの古代史トピックを繋ぐのが、おそらく「方舟」なのでしょう。聖書によるとユダヤ人十二支族が誕生したのは、ノアの方舟から更に下ってアブラハムが登場して以降のことですから、方舟伝承の方がはるかに旧いと考えられるのです。

そのユダヤより旧い伝承が日本国内に残っている。ここで、「少女神」と「方舟」の間に何か関連性があるのならば、「少女神」は日本における古代ユダヤの登場よりも前から、この国に存在していたとも考えられるのです。

■大船と祓祝詞

聖書によれば、ノアの方舟は3層構造の大きな船であることが記述されています。つまり、「方舟」は「大船」と表現されてもおかしくないのですが、実はこの「大船」は神社の祓祝詞(はらえのりと)の中に出てきます。

祓祝詞は、6月の大祓(おおはらえ)の時に神社で聞くことのある祝詞ですが、その文面は神社によって多少異なるとしても、概ねその骨子は同じように思います。

祓祝詞として有名なのが中臣祓(なかとみのはらえ)で、次にそこから「大船」が出て来る場面を抜き出してみましょう。

 高天原(たかまのはら)に神留坐(かむづまりまし)ます
 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ))神漏美(かむろみ)
 の命(みこと)を以もちて 八百万(やほよろづ)の神等
 (かみたち)を 神集(へに集賜つど)へたまひ 神議
 (かむはかり)に議賜(はかりたまひ)て 我(あが)
 皇孫尊(すめみまのみこと)をば 豊葦原(とよあしはら)
 の水穂(みずほ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平
 (たひら)けく所知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し
 奉まつりき

 ・・・(中略)・・・

 如此(かく)所聞食(きこしめ)しては 罪(つみ)と云(い)
 ふ罪(つみ)は不在(あらじ)と 科戸(しなど)の風(かぜ)
 の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹放(ふきはな)つ事
 (こと)の如(ごと)く 朝(あした)の御霧(みきり)夕(ゆふ)
 べの御霧(みきり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹掃
 (ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)
 に居(を)る大船(おほふね)の舳(へ)解放(ときはな)ち艫
 (とも)解放(ときはな)ちて大海原(おほわだのはら)に
 押放(おしはなつ)事(こと)如ごとく

 ・・・(以下略)・・・

引用元:古今宗教研究所から

この祝詞では、罪や穢れが吹き流され清められる様を、大きな船が風を受けて大海にさっそうと乗り出す情景に例えて比喩的に表現されていると読めます。

私も「何でここで船なんだろうな?」と長らく疑問ではあったものの、祝詞全体の調子によく合っているのか、それ以上は特に疑問を感じることはありませんでした。

しかし、今回「鹿」(シカ)と「方舟」の関連性に気付いてから、この祝詞の捉え方が大きく変わったのです。そして、こう思うようになりました。

 日本は方舟伝承の当時国なのでは?

と。

大祓は元々6月と12月に朝廷で行われていた行事であり、それはすなわち、国家全体の罪や穢れを祓い清める儀式であることを意味している訳で、その国家的行事で奏上される文言の中にしっかりと遠い昔の「方舟」の記憶が盛り込まれているのですから。

繰り返しになりますが、聖書と日本書紀、中臣祓祝詞の方舟に関係するとされる箇所を比較すると

 聖書  : 3層構造の方舟
 日本書紀: 底・中・表の3人の海神(シカの祭神)→ 3層構造
 中臣祓 : 大船

となります。これがどう繋がるかは、前回・前々回の記事を参考にしてください。

■鹿の子アニメの狙いは?

鹿の子アニメを我慢して視聴し、古代史と照らし合わせながらここまで見てきましたが、この作品には思わぬ意図が隠れていることが分かって来ました。

読者の皆さんが関心を抱くのは、これまでの私の分析が仮に正しいとして、どうしてこのアニメを世に出して来たのかという点だと思います。

原案者の真意を正確に把握することは非常に難しいのですが、ある程度推測することは可能です。その真意を測る上で非常に大事なキーワードが実はこの「方舟」なのです。

そもそも方舟は何のために作られたのでしょうか?それを考えた時、このアニメを制作した側の狙いが朧気ながら見えてくるのです。

もう一つのヒントは、シカ(志賀)の神とは別名「穂高見命」(ほだかみのみこと)であることです。すると次のキャラクターが登場したあの有名アニメ映画が思い出されるのですが覚えておられるでしょうか?

画像4:右側の少年キャラは誰?

そして、この映画のラストシーンがどうであったのかをもう一度思い出すと、鹿の子アニメの真の狙いがこの映画のメッセージと同じであることに気が付くのです。


鹿は藤原光る君虎に翼の虎視眈々
管理人 日月土

鹿と方舟信仰

前回のブログ記事「越と鹿乃子」では、この夏放映されたアニメ「しかのこのこのここしたん」を題材に、その中に密かに組み込まれたと考えられる日本古代史に関するメッセージを分析してみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部
 ※このブログはアニメ専門ブログではありません

前回記事掲載後に配信したメルマガでは、更に詳しく「鹿(シカ)」の意味について考察したのですが、思いの外これが重要な内容を含んでいると考えられたので、今回はブログでもその内容に修正を加えてご紹介したいと思います。

■志賀島と安曇族

前回のブログ記事のお伝えしましたが、アニメタイトルの「しかのこのこのこ」が、それぞれ

 しかのこ → 志賀島(しかのしま)
 のこのこ → 能古島(のこのしま)

を指すのではないかという点は予め押さえておいてください。福岡県在住の人なら良くご存知の、博多湾に浮かぶ二つの島のことです。

ここから、アニメの主人公「鹿乃子」が「志賀の娘」を指すだろうという話は、既に前回述べていますが、ここでは、志賀(しか)とは何か?という点について更に深く触れてみたいと思います。

さて、志賀島(しかのしま)には、かつて安曇(阿曇)族と呼ばれる海の民が居住していたという話を現地でもよく耳にたので、まずは阿曇族について調べてみます。

この阿曇族、実は日本書紀の神代の帖の中に登場する一節があるので、まずはその部分を書き出してみます。

 凡(すべ)て九(ここのはしらの)の神有(いま)す。
 其の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、是即ち
 住吉大神(すみのえおおかみ)なり。底津少童命・
 中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等(あづみ
 のむらじら)が所祭(いつきまつ)る神なり。

 然して後に、左の眼を洗ひたまふ。因りて生める
 神を、号(なづ)けて天照大神と日す。復(また)右
 の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて月
 読尊と日す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神
 を、号けて素戔嗚尊と日す。

岩波文庫 日本書紀(一) 神代上 一書6より

また、ここに出て来る阿曇連については、同文庫の補注に次の様に書かれています。

 阿曇連:全国各地の海部を中央で管理する伴造。
 天武十三年に宿禰と賜姓。此の三神を旧事紀、
 神代本紀は「筑紫斯香神」とし、延喜神名式には
 筑前国糟屋郡志加海神社三座とある。

 祖先伝承は記に「綿津見神之子、宇都志日金折命
 之 子孫也」、姓氏録、右京神別に「海神綿積豊
 玉彦神子、穂高見命之後也」とある。

補注の解説に従って読み解くと、阿曇連は

 底津少童命(そこつわたつみのみこと)
 中津少童命(なかつわたつみのみこと)
 表津少童命(うわつわたつみのみこと)

の3神を祀る民であり、この神は

 筑紫斯香神
 (ちくししかのかみ) 

もしくは、

 筑前国糟屋郡志加海神社三座
 (ちくぜんこくかすやぐんしかうみじんじゃさんざ)

と別の名で呼ばれていると記載されています。

どれが正式な名なのかは分かりませんが、おそらくこの3神こそが「志賀(しか)」と呼ばれる神様の正体であり、阿曇連はこの3神を奉る一族であったという記述から、この3神(志賀の神)をルーツとする伴造(とものみやつこ)、すなわち、古代期に公務として海洋管理を担当していた一族であったと理解することが出来ます。

ここで引用した書紀の一節は、黄泉の国から返ってきたイザナギが、その穢れを払うために「立花の小戸のあわぎはら」で禊をしていた時の様子であり、阿曇族の祖先はその時に生まれた神の中の3柱だったということになります。

ここで、私が注目したのは、この志賀神(しかのかみ)3神は、天照・月読・素戔嗚の三貴神よりも前に生まれていた、すなわち

 三貴神よりも古い神

というようにも読み取れます。

当然ながら、この記述はある歴史的事実が神話化されてこのような記述になったと思われるのですが、その史実解読のヒントになるのが、補注の後半に紹介されている、他史書に書かれた次の志賀神の別名であると考えられます。

 古事記:綿津見神之子、宇都志日金折命(うつしひかなさくのみこと)之子孫也
 姓氏録:海神綿積豊玉彦神子、穂高見命(ほだかみのみこと)之後也

宇都志日金折命の別名が穂高見命とも言われ、宇都志日金折命を祀る穂高神社があるのが信州の安曇野(あずみの)というのも、何か不思議な歴史の結びつきを感じます。

この安曇野にある穂高神社の有名なお祭りは

 御船祭(みふねさい)

と呼ばれ、大きな船型の山車が街を練り歩くことで有名です。

画像2:安曇野の街中を曳かれる大船
安曇野市観光協会の動画から

阿曇族は海の民とされていますから、神事に船形が見られるのは特段不思議でもなさそうですが、果たしてそれだけでしょうか?

■シカとカシ

日本の地名には読み順を転置させたのではないかと思われるものがいくつか見られます。私が思い付くのものに、多少強引かもしれませんが、以下の例があります。

 登美(トミ) → 水戸(ミト)
 三尾(ミオ) → 小見(オミ)
 香取(カトリ)→ 取香(トッコウ)※漢字の入れ替え

これは、古い昔に地名を名付ける時に取られた手法なのではないか、あるいは祭事的な意味を持たせてそうしたのかもしれませんが、「シカ」についてそれを適用するとどうなるでしょうか?

 シカ → カシ

となります。

「カシ」なる2文字の地名はなかなか見つかりませんが、この2文字から始まる地名ならかなりの数が見つかります。

「樫山、柏原」など「樫」や「柏」から始まる地名は全国に多く見られるのですが、今回取り上げた「鹿」の意を含むものとなれば、次の地名が最も適切なのではないでしょうか?

 鹿島(カシマ)

また、志賀島のすぐ対岸には香椎宮で有名な「香椎」(カシイ)なる地名があることも、非常に興味深いのですが、ここでは鹿島を志賀の転置語、あるいは志賀を鹿島の転置語から「マ」の字が脱落したものとして扱います。

■方舟で繋がる鹿嶋と志賀

さて、鹿島の地名の由来については、今年7月の記事「鹿島と木嶋と方舟と」で既に触れているのを覚えておられるでしょうか?

そこでは、シュメール語の「ギシュ・マァ・グル・グル」その意味は「漂える(グルグル)木(ギシュ)の舟(マァ)」で、すなわち、

 方舟

を指すと説明しました。

このシュメール語から「グル・グル」が脱落し、音が訛って「キシマ」から更に「カシマ」へと変化したのが「鹿島」という地名の始まりではないかとしたのですが、そうなると、鹿島の「鹿」とは、漢字が成立した後に当てられた文字と言うことになります。

同記事では、これを裏付ける傍証として、京都の貴船(木舟)神社や、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)の例を挙げ、そのルーツが古代方舟信仰であった可能性を示しています。また「アラレフル」という和歌の枕詞がどうやら、方舟が上陸したとされる「アララト山」を指すのではないかとしています。

これらから

 志賀 = 鹿島 (※音の転置と脱落)

という予想が成り立つのですが、その説を補強する上で重要な記述が聖書に記されていることにここで気付きます。

 その造り方は次のとおりである。箱舟の長さは
 三百アンマ、幅は五十アンマ、高さは三十アン
 マ。箱舟には屋根を造り、上から一アンマにし
 て、それを仕上げなさい。箱舟の戸口は横側に
 付けなさい。また、一階と二階と三階を造りな
 さい。

創世記 第6章15,16節

聖書に記されている方舟の構造は非常に具体的で、その船の階層は1,2,3階の階層構造であることもここから窺い知れます。

ここで、前々節で述べた「志賀の神」が底津(そこつ)、中津(なかつ)、表津(うわつ)の綿津見(わたつみ)3神であることを思い出してください。

この3神は、日本神話では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊のために入った水の、表面部分、中程、底の部分それぞれから神が生まれたという話になっているのですが、これを何か具体的な事象の比喩的表現(暗号表現)と解釈すれば、何かの構造を表していると考えられるのです。

もしもこれを、方舟の構造を表す表現と解釈すれば

 鹿島 → 方舟
 志賀 → 方舟の構造

となり、互いに関連し合うことが分かるのです。

すると、安曇野の穂高神社の例祭で練り歩く船形の山車がいったい何を象徴しているのか、その意味も明確になってくるのです。

画像3:方舟が繋ぐ志賀と鹿島の関係性


 * * *

これは驚きました、無意味に「シカ」を連発するだけのお気楽アニメかと思っていたら、ここにはそんな意味が隠れていたのです。

もしも、このアニメが古代方舟信仰について何かのメッセージを含んでいるとするなら、それはいったい何なのか?これまで、つまらない、面白くないとかなり否定的であったこのアニメ作品に対し、俄然強い興味が湧いてきたのです。


管理人 日月土

越と鹿乃子

今月9日、(真)ブログ記事「角娘の降臨」にて、現在放映中の謎アニメ「しかのこのこのここしたんたん」について、そのネーミング及び設定について表面的に分析を掛けてみました。

画像1:アニメ「しかのこのこのここしたんたん」」
 ©おしおしお・講談社/日野南高校シカ部

このアニメ作品、特に意味がないというか、無理矢理組み込んだように見えるテーマがまさに「鹿」であり、また主人公、準主人公の少女たちが角(つの)が生えた、あるいはそのように見えるデザインで統一されており、これらは当ブログで最近取り上げた古代史のテーマ「馬と鹿」、そして「少女神」とも繋がるので、今回は敢えてこの作品を切り口に、アニメ原作者もしくは原案者が作品を通して何を伝えようとしたのか、その深意を分析したいと思います。

その前に、今回のテーマと関連する過去記事へのリンクを整理しておきましょう。以下、本文で参照の際には次の記事番号で記事名の代わりとします。

 (1)アニメタイトルと土地名の関係性 – (真)ブログ:
  →角娘の降臨 

 (2)福岡県糸島の小呂島と神話「オノコロ島」との関係性
  →再び天孫降臨の地へ 

 (3)能登半島近辺に多く見られる春日神社の分布 – (真)ブログ:
  →能登は地震が多いけど 

 (4)鹿と春日大社、中臣氏・藤原氏、武御雷・建御名方
  またタカミムスビ王統との関連性について:
  →鹿の暗号と春日の姫 

 (5)イザナギとイザナミ、2対3の法則について
  →3人の三島とひふみ神示 

■福岡北部の島々と鹿乃子

記事(1)では特に理由を述べませんでしたが、この奇怪なタイトルの前半「しかのこのこのこ」の部分が、どうやら福岡県の博多湾内に位置する志賀島(しかのしま)と能古島(のこのしま)を指すのだろうという着想に至ったのは既にお伝えした通りです。

そう思い付いたのは、メインキャラクター「鹿乃子のこ」のデザインの中に両手の指をそれぞれ2本ずつ立てる4本立てポーズ、また、国宝の弥勒菩薩半跏思惟像のように3本ずつ立てる6本立てポーズの2パターンがあるのを見つけたからです。

これがどういうことかお分かりでしょうか?

私はこれを4対6、もしくは2対3の法則を意味しているのではないかと考えたのです。ちろん、単なるデザイナーさんの気まぐれなのかもしれないのですが、敢えて何か意図を含んだ表現の違いではないかと受け取ったのです。

記事(5)の最終節「3人の王と2人の少女神」を再読して頂きたいのですが、ここでは、日本書紀本文から、黄泉の国に入ったイザナミが日に千人殺すと言ったところ、イザナギが日に千五百の産屋を建てると言い返したシーンを引用しています。

私は、ここに出て来る数字の比率を、女2人男3人の「2対3の法則」と見立てたのですが、すなわち、キャラクターが演じる指の表現とはこれを指すのではないか?そう考えたのです。

この数字が出てくるからには、おそらくイザナミ・イザナギ伝説に関わることだと思い付き、その時に最初に脳裡に浮かんだのが、

 能古島

だったのです。

これは、現地を訪れたことがないと分からないかと思いますが、記事(2)でちらっと触れているように、能古島には、「イザナギ石・イザナミ石」という、不思議な石積みの構造物があり、おそらくそれほど古いものではないと思われるものの、何故か記憶の中に今でも残り続けていたのです。

画像2:能古島のイザナギ石とイザナミ石
(画像引用元:YAMAPさん)

土地の解釈では、能古島は神話に登場するオノコロ島のことであるとされ、この石積みは観光用に後からわざわざ作られたとも考えられるのですが、山林に入って探索すると古い磐座跡のようなものが残っており、この島がただならぬ場所であることはそれだけで十分に窺い知れたのです。

能古島が出てくれば、その対岸にあるのが志賀島ですから、ここから「しか・のこ」が「志賀・能古」を指すだろうことは直ぐに気付きます。

画像3:志賀島の展望台から博多湾を望む

このアニメに登場するのは角(つの)がある、あるいは角を模した髪型の少女ばかりですから、これが少女神(巫女・古代女性シャーマン)を指すのはもはや間違いないと思われ、ここから、少女を表す別表現「娘(こ)」を用いて

 志賀の娘(しかのこ)・能古の娘(のこのこ)

が導き出されたのです。

■虎は何を指すのか?

さて、次にタイトル後半「こしたんたん」が何を指すのかなのですが、記事(1)でも示したように、「虎視眈々」すなわち「虎を視続ける」と解釈すれば、志賀島から寅の方角(東北東)への視線をそのまま地図上に延長すると、その直線は旧国名の

 越(こし)の国・丹後(たんご)の国・丹波(たんば)の国

付近を貫くことが分かります。

丹後・丹波と志賀島の関係についてはまだ不明ですが、広義の越の国に該当する現在の石川県には

 志賀(しか)

の地名が残っていることは、志賀原発に関する報道などでご存知の方が多いかと思われます。

当然ながら志賀と志賀島に関係性があることは地元でもよく言われており、一般的には海の民である志賀島の安曇族(あずみぞく)が能登方面に進出したと考えられているようです。

「しかのこのこのこ」が起点、「こしたんたんが」起点より指示された方角と考えると、どうやらこのタイトルが強く指し示しているのは

 越の国(福井から新潟までの北陸地方)

であると導かれるのです。

■越の春日と鹿

記事(3)は数年前から頻繁に地震が発生した能登半島について書いたものですが、実は地震で鳥居が倒れたと大騒ぎになった珠洲市の神社とは

 春日神社

だったのです。春日神社と鹿の関係は記事(4)について述べていますが、実は北陸方面には比較的「春日」の名が多く見られるのです。

画像4:富山県高岡市の春日神社

記事(4)では春日と藤原家、その先代である武御雷(たけみかづち)やタカミムスビと言った古代王統と少女神の関係についても少し触れています。

このアニメを観ていると無意識に奈良公園の鹿ばかりを意識してしまいますが、私はこれこそがこの作品に仕掛けられた巧妙なトラップであると判断します。

重要なのは「しか」と呼ばれる一族のルーツと広がり、そしてその中で翻弄されてきた少女神たちの運命なのではないでしょうか?当然ながら、物語の舞台にセットされた東京都「日野市」にも共通の意味が込められています。

どうやら、鹿の角を生やした謎の少女キャラの正体が少しだけ見えてきました。「越」に注目しつつ更に考察を続けたいと思います。


虎の名を負ひし幼き娘子は飛鳥の君か春日の君か
管理人 日月土

三浦春馬と馬鹿

まず最初にお詫びから申し上げます。

今月令和6年1月は、元日から色々ありまして歴史関係の調査・整理が全く進みませんでした。よって今回のブログ記事では、これまでの記事の中から整理してまとめたものをお知らせしたいと思います。

今回取り上げるのは、2020年の7月18日にお亡くなりになられた、俳優の三浦春馬さんと、最近の歴史テーマに取り上げてきた「馬鹿」(うましか)の関係についてです。

画像1:三浦春馬さん

三浦春馬さんは、クローゼットの中で首を吊った「自殺」と認定されていますが、同年9月27には、やはり有名俳優の竹内結子さんも、同じようにクローゼットの中で自殺したとされています。

この二人について、自殺と言うにはあまりに奇妙な点が共通していることから、両者共にこれが他殺だったのではないかという疑いは今でも囁かれています。

このブログは歴史ブログと銘打っている以上、この件を単純な事件として扱うことはしません。但し、両者の亡くなり方、報道のされ方には呪詛的要因が見受けられるため、それが呪詛だった場合、何に起因し、何を目的としている呪詛なのか、歴史的に解釈することは可能であると判断しました。

まとめ記事故に、これまでお知らせした内容と被る箇所も多々ありますが、三浦春馬さんの死の一件の中に、どのような歴史的意味が込められていたのかを見て行きたいと思います。

■芸名「三浦春馬」に込められた暗喩

芸名にしろ本名にしろ、芸能人の名前が重要なのは、単にそれが個人を識別するだけの記号でなく、そこに使われる文字や読み方が多くの人々に認識されることから、芸能人個人のパーソナリティを超えた別の象徴として使われることは、芸能の世界では良く見られます。

氷川きよしさんの「氷川」が埼玉県大宮市にある「氷川神社」、綾瀬はるかさんの「綾瀬」が同じ埼玉県を流れる「綾瀬川」を象徴し、一つの地理的かつ歴史的呪詛体系を作り出している可能性については、(真)ブログ「氷川と綾瀬と昭和天皇と-皇室への呪い」で既に触れています。

同じように「三浦春馬」という文字列を見て行った場合

 三浦、春、馬

という要素に分解することができます。

ここで、これまでの分析から

 春 → 春日大社 → 鹿
 馬(字のまま)

と、ここでさっそく馬鹿(うましか)の記号が抽出できるのです。

次に「三浦」(みうら)ですが、一般的には神奈川県の三浦半島を想像しがちですが、これについては以下の地図より

画像2:鹿島三浦

茨城県鹿島地方の三つの浦(うら)、すなわち

 霞ヶ浦、北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)

を指すとも考えられ、要するに「鹿島」あるいは「鹿」を表しているとも考えられるのです。

そして、この「三浦」(みうら)を音読みの「三浦」(みほ)と読み替えたらどうなるかというと

 三浦(みほ)→ 美浦(みほ)

となり、この美浦には、広大な

 中央競トレーニング・センター

が置かれているのです。しかも、美浦は画像2の地図の中にすっかり収まっているのです。

画像3:鹿島三浦と美浦
画像4:JRA美浦トレーニングセンター

即ち、「三浦」というどこでもあるような苗字には、「馬鹿」(うましか)の両方の意味が付されていると見なされ、有名芸能人が「三浦」の名で活躍すれば、本人の意識とは全く別に、もう一つの「馬鹿」(うましか)の意味が大衆の意識の中で一人歩きし始めると、呪術に通じている関係者ならば普通にそう考えるのです。

どうやら、「三浦春馬」という芸名には、「馬鹿」(うましか)という別の意味が込められていたようなのです。

■馬鹿(うましか)と馬鹿(ばか)

さて、ここまでは「馬鹿」を「うましか」と呼んできましたが、通常ならばこの漢字2字を書けば「ばか」と読むのが普通です。

前回記事「もののけ姫と馬鹿」では、侮蔑用語として「ばか」がどうして馬と鹿なのか、その起源については、国語辞典編集者の神永さんをして

 諸説あるがはっきりしない

としています。

大事なのは「諸説ある」と「はっきりしない」は意味的には同意であることで、某国営放送の看板番組のように、「諸説ある」のにある一説を以って「ボーっと生きてるんじゃねぇ」と他者をこき下ろすような下品なことはこのブログではやりたくありません。

ならば、「ばか」を「馬鹿」と書かせる諸説の一つに、今回の三浦春馬さんとの関係を考慮しても良いのではないかと思われるのです。

どういうことかといえば、三浦春馬さんの名前に関連付けられた「馬」と「鹿」の意味に対して、昔の人が後から何か侮蔑的な意味を持たせた造語だったのではないかということなのです。

正直なところ、私は三浦春馬さんが出演されたドラマはほとんど見たことがないのですが、彼の出演作を良く知る知人の話では

 少し間の抜けた美男子

という役割が多かったと聞いています。別の言葉で言い換えれば

 ちょっと馬鹿(ばか)っぽい美男子

と言えるのではないでしょうか。

しっかり見ていないので推測の域は出ませんが、もしも「三浦春馬」という名に「馬鹿」(うましか)の意が含まれているのを知っていれば、敢えて彼に「馬鹿」(ばか)のような役作りをさせる演出があったのではないかと想像してしまうのです。

■馬鹿の意味についての再考

そもそも「馬鹿」(うましか)の話は、鹿児島の「鹿」から出てきたもので、これまでの話の展開からその相関図は次のようになります。

画像5:鹿の相関図

この相関図には「鹿」はあっても「馬」らしきものは見えず、「馬」との関連性を考慮しなければならなくなったのは、まさに「三浦春馬」という芸名に「馬」が含まれていること、そして、日本古代史を原作モデルに置いているのは間違いないあの名作アニメ映画「もののけ姫」に、「馬」と「鹿」をミックスしたような架空の動物が描かれていることにあったのです。

画像6:「もののけ姫」のヤックル

多少素性が見えてきた「鹿」は良いとして、このペアに現れる「馬」とはいったい誰を、あるいはどの系統を指すのか思案していたところ、おあつらえ向きに次の様な紋章があることを思い出したのです。

画像7:馬(ロバ)と鹿の紋章

実はこれ、ユダヤ十二支族と言われる聖書の創世記に登場するヤコブ(イスラエル)の子孫(の家)に付けられた紋章なのです。

ヤコブはイサクの息子であり、イサクはまたその父アブラハムの息子です。ヤコブはアブラハムの孫に当たることになります。さて、イサクとアブラハムについては創世記の22章に次のような下りがあります。

 神の命がアブラハムに下った。息子イサクをモリヤにある山
 に連れて行き、そこでイサクの命を神に捧げるようにと。
 山に祭場を作った後、アブラハムが刃物を取りイサクを屠
 (ほふ)ろうとした時、神は手を下すのを止めろと命じた。
 神は愛する息子を捧げようとしたアブラハムを、神を畏れる
 者として祝福した。

この刃物を手にして子を撃とうし、直前でそれを取りやめる動作というのが、かつて諏訪大社の御頭祭において神事として演じられていたというのは、日本のユダヤ同祖論の中でよく聞く話です。

また、諏訪には守屋山もあることから、諏訪の地は聖書のこの記述と何か深い繋がりがあるのではないかと、多くの方が疑問を抱くのも無理はありません。

この件については既にご存知の方は多いと思われますが、これについては次のサイトがよくまとまっているので是非参考にしてください。

 外部リンク:諏訪 御頭祭:聖書のイサクはミシャクジ神か?

私がここで強調したいのは、一見突拍子もなく出したユダヤ十二支族の紋章の話が、聖書の記述を通して諏訪大社の御頭祭と繋がることなのです。

さて、ユダヤ十二支族とは一般的に、ヤコブの子である

 ルベン
 シメオン
 レビ
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 ヨセフ
 ベニヤミン

を指しますが、領地を継いだ一族という基準で見れば、ヨセフの代わりにヨセフの子であるマナセとエフライムの名を加え、そもそも所領を持たないレビ族を除けば

 ルベン
 シメオン
 ユダ
 イッサカル
 ゼブルン
 ダン
 ナフタリ
 ガド
 アシェル
 マナセ
 エフライム
 ベニヤミン

となります。他にヤコブの直接の子ではないマナセとエフライムの2族をここから除いて十氏族とする見方もまたあるのです。

さて、画像7で挙げた紋章なのですが、それぞれ次の支族を表します。

 馬:イッサカル族
 鹿:ナフタリ族

こうなると、「鹿はユダヤのナフタリ族を指しているのか!」とやりたくなるのですが、それを言うにはまず「馬」の痕跡が日本古代史のどこかに残っているのかを見つけなければ、早計というものでしょう。

■馬に象徴されるもの

まずは「鹿島」と「鹿」の関係よろしく、「馬」の字を含む地名のチェックから始めたのですが、そもそも馬は昔の生活に深く根差した生き物であり、全国ほぼ満遍なく「馬」の付く地名が存在します。

これでは良く分からないので、検索の対象を大きな単位、具体的には県市町村群名に絞ったところ、次の様な結果を得ました。

 群馬県
 福島県   相馬市
 福島県   南相馬市
 福島県   相馬郡
 茨城県   北相馬郡
 群馬県   北群馬郡
 東京都   練馬区
 長野県   北安曇郡白馬村
 徳島県   美馬市
 徳島県   美馬郡
 高知県   安芸郡馬路村
 長崎県   対馬市

これだけ見ても直ぐに何とも言えませんが、県名に「馬」の字を使う群馬県はまず一つ押さえておくべきかと思われます。そして、福島と茨城に見られる「相馬」もまた気になる地名です。特に福島県の南相馬市周辺は2011年の福島第一原発事故で大きな被害を受けた所でもあります。

あと、気になるのは徳島県の美馬郡で、ここにはやはりユダヤ同祖論で取り上げられることの多い「剣山」(つるぎさん)が位置しているのです。やはり「馬」とユダヤの支族が関係しているサインなのでしょうか?

結局良く分からないままなのですが、鹿島のある茨城県から太平洋岸に沿って続く、福島県の「相馬」エリアについては、馬との関連性で追ってみる必要がありそうです。

■三浦春馬と馬鹿

結局のところ、馬鹿(うましか)について核心を突く結論は得られていないのですが、状況証拠的にこれがどうも古代日本におけるユダヤ問題と関連がありそうだというところまでは掴めました。

ここで三浦春馬さんの不審な死の話に戻ると、この死に呪詛的な意味があると仮定した場合、それは古代日本のユダヤ問題に関連するだろうと考えられるのです。

そして、それは三浦さんの芸名が体現する2つのユダヤ支族「馬(イッサカル族)と鹿(ナフタリ族)」に対して死の宣告を向けたのだとも解釈できるのです。

この場合、鹿とは武御雷から藤原氏へと続く一族の血統を指すと考えられますが、馬については上述の通りその系統については未解決だとしておきます。

さて、「クローゼット」という言葉には「隠された性癖」という隠語があるのですが、その中で死亡したという事実と併せて解釈するならば

 素性を隠したまま死ね

と言う意味にも取れます。つまり、日本の中でユダヤの末裔を名乗ることは一切まかりならんと言う強い意志を表しているとも解釈できるのです。

三浦春馬さんは、このようにユダヤ支族への大きな呪いを背負わされて旅立たれたのでしょうか?

参考:

三浦春馬さんの出演ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」について、その中で表現されている種々の暗号メッセージの解読に挑んだ動画がありますので、ここでご紹介しておきます。

Youtubeチャンネル「外閣情報調査室」から

なお、同ドラマについては(真)ブログ記事「三浦春馬の死とカネ恋の呪い」において、そのドラマ設定に仕掛けられた呪術的な意味を、方位術の観点で解読を試みています。


管理人 日月土

もののけ姫と馬鹿

今回のタイトルですが、ちょっと誤解されそうなので初めにお断りを入れて起きます。

ここで使った「馬鹿」はいわゆる侮蔑的な意味での「ばか」ではなく、是非とも動物の馬と鹿を表す「うましか」と読んで頂きたいのです。

どうしてそのような区別をするのかについては、この後の記事を読んで頂ければご納得頂けるのではないかと思います。

■もののけ姫の少女神解釈

今から3年前、2021年の今頃からアニメ映画「もののけ姫」について、その物語構成のモデルとなった日本神話の分析を行ってきました。

これまでにどのようなことが分かったのか、それについては当ブログの過去記事を参考にして頂きたいのですが、今回は、これまでの分析で触れていなかった箇所、及び昨年展開した「少女神仮説」に基づいてに再度この作品を考察したいと思います。

これまでのおさらいとして、主要登場人物に対応する各々の神話上の神(人物)の関係は以下の様になります。

 カヤ   = タクハタチヂヒメ
 アシタカ = ニニギノミコト
 サン   = コノハナサクヤヒメ

これを図で表すと以下の様になります。

画像1:映画「もののけ姫」の主要登場人物の関係図

もののけ姫分析を始めた頃には気付かなかったのですが、カヤとアシタカ、そしてサンとアシタカの男女関係、いわゆる三角関係については、少女神仮説を取り入れると非常に上手く説明できることが分かります。

神話の中で、皇后タクハタチヂヒメにはオシホミミという王がいたのですが、記紀・秀真伝の記述によると、ニニギノミコトはその二人の間の子ということになっています。

この映画もそうなのですが、ニニギノミコトとその母であるタクハタチヂヒメとの男女関係を示すサインが幾つか見られる事から、私は「二人は不義の関係」と解釈してきましたが、ここに少女神仮説、古代王権は女系によって継承されていたという考えを導入すれば、ニニギノミコトは入婿でありタクハタチヂヒメと直接の血の関係はなかったことになります。

前王の王妃を娶って王権が移譲されるものなのかどうかは何とも言えませんが、少なくとも「不義の関係」は言い過ぎではなかったかと訂正します。

史書においてはニニギノミコトはオオヤマツミの娘であるコノハナサクヤヒメを娶ることになっていますが、少女神仮説を以ってこの記述を変換すれば

 オオヤマツミの息子ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメに婿入り

と置き換え可能なのです。

この新解釈を適用した場合、もののけ姫の問題シーンであり、この映画を観た世の女性たちを怒らせた

 カヤからもらった贈り物(黒曜石の短剣)をサンに渡した

という、まるで下衆男の振舞いとも取られかねないアシタカの行動にも重要な意味が隠されていたことに気付かされるのです。それは、

 王権の継承

であり、第9代アマカミ(古代天皇)のオシホミミが王権を獲得できたのは、その皇后であるタクハタチヂヒメに王権継承権があるからであり、その権威の象徴である短剣を別の女性に渡す行為はその女性の夫に王権を継がせる行為そのものなのです。

もしかしたら、カヤは新しい女性の元でアシタカに王になってもらいたかったのかもしれないのです。

すると、サンのモデルとなったコノハナサクヤヒメは誰の子だったのかが問題になるのですが、そちらについてもこれまでの分析から次の答を既に得ています。それは

 ホノアカリとアメノウズメの娘

であり、ホノアカリとは、神話の中で多くの変名・蔑称を持たされた王で、代表的なのがアヂスキタヒコネ、あるいは

 サルタヒコ

なのです。

アメノウズメ(別名サルメキミ)も当然王権継承権を持つ女性であり、その実の娘であるコノハナサクヤヒメがそれを有するのは言うまでもありません。

秀真伝には、ニニギノミコトとホノアカリの二王朝並立時代があったとされ、そうなるとニニギノミコトはもう一つの並立王朝の娘を娶ったことになります。

ホノアカリ王朝については秀真伝に若干の記述があるものの、記紀からは完全に消し去られており、獣の名を冠した「猿タヒコ」の名を以って道案内の神などとその地位を大きく蔑まれているのです。

■アシタカを導いた馬鹿(うましか)

以上はこれまでの解釈をまとめたものですが、ここで新たに注目すべきキャラクターを取り上げます。それは、このキャラです。

画像2:ヤックル

映画の中で、短剣を渡されたアシタカは不思議な生き物に乗って蝦夷の里から西へと向います。

鹿の様に立派な角を携え、サラブレッドのような身体を以って長距離を走り抜く不思議な生き物。このヤックルは、設定上は架空の生き物とされていますが、そのデザインから窺われるのは、明らかに

 馬と鹿の合いの子

なのです。

果たしてこれは宮崎駿監督の単なる思い付きと捉えてよいのでしょうか?ここまで作品設定内に日本古代史を取り込み、モロや乙事主など、動物デザインにもその深い意味を忍ばせているのに、果たしてヤックルだけが「何となく」描かれたなどと言えるのでしょうか?

実は、この話は亡くなられた次の俳優さんにも繋がるのです。

画像3:三浦春馬さん

この「三浦春馬」という芸名が、馬鹿(うましか)を意味するのは前回記事「令和五年のブログ記事まとめ」の最後部に「三浦春馬と春日の関係」という見出しで小さく触れています。

春日大社は放し飼いの鹿で有名ですが、そこに祀られているのは藤原氏の祖神(おやがみ)である武御雷(たけみかづち)の神、別名鹿島神(かしまかみ)なのです。

藤原氏と言えば、今年放映されるNHKの大河ドラマ「光る君へ」は平安の藤原氏の時代に生きる紫式部の生涯をドラマ化したものですが、第1回放送の中に非常に気になるシーンがありました。お菓子を失くしてしまった三郎に向ってまひろが放った言葉です。

画像4:1月7日放送のダイジェスト動画から(吹き出しは筆者が加工)
https://www.youtube.com/watch?v=F-0rxW7VU-8

「馬鹿」(ばか)?果たしてこれは単純に相手を侮蔑する子供のやりとりを現代語表現しただけのものなのでしょうか?

そもそも「馬鹿」(ばか)の語源とは何なのでしょうか?

これについては、国語辞典編集者の神永さんによるブログ記事「何でバカって言うの?」が参考になります。

同記事における結論は、「諸説あるものの語源がはっきりしない」ということなので、現代日本人はその意味も分からずに「馬」と「鹿」を使って人を侮蔑しているということになります。

現代の子供でさえふざけて使う、こんな一般的な言葉の語源が不明だと言うのも驚きなのですが、もしも「馬鹿」が何かの呪術的符号だとするならば、そこには必ず呪術を成立させる明確な論理が存在するはずなのです。

実は、その答は少し見えています。以下の図を見れば、お分かりになる人は直ぐにハッと気付かれるでしょう。

画像5:古代ユダヤの紋章
イッサカル族(左)とナフタリ族(右)

どうやらニニギノミコトの王権取得にはこの紋章を戴く2族が関わっているようなのです。

そして、藤原氏と鹿の一族との関係はもちろんですが、馬を戴く一族とは具体的に誰なのか、そして、アシタカをサンの下へ送り届けた馬鹿(ヤックル)の映画表現は何を意味するのか?

また、ニニギノミコトノの事跡である「天孫降臨」と呼ばれる神話的事象も、この2族との関係を無視して正確に語り得ないのです。

ジブリ映画の大ヒット作「もののけ姫」にはまだまだ古代日本の史実が隠されていたようです。

岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)
ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入
られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれた
のであるぞ、十二の卵を十生んだことに
もなるのであるぞ、五つの卵を四つ生ん
だとも言へるのであるぞ、総て神界のこ
と、霊界のことは、現界から見れば妙な
ことであるなれど、それでちゃんと道に
はまってゐるのであるぞ。

(日月神示 碧玉の巻 第十帖)


管理人 日月土

鹿児島と鹿の暗号

前回、前々回と鹿児島と日本神話の関係について、現地調査の体験をを元に記してきました。

 ・日本神話と鹿児島 
 ・日本神話と鹿児島(2) – 吾平山上陵 – 

今回の記事は大きく視点を変えて、このブログでは恒例のアニメ作品による分析を試みてみたいと思います。

今回題材に取り上げるのは次の作品です。

画像1:「魔法少女まどか☆マギカ」から鹿目(かなめ)まどか

およそ歴史ブログには相応しくないキュートな絵柄なのですが、実はこの作品、スタジオシブリの「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」などと並んで、日本古代史をベースにした数あるアニメの中でも、最高峰に位置する作品であると私は睨んでいるのです。

このアニメ作品「魔法少女まどか☆マギカ」は(真)ブログの次の記事で既にご紹介済みです。

 関連記事:魔法少女は永遠に 

上の記事では、2011年の東日本大震災、そして最近のコ〇ナ騒動に関連したこのアニメ作品の呪術性について解説していますが、作品の重要なモチーフとなった日本古代史については触れていませんでした。今回はそこに少し踏み込んでみようという訳なのです。

■鹿児島と鹿目

このブログにお付き合いの長い読者様でなくても、既に「鹿児島」と「鹿目」が「鹿」の一字で関連性を持つことに気付かれたと思います。「何だ、それだけじゃないか!」とは思わないでください。当然この続きがあるのです。

前回記事「日本神話と鹿児島(2)」で、吾平山上陵(あいらさんりょう)と諏訪神社の関連性を指摘しました。ちなみに、吾平山上陵の所在地は鹿児島県の鹿屋市(かのやし)となります。

ここで諏訪神社の大元、諏訪大社の祭神の名を挙げておきたいと思います。表記は古事記に拠るものです。

 建御名方神(たけみなかたのかみ)

そして諏訪大社独自の奇祭とも言われるのが。

 御頭祭(おんとうさい)

です。

この御頭祭がどのような祭であるかは、ネットでも様々な情報が書かれていますが、ここでは諏訪大社の公式ページから抜粋してみましょう。

御頭祭(上社例大祭)4月15日

本宮で例大祭の神事執行後神輿行列を仕立て前宮に赴き十間廊で古式に依る祭典が行われます。古くは三月酉の日に行われたため酉の祭りとも言われ、農作 物の豊穣を祈って御祭神のお使いが信濃国中を巡回するに際して行われたお祭りで大御立座神事とも言います。

特殊神饌として鹿の頭を始め鳥獣魚類等が供え られるため一部では狩猟に関係したお祭りの如く言われています。唯今は鹿肉とともに剥製の鹿頭をお供えしますが、昔は七十五頭献じられたこともあり、中に必ず耳の裂け た鹿があって高野の耳裂鹿と言い七不思議の一つに挙げられています。

引用元:諏訪大社公式ページ
画像2:御頭祭の様子(画像引用元:おみやさんcom

既にお気付きの様に、諏訪大社と「鹿」の字の間には、どうやら切っても切れない関係がありそうなのです。ですから、鹿児島県内に諏訪神社が多いのと県名・市名の「鹿」の字の間には何か関係があると見るのは、それほど突飛な発想ではないと言えるでしょう。

■古事記に見る建御名方神

御頭祭がどうしてこのような形式を取るのか、その由来は定かではないようです。そこで、今度は祭神の建御名方神が古事記の中でどのように記述されているかを見てみます。

ここに天照大御神詔(の)りたまはく、「またいづれの神を遣はさば吉(よ)けむ」とのりたまひき。ここに思金神(おもひかね)また諸(もろもろ)の神白さく、「天の安河の河上の天の石屋に坐す、 名は伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)、これ遣はすべし。

もしまたこの神にあらずは、その神の子、建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)これ遣はすべし。またその天尾羽張神は、逆(さかさま)に天の安河の水を塞(せ)き上げて、道を塞き居る故に、他神(あたしかみ)は得行かじ。かれ、別に天迦久神(あめのかくのかみ)を遣はして問ふべし」とまをしき。かれここに天迦久神を使 はして、天尾羽張神に問ひたまひし時、答へて白さく

「恐(かしこ)し。仕へ奉らむ。然れどもこの道には、僕が子建御雷神を遣はすべし」とまをして、すなはち 貢進(たてまつ)りき。ここに天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神に副へて遣はしたまひき。

「天尾羽張神」と「建御雷神」(タケミカヅチノカミ)が出雲平定に向かった下りなのですが、ここで二柱の神は出雲の王「大国主命」と対面し国譲りを迫りますが、大国主命は息子の一人である八重事代主に判断を任せて、その八重事代主は「国を譲る」と決断します。

他の子もこれに同意しているのかと改めて大国主命に問い質した所、一人だけ同意しない子がいるとのこと。次にその段を見てみましょう。

かれここにその大国主神に問ひたまはく、「今汝(いまし)の子事代主神、かく白しぬ。また白すべき子ありや」ととひたまひき。ここにまた白さく、「また我が子建御名方神あり。これを除きては無し」と、 かく白す間に、その建御名方神、千引の石を手末(たなすゑ)にかかげて来て、「誰そ我が国に来て、忍び忍びかく物言ふ。

然らば力競(ちからくらべ)せむ。かれ、我まづその御手を取らむ」と言ひき。かれ、その御手を取らしむれば、即ち立氷(たちひ)に取り成し、また剣刃(つるぎは)に取り成しつ。かれここに懼(おそ)りて退き居りき。

ここにその建御名方神の手を取らむと、乞ひ帰して取りたまへば、若葦を取るが如、掴み批(ひし)ぎて投げ離ちたまへば、即ち逃げ去にき。かれ追ひ往きて、科野国(しなののくに)の州羽(すは)の海に迫め到りて、殺さむとしたまふ時、建御名方神白さく、「恐(かしこ)し。我をな殺したまひそ。此地を除きては、他処に行かじ。また我が父大国主神の命に違はじ。八重事代主神の言に違はじ。この葦原中国は、天つ神の御子の命のまにまに献らむ」とまをしき

そうなのです、一人だけ同意しない子とは建御名方神のことで、ここで、天から派遣された建御雷神と勝敗を決するための力比べを始めるのです。この力比べ、相撲の起源とも言われているようです。

結果としては、建御名方神は建御雷神に負かされ、信濃の諏訪湖に逃げるのですが、追い詰められた建御名方神は、命乞いと同時に出雲の国譲りを認め、今後諏訪の土地から出ないと宣言するのです。

ここまでは良く知られた神話の中の国譲り伝承なのですが、さてここに登場するもう一人の神、建御雷神とはいったいどのような神様なのでしょう?

ご存知の方はとっくにご存知のように、

 鹿島神宮の祭神

なのです。

画像3:鹿島神宮(画像引用元:Wikipedia

またもや「鹿」の字が登場するのですが、この鹿島神宮で有名なのが、地震を鎮めると言われている要石(かなめいし)なのです。

画像4:要石(画像引用元:Wikipedia

ここで、魔法少女「鹿目(かなめ)」まどかの鹿目がどうやら鹿島神宮との関係を指すのではないかと予想されるのです。

これまでの関係性を整理すると次のようになります。

 鹿児島>諏訪神社>諏訪大社>御頭祭>鹿

 諏訪大社>建御名方神>建御雷神>鹿島神宮>要石>鹿目

            ⇩

 鹿児島 >> 諏訪(御頭祭) >> 鹿島 >> 鹿目

これではまだまだアニメと関連が薄いように思われますが、この関係性を更に補強するのが、「まどか」という下の名前なのです。

■竈神社の祭神

「まどか」という文字列をアナグラムとして並べかえると、「竈(かまど)」となるのは良いでしょう。さて、この「竈」の名を冠している神社が九州には多く見られるのですが、その主祭神が誰なのかはご存知でしょうか?

画像5:福岡県太宰府市の竈神社(画像引用元:Wikipedia

竈神社の主祭神とは

 玉依姫(たまよりひめ)

なのです。これが何を意味するかは、再び少女神仮説による次の系図を見ればお分かりになると思います。

画像6:少女神仮説による系図

玉依姫は吾平山上陵の被葬者と比定されているウガヤフキアヘズノミコトの皇后なのです。これにより、「まどか」というキーワードが鹿児島の吾平山上陵との関連性を示唆しているとも言えるのです。

以上をまとめると、アニメキャラ「鹿目まどか」とは

 鹿島の玉依姫

を意味していると考えられるのですが、これが鹿児島及び諏訪・鹿島と具体的にどのように関連してくるのか、また、何故それがアニメによる呪いに使われたのか?それについては次回のメルマガの中で考察したいと思います。


磯前の大樹の下に鎮まるは はるかに旧き琥珀の思ひ
管理人 日月土

花嫁たちの故郷

今回はいきなりアニメの話題から始めたいと思いますが、毎度お断りしているように、ここはアニメブログではなく、歴史考察ブログであることをくれぐれもお忘れなきようお願いいたします。

先日、(真)ブログ「GOTO分の世界」で人気アニメ「五等分の花嫁」を話題とした記事を掲載しました。

画像1:アニメ「五等分の花嫁」から
©春場ねぎ・講談社/「五等分の花嫁」製作委員会
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同記事では、作品の構造については具体的なことに殆ど触れていませんが、当然、このアニメの背景には日本古代史との関連も含まれています。今回は、その接点と見なされる歴史的事象にスポットを当てたいと思います。

■五嫁の聖地「太田川」

近年、アニメの背景デザインのモデルとなった土地を、「聖地」として取り上げたり、現地を訪れることを「聖地巡礼」と呼んだりしていますが、「五等分の花嫁」(以下五嫁)の場合は、それが愛知県の東海市、名鉄太田川駅周辺であることは既に確定しています。

それは同シリーズの第1期第1話に出てきた次のシーンに象徴されています。

画像2:既に街を挙げての地域起こしか?

この他にもデザインモデルになった同地の構造物は多い様なのですが、詳しくは地元市議会議員さんのホームページに詳しいので、アニメ好きの方はどうぞそちらをご覧ください。

さて、私がまず最初に気になったのは、画像2の背景モデルになっている建物なのです。この建物、駅前の複合商業施設で「ソラト太田川」と言うらしいのですが、私としては少しばかり仰天のネーミングなのです。

何故なら「ソラト」とは、シュタイナー人智学において

 太陽の悪魔

とされる、キリストに対する最大の敵対者であると位置付けらているのです。

 関連記事(外部):ソラト 太陽の悪魔 

メディア表現に「反キリスト」の象徴が描かれることは、スタジオジブリ作品や最近の「天気の子」なども含め珍しいことではありませんが、この能天気としか言えない学園ラブコメ作品の第1話が、いきなり悪魔の象徴から始まる事に関しては、少々驚きを隠せません。

当ブログではメディア作品の「呪詛」については詳しく触れませんが、少なくとも五嫁の冒頭から呪詛的要素が組み込まれていることは把握しておいてよろしいでしょう。そして問題なのは、その「呪い」がいったい何に向けられていて、どうしてそれが東海市太田川なのかという点なのです。

■知多半島北部は古墳地帯

私は中京地区には必ずしも強くないのですが、大都市名古屋の南東、知多半島の付け根から半島の中央部にかけての丘陵地に古墳が多く点在していることは把握しています。

これを Google Map の太田川周辺で「古墳」と検索すると次の様な結果を得ます。

画像3:太田川周辺古墳マップ

この中で太田川駅の東南にある岩屋口古墳などは、知多半島の古墳の中では最大であるとされており、そのような大型古墳の周辺にこれだけしか古墳が見当たらないというのは本来あり得ないことであり、おそらくその多くが、建造後千年以上に亘る歴史の中で、取り壊されたり人家や畑の下に埋もれてしまった、または、未だ古墳として認識されていない森林などに残されていると考えられます。

古墳の配置を考える時、中世まで続いたと考えられる海進時代の海岸線を考慮に入れなければなりません。「Flood Map」で今より海面が7m高かった場合を想定すると、その海岸線は凡そ次の様になると予想されます。

画像4:太田川は伊勢湾の底にあった
(現在の工業地帯は全て海面下にあったとしています)

この画像を見ればお分かりのように、画像3に表示された古墳(群)は、いずれも古代の海岸線上にあることが良く分かります。

現在の太田川駅周辺は海面下に没しているものの、古代期においては伊勢湾内における更なる小内海のような地形をしていたと考えられ、このような地形は船舶が主要な移動手段であった古代期においては、波風を避け船を停泊できる理想の土地であったと予想できるのです。

ですから、ここに人が集まり、巨大な墳墓を構築するような文化が栄えるのはむしろ必然と言えるでしょう。この場合の古墳とは、単なる墓ではなく、沖を行き交う船にとって、大事な目印となっていたのは予想に難くありません。

要するに、太田川駅周辺の旧海岸線上には、古墳時代以前にある程度の規模の文化圏が築かれていたと考えられるのですが、それと五嫁にはどのような関係があるのでしょうか?

■太田川は少女神エリアだった

実は、伊勢湾周辺の遺跡・古墳については昨年5月の過去記事「古代鈴鹿とスズカ姫(3)」で、少女神、すなわち「古代巫女皇后」を主要トピックとして取り扱っています。

その記事で使われた画像において、今回のテーマとなっている「太田川」の位置関係は次の様に表すことができます。

画像5:少女神ゆかりの地と太田川
地図は海進期の予想海岸線を採用

記画像をご覧になればお分かりの様に、太田川は伊勢湾を取り巻く、いわゆる

 少女神エリア

の圏内、その東岸に位置するのがはっきりと読み解けるのです。

五嫁とは、5人の同じ顔の少女達を主人公に置いた物語ですから、ここで「少女」をキーワードに、アニメ聖地と物語の微妙な繋がりが垣間見えるのです。果たして「ソラト」の呪いもこれと関係あるのでしょうか?

■椿古墳の支石墓

調査に出向く頻度があまり高くはない中京地区ですが、画像3,4の最南端に記されている「椿古墳」については現地に出向いて調査を試みています。

この古墳、古墳認定されているので、何らかの発掘資料が残っているのかネット検索してみましたが、残念ながらネット上には殆ど資料らしい資料が見当たりません。

なので、今もそうなのですが現地に出向いた時も手探りで、外観と土地の造形からこの古墳の成立ちを考えなくてはならない状況となりました。

現地へ向かったのは良いのですが、丘陵の麓から中腹にある神明社という神社までは参道が続いているものの、そこから先へは道らしきものが整備されておらず進めなくなってしまったのです。

道なき道を進む体力が私にはないので困っていたところ、同行者が代わりに登ってくださるということで、その方に丘陵頂上部の古墳があると思われる場所で写真を撮ってきていただきました。その写真が次のものです。

画像6:椿古墳の石(1)
画像7:椿古墳の石(2)

この写真を見た時に私も「えっ?」と思いました。何故なら地面に転がるこの石は平たく整形されたものであり、石棺などの構成物とも考えられますが、ならば端が整えられていない大きな石が、ごろっと数点だけこのように残されているのもどこか変なのです。

結論としてまだ断定できないのですが、私はこれを

 支石墓(ドルメン)

の残骸ではないかと推測するのです。

画像8:支石墓(韓国) (引用元:VisitKorea )

この支石墓、福岡など九州北部のものが有名ですが、基本的に朝鮮半島から渡ってきた人々が半島式に死者を埋葬する文化として残して行ったものと言われています。

そうすると、あくまでも仮定の話となりますが、この土地に半島ゆかりの諸民族が流入していたとも考えられ、ここに、これもまた微妙ではありますが、

 少女神 - 朝鮮半島

の繋がりが見出せるのです。

アニメ「もののけ姫」に登場し、少女神の象徴とみなされる少女「カヤ」が、古代朝鮮国である「加耶」と同音の名を持ち、同時に半島式の帽子を被っている点が、以前から不可解な点として残っていましたが、どうやら、少女神を語る時に古代朝鮮王朝の話は切り離せないという点が明確になってきました。

画像9:もののけ姫のカヤ

前回、前々回の記事では、魏志倭人伝の卑弥呼が居たとされる「倭国」とは、おそらく朝鮮半島と日本列島を含む広い地域を指すのではないかとしましたが、椿古墳が半島式支石墓だとすれば、少女神はこの広い「倭国」の中を移動していたのではないかとの類推も可能なのです。

すると、必然的に、古代倭国の女王と少女神の話も、朝鮮半島を支点に繋がってくるのです。

まだまだ、物事を断定するには不十分ではありますが、最後にこのドルメンが今年上映された宮崎駿監督の最新映画「君たちはどう生きるか」に登場したことを、映画をご覧になった方は今一度思い出して頂きたいのです。宮崎氏はなぜこのようなシーンを映画の中に盛り込んだのでしょう?

画像10:映画に登場した半島式ドルメン
公式パンフレットから

ここまでのキーワードを整理すると

 ・五人の少女
 ・少女神
 ・知多半島の支石墓
 ・古代倭国と卑弥呼

そして、アニメ作品に表現される

 ・古代朝鮮王国の象徴

その関係はいったいどのようなものなのでしょうか?そしてもしも「ソラト」が呪いのキーワードであるなら、まさに古代少女神こそが呪いのターゲットではないのかと私は考えるのです。

書籍のご案内

当ブログで頻繁に取り上げている「少女神」という概念は、みシまる湟耳(こうみみ)氏による著書「少女神 ヤタガラスの娘」(2022/1/28 幻冬舎)によってインスピレーションを受けたものです。ブログ記事を読み進めるためにも、まず初めにこちらをお読みになられることを強くお勧めします。



この本を読むことで、日本国民が天皇家の成立ちについて誤解していること、あるいは意図的に誤解させられている事実に気付くはずです。


内海の空の向こうには 隠れし少女の囚われの園
管理人 日月土

推しの子に見る月読尊と伊予

最近のアニメ作品に、様々な日本神話の事象がモチーフとして取り入れられている点については、これまで何度もお伝えしその事例を紹介しています。

今回もその分析手法の中で、最近注目されているアニメ「推しの子」から、少し気になる歴史テーマを取り上げたいと思います。

画像1:アニメ「推しの子」
©赤坂アカ×横槍メンゴ/集英社・【推しの子】製作委員会

実は、このタイトル画像にそのサインがしっかり現れているのにお気付きになったでしょうか?

画像2:「の」の字に三日月の
デザイン

この作品、「推し」が「星(ほし)」と語調を重ねていたり、主人公の名字が「星野」であること、また、瞳に描かれた六芒星が特徴的であったりと、とにかく普通に視聴すれば「星」が殊更強調されているように見えます。

しかし、画像2のタイトル文字デザインのように、こっそりと「月」のサインが盛り込まれているのに気付くのです。それは何もタイトル文字だけでなく、次のシーンでも現れているのです。

画像3:主人公に兎(うさぎ)の髪飾り
画像4:YOASOBI「アイドル」公式動画より 
兎のデザインに兎の被り物
https://www.youtube.com/watch?v=ZRtdQ81jPUQ
画像5:満月を模したと思われる
キャラ「ぴえヨン」

日本人であるならば、兎(うさぎ)と聞けば普通に月を連想するでしょう。それが無理なこじつけでないことは、タイトル文字および脇役「ぴえヨン」が象徴するイメージを考慮すれば明らかです。

つまり、ここに登場する少女の主人公は、何か「月」に象徴される歴史上の人物と関連付けされている可能性が極めて高いと考えられるのです。

追記

この記事を投稿した6月15日の晩に放送された第9話でも、やっぱりやってくれました。本当に期待を裏切らないアニメですね。


「有」 → 「十」+「月」→ 十(分)な月 → Full Moon(満月) → ぴえヨン

■かぐや姫と月読尊

一般的に、月と関連付けられている歴史上、あるいは神話・寓話上の女性と問われれば、

 かぐや姫

が最初にあげられるのではないかと思います。

かぐや姫は平安時代の前期に書かれたと言われる「竹取物語」に登場する女性で、竹から生まれ、養父母に育てられ美しく育ち、多くの貴人から求婚されるも、最後には使者の迎えに従い月に帰ると言う、おそらく誰もが耳にしたことのある物語の主人公です。

この「かぐや姫」の物語の成立過程を考察すると、私が調査中の少女神との関係性が見えてくるのですが、ここでは、もう一人の月に関連する(おそらく)女性について取り上げます。

それは、昨年の記事「月読尊 - 隠された少女神」でも触れた月読尊(つくよみのみこと)のことです。

記紀では性別不詳、秀真伝では男性として記述されている月読尊ですが、これはおそらく改竄された記述で、実際は女性であったのではないかとの考察を同記事では述べています。

とにかく、月読尊はその事跡に関する記述が極めて少ないだけでなく、祭神として祀っている神社もあまりなく、いったい生前何をされた人物なのか調べる手掛かりがまるで分からないのです。しかし、その名が記紀にしっかり残されていること、また、天照(あまてらす)素戔嗚(すさのお)と、ナギ・ナミから生まれた3貴子の一人と数えられていることから、その歴史的な存在意義は極めて高かったのではないかと想像されるのです。

■イヨツヒメの示すもの

同上の過去記事では次の様な、秀真伝から引用した系図を掲載しました。

画像5:秀真伝に記されたツキヨミ-イフキヌシの系図

系図の改竄手法の一つに、男女夫婦の出身家を交換するやり方が考えられると「三嶋神と少女神のまとめ」で触れていますが、そうすると、この系図に記述されている男性ツキヨミとは「イヨツヒメ」と同一人物ではなかったのか、つまり、女性ツキヨミとは別名イヨツヒメと呼ばれる姫であったとも考えられるのです。

秀真伝式に「イヨツ」と音だけの表記ではよく分からないのですが、これを漢字で書き直してみると、その意味が見えてきます。もちろん、漢字を当てるパターンは幾つも存在するのですが、その中で私にとって一番しっくりくるのが実は

 伊予津

すなわち、伊予の湊(みなと)という土地を現した名前なのです。

私がこの当て字を強く「推す」のには理由があり、伊予の国と言えば当然ながら現在の四国瀬戸内にある

 愛媛県

を指す旧国名であり、何と言っても県名に「媛を愛する」と姫に関する文字が組み込まれているからなのです。ここに、愛媛県という地名としてはちょっと謎な名称が選ばれた本当の理由があるのかもしれません。

そう言えば、昨年公開された歴史(と呪術の)てんこ盛り映画「すずめの戸締まり」でも、愛媛県の港の地が主人公の来訪地としてしっかり描かれていましたよね。

画像6:映画「すずめの戸締まり」に登場した八幡浜港(愛媛県)
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

どうやら、手掛かりの少ない月読尊について何か情報を得るのに、とにかく愛媛まで出向く必要がありそうです。

■伊予の国で見つけた物

そういう訳で、つい先日、私は愛媛県の松山に向かい、三嶋神と縁の深い大三島と対岸の今治、また、宇和海(うわかい)と呼ばれる豊後水道に面したリアス式の海岸線が続く地域の中から、その中央部に位置する宇和島へと調査に向かったのです。

同地についてはまだまだ不案内で、はっきりとこれという成果は報告できないのですが、ここではその中で一番気になった場所の写真を掲載したいと思います。

画像7:宇和島市内で撮影

これが何を意味をするのか、このブログの過去記事をお読みになった方ならある程度察しが付くかもしれません。今回のテーマが「月読尊」に関するものであることを考え合わせれば、おそらくそうであろうと私は考えているのです。

果たして「推しの子」の隠された主人公アイとは「愛媛」の「愛」のことで、もしかしたら伊予の姫君を指しているのではないのか?伊弉冉(いざなみ)の血を受け継ぐ少女神との関係性がまたしても気になってしまうのです。

 関連記事:
  ・「推しの子」推しの話 
  ・「有馬かな」が語るもの 


つきのくに よるおすくにの いよひめは
うわのしんじゅの ごとくかがやく
管理人 日月土

三嶋神と少女神のまとめ

これまで、5回ほど三嶋神についてブログ記事を掲載してきました。

 (23.02.28) 名前を消された三嶋 
 (23.03.15) 甲と山の八咫烏 
 (23.03.28) 加茂と三嶋と玉の姫 
 (23.04.15) 書き換えられた上代の系譜 
 (23.04.29) 伊古奈姫と豊玉姫、そして123便 

記載内容がかなりごちゃごちゃしてきたのと、私自身が少し混乱してきたので、ここで一旦、これまで掲載した内容を整理しまとめたいと思います。

■史書の記述をどう読むか

毎回同じことを言わせてもらってますが、私の史書の記述に対する考え方は以下の通りです。

 (1)史書は基本的に暗号文として解釈する
 (2)暗号化された究極の形式が「神話」である
 (3)日本の史書は西暦700年代の編纂期に統一編集(改竄)されている

例えば、自分の記録を残す時、知られたくない事実は通常は完全に伏せるものです。しかし、その中に次世代に継がせるべき大事な情報があった場合、特定の読み人だけに分るよう、ある程度の法則性を以って事実を書き換えることはあり得ます。私は、史書はそのような意図により編纂されたのだろうと想定しており、複数の史書類を比較検討して、まず解読のキーワードは何であるのかを検討します。

このような情報の書き換えを続けていると、様々な点で論理的矛盾や事実関係の齟齬が生まれるのは容易に想像できることであり、その問題をいっぺんに解決する手法が「神話」、すなわち歴史をファンタジー化してしまうことです。おそらく日本神話は、「天皇家の出自」という、日本の国体を象徴する一家族のルーツを、「神の子孫」という超自然的存在と結び付けて曖昧にしているのだろうと考えられるのです。

読者の皆様の中で、「天皇家が神の子孫」だと本気で信じておられる方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?私は別に、日本の国家運営に一定の役割を果たしてきた長い歴史のある一族を貶すつもりは全くないのですが、事実は事実として開示してこそ、その歴史的伝統は担保されるものだと思っています。

そのような史実を丸めて隠す「神の子孫」思想こそが、先の世界大戦で軍事プロパガンダとして利用されたとは言えないでしょうか?

西暦700年代には、古事記、日本書紀が編纂されますが、この編纂過程においては、各家に保管されていた家史が強制的に回収され、これに従わない者は死罪にされたと言います。また同時に、中国大陸の文物が大量に買い占められたという記録もあるようです。つまり、この時期に

 日本の歴史は改竄を受けた

と言って良いのかもしれません。この時の状況を歴史研究家の間では「書紀合わせ」、すなわち日本書紀に見られる古代史の統一見解に沿って、他の史書についても編纂(改竄)が行われたと見ているのです。

■アニメ作品に見る歴史の開示

前節で述べたように、一般に流布している史書の記述が暗号化され改変されているものなら、当然、その事実を知り、これをデコード(暗号解読)している個人や団体がどこかに存在すると考えなければなりません。もしかしたら、正しく史実が記載されている全く別の史書(正史)が残存しているのかもしれません。

このブログの長い読者様なら既にご存知の様に、私は歴史解説ネタに時々アニメ作品を取り上げます。それが何故かと問われるならば、アニメ作品の基本プロットの中に日本古代史が折り込まれていると確認できることがかなりの頻度であるからなのです。

このブログでは、「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を皮切りに、スタジオジブリ作品である「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」を古代史を語るテキストとして使って来ました。

画像1:本ブログで取り上げたアニメ作品
アニメ研究ではなく歴史研究ですよ

これらの作品は、どうしてなのか、手元に用意した史書類よりも詳細に当時の人間関係などを表現しているケースが見られるのです。おそらく、これらの作品の考証を担当したスタッフの中に、改竄された記紀などではなく、正史に記述された内容をよくご存じの方がいるのだろうというのが私の予想です。

どうして、隠蔽された史実を劇作品の中にわざわざ取り入れるのかは重要な問題でありますが、それについての考察はここでは控えます。私は、史書類のデコードだけではなく、これらの作品に密かに埋め込まれた古代史実の分析結果をも資料として利用していることは予めご了承ください。

■「少女神」という概念

「少女神」という言葉の意味は、その概念を最初に取り上げた過去記事「少女神の系譜と日本の王」を読んで頂きたいのですが、正直に言って、「みシまる 湟耳」さん著の書籍「少女神 ヤタガラスの娘」からの借用です。

ものすごく簡単に説明するなら、古代天皇家は、特殊な能力を持つ少女(少女神)の元へ婿入りできた男性が王権を得ていたのではないか、そして、その少女を輩出する家系こそが、三嶋であり八咫烏(ヤタガラス)なのではないかと論説しています。

もうお分かりのように、三嶋神に関するこれまでの分析も、この「少女神」の概念を切り口に行ってきたのです。

日本神話に登場する神々の名前が、実はある歴史上の特定人物を幾つかの変名に置き換え(一体分身)たものであることは、私でなくても多くの歴史研究家が既に気付いていることだとは思いますが、その場合、個々の史実についてはそれで説明ができても、血脈を辿るとどうも上手く行かない、むしろ混乱の度合いが深まるケースが多かったのではないかと思います。

しかし、これらをこれまで一般的であった男系による王権継承から、女系による王権継承(少女神の血統)に置き換えると、全体の見通しがたいへんシンプルになることに気付くのです。

■女系による三嶋神の系譜

さて、能書きが長くなってしまいましたが、これまでの三嶋神に関する考察を、少女神による女系継承に置き換えるとどうなるかを、一つの系図として作成してみました。

この図は、女系の血筋を中心に、それぞれの代の女王に男性王が婿入りするという体裁で描かれています。

画像1:女系による王権継承と上代の王

男性王の出身家は記紀で后(きさき)が出た家とされているものと置き換えています。おそらく史書編纂者が採用しただろう改竄手段の逆を行っていると考えてください。

 木花開耶姫(大山祇の娘) → 瓊瓊杵尊(大山祇の息子)
 媛蹈鞴五十鈴媛(大物主の娘) → 神武天皇(大物主の息子)

彦火火出見尊の場合は、その変名である三嶋湟咋と並列に置かれることの多い大山祇の家系と仮定します。また、鸕鷀草葺不合尊の場合は、変名に大物主とあるので、大物主の家系としました。

さて、この図を見てどう思われるでしょうか?少なくとも、

 上代天皇は血が繋がっていない

ことがお分かりでしょう。要するに、男性王の出身家は女王に対して外戚となる関係なのです。しかも、この4代に亘る短い系図の中に、既に2つの外戚家系が入り込んでいるのです。

もちろん、この図は少女神仮説を元に作成しているのですが、この系図を用いることで以下の議論がずい分と説明し易くなったことにお気付きになったでしょうか?

 ・天皇(男性)の出自に関する諸議論
 ・魏志倭人伝に記述された女王国

よく、「〇〇天皇は△△出身だった!」とセンセーショナルな歴史議論がなされることがありますが、そもそも、男に王の継承権がないのであれば、どこの出身地かはそれほど大きな問題とはならないのです。

また、魏志倭人伝が記述する「女王国」という古代王国の捉え方は全く異質であるどころか、むしろその通りだというこになるのです。

さて、これが正しいとするならば、次に大きな問題が控えています。

 ・大山祇とは何者なのか?
 ・大山祇と三嶋、そして八咫烏との関係は?
 ・天皇家はいつから男系継承となったのか?

果たして、女系継承が突然男性継承に変わることがあるのだろうか?あるいは巧妙に男系継承に置き換えているだけなのか?ならば、天皇を名乗る外戚家はいったいどこからやって来た何者なのか?

実は、現在の皇室に直結する極めて重要な問題を孕んでいるのです。


管理人 日月土